目を閉じて、見る
− 村本剛毅《Imagraph》体験記 −

Text: Hasaqui Yamanobe (hasaqui)

May 28, 2025

あるピクセルアートの展覧会を鑑賞した帰り道、ふと思いついて、私はX上に「瞼は何ピクセルだろう」とつぶやいた。しばらくして、そのつぶやきに応じて村本氏から一通のDMが届いた。「(そのことについて)よく考えています」と彼は言い、あわせて自身の作品《Imagraph》を体験してみませんか、と誘っていただいた。これがこの体験記の発端である。

《Imagraph》を体験する前に村本氏とお話しする機会が何度かあったが、その際に村本氏が抱えているピクセルに対するオブセッションの感覚についてお聞きしたことがある。村本氏曰く、画面のピクセルは、その矩形を具体的な色彩として見ろと強制されているようで、圧迫感や怖さを感じるのだという。《Imagraph》には、村本氏のピクセルに対するそのようなオブセッションが具現化されている側面がある1。電光掲示板から束となって瞼に接続される光ファイバーは、その一本一本がカプセル化された細い管を通して色彩の信号を送り届けている。同時に、この作品はそうした外部からの命令的な刺激に対して、私たちの想像力がどこまで自由でいられるのか(あるいは、実際にいかほど自由であるのか)を問う実験的な視覚装置として機能している。この問いが投げかけられる舞台こそ、半透過的で境界的なメディウムとしての「瞼」なのだ。

《Imagraph》は村本氏のホームページで次のように簡潔に説明されている。

Imagraphは、閉じた眼に瞼越しに映像を投影する光学装置で、「映像を投影する/感覚を閉ざすという二つの態度を媒介するメディア」として制作された2

  1. このオブセッションは、ジョナサン・クレーリーが『知覚の宙吊り』で近代文化における「注意」の構築として分析した問題系の、現代的な変奏と捉えることができる。
  2. Goki Muramoto ホームページの「Imagraph(series)」の説明文より。https://www.goki-muramoto.com/imagraph

以降の説明文は英語版と日本語版で少し異なるのだが、特に英語版では外部から送られる「映像の光」が、瞼による感覚遮断に「勝利」しているわけではないということが強調されている。また、スクリーンとなった瞼において、「映像の光」は「無意識の像」と質感を共有し、融合すると説明されている3

《Imagraph》は、2020年に初期プロトタイプが制作されて以来、いくつかのバージョンが展開されてきた作品である。たとえば「正面を向く鑑賞者の瞼に、レーザープロジェクターで直接ビデオを投影するバージョン」など、いくつかのバリエーションが存在する。バンクーバーで開催された「SIGGRAPH 2022」での展示をはじめ、ロサンゼルスや香港などでの重要な展示を経て、現在では東京大学駒場キャンパスにのある一室に常設されているという。村本氏から連絡をいただいた時、私は既にX上で流れてくる《Imagraph》の写真や、村本氏との会話の中で作品については知っていた。暗闇の中で青白い光ファイバーの束が瞼に接続されている写真、そして白黒写真も頻繁に目にしたと記憶しているが、第一印象はフリッツ・ラング監督の映画『メトロポリス』(1926年)を想起させるものだった。その後、改めて『メトロポリス』を見返してみると、人造人間マリアが目に何かを接続される場面は見当たらなかった。しかし、彼女が機械装置の中で横たわり、目を閉じる姿には、たしかに《Imagraph》の写真に漂う雰囲気と通底する何かがあるように感じられた。なお、『メトロポリス』の舞台となっているのは2026年の未来都市である。もう一つ想起されたのはスタンリー・キューブリック監督の映画『時計じかけのオレンジ』(1971年)に登場する、主人公アレックスの暴力性を更生させるために行われた「ルドヴィコ療法」のシーンである(実在しない映画内の架空の療法である)。このルドヴィコ療法は、被験者の瞼を開けた状態に固定し、投薬とともに強制的に暴力的な映像を観賞させることで、暴力に対する嫌悪感を芽生えさせるものとして描かれている。瞼を強制的に開き、映像を見せるという点で、《Imagraph》とは対照的ながら通底するものがある。

