Discussion with Rosa Menkman, Nukeme, ucnv

研究と制作の狭間から、見えない次元を構築する。グリッチアートに携わってきた3者による対話。

Interview: Nukeme, ucnv, Text: Yusuke Shono, Translation: Goh Hirose (Introduction), Chocolat(Interview part), Interpreter: Natsumi Fujita

2011年、Rosa Menkmanは「Network Notebook#04:The Glitch Moment(um)」を発表した。コンピューターエラーまたは「誤作動」に関するアートである「グリッチアート」という用語は、当時まだ一般的なものではなかった。論文Glitch Moment(um)は、グリッチアートを現代アートの新しいジャンルとして理解しようという試みだった。彼女はまた、グリッチをテーマにしたGLI.TC/Hというアートフェスティバルを運営するファシリテーターの1人であり、そして自身の理論を体現した作品を制作するグリッチアートアーティストでもある。グリッチに関する研究からそのキャリアをスタートした彼女だが、近年はそのテーマを拡張させ、より多様なトピックをカバーするようになった。2015年、彼女は解決策の研究を始めるため、Transfer GalleryでiRD(The institutions of Resolution Disputes)という機関(解決論争の機関)を開設。テクノロジーの進化の結果、可視性のしきい値を超えた機能の特定のあり方が、ブラックボックス内に存在するか、インターフェイスによって隠されるようになってしまった。Menkmanの研究は、これらの境界線の機能と消滅のメカニズムを批判的に探究するものだ。彼女は、これらの目に見えない設定を認識し、代替の実装を想像を試みる。 「ブラックボックス」としてのテクノロジーの概念や、魔法のように機能するという概念に捕らわれる代わりに、彼女は一般的に私たちには見えない次元を構築しようとしているのだ。今日、グリッチアートとその美学は一般的といえるまでの地位に達した。グリッチアートは、コードのルーツや不完全なアルゴリズムに起因するエラーから、しばしば切り離されて使用されることもある。それでも彼女は、グリッチの美学には有益な側面があると信じている。

この対談は、グリッチカルチャーの始まりから、グリッチアートのジャンルが今日どのように発展したかについての議論である。来日中だったMenkmanを中心にファッションの視線からグリッチの手法を拡張することを試みるNukeme、そしてイメージや映像といったデジタルメディアに関する研究からグリッチのためのオープンソースのツールや作品を作り出す、プログラマでありアーティストであるucnvの3名がグリッチをテーマに対談する。

まず、グリッチの研究をするに至った最初の理由をおしえてもらえますか?

Rosa Menkman(以下Menkman) 大学生のとき、よくVJをしていたので、サウンドアーティストに合わせてヴィジュアルを作っていて、ビデオプロセッシンッグの領域で彼らがやっていることをできるだけ映像にしようとしていました。これがある種“テクノロジー的な”共感覚のもうひとつの形になればと思っていたんです。Commodore 64を使っていたGoto80とは親しくしていました。この古いコンソールにはSIDチップ(1982、1983年ごろのサウンドチップ)が入っていて、そのチップはアナログの部分もあれば、デジタルの部分もあります。Commodore 64にはもともとはとても小さなサウンドパレットしかないんですが、SIDチップのアナログの部分を利用すれば、標準のサウンド以外にも、色んな種類の新しいサウンドを作り出すことができます。Goto80はCommodoreのこういった可能性をコントロールして、拡張するためにハードとソフトウエアの調整を使っていました。それで、私は彼がやっていることを自分のビデオシンセサイザーで再現しようとしていたんです。

ucnv サーキットベンディングのようなことをやっていたんですか?

Menkmann 色んな種類のテクニックをたくさん使っていたのですが、特に好きなハードウエアのひとつはサーキットベンドしたPanasonic WJ AVE-4でした。これはKarl Klompが手伝ってくれて、使えるようにしてくれたものです。このビデオミキサーの中のサーキットはまだ完全にアナログで、唯一違うのはモザイクやミラーエフェクトの加工をするビデオチップだけで、このビデオチップはデジタルです。サウンドをビジュアルに同期させようとするときにとても役に立つ素晴らしい機能です。このビデオチップはアナログのビデオシグナルをデジタルの領域に変換できるので。そうするとシグナルがうまく安定するんです。それで、シグナル(つなり、サウンド)をインプットして、ビデオの領域に変換できるようになります。よくサウンドシグナルとビデオシグナルを組み合わせていました。そうすると、ビデオのサウンドのリズムを共有したとき、ゆがみやひずみが起こるんです。ビデオシグナルなしでも、フィードバックを引き起こしたり、サウンドのインプットだけを使ったりすることもできます。

Nukeme ハウリングノイズみたいなものですか?

