デジタルアートがいかに現実を〈再世界化〉するか。展覧会「Patterns of Entanglement」を巡る対話

Interviews by Alex Estorick and Yusuke Shono

展覧会「Patterns of Entanglement」キュレーターの一人、Alex Estorickが編集長を務めるオンラインマガジンRight Click Saveは、ポストヒューマンをめぐる議論や、人間・機械・生きた世界との関係を再考する必要性についての対話を数多く行ってきた。こうした緊喫な議題に応答すべく、Right Click SaveとMASSAGEが共同キュレーションで、テクノロジーがどのように自然のシステムに織り込まれているかを検討する展覧会を、NEORT++(東京・馬喰町)にて開催することになった。

「Patterns of Entanglement」は、思考を促す場である「ラボ」的空間(NEORT++)と、より開かれた没入空間(CON_)という2つのフロアにまたがって構成され、デジタルメディアが現代の現実をいかに形づくっているかを考察する。参加アーティストたちは単にエコロジーをテーマとして扱っているわけではない。彼らが実践しているのは再世界化(reworlding)であり、異なるエコロジーや経済を成立させる条件を試行することである。

人新世以後の芸術を論じた最近のエッセイにおいて、研究者のSy Taffelは、多様な未来を「可視化し、知覚可能にし、実現可能なものとする」うえで果たす決定的な役割をアーティストが果たすことを強調している。本展では、10組の参加アーティストが、それぞれの作品とともに、デジタルアートが現実を再世界化する力について語る。

今回の「Patterns of Entanglement」に出展されている作品について、またご自身の実践が人間と非人間のエコシステムの関係をどのように捉えているのか、教えてください。

Gretchen Andrew 今回の展覧会では、「Universal Beauty」シリーズから3点の《Facetune Portraits》を発表しています。これは人工知能やアルゴリズムといった非人間的な力が、現代の美の基準をどのように形成しているのかを検証するシリーズです。そしてその美の基準を通して、私たちが他者や自分自身、さらには老いという自然なプロセスをどのように期待し、捉えているのかを問いかけます。《Facetune Portraits》では、ソーシャルメディアが生み出す見えない圧力を可視化しています。ピクセルを完璧に整えるという、滑らかでほとんど意識されない操作を、人間の身体にとっては混乱し、傷ついたような物理的変容として翻訳しているのです。アルゴリズムによって「美しい」とされる身体は、均質化され、老いることもなく、傷を負うこともなく、生きてきた経験の痕跡を持ちません。それは、Jonathan Franzenが「自己充足という麻酔された夢」と呼んだ状態に宙づりにされた身体だと感じています。

Matt DesLauriers 《Latent Dispatch》は、ニューラルネットワークがどのように作動しているのかという関心から生まれたリサーチ・プロジェクトです。この作品では、機械がトレーニングデータをどのように知覚し、解釈し、世界を実現しているのかを、人間が同じ課題に取り組む場合と並べて提示しています。一人の人間が描くドローイングには、その人固有の記憶や考えが反映されますし、プロンプトや描画指示に対する解釈も大きく異なります。一方で、機械はコードによって強く制約されており、常に特定のパターンや抽象へと向かいます。機械によって生成されたドローイングは、AIデータセットの偏りや限界を明らかにします。ただし同時に、そこにはある種のエレガンスも存在します。モデルは与えられたプロンプトの最も純粋な形を生成しようとし、それは人類がこれまでに公開してきた情報の数学的な平均のようなものになります。複数の機械生成ドローイングを見ると、個別の表現というよりも、統計的な原型を見ていることが多く、そこからプロンプトや主題を疑う余地はほとんどありません。

Primavera De Filippi 私の制作実践では、半自律的なデジタル存在の創出を探究しています。そこでは、ブロックチェーン技術を運用上の自律性のために用い、人間の主観性を意思決定の自律性として組み込んでいます。「Patterns of Entanglement」では、《Arborithms》を展示しています。これは、ブロックチェーンのコード、経済的インセンティブ、そして人間の感性を用いて進化・繁殖する、新しい形の合成生命です。《Arborithms》は、ブロックチェーン上でNFTとして存在するデジタルの樹木であり、それぞれが視覚的な表象を決定する固有の遺伝コードを持っています。合成生物として、《Arborithms》は交配によって繁殖し、両親の遺伝子を受け継いだ新しい個体を生み出します。《Arborithms》は、人間と機械のあいだに共生的な関係を生み出します。繁殖用の親として《Arborithms》が人気を集めるほど、その所有者はより高いロイヤリティを受け取ることができます。そのため、経済的なリターンを最大化したい人間は、より望ましい特性を持つ新しいデジタル樹木を繁殖させるよう動機づけられます。この経済的な仕組みは、人間の資本蓄積への欲望を、デジタルな生物多様性を生み出す生成的な力へと転換しています。

