MASSAGE MONTHLY REVIEW – 9
MASSAGE&ゲストで、9月の音楽リリースをふり返る。
現行リリースの作品の広大な大海原から、9月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
現行リリースの作品の広大な大海原から、9月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
Sun Arawのレーベル〈Sun Ark/Drag City〉からリリースされた食品まつりのアルバム。JUKEをルーツとしながらも、既成のフォーマットに囚われない隙間の多いスカスカしたリズムやエレクトロニックでカラフルな音色は、極めて自由奔放なフリーキーさを持ちながら、その佇まいにはいつも不思議な普通さが宿っている。アルバムを聴き進めるに従い、サイケデリックな独特の風情を持つ音の感触はまろやかになり、匿名の心地よさのなかに溶けていく。既視感も未視感も、陳腐さも前衛も、ノスタルジーも未来への憧憬もすべてを独特の懐の深さで包み込んでしまう。この奇妙で予想のつかない音の動きの奥には、日常にあるユートピアが広がっている。めちゃくちゃひねくれているのに、こんなストレートな楽しさに貫かれた音楽はほかにはない。
Sean McCannの新作『Saccharine Scores』が、自身が運営するレーベルRecitalよりリリース。
ストックホルムのアート施設フィルキンゲンで演奏された表題曲のライブ音源ほか、新/既存の全4曲が収録されています。
またCDに付随するブックレットには、それぞれの曲にまつわるリーディングテキストやスコア、本人による解説やイラスト、演奏写真などがたっぷり掲載されており、彼のコンポジションをより深く知ることができる内容です。
約26分の長さから成る新曲『Saccharine Scores』は、実験音楽家John Chantlerが主催するフェスティバルでのパフォーマンスのために作曲されたもので、管楽器やコントラバス、ピアノなどのパートを含む10人の演奏者によってテキストのリーディングと楽器の演奏が行われながら、両者が混合していくという構成です。全体を統一する定まったリズムはなく、プレイヤーが与えられたテキストをそれぞれが好きなタイミングで読みあげ、次に楽器の演奏に移行し、またテキストの読みあげに戻る、という流れを繰り返し、その比重がテキストから演奏へと徐々に変移していくように指示されています。
休止や空間的な余白を強調しつつ、非常にゆったりとした速度で描かれる各々の音のラインは、抽象と具体の狭間を行きかうようにして鮮やかな色彩を帯び、そしてその色彩はまた次の色彩へとって代わられていきます。そんな様々な色が混濁しながら形成される全体のハーモニクスは、束ねられた「持続」を稼働として、絶えず変化を続け、また偶発的な生成を続けていきます。「動く」ことによってはからずも「結ばれていく」、そんな状態としての美しさが、この曲には意図されずに現れていると思います。レコーディング音源版もぜひ出してほしい。
〈Orange Milk〉主宰のSeth Grahamのツアーに帯同し、日本のオーディエンスをその特異なアンビエント空間で包み込んだNico Niquo。友人のju caとCorinがスタートさせた新しいレーベル〈Daisart〉から発売された、彼の作曲とアンビエントミュージックの進化について書かれた書籍付きの新作レコードである。フィーチャーされているサックスは幼馴染だというJared Backerによるもの。ECMレコードなどのジャズに影響を受けたという楽曲は、ジャズの手法をアンビエントミュージックの文脈から昇華したような、ユニークな内容。鉱石のように硬質で、繊細な緊張感のある響きに貫かれている。眩しいほど澄んだ厳かな美を作り出している音の佇まいは、この世のどこからも隔絶された世界をくっきりと浮かび上がらせる。そこに流れる特異な時間感覚の持つ圧倒的な贅沢さは、おそらく現代のアンビエントミュージックの最良の成果といえるだろう。その作品の背景は、AVYSSマガジンによるNico Niquoのインタビューで詳しく知ることができる。
何かを好きになる時、その理由が比較的明確にわかることもあれば、なんだかわからないけど好きだと思うこともある。たまたま聴いた10分にも満たないこの作品は明らかに後者だ。好きというほどにもはっきりしていなくて、なんとなく気になるとでも言ったほうがいいかもしれない。けれど、初めて聴いた時は手を止めて最後まで聴いてしまったし、その後もついつい再生ボタンを押してしまう。そこにあるのは、誰も知っている人がいない雑踏に身を置くような心地良さ、それでいて暑かったり寒かったり風に吹かれたり雨に濡れたりすることもない安心感、意味とか別に考えなくてもいいのかもしれないという安堵感。「あともう少しここにいたら、立ち上がっていくことにしよう。ずっとここに座ってはいられない」 そう言われているみたいに音はとうとつに切れた。
アテネを拠点とするDimitris Papadatosによる、既発のリリースをまとめた編集盤である。彼自身がその名前で示しているように、一言で表すならばダブの作品である。しかし、これはあなたが聴いたことのないダブかもしれない。
「ダブ」とは音楽のジャンルであり、音を処理する手法でもある。JGDの作品は、主にその後者に寄っているものだ。1曲目のTemple Dubを聴くと驚くのは、リズムが3拍子である点でレゲエとは異なる構造を持っているところだ。その音の質感もレゲエよりも、耽美的でゴシックなものである。音の質感から想起されるものはたとえばDead Can Danceのような圧倒的に日陰の、そして暗闇のもつ美しさを描く世界であり、ザラザラとした触感、そして硬い音はポスト・パンク的ともいえる。しかし、音楽的な構造を理解しながらも耳をゆだねているうちにそこで鳴っているものは一言で「ダブ」だと感じるようなものだ。ダブ処理だけでこのように音がなるのだろうかと驚かされる。アルバムは3曲目で曲がり角にぶつかる。ダブ処理された音として目立つのはスネアぐらいのもので、硬く暗い音で幕を開けならがもゆっくりと柔らかいエレクトロニカへと移っていく。しかし、4曲目からは明るく、レゲエに寄ったダブの世界へと移り、ラストの5曲目Fealess Dubは1曲目と同じ3拍子に戻る。音の質感は決して派手な音はなく、チープな部分もある。音質の点ではTapesなど様々に広がるダブの世界とも繋がるように思える。
全体を通して改めて形容するならば、まるで埃まみれのDead Can Danceのアルバムを倉庫から引っ張り出してダビングしたテープを再生したような作品であり、レゲエのファンからは見向きもされないかもしれない。しかし手法を小手先だけの音色のために使うような安いものではなく、過去を引き離すような独創性がある。それは様々な種類の音をそれぞれダブ処理し、ゴシックな流れの中でまとめ上げる彼の手法がなすものである。1970年代に生まれたポスト・パンクは21世紀になってもリバイバルを経て、息が長いのかもしくは死んだまま動かされているのかわからない状況と言えるかもしれない。Jay Glass Dubsをポスト・パンクの系譜に連なるものと言えるのならば、単なるリバイバルではないのだ。装飾ではなく、手法としてのダブによるラディカルな「ダブ」なのである。レゲエとポスト・パンクの邂逅は何十年も前にあったわけだが、その徹底的にラディカルである姿勢は確かにポスト・パンクのそれに近いかもしれない。