水野勝仁 連載第8回
サーフェイスから透かし見る👓👀🤳

「デスクトップ上の正しい角度」で描かれたカーソルがつくるあらたな加工物

Text: Masanori Mizuno, Title Image: Haruna Kawai

エキソニモ《Click and Hold》2019

2019年2月に WAITINGROOM で開催されたエキソニモ個展「LO」で発表された《Click and Hold》では、キャンバスに描かれた複数のカーソルが重力とデスクトップとの作用を同時に受けながら存在している奇妙なサーフェイスが現れている。なぜなら、仮想のデスクトップのXY座標をコピーされたキャンバスが、物理的キャンバスとして重力の影響を受けて傾いているからである。エキソニモはカーソルのデスクトップ上の正しい角度とキャンバスの傾きのズレを示しつつ、カーソルとその先の釘がキャンバスを「Click and Hold」しているようにしている。その結果、《Click and Hold》では、重力の作用を受けるモノと重力から逃れているカーソルが存在する仮想平面とが接合しているように見える。このとき、壁というキャンバスの外部と絵画というキャンバスの内部とが釘によって一つに接続されて、壁とキャンバスは別々のサーフェイスでありつつ、一つのバルクを形成しているかのようである。今回は、エキソニモの《Click and Hold》を取り上げて、物理的サーフェイスと仮想的サーフェイスとが接合されて、あらたなバルクが形成されていくプロセスを考察していきたい。

「XY座標」にプラスされた「正しい傾き」↖️

エキソニモの《Click and Hold》は以下の手順で作成される。6つのステップを経て、カーソルはXY座標に張り付いたインターフェイス的存在でありながら、バルクとサーフェイスとから構成されるモノ的存在にもなっているという、二つの存在が混ぜ合わされた状態を示す表現になっていく。

STEPS

  • ランダムな複数のX、 Y座標をコンピュータで生成。
  • キャンバス上にその座標をポイントする。解像度をキャンバスのサイズから計算する。
  • 座標、解像度、シグネチャーを右下に書く。
  • キャンバスのポイントに釘を打ち、壁のその座標の位置に打ち付ける。
  • 重力に任せてキャンバスを傾かせる。
  • マウスカーソルをデスクトップ上の正しい角度で描く。1

この手順でエキソニモが行なっていることを分析していきたい。エキソニモは先ずは「ランダムな複数のX、 Y座標をコンピュータで生成」して、この座標をキャンバスの左上の原点(0、0)としてコピーしていく。そのとき、キャンバスの物理的サイズが「解像度」というディスプレイ由来の単位に変換される。そして、エキソニモは「座標、解像度、シグネチャーを右下に書く」ことで、物理的なキャンバスをコンピュータの仮想平面と同等にする署名をする。それは、ダグラス・エンゲルバートとそのチームが開発したマウスが、ディスプレイだけでなくあらゆる物理平面をXYグリッドに区切っていったことを想起させる。

ディスプレイはX軸とY軸に基づく二次元のグリッドに区切られている。マウスが置かれた面とディスプレイとは重なり合っているため、ディスプレイ上のカーソルと連動するマウスもまた物理空間をXYグリッドに区切っていくといえる。ライトペンはディスプレイのXYグリッドを直接指定し、スタイラスペンはあらかじめXYグリッドに区切られたタブレットの平面と対になって機能する。対して、マウスはタブレットのような特別な平面を必要とせずに、物理空間にある平面をXYグリッドに区切っていくデバイスである。2

