2023年の7月、東京のWAITINGROOMで、エキソニモの2年ぶり、3回目となる個展が開催された。出品作は、《On Memory》と題された「記録/記憶」をテーマとした新シリーズである。関連作品として、6月に開催された展覧会Proof of Xのために制作された《Proof of Non-Existence》がある。さまざまなメディアに寄り添うように新しい表現を生み出して続けて来たエキソニモによる、両者ともブロックチェーンに関係した作品である。このテキストでは、相次いで発表された2つの作品を対比させることで、その間に共通して流れているコンセプトを映し出すことを試みる。
WAITINGROOMの展示スペースに並べられた作品を見ていくと、まず目に飛び込んでくるのは特徴的な額である。額の外周は曇りガラスで仕切られており、内部には配線やマウスなど、さまざまなツール類が入れられている。半透明の仕切りの効果により、ボヤけた輪郭と色彩という最小限の要素で中に何が入っているかギリギリ分かるようになっている。エキソニモのこれまでの過去作品のイメージが走馬灯のように浮かぶ、額そのものが曖昧な記憶を連想させる作りとなっている。
そして額の中央には黒のタブレットが配置されている。黒の背景の中央には、文字を入力するための入力欄があり、作品ごとに異なったテキストが表示されている。記載されているテキストはリセットしたり、リロードすると消えてしまうのだという。しかし、その内容を記録することはいっさい許されていない。テキストがその作品の本体なのだとしたら、とても儚い作品である。悪意ある誰かが電源を抜いてしまったり、キーボードを差してメッセージを書き換えてしまうことすら可能かもしれない。作品を維持するために頼れるのは、所有者の「記憶」だけである。ウェブサイトでは、以下のように解説されている。
リロードすると消えてしまい、どこにも記録してはいけない=人間の記憶のなかにだけ残る文章という、非常に一時的な条件をもって成立します。あらゆる情報をデジタルデータとして記録することができ、ブロックチェーン技術の登場によりさらにその永続性が高まったとされている現代で、人間の記憶を必須の条件として成立する作品は、デジタルデータや美術作品の永続性、その儚さを、エキソニモ独自のユーモアをもって浮き彫りにするような試みとなります。※1
目を引くのは、「ブロックチェーン」という言葉である。NFTの興隆により、ブロックチェーンや分散型ストレージにアートワークを保存することが一般的になり、なかでもブロックチェーンのみを用いて作品が保存された作品はフルオンチェーンと呼ばれるようになった。黎明期からチェーン上に作品を保存に関する試みはさまざまな形で行われてきており、その実験の成果が現在のジェネラティブアートやスマートコントラクトアートの広がりにも反映されてきている。
NFTの世界で広く使用されてきたそのワード「オンチェーン」の定義を試みるエッセイのなかで、Zoraプロトコルのjacobはオンチェーンという空間をインターネット自体の変革の場所であると述べる。
「オンチェーン」は技術的な概念を超えて、信頼、価値、分散化、透明性が本質的な価値である空間を表すようになった。この理解が深まり続けるにつれて、「オンチェーン」はテクノロジーの機能としてだけでなく、インターネット自体の変革の場所として認識されるようになってきている。※2
NFTやブロックチェーンに興味を持つクリエイターたちの間で、オンチェーンであることが特別なものとみなされるようになったのには、永続性を担保する仕組みに加え、ブロックチェーンの持つ制約からメディア性を強く反映した作品が生み出されてきた歴史に理由がある。アートワークを永続的なメディアに刻むというロマンチシズムもあるだろうが、技術の制約を実験と研究により創意工夫に変えていったその実践の積み重ねが、独自の手法や新しい表現を生み出してきたのである。
そういうふうにある空間の上で固有の文化が形作られると、反対に現実自体もその影響を受けて変容する。そんなことを想像してしまうのが、同じくエキソニモの作品《Proof of Non-Existence》であった。エキソニモは自身による作品解説で以下のように述べている。
100%オフチェーンの作品を作りたいと思った (つまり”普通の作品”とも言えるが)。ブロックチェーン以降「オフチェーン」と言う言葉には、意味が生まれている。オフチェーンのコントラクトに、何かを証明させるってのはどうだろう?何を証明させる?そうだ、「ブロックチェーンでの非存在」を証明させれば良いんだ!※3
