Interview with Visible Cloaks

ポートランド在住、Spencer DとRyanの二人によるVisible Cloaksが先月ブルックリンの〈Rvng Intl〉から二曲入りシングル「Valve」を発表した。2014年に出たファースト・アルバム「Visible Cloaks」ではヴァリエーション豊かで丸みのある電子音楽を聞かせてくれた彼らであったが、今回の作品ではかねてからファンであったという甲田益也子と木村達司による日本人デュオ、Dip in the Poolとの共同制作に挑戦している。甲田の特徴的な日本語の歌詞に呼応するように振動とビブラフォンが沸き起こり、いくつかの環境音、フラットなシンセ音がそれを包んでいく。音と音はぶつかり合うようでいて、ゆるやかなテンポのもとにひとつに溶解しあい、奇妙な「調和」を生み出している。Brenna Murphyによる、美しい彩色とデジタルの立体性が印象的なジャケットワークも、彼らの音楽性を見事に視覚化し、その調和に加担する。今回の作品に応じて発表されたヴァーチャルメディアソフトをインストールすれば、このジャケット内の空間を自由に動き回ることができ、より「Valve」を多次元で楽しむことができるので、チェックしてみてほしい。

全体を通して見受けられる「調和」のどこかに、私たちは日本的な何かを嗅ぎ取ることができるが、メンバーのSpencerは自身の音楽制作に大きく日本の音楽から影響を受けたと公言しており、レコード・コレクターでもある彼の知識はとても豊富だ。数年前には80年から86年まで限定のジャパニーズ電子音楽/アンビエントのミックスアルバム「Fairlights, Mallests, and Bamboo」を発表しており、これまで開拓されることのなかった、未知で、異国の「ニューエイジ」の存在を人々に知らしめた。西欧の人間だけではなく、当の我々にとっても刺激になるような曲ばかりなので、ぜひダウンロードして聴いてほしい。

彼らの音楽に胚胎する、深い日本のニューエイジへの造詣と、それらをリヴァイズさせた新しいアンビエント・ミュージックの在り方、そして現在のポートランドについて、メンバーのSpencer Dに訊いてみた。

Valve / Valve (Revisited) by Visible Cloaks

Visible Cloaksはどのように結成されたのでしょうか? それまで異なる名義で活動はしていましたか?
はじめはソロ名義として“Cloaks”として活動していたのが途中で“Neon Cloaks”になり、メンバーにEternal TapestryのRyanが入ったタイミングで“Visible Cloaks”という今の名前になったよ。Cloaks/Neon Cloaksをやっていた時は、結構な量の作品をリリースしたんだけれど、全てEasel Recordsという日本のレーベルからのみリリースされていて、アメリカでは手に入らないんだ。きっと探せばすぐ見つかると思うよ。

「Valve」は最近アムステルダムのレーベル「Music From Memory」から12インチシングルがリイシューされ、話題を呼んだ日本人デュオのDip In the Poolとのコラボレーション作品です。このプロジェクトがどのように始まったのか、教えて下さい。
うーん、話すと少々ややこしくなるんだけれど、僕たちが最初Dip in the PoolのMiyako Kodaのヴォイスを彼女のソロアルバム「Jupitar」からサンプリングしていた時、〈RVNG〉のマットがもう一人のメンバーである木村達司とあるプロジェクトで関わりがあって、僕たちの代わりにサンプリングの使用を許諾してもらったんだ。そうするとマットは単なるサンプリングだけでなくて、一緒に彼らと曲を作らないか、とアイディアを出してきて、そのおかげで僕と達司の間で、メール上のファイル交換を通しての作品作りが始まったのさ。益也子はそこに新しい歌詞とヴォーカルをのせてくれたよ。