Menkmann そう、中でハウリングを起こせるんです。いつも思ったとおりになるっていうわけでもないのですが。そうやってできるのは、例えば、ミラーエフェクトのようなとてもシンプルなものです。そういったエフェクトはビデオに変換するのに使うことができて、抽象的な映像信号みたいなものを作り出せます。同じものは二度とできません。デジタイザーも持っていたので、コンピューターからデジタルシグナルを送って、アナログシグナルを作るのに使っていました。コンピューターの中にある古いノイズの入るアナログビデオシンセサイザーからフィードバックも送れました。それを戻して、作って……とやっていって、とてもたくさん変換して、ものすごく長いチェーンみたいなものを作りました。かなりのディレイがあるため、フィードバックがたくさんあります。フィードバックは瞬間的なもので、長くつながるようにしているし、すごくちらつきがあります。そのちらつきはとてもゆっくりなので、フィードバックもすごくゆっくりになります。そういったおかしな色々なトンネルのようなものを抜けて、それで、ふつうのフィードバックになるんです。Goto80が私にこういうやり方を教えてくれました。

Nukeme Goto80は知ってます。彼は前回のWrong art biennaleに参加していましたね。

Menkman そう、そのときJodi(ネットアートのコレクィヴ)についての修士論文を書いていて、エラーとグリッチについてGoto80とたくさん話をしました。今はJodiはグリッチアートコレクティヴとして知られていますが、2006年当時はまだ誰も“グリッチアート”とは呼んでいませんでした。私の論文では、グリッチという言葉は2回しか出てきていません。自分でもグリッチアートについて書いているという認識はなかったと思います。そういった特定のアートフォームについて述べられることもほとんどなかったので、ジャンルとしてのグリッチアートはまだ理解していませんでした。“グリッチアーティスト”間の共通言語や文脈、歴史といったものがまだなかったため、ジャンルとして確立されていなかったのです。

グリッチアートと呼び始めたのは誰ですか?

Menkman もちろん、グリッチという言葉はサウンド(アート)の領域内では使われていましたが、まだヴィジュアルアートの範囲には入ってきていませんでした。かなり散発的なだけでした。ノルウェイのPer Platouがオーガナイズした2002年の“Motherboard” フェスティバルでは、BEFLIX(私の意見では、グリッチアートのパイオニア)がラインアップに入っていて、グリッチについての対話が行なわれていました。そしてもちろん、Iman Moradiは2004年にグリッチ美学についての学士論文を書いています。でも、これらのふたつをのぞいては、“グリッチアーティスト”への言及はとても少ないです。

ほとんどのことと同じく、始まりをピンポイントで特定するは必要ないと思います。大きなムーブメントはひとつのものからではなく、集団精神から始まることがほとんです。グリッチはゆっくり、ゆっくりことばになっていたのだと思います。この発展を目撃することは、私にとってとても特別な経験であり、記憶です。

Nukeme Ovalの作品はグリッチと呼ばれていたけれど、グリッチアートとは言われてなかったということですね?

Menkman そのとおりです。この現象について書かれたCaleb Kellyの本もあります。「The Sound of Malfunction」という本です。Kellyは同じような現象について、たくさんの調査をオーストラリアでしていたのだと思います。私がJodiのリサーチを始めたとき、10年以上前からこのことばは自分たちが使っているのだとKellyが私に一度連絡してきたことがあります。このことばを最初に作った、最初に使ったのは自分だと言っている人はほかにもたくさんいると思います。私にとっては、このことばを誰が作ったかということは、このジャンルの歴史の中での重要な部分ではありません。どのようにして現在のように一般的になったのかということのほうに興味があるんです。2000年代の初期にたくさんの人たちが使っていたブックマークサイトのDeliciousをじっくり探していたら、2006年に最初のハッシュタグを見つけました。2007年から、突然このジャンルがすごく人気になったんです、ほんとうに爆発的といえるほど!

Nukeme そのころデータモッシングはもうあったんですか?

