Exhibition: Web as a Medium
Web1.0、Web2.0、Web3さまざまなウェブの隙間から

Text=Yusuke Shono

Web1.0の時代からWeb2.0、そしてWeb3と私たちは様々なウェブのあり方を体験してきた。多くの人々に使われるようになり、日常に溶け込んだウェブは、空気のようにあえて意識する存在ではないかもしれない。一方で、その空間を表現のメディウムとして使用し、可能性を探究する試みはいつでも存在してきた。ブロックチェーン技術の登場によって新しい生息の場を与えられたデジタルアートも、その視覚的なレイヤーを支えているのは昔から存在する「ウェブ」の技術に他ならない。ならば、この領域の表現の限界を拡張することは同時に、メディウムとしての「ウェブ」の可能性を拡張することでもあるはずである。

NEORT++とObjkt.oneとのコラボレーションにより、5月10日から5月19日にかけて行われた展覧会「Web as a Medium」は、様々なウェブを経た現在地点から、再びその可能性を問い直すことを試みる展覧会である。進化を止めない技術の影響により「ウェブ」の持つ意味は常に変化し続けているが、その変化に対応し、始めからアーティストたちは数多くの実験や対話を繰り返してきた。このテキストではその彼・彼女たちが、変わらず続けている探究の成果を振り返り、未だ掘り起こされ尽くしていない可能性を検証する。

net.artの記憶

ウェブをアートのメディウムとして用いる実験は、90年代のnet.artにそのルーツを辿ることができるだろう。ウェブは24時間オープンしていて、世界中の誰もが接続・閲覧できる巨大なギャラリーであり、部屋にいながら旅するようにリンクを辿り、予期せぬ世界と出会うことのできる窓のような存在だった。90年代は今のようにウェブの世界に参加している人々は多くなかったから、興味深いコンテンツに出会うことももっと簡単だった。なかでも今でも記憶に残っているのはJODIのウェブサイトである。ブラウザがクラッシュするほど、壊れ、明滅するサイトのどこかに隠されたリンクを辿っていくと、次々と異なる光景と出会う。どこがゴールかも、目的が何かも分からない。何かを確認するかのように、そのネットの深淵部のようなサイトに何度も訪れて目的もなく探検した。その記憶は今もトラウマのように心に刻まれている。

そのJODIのメンバーであるJoan Heemskerkによる「This Is Not <A」は、NFTのシーンにも参加する彼女が、NFTへの批判的思考をめぐらして生み出したコンセプチュアルな作品。NFTが単なるイメージへのリンクでしかないという事実を、自分自身をQRコードのURLとして指し示す自己言及の構造によって表現している。

This Is Not <A
by Joan Heemskerk
https://objkt.one/t/244

交錯する現実とウェブ

Jan Robert Leegteも、同じく90年台からnet.artの文脈を拡張するべく活動を行っているアーティストである。彼の97年の作品「Scrollbars」は、ウェブの中に埋め込まれたスクロールバーが上下左右に往復するシンプルな作品。スクロールバーによって可視化されるはずのiframeのコンテンツは彼のトレードマークであるグレイ地の色面に一体化して見えなくなってしまい、スクロールバーだけが宙に浮いているように蠢く。以来、スクロールバーというモチーフは、2000年の「Scrollbar Composition」、2002年のスクロールバーを物理化した作品「Scrollbar」などにも受け継がれていく。彼の一連の作品は、機能を持つUI上のパーツ、しかも視覚的も環境によってさまざまなビューを持ち得る存在を、あえてマテリアルの一つとして用い、美術的な文脈のもとで再構築する試みだとも言える。

建築と彫刻のバックグラウンドを持つ私は、1997年に美術学校でウェブの仕事を始めました。初めてhtmlファイルをウェブサーバーにアップロードしたのはその頃で、すぐに新しいメディアのインパクトを理解できました。これは私が切実に求めていた新しいフロンティアであり、建築/彫刻の延長でもあった。それ以来、振り返ったことは一度もありません —Jan Robert Leegte