Libby Heaney 《Qlimates》(2025年)では、量子コンピューティングを媒体として用い、音や映像を生成的に編集しながら、量子技術によって影響を受けうる気候シナリオを描いています。作品は、5量子ビットの量子もつれがもつ層状で変幻するパターンに沿って展開し、量子的な非線形時間の美学を際立たせると同時に、環境をめぐる複雑で混成的な過去・現在・未来を示唆しています。私にとって、人間と機械はすでに自然の一部であり、上下関係ではなく水平的な関係にあります。テクノロジーはアーティストを必要としています。なぜなら、私たちはテクノロジーの使い方を逸脱させ、拡張し、還元主義的な枠組みの中で活動する科学者や技術者が決して思いつかないような問いを投げかけるからです。この点については、英国評議会による最近のレポート『Why technology needs artists(なぜテクノロジーはアーティストを必要とするのか)』の中で、量子コンピューティングとの関係からも論じました。

terra0 – Autonomous Forest

Kazuhiro Tanimoto – Mutual Field

Helen Knowles 今回の展覧会で展示している《Indexed Beings》と《Trust the Medicine》は、三部作からなるアーティスト・フィルムの一部です。この三部作は、非人間的存在、人間以上の存在、そして人間の声が重なり合う、多声的な構造を持っています。これらの作品では、植物や、私たちが関係を結ぶ現代のサイケデリック医療のツールと結びついた、無形で儚い存在の星座のような集合体に注意を向けています。先住民文化では、長い時間をかけて植物の精霊と関わり、それらと関係を取り結ぶための枠組みが発達してきました。一方で私の作品では、研究室で合成された化学物質から立ち現れるサイケデリックな存在を、科学者たちがどのように枠づけ、理解しているのかを考えます。自然か人工かという二分法を超えて、道具、存在、そしてこの世界における人間の位置という三つの方向から、より拡張的で包括的に思考したいと考えています。

東泉一郎(Sensorium) sensoriumコアメンバーの竹村真一さんは文化人類学者ですが、彼からは「人文史的な世界を超えた地球史」を感じていました。地球の誕生、大気の成り立ち、生命がどのように出現したか、そしてその過程で地殻やプレートがどんな変化を続けているか。そういう長いスケールの物語が彼の思考の根幹にあったのではないかと思います。初期から共有されていたのは、「地球は今この瞬間も生きているし、変動している。その息づかいをインターネットで感じられるようにしたい」という考え方です。

Yoshi Sodeoka 私は普段から、人間をもっと大きなシステムの一部として捉えています。自然、素材、テクノロジー、天候、データといったものは、私にとって決して切り離された存在ではありません。それらは私たちに影響を与え、同時に私たちもそれらに影響を与えています。私の作品では、そうした重なり合いを可視化したいと考えています。コードのように動く鳥や、天候のように振る舞うデジタルな形態、そして半分は自然で、半分は人工のように感じられるシステム。人間の世界と、その外側にあるすべてのものとの境界が曖昧になる領域で制作することを楽しんでいます。

Kazuhiro Tanimoto 私の作品では人間や自然を、それぞれ異なるルールで振る舞うエージェントとして扱っています。現代では人間がテクノロジーを通じて自然や物質に大きく介入するようになりましたが、その介入は単純な制御ではありません。人間が自然を操作しているつもりでも、実際には自然が人間とテクノロジーを利用しながら拡張していると捉えることもできます。また、テクノロジーによって強固に存在しているように見える人工物や技術によって強化された環境の多くは、エネルギーを投入し続けて維持される極めて脆い存在です。放置すれば自然の力に侵食され、変質していきます。このようにさまざまな要素が異なるリズムやルールで振る舞い、互いに干渉し絡み合うことで、世界には独特で美しい複雑さが生まれていると考えています。