Menkman そう、ありました! データモッシング周辺の歴史と発展のタイムラインを作ったんです。“モッシング”という言葉が最初に使われたのは、「Untitled Data Mash-up, Paul B Davis and Jacob Ciocci」(2007)というYouTube動画でした。その解説はこういうものでした。「ハイ、youtubez!!!! cranberrrriesのデータとマッシュアップした「Umbrella」の動画に何か起こってしまったんだ!!!! 助けて!!!!」 でも、もっと前、Bertrand Planesの「divxprime」(2004-2007)とSven Koenigの「APpRoPiRate!」(2005)の中にこのエフェクトを使ってる例を見つけました。静止画像の中では、「poor images」(Steyerl、2009)までさかのぼることができます。Dan Haysの「Colorado impressions」(2002)やThomas Ruffの「JPEGs Series」(2004-2007)もそうです。データモッシングは2009年ごろに大人気になります。Kanye Westが「Welcome to Heartbreak」の動画で使って、Datamosher(Bob Weisz)が3部編成のチュートリアル動画「HOW TO DATAMOSH」をYouTubeで公開したときです。グリッチアートの歴史は興味深いものです。みな同じでも特殊でもありません。そこからわかるのは、新しいエフェクトがどのようにして標準化し、取り入れられ、現代のカルチャーに適応していくのか、どこで言語の一部になるのかということです。こういったことについてはもうたくさん書かれているので、これでも説明が長すぎるかもしれませんが……

グリッチの研究を始めたのはなぜですか?

Menkman グリッチの研究を始めたのは、Jodiについての論文を書いているときに、どんなことが起こったのかをもっとよく理解したと思ったからです。その論文では、グリッチアートとは呼んでいませんが、最終的には、2010年に『Glitch Studies Manifesto』を出版しました。

Nukeme 論文の「Glitch Moment(um)」を出したのはいつですか?

Menkman 「Glitch Moment(um)」を出したのは2011年です。修士論文を出したのは2009年ですが、本の形にするのに時間がかかったためです。修士論文を書くこととそれを本として出版することはまた別のことなので、書いてから出るまでに時間がかかっているのです。

「Glitch Studies Manifesto」はコミュニティに向けて書かれたものなのですか?

Menkman いいえ。マニフェストはもともとVJをするときにプロジェクターで映し出すスローガンとして作ったものだったと思います。マニフェストという形態は自分自身が何かを明白にするのにとても良いツールだと気づいたのです。そのマニフェストの声明を疑問文に変えて読むことができます。もしおもしろいマニフェストだったら、自問自答することができます。「Glitch Studies Manifesto」を書いたのは10年前だったので、とても若いときでした。10年後でも覚えている人がいるようなインパクトのあるものを書けるとは思っていませんでした。10年は長い時間です。文脈や主題が完全に変わってしまうくらいに、文章の意味が変わってしまう長さです。

GLI.TC/H festivalはどういったことから始まったのですか?

Menkman 2010年に、「the Collapse of PAL」とGene Siskel Film CenterのConversations At The Edgeでのトークのために、Jon CatesがChicagoに招待してくれました。そのとき、シカゴのthe School of the Art InsituteのCatesで同僚だったNick BrizJon Satromが、何かほかにもシカゴでやりたいかと聞いてくれて、「オーケー、やりましょう!」と答えたのが始まりです。とても速かったです。そこにEvan Meaneyが加わって、2ヶ月後には実現しました。最初のGLI.TC/H festivalはglitch bots(Nick、Jon Satrom、Evan、私)で進めました。とてもスペシャルでした。その時、たくさんの人たちに会って、その人たちに深く感銘を受けました。フェスティバル自体はオープンコールですべてビデオストリーミングで配信されることになっていました。すべてのイベントが無料でしたし、できるだけオープンでパブリックにするようにしました。コミュニティがもっとつながるきっかけになればと思ったのです。ある意味、そうなったと思います。ucnvさんはとても遠くにいましたが、GLI.TC/H 2010 exhibitionに参加しましたし、のちのエディションにはyoupyの作品もありました。


Rosa Menkman – The Collapse of PAL

ucnv TEE PARTYで作ったTシャツを2枚送りました。

Menkman あれはとても良かったです。ある種の会話になっていました。Tシャツには、最もどこにでもあるもののひとつといえるJPEGとHelveticaフォントで“GLITCH IS NOT DEAD”と書いてありました。すごく良かったです。

グリッチの定義は変わってきましたか? あなたにとって、グリッチとグリッチでないものの間の境界はありますか?