今回の彼の作品「Text Document out of Focus」は、2008年にFlashで作られた作品のJavascriptリメイクで、ブラウザでテキストを入力するための「テキストフィールド」がモチーフとなっている。テキストフィールドは実際に入力、消去、コピー、貼り付けができるが、その全体像はぼかされていて、文字を判別することはできない。インターフェースが持つシャープで鮮明な世界に、写真やフィルム、あるいは生物学的レンズがひきおこす「ぼかし」という異なるメディア文化を持ち込むことにより、デジタルの世界と現実を接続しようと試みた作品である。「テキストフィールド」はインターフェイスの機能の一つでありながら、ぼかされたサーフェイスの上で絵画のような四角の構成を保つ。まるで額縁に入れられた風景のように存在している。

Text Document out of Focus
by Jan Robert Leegte
https://objkt.one/t/238

同じく、ニューヨークを拠点とするウェブアーティストYehwan Songも現実の現象をデジタルの世界に持ち込んだ作品を作り出そうとしている。一般的なインターフェイスは、快適さ、スピード、使いやすさを追求し、ユーザーを惹きつける。しかしその裏で、人々の不安や焦燥を引き起こすことがある。彼女が提案するのは、ユーザ中心主義ではない、非汎用的なウェブインターフェイスというあり方である。例えば本作品「Oh Yes, Everything’s Fine」に登場するウィンドウは物質化し、重さや硬さがあるように振る舞う。ディスクトップは押し合いへし合いしながら窮屈なものになっていき、ウィンドウに映し出された女性は苦悶の表情を浮かべている。しかし苦しそうな表情とは裏腹に表示されるのは、「全て順調」といったポジティブなセリフである。そこにある矛盾したメッセージは、私たちのデジタルライフの裏にあるアンビバレンツなあり様を反映している。

Oh Yes, Everything’s Fine
by Yehwan Song
https://objkt.one/t/239

ブラウザ上のアート

ウェブ技術やインターネットの特性を活かしたアートを、ブラウザ上で表現する流れは、形を変えながら現在まで引き継がれているが、その広範囲なアートの形を「ブラウザアート」と形容することもできるだろう。2006年から「ブラウザアート」を軸に据えて活動するLeander Herzogは、本来は文書構造を表現するための仕様であるDOMを用いて動的な作品を作り出すアーティストである。「Downloads」はウェブの初期において、あらゆるオンライン・メディアの主要な構成要素であったプログレスバーをモチーフにした作品。データやネットワークの状況を教えてくれるプログレスバーは左から右に成長し、競い合うように現れては消えてを無限にくり返す。プログレスバーは波のようにときに素早く、ときにゆっくりと動き続け、周期性の中に予想のつかない動きを見せる。

ウェブサイトはソフトウェア開発にとって最も過酷な環境であると同時に、アイデアを観客と結びつける最高のメディアでもある。柔軟で流動的なところが気に入っている。そのレイアウト・モデル、インタラクション・パターン、移植性は、私の考え方や仕事の進め方に深く影響している。—Leander Herzog

ブラウザが持つ特性として、「レスポンシブ」がある。メディウムとしてのブラウザは、自由な比率にその形を変化させる。メディウムがそのような特性を持つ以上、その上に現れるアートも、液体のように柔軟にアスペクト比を変化させる必要がある。それ故にブラウザアートも、環境の状態によって柔軟に変化しなければならない。作品がそのような「柔らかさ」を備えていることは、ブラウザアートのひとつの不可欠な要素である。

Downloads
by Leander Herzog
https://objkt.one/t/248

Flashアートを制作するところから活動を開始した北千住デザインは、今はジェネラティブアートの領域でも活動する。彼が使用するのはセルオートマトンやスリットスキャンといったすでに枯れたテクニックである。その古いテクニックを再解釈し、新しい視点を導入することで生まれ変わらせる。「Brutal Divs」は、ウェブデザインの一つの潮流とも言えるブルータリストWebからブルータリスト建築へとインスピレーションの源泉を辿りながら、CSSで装飾されたDOMをセルオートマトンのアルゴリズムで無限に生成し続けるという作品である。一種のジェネラティブアートだが、素材としてウェブの要素を用いているのが特徴である。ウェブの持つ技術や制約を技法に転用し、それ自体を表現の枠組みとして用いる。net.artやブラウザアートの流れに連なる作品であるとも言えるだろう。

