アテネを拠点とするDimitris Papadatosによる、既発のリリースをまとめた編集盤である。彼自身がその名前で示しているように、一言で表すならばダブの作品である。しかし、これはあなたが聴いたことのないダブかもしれない。
「ダブ」とは音楽のジャンルであり、音を処理する手法でもある。JGDの作品は、主にその後者に寄っているものだ。1曲目のTemple Dubを聴くと驚くのは、リズムが3拍子である点でレゲエとは異なる構造を持っているところだ。その音の質感もレゲエよりも、耽美的でゴシックなものである。音の質感から想起されるものはたとえばDead Can Danceのような圧倒的に日陰の、そして暗闇のもつ美しさを描く世界であり、ザラザラとした触感、そして硬い音はポスト・パンク的ともいえる。しかし、音楽的な構造を理解しながらも耳をゆだねているうちにそこで鳴っているものは一言で「ダブ」だと感じるようなものだ。ダブ処理だけでこのように音がなるのだろうかと驚かされる。アルバムは3曲目で曲がり角にぶつかる。ダブ処理された音として目立つのはスネアぐらいのもので、硬く暗い音で幕を開けならがもゆっくりと柔らかいエレクトロニカへと移っていく。しかし、4曲目からは明るく、レゲエに寄ったダブの世界へと移り、ラストの5曲目Fealess Dubは1曲目と同じ3拍子に戻る。音の質感は決して派手な音はなく、チープな部分もある。音質の点ではTapesなど様々に広がるダブの世界とも繋がるように思える。
全体を通して改めて形容するならば、まるで埃まみれのDead Can Danceのアルバムを倉庫から引っ張り出してダビングしたテープを再生したような作品であり、レゲエのファンからは見向きもされないかもしれない。しかし手法を小手先だけの音色のために使うような安いものではなく、過去を引き離すような独創性がある。それは様々な種類の音をそれぞれダブ処理し、ゴシックな流れの中でまとめ上げる彼の手法がなすものである。1970年代に生まれたポスト・パンクは21世紀になってもリバイバルを経て、息が長いのかもしくは死んだまま動かされているのかわからない状況と言えるかもしれない。Jay Glass Dubsをポスト・パンクの系譜に連なるものと言えるのならば、単なるリバイバルではないのだ。装飾ではなく、手法としてのダブによるラディカルな「ダブ」なのである。レゲエとポスト・パンクの邂逅は何十年も前にあったわけだが、その徹底的にラディカルである姿勢は確かにポスト・パンクのそれに近いかもしれない。