この作品にはアンビエント・ミュージックと日本的な美学の調和が感じられるように思います。どのようなアイディアがあなたの頭にありましたか?
「Valve」は日本語と英語という二つの言語を用いながら、それらをMIDIへと落とし込んだ一連の実験作品のひとつなんだ。なだらかな展開と余白を含んだメロディーは、益也子の豊かな声のリズムから来ている。そこにペンタトニックスケールを使うことで、複合的に組みあわされたサウンドが生まれるんだ。音色に関しては、日本の音楽、とりわけ小野誠彦(清水靖晃や吉村弘、そしてDip in the Poolらを手がけている!)がミックスしている作品に影響を受けているね。輪郭を鮮やかに浮かび上がらせるような音像と、彼の録音物が持つような立体感、奥行に近づけようとした。

Brenna Murphyが手がけたデザインが素晴らしいですね。不思議と音楽にリンクしているような気もします。何かヴィジュアル面において担当した彼女に注文したことはありますか?
ただ僕の思ったいくつかのことだけ聞いてこれを描いてくれたんだ。明確な指示はしていないよ。彼女とはもう何年も共に作品を制作していたから、お互いの気持ちが自然と伝わっているのかもしれないね。

valvecover

使っている楽器を教えてください。
だいたいはPCで、そこにいくつかシンセとビブラフォンを足すぐらいかな、相方のRyanはYAMAHAの楽器のコントロール用にWX11を使っている。

あなたは日本の音楽、中でも清水靖晃や吉村弘、細野晴臣らといったニューエイジのアーティストらがお好きなようですね。実際にあなたの作る音楽に影響は与えているのでしょうか?
君が挙げたその三人は確かに僕にとってはとても重要な人物だね。アメリカでも彼らがどれだけ偉大なのか、人々がようやく最近気がつきはじめたところで、僕は早い段階で知る機会に恵まれていたから、このタイムラグに驚いているね。

〈RVNG〉や〈Leaving Records〉、〈Aguirre〉、〈Music From Memory〉といったレーベルらが主体となってここ数年で起きている、リバイバル・ニューエイジのムーブメントについてどう思われますか?
日本のニューエイジはまさにファッショナブルだけれど、それはなにもアンビエントやニューエイジといったジャンルだけではない。賞賛に値すべき音楽だから、一時的な流行で終わらないことを願うだけだよ。最近のニューエイジに集まる関心についてだが、バイヤーのAnthony PearsonとDouglas Mcgowan(2013年にシアトルのリイシュー・レーベルLight in the atticからリリースされたニューエイジのコンピレーションアルバム『I am the Center』を監修)、アーティストであるGreg Davisら、この三人が最初にその素晴らしさに気がついて、ブームの火つけ役となった人物だ。彼らは三人ともカリフォルニアで育っていて、ありとあらゆるレコード、そして異種混合化された文化に幸運にも触れることができたのさ。カリフォルニアがカルチャーの再盛期だった時だね。

普段ポートランドではどのような場所で演奏を行っていますか? Xハーチ(ポートランドの実験的なアーティストらが集うインディペンデントな共有スペース。元々教会であった場所を改築して、現在はヴァーチャル・メディアを用いたイベントや、アンビエント・ミュージック限定のショーなどを不定期で行っている)界隈の人たちと関わりが深そうに思えますが。
そうだね、Xハーチはできて以来、ずっとプレイしているお気に入りの場所だ。とても良いところだよ!RyanとBrenna Murphyが関わってVRのイベントも開催されているね。他で言えばHoloceneでもよくプレイしているし、S1ギャラリーも好きな場所だよ。