Deborah Tchoudjinoff 異なる地質時代に存在した超大陸を研究することは、自然資源がどのように形成されてきたのかを考えるための余地を与えてくれます。超大陸は、プレート運動によって漂流し、噴出し、衝突し、分離する過程を経ながら、私たちが制作や使用に用いるオブジェクトの形を与える鉱物を生み出してきました。私は短いフィクションテキストから出発し、未来の超大陸を想像し始めました。NEORT++で提示している二つの都市は、金と石炭という、これまで強く求められてきた鉱物にちなんで名付けられています。私は、こうした自然資源がもはや存在しない世界がどのようなものになるのか、そしてそこには誰が住むのかを問いかけています。《The City of Gold》では海に隣接する砂漠を想像し、《The City of Coal》では砂漠化に対する再生的な戦略を示唆しています。これらの作品では、人間的・非人間的な意味が、地質学的・堆積的スケールとどのように関係しているのかを考えています。

terra0 「Patterns of Entanglement」には、《Autonomous Forest》という作品を出品しました。この作品は生きた芸術作品であり、ブロックチェーンに基づく集合的所有を通じて、生態系の再生を再定義する新しい技術的・法的存在です。本作は、LAS Art Foundationとの複数年にわたる協働の成果であり、森林を含む複数の土地を所有・維持する協会/DAO(分散型自律組織)として構成されています。そこでは、人間の介入なしに、自然の生成的プロセスが進行することが許されています。非人間的存在としての森林は、法的構造である協会の中に組み込まれ、それが技術的手段であるDAOによって拡張されています。DAOによる意思決定は、生態系の自律性の表現として理解されるべきものであり、それは社会的合意によってのみ可能になります。この作品を通して、私たちは土地や所有をめぐる社会的・経済的・生態学的条件を再考し、ランドアートのあり方そのものを問い直そうとしています。

Yoshi Sodeoka – 21.000

sensorium – Night and Day

NEORT++は展覧会において、デジタルメディア作品を物理空間で提示するという、現代の創作実践のハイブリッド性を探求しています。オンラインとオフライン、それぞれで作品を見せることについて、どのように考えていますか。

Deborah Tchoudjinoff 複数のメディアを横断して制作しているアーティストにとって、NEORT++はオンラインとオフラインの両方で作品を提示できる非常にユニークな機会を与えてくれました。私にとっては、物質的な要素と映像のどちらも重要なので、オンラインとオフラインは同じくらい大切です。たとえば、今回展示している映像作品の完全版は、現在オンラインでは公開していません。特定の空間と時間の中で作品が上映されること自体が重要であり、それが作品を読み解くための文脈を与えてくれると考えています。

Primavera De Filippi 私が以前制作していたブロックチェーンベースの生命体《Plantoids》は、物理的な金属彫刻でしたが、《Arborithms》は完全にオンチェーン上の存在です。ただし人間と関わるために、オンチェーンのJavaScriptレンダリングシステムを組み込み、デジタル樹木の3D表現を生成し、ホログラムとして表示できるようにしています。ギャラリーで展示されると、《Arborithms》は来場者に交配を促し、その相互作用を通じて進化のプロセスをリアルタイムで示します。物理的な展示空間は、これらのデジタル有機体を観察し、交配させるための実験室となり、鑑賞者は受動的な消費者から、進行中の進化実験に参加する主体へと変わっていきます。

Yoshi Sodeoka オンラインとオフラインは、単に異なる種類の出会いを生み出しているだけだと思っています。オンラインで作品を見るとき、それは非常に私的な体験になります。鑑賞者とスクリーンだけが存在し、作品はその人が置かれている環境の中で立ち上がります。スケールは固定され、鑑賞のリズムは鑑賞者自身が持ち込みます。私はオンライン鑑賞を、特定のプラットフォーム向けに最適化すべきものだとは考えていません。そこもまた一つの正当な空間であり、作品がどこに置かれるかによって自然に変化していくこと自体を楽しんでいます。