確かに、エキソニモは「座標、解像度、シグネチャー」をキャンバスに書くことで、キャンバスを仮想平面に変えるけれど、その後、「キャンバスのポイントに釘を打ち、壁のその座標の位置に打ち付ける」。このとき、キャンバスだけでなく壁もまた左上を原点(0、0)とした72ppi想定の架空のXYグリッドで区切られており、エキソニモは壁の座標とキャンバス内の座標とを対応させた位置に釘を打ちつけている。3 この行為は、壁やキャンバスという物理平面をXYグリッドで区切っていくという点はマウスやタブレットの機能に近いものであるが、釘を打つという行為は、ディスプレイ上の座標を直に指定するライトペンによる座標指定に近くなっている。キャンバスに釘を打つという行為は、キャンバスに穴を開け、その先の壁にも穴を開け、釘がキャンバスと壁とを串刺しにするものである。串刺しにされたキャンバスは釘を支点にして、重力によって傾く。最後に、エキソニモは「マウスカーソルをデスクトップ上の正しい角度で描く」のだが、このとき、キャンバスは釘が打たれた座標によってまちまちの傾きを示す、キャンバス上のXYグリッドは釘を重心として様々な角度に傾いているが、カーソルは常にデスクトップにおける正しい角度を示して描かれ、ある一つの座標を「Click and Hold」しながらキャンバスに留まっている。キャンバスの傾きとカーソルの角度とのズレを明確に示すのが、複数の《Click and Hold》が展示されているときである。なぜなら、複数のキャンバスは打たれた釘の場所によって、まちまちに傾いているのであるが、すべてのカーソルは常にデスクトップに見る「正しい角度」で描かれており、カーソルだけがデスクトップという仮想平面からキャンバスという物理平面に、重力の影響を受けずにコピペされたかのようになっているからである。

エキソニモがキャンバスの傾きとカーソルの傾きとのあいだにズレをつくるのは、物理平面とXYグリッドの仮想平面とを同時に認識させつつも、それらが異なる平面であることを強調しているからだと考えられる。物理平面と仮想平面とは一つのポイントを釘で貫くことで重なり合う。しかし、釘を支点としてキャンバスは重力の影響を受けて傾くのに対して、カーソルは仮想平面にあるときと同じ傾きで描かれる。エキソニモは重力と傾きを使って、物理世界に固有の重力の作用に仮想平面を巻き込みつつも、カーソルが重力から逸脱した存在であることを示している。《Click and Hold》を見ている人にとって、目の前のカーソルは「壁に釘打ちされたキャンバスに描かれたカーソル」というモノ的存在であるのだが、キャンバスとカーソルの傾きのズレによって、仮想平面から直接キャンバスにコピペされた仮想的存在のようでもある。カーソル自体がインターフェイスを連想させることはもちろんなのだが、エキソニモの仕掛けによって、鑑賞者は目の前のカーソルがキャンバスに描かれたモノ的存在であると同時に、ヒトとコンピュータという二つの存在に挟まれた仮想の「最前面」に位置するインターフェイス的存在であることを強く意識させられる。そして、その「最前面」とは「座標データ」を介して行われるヒトとコンピュータとの接点を示すカーソルがある仮想平面である。エキソニモの千房けん輔は情報学研究者のドミニク・チェンとの対談で、2007年の作品《断末魔ウス》について、次のように述べている。

千房:うちの《断末魔ウス》も、マウスが壊れるまでのログを記録しているの。それはカーソルの座標とマウス自体の映像なんだけど、同時に記録してある。鑑賞者は自分のデスクトップ上で自分のカーソルでもって破壊の様子を擬似体験してしまう。
ドミニク:あれはマウスにすごく人格が宿りますよね。あの震える動きを見ていると、哀れみを感じるもの(笑)。
千房:でも、あれによって「永遠に死なない存在」になるんですよ。カーソルの存在の根拠は「しょせん座標データだ」っていうことなんですけど。逆に座標を記録してあれば、完全にリアルな存在が再現できる。オンラインゲームでの行動だって「いつどこで誰がどうした」という座標軸の数値さえあれば、それが人間なのかロボットなのか判別できないレベルで完全に再現可能ですよね。4

千房が指摘するように、カーソルはXY座標のみが存在根拠であり、それはバルクも持たずに仮想的な最前面にしか存在しないインターフェイス的存在なのである。カーソルはXYグリッドに基づいた座標さえあれば、ディスプレイはもちろんのこと、キャンバスにも「完全に再現可能」な存在だと言えるだろう。どの平面でも完全に再現可能なインターフェイス的存在としてのカーソルを存在根拠であるXY座標とコンピュータ内部構造から考えてみたい。先に参照したエンゲルバートは、ディスプレイのXYグリットとコンピュータ内部の論理空間について、次のように書いている。