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ポートランドにはMSHRやGolden Retriever、Grouper、Pulse Emitter、そしてあなたたちVisible Cloaksといった独自の音楽を追求しているアーティストがいますよね。ポートランドの電子音楽のシーンについてどう思われますか?またそういったポートランドの環境や土地性はインディペンデントな文化を育むに適しているのでしょうか?
君が挙げた人たちはみんな友達だけれど、BirchとBrennaは悲しいことに活動場所をニューヨークに移してしまったし、Grouperのリズは今オレゴンの海岸の方に住んでいて、街の方に来ることはほとんどない。そういったアーティストたちは個別にはいるけれど、電子音楽のシーンはまだまだ限られているよ。あくまでポートランドのシーンの基盤になっているのはロックやパンク、ハードコアといったジャンルさ。周縁のサブカルチャーを維持していくにはこの街は十分な大きさではないから、音楽活動だけで生計を立てるのは実際難しいのが現状だ。

あなた達のファースト・アルバムは昨年ポートランドに新しくオープンしたレコード屋でもある〈Musique Plastique〉からリリースされていますよね。
そこを経営しているTonyとLukeとは昔からの友達なんだ。かつて街のレコード屋でバイヤーとして働いていたことがあって、レコード屋を経営している知り合いが多いんだ。クリントンストリートにあるLittle Axeというレコード屋も素晴らしいよ。

最近のお気に入りの作品をいくつかリストアップしてください。
10枚を挙げるとすれば、
Hamlet Gonashvili – Georgian Folks Songs
Pepe Maina ‎– Scerizza
You’re Me – Plant Cell Division
Studio der frühen Musik – Vox Humana
Instrumental Music of the Kalahari San
John McGuire ‎– 48 Variations For Two Pianos
Gabriele Emde ‎– Die Natur Der Klänge – Neue Musik Für Harfe
Les Halles – Transient
Mayumi Miyata and Midori Takada – Nebula
Luis Cilia ‎– A Regra Do Fogo
かな。ちなみにSeaver and Witscherというポートランドの二人組が作る音楽は素晴らしいよ!

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Interview with Kari Altmann

Kari Altmannというアーティストの作品をひとことで言い表すのはとても難しい。彼女のプロジェクトの多くが、音楽やデジタル画像、そして立体や映像、印刷物といった考えられうる限り最も幅広いメディアを複合的に組み合わされたものでできており、その表現のアウトプットもInstagramからTumblr、Soundcloud、実際の空間を用いたインスタレーションなどといったさまざまな場所に、ときには時を超えて存在しているからだ。

その作品から受ける印象は、とても皮膚感覚的なもので構成されているように思う。例えば複数の画像からやってくる、共通の触感であったり、色彩。またそこにある差異や、違和感。これらが独自のイメージ言語となり、これまで感じたことのないような感覚を創出している。リブログ的な画像から、自作のグラフィック、さまざまな要素が織り交ぜられるそのスタイルは、イメージが著者性という束縛を超えて、まるで自分自身の生態系を作り出しているかのようである。

彼女はこのインタビューで、多くのプロジェクトは継続的で散発的に成長していくものだと述べている。こうした制作の姿勢は、単一の物語に解釈されることへの抵抗のようにも見えるし、あるいは結果として既存のアーティスト像をそれが更新するものだとしても、そうした姿勢こそ現代という多メディアな環境を生きるわたしたちの自然な表現形式の一つということに過ぎないのかもしれない。

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Soft Mobility Video Teaser Editorial for ArtPapers Magazine

実際の展示だけではなく、TumblrやSoundcroudなど他のメディアへ作品を拡張させていくのがあなたの作品の特徴だと思います。そのような活動形態になったのはなぜでしょうか?

それはとても自然なことだったんです。形式は探究すべきだし、理解すべき。メディアやプラットフォームにしばられることには興味がないんです。主に心理的、社会的色彩、声あるいは前口述的なエネルギーを、自分は作品に込めたい。そうすればアウトプットが何であれ、理解できる。唯一の問題は、産業が追いついてないということ。だから彼らは1つの種類の仕事やカテゴリに制限しようとする。少なくとも今わたしたちはこうした制約から逃げられるプラットフォームを手に入れた。でも、ほかのものと同じようにプラットフォームにも限界はある。これがミックスしたり、全体性を保つことがよいことの理由。

またギャラリーとオンラインでは異なるシステムがあり、また異なる観客が存在していると思います。あなたはその二つの間を往復しながら、その二つにどのように折り合いをつけているのでしょうか?