Menkman グリッチはひとつのものではないといつも説明しようとしています。グリッチアートも絶対にひとつのものではありません。グリッチの定義、文脈、説明にはたくさんの方法があります。2004年にIman Moradiがグリッチを説明しようとしました。そのルーツは技術的なエラーやアクシデントにあって、グリッチの美学は“フェイクグリッチ”だと。グリッチのルーツは技術的なアクシデントにあるという意見には賛成ですが、私にとってグリッチアートはもっと複雑で、グリッチアートには“フェイクグリッチ”というものはないと思います。グリッチアートというジャンルとその歴史は、フェイク vs リアルという二元的な対立で簡単に片づけられるものではありません。予想外の展開や転換があり、ジャンルの発展を経験してきて、グリッチアートにはたくさんの興味深い性質があるのです。当時は、グリッチアートは技術的な実験をコンセプトにしていたり、そこに基づいていたりしていたことが多くありました。技術を利用して、新しい機能のあり方を作り出すための手段だったのです。現在のグリッチアートは完全に美学にフォーカスしています。それに、“フェイクグリッチ”というのはとてもネガティヴな言い方だと思います。

ucnvさんとはオンラインコミュニティの知り合いなのですか?

ucnv 当時はあまり話したことはなかったです。

Menkman ucnvさんのことは当時、Flickrで知っていました。それと、たぶんYahooグループでも。Youpyさんも同じです。でも、お互いあまり話をしたことはありませんでした。今はコミュニティは断片的になっていますが、単にプラットフォームが多様化しているというだけではなく、プラットフォーム間の争いがあるからです。グリッチアートのジャンルが発展してくるにつれて、色々なプラットフォームやグループがまったく違った方法でのアプローチをするようになっています(ジャンルへのアプローチのルールさえも)。Facebookにも10個くらいのアクティブなグループやセミアクティブなグループがありますが、それにはみな、そのプラットフォーム内での投稿に関する独自のルールがあります。それ以外では、クロアチアのFu:bar 2015-2019や2018年のパリのBlue\x80といった新しいフェスティバルも開催されています(Blue\x80はKaspar Ravelのオーガナイズ)。これらは新しいグリッチアートイベントやコミュニティの例です。私が参加して以降、親交は深まっています。今でも見にいくのは好きです。

ucnv それはわかります。

Menkman グリッチアートというジャンルがとても大きく成長しているということだとも思います。グリッチはもう単なるインターネットの美学ではありません。今やグリッチは世界中にあるのです。人工物を理解することはデジタルテクノロジーにはつきものです。割れたスクリーン、乱れた画像、アナログなど……これらの人工物はみな当たり前になっています。デジタルテクノロジーはどこにでもあるものになっているので、これらの人工物もどこにでもあるのです。もういたるところにグリッチがあります。ベルリンの地方の寿司屋のチラシにもグリッチが使われています。グリッチはもう怖いものでも、予想外の故障でもない。それどころか、Instagramのフェイスフィルターで顔につけられたりもしています!

グリッチはとても人気になったんですね。

Menkman グリッチのエフェクトは美学としても、技術的にどういったことからなのかを伝えるものとしても使われています。これは、グリッチが意味もなく流れを中断するものから、意味のある性質をともなったエフェクトに進化したためです。私はこれを「A Lexicon of Glitch Affect」で研究しようとしました。SFではテクノロジーが中心的な役割を果たしているためで、研究のスタートには最適だと思ったのです。 Lexiconは、1,200作品の映画の予告編を分析することで、SF映画の中に出てくる画像のゆがみが何を意味しているのか、どのように移り変わってきているのかについて、深い洞察を提供することを目的としています。1998年の予告編から見始めて、年に30個の予告編を見て、ホームコンピューターの登場前から、今ではどこにでもある現代のデジタルデバイスを使ったSFまで、SF映画の人工的に作られたノイズの移り変わりについて把握することができました。予告編のソースはIMDb(インターネット・ムービー・データベース)で、各年のアメリカで興行収入が多かったSF作品のリストを利用しました。予告編を見ながら、ゆがみが出てくるごとにスクリーンショットを撮って、可能な場合はその解析をしました。現在、630作品の予告編(1998年~2018年)で行なった研究結果のデータがありますが、ほんとうは1980年から2020年までやりたいと思っていました。デジタルテクノロジーとゆがみの40年の歩みに広げられたらと思ったんです。

