MASSAGE MONTHLY REVIEW 7-8
現行リリースの作品の広大な大海原から、7~8月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
現行リリースの作品の広大な大海原から、7~8月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
夜、帰りに特にこれといって目的はなく立ち寄った本屋やコンビニエンスストアでぼんやりした時間を過ごす。旅行中、滞在先へと帰る途中で開いているお店に入って、見たことがないパッケージが並ぶ棚を眺める。暗い夜の景色の中で光を放つお店にはいつでも安心感と高揚感がある。その光の中に入ると、わずかながらも確実にわいてくるわくわくした気持ちに乗せられて、ついいらないものまで買ってしまうのも常だけれど、あとで「別にいらなかったな」と思うところまでがそのわくわくの中には含まれているのだろう。Donor Lensの『Midnight Store』には、アートワークからしてすでにその空気が漂っている。扉を開けたところにあるのは、よく知っている(知っていた)日常や知らない人しかいないところにぽつんと存在している自分という非日常。深夜のお店には豊かさがあると思う、特に今は。
ビートメーカー、プロデューサーの荒井優作による、2015年頃に制作された作品を集めたアルバム。友人との会話のサンプルやフィールドレコーディングした音源を使用しながら、温かみを持ったメロディが連ねられていく。次々と立ち現れてくるくぐもった断片的な音像は、親密な空気を感じさせる抽象的な世界を緩やかに描き出す。遠くではなく、近くの世界にある、わたしたちに隣接する世界の不確かなゆらぎ。日常にまとわりつく幻想的なアトモスフィアが、緩やかに湯気のように立ち上がる。2015年の静かに炸裂するラディカルな空気感も伝える作品。ジャッケットは画家の箕浦建太郎、マスタリングを研究者の土井樹が担当するなど刺激的な布陣となっている。
Fah Bo Kan Kue Wa Hang Kan(壁が私たちを引き離す)
「私たち」は誰なのか?
タイはイサーン地方のモーラム歌手であるPatiwat Saraiyam (Bank)の背景を紐解くと、モーラムの可能性を信じ、歌手として歌い続けようと決意した出来事が浮かび上がる。タイの政治情勢が不安定だった2013年。役者として出演した劇「Wolf Bride」が後に不敬罪に当たると逮捕され、2年6ヶ月にわたって囚われの身となった。その後隣国へ亡命し、現在はモーラムの歌手として精力的に活動している。本作は、Patiwat Saraiyam (Bank)の歌声と伝統的な民族楽器の美しい倍音が、穏やかでノスタルジックな情景を描く一方で、ファニーな電子音が情景を歪ませ、徐々に奇妙な世界観へと変えていく。モーラムにおける「私たち」は恋人なのかもしれないが、本作の「私たち」は、彼自身の運命なのかもしれない。マスタリングとアートワークPisitakun。ジャケットが本作の奇妙な世界観を鮮やかに映し出している。
本作は、2020年3月にリリースされたCommand + V1の第二弾となる作品で、今回はフィリピン在住 Similarobjectsの未発表曲とブラジル在住 THNGMJXの作品による二曲構成となっている。怪しい暗闇。湿度高く空気がこもった地下のような怪しい雰囲気。どこまでも続く暗闇を熱を帯びた大小異なる金属音と電子音が自由に弾け飛ぶ。ふっと冷やかな微笑みを浮かべたかと思うと、金属音の群れは加速しながらさらに熱を帯び、暗闇をまっすぐ一気に駆け抜けていく。
Trothは、オーストラリアのニューカッスルを拠点に活動する、Amelia BessenyとCooper Bowmanにより結成されたデュオ。本作品は、ニューサウスウェールズ州のウィルソン山に滞在した4週間の間に制作された作品である。2019年後半から2020年前半、その周辺地域はオーストラリアで引き起こされた史上最大の山火事により、壊滅的な被害を被った。Trothは、再び芽を吹き始めた自然に目を向け、その悲劇と回復への祝福を行うことを決意する。そのため、実験的なフォークトラックを制作することにしたのだという。鳥のさえずりや、ピアノの音色、囁くように歌われたボーカルから、ミニマルにストイックな音色を奏でる電子音まで、生命感にあふれるサウンドが静かに響き渡る。民族的な楽曲の中に、牧歌的なポップさが潜む、力強さを持った作品。売上の一部は、Firesticks(先住民族の消防活動と知識を支援する組織)とWIRES(森林火災の影響を受けた地域での動物のリハビリと保護を行う組織)に寄付される。