それは作品によります。ギャラリーやイベントのためと同様に、エディトリアルや公共の場所でもたくさんのことを行ってる。まだその全部をエクスポートしているように感じる。それから、ほとんど作品は柔軟なフォーマットで印刷されたり、もしくはオンデマンドのみで発表されることが多い。目の前で触れる手仕事の部分を作り出すまで、人々にそれを見ないように交渉することは難しいけれど、状況はよくなってきている。すべての印刷物は、社会的、地理的および経済的な状況を、なんらかの方法で反映しているような気がする。旅を始めるとき、あるいは多くのスタートアップと作業し始めたとき、それは本当に面白いことになる。私はギャラリーで妥協したり、創造的なソリューションを明らかにしようとするけれど、その壁の内側にある物流構造にはまだ制約がある。だから時々はそれと戦って、乗り切らないとならない。願わくば、それが長い目で見て、私のあとにやって来る似た実践を行うアーティストや、自分自身のためになればと思ってる。

それに加えて、私はいつもウェブや映像、携帯機器、パフォーマンス、音楽などに戻っていく。私はEuro-GalleryやC.A.D.(Contemporary Art Daily / Computer Aided Drafting)スタイルの印刷だけやることにはプレッシャーは感じない。シェアできるものを作るのが好きだし、玄関をくぐって行くのではなく、瞬時に見ることができるものを作るのが好き。自分のやっていることをアプリ開発者のように考え始めている。あるいは自分のプロジェクトを様々なフォームに形を変えるデバイスやコード、集合のようなものとも考えている。自分のウェブが存在して、自分のアイデンティティを管理できている限り、個々の部品とそれらのメタイメージを、すべて一緒にするように設計を同時に保つことができる。親密な友人と同じように、自分の作品や、そのタグやイメージを世界中の人々にシェアすることは、みんなのもう一つの現実になり始めている。

あなたの作品は企業文化が作り出してきたテクノロジーや、ブランドが作り出してきたイメージを再利用しているものが多く存在します。あなたがそれらを作品化する方法論とはなんでしょうか?また、それらを作品に使用する際に気をつけていることはありますか?

私はどんな言語やイメージでも作り出すし、考察する。そこにはさまざまな理由がある。私はそれが理想主義者の美しさや、現実逃避であるかぎり、浅ましい魅力も、良性のストレスも信じている。コンセプトや共感するやり方において、ほんのちょっとショッキングなもの、怪しいものや実際に未加工で、原始的に感じるものが本当に好き。でもその背後には、より大きな感情的で哲学的な可能性があるべきだと思う。たくさんのレベルがあって、最初に引き込まれたり、あるいは反発のあとに時間をかけて解かれる、そしてもっと大きな領域に連れ出してくれるレイヤーのあるものが大好き。私は実際にその展開と目的について考えている。そして実際に自分が扱うマテリアルと一緒に暮している。

私はまたクトーニアン(クトゥルフ神話に登場する架空の種族)の海賊版、トロール美学、とても微妙な、あるいは説得力のある、まだ捉えられたことのない、ニッチな言語の中にいる。会社やブランドだけからではない。多くのタイプの言語、言葉遊び、生き物の写真や、携帯用のソーシャルメディアの写真、絵画の比喩、DJの比喩、CGIのキャラクターデザイン、セルフィー、あげ始めたら終わりがない。でもブランドは、偽りの普遍的な記号。ぞっとするほどね。ある人々にとってはほかのものより読み取りやすく、捕まえやすい。それは見過ごしやすい部分。

