NFTはポストインターネットアートを蘇生するか。新たなエコノミーがもたらす狂騒と未来。

Text=Yusuke Shono

スマートコントラクトの技術は、インターネットにとって欠けていた最後のピースになるかもしれない。現在、NFTによって形作られつつある新たな経済圏は、インターネットアナーキズム、オープンソース運動、テクノロジーによる民主主義の加速といった、インターネットの登場が見せた夢の、最後の仕上げのような様相を見せている。その新たなエコノミーは、インデペンデントのアーティストが獲得した新たな収入源となる一方で、投機的な高揚感にかられた安っぽいアートの氾濫を導く可能性もある。何より、その世界に残っていたささやかな無垢な領域さえ、暴力的に塗りつぶしてしまう恐れさえある。しかし今の段階では、その登場が何をもたらすかについて、確実なことはまだ何もいうことはできない。

NFTの可能性について、今の段階ではまだ良いものとも悪いものとも言うことはできないが、現代の環境にある可能性を内側から探求してきたポストインターネットのアーティストたちが、そのポストモダン的な新たな局面にどのようにリアクションしようとしているのか、ということは気になる。なぜならNFTは、ネットアートの時代から形作られた様々な問いへの、テクノロジー側からの回答のひとつとも言えるものだからだ。ただ、今のところアーティストからの回答は、まだどちらかというと、様子見といったものに留まっている。少なくともその狂騒の中に、かつてのTumblrのような魅力的な感覚はまだ見つからない。もちろん、もっと想像していない角度から新しい表現の運動が立ち上がってくる可能性だってまだ残されている。

この新しいエコノミーの出現は、オンラインの中だけで形作られてきた社会が、実態世界から独立する未来を予言する。それならば、美術館の外からオンラインという場の可能性を試してきたポストインターネットのアーティストたちにとって、今出現した新しい環境は、まさに想像していた現実そのものなのではないだろうか。それが実現する現実は、手放しに喜べるものではないかもしれないが、その新たな環境が生み出すであろう問いに、あらためて耳を澄ましてみるのも悪くはないだろう。

Rafaël Rozendaal

Rafaël Rozendaalももちろん参入している。ウェブサイトをアートオブジェとして販売し、契約書をオープンソースのドキュメントとして公開するという彼の試みは、ある意味NFTの先駆けとも言えるだろう。そんな彼のNFT作品は、ミニマルな正方形のループイメージのシリーズ。彼の作品の代表的なスタイルの延長にあるものである。習作のように展開されるストイックなその連作は、時を隔てて、このオンライン常に息づく新たなボキャブラリーを作り出そうとしているようにも思える。

exonemo – I randomly love/hate NFTs

ネットアートの時代からさまざまなメディアに寄り添うような新鮮な視点の作品を作り続けてきたexonemoの、NFT作品の第一弾。ランダムな副詞を用いてコンピュータで生成された会話が続く作品「I randomly love you / hate you」(2018年)をベースにした作品。永遠に交わることのない会話が、現代のメディアで行われているコミュニケーションの形を寓話的に表象する。アーティストたちのNFTに対するアンビバレンツな感情も同時に想起させる作品。

Jon Rafman – You are Standing in an Open Field (Voyage of Life)

ネット中毒者でありながら、その奥底に住み着いた経験を映像、彫刻、インスタレーションなど多様な角度で作品として提示してきたJon Rafman。Google Street Viewを用いたネットアート的なアプローチの作品から、自身の体験したゲームの中での体験をドキュメンタリーに仕立てた作品、そして近年は、4chanを覗きみているような暗い想像力渦巻くフェティシズムを、美術という空間に接合するような作品を作り出している。そんな彼のNFTは、2013年にNYで行われた初個展と同名の作品で、乱雑なデスクトップのスクリーンを美しい風景画に置き換えた、過去に発表されたシリーズ作品の動画バージョン。ゲーム空間が作り出す美的な体験と現実との対比を、美術の体験と重ね合わせて寓意的に現している。現実で夕日を見ると、Skyrimで体験した夕日を思い出すという彼のインタビューでの発言を思い起こさせる作品でもある。

AiDS-3D – OMG Obelisk

資本主義が作り出す図像をユートピア的な視点で彫刻化し名を馳せたSNS世代のユニット、AiDS-3DのDaniel KellerとNik Kosmasが発表したのは2007年に発表された作品「OMG Obelisk」のループ動画である。彼らが出品しているのはこれだけだが、その行為には、自分たちが担ってきたその時代をアーカイブ化し、歴史化しようという試みが透けてみる。過去作品の使い回しはちょっと興醒めな感じもするが、彼らの行為は、NFTの役割のひとつがオンラインの出来事を歴史化する作用であるということを示しているのではないだろうか。

Joe Hamilton – Secondary Market

オーストラリアを拠点に活動するアーティストで、Tumblrやブログから集められた何百もの画像がウェブ上でループするコラージュ作品「Hyper Geography」で知られる。NFTでは本作品に加え、代表的なスタイルを垣間見ることができるいくつかの映像コラージュや、イメージを展開している。「Secondary Market」はストックフォトのようなステレオタイプを定着させた写真作品。特に、その広告の持つ無個性なスタイルを模したスタイルは、資本主義の牧歌的な無邪気さと遊んでいた、複数のアーティストたちが共有していたその時代の気分であった。また、モニターと額縁が腕を介して切り替わる視覚トリックには、彼の探求するコラージュ的な感覚も見て取れる。

Kai (Kari) Altmann – Vital Signs

現在、ムンバイのゴアを拠点に活動するアーティスト。自由自在に素材をミックスし、スクロールによって現れるイメージの連なりが未来的な感覚を創出するブログ上のプロジェクトを展開。近年ではそのような一連のスタディを物質化したような彫刻作品やインスタレーションを展開してきた。「Vital Signs」はそんな彼女のNFT作品で、脈動する謎めいたインターフェイスがループする映像作品。工業製品の中にあるデザインを文脈から切り離し、ある種のフェティッシュな感覚でその美を愛でる、彼女の制作姿勢がよく現れた作品と言えるだろう。

Kim Laughton – ‘Dead Cat Bounce’ music box by Kim Laughton

上海を拠点に活動するアーティスト。ポストインターネットの美学、消費者文化、未来主義をテーマにした主にCGをもちいたグラフィックや映像作品で知られている。PC MusicやFade To Mindのカバーワークや、プロデューサーMechatokとのオーディオビジュアルプロジェクトなど、音楽シーンとの繋がりも深い。「‘Dead Cat Bounce’ music box by Kim Laughton」は陶器の記念品をモチーフにした、回転しながらオルゴールのサウンドを奏でる作品。牧歌的な空気の中にある暴力性がその独特のユーモラスさを際立たせている。

Jonathan Zawada – House of Genetic Diversity

シドニーを拠点に活動するアーティスト/ グラフィックデザイナー。人工的なものと自然なものとの交わりや融合を中心的なテーマに、卓越した描写力でハイパーリアルな世界像を作り出す。もともとデザインの領域で活躍していた彼の出自はポストインターネットのアーティストたちと異なるものかもしれないが、テクノロジーや現代のメディアに対する本質的な探究心を感じさせるその作品には共通した感覚が宿っている。「House of Genetic Diversity」は音楽家のマーク・プリチャードと制作したオーディオ・ヴィジュアル作品。植物の持つ奇妙で多様な形を祝福するかのようなその作品は、縦長の画角もあって宗教画のようなドラマツルギーを感じさせる。それぞれの作品は、プロジェクトの他の7つのパートとループして相互作用するようにデザインされている。