2024年11月、アーティスト0xFFFによって企画・キュレーションされた、世界初のスマートコントラクト上の展覧会「World Computer Sculpture Garden」が発表された。これはイーサリアム(Ethereum)のメインネット上に展開された作品群を一挙に見せるものであり、タイトルにはワールドコンピュータすなわちEthereumを、時間とともに変化し続ける計算芸術作品の庭(Sculpture Garden)に見立てるというMathcastlesの0x113dによって提唱されたメタファーが含まれている。
この展覧会は物理的なギャラリーを持たず、Ethereumメインネット上のスマートコントラクト(0x2a362fF002f7ce62D3468509dD2A4a9f5A8EBBb0)そのものが展示空間として機能する。作品の鑑賞に使われるウェブサイトは単なるインターフェイスにすぎず、展示の情報はすべてブロックチェーン上に記録され、イーサリアムが稼働する限り永続する。このコンセプト自体が、従来の美術展示とは異なる、いわゆる「プロトコルアート」の実践として提案されている。
2025年1月、東京のNEORT++で開催されたミートアップでは、0xFFF自身が、プロトコルアートという新たな美術運動についての考察を交えながら、展示の構造や、その背景などについて解説。参加者たちとその新しいアートのあり方について、議論を交わした。
このミートアップは、展示に参加した7人のアーティストに送ったという招待文を0xFFFが読み上げるところから幕を開ける。
数々の動き続ける彫刻の庭へ、あなたを招待する。ここは誰にでも開かれた場所。これはホワイトキューブ的なVRレプリカ空間を超え、新たなアートを“ミイラ化”する力を無視するための後押しだ。思い切って挑戦しよう。商業化への呼びかけを退け、この耐久性があり分散的かつ計算可能な基盤を、美的・詩的・哲学的・実践的な探究のためのキャンバスとして再考してほしい。驚きに開かれ、歓びに開かれ、意図的に規格外であることを受け入れる。ようこそ、World Computer Sculpture Gardenへ。
パフォーマンスアートとスマートコントラクトアート
World Computer Sculpture Gardenのサイトを訪れると、白地に等幅フォントのテキスト情報が表示されるだけで、画像や派手なビジュアルは一切ない。視覚的な要素を削ぎ落とし、コンセプトを前面に押し出す在り方について、キュレーター/研究者のmaltefrは、序文エッセイで以下のように述べている。
プロトコルアート全般、そしてとりわけ「World Computer Sculpture Garden」は、デュシャンに端を発し、コンセプチュアルアートにまで連なる反網膜的な伝統を受け継いでいる。「アイデアが芸術を生み出す機械となる」。ここでの芸術体験はもはや感覚的知覚(aisthesis)ではなく、むしろ概念的な想像力である。この展示に出品された作品群は、マーケットで視覚イメージを受動的に消費する存在としてではなく、ソフトウェアに精通し、作品とインタラクションし探求することに好奇心を抱く能動的なエージェントとしての鑑賞者に向けられている。
World Computer Sculpture Gardenは、いわゆるERC-20やERC-721といった既存のトークン標準に依存せず、独自のスマートコントラクトを用いて作品や展示のルールを再構築する試みでもある。例えば作品の売買ではなく、「花を植える」という手続きを通じてETHの寄付を促す試みを行なっている。その収益がアーティストたちに分配されるわけだが、そこには来訪者がサイトにゲストブックのように記録を残すような、古いネット文化の感触がある。ネットアートの時代の緩やかな参加型空間と言ってよいかもしれない。
参加しているのは、0xhaiku、0x113d、Loucas Braconnier、Material Protocol Arts、Sarah Friend、Paul Seidler、そしてRhea Myers。オンチェーンアートの第一線で活躍するアーティストたちである。各作家の作品はスマートコントラクトとして展開され、鑑賞者はEthereumのブロックエクスプローラーや専用サイトを通じてそれらにアクセスできる。
特筆すべき点は、キュレーションと展示のプロセス自体がスマートコントラクトによって制御されるという「展覧会の仕組み」そのものである。たとえば、新たな作品の追加や状態の変更はコントラクトを介して行われ、すべての履歴がブロックチェーン上に記録される。これは、美術史上前例のない透明性の高い展示形態であり、「永遠に動き続ける美術館」とも言える。
この展覧会を作り上げた0xFFFは、極限まで視覚要素を排したオンチェーンジェネラティブアート、例えば異なるブロックチェーン間をブリッジ移動することで図形が変化する作品「You Are Here」や、トークンの転送条件によって終わりなきToDoリストが更新され続ける作品「Honest Work」など、「コードそのものがアートである」ことを体現する作品を発表し続けている。出品こそしていないものの、今回の展示はワールドコンピューターであるイーサリアムの可能性を探求するその彼の最新作であると言える。