例えば、2003年の『ターミネーター3』では、後半に「大変だ、マシーンが攻撃(占拠)を始めた」というセリフがでてきます。その後、旧型アンドロイドのターミネーターは新型アンドロイドのT-Xに倒されてしまいます。倒れていくターミネーターの視界を見せる赤一色の“インターフェイス”にゆがみが生じるところで、デジタルとアナログの組み合わせが出てきます。この場面のグリッチがテクノロジーの崩壊を表わしているのははっきりしていますが、時間の経過とともにグリッチは洗練されていきます。何かがおかしいときに、グリッチはそれを示すために使われます。『LOOPER/ルーパー』(2012年)という映画は、殺し屋の話で、時代は2074年に設定されています。ターゲットは未来から過去へ送られてくるのですが、そこでは雇われた殺し屋が待っています。この映画では、画像の焼きつきが残った画像が切り刻まれていることでタイムループに問題があったことを示しています。

ucnv 現在使われている新しいグリッチは、ある意味はふつうのことですよね。登場人物がタイムジャンプをしたら、映画ではMPEGグリッチが使われるみたいです。

Menkman そうですね、それか、それと似たようなエフェクトとか。

ucnv マクロブロック。

Menkman そうです。静止したマクロブロックというのは時間に基づいた圧縮でよく使われて、タイムトラベルの複雑さを意味しています。ただ、マクロブロックが使われているものにJPEGが出てくるというのはほとんどおかしなジョークのようなものなんですけど。

データモッシングは動画を“汚す”エフェクトで、2010年ごろにとても人気になりました。時間のベクトル上で遠くに行きすぎることをブロックするんです。データモッシングはキーフレームを消去することにもとづいています。それでタイムジャンプやタイムスリップを表現しているのです。Takashi Murata の「Pink Dot」(2007年)という動画がいい例です。

「Pink Dot」はとても複雑な作品です。とても複雑なので、最初に見たときにはその複雑さがわからないくらいだと思います。作られた作品の中にただピンクのドットが見えているだけです。最初にこの動画の複雑さについて私に説明してくれたのは、Daniel Rourkeでした。説明してみましょう。「Pink Dot」ではMurataは互いに異なった時間のレイヤーを載せています。キーフレームが消えているときもあれば、バックグラウンドがデータモッシュ(モッシュ)されていることもあります。ピンクドットはビデオの一番上の部分に編集されています。動画内のまた別の場面では、ピンクドットが突然、ゆがみとミックスされています。これは、ピンクドットはベースとなる動画とモッシュされていたということです。Murataは、編集過程の動画のポストプロダクションの段階について理解できるようにしているのです。ピンクドットは最後に動画に加えられたのではなく、編集過程の途中のどこかにあるということです。


Takashi Murata “Pink Dot”

これはとてもおもしろい観点です。この種のグリッチは言語として、ucnvさんがやっていることとはかなり違っていますよね?

ucnv そうですね、そう思います。

この美学やサンプリングについてどう思いますか?

ucnv 興味深いですね。

Nukeme  ucnvさんはもっと技術的ですよね。

ucnv そうですね。僕はプログラマーとしての目線で、技術的なところを見ています。

Nukeme 僕の立場はちょっと違っていて、僕はグリッチをどう使うかっていう使い道について考えてます。ucnvさんほどデータの構造にすごく集中してるわけでもありません。僕はプログラマーではないので、ucnvさんのようなアプローチは技術的に難しいという部分も大きいです。僕はグリッチが今まで届かなかった領域、例えば、刺繍とかニットとか洋服の生産とか、そういったものについて考えようとしています。グリッチの転用ですね。実際、元々洋服を作っていたのもあって、支持体としては洋服を選んでいますが。


Nukeme – Glitch Embroidery

Menkman そうですね。このインタビューのように、グリッチに関わっている3人がテーブルを囲むというのはほんとうに良いことだと思います。みんな何年もつながりがあった人たちですが、3人それぞれかなり違ったことをやっています。そこにアートムーブメントとしてグリッチがどのように発展してきたか、どのように発展し続けているかという美学があります。突然嵐のように巻き起こったものではなく、グリッチは常に変化し続けてきていて、私たちや私たちの実践していることも変化しています。ずっと変化の過程であり続けるのです。

Nukeme あなたのグリッチに対する欲望のコアの部分は何ですか? グリッチでなかったら、興味の根本的な部分は何だと思いますか?