ここで扱うフレームワークにおいて、所与の概念構造がコンピュータによるシンボル操作と完全に両立するシンボル構造で表現できることは述べておく価値がある。そのような構造は、個人が紙の上で実用的に作り上げて使用する構造に比べ、複雑な概念構造を正確に写像するという目的の上ではるかに大きな潜在力をもっている。コンピュータは、全構造のうちディスプレイ・スクリーン上に二次元画像で表された限られた部分像と、この「部分像」を表現するn次元内部イメージの特定の局面とのあいだを往来することができる。もしヒトがこの「部分像」に変更・付与をおこなえば、コンピュータはその変化を内部イメージのシンボル構造に組み込み(コンピュータ向きのシンボルと構造によって)、それによってもし概念上の矛盾部分があれば自動的に検知することができる。ヒトはもはや、ほとんど概念内容が間接的・分散的・非明示的にしか指定できないような、融通のきかない限られたシンボル構造の上で仕事をする必要はないのである。5

エンゲルバートは、コンピュータ内部のn次元構造がディスプレイのXYグリットが構成する二次元画像に写像されると考えていた。ここで重要なのは、カーソルが存在根拠とするディスプレイの平面のXYグリッドはコンピュータの全構造の「部分像」でしかなく、その奥にはXYグリッドで区切ることができないn次元があるということである。「部分像」であるXYグリッドは内部のn次元構造という全体につながっているが、ヒトはXYグリッドというサーフェイスに表示されている以上の情報を見ることはできない。コンピュータのディスプレイで私たちがよく見るXY座標平面はn次元構造という全体=バルクとつながったサーフェイスではあるけれど、サーフェイスに現れる情報以上のものを見ることができない平面なのである。だから、ルールに基づいてn次元を写像して一つの座標を示しさせすれば、カーソルはデスクトップであっても、キャンバスでもあって、さらには壁であっても「完全にリアルな存在」として再現できるのである。さらに、カーソルはn次元が写像された部分像におけるXY座標を指定するためだけに存在しているので、ヒトを考慮しなければ理念的にはサーフェイスすら持たない「点」でもいいのである。

しかし、2019年の作品《Click and Hold》で、エキソニモは壁に釘付けにしたキャンバスにカーソルを描くとき、カーソルの存在根拠は「座標データ」とともに「デスクトップ上の正しい角度」が追加されている。座標データに基づいて壁とキャンバスという二つのサーフェイスは決められたXY座標に基づいて重ねられているのに対して、カーソルも確かにその座標を示してはいるが、描かれたキャンバスの傾きには従っていない。カーソルの存在根拠が「座標データ」だとすれば、キャンバスとともにカーソルが傾く必要はないかもしれない。けれど、エキソニモはカーソルの存在根拠として「デスクトップ上の正しい角度」を追加する。それは、カーソルを「点」ではなく、サーフェイスのある一定の領域を占めるものと考えることを意味する。このように考えると、地としてのXYグリッドが傾くとすれば、その図としてのカーソルもまたXYグリッド同様に傾くのも自然な出来事である。しかし、エキソニモは重力で傾いたキャンバスとともにカーソルを傾けるのではなく、カーソルは重力の影響を受けていない「デスクトップ上の正しい角度」で描くのである。このことは、カーソルが仮想平面だけでなく物理平面にも存在する際には、その存在根拠は「座標データ」だけではなく、「デスクトップ上の正しい角度」が必要となっていることを示している。物理平面に引っ張り出されたカーソルは「デスクトップ上の正しい角度」で存在していなければ、「座標データ」に基づいてある一点を「Click and Hold」できないのである。

「デスクトップ上の正しい角度」 というあたらしい根拠は、重力が引き起こす壁に釘付けされたキャンバスの傾きとの関係において、インターフェイス的存在として「厚み」を意識させないカーソルにバルクを与える役割をしていると考えられる。連載の5回目で、私のインターフェイスについて以下のように書いた。