プレゼンテーションでは、アーティストたちの寄稿による紙上の展覧会「Xerox Book」(1968)や、カレンダーにパフォーマンスの日時を登録し、指定日時に「実行」する形で作品を成立させる試みなどが取り上げられた。時間や場所、参加者の存在そのものを作品要素として組み込み、実施された瞬間がアートになる——60年代は、そういった手法が盛んに行われた時期でもある。
60年代のパフォーマンスアートは「作品を特定の物理空間や物質へ固定せず、日時や参加者の行為そのものを中核に据えた」点が特徴的だった。World Computer Sculpture Gardenもまた、物理的なギャラリーに依存せず、スマートコントラクトという「行為と記録」の場を中心に据えている。こうした形式は「紙上の展覧会」や「カレンダー型パフォーマンス」の現代版とも言える。World Computer Sculpture Gardenはコンセプチュアルアートの流れをオンチェーン上で再解釈する試みと言えるかもしれない。
プロトコルアートとは何か
この展示に際してmaltefrは、序文エッセイ「Computation in the Expanded Field」を執筆し、プロトコルアートの定義と理論的背景を提示した。彼はまず、この新たな作品群が「オンチェーンアート」「ランタイムアート」「ブロックチェーンネイティブアート」など様々に呼ばれてきたことを踏まえ、その新しいアートの形を「プロトコルアート」と呼ぶことを提案する。その理由として、これらのアーティストたちが何よりも「計算環境を先立って規定する基本構造や規則」への関心を共有している点を挙げた。つまり、プロトコルアートとは創作に先行し、その可能な範囲を決定づける「プロトコル」の探究なのである。
またプロトコルアートの先駆者としては、アーティストで法学者のPrimavera De Filippiがいる。彼女は2015年にクリプトで自律的に成長・繁殖する機械の花「Plantoid」を発表し、その後、プロセス重視・参加型の枠組みとして「プロトコリズム(Protocolism)」という概念を提唱した。プロトコリズムとは、作品そのものではなく、その背後にあるルールや手順(プロトコル)を芸術の媒体・素材とするアプローチを指す。それは「オープンかつ集合的な共創」を可能にする枠組みであり、従来はコピーや模倣と見なされ否定的に捉えられた作品の複製さえも、プロトコルに基づく発展的な「共同生産(co-production)」の一部だとする。
プロトコル主義は、「芸術的プロトコル」の作成を中心に展開する。これらのプロトコルは、ユニークな芸術作品の制作を導くために細心の注意を払って作成された一連の指示と制約で構成されている。これらのプロトコルは、アーティスト(つまりプロトコル アーティスト)と、これらのプロトコルを具体化して明確な芸術作品とみなされる具体的な作品にするさまざまな実行者 (人間と非人間の両方) の間の橋渡しとして機能する。
「プロトコル主義: AI 時代のアートの進化」Primavera De Filippi
プロトコルアートのアーティストたちは、技術的制約の集合そのものを新たな造形素材に見立てる。そしてインターネット時代の次段階として、ブロックチェーンというインフラを新たなアートのメディウムとみなす。その作品は鑑賞者に対し、プログラムやプロトコルの存在を意識させるメタ的な体験を提供する。さらにこのアプローチでは、鑑賞者も単なる傍観者ではなく、ネット越しの操作や寄付を通じて作品の変化に関与する一部となる。つまり、作品それ自体が作者と観客を結ぶ規則体系として機能するのである。視覚表現を切り詰めスマートコントラクト上の動作に専心する0xFFFの作品群などはその典型であり、World Computer Sculpture Gardenは、その散在していたプロトコルアートのシーンを適切に文脈化する包括的試みである。
その一方で、0xFFF自身は、言葉の厳密な定義よりも「まず作品を眺めて考える時間を持つこと」が肝要だと語る。World Computer Sculpture Gardenの持つ静かな佇まいには、マーケットに依存しない実験や批評を共有し合う「静かな対話の場」を築くという意図があるように思われる。
アーティストの立場で言うと、最近ようやく『自分が本当に関心を持っているのはコンピュテーションそのものだ』と気づいて、“計算”という文脈を中心に作品を作り始めました。それまではアートの世界にいても、しっくりこない部分があったんです。そしてようやく「ここなんだ」と気がつきました。展示を通じて、自分も含めたアーティストがマーケットに縛られずに、自分たちの文脈で作品を見せられる場所を確保したかったんです。(0xFFF)
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ここからは、World Computer Sculpture Gardenの出展作品について解説する。サイトを訪れて、ぜひその新しいアートの形を体験してみてほしい。
0xhaiku – Echoes
無限に続く詩をブロックチェーン上で共同創作する作品。アーティストがあらかじめ選定した限られた単語だけを使うという制約の下、誰もがトランザクションを送ることでその単語を詩に追加できる。参加者全員で詩を紡ぐ、常に生成途上にあるコラボレーション作品。
hehehe