東泉一郎(Sensorium) sensoriumはネットプロジェクトではあるものの、「インターネット」そのものが主題には見えないようにしていました。ネットはあくまで手段やツールであり、面白いのは “世界そのもの”です。どれも「リアルな世界はこう見える/感じられるのでは」という問いです。むしろ「世界の生々しさ」に、ネットを通して、どう五感で触れていくか、ということを考えていました。sensorium の試みは、「まだ名前のない新しいこと」を扱っていた。いまはまだ無くても、近い未来に、ごく当たりまえになるような仕組みや回路、それにより、実用的な情報交換のみならず、とりわけ人々の感性や世界観、コモンセンスの更新に大きく作用していくような可能性、そういったところをプロトタイピングしていきたいと思いました。それは、実験でもあり、近未来の仕組みや道具の素描でもありました

terra0 《Autonomous Forest》は、複数の文脈の中で展開される作品です。ザクセン=アンハルト州にある森林区画、協会、DAOといった要素は、それぞれ異なる成果物や表象を生み出します。たとえば、署名済みの協会定款、行政との往復書簡、ERC-721トークン、DAOでの投票、協会会議の議事録などがあります。私たちにとって、オフラインとオンライン、オンチェーンとオフチェーンのあいだに矛盾はありません。たとえば、森林の一区画を表すERC-721トークンは、一見するとデジタルアートとして取引される純粋にデジタルなオブジェクトです。しかし同時に、そのNFTの購入価格は協会に還元され、実際の森林への投資に使われます。また、NFTをステーキングすることでガバナンス権が生まれ、資本の使い道が決定され、それがドイツに存在する実際の森林の生態系に影響を与えます。こうしたフィードバック・ループによって、《Autonomous Forest》は本質的にポスト・デジタルな作品となるのです。

Deborah Tchoudjinoff – The City of Gold / The City of Coal

Primavera De Filippi – Arborithms

Kazuhiro Tanimoto 正直なところ、私はこれまでオンラインで作品を公開することが多かったので、物理空間での鑑賞を意識してきませんでした。今回の展示で光学レンズを用いたのは、セルオートマトンの多様な動きを拡大して観察するのが単純に面白かったからです。もともと私は、自然現象のような、細部で複雑な変化を続けるものをじっくり観察することが好きです。レンズを覗き込むという行為を通して、鑑賞者にもそのような観察の楽しさをそのまま感じてもらえればと思いました。

Matt DesLauriers コードやデジタルメディアを扱うアーティストとして、オンラインとオフラインを横断する作品を制作することは、とても自然なことだと感じています。私は、単一のイメージを作ったり、特定のツールやメディアに依存したりするよりも、さまざまな形で実現可能なシステムやアルゴリズムを構築することに関心があります。《Latent Dispatch》のために制作したシステムは、現在一般的なAIツールの多くとは異なり、画像やピクセルを生成しません。その代わりに、「帆船」や「蝶」といった抽象的な概念を、いくつかの大きな弧と流れるようなジェスチャーからなる、一本の連続した線へと凝縮しています。

Helen Knowles 《Trust the Medicine》のインスタレーションは、サイケデリックな統合グループが持つ円環的な構造を反映しています。視覚的・音響的に非人間的存在を具体化すると同時に、テキストチャットを通じて、鑑賞者がそれらの存在と直接やり取りできるようにしています。物質的な空間とオンライン空間が織り合わされている点は、私にとってとても現実的に感じられます。どちらか一方ではなく、両者が同時に機能することが重要だと考えています。

Gretchen Andrew 《Facetune Portraits》は、デジタルなプロセスが物理的な世界へと戻ってきたときに、何が起こるのかを問う作品です。このシリーズでは、アルゴリズムによる補正が、スクリーンの中で不可視のまま作動している現実に正面から向き合っています。デジタルな改変を、生々しく傷ついた表面として物質化することで、この作品は、私たちの身体が重要であることを強く主張します。人間の身体はスクリーンの外にも確かに存在しており、痛みや老い、死と切り離すことはできません。普段はデバイスの中で見えなくなっているものが、ここでは可視化され、対峙すべき現実として立ち現れます。

メディアと現実の関係について、どのように考えていますか?

