MASSAGE MONTHLY REVIEW – 4
MASSAGE&ゲストで、4月の音楽リリースをふり返る。
現行リリースの作品の広大な大海原から、4月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
現行リリースの作品の広大な大海原から、4月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
3月にスタートしたレーベル〈Local Visions〉。第1弾のコンピレーションアルバム『メガドライブ』での華やかな幕開けの次にLV-001としてリリースされたのは、コンピレーションの中でもひときわ清涼感のある“愛はタックス・フリー”を提供していたAOTQの「e-muzak」。柔らかいものでくるまれたような心地良いサウンドの浮遊感は、AOTQ自身が手がけているというアートワークのイメージそのまま。切れ目なく曲がどんどん流れてくるところが非常にBGM的ではあるけれども、そのとうとつな終わり方と次の曲までの間合いのなさはインターネットのプレイヤーで曲を視聴している時のようだと気づく。ただこのアルバムでは、その瞬間は自分でスキップボタンを押すよりも前にやってくる。
ジャマイカレゲエとLAのエクスペリメンタルミュージック、二つの異質な音楽が溶け合うのでなく明らかに別のレイヤーにありながら共鳴している。Matthewdavidの主催する〈Leaving Records〉からもリリースのあるSun ArawとM.Geddesがモジュラーシンセを持って、現地のレゲエシンガーを見つけてレコーディングした音源が2014年「Multiply: Duppy Gun Productions, Vol. 1」としてリリースされた。その音源を軸とし、多くの未発表曲で新たに構成されたミックステープ。緩くてパンチのあるDuppy Gun ProductionsのキャップやTシャツなどグラフィックも要チェック。
ミネアポリス在住のサウンドアーティスト/映像作家であり、自身のレーベルSympathy Limitedを主宰するジャスティン・メイヤースによる新作がShelter Pressからリリース。死を覚悟するほどの大病を患った後、慢性的な身体的苦痛や治療との苦闘をモチーフに制作された前作「Negative Space (1981-2014)」が、ある時期における彼自身の心理的な投影だとすれば、「継続する日常と、限られた時間の中で、アートを作り続ける」事への「失意と疑問」を、特有の知性とシニシズムをたっぷりと効かせながら、肯定でも否定でもなく、赤裸々な独白として提示したのが、今作「Struggle Artist」だろう。唐突なカットアップや休止、不自然にフォーカスされた生活音、グラニュラーシンセシスを基調とした間延びした音色を単なる手法として「実験音楽」的だと形容してしまうのは容易だが、全体に覚えるその「もどかしさ」が、個人個人の同居する日常と現実の「割り切れなさ」と重なり合った途端、強烈なリアリズムとなって私たちに切迫する。インターネットの普及以前・以降に関わらず、「エクスペリメンタル・ミュージック」と称される類の音楽は、素晴らしい才能と熱量を持った個人達によって世界中で絶え間なく生み出され、私達はその恩恵を享受することができるが、そこに作り手の心理や思考を汲み取ることは必ずしも必要とされないし、ましてや日々大量にアップされる音源群を前にしては、不問であるかのようにも思える。だがこのアルバムのタイトルに与えられた「アーティストとしての闘い」の切実な意味を、私達は時折立ち止まって考える必要がある。
東京を拠点とするryu yoshizawaのプロジェクトkoeosaemeの新作。ニューヨークとボストンで行われた〈Orange Milk〉、〈Noumenal Loom〉、〈Squiggle Dot〉という夢のような組み合わせのショーケースへ出演も果たしたばかりで、今回のリリースはバルセロナのレーベル〈angoisse〉から。スペーシーな感触のあった前作から打って変わり、今作は削ぎ落とされた乾いた音響が印象的。箱庭のような繊細な美しさを保ちつつも、シェイプアップされた明朗さのある作品へと進化を遂げた。エレクトロニックな音色と具体音が渾然一体となって、混ざりながらもぶつかり合って強いコントラスト作り出している。異なる質感のテクスチャーが折り重ねられ、描かれるパターンの組み合わせはどこかフラットな感覚があり、これぞ今の音という感じの仕上がりになっている。
Nicolas Jaarがその名義で2枚の独創的なアルバムをリリースしている他方、〈Wolf+Lamb Music〉などからエディット集などのよりフロア向けのハウス・ミュージックのリリースを重ねてきたことは特にDJにはよく知られていると思う。そんな彼が突然、別名義のA.A.L (Against All Logic)で製作した2012年から2017年までの作品をコンパイルしたアルバムをリリースした。本アルバムの楽曲どれもがハウス・ミュージックやソウル、そしてファンクの要素を詰め込んだ(繋げた)ような上質のエディットではあるが、1曲の数分の中で生のミックスが行われているような音の差し引きや展開を楽しむことができる。またグルーヴが颯爽でありつつも奇妙に繋げられたようなポイントもあり,まるでターンデーブルの上でのレコードが滑った時のようなノイズのようにも聴こえる。躍らせることだけを考えた(リ)エディットものとは異なるオリジナリティを授ける大きな効果を持っている。単なる音の抜き差しではなく、奇妙でありあたかも計算されていないようなどこか生々しい感触がある。突然のリリースかつ別名義とあっては、Nicholas Jaarの作品ということに気づかれずに埋もれてしまう可能性もあるが、躍らせるための論理に対抗するような奇妙かつ生々しい感触を与えられる面白さを聞きのがしては勿体ないだろう。「考えずに踊れ」というメッセージではなく、「こんな音楽であれば踊らせられるだろう」といった安いロジックへの生々しくもエレガントな反抗である。別の論理がここにある。
タイトルとなった、「THE LATHE OF HEAVEN」はアーシュラ・ル=グウィンの小説から(邦題は「天のろくろ」)。オーケストレーションとサンプリングによる具体音がタペストリーのように複雑に織りなされ、一枚の奇妙で美しい物語を織り上げた作品。高解像度のコンピュータグラフィックスのような冷たい手触りの下には、暗くメランコリックな感情も見え隠れする。過去でもない未来でもない、ル=グウィンの描く世界のような見知らぬ世界へといざなわれる。