私たちはこれまでことさらにモノのサーフェイスのみを切り取ってきた。それは、モノの最表面が否応なしに外界の気体分子を巻き込んでしまうように、ヒトもそこに魅惑されてきたからであろう。ヒトはモノのサーフェイスのみを見て、サーフェイスで取り囲まれた部分だけをモノと見なし、その厚みを意識の外に追いやってきた。だから、ヒトとコンピュータとのあいだも「厚み」として扱われることなく、Macのファインダーのアイコンが示すように二つのフェイス(顔)が向かい合ったときの「線=インターフェイス」として「厚み」を持たないものにされてきた。「厚み」を形成するバルクは、いつの間にかにサーフェイスに囲まれ、その存在を忘れられている。ヒトはモノに表と裏をつくり、それらをサーフェイスとしてひとつなぎにしてバルクを囲み、表と裏とのあいだに存在する厚みを排除する。バルクはサーフェイスに囲まれた厚みとして関心の外に置かれる。6

Finder Icon

カーソルはヒトとコンピュータとのあいだにあり、映像でありながらマウスというモノと連動していくなかで、インターフェイスが単なるサーフェイスの重なりではなく、モノのようなバルクを持つ存在だということを示し続けてきたと言える。エキソニモは、2007年の《断末魔ウス》から継続的にカーソルについての作品を制作し、カーソルを起点としたインターフェイスの奇妙さを様々な視点から示してきた。そして、2019年の《Click and Hold》では、カーソルに「デスクトップ上の正しい角度」というあたらしい存在根拠を与え、座標データを示す釘をキャンバスと壁に打ち付けるとともに、カーソルをデスクトップ上の正しい角度でキャンバスに描いて、キャンバスとカーソルとのあいだに重力の影響の有無に由来するズレをつくった。そのズレによって、カーソルは物理的な存在でもあり、仮想的な存在でもある状態で《Click and Hold》に現れたのである。壁、キャンバスという二つのサーフェイスにXY座標が重ねられ、釘とカーソルとが指し示す一つのポイントで二つのサーフェイスが接合されていて、これらはすべての重力の影響下にあり傾いている。そのなかでカーソルだけが重力のないデスクトップでの正しい角度の傾きを保持している。エキソニモは6つのステップを踏むことで、「デスクトップ上の正しい角度」というカーソルのデスクトップという仮想平面を含んだ形状に重力の影響を巻きつけつつ、インターフェイス的存在とモノ的存在とを重ね合わせていく。その結果、カーソルはデスクトップ上に表示される仮想的な存在であると同時に、キャンバスに描かれた物理的な存在であり、そのバルクを意識させるモノになっているのである。

キャンバスに穴🕳を開け埋める釘

「キャンバスに釘を打つ」という行為から《Click and Hold》を考えてみたい。キャンバスに打たれた釘は、キャンバスに穴をあける、そして、壁にもあける。「キャンバスに穴をあける」行為として想起されるのは、イタリアのアーティスト、ルチオ・フォンタナだろう。フォンタナはキャンバスに穴を開け、切り裂いた。それはなぜか。谷藤史彦は『ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術』で、次のように書いている。

フォンタナは、カンヴァスに穴をあけ、その内部と絵画の周囲が、同じ空間にあることを具体的に示した。穴から見える壁と、絵画の周囲の壁が一体のものであることを示したのである。絵画というイリュージョンの装置から、イリュージョンというファクターを取り除き、かついまだ絵画として存在させ得ることを明示した。7

フォンタナはクレメント・グリーバーグが提起した「絵画の平面性」の問題を打破するために、キャンバスに穴をあけた。穴は絵画平面というイリュージョンの平面を破り、絵画平面を支える平面とその奥があるモノとしてのキャンバスを露呈させる。その結果、キャンバスの平面が破られ、その内部が現れ、一続きの壁にかけられた厚みのあるキャンバスそのものが現れる。本連載の言葉で言い換えるなら、ここでフォンタナが行ったことは、絵画平面のサーフェイスに穴をあけ、外部に触れることがなかったバルクとしてのキャンバスを露呈させたといえるだろう。釘はキャンバスのサーフェイスに穴をあけて、そのバルクを突き破り、壁のサーフェイスに穴をあけ、そのバルクに刺さる。同時に、釘は自らがあけた穴を塞ぎ、壁とキャンバスとを接合する。このとき、キャンバスのサーフェイスと壁のサーフェイスとを統合するあらたなバルクが生まれている。二つのサーフェイスのあいだの「インターフェイス」ではなく、キャンバスと壁とを一体化させるバルクが存在するようになっている。そして、壁とキャンバスとから構成されるバルクのサーフェイスにカーソルが張り付いている。

