アレックス・エストリック(イギリス)と庄野祐輔の共同キュレーションによる本展は、人新世の時代において、「もつれのパターン」という切り口から非人間も含めたメディア・エコロジーの可能性を提示する試みである。
「メディア・エコロジー」は、英国のメディア理論家マシュー・フラーが2005年に提起した概念で、メディア・システムを物であると同時に情報のプロセスとも見なし、それらの相互作用がいかに「パターン、危険、そして可能性を生み出しうるか」を掘り下げるものである。
私は長年デジタル/アナログを超えた「情報フロー」という世界観を基盤に、エコゾフィー(F・ガタリが提起した自然・社会・精神のエコロジー)を各時代のメディアを介して循環させることを念頭に活動している。フラーとは、90年代半ばに彼がロンドンのインディペンデントなメディア組織backspaceに関わっていた時に知り合った。メディアアートに加えてネットアートやソフトウェアアートが登場した頃で、メディアへの批評的視点やDIY文化などとの接点に共振性を感じてきた。
フラーは、1997年にはデザイナーによる世界初のソフトウェア・アプリケーションとして伝説となった《I.O.D. Web Stalker》に参加している。この作品は、ウェブクローラーが任意のウェブサイトのリソースを調査し、ネットワークコンポーネント間の関係(リンクなど)をマッピングし可視化する一種のオルタナティブ・ブラウザといえる。その後フラーはメディア研究者としてアカデミックな活動へと入っていくが、各時代のメディアやテクノロジーの持つ潜在性を調査し可視化するアプローチが、混迷をきわめる社会において近年一層先鋭化してきている。一例としてエヤル・ヴァイツマンとの共著『Investigative Aesthetics』(2024年に中井悠訳で『調査的感性術: 真実の政治における紛争とコモンズ』として刊行)があるが、そこでは物質と情報との相互作用という問題系が、より具体的な社会・政治的領域へと踏み込み提示されている。

Helen Knowles – Trust the Medicine(左)/Libby Heaney- Qlimates(2025)(右)
本論に戻る。タイトルの「もつれのパターン」は、キュレーターが共同テキストで言及したSy Taffelに由来する。
…生態学とは、個体から生態系のスケールまで、エージェント同士の絡み合い・接続・相互作用・共生のパターンを研究し、地球という”家”のさまざまな部分がどのように関係し合うかを探るものである(Sy Taffel “Digital Media Ecologies: Entanglements of Content, Code and Hardware” Bloomsbury, 2019)
上記を引用した上でキュレーターは、Taffelが「エコロジーの概念を絡み合い(Entanglement)と結びつけ、主体/客体、自然/文化、表象/現実といった古い二項対立に抗う形でメディア・エコロジーを強化しようとする」と述べている。
既存の二項対立がもはや有効でない。同感である。そして上記に加え、有機/無機、アナログ/デジタル、生命/非生命、人間/非人間なども境界が薄まりグラデーションを成していると私には感じられる。科学・技術の発達が世界の可視化を推進し、あらゆるものが情報フローとして相互連関していると実感できるようになったからである。
「Entanglement(もつれ、絡まり合い)」は、とりわけ2010年以降、文化人類学において自然や社会の生態系を語るためのキーワードとなっていたが、コロナ禍において実際に各人が身をもって実感することになった。私たち人間も単体としてあるのではなく、世界のさまざまな事物や現象との関係の中で常に変化し続ける存在であるのだと。
本展では、Taffelが述べる「エコロジーの概念を絡み合いと結びつけ」、それによって「メディア・エコロジーを強化しようとする」ことからテーマが編まれ、10組のアーティストが紹介された。キュレーターは、本展を「倫理的・生態学的・社会的・政治的なプロセスが絶え間なく再生・変容・伝達される場」と捉え、物質と情報、人間と非人間などが相互作用する中で、「新自由主義的「現実」を別のエコロジーへと編み替える道筋」を示そうとしたという。そしてその熱量は、ビルの2フロアに収められた13の作品とその多様性—ほとんどが日本初紹介—から伝わってきた。
出展作品を、メディア・エコロジーへのアプローチから私なりにいくつかに分けてみた。一つめに、人が関係しながらデジタル上での生成変化のプロセスが提示されるもの(Kazuhiro Tanimoto《Mutual Field》、 Primavera De Filippi《Arborithms》)、二つめに、AIや機械学習におけるフィードバックつまり「均質化」というヴェクトルに切り込むもの(Gretchen Andrewの《Facetune Portraits – Universal Beauty (Japan, India, Korea)》、Matt DesLauriers《Latent Dispatch》)、三つめに、文化人類学的なまなざしから、人間と非人間の相互関係性を扱うもの(Helen Knowlesの《Indexed Beings》《Trust the Medicine》)や地球史的な視座を提示するもの(Deborah Tchoudijinoff《The City of Gold / The City of Coal》)。四つめに、デジタルからアナログ世界に展開するものとして、自身の制作プロセスを物理空間へと持ち出す試み(Yoshi Sodeoka《21000》)や自然と人とテクノロジーの連携により実在の森を共同管理体とする社会・環境的プロジェクト(terra0《Autonomous Forest》)。加えて独自に開発したノンバイナリー量子コンピューティング・コードで映像と音響を処理するビデオ作品(Libby Heaney《Qlimates》)があった。いずれもアナログやデジタルを超えて情報や人間、非人間が絡まり合うプロセスに関わっている。