Yoshi Sodeoka 私にとって、メディアは現実の一部です。デジタルイメージは私たちの世界の見方を形づくりますし、同時に、世界そのものもデジタルな美学を形づくっています。その循環を探ることに関心があります。シミュレーションのほうが現実よりも現実的に感じられることもありますし、自然がアルゴリズムのように振る舞うこともあります。メディアは、私たちが普段あまり意識していないパターンや構造を浮かび上がらせてくれる存在だと思っています。

Libby Heaney 私は、物理的なものとデジタルなもののあいだに人工的な境界を設けることがあまり好きではありません。私にとって、メディアはそのまま現実です。ただ、量子の訓練を受けてきた立場から言えば、そもそも私たちが経験している現実自体が、一種の幻影であるとも言えます。

Deborah Tchoudjinoff 私にとって、メディアと現実の関係は対話のようなものです。メディアは現実を反映するだけでなく、別の現実を明らかにすることもあります。メディアを使うことで、たとえば重力のルールのように、いまここに根ざしていないアイデアや可能性を自由に探究できると感じています。

Gretchen Andrew メディアは現実から切り離されたものではなく、現実を生み出すものだと思います。美の基準やセレブリティ文化は、これまでも私たちが「どう見えるべきか」という期待を形づくってきました。現在の大きな変化の一つは、AIが生成する単一の美の理想が急速にグローバルに広がるなかで、セレブの画像やデジタル的・外科的に加工された身体が、私たち自身や友人の写真と同じ視覚的な文脈に並んで現れるようになったことです。Instagramをスクロールしていると、自分の写真の次にキム・カーダシアンが現れ、その次にFacetuneされたインフルエンサーが表示される。この圧縮と分離の欠如が、「自分もそうでなければならない」という圧力を強めていると感じています。

Gretchen Andrew – Facetune Portraits – Universal Beauty (Japan, Korea)

Matt DesLauriers – Latent Dispatch

Kazuhiro Tanimoto 「現実」を物理的現実として捉えるなら、メディアはその構成要素の一つに過ぎません。一方で、人間や自然もまた、遺伝情報や知識を運ぶメディアだと考えることができます。情報を作り出したり認識したりする生命のようなメディアは、その他のメディアと多層的かつ複雑に作用し合いながら、主観的現実=認識を形成し、同時に自身の活動も変化させます。そしてその変化は、最終的には物理的現実にも影響を及ぼします。つまりメディアは、物理的現実の外側からそれを操作したり映し出したりする存在ではなく、物理的現実=世界の内部で情報と振る舞いの循環を生み出す一要素として働き、その循環の結果として、物理的現実そのものを変化させていくものだと考えています。

Helen Knowles 私にとって、メディアと現実は、終わりなく互いに影響を与え合う関係にあります。

Matt DesLauriers 特にオンラインメディアは、企業の利害、アルゴリズムによるフィード、ビッグデータ、エンゲージメントを狙った仕組みなど、さまざまな不透明なプロセスによって形づくられた、重なり合う現実の構築物だと感じています。現在の大規模なAIモデルは、現実とメディアのフィードバック・ループが極点に達している状態を示しています。機械生成の出力をもとに学習が重ねられることで、現実が浅い平均値へと圧縮されてしまうリスクがあります。こうしたシステムを分解し、再文脈化し、作り替えることで、アーティストはその問題を可視化し、均質化とは異なる方向へと流れを変える可能性を持っていると思います。

terra0 ここでは二つの問いが強く響いているように感じます。一つは、「特定のメディアと現実はどのような関係にあるのか」という問い。もう一つは、「メディア的な現実と社会のあいだには、どのような相互作用が生じるのか」という問いです。メディア哲学者のヴィレム・フルッサーやフリードリヒ・キットラーに従えば、現実とメディアの規定関係は逆転します。フルッサーにとって、現実はメディアから立ち上がるものですし、キットラーはそれを準唯物論的に読み替え、「メディアが私たちの状況を規定する」と述べています。「意味」とは、信号処理を説明するための人文主義的幻想にすぎません。これは、今日のAI言説にも見られる、ある種の目的論的思考の終焉を示しています。アルチュセールの「過剰決定」という概念を用いれば、メディアは社会的な生成過程に形づくられている一方で、その効果は常に偶発的である、と整理することができるでしょう。

Primavera De Filippi 私にとって、メディアは現実を表象する手段ではなく、新しい現実を生成する手段です。私の制作では、テクノロジーを単なる道具としてではなく、新しい生命形態が生まれうる環境として捉えることで、どのような生が可能になるのかを探っています。ブロックチェーンは、合成生命が立ち上がるための興味深い基盤だと思っています。《Arborithms》は、有機的な樹木の交配に着想を得ていますが、物理的現実を模倣しているわけではありません。デジタルな樹木が、経済的インセンティブを通じて人間に繁殖を促すという、これまで存在しなかった現実を生み出しています。そういう意味で、《Arborithms》は現実の拡張そのものだと考えています。