また、瞼に接続された光ファイバーの束は、眼球の裏側に密集する視神経の束を連想させる。ふだん私たちにとって不可視の知覚回路が、装置として反転的に外部へと露出しているかのようである。瞼がスクリーンとして機能するこの状況は、視覚の神経構造そのものをアナロジーとして表面化させている。同時に、それは「見る」という行為の過程における各器官の役割をあらためて意識させる契機ともなる。光は角膜と水晶体を通って眼内に入り、網膜で電気信号へと変換される。そして、その信号は視神経によって脳へと伝達され、最終的に後頭葉の視覚野で再構成・解釈されて、初めて「イメージ」として立ち上がるのである。

《Imagraph》には体験者の撮影や、作品の対外的なヴィジュアルイメージにも確かなこだわりが感じられる。後述するように、《Imagraph》の作品の核は、体験の最中に被験者自身の内面に生成されるイメージ、すなわちその潜勢力にあると考える。しかしながら、《Imagraph》はその体験者の様子を写した記録写真も強い視覚的インパクトを持ち、その装置自体も観る者を惹きつける造形性を備えている。

  1. “However, this in no way implies the triumph of projection over closing the senses. In the privileged posture of the closed eye, the light of the video shares texture and fuses with the visual image of the unconscious.” Goki Muramoto ホームページの「Imagraph(series)」の英語版の説明文より。

《Imagraph》体験

私は《Imagraph》を2024年12月26日に体験した。それからすでに五ヶ月以上が経過している。この文章に着手するのが遅れたのは、ひとえに私自身の怠慢に起因するものだが、同時にこの体験を言語へと変換するためには、ある種の時間的距離が必要だったのだと言い訳したい気持ちもある。以下に綴る記録は、体験直後に残したメモをもとに再構成したものである4。(※体験には当然のことながら個人差があり、その時のコンディションにも依存するはずであるため、その点にはご留意いただきたい。)

(2024年12月26日/東京大学駒場キャンパスにて)

年末休暇を控えた心の解放感に包まれながら、私は村本剛毅氏の作品《Imagraph》を体験するため、東京大学の駒場Ⅱ地区キャンパスを訪れた。ぷらぷらと売店を訪れると電子基板が売っていたので、特に思いつく用途はないが(私にとっては)珍しいのでとりあえず一つ購入した。やがてお誘いしていた『Massage Magazine』の庄野氏より到着したという連絡があったため合流し、その後村本氏とも合流したのだが、庄野氏は急遽オンラインミーティングが入ったため、私が先に《Imagraph》を体験することとなった。私は村本氏に案内されて目的地へと向かった。

モダンなデザインの生産技術研究所の研究棟5を右手にしてしばらく歩いて行くと、やがて古びた館が見えてきた。村本氏はここだという。まるで廃墟というべきか、秘密のアジトか、現実の時間軸からは少しずれた場所に紛れ込んだかのような錯覚を覚えた6。開けてよいのか疑わしい扉を慣れた手つきで開き、暗闇の中へと誘う村本氏の姿は、さながらマッドサイエンティストのような佇まいであった。

  1. 体験後、村本氏は私に《Imagraph》の体験は忘れてしまいやすいため、記録する場合は注意が必要である旨を伝えてくれていた。そのため、鮮度の高いメモ書きを残すことができた。
  2. 後に調べたところこの建築は原広司によるデザインであった。
  3. その後、この館、「駒場Ⅱ地区キャンパス1号館」は、1928年(昭和3年)の建築であることがわかった。取り壊しが決定しているそうである。

館内に入っていくと、その一室に《Imagraph》が設置されていた。部屋の中には廊下の光が少し射し込むだけで、ほとんど真っ暗だった。中央にはベッドが一台だけぽつんと置かれ、枕元の上部に装置が吊るされていた。入って左手にデスクとパソコンが置かれていたが、それ以外は何もない部屋である。

体験時間はおよそ15分ほどだったと思う(一般的な展示の際には時間の制約により体験時間は5分程度らしいため、これは特別である)。村本氏によれば私が来る前の時間にも何名か体験者がいたそうで、体験者によって反応は様々なのだそうだ。才能豊かなキュレーターの方など、体験する中でリラックスして眠ってしまうケースもあるのだという。

最初、村本氏は機器の調整にやや手間取っていたが、やがて装置のセッティングに取り掛かった。《Imagraph》のインターフェースは、LEDディスプレイの各ピクセルに対応する大量の光ファイバーの束がパッドに集約され、それを瞼に接続する仕組みになっていた。