Kazuhiro Tanimoto – Mutual Field

Yoshi Sodeoka – 21.000(左)/terra0 – Autonomous Forest(中央)/Matt DesLauriers – Latent Dispatch(右)
そもそも世界は宇宙のビッグバンから現在に至るまで、時間と空間でつながった絡まり合いの連鎖と言えないか。そして今世紀に地球を覆い尽くしたデジタルという新たな層が、人間や非人間を含む存在や風景、環境自体をいかに変容させつつあるのかが、今まさに問われている。
Taffelは本展に寄せたテキストで「絡み合いも生態学も、賞賛したり保全すべき良きものとは単純には言えない」と述べている。とりわけ、デジタル化で強化された抽出的資本主義の支配がその念頭にあるだろう。それに加えて本展では、社会的非対称や環境問題など人間や非人間、地球にとっての負荷とデジタルを介した対応についても触れている。
フランスの哲学者アレクサンドル・モナンは、廃棄物や原子力発電所など自然というコモンズにもたらされる環境負荷を「ネガティブ・コモンズ」と名づけ、それらに目を向け対応していく必要性を語っている。今まさにデジタルを含んだ新たな絡まり合いが、人間が処理可能な速度や規模を遥かに超えて起きており、何が起きているか把握することさえ不可能である。
本展での作品はそのような中、現代の「絡まり合い」の両義的な側面を捉え可視化することで、各人が世界の只中で自ら行為者として関わっていく可能性を示唆している。「メディア・エコロジー」をネガティブではなく、人間/非人間を超えて社会や自然、精神的環境をケアし育んでいくためにデジタルがいかに介在しうるか—という果敢な問いと探索が底流にある。
ここまで言及していなかったが、「メディア・エコロジー」を語る上の参照項として本展で特別な位置を占めているのが「sensorium」プロジェクト※(1996)である。インターネットが普及し始めた時期に、「全地球を覆う神経網としてのインターネットの可能性を拡張し、ウェブ上で生きた世界を感じるしくみをつくる」をコンセプトに、文化人類学者の竹村真一をはじめ、デザイナー、プログラマー、音楽家など多彩なメンバーがその都度関わり展開された。※
「sensorium」は、デジタル/アナログに関わらず地球上で生起しているさまざまな動きをデータとして取得し可視化することで、人々に自身も地球の一部であることを実感させるものだった。技術力はもとより、創造的なアイデアやデザイン性によって、ウェブ上でありながら地球や人々の息吹や触感を感じることができる。この前例を見ないプロジェクトについては私も折に触れ言及してきたが、すでに30年前のものとなり、ほぼ知られなくなっていた。
その「sensorium」が本展で、以下の3つが再現され展示に至った事実は特筆すべきだろう(キュレーターの一人、庄野祐輔の尽力による)。世界各地の地震データを呼吸や息吹のように地球の画像上に可視化する《Breathing Earth》、世界中のWebcamの映像をリアルタイムで結び、空が変化していく状況を見せた1998年の《Night and Day》、展示を見ているまさに今も刻々と各人の身体が変化し続けていることを可視化する《While you were…》 。いずれもsensoriumチームが掲げていた「インターネットを感覚装置にする」という言葉の先見性を実感できる貴重な体験となった。
「sensorium」は、90年代後半というインターネット環境(ハード、ソフト、システムやインフラ全般)や法律が整備されつつある時代の緩さによって可能になった面もある。人々が自律的に行動する余地が開かれていた時代でもあった。メディア・エコロジー的な視点で言うなら、インターネットが自己組織的な創発性に満ちていた。

sensorium – Night and Day
本展は、「sensorium」というかつてあったユニークなプロジェクトの存在を開示するとともに、それを可能にした状況—当時のメディア・エコロジー—を見る側に提示した。と同時にもはやかけ離れてしまった現代のメディア・エコロジーの複雑かつ困難な様相をあらためて突きつけた。
膨大な情報が緻密に管理・処理される負のフィードバックが支配的な現代において、創造・批評的な抵抗は容易ではない。「sensorium」の時代と違い、人間と非人間や環境がデジタルを通して絡まり合う生態系を獲得した現在、そのことを踏まえながら、情報転送のノイズから生まれる新たな創発—-未来のメディア・エコロジー—の可能性を探索するしかない。
そのような視点から前述の作品に戻れば、政治・経済・社会・環境をはじめあらゆる面でたがが外れたかのような世界において、それぞれの方法で創造性を駆使し抗っていることがわかる。大上段のメッセージを掲げるのではなく、問題を感知しそこから逃れうる動きをささやかでも止めないこと。複数の動きが干渉し合いもつれることで、新たなパターンが生まれうる。本展は、未来のメディア・エコロジーが創発し始めるための萌芽を見せてくれた。
※西村佳哲、東泉一郎、島田卓也、江渡浩一郎らが参加。「インターネット1996ワールドエキスポジションの日本ゾーン・テーマパビリオンとして1996年1月1日にウェブ上で公開。会期終了後sensorium.orgで活動を継続したが、現在は終了。1997年アルス・エレクトロニカ賞(オーストリア・リンツ)のネット・ビジョン部門でゴールデン・ニカ(グランプリ)を受賞後、アルス・エレクトロニカ・センターで新たなプロジェクトを加え公開された。
「もつれのパターン—Patterns of Entanglement」
会期:2025/12/5-21 主催:NEORT++、会場:NEORT++、CON_
キュレーション:アレックス・エストリック、庄野祐輔
四方幸子
四方幸子(しかた ゆきこ):「エコゾファー」。キュレーター/批評家。十和田市現代美術館館長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・京都芸術大学非常勤講師。「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1990年代よりキヤノン・アートラボ)、森美術館、NTT ICC(いずれもキュレーター)と並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。国内外の審査員を歴任。単著に『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』(2023)、『国松希根太 連鎖する息吹』(2026)をはじめ共著多数。
http://yukikoshikata.com