西村佳哲(Sensorium) sensoriumで活動していた当時、社会全体が「二次情報」で埋め尽くされているように感じていました。テレビや新聞で流れるニュースや、誰かが話した出来事、そういうものばかりが増えて、自分の目で世界を見ていない。読み応えのあるアウトドア雑誌が多くて、実際にアウトドアに行かないような。スマホやSNSが普及して、社会を囲んでいる壁はさらに高く厚くなっていった。だからこそ、インターネットで「壁に窓を開ける」ようなことができないか、と考えたんです。遠くの世界を、ほんの小さな穴からでも直接感じられるような。一次情報ではないけれど、二次情報にも落とさない。その間にある「1.5次情報」くらい。sensoriumで考えたのは、なるべく生のまま世界を感じられる仕組みでした

RIGHT CLICK SAVE
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開催期間:2025/12/5 _ 2025/12/21 月, 火, 祝日は終日休館
アクセス:東京都中央区日本橋馬喰町2-2-14 maruka 3F

https://two.neort.io/ja/exhibitions/patterns_of_entanglement

Gretchen Andrew
Gretchen Andrewは、アートとテクノロジーを通じて権力構造を操作する画家でありハッカーである。彼女の独自の実践は、Googleでの勤務経験と、画家Billy Childishに師事した正式な絵画修業に由来している。伝統的な油彩技法と情報システムや新興技術を融合させることで知られ、デジタル時代における「美」「影響力」「権威」を形成する構造を批判的に問い直し、操作するために、さまざまなメディアを横断して活動している。彼女の代表的シリーズ《Facetune Portraits》では、美学・AI・アルゴリズムによる可視性の交錯を探究している。初期には、検索エンジン操作を用いたインターネット介入的作品やコンセプチュアルな実践によって注目を集めたが、批評的・制度的評価を確立したのは、古典的絵画技法とデジタル的転倒(subversion)を融合させた独自の手法によるものである。2025年には、アメリカン・ホイットニー美術館が《Facetune Portraits》シリーズから2点を永久収蔵作品として取得し、美術館委員会による全会一致の支持を受けた。

Matt DesLauriers
Matt DesLauriersは、カナダ出身で現在ロンドンを拠点に活動するアーティストであり、その作品はジェネラティブ・アート、アルゴリズム、そして創発的システムを主題としている。彼のジェネラティブ作品はロサンゼルス郡立美術館(LACMA)の永久収蔵品となっており、これまでにSomerset House、Paris Photo、MoCA Taipei、Art Baselなど、国際的に幅広く展示されている。DesLauriersはオープンソース・コミュニティに積極的に関わっており、ワークショップや講義など教育活動も盛んに行っている。特にロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ(UCL)バートレット建築大学院において、修士課程の「クリエイティブ・コーディング」モジュールの指導を担当している。

Primavera De Filippi
Primavera De Filippiは、ハーバード大学のアーティストであり法学者として、アート・法律・テクノロジーの交差領域を探求している。特にブロックチェーン技術や人工知能(AI)がもたらす法的・政治的な含意に焦点を当てている。彼女の芸術実践は、研究から得られた主要な洞察を物理世界に具現化するものであり、暗号通貨によって「餌を与えられる」ことで進化し自己増殖する、ブロックチェーンを基盤とした生命体を創造している。彼女の作品は世界各地の美術館・ギャラリー・アートフェアで展示されている。

Libby Heaney
Libby Heaney博士は、労働者階級出身の受賞歴をもつアーティストであり、量子科学の博士号および専門的な研究経歴をもつ。量子コンピューティングを実際の芸術的メディウムとして用いた世界初のアーティストである。その作品実践は、量子物理学に内在する非二元的でハイブリッドな概念、そして非線形的な時間性を探求するものである。彼女は、VR(仮想現実)、ビデオゲーム、映像、水彩、ガラス、そして近年では公共彫刻といった多様なメディアを、AIや量子コンピューティングのような最先端技術と組み合わせている。有機的なもの、機械的なもの、人間的なものを横断しながら、彼女の実践は「量子的な不合理の魔術」を通じて、個と集合の可能性を拡張することを試みている。同時に、資本主義的テクノロジー利用への批評的なクィア化を行っている。