Brutal Divs
by Kitasenju Design
https://objkt.one/t/240

スマートコントラクトやウェブの技術を用いて観客と作品の間に私的な関係性を生み出す作品づくりを行なっている0xhaikuの作品「[DEPRECATED] The Grand Canal, Venice」も、同じくHTMLを用いた作品である。彼のトレードマークとも言える文字をスクロールするために使用される「marqueeタグ」を用いて、色彩の要素をアニメーションさせる。描かれているのは、18世紀のヨーロッパで描かれたベネチアの風景。元となった絵画の色彩をWeb Safe Colorを使って抽出し、テキストに分解することによって色を再現している。気候変動によって沈みゆく街であるベネチアの光景を、将来的に表示が不能になってしまう可能性のある廃止された技術を用いて描く。遠い未来、作品は異なるものになってしまう可能性を現在の作品に取り込むことで、技術が持つ儚い側面に光を当てる作品である。

[DEPRECATED] The Grand Canal, Venice
by 0xhaiku
https://objkt.one/t/238

Web1.0の可能性を拡張する

ウェブが小さな村のような存在だった時代、ネットサーフィンはまるで宝探しのような行為だった。完成度が高いとは言えないが、DIYで組みたたてられたウェブは遊び心や実験精神にあふれ、個性的で、個人の美意識が映し出されるものであった。フロントエンド開発者で、クリエイティブテクノロジストでもあるViolet Forestは、Hicetnuncのフロントエンドの開発にも携わったことがある。Web1.0だけでなく、開発者としてのキャリアを通じて、仕事で学んだ技術やツールを作品に活かしてきた。

ウェブ、特にウェブ1.0時代のウェブは、アーティストとしての私の旅に大きな影響を与えました。その時代、”ネットサーフィン “とは、ソーシャルメディア・プラットフォームを訪問したり、ユーザー生成コンテンツを消費したり、ニュースサイトを読んだりすることだけではなかったのです —Violet Forest

彼女の作品、Neopet、net.art、GeocitiesシティーズといったWeb1.0へのノスタルジーを纏った「OMG LOL Metaverse」は、メタバースをWeb1.0時代のように奇妙で実験的なものにしようという呼びかけでもある。キラキラしたエフェクトを伴ったカーソル、回転するレインボーカラーの輝くエレメント、そしてポップアップで現れるメッセージ。参加者が直感に従い謎を解いていくと、やがてメタバース空間へと誘われることになる。インターネットが既存のメディアと異なるナラティブを生み出せる場であるということを思い出させてくれる作品である。

OMG LOL Metaverse
by Violet Forest
https://objkt.one/t/246

自分自身を第3世代のネットアーティストと呼ぶCanek Zapataは、文章や言語の自動化モデルの探求に重点を置くネットアーティストで、表現の技術は全てインターネットから学んだという。今回の彼の作品「Lands」は、AIを活用した生成文学作品。画面の左にはコンピュータがどんなふうに風景を見ているかを質問することで作られたAI生成詩、右にはdalle2が出力したコンピュータ化された風景に関するイメージが配置される。ゲームミュージックのようなレトロなサウンドは、gpt4で生成した音階をtone.jsで再生したものである。オンライン上に散らばる様々な技術、特にAIの技術を組み合わせて作られた一種のコラージュ作品であるとも言える。考えてみれば、生成に用いられるプロンプトも元はと言えばテキストである。それ故、生成されたイメージも一種の「詩」であると言えるのではないか。文書を保存し、閲覧する技術として始まったウェブは、その来歴ゆえに初めからテキスト優位だった。Web1.0は、様々な実験により、新しいナラティブの形を生み出した。彼が実践する文学と視覚芸術の融合は、その可能性を拡張する試みとも言えるだろう。