私は装置を瞼に装着し、外部の音を遮るためにイヤーマフを装着した。最初に行われたのは、色調整の工程である。瞼は血流によりもともと赤みを帯びており、その透過性によって光の色味が変質する。そのために瞼の元々の色味を踏まえた調整が必要となるのだという。村本氏は「白く見えるように調整してください」と述べ、私に手元のダイヤルを操作するように促した。

《Imagraph》を体験中の著者 撮影:村本剛毅

最初に私が「見た」のは、青や赤の光がじっとりと瞼全体に滲むように広がるような光景だった。光の漏れによるものなのか瞼の厚みによるものなのか、視界の下半分が明るく、上半分はやや暗かった。指示通り白くなるようにダイヤルを回したが、次第に自分が見ている色が何色なのか、判断がつかなくなっていった。この時点で既に、私が「見ている」対象が何なのかずいぶんあやしくなっていたのだと思う。

しばらくダイヤルを回していたが、何とか白くなったと思うところで操作を止め、「これが白だと思います」と伝えると、村本氏は少し微笑んで「本当ですか?」と問い返した。その頃には光の残像が強く立ち上がり、いま目の前にある色が装置から送られている光の色によるものなのか、その残像なのか、それとも内発的に立ち上がる色味なのか、判別がより曖昧になってしまっていた。
それでも何とか調整を終えると、映像の再生が始まった。村本氏によれば、この映像は《Imagraph》を彼自身が装着しながら、腹部に置いた独自のデバイス上で手描きのドローイングを行うことで作ったものなのだという7。やがて、赤、ピンク、オレンジ、エメラルドグリーン、薄いブルーなど、様々な色彩が目まぐるしく視界を巡りながら、波のように押し寄せてきた8

その色のうねりのなかで、光の残像は激しいクラック(亀裂のような断片)となって視界の中央に漂い始めた(これは普段でも眩しい光を見た後で目を閉じた際に見える残像のようなものであるが、それが光に照らされて見える)。私はそのクラックを起点に、何か新しい像が内側から浮かび上がってくるのをはっきりと感じた。

最初は装置から送られてくる「光を見ている」という感覚が強かったが、目まぐるしく変化する光と色彩、そして残像の現れを追い続けるうちに、具体的な像が自律的に生成されてくるのがわかった。それらは明らかに、装置から送られる映像ではなく、私の内側で立ち上がる像であった。
このとき、何かが腑に落ちた。ここで起きているのは、与えられる像を見ることではない。像が立ち上がる一つ一つの瞬間を、私はただ目を閉じて、見ているのである。

ある瞬間、視界の左側に現れたのは、二本の溝のような斜めの線だった。その溝は立体的になり、その間にピンク色の球体がはまり込むようにして立ち現れた。像はすぐに変容し、より抽象的な形態へと移り変わっていった。

この体験は、まるで「色」の情報だけがプロンプトとして与えられた生成AIが、その情報を起点として自身のモデルを用いて画像を生成する構造と似ているのではないかと体験後に考えた。外部からの「色(光)」という抽象的な入力を起点に、私自身の(無)意識が、生成的に像を形成していく。このような生成力によってやがて夢に至るのだと考えられるが、そのプロセスを覚醒した意識で生々しく観察することができた。

しかも、その像には一定の「こちら側からの」操作感もあった。意識への意識、つまり志向性によって、像は変化していく。一方で、《Imagraph》の装置が送り出す光の運動は完全にコントロール不能であり、光と残像、そしてそこから生まれる自発的な像とが、絶えず交錯し、浮かび上がっては溶けていった。

しばらくそのようにして、立ち現れる像とその消失をまどろみながら見ていたのだが、終盤、私は明確な「像」と出会った。視界の左側に、青い屋根の建物が鮮明に浮かび上がったのだ。それは、私が幼少期に住んでいた、実家の離れにある青い屋根の家の玄関先そのものであった。送り出された光とは無関係に、私自身の記憶から立ち上がった像であることがすぐに分かった。
不意の再会と懐かしさを感じながら、体験は静かに幕を閉じた9