Helen Knowles
Helen Knowles(1975年生)は、拡張的な映像表現を扱うアーティストである。彼女の実践は、非物質性と生命の交差領域を探り、テクノロジー、AI、非人間的存在をめぐる責任・自律・倫理の問題に焦点を当てている。彼女は、地球的(プラネタリー)視点からデジタル世界を考察し、先住民族コミュニティ、医師、科学者、法律家、暗号技術専門家、受刑者など、さまざまな協働者とともに活動している。彼女のパフォーマンスや映像作品は、言説がもつ関係的・生成的な性質に焦点を当てている。また、「バース・ライツ・コレクション(Birth Rites Collection)」のキュレーターでもあり、このコレクションは現在ケント大学に所蔵されている。

sensorium
sensoriumは、インターネット1996ワールドエキスポジションの日本ゾーン・テーマパビリオンとして1996年1月1日にウェブ上で公開されたプロジェクト。会期終了後もsensorium.orgに発表場所を移し活動を継続したが、現在は活動を終了。「全地球を覆う神経網としてのインターネットの可能性を拡張し、生きた世界を感じるしくみをつくること」をコンセプトに活動を行った。メンバーは竹村真一、西村佳哲、東泉一郎、島田卓也、江渡浩一郎らを中心に、文化人類学者、デザイナー、プログラマー、音楽家など多彩な職種から構成され、プロジェクトごとに小規模なチームで制作を行った。1997年、アルスエレクトロニカ賞.net部門Golden Nicaを受賞。

Yoshi Sodeoka
Yoshi Sodeokaは、ビデオ、GIF、プリントなど、様々なメディアとプラットフォームを革新的に探求することで知られるアーティスト。彼のネオサイケデリックなスタイルは、音楽への深い愛情を持つそのバックグラウンドを直接的に反映している。ノイズ、パンク、メタル、プログレッシブロックといった音楽文化からインスピレーションを得て、彼は複雑で意識を変容させるビジュアルを包含する独自の芸術的ビジョンを確立してきた。横浜で生まれ育ち、1990年代にアートへの情熱を追求するためニューヨークに移住。プラット・インスティテュートに入学。それ以来、彼はニューヨークを拠点とし、同市の活気あるアートシーンにおいて強固な存在感を確立している。

Kazuhiro Tanimoto
Kazuhiro Tanimotoは、ジェネラティブアーティストであり素材の研究開発に携わる化学者である。彼は、コンピュータが持つ独自の計算能力を用いて、物質とデジタル、永続と儚さ、科学と芸術を融合させる表現を探求している。コードによって生み出される視聴覚的な表現を主な焦点とし、テクノロジー・自然・人間の心のあいだにある関係性を探る実践を行っている。

Deborah Tchoudjinoff
Deborah Tchoudjinoffは、映像と彫刻という二つのメディアを横断して活動しており、作品はしばしばインスタレーションの形で発表される。彼女の関心は、作品制作における「物質的アプローチ」と「デジタル的アプローチ」との対話に向けられており、作品の美学は「ワールドビルディング(世界構築)」や「フィクションの生成方法」への探求プロセスの中から立ち現れる。彼女は異世界的、霊的、想像的なビジュアル・モチーフから強く影響を受けており、しばしば概念的な枠組みから制作を始め、素材的・視覚的な実験を通じて作品の形態を見い出していく。金属、木材、拾得物などを用いて静的または動的な彫刻を制作してきたほか、映像作品では多様なデジタル技術を用いている。彼女の実践は、時間性と想像力におけるテクノロジーの役割への好奇心に支えられている。

terra0
アート・コレクティブterra0は、さまざまなプロジェクトを通じて「経済」と「生態」がいかに絡み合うかを探求している。2015年の結成以来、terra0は生態系そのものが経済的主体となりうる可能性を研究し、集合的所有という概念に取り組んできた。彼らの初期作品《terra0 whitepaper》(2016)は、センサーとスマートコントラクトを用いて自ら伐採許可を販売し、最終的に資本を蓄積する「自己運用型の森」という構想を提示した。その後の作品群は、このホワイトペーパーで提起された理念を再検討・発展させ、新たな所有形態を支える新興技術の可能性、そしてそこから生じる多様なエージェンシー(主体性)のあり方を中心に据えている。今日に至るまでterra0の実践は、文化と法における自律性と主体性の問題、新たな所有の分配構造、市場資本主義の内外における自然界への眼差しといった問いを提起し続けている。