私はブランドを恐れてはいない。それらはミーム、そして記憶と本質的には同じだから。それらはアイデンティティ、そしてメタ・イメージがどのように働くかの方法。自分の作品はそれに触れる可能性があっても、ブランドや会社やテクノロジー、インターネットあるいはアルゴリズムに「ついて」の作品ではないと50回はいい続けたい。これはメタ・イメージ、共同ファンタジー・イメージ、そのソフト・パワー、そのミーム学、彼らの適応、そのハイブリッド状態、そして生存についての作品なのです。ブランドではなく、これらのメタ・イメージを参照すれば、企業への参照の鎖を断ち切れると思う。

私はハイパー資本主義、そしてさらに共同社会のオフグリッド、あるいはアンダーグラウンドのスペースやイメージで育ってきた。私にとって、そして私の周りのグループに機能する、何らかのイメージのシステムをいつも作り出そうとしてきた。だから私の言語は、その状況と環境を反映しているのです。

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HITASHYA, 2013-PRESENT
AUDIO, VISUALS, PERFORMANCE, INSTALLATIONS, VIDEO, ETC.

去年公開された最新のプロジェクト「XOMIA」について伺いたいと思います。あなたの作品の特徴であるテクノロジーへのファンタジーと、さまざまなメディアを横断した表現が高度に結合した表現であると感じました。もしよければこのような複雑な展示が生み出された背景について教えていただけますか?

「テクノロジーへのファンタジー」という質問への答になっているかは、わかりません。たぶん再定義を見込むなら、あるいはもっと柔軟な境界においてなら、それを理解できるかもしれません。

https://en.wikipedia.org/wiki/Zomia_(geography)

間違いなく不吉で、崇高な、優しい、そして同時に共感できるもののはず。展示されているものの幾つか(例えばFlexia映像の中の用語)は、とても恐ろしくて、怪しい。あるものは本能的で、あるものは静かで快適で、あるものは哀れで、笑えるもの。ほかの反応、参照や読み物の範囲の真ん中に位置しないとならないある種類の、瞬間的な生物学的な衝動をそのすべてがかき混ぜる。あなたがそこにいられたら、瞬間そこで生き、異なるリアリティに侵入することができるでしょう。

私は共同のファンタジー・イメージが、どのように周りにあるものをなんでも一緒に使用するようになって、地域や集団を作り出し、生物学的条件を作り出し、そしてあるいはその周りにある新しい土地、周りにある変化する場所を見つけるために適応し、動き続けなければならない、さまざまな力の対象になるのかについてたくさん考えてきた。メタ・イメージ、ネットワークに接続したファンタジー・イメージは、極めて重要な衝動であり、それは道を見つけるでしょう。だから、あなたはまたこれらのものごとが魅力の生態系とコード化された領土を確立する方法を、そしてどれだけ多くの異なる種類のものが混ぜられた地形で戦い抜くのかを、見なければならないのです。極めて多くの層やフィルタ、極めて多くの印象があります。私も内部レベルでは、DIYソフトのパワーと、境界の戦争について多くのことを考えています。でも、たぶん最初の世界環境内では、生き残るもの、曖昧さ、居所のなさを感じます。

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XOMIA (Return Home, Realflow, All Terrain) installed at Ellis King, 2015

最近どんなものに惹かれますか? アートでなくてもかまいません。

あらゆるものにある種のディズニーフィルターがあるのを観察し続けてる。たぶんそれは、春の汚染を通過した最新のHDの光る表面、あるいは携帯をアップグレードしないとならないということかも。わたしは再び、自分の目を更新したのかもしれない。光沢、宝石の音色、曲線、動いてると感じるもの、液体、かわいすぎるもの。その下には何かが潜んでいる。自分が見た韓国ドラマやインドの映画の多くにあるものを、わたしはパレットとして考えてる。ドバイでもそういうものを多く見た。「Hitashya」と「Ttoxhibaa」はそこに近づいている。地面を耕す、コアに浸透するファンタジー画像について、そして仮想現実のようなものがどのように文化に働くかについてたくさん考えている。私はレンズ、フィルタ、コードやコアに戻り続けている。境界と倫理について、感情の労働、そして最近の知性についてもまた、たくさん考えています。