カンヴァスに穴をあけることにより、その綻びからカンヴァスが布という物質からできていること、あるいは「紙」シリーズでは紙独自の切り裂かれたときの質感を見せることによりその材質感を強調させ、最大の見所とした。それはイリュージョンの舞台としての絵画の表面が、布や紙という物質でできていることを、あらためて認識せしめる作品となった。フォンタナは、絵画におけるイリュージョンを否定し、絵画を組成する素材や物質をあらわとした。ただ、フォンタナの目的は物質をあらわにすることではなく、従来の「絵画」の遺産であるイリュージョンを否定することにあった。そして、物質を使って表そうとしたのは宇宙的な空間であった。
そう考えるとフォンタナの絵画が、上下左右の区別が難しくなっているのもうなずける。作品を上下逆に展示しても違和感のない作品が多いわけである。それは上や下という概念の通用しない反重力の空間、フォンタナが『空間主義技術宣言』でいうところの「空間征服」の作品であったわけである。それは、無限の次元や、宇宙に応じた次元を取り込んだ空間であったからである。8

キャンバスに穴をあけることでキャンバスが物質であることを表すことではなく、絵画のイリュージョンを否定して、「宇宙的な空間」を生み出すのがフォンタナの目的であったと、谷藤は指摘している。谷藤の考察から、フォンタナは絵画がモノであることをあらわにするだけではなく、モノが含まれる空間そのものを絵画に巻き込んでいく。結果として、フォンタナが絵画にあけた穴は、絵画を単なる「物質」にするとともに「上や下という概念の通用しない反重力の空間」を生み出し、絵画平面に「反重力の空間」を巻き込んでいると言える。対して、エキソニモの作品はキャンバスに記された署名によって、サーフェイスの上下が明確に示されたまま、釘打ちによって重力の影響を明示するようになっている。同時に、キャンバスに描かれたカーソルは重力の影響をうけずに仮想平面での正しい傾きを示しており、《Click and Hold》には重力的要素と反重力的要素が混ざり合った状態になっている。

エキソニモ《Click and Hold》2019 Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)

ここで、フォンタナ自身による「空間征服」に関してのテキストをみてみたい。

人間による真の空間の征服は、何千年のあいだ美学と均衡の基礎となっていた地上からの、地平線からの解放である。こうして第四次元が生まれ、今や真にヴォリュームはあらゆる次元の空間に含まれる。人間のつくった最初の空間的形態は軽気球である。空間の支配とともに、人間は空間時代の最初の建築を作るのだが、それは航空機である。芸術の新しい空想がわれわれをこれらの動く空間建築に導くだろう。9

フォンタナにとって、「第四の次元」とは地平線の上の「空間」そのものを「ヴォリューム」として扱うことであり、地平線から解放されることが「空間征服」となっている。「ヴォリューム」は最終的には宇宙に至るだろう。フォンタナはキャンバスに穴をあけることで、キャンバスを手前と奥、及び、その周囲を単なる空間と扱うのではなく、最終的には反重力の宇宙に至る「ヴォリューム」として扱い、キャンバス内部の表現に巻き込んだと言える。フォンタナは、絵画平面というサーフェイスに穴をあけることで、周囲の空間が絵画のサーフェイスと全く関係ものではなく、サーフェイスと互いに巻き込み関係にある「ヴォリューム」として改めて発見し、表現に採用したのである。この構造はエキソニモの《Click and Hold》に当てはまる。カーソルに打ち付けられたように見える釘とその影は、カーソルがディスプレイの最前面に位置するXYグリッド上のインターフェイス的存在ではなく、カーソルがモノ的存在であり、その周囲、特にその手前に空間があることを明示しているのである。釘は手前の空間を「ヴォリューム」として作品と接続して、「ヴォリューム」の構成要素である重力を作品に巻き込んでいく。なぜなら、エキソニモにとっての「ヴォリューム」はフォンタナのように反重力の宇宙に至るためのものではなく、もともと反重力であったカーソル及びデスクトップに重力を巻き込むためのものだと考えられるからである。

