RIGHT CLICK LIVE振り返り。
日本のNFTアートはここから始まる

ykxotkx - Traveler

2022年12月11日、東京で開催された「RIGHT CLICK LIVE」の余韻のなかこのテキストを書いている。ブロックチェーン上のアートに関する対話を促進するオンラインマガジンRIGHT CLICK SAVEの来日と共に行われたそのプログラムは、国際的なNFTアートのイベントとしては日本で最初のものとなった。NFTに関心を向けるキュレーターや批評家、アーティストたちが集められ、自由な議論を繰り広げた。その熱気あふれる意見の衝突の場は、まさに僕がずっと求めていたものだっだ。それがこれまで語れなかった日本のNFTの現状と課題について、多様な領域のメンバーたちと議論を交わす初めての機会だったからである。しかしなによりこの場が特別だったのは、新しく拓けた領域で活動する人々、登壇者だけでなく、密やかに活動してきた日本のNFTアーティストたちが、一つの場所に居合わせたことであった。

表立って口に出す人は少ないが、日本のNFTの状況はあまり良いものではない。他の国でもそうかもしれないが、NFTに関する話題はずっとその販売価格に向けられており、アートとしてのNFTの在り方について共通の理解を熟成したり、向かうべき可能性について議論することは二の次にされてきた。2019年の時点でNFT作品を制作していたアーティストのGoh Uozumiは自身のブログで「NFT黎明期の批評性の欠落が、後の誇大広告支配の歴史への進路を定めた一因だ」と述べ、NFTの技術的限界が理解されていない現状を痛烈に批判している。経済的に衰退しつつある日本が新しい領域に挑戦することは間違いなく必要なことだが、同時に、バブルによって醸成されてしまった強欲さやブームとしての側面が、アート関係者をNFTから遠ざける理由になってしまってもいる。

長年日本で活動を行ってきたジェネレーティブアーティストのAlexis Andréはトークの冒頭で強い口調でこう語った。

なぜ日本人がArt Blocksに参加しないのか。日本にはよいところがたくさんあるのにそこに気がついてない

日常の生活に根ざしながらコードによる作品制作を行う創作のスタイル「デイリーコーディング」を提唱するShunsuke Takawoは、日本においていまだジェネレーティブアートの認知度が低いことを嘆いている。彼は日本におけるNFTの成功例として語られることが多い〈Genarativemasks〉の作者であるが、その作品が表紙となった日本を代表する美術専門誌『美術手帖』で大々的にNFTを取り扱う特集が組まれたきり、国内のアート界でその可能性について議論が戦わされた痕跡は見つけられない。新しいテクノロジーに柔軟な人々が住む国という日本のイメージとは対照的に、アートの領域にいる人々の腰はまだまだ重い。

Shunsuke Takawo – Generativemasks Japan Edition

テクノロジーと日本

たしかにマンガやアニメーションでSci-Fiの文化に親しみ、ゲーム漬けの子供時代を送った僕らは、テクノロジーを身近な存在だと考えているかもしれない。しかし実際には、新しい文化を怪しいものと訝しんだり、奇異の目で見るような保守的な風土も根強く存在している。日本の社会では、いまだに紙に印刷した書類にハンコを押さないと意思決定ができないような組織が大きな比重を占めているのだ。文化面で言っても、この10年ぐらい日本は後退し続けている。築かれた小さなコミュニティは幾度も起こる大きな災害で分解されてしまい、世代間を超えて記憶が引き継がれない。常にスクラップ&ビルドするのが私たちの文化なのである。一つの世代は一つの記憶の中に閉じ込められる。何かを始めるには、すべてをいちから始めなければならない。新しいことを始める者には常に、孤独な戦いが待っている。そういうふうに文化の始まりと終わりを迎えるたび、私たちは徐々に自信をなくし、小さな身内の世界に引きこもろうとしているようにも思える。

