MASSAGE MONTHLY REVIEW – 5
MASSAGE&ゲストで、5月の音楽リリースをふり返る。
現行リリースの作品の広大な大海原から、5月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
現行リリースの作品の広大な大海原から、5月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
聴いたことのない音楽を聴く。そのきっかけとなるのがジャケットであることは多い。ジャケ買いということばもある。インターネットでのランダムな出会いでは、再生するかどうかはアートワーク次第と言い切ってもいいくらいだろう。実際は、そのアートワークに対して(勝手ながら)持ったイメージに合う音が流れてくることはそれほど多くはない。それでも毎回期待しつつ再生ボタンを押す。うっすら黄味ががった白地にエメラルドグリーンとパステルピンク、ヤシの木のシルエット……Guggenzの『A New Day』は、ほんとうにこのアートワークどおりの音が流れてくるから、ちょっと再生ボタンを押してみてもらいたい。
ジョン・ケージ、スラヴォイ・ジジェク、レディー・ガガ、ヨーゼフ・ボイス、シュトックハウゼン、マルクス・エルンストといった、見慣れた思想家や芸術家、文化人の名前と共に、それぞれに与えられた、質問のような疑問文。作名には決してふさわしくない固有名詞と、長々とした文章の組み合わせがタイトルとして羅列する、ヤン・イェリネックの新作『Zwischen』は、ドイツの公共ラジオ局のために制作された音源集であり、同局で行われたインタビューの回答を素材として用いたコラージュ作品。ただし、抜粋された言葉は全て、正確にいえば「言葉」ではなく、タイトル『Zwischen』の訳に当たる「between」≒「間」、つまり言葉と言葉のつなぎ目となる、話し手の意図しない余白の音声部分である。通常の会話において、直接的な意味以外に、パラ言語と呼ばれるアクセントや身振り、イントネーションといった周辺的側面を含めて、話し手は言葉を伝達する。このアルバムではその中でも、ポーズ、しかもそれがスムーズに行われ損なった箇所だけがフォーカスされており、例えば言葉の頭に着く無駄な音(「あ〜」のような)や吃音、ブレス、口腔内の摩擦音、あるいは伸ばされた語尾、といった二次的な伝達レベルにおけるエラーが切り取られては、執拗に繰り返し、変調されている。会話において捨象される無駄な発音が、一つのサウンドという単位で音楽内に用いられたとき、現れるのは「言葉の残滓」とも言うべき疵や綻びが彷徨する、異様なまでに不気味で艶かしい音響空間。もはやそこでは固有性は完全に失われ、所有者を離れ、ヴェールを剥ぎ取られた無数の塊が、ぽっかりと宙に浮かぶ。傑作『Loop-Finding-Jazz-Records』で見られる卓越したサンプリングの手法を、イェリネックは今作でさらに細かく突き詰めて脱構築し、入念に練られたミュージック・コンクレートへと仕上げた。
ケイト・ワックス名義で活動してきたスイス/ネパールの混血プロデューサー、アイシャ・デヴィの本名名義の2作目。原型のわからなくなるほど電子的に変形された「声」が作り出す音響が、古代の儀式を目撃するかのような瞑想的で抽象的な世界へと誘う。自身が設立メンバーでもある、ポストインダストリアルともいわれる挑発的で実験的なテクノをリリースし続けるスイスのレーベル〈Danse Noire〉の世界観とも共振する、解放されたクラブミュージックの新しい進化の形。レーベルの世界観もそうだけど暗い神秘性を秘めたこの質感、やはりヨーロッパの風土が生み出すものなのだろうか。
Dil WithersやSeenmrなど数多くの洗練されたビートをリリースするUKのカセットレーベルAcorn Tapesから初めて日本のビートメイカーがリリースされた。Yagiの音は、水が滴るように滑らかなメロディに転がり弾けるようなビートが特徴。サンプリングミュージックでありながらも限りなくヒップホップから離れて行く彼の姿勢は独自の音の像を描いているようだ。それも見つけた、あるいは撮り貯めた音を丁寧に磨いていくプロセスが思い浮かぶ。今後も彼の様々なテクスチャ際立つ音楽が楽しみだ。
jjjacobはコペンハーゲンの24歳。突然の右半身の麻痺という自身の体験をもとに制作された「Intracerebral Hemorrhage(脳内出血)」から、周囲も驚くほどの回復を見せた数ヶ月後のリリースとなる本作のタイトルは「Nondestructive Examination(非破壊検査)」。深海のような重く深い音の世界に潜り込むように、ビートと旋律が自由自在に新しい調和をなした形を織りなしていく。未来的でいて、ノスタルジック。あらゆる要素を飲み込むようなその貪欲な音楽性は、Oneohtrix Point Neverのサウンドにも通じるところがあるように思う。どっぷりとその世界観にハマりながら、極上の時間を過ごすことができる作品。
アコースティックな響きも電子音響も、メロディもリズムも、あらゆる要素が渾然一体となり繋がり合っている。崇高とキッチュの隙間を縫いながら、すべてが元からそこにあったかのように、リズミカルな自然の命を奏でている。どのような音も次の音に繋がり、誰ひとり孤独のままでいることはできない。アンビエント・ミュージックとは音の生命が必要とした静寂なのだ。胸が苦しくなるほど、美しく、不思議な存在感を放つアルバム。現在は一部のみダウンロードできる状態だが、フィジカルリリースも予定しているとのこと。
本作はLondon Contemporary Orchestra とのセッションを基礎とするもので、その試みは2016年に始まる。クラシカルな楽器と同時にビニールのレジ袋なども楽器として採用しつつ、Actressの鳴らす不穏なノイズとともにさまざまな表情を見せる。Actressは古典と現代という時代の軸において対置される要素(楽器)を組み合わせて、未来を目指す音楽的な実験を行いながら-興味深いことに-オーケストラのメンバーとセッションを行ったロンドンのBarbicanという文化施設の設計図も参考にしている。Barbicanはコンクリートの打ちっぱなしが印象的な、合理主義に貫かれたブルータリズムの流れにある建築物である。コンクリートのように、Actressの音楽はいつも冷たい。しかし、その音像は暗闇の中で揺れ動くカーテンのようで、その風景がどこから来たのか、そしてどこへ聴き手を導くのかは不明瞭である。断片的に分析すればそこにはテクノやハウス、ヒップホップの姿が見えてくる。しかし、その肩を叩いても表情まで確認することはできない。幾重にも重ねられた生地のような音楽ともいえるだろうか。そのインダストリアルな感触はモダニズムと結びつくものだが、本作での音楽的実験によりさらに増幅された「(カーテンのように動く人間の心の)ゆれ」のような不確実性こそ、合理主義とは切り離された「何か」であり、だからこそ聴き手を揺さぶってくれる。冷たくて果てのない建物の中で。