Menkman それはとてもいい質問ですね。5、6年前、グリッチをいうことばをもう使わないようにしようと思いました。私のやっていることは進化していると感じたからです。私のやっていること、私の研究していることを評価されたいと思ったのです。そこで、ほかのことばを使おうと考え始めました。動画はどのようにして現在のようなものになったのだろうかと考えました。例えば、インターフェイスは四角で、丸かったことはありません。円形の動画を圧縮する方法はありません。単にそういった方法はこれまで発達しなかった、あるいは、実行されなかったということです。そのようにデータを組織するには、必要なデータや時間が多すぎるからです。四角形にフォーマットされた動画を圧縮するほうが速く簡単にできます。円形の動画は基本的に動作させることができないモードです。それで、私は解決策を探そうと思いました。解決方法というのは手法というだけではなく、異なったものやアクターがそのアフォーダンス間で妥協するときに到達、あるいは、確立されるものです。解決策もまた譲歩、妥協の状態なのです。

コロナ衛星キャリブレーションターゲット

妥協の例をいくつか教えていただけますか?

Menkman いいですよ! ここ日本では、私は「Behind White Shadows」という研究を行なっています。カラーテストカードの歴史に内在する偏見についての研究です。カラーカードは解決策のためのテストカードの一種です。あらゆるタイプの(画像処理)テクノロジーの歴史の中に解決策のテストカードがあります。例えば、合衆国の衛星では Corona Test Targetsというものが使用されていました。アリゾナの砂漠に位置しているビーコンで、冷戦中のスパイ衛星の位置の特定に使われていました。コダックのカラーテストカードは“Shirley カード”として知られています。色の調整に使われていました。写真を現像する工程で色の設定を調整するためです。Shirleyとしてポーズをとっている女性はたくさんいましたが、Shirleyは常に白人(コーカサス人)で、ほかの人種だったことはありません。90年代の中期に、“マルチカルチャー”カラーカード(コーカサス人のShirleyだけでなく、黒人やアジア人のShirleyもいた)が導入されたことがありましたが。それはカラー写真の偏見に対処するひとつの方法でした。それまでは、白人だけを対象に調整されていたのです。人種的偏見の歴史の大きなかたまりのようなものがカラーテストカードに埋め込まれているとLorna Roth(カナダコンコーディア大学、メディア教授)が研究し、記しています。「Behind White Shadows」の映像の中で、私は彼女の研究したことをデジタルの時代に置き換えて考えました。そこでは、とてもよく似たことが起こっています。例えば、最も使用されている画像圧縮のひとつJPEGのテストとエンジニアリングに使われたのはLennaテストカードだけでした。Lennaはやはりコーカサス人、白人です。それで、今、単にグリッチだけをやるのではなく、もっと引いた目線で見ようと思いました。けれども、グリッチは現在私の仕事の一部だとも思っています。“グリッチング”というテクノロジーは解決策の確立に貢献するもの(のいくつか)を見つけるのにとても役立つ方法です。テクノロジーがどのように作られ、どのように動作するようになっているのかを示すのです。そうすれば、どの部分を妥協すればいいか考え始めることができるからです。

Pique Nique pour les Inconnues (1)

Nukeme テクノロジーや機械が世界をどう認識しているかとか、そのシステムの開発者たちがどういった考えでそれを作ったかとか、もう世界の成り立ちのような話だなと思います。

ucnvさんはどうですか?

ucnv ‏標準化ということですよね。

Menkman そうです。

ucnv 何かが標準化されるということは、例えば、テレビの形が決められるというのは、それは妥協です。そのほかのすべての形の可能性を諦めたということです。ロサさんの研究は、標準化を疑うことから始まっていて、それには妥協も含まれています。カラーテストカードの標準化のケースでは、白人女性だけが採用されていて、その標準化の過程には非常に問題のある偏見が含まれています。ほかの肌の色は含まれていないことによって、カラーテストカードは白人の人以外の画像のクオリティを妥協しているということです。

今回の日本への訪問について教えていただけますか? 日本での講義の内容はどういったものだったのでしょうか?