しかしそれでも新しい領域に貪欲な人々はいるものだ。特に常に新しい技術をキャッチアップしていかなくてはならない、テクノロジー領域にいる人々なら尚更である。アートとテクノロジーをまたにかけて活躍している日本のグループとしてまっさきに名前が挙げられるRhizomatiksは、早々と自分たち自身の作品を販売するプラットフォームNFT Experimentを立ち上げた。多数の観客を集めるインスタレーションを作り出すことで有名な技術者集団teamLabも、Pace GalleryでNFT作品〈Matter is Void〉を発表している。また今回イベントの登壇者でもある施井泰平の率いるStartbahnは、ブロックチェーンをアートの真正性を保証する技術として使用するなど、かなり早い段階から数々の実践をおこなってきた企業でもある。

技術者集団の見せる素早い動きに対して、アーティストたちの動きは緩やかだ。最初期のNFTに参入していたメラタケルのような先駆者や、たかくらかずきhermippeEXCALIBURmaeといったNFTと親和性の高いピクセルアーティストたちが存在してはいるものの、日本にいる多くのアーティストはまだ様子を伺うだけで、前へ踏み出せないでいるようにみえる。そんななか際立ったアート領域の成果は、メディアアートに近い領域のアーティストたちから生み出されている。たとえば、⼈⼯⽣命研究から⽣まれた理論や技術の社会応⽤を目指して活動している研究者集団、ALTERNATIVE MACHINEの〈SNOWCRASH〉は、コンピュータの黎明期に生まれた技術「遅延記憶装置」に着想を得て作られた展示空間をストレージとして使用するNFT作品である。オンラインからフィジカルな作品まで多様なメディアの特質を生かした作品を作り出してきたexonemoは、NFTを獲得するにはヴァーチャルペットの皮を剥がさなくてならないという、インスタレーション作品〈Metaverse Petshop〉を発表した。日本におけるメディアアートの先駆者である藤幡正樹の反応も早かった。購入者数によって販売価格が分割される仕組みにより、購入者が多ければ多いほど価格が安くなるという彼の作品〈Brave New Commons〉は、投機的なNFTの現状を批評する作品となっている。

EXCALIBUR – 国民的再生図 (National reincarnation), Owner: Anesti Dhima

当日のライブトークではうまく話せなかったが、僕らは2010年初めごろからメディアとしてデジタルアートのシーンを追いかけている。Web2.0のキュレーションメディアによって加速されたイメージの流通は、作品の価値を等価にした。プロが作り出す高尚なアイデアも、アマチュアが遊びで作ったミーム画像も、オンライン上では等しく評価され、瞬間的に消費されていく。そんなデジタルアートの持つ民主化の力に可能性を見出し、NFTの夏を脇目に眺めながら、TezosのマーケットHic Et Nunc(HEN)と出会った。そこでNFTの領域に草の根の文化が育ちつつあることを知ったのである。HENには、インディペンデントの音楽シーンにも似たアーティスト同士の助け合いや、コミュニティを大事にする空気が存在していた。小さいけれど熱気溢れるそのコミュニティが持つ価値は、外部の人々に伝えることがなかなか難しい。場が持つ目に見えない「価値」をキャッチするには、文化が生み出される源泉に近い場所に居なければならない。記号的に文化を消費することに慣れたメディアにとって、それが一番大きな難題であると思う。

コミュニティの中で育つ文化の重要性を広く伝えられないもどかしさを感じていた一方で、次の動きの種がすでに芽吹いていることにも目がいく。日本のアーティストqubibiがTezosのアートシーンで評価されたことは、その象徴だろう。そもそもオンライン上でインタラクティブな作品を発表してきた彼の存在は、日本においても特異なものだった。その作品はすべて強烈な異彩を放っており、成立過程も謎に包まれている。またパーソナルな視点でものづくりを行うクリエイターとして、ループ映像を日記をつけるように毎日発表するRenki Yamasakiがいる。彼の作品は、まだ名前がついていない日々のスケッチのような作品である。その佇まいは、どんどん自然現象に近づいているように見える。現象の中にある小さな驚きを、写真を撮るようにスクリーンに写し取る。そんな日常に近い表現の方法が、主張することを好まない日本人の気質に合っているのかもしれない。