《Proof of Non-Existence》はシルクの版に、Solidityの文法でコードが書かれた作品である。しかし、ブロックチェーン上にはまだデプロイされていない。つまり現時点では、オンチェーンに存在していないない作品、「オフチェーン」の作品であるということになる。オンラインの文化が物理世界にも多大な影響を与えているのと同じように、「オンチェーン」という概念が現れたことにより、今後オフチェーン(現実)にも新しい変化が生じるかもしれない。現時点ではオンチェーンの文化はまだ一般的なものとは言い難いが、jacobが言うように、オンチェーンの空間がインターネット自体の変革の場所として認識されるようになれば、逆にオフチェーン(現実)にも新しい意味が与えられる可能性がある。ちょっと時代を先取りしすぎている気もするが、《Proof of Non-Existence》は、そのような可能性を顕在化させた作品であると言えるだろう。
ここまで見てきたとおり、《On Memory》も《Proof of Non-Existence》も同じく「作品が記録される場所」についての作品である。ブロックチェーン、オフチェーン(現実)、そして記憶へ。思えば最初から人類は、その文化を「記録」により時間を隔てて運んできた。岩や洞窟の壁面、羊皮紙から紙、磁気記録、そしてブロックチェーンに至るまで。私たちが手にしてきた多様なメディウムは、人の持つ記憶の能力を外在化させたものである。そして、そのメディウムが情報を伝えたり、残したりといった営みを可能にし、そうした営みは、私たちの文明の基礎をなすまでになった。それだけでなく、インターネットの登場により、さらにその営みは膨張し、加速し続けている。
《On Memory》は、その拡張し続ける「記録」するという行為を、再び「記憶」という行為に引き戻す作品である。あらゆる瑣末な情報がデジタル領域に記録され、残り続ける時代に、記憶という儚く、脆いメディウムを私たちはどう用いるのか。どんな記録メディアも独自のコンテキストを持ち、だからこそ特性の違いで、そこに載せられた作品の価値も変化する。永続性と紐づいたオンチェーンアートという領域が生み出された今、記憶という誰もが持つメディアについて考えることは、そのようなメディウムが引き起こす多面的な現象について問うことでもあるだろう。
エキソニモに関する数多くのテキストを残してきている研究者の水野勝仁はnoteの記事「230:エキソニモ《On Memory》の[ ]」で《On Memory》の印象を以下のように記している。
作品を見たあとで,作品を考えているときに,空白のテキストボックスが残り続けるということ強烈な印象を抱いた.空白が残る.そこに入力される文字列が忘れ去れてしまったとしても,テキストを入力するための空白は残り続け,アイビームは明滅を続ける.ここには途方ない時間の流れというか厚みを感じた.そのような状態になったとき,私が今感じているような時の流れを,何か他の存在に示すのは,[ ]のなかで明滅するアイビームだけなのかもしれない.※4
作品が人から人へと手渡されていくとき、フィジカルな作品であればその持続性は保証される(破損や劣化はあるだろうが)。《On Memory》では、テキストを入力することのできるHTMLはブロックチェーン上に刻まれていて、その部分だけは永続性を保ち続ける。それとは対照的に、テキストの部分の同一性は保証されておらず、記憶という脆い人の能力に頼って持続していく。水野勝仁さんの「空白のテキストボックスが残り続ける」という強い印象は、永続性というこの作品が向けられているテーマに由来しているように思える。それだけでなく作品が人から人へ接続されていく、その仕組みによって生じる印象でもあるだろう。記憶から記憶へ、人から人へ。原始的とも言えるメッセージを「覚える」という行為、そしてそれを伝えるという行為を通して、作品が持続していく未来を想像するからである。作品そのものに、作品がたどる未来が織り込まれている。あるいは現在のなかに、永遠があると言ってもよい。途方もない時間の後に映し出されるのは人知れず入力を促すカーソルの点滅、そして記憶が消えたあとに残された「空白」なのだ。
エキソニモ『On Memory』
2023年7月6日(木)- 8月6日(日)
https://waitingroom.jp