  1. 私が体験した後、続いてミーティングを終えた庄野氏が体験した。庄野氏によれば疲れが取れるような体験だったという。その後アーティストグループ「ヨフ YOF」のOとFこと大原氏と古澤氏が来て、体験した。古澤氏と私は実に10年以上ぶりの再会であったが、体験の効果もあってかとてもリフレッシュした気持ちで思い出話をすることができた。昔一緒に皆と新宿に行った時の話などをしたが、その時古澤氏と私は共通のとは言わないまでも、交差する記憶の光景(イメージ)を思い起こしていただろうか。
《Imagraph》を体験中の著者 撮影:村本剛毅

《Imagraph》を体験中の著者 撮影:村本剛毅

「瞼(まぶた)」というメディウム

村本剛毅による《Imagraph》は、私たちが日常的に行っている「見る」という行為の根幹を揺るがす、美術としてきわめてラディカルな装置である。視覚芸術において伝統的に問われてきたのは、「何がどのように見えるのか」といった、イメージの構成や意味作用に関する問いである。一方で、《Imagraph》が開示するのは、それ以前の地平——像がいかにして生起し、〈見る〉という現象そのものがいかにして可能となるのかという、視覚の生成条件、すなわち視覚性(visuality)への問いである。

村本は、SIGGRAPH 2022における《Imagraph》のAbstractで、次のように述べている(原文は英語。以下は著者による翻訳)。

体験者は、提示されていないはずの動きや色彩を無意識に導き出し、内発的に湧き上がったイメージを不可逆的に映像へと溶け込ませてしまう。

投影と遮断の双方が機能不全に陥るとき、「プロジェクター」と「プロジェクティー」のあいだには、特異な関係が成立する。各極が有する自由とは何か、そして「イメージ」はいったいどこに棲むのか10

このように、自身も《Imagraph》の最良の体験者である村本は、この装置によって引き出される〈私〉による内発的な想像力としてのイメージ、そしてその「自由」の問題に対して明らかに自覚的である。

本作において特筆すべきは、「瞼(まぶた)」という、きわめて特異なメディウムの選択である。美術におけるメディウムとは、ふつう、絵具やキャンバス、あるいはデジタルスクリーンのように、外部化され、物質化された視覚の支持体を指す。だが、村本はその支持体として、知覚主体である観者自身の身体の一部、しかも「視覚を可能にしつつ、同時に遮断もする」という二重性をもった器官を、直接的に用いる。こうした村本の選択は、視覚の統御をめぐる生政治的問題系やポストヒューマニズムの身体論、さらにはサイバネティクス以後の感覚制御装置としての身体理解とも共鳴している。

瞼とは本来、視覚を遮断するための生理的装置であり、意識の表層においてはその存在すらほとんど感知されない、半ば無意識的な膜である。この「遮断の器官」を反転させ、あえてそこを通して映像を“透過”させるという試みは、詩的でありながら視覚制度を攪乱する批判的企図が見て取れる。

さらに、《Imagraph》を構成する物理的要素——LEDディスプレイ、光ファイバー、そして瞼——もまた、作品の根幹に深く関与している。本作では、LEDの各ピクセルが極細の光ファイバーを介して個別に瞼へと接続され、映像は空間的に拡張されることなく、極めて局所的かつ内向的に、観者の身体内部へと送り込まれる。通常、光ファイバーは情報を忠実に伝送するメディウムであり、実際に本作においても、瞼の接面までは正確に光を運ぶ。だが、瞼という不透明なインターフェースを通過する過程で、光は濁り、揺らぎ、像の輪郭は曖昧化していく。確かに電光掲示板は、これまでアートの領域で度々用いられてきた。しかし、例えばジェニー・ホルツァーによる作品であれば電光掲示板が映し出すことばが作品の核たる表現であったのに対し、《Imagraph》におけるそのメディウムの使い方は全く異質なものである。

  1. SIGGRAPH ’22: ACM SIGGRAPH 2022 Art Gallery, Article No.: 9, Page 1 https://dl.acm.org/doi/10.1145/3532837.3534947

観者の身体内部へと送り込まれた映像が変容し、知覚の中に滲み入ることで、村本の「イメージはいったいどこに棲むのか(Where does the ‘image’ inhabit?)」という根源的な問いが、切実さをもって立ち現れる。
瞼は、完全な遮蔽でも、完全な透過でもない。赤みを帯びた皮膚の裏側で、色彩は変調し、輪郭は失われ、像は連続性をもたない。だが、まさにこの不安定な視覚条件のなかでこそ、「像が生成される瞬間」は、より強く印象づけられる。像とは与えられるものではなく、感じ取られ、補完され、構成されるものである。この意味で、《Imagraph》は、像が生成される「潜勢力(virtuality)」へとアクセスしている。光という曖昧な刺激を契機に、観者の身体に潜在する像の生成力が喚起され、夢と現の境界に像が浮かび上がる。そしてこれこそが、《Imagraph》という作品における、体験者から見た作品の“ヴィジュアル”イメージである。