Menkman Tokyo City Flea Marketに行ったときに、とても美しい着物を見ました。細い糸を使って、とても長い刺繍がしてあって、私の知っていたものとは違っていました。その刺繍の手法を探していたら、Wikipediaに「衣服を構成するために使われる糸が重要。(布を)縫ってある素材よりも強い糸が使われていると、素材が破れてしまう」と書いてありました。ですから、一般的に糸は細く、縫いつける布よりも弱いものである必要があるのです。そうすれば、破れてしまうことはありません。そのほかのテクノロジーと同様に、着物も製品のさまざまなパーツがどれくらいの強さを持っているかといったことに注意を払う必要があります。日本ではとても小さい布でもみんなそういったことに注意を払っているので、特別だと思います。解決策について、こんなおもしろいメタファーがあったなんて、と思いました。プレゼンテーションに向けて、日本で会ったたくさんのアーティストの人たちは作品にこの考え方を取り入れてるのだろうかと考え始めました。考え抜かれた新しい表現方法でメッセージと(デジタルの)素材を一緒に合わせる彼らの方法は、ある特定の表現、たぶん、日本独特のものと結びついていることが多いと思います。

Nukemeㅤ ‏今はGore-Texのような技術が出てきて、布と縫い目の関係性も変わってきています。現在は縫い目のない衣服を作ることができますし、洋服の構造と生産について、新しいアイデアが生まれ続けていると思います。

Menkman そうですね。Gore-Texはとても強い素材です。 Gore-Texというのもまた興味深いメタファーです。実は、私のプレゼンテーションでは、私はあなた(Nukeme)の名刺を見せたんです。名刺を渡したりもらったりする日本の文化は大きいものです。あなたのカードは、この“スクラッチカード”のようなフォーマットの中で伝統を表現することが考えられています。以前、私に「名前を検索したら、ほとんどの情報はわかる。名刺はちょっと時代遅れで、もともとの機能はなくなってきている。名刺に載せる伝統的な情報よりも、自分の特徴を覚えてもらうほうがたいせつだと思う」と言ったことがありましたね。ですから、あなたの名刺の場合、どんな方法で、どのようにして、どんなフォーマットで情報を提供するかがより重要だと考えているということになります。あなたの個人の情報をどのようにして提供するかが大事なのです。

一度、キュレートされたエキシビジョンでucnvさんと一緒に作品を出したこともありましたが、エキシビジョンのタイトルは「Tactical Glitches」で、場所はイタリア、ピサの近くでした。そのことは覚えていますか?(笑)

ucnv 覚えてますよ(笑)

Menkman ucnvの作品「New Vulnerability」は、観る人にLCDスクリーンの経験を提供します。LCDスクリーンは今、私たちの生活の至るところにあって、触れることができるものです。2014年にイタリアで開催した「Tactical Glitches」でディスプレイの枠を再設置したときには、最初に日本でやったときよりお客さんが少し乱暴で、日本で設置するように作っていたので、エキシビジョンのオープニングから5分でインスタレーションは壊れてしまいました。彼らが“ディスプレイの上でジャンプする”ということが起こってしまったからでした。そのとき、その作品をどこに展示するかということを考えなければならないとわかりました。特にものをたいせつに扱う日本人の繊細さからはたくさんのことを学びました。

ucnv – New Vulnerability

日本滞在中には、長崎原爆資料館も訪れました。戦争についての博物館であれほど深く感動させられるとは思っていませんでした。圧倒的な展示で、人々の物語とすさまじさの証拠としての展示品がありました。非常によくできていて、深く感動しました。特に忘れられないものは、爆弾で発生した想像もできないほどの高温のためについた影の写真です。そういった写真は見たことがありますか?

あります。

Menkman 建物の前にいた人の影が写っている写真が1枚あったんです。この写真を取り上げて話をするのは難しいのではないかと思います。信じられないくらいすさまじいできごとの写真ですし、これを取り上げてもいいかどうか、日本の文化的には、このできごとについて話さないほうがいいのかどうか、わかりません。でも、あの写真には信じられないくらいの力があります。単に、あの日、あの瞬間に、合衆国が日本に対して行なった恐ろしいできごとの写真というだけではないのです。それがどんなことだったのかを見ることもできますし、影は消えてしまった人の存在の証拠にもなりました。そのため、あの写真はふたつの意味があると思います。爆弾の与えた影響を表わしているだけではありません。爆弾を直接浴びた人を見せるだけでなく、その人が時間と空間にどのように関連していたかを見せているのです。その時間は爆弾を落とした手、合衆国に直接つながっています。その中で止まった瞬間の証拠です。だから、2019年の今でもすぐに私たちに考えさせるのです。なぜ彼らはそこに爆弾を落としたのか、なぜそれほどまでに強力である必要があったのかということを。

Nukeme もうひとつ質問があります。最後の質問です。日本のアーティストには日本独特の繊細さを含んだ気質があると言っていましたが、あなた自身は育った環境からどんな影響を受けましたか?

