本記事は、12月5日から21日にかけて馬喰町NEORT++で開催される展覧会「もつれのパターン / Patterns of Entanglement」のために寄せられた理論家Sy Taffelによるテキストである。本テキストでSyは、量子力学の研究者でフェミニスト哲学者のKaren Baradの理論を援用しながら、多様な集合体にまたがる絡み合いに目を向けることを提言する。ここにおいて「絡み合い」とは、単なる相互接続や協調関係を意味しない。そこにあるのは、むしろ「独立した主体や完結した存在はない」というラディカルな視点である。そしてSyはこうした絡み合いの負の側面も強調する。絡み合いは常に権力関係や不均衡、排除を伴う。テキストは、こうした絡み合いのパターンを政治化する必要性を説いている。異なる存在がともに生き延び、変化し続けるための関係性はいかに構想しうるのか。アーティストの役割は、こうした問いに対して、別様の絡み合いのパターンを試行する場を提供することでもある。本展と彼のテキストを、不均衡な世界を別様に編み直す、想像力を駆動する機会としてもらえたら幸いである。
Patterns of Entanglement
現在という時代は、惑星的な生態学的限界の超過、急速に膨張するAIバブル、地政学的な緊張、そして極右政治の復活という状況に特徴づけられている。こうした変化を理解するためには、コードと炭素、コミュニティのアクティビズムと気候変動、コンピュータと資本主義といった多様な集合体にまたがる絡み合い(entanglement)のパターンに目を向ける必要がある。
量子物理学者からフェミニスト哲学者へと転じたKaren Baradは鋭く指摘する。「絡み合うとは、単に別々の存在が結びつくことではなく、独立し自己完結した存在が欠如するということだ。存在とは個別的な営みではない。」1バラッドによれば、絡み合いとは高度に特異的で動的かつ非線形な構成であり、その絶え間ない生成変化には、細やかで丁寧な注意が必要だという。ダナ・ハラウェイはさらに、システム生物学で生まれた自己生成(autopoiesis)の概念を補完するものとして、共につくるという考え方、共生成(sympoiesis)を提示し、多種間の絡み合いを前景化すべきだと述べている。2
しかし、絡み合いは本質的に良いものとは限らない。人類学者・サイバネティクス研究者・環境思想家であるGregory Batesonはこう洞察する。「悪しきアイデアにも雑草と同じように生態学がある。そしてシステムの特徴として、基本的な誤りは自己増殖する。」3生態学という言葉はしばしば非人間世界への関心として用いられるが、ベイトソンはむしろ、環境・社会・精神という三つの生態系を横断して流れる物質とエネルギーの動きに目を向けるべきだと述べた。今日なら、雑草だけでなく、AIスロップ(質の低いAI生成物)、ディープフェイクポルノ、放射性や有害なレアアース採掘場といった新たな生態学を指し示すこともできるだろう。
絡み合いも生態学も、称揚したり保全すべき良きものとは単純には言えない。植民地主義のプランテーション、奴隷制度、鉄道、港湾が構築したネットワークは、人間・技術・生態系の絡み合いを拡張した。同様に、新自由主義的グローバリゼーションやプラットフォーム資本主義は、供給網を長大化させ、搾取の形態を多面的に拡大しながら、商品化と資本蓄積を強化してきた。こうした背景から、Eva Haifa Giraudは『What Comes After Entanglement』で、絡み合いを考える際には“排除”に注意を払うべきだと論じる。
どのような行為にも排除が伴うことを認識することは、絡み合った世界に応答するために必要な倫理を複雑化する上で重要である。同時に、排除の役割の不可避性を認めるだけでは不十分であり、行為や介入の問いを麻痺させてしまう。私が主張するのは、排除は単に認識されるべきものではなく、政治化されなければならないということだ。4

terra0 – Autonomous Forest
絡み合いのパターンを政治化するために、生態学が提示する四つの共生関係のモードに目を向けることができる。それは、寄生(宿主の不利益を代償に利益を得る)、片利共生(片方だけが利益を得て、もう一方は影響を受けない)、片害(片方が相手に悪影響を与えるが、自身は利益を得ない)、相利共生(双方が利益を得る)の四つである。大衆文化では寄生のイメージが目立つものの、実際の非人間世界では相利共生が圧倒的に優勢だ。
相利共生はこれまで他の相互作用に比べ軽視されてきたが、地球の生物量の大部分は相利共生関係に基づいている。草原・荒地・森林を構成するほぼすべての植物の根には菌類との親密な相利共生があり、サンゴの多くは細胞内藻類に依存し、被子植物の多くは昆虫の送粉を必要とし、動物の多くは腸内微生物のコミュニティを欠いては消化が成り立たない。5
こうした事例は、生命を適者生存に還元する競争主義的な世界観とは対照的に、生態系がむしろ協働進化的な集合体から成り立っていることを示している。
これに対し、プラットフォーム資本主義と結びついたビッグテックの覇権的モデルにおいて主導的なのは競争である。ビッグテックは、私たちのデータ・コミュニケーション・創造性・コミュニティから価値を吸い上げる一方で、多様な損害を外部化する。その損害とは、メンタルヘルス危機に直面する若者、オートメーションによって不安定化する労働者、気候危機を加速させる膨大な温室効果ガス排出のツケを負わされる未来世代、そして資源採掘・精製・廃棄の現場近くで被害を受ける地域社会や生態系である。
こうした政治化された絡み合いのパターンを前に、私たちは「惑星規模の資本主義による寄生」から脱し、多種多様な相利共生的繁栄を可能にする行為・関係・生態・未来を想像しなければならない。芸術とアーティストは、これらのパターン、その帰結、そして異なる未来の可能性を“見えるようにし、感じられるようにし、実現可能にする”うえで、これまでと同様、極めて重要な役割を担っているのである。

Deborah Tchoudjinoff – The City of Gold / City of Coal
- Karen Barad『Meeting the Universe Halfway: Quantum Physics and the Entanglement of Matter and Meaning』Duke University Press、2007年、ix
- Donna J. Haraway『Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene』Duke University Press、2016年
- Gregory Bateson『Steps to an Ecology of Mind: Collected Essays in Anthropology, Psychiatry, Evolution, and Epistemology』University of Chicago Press、1971年、p489
- Emilie H. Giraud『What Comes after Entanglement?: Activism, Anthropocentrism, and an Ethics of Exclusion』Duke University Press、2019年、p176頁
- Michael Begon・Colin R. Townsend・John L. Harper『Ecology: From Individuals to Ecosystems』Blackwell、2006年、p381–382
Sy Taffel は、アオテアロア=ニュージーランド、マッセー大学においてメディア研究の上級講師を務め、同大学政治生態学研究センターの共同ディレクターでもある。彼の研究は、デジタル技術がもつ生態学的・物質的・文化的・政治的アフォーダンスに焦点を当てている。現在進行中の研究プロジェクトでは、デジタル技術と脱成長型の未来との交差領域を探究している。著書に『Postgrowth Digital Futures』(Bristol University Press、2026年刊行予定)、『Digital Media Ecologies』(Bloomsbury、2019年)があり、編著に『Plastic Legacies』(University of Athabasca Press、2021年)および『Ecological Entanglement in the Anthropocene』(Lexington、2016年)がある。
開催期間:2025/12/5 _ 2025/12/21 月, 火, 祝日は終日休館
アクセス:東京都中央区日本橋馬喰町2-2-14 maruka 3F
https://two.neort.io/ja/exhibitions/patterns_of_entanglement
