Object on Screen: Oliver Haidutschek

写真でも彫刻でもない、スクリーン上で消費される文化が形作る
新しいイメージの領域「メタオブジェクト」とは。

Text: Yusuke Shono, Translation: Noriko Taguchi, chocolat, Goh Hirose

i could add some smoke_2016

どこか懐かしい、けれどもとても奇妙なオブジェクト。見るものを突き放すように、それらが脈絡のない空間に置かれている。北京在住のアーティストOliver Haidutschekは、既視感と未視感の間を揺れ動きながら、そんな不思議な存在感をまとった作品を作り出す。よく見るとそのイメージはコンピューターグラフィックスで作られていて、はっきりとインターネット以降の感触が存在しているのに、どこか静物画のような佇まいさえ漂わせている。
Holly Waxwingのカバーアートを手がけるなど、音楽シーンにも繋がりがあるものの、Aoto Oouchという名義でも活動していたり、作品と同様にその活動は謎めいている。そんな彼は、自分の作り出すイメージを「メタオブジェクト」と呼んでいる。それは彫刻でも、絵画でもない。スクリーンの消費文化が形作る、その新しいイメージの領域について聞いた。

祖父からフレスコ画を習ったそうですが、子供の頃から芸術が身近な環境で育ったのでしょうか?
クリエイティブであることが常に認めてもらえる環境で育つことができたのは喜ばしいことだよ。僕は祖父が亡くなる日まで毎日、彼の絵画を見ていたから、自分がどう成長したらいいか展望を持つことができたんだ。祖父は幸せそうだったし、絵画に夢中になっていてね。彼の生き方と創作は、名声やお金、権力などがなくても充実していたんだよ。

写真を学んでいたそうですが、絵画や写真から、なぜデジタルの手法を用いるようになったのでしょう?
自分たちの消費行動に合った媒体を活用して作品を作ろうと思ったんだ。ぼくらはスクリーン上の画像を見慣れているけれど、アートと見る側の間には、また別な存在があるんだ。スクリーンはアートとビューワーの間のような存在だったから。デジタルイメージで絵画と彫刻をつくることは、アートをインターネットで見せることができる一般的な方法だよね。でもその方法は僕にとっては退屈だった。なぜならアートピースの写真は、レイヤーの中間でほかの表現のフィルターになってしまうから。デジタルの空間で直接作品を作ることで、自分の作品をよりコントロールしやすくして、作品を明確にすることができたんだ。

あなたの作品は写真作品なのでしょうか。あるいは彫刻作品なのでしょうか。あなた自身は自分の作品をどのように定義していますか?
イメージは写真でも彫刻でもなく、メタオブジェクトなんだ。それは数学的にビジュアル化されたもので、物理的な彫刻や写真を表現するためのものなんだよ。

two objects - 2015

あなたの作品は、構図やトリミングなどの面で、一見芸術作品に見えないように作られているように思えます。そうした構成を選ぶのは、どのような意図があるのでしょうか?
アートとして、自分たちの領域を些細だけど普遍的なマンネリズム化しないよう変化させる、イメージの消費の仕方を考えている。視覚にアピールするために、似たような方法で作られ、大量生産された膨大な量のコマーシャルなイメージと対照的にね。そうしたイメージは単に退屈で分かりやすすぎる。だから僕が表現したいものには不十分なんだ。悲しいことに、まだ商品を売るように機能しているけどね。

あなたの作品には実際に存在しているもののような存在感がありますね。それはとても奇妙な感覚です。あなたはスクリーンの中に存在するもの、そしてその外に存在するもの関係についてどう考えていますか?
イメージは脳の中で、経験やものや色の定義に関係したニューロンが発火することによって生まれる。もし目を閉じながら液晶画面を触って、フェイスブックをスクロールする場合、スクリーンに表示された情報を感じ取ることはできない。それは僕らの視覚感覚の問題で、この感覚はルールや思考体系に従っているんだ。僕たちは頭の中にある情報の失っわれた隔たりを埋めることで、チャットで言葉を使って関係性を築くことができる。それは、バーチャルのイメージでも起こっていること同じだ。オールドスクールのコンピューターゲームを思い出すと、恐怖や愛を感じることができた。バーチャル環境の力は、失った隔たりと、外のリアリティを2進法で真似することの不完全性にあると思うんだ。

with the back against the wall 2015_2

また有機物と無機物の間のような、質感と色彩には一見してあなたの作品とわかる特徴を感じます。どのようにしてこのような世界観が生まれたのでしょうか?
僕は欲望と嫌悪感という、見たことがない組み合わせにたどり着こうとしている。例えば、納豆がおいしいと感じる瞬間とかね。感覚は、知らない恐怖から理解やコントロールへと変化する瞬間があるんだ。目の前にあるものを見るときでも、そのすべてに未知の感覚を保っていたいんだ。僕は、自分が使う色をずっと持っていて、パレットの色を限定している。それは、14歳の時に祖父が持っていた本を読んだ影響からなんだ。「どんなに大きなパレットを持っていても、アーティストとしては未熟なままだ」。たぶん、それはナンセンスだけど、僕は質にこだわって自分に制限を課して活動するのが好きなんだ。

あなたは「Vaporwave」からの影響が大きかったと述べていますね。「Vaporwave」のどのような点に惹かれたのでしょうか?また、自分の作品へのフィードバックどのようなものでしたか?
主にパンクの要素かな。もし、そのフィーリングに従って創作をはじめたら、自分のバックグラウンドがなんであれ構わずやるだけだろう。自由を感じるし、ただやるということ、そしてそれが受け入れられることが可能な気がしている。僕はまた人間の創造の終わり、自分たちの文明の最後の炎の中で、2進法の視覚による回想で、その達成が示されるというVaporwaveのアイデアが好きなんだ。

all in_2013

something good_2016

インターネットの中の変化の流れは、現実の変化よりさらに早いもののように思います。こうした時間感覚の中で作品を作り続けることについてどう思いますか?
それは僕の考え方にあってる。僕はリアルタイムで制作できることが嬉しいんだ。フェルメールは人生を通じてものすごい数の作品を発表した。だけど、僕たちがブログでそれを見たら一体どれくらいの時間がかかるだろうか? ギャラリーを5分見て回るだけで、すべての作品を見られる。僕はそこに立って、すべての作品について語ることはできない。そうすることはある意味「正しい」かもしれないし、でも正直言うと、これ以上はもうまくいかないかもしれない。もし僕がマウスホイールを2秒止めたら、なにかしらそれがいいものだとわかる。僕たちはそんなふうに消費するようにされていて、またその変化を受け入れないといけないんだ。

次の作品発表の予定はありますか?
ニュースクールのタトゥーの宗教画のシリーズを考えているよ。だけど、まだ頭の中で構想中。構想が固まったらやってみようかな。

Oliver Haidutschek
1976年、オーストリアのフィラッハで生まれる。Aoto Oouchという名義でも活動。彼は現在、中国の北京在住。
http://www.haidutschek.com