フォンタナが「ヴォリューム」と書くものは絵画のサーフェイスの状態と密接な関係を持つものであり、「ヴォリューム」とサーフェイスとの関係は、本連載におけるバルクとサーフェイスに近いものである。フォンタナは当時のフロンティアとしての宇宙に至る空間を「ヴォリューム」として扱おうとしたのであり、エキソニモはあらたなフロンティアとしてのヒトとインターフェイスのもとで関心の外に置かれていたバルクを扱おうとしている。連載の0回目で、私はエキソニモの赤岩やえの「Screenshot」のスライドから「インターフェイスはいつからサーフェイスになるのか?」というテキストを書いた。そこで次のように書いている。

しかし、エキソニモにとっての解放されるべき「地平線」は仮想空間だと考えられる。フォンタナが地平線の「上の空間」にあらたなヴォリュームを求めて宇宙に至ったとすれば、エキソニモはデスクトップの「手前の空間」にあらたなヴォリュームを求めて重力に至ったと言えるだろう。

赤岩やえ「Screenshot」から作成したGIF

スクリーンショットが画面内で撮影されたときにコンピュータを操作する私がいると想定されていた場所で、誰かが実際にディスプレイを撮影するとき、勝手に想定される私と撮影した誰かが重ね合わされる。そして、私が弾き出されて、インターフェイスは前にあるのだが操作できない状態になる。インターフェイスから弾き出された私とディスプレイとのあいだに、あらたなサーフェイスを伴った空間ができる。ディスプレイ手前に現れた空間は可変的であり、私とディスプレイ上のイメージとをつなぐソフトウェア的な結びつきを引き離しながら、私そのものを含んで拡大していく。多くの場合、その拡大は部屋の壁という別のハードなサーフェイスで区切られることで終わる。ディスプレイの向こうの空間も壁というサーフェイスで終わる。ディスプレイがインターフェイスから離脱して、サーフェイスという別の状態で空間に存在している。しかし、それは距離を詰めればすぐにインターフェイスに戻る。10

《Click and Hold》でカーソルとキャンバスと壁とを串刺しにする釘が「ディスプレイ手前に現れた空間」をつくりだし、作品に巻き込んでいる。「ディスプレイの最前面」というインターフェイスにあったカーソルは、キャンバスのサーフェイスに描かれて、手前の空間とのあいだに挟まれた存在となっている。そして、カーソルが描かれたキャンバスは釘によって空けられた穴によって、外部の壁を招き入れ、その内部にバルクの存在を示している。カーソルはキャンバスに上書きされて、XY座標のポイントを示す釘を支点にして、キャンバスのバルクと一体化するように描かれている。ディスプレイの最前面を動き続けたカーソルは操作可能性を失う代わりに、釘が示す手前の空間と穴が示すバルクを得る。このとき、《Click and Hold》のカーソルはコンピュータを操作する者をインターフェイスから弾き出だす一つのサーフェイスとして提示されている。仮想平面上の正しい角度で描かれたカーソルはインターフェイス的存在として一つの座標を釘とともに指し示すと同時に、壁とキャンバスというサーフェイスを伴った手前の空間を支配する重力に縛られたモノ的存在にもなっていて、両者が互いを巻き込みながら混ざり合った状態になっているのである。

二つの異なるサーフェイスを摩擦攪拌接合する🌪

エキソニモ《Click and Hold》2019 Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)

エキソニモ《Click and Hold》2019 Photo by Shintaro Yamanaka (Qsyum!)

最後に、《Click and Hold》が示すモノ的存在とインターフェイス的存在とが混ぜ合わさった状態とは、どのようなものなのかということを考えてみたい。そのために、モノを統一体として捉えるのではなく、様々な要素から構成された存在として捉え、「接着」をあたらしい物質の重要要素として捉えるフランスの哲学者のフランソワ・ダゴニェのテキストを引用したい。

「物」は、思索する人をつねに魅了した。物は、その統一性と堅さによって定義される。人は、それを容易に砕くことはできない。ところがいまや、諸々の手段と粘着性素材のおかげで、諸断片の持続的な総合が可能になっている。そして場合によっては、これらの断片が相互に凝集されていることが意識されない。つまり斬新な結合体〔アサンブラージュ〕やコラージュが、製作されているのだ。11