qubibi – so21F7gx722Cr

NFT以降の新しいアーティスト像

NFTの領域で自分の足場を築いた島宇宙のように点在していた日本のアーティストたちが、最近ようやく互いの存在に気が付き始めているように見える。日本人として唯一のArt Blocksで作品を発表するKazuhiro Tanimotoや、Herbert W. Frankeのトリビュート参加者のジェネレーティブアーティストGin、コードで細密な奥行きのある絵画的世界を作り出すykxotkx、そしてリズミカルな構成美を特徴とする抽象的世界を描くA-mashiro。またVJでもあるSaeko Eharaは、多幸感に包まれたきらびやかな映像作品を作り出す。それぞれユニークなスタイルを持つ彼・彼女らに共通しているのは、最初から英語を用いて作品の情報を発信していた点である。その選択の理由の背後には、日本にNFTのコレクターが少ないという切実な状況があった。今でこそ少しづつ日本のコレクターも現れ始めているが、国内という大きな壁に、私たちはいまだ阻まれ続けている。

A-Mashiro – Planetary Composition, Owned by JabJab

ジェネレーティブアートやデジタルアートのシーンが、密やかに育まれつつある一方で、ブロックチェーンをメディアとして使用する実験的な作品も作られている。〈Genarativemasks〉のスマートコントラクト部分をサポートし、〈KUMALEON〉というジェネレーティブアートをキャラクターに融合するという野心的なプロジェクトを立ち上げたTartは、展覧会Proof of Xで〈OpenTransfer〉という作品を出品した。誰もがNFTをTransferできてしまうという作品で、彼らはスマートコントラクト自体の作品化を試みた。また京都を拠点に活動するbouzeは、保有期間に基づいて作品が成長する〈HODL〉や、重ねられたNFTをTranserによって徐々に剥がしていくことができる〈Reveal〉などを発表。すでに非推奨となったHTMLタグをあえて用いた作品〈marquee shelter〉や、購入金額によって作品が変化する〈Receipt〉など、スマートコトンラクトによる実験的なオンチェーン作品を作り出す0xhaikuというアーティストもいる。

ここに列挙したのは多くが、クリプト以降にキャリアをスタートした若いアーティストたちである。クリプトネイティブなアーティストと言い換えても良いだろう。彼・彼女らは既存のアート界に向けてではなく、NFTの世界に住む人々、コレクターやアーティストたちを意識した作品作りを行っている。それゆえに、その存在にまだ多くの日本人が気が付いていない。だが同時に、少しづつではあるがその成果が外へと伝わり出している実感もある。

たった一年かそこらで多くのものが崩壊した一方、極めて多くのことが成し遂げられたことも確かである。少し前なら想像すらできなかった多くの出来事に、ただ唖然とするほかない一年だった。失敗も成功も、これほど多くの出来事が起きる領域は他にはまずないだろう。クリプト固有の進化のスピードが、そのサイクルを可能にしたのである。その加速するスピードが果てに何をもたらすのか、知るものはどこにもいない。しかしこの流れが、日本の分厚い壁を突き破る可能性はまだ残されている。少なくとも「RIGHT CLICK LIVE」の日本での開催は、その始まりの合図となるだろう。そして一度始まった動きは、誰にも止めることはできないのだ。

0xhaiku – marquee shelter


※ Goh Uozumi – 新しいアートのフォーマット ― ハイブリッド・エディション,ブロックチェーン(NFT)と物理世界 https://goh.works/ja/post/10299/

「Right Click Live」2022年12月11日(日)
Session 1 NFTの可能性 Alex Estorick (RIGHT CLICK SAVE) / Seth Goldstein (Bright Moments) / Sputniko! (Artist)
Session 2 東京 / アニメカルチャーとNFT Emi Kusano (株式会社Fictionera代表。新星ギャルバース共同創業者兼クリエイティブディレクター) / Hirohisa Tamonoki (NFT ART TOKYO, Stoned Pixel Human) / Rock No.6 (¥u-Gi-¥n 遊戯苑) / Toshi (KUMALEON)
Session 3 Generative ArtとNFT Alexis André (Ph. D, Artist, researcher and designer) / Saeko Ehara (Artist and VJ) / Shunsuke Takawo (Creative Coder) / ykxotkx (creative coder)
Session 4 ARTとNFT hasaqui (Artist, Researcher.) / Yukiko SHIKATA (Curator / Critic (President of AICA Japan)) / Yusuke Shono (Massage Magazine) / Taihei Shii (Startbahn)