Lands
by Canek Zapata
https://objkt.one/t/249

テクノロジーの意味の変容

「ブラウザ上に暮らすアーティスト」と自らを呼称するほどのウェブからの強い影響を受けて活動するDamjanskiは、パワー、詩、参加というテーマに関心を持ち、「アート作品としてのアプリ」というコンセプトを探求するアーティストである。その作品は、絵画、写真、彫刻といった異なる領域を跨ぎ、参加者や周囲の環境といったさまざまな偶然の要素を取り込むことで形作られる。その彼のシリーズ「Nude Study」は、撮影された映像から人間の存在を削除する「Bye Bye Camera」というアプリケーションを用いて作られている。その最新作である「Nude Study RGB Dance」はムーブメント・アーティストのジュリア・シールとのコラボレーションによる、RGBカラーをテーマにした振付が特徴の作品。RGBの光を背景にダンスを行う映像だが、肝心のダンサーの姿は画像処理によりかき消されて見ることができない。鑑賞者は削除されたダンサーの背後で放つRGBの輝きの歪みの痕跡で、その不在の跡を感じ取るしかない。本来そこにあったはずの存在の痕跡は、非在の形のようなものとして現れる。デジタル技術で拡張された現実の姿を浮かび上がらせる作品である。

Nude Study RGB Dance
by Damjanski
https://objkt.one/t/242

一方で、90年代からオンラインで作品を発表してきたexonemoも、「ウェブ」のあり方に大きな影響を受けてきたアーティストである。メディアが持つ構造を可視化し、その上でその異なる使われ方や、あり方を提示するようなメディアの限界を拡張するような作品から、近年はもっと人間の側で起こる現象に焦点を当てた作品を作り出している。テクノロジーの特性を、私たちの見ている感覚の世界に接続し、そのことによりテクノロジーの意味すらも変化させる。例えば、今回の「Find My LOVE – Infinite Computer Theorem」は、初期のウェブが持っていたカオスとも言えるあり方から発想して作られた。

90年代後半にウェブとインターネットが普及し始めたとき、それはまだ未知の領域で、何者でもない私たちにとって完璧な場所でした。ハイパーリンクをクリックすれば、見知らぬランダムな場所に飛ばされ、ランダムな国からこんにちはというメッセージが届く。とても小さな村のようだった当時のウェブは、今ではすべての出発点となり、社会にとって利益と同時に多くの問題を生み出す場所になりました —exonemo

ウェブサイトのリンクを辿っていて、気づくと予期せぬ場所に辿り着く。そのランダム性ともいえる感覚を出発点に、無限に近い時間があれば猿がランダムにキーボードに打った文字列がいつかはシェイクスピアの作品と一致するという思考実験「無限の猿の定理」にヒントを得て作られた作品である。ページ上のボタンをクリックすると、コンピューターがランダムに文字を生成し続け、最終的に「LOVE」という一連の文字列に辿り着く。その偶然が有意味な結果に辿り着くまでの時間(その時間をあらかじめ知ることはできない)を体感する作品である。ランダムはコンピュータサイエンスにとって最も重要な技術であるが、一見無味簡素なその現象を、exonemoは「愛」という最も強い感情と結びつける。軽業とも言えるその反転により、「ランダム」という現象は愛を求めても得られないが、いつかは得られるときが来るという、この世界のあり方そのものを表すものとなる。愛を得ることは、猿がシェイクスピアの作品を描くことよりもずっと簡単なのである。

Find My LOVE – Infinite Computer Theorem
by exonemo
https://objkt.one/t/241

Web as a Medium
@objekt.one + NEORT++
2024/5/10 – 2024/5/19
Artists: 0xhaiku, exonemo, Canek Zapata, Damjanski, Jan Robert Leegte, Joan Heemskerk, Kitasenju Design, Leander Herzog, Violet Forest, Yehwan Song
https://two.neort.io/ja/exhibitions/web_as_a_medium
https://objkt.one/explore/curations/web-as-a-medium-15-05-24