エキソニモがキャンバスに記す署名や「デスクトップ上の正しい角度」で描かれたカーソルは、ダゴニェが「諸断片の持続的な総合」と呼ぶものをつくっていると考えられる。キャンバスに署名がなされ、釘という支点を得て重力で傾くことで、キャンバスというモノとXY座標という仮想平面が「粘着性素材」になり、互いに接着し合う。物理的には釘がキャンバスと壁とを接合しているが、キャンバスという物理的サーフェイスとXYグリッドというインターフェイスを構成する仮想的サーフェイスとは、エキソニモが記す「座標、解像度、シグネチャー」によって接着している。《Click and Hold》は「統一性と堅さによって定義される」モノではなく、異なるサーフェイスが接着された「斬新な結合体」なのである。「斬新な結合体」は、連載3回目「浮遊するバラバラのサーフェイスがつくるバルクがマテリアルを拡張する」で、Googleのマテリアルデザインについて書いたことが、物理空間で行われていると言えるだろう。

左がスマートフォン、右がパソコンでのサーフェイスの配置

マテリアルデザインを構成するバラバラの高度をもつ複数のサーフェイス自体は、バルクをもつことがない理念的な存在である。しかし、それらを俯瞰して、統合していくときには、バラバラの複数のサーフェイスを含んだバルクが生まれるといえるだろう。これまでは、サーフェイスに隙間なく囲まれ、その中身をバルクと呼んできたけれど、マテリアルデザインがつくる仮想の空間では、サーフェイスはバラバラでありながらも、統合されているということも可能になっている。12

《Click and Hold》は、仮想空間ではバラバラのサーフェイスの重なりであったが、物理空間にいては、釘で貫かれた壁、キャンバス、XY座標、カーソルという複数のサーフェイスが重なり合うことで統合され、そこにバルクの存在を示すようになっている。カーソルはキャンバスに描かれてはいるが、「デスクトップ上の正しい角度」で描かれて、キャンバスに重ねられながら重力から逃れている。同時に、釘は座標平面とキャンバスと壁と貫いて、キャンバスと壁とを接合し、これらを重力下におく。そして、カーソルは仮想平面での正しい角度のまま、釘で留められた壁とキャンバスとからできたバルクと接合している。このとき、《Click and Hold》には、重力を受け入れたサーフェイスと重力から逃れたサーフェイスとが接合されている状態になっている。重力に関して異なる状態にある二つのサーフェイスを接合させる方法は「摩擦攪拌接合」というあたらしい接合方法に似たものになっていると考えられる。

摩擦攪拌接合(摩擦撹拌接合、まさつかくはんせつごう)とは、先端に突起のある円筒状の工具を回転させながら強い力で押し付けることで突起部を接合させる部材(母材)の接合部に貫入させ、これによって摩擦熱を発生させて母材を軟化させるとともに、工具の回転力によって接合部周辺を塑性流動させて練り混ぜることで複数の部材を一体化させる接合法。13
https://ja.wikipedia.org/wiki/摩擦攪拌接合

Anandwiki at English Wikipedia
Image depicts the friction stir welding process

Anandwiki at English Wikipedia
Image depicts the friction stir welding process

《Click and Hold》においては、釘ではなく、カーソルの「デスクトップ上での正しい角度」が物理的サーフェイスと仮想的サーフェイスとを練り混ぜていくプローブ(突起)として機能している。「デスクトップ上での正しい角度」で描かれたカーソルは、物理的サーフェイスと仮想的サーフェイスとを重ね合わせて接着するのではなく、練り混ぜて一体化させていって接合する。だから、《Click and Hold》は物理的サーフェイスでもあり、仮想的サーフェイスでもあるあらたな加工物としてのサーフェイスを示す作品になっているのである。そして、エキソニモが物理的サーフェイスと仮想的サーフェイスとをプロセスは「摩擦攪拌接合」のなかでも特に「異種金属接合」になぞらえることができるだろう。