Menkman 私は根っからのオランダ人です。それははっきりしています。オランダ人はとても直接的です。無神経だとか、間違ったものの言い方をするとか、人を傷つけるということではありませんが、オランダ人にはまっすぐな気質があります。多くの文化では、それが失礼だとか無神経だと思われることがあります。日本にいるときも、それを再認識させられます。自分の国にいるときと常に同じようにふるまっていてはいけないのです。

Nukeme 僕は、インターネット上で作品を見ているときは、国ごとの違いは意識しません。作っているのが男性なのか女性なのか、何人なのか、どこに住んでるのかなど、気にしていません。でも実際には、どこかで育った男性だったり、女性だったりするわけです。それで、育ったバックグラウンドからの影響について聞きたいと思ったんです。デジタルデータの性質やフォーマットにフォーカスすると、民族性やパーソナリティが作品からさらに取り除かれる可能性があるのではないかと思います。さきほど話題になったように、データの性質は世界標準化されているからです。例えば、僕はJodiの作品について、Jodiは男性なのか女性なのか、ロボットなのか人間なのかは気になりません。ただ作品の質感やコンセプトに興味を持って見ます。

Menkman Jodiの最近の作品に関しては、それはわかります。私も、今のインターネットは混沌としていると思います。色々なバックグラウンドや関係性が混ざっているような感じです。Jodiの古い作品、1996年のものなどについては、Tactical Mediaの文脈で作られてきたものだということはとてもはっきりしています。例えば、 Geert LovinkとPit Schultzが1995年に始めたころ、Jodiは(リンクやメールを介して)Nettime メーリングリストに作品を送ることはしませんでした。 Nettimeというのは、ネットカルチャーとネット批評に特化した国際メーリングリストですが、メーリングリストにはオランダ人がたくさんいました。Jodiの最近の作品を見て特定の立場や性質を認識するのは、以前よりかなり難しいと思います。インターネット上の作品の多くは、ただインターネット向けの作品です。

当時、なぜオランダからそういったものが発信されていたかは知っていましたか?

Menkman 必ずしもオランダというわけではないのですが、アムステルダムを拠点とするTactical MediaのルーツはNext 5 Minutesという会議にありました。インターネットがまだあまり発達しておらず、ソーシャルメディアやプラットフォーム化される前でした。そのミーティングやNext 5 MinutesやNettime メーリングリストでの会話から、Tactical Mediaは生まれました。この反体制的なジャンル内で作品を作っていたアーティストや理論家たちは、さまざまなところからきていました。 Tactical Mediaはある種、グリッチの前日譚だと思います。Bitnik(やインターネットカウンターカルチャーといったタイプ)の作品は知っていますか?

Bitnikというのはムーブメントのことですか?

Menkman 「!Mediengruppe Bitnik」のことです。90年代中期、 etoyやThe Yes Menといったアートコレクティヴが成功しました。The Yes Menはブッシュ大統領のウェブサイトのパロディを作りました。本物にとてもよく似たドメインネームを購入し、コピーしたHTMLを少し変えて、まったく反対のことを言っているようにしたのです。反体制インターネットアクティビズムでした。強大で邪悪な企業や政治家と戦うトリックスター的な態度です。こういった思考は初期のグリッチアートの始まりに近いと思います。こういった態度のより新しい作品には、「!Mediengruppe Bitnik」のモノグラフィーがあります。オンライン書店のタイトルを通して、コードを注入するんです。警告のポップアップが出てくるJavascriptのコードです。彼らの作品はほんとうにすごいです。Tactical mediaのトリックスターは勝つことはありません。トリックスターは常に他人のドメインやプラットフォームで闘っているからです。それでも、英雄的な闘いです。これは歴史の幕開けの部分なのですが、このインタビューにはちょっと長すぎたかもしれません……

最初は、インターネットはかなりパワフルで、アクティビズムのツールでした。今は、その力を失ってしまいましたが。

Menkman インターネットはもう自由でオープンではありません。プラットフォームです。それによって、問題や批評や闘いの動力も変化しました。

ただのセカンドワールドですね。

Menkman そうですね、次の世界をまた作るときがきたようですね。