哲学的に言えば、こうした像の生成は、意識が「現前しないもの」を内的に現前させる想像的意識の働きとして理解される。ジャン=ポール・サルトルが『イマジネール』で論じたように、想像的意識とは感覚的現実の再現ではなく、現実には存在しないものを、意識が能動的に構成し現前させる働きである11。《Imagraph》において像が曖昧であればあるほど、観者は自らの記憶や無意識、空想の断片を素材に像を編み上げていく。観者は「像を見ている」のではなく、「像を生成してしまっている」ことに気づかされる(もちろん個人差はあるだろう)。この生成過程は、意識が常に何かへと向かい、意味を構成するという、現象学における志向性の議論とも響き合い、また、フランス現代思想における「目覚めながら夢見ること」に関わる議論の系譜12にも接続されている。

この体験は、観者の自由な想像というよりも、むしろ意識に構造的に備わった生成作用の不可避性を明らかにする。像はほとんど制御不能に立ち上がり、それは他者からの投影によってではなく、観者自身の深層意識が照らし出されることで現前する。世界は「そこにある」のではなく、「そこにあるかのように構成されてしまう」。《Imagraph》はこの意味で、単なるテクノロジー作品やメディアアートの域を超え、視覚の存在論そのものへと踏み込んでいると言えるだろう。「見る」とは、あらかじめ存在する像を受け取る行為ではなく、絶えず構成し続ける能動的なプロセスであり、イメージとは「与えられる」のではなく、「生成されてしまう」ものである。
 《Imagraph》はこの逆説的な真実を、瞼という無意識のスクリーンを通じて、静かに突きつけてくる。そして、視覚という制度を詩的かつ批評的に撹乱しながら、「見ることとは何か」という問いを、根底から立ち上げる。私たちは《Imagraph》において、視覚という営為の生成性と、その脆弱で不確かな基盤に、そっと目を開かされるのである。

  1. 『イマジネール』を読むと《Imagraph》と直接重なる関心として「入眠時イメージ」についての考察が行われている。サルトルのこの重厚なテキストでは執拗に心的イメージの想像についての現象学的な考察が記述され、想像が持つ現実から自由で、能動的な性質を強調的に浮かび上がらせている。
  2. 塚本昌則『目覚めたまま見る夢』、岩波書店、2019年を参照。《Imagraph》もこのような系譜の中に位置付けることができる。その意味で、本作はフランス文学・思想・現象学の関係者にとっても、直接的に体験されるべき作品である。哲学的思索の深化には、時にそれ自体が思索の対象であり媒体ともなるような、感覚的=概念的装置の発明が必要とされるのではないか。そのような問いも《Imagraph》は静かに突きつけている。
参考文献

  • Goki Muramoto ホームページ https://www.goki-muramoto.com/
  • SIGGRAPH ’22: ACM SIGGRAPH 2022 Art Gallery, Article No.: 9, Page 1 https://dl.acm.org/doi/10.1145/3532837.3534947
  • ジャン=ポール・サルトル、澤田直・水野浩二訳『イマジネール 想像力の現象学的心理学』、講談社、2020年
  • ジョナサン・クレーリー、岡田温司監修、石谷治寛、大木美智子、橋本梓訳『知覚の宙吊り』、平凡社、2025年
  • 塚本昌則『目覚めたまま見る夢』、岩波書店、2019年

hasaqui
アーティスト、リサーチャー。p5jsを用いたジェネラティブアートの制作や、それに触発されたドローイング作品の制作を行っている。またNFTやブロックチェーンのメディウムにフォーカスした展覧会『Proof of X』の企画などに参加している。NFTに関連する論考として「アートから見たNFTの可能性」(『The New Creator Economy NFTが生み出す新しいアートの形』、BNN、2022年所収)や、「NFTと「書き取りシステム」としてのブロックチェーン」(『Proof of X ーBlockchain As A New Medium For Art』、NEORT、2023年所収)などがある。