出展作品中もっともミニマルで謎めいた作品。ウェブサイト上ではタイトル以外に「hehehe」という笑い声のようなテキストが表示されるのみで、明示的な解説はない 。一見すると単調な文字列の羅列を表示するだけの作品に映る。しかし、その背後には「作品をどのように認識し、どのようなインタラクションを通して活性化されるのか」という問いが潜んでいる。あらかじめ用意された特定の操作方法は存在せず、ウェブページを更新するだけでほんの微細な変化が作品の一部として生成される。
実際、スマートコントラクトにメッセージを送るとき、そこに書き込まれる単語は技術的にはとるに足らないものである。だが、この“何も興味深くない”ように見える情報が連鎖することで、作品全体の流れが生み出されるという。「hehehe」の本質は、こうした“相互参照”や“共有通信”と呼ばれる状態に支えられている。複数の作品が互いを引用したり、別の契約を取り込んだりすることで、長期的にコラボレーションを続ける下地が形成される。アーティストの0x113dは、これを「Extimacy(親密性)」という概念で説明しており、作品そのものを自在にハックし、あるいは別の作家を招き入れるなど、不可逆的なルールのなかで「変化そのものを楽しむ」ことを許容することを提案する。アーティスト自身が「いつ・どう変更するか」を強くコントロールしていないため、作品は長い時間の流れのなかで自律的に「他者を飲み込みながら」動き続ける可能性を孕んでいる。
「hehehe」は、表面的には単に“笑い声”の文字を出力するだけで、技術的にもさほど複雑には見えない。しかしその背景にあるのは、観客やアーティスト同士の行為が重なり合い、ある種のコラボレーションを長期的に続けていくための土台である。イミュータブルなスマートコントラクトとして稼働しながらも、互いに接続や介入を可能にするという「多層的なインタラクション」の在り方にこそ、0x113dが提示する概念的な面白さがある。
Loucas Braconnier/Figure31 – Dear God, Layer of Roads (Travelers)
ブロックチェーンの時間軸を旅することをテーマにした作品。Ethereumの連続するブロックを一本の「道」に見立て、その道を過去や未来に向かって歩む旅人を表現している 。参加者はトランザクションを送ることで旅に加わり、時の流れに沿って新たな「土地」を発見していく。各旅人が歩みを止めた地点には「記念碑」が残され、後から来る他の旅人達に痕跡を示す仕掛けとなっている。ブロックチェーン上に時間と記憶の地形を生成し、時空を超えた旅の物語を共有する試み。
Sarah Friend – Yesbot
「これはアートか?」というメタな問いにブロックチェーン上で回答する作品。2014~2015年にRhea Myersが発表した自分自身がアートであるかないかをコントラクトが証明する作品「Is Art」にインスパイアされており、Sarah FriendのYesbotはそれを受けて常に「Yes(これはアートだ)」と肯定し続けるボットとして機能する。実際に「Is Art」のコントラクトを参照する一種の相互参照的なユーモアにより、ブロックチェーン上の作品同士が「アートである」ことをお墨付き合うというコンセプトになっている。これはNFTブーム以降に盛んになった「これはアートか/価値はあるのか」という議論への皮肉ともとれる。
Material Protocol Arts – Modulation Studies
アーティストはコードで操作するシンセサイザーの設定を日々少しずつ編集し、新たな音の「スタディ(習作)」を作曲する。その際、編集作業の一挙手一投足(キータイプの履歴)と、各日に添えられる短いテキストメッセージがすべて記録される。「制作(パフォーマンス)と記録(ドキュメンテーション)の統合」をコンセプトに、日々積み重なる記録をアーティストの労働の証跡として作品化した作品。
Rhea Myers – Critique of This Show
観客自身がこの展覧会の批評家になることを促す参加型作品。ブロックチェーン上に設置されたこの「批評プロトコル」は、誰もがトランザクションを通じて展覧会内の任意の作品に対するコメント(批評文)を残せるようになっている。ただしその内容はあらかじめ用意された肯定的評価文の中から選ぶ形となっており、ネガティブな批評を書くことはできない。本作品はその時代を風刺的に記念すると同時に、観客に「ポジティブな言葉だけが飛び交う批評空間」の奇妙さを体感させる。
Paul Seidler – Real Abstraction (A Line Made by Proofs)
暗号学的プロトコルが生み出す不可視の構造をテーマにした作品。デジタル空間上の二点間に線を引くというシンプルな行為を起点にしつつ、その線が引かれる過程で不可視の壁や迷路のような構造が生成される。参加者が関与することで線の経路上に壁が立ち現れ、線はそれを避けるように曲折する。やがて十分な相互作用が重なると、背後に形成された構造はゼロ知識証明によって隠蔽され、外部からは知り得なくなる。最終的に可視なのは一本の線だけとなり、その線がどのような条件下で描かれたかという起源は、当事者以外には解読不能な秘密として埋め込まれる。ゼロ知識証明技術によって「現象の裏側に膨大な不可視の論理が存在する」というブロックチェーンの本質を詩的に表現した作品。
0xFFF
https://www.0xfff.love/
World Computer Sculpture Garden
https://worldcomputersculpture.garden/