異種金属接合のカギは「新生面」同士の接触
ホンダのFSW技術は、接合原理が一般的なそれとは若干異なる。というのも融点660度のアルミに対し、スチールの融点は1500度以上。アルミを液化させずに攪拌させるFSWの条件(400〜500度程度)ではスチールは攪拌できるほど軟化しないのだ。ホンダのFSWではアルミを貫通してスチールに接触するツールが酸化層を剥ぎ取り、「新生面」と呼ばれる金属原子がむき出しになった状態を作り出すことが重要なポイント。化学的に反応しやすい新生面は酸化を伴う空気中では存在し得ない状態だが、アルミを攪拌しながらスチールを表面に辿り着いたツールの周囲に空気は存在せず、流動するアルミのみ。そして攪拌により酸化層が破壊されたアルミもまた新生面と同様の状態ということで、双方の金属原子が化合物を形成。アルミとスチール、どちらともシームレスに繋がるこの化合物の層により双方が結合される。14

カーソルはキャンバスに描かれていくときに、仮想的サーフェイスと物理的サーフェイス双方の「酸化層」にあたる「サーフェイス」を剥ぎ取って、「「新生面」と呼ばれる金属原子がむき出しになった状態」、つまり、サーフェイスの奥にあるバルクを露出させる。仮想的バルクと物理的バルクとを攪拌して、双方を「原子」レベルで結合させたあらたな化合物のサーフェイスをつくりだし、二つの異なるサーフェイスを接合していく。キャンバスに「デスクトップ上での正しい角度」で描かれたカーソルは、仮想的バルクと物理的バルクとを練り合わせて形成されたあらたな加工物のサーフェイスをつくることで、重力が引き起こす壁に釘付けされたキャンバスの傾きを巻き込みながら、バルクもサーフェイスももたないXYグリッドの最前面に位置するインターフェイス的存在とバルクとサーフェイスとからなるモノ的存在とが練り込まれて一体化した「斬新な結合体」として現れるのである。

参考文献・URL

  1. エキソニモ《Click and Hold》2019年、http://exonemo.com/works/clickandhold/?ja(2019年12月6日アクセス)
  2. 水野勝仁「GUIが折り重ねる「イメージの操作/シンボルの生成」、http://ekrits.jp/2017/08/2343/、2017年(2019年12月6日アクセス)
  3. エキソニモの千房けん輔とのメールから
  4. ICC メタバース・プロジェクト Vol. 3 エキソニモ×ドミニク・チェン「仮想空間のリアリティとは」、https://www.ntticc.or.jp/ja/feature/2009/MetaverseProject/vol3_5_j.html、2009年、(2019年12月6日アクセス)
  5. ダグラス・エンゲルバート「ヒトの知能を補強増大させるための概念フレームワーク」、西垣通訳、『思想としてのパソコン』、NTT出版、1997年、pp.174-175
  6. 水野勝仁「連載第5回サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 バルクと空白とがつくる練り物がサーフェイスからはみ出していく」、https://themassage.jp/archives/10941、2019年(2019年12月6日アクセス)
  7. 谷藤史彦「ルチオ・フォンタナとイタリア20世紀美術」、中央公論美術出版、2016年、262頁
  8. 同上書、262頁
  9. ルチオ・フォンタナ「空間主義 技術宣言 1951」瀧口修造訳、『ルチオ・フォンタナ展』、フジテレビギャラリー、1986年、頁なし
  10. 水野勝仁「連載第0回サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 インターフェイスはいつからサーフェイスになるのか?」、https://themassage.jp/archives/9307、2018年(2019年12月6日アクセス)
  11. F・ダゴニェ『ネオ唯物論』、大小田重夫訳、法政大学出版局、2010年、279頁
  12. 水野勝仁「連載第3回サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 浮遊するバラバラのサーフェイスがつくるバルクがマテリアルを拡張する?」、https://themassage.jp/archives/9863、2018年(2019年12月6日アクセス)
  13. 摩擦攪拌接合、https://ja.wikipedia.org/wiki/摩擦攪拌接合(2019年12月6日アクセス)
  14. 高橋一平「最新接合事情2012 鉄とアルミを接合する」、『モーターファン・イラストレーテッド vol.73』、三栄書房、2012年、64頁

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。