もし今後の予定がありましたらおしえてください。

私はリニアなやり方で働かない。いつもマルチタスクで、季節のように、気分、そしてオーディエンスによって、その日ごとに注意をどこに注ぎ込むかを決める。自分のプロジェクトの多くは、ライブあるいは休止状態、そしてレイヤー化できる個人的なモードとして考えている。それらはまた、すべてが完全に死んでいるのではなく、時間をかけて進化します。

自分の作品はみな最終的な目的や(多くのリソースが必要になる)ショーに直線的に向かうよりも、散発的にアップデートされ、オンデマンドのプレゼンテーションに書き出されることが多い。あるいは最終のファイナルショーはわたしの人生の終わりかもしれない。ここで言っていることは、「XLTE」や「HITASHYA」、「SOFT MOBILITY」、「SUPPORTMELIKETHIS」、「ON HATCH」、「GARDEN CLUB」、「ABUNDANZIA」、「HANDHELD」、「VALUE SHIFT」、「ROMANTIC GESTURE」、「RESTING POINT」といった、順番待ちになっている現在のモードのこと。

実際に言ってしまうと、これは「HITASHYA」の影響を大きく受けているだけど、音楽に集中する予定。それから、「Soft Mobility」のためにペインティングや、短い脚本やパフォーマンスを作っている。春にはいつも「Garden Club」がアクティブ。天気があまりにも熱で変色するなら、血液が表面に登ってきて数週間は完全に「XLTE」の期間になるわね。

Kari Altmann
http://karialtmann.com/

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動きが自由をつくり出す

Interview with YAYA23

ノーオーガナイズ、ノーマネーシステム、ノーコマーシャリズムを掲げる自由参加型のレイブ、「テクニバル」。その非商業的な文化の可能性を追いかけ、ベルリンにまで移住してしまったdestr∞y。彼についての記事を書いたのは、MASSAGE 9の記事でのことだから、もう数年前のことになる。311以降の日本は随分と変わってしまって、エクストリームな遊びを追求することも今の気分ではなくなってしまった。そうこうしているうちにここの文化は、コマーシャリズムに覆われ、なんだか平板なものになってしまった気がする。

そんなふうに停滞している間にも、外の世界ではあたりまえに、毎日新しいものが生まれ、そして進化していく。そういうものに共鳴するなら、飛び込んで行って、その創造の現場の一員になってしまえばいい。守るものが多い生活をしていたらなかなか簡単なことではないけれど、そうした冒険からしか次の世界は切り開かれない。そんな世界に行きっぱなしでなかなか帰ってこないdestr∞yが、どういう人たちと、どんな生活をしているかに興味があった。

その日常については以前に触れたので、今回は彼が出会った人物に焦点を当てたいと思う。そんな彼が選んだ人物は、ベルリン近郊最大規模のサウンドシステム・コレクティブ “CYBERRISE” のオーガナイザー、YAYA23だった。これはdestr∞yがYAYA23に話を聞いたインタビューである。西ヨーロッパを旅しながらテクニバルのオーガナイズに携わり続けてきたその彼の、旅と音楽の共通点、そしてそのライフスタイルが切り開いたものとは。

※テクニバルについての解説記事はこちら

どのように音楽をプレイし始めて、どのようにサウンドシステムを始めたんですか?

90年代はじめ、スケートパンクから、ジャングルや、トリップホップ、ビッグビートなどのいろいろなサブカルチャーに興味があって、既にその頃から西ドイツのクラブでレジデントDJとして、インディーロックや、パンクのパーティなんかでプレイしていたんだ。そして初期トリップホップや、初期のジャングルと、ドラムンベースなんかも入ってき始めて、その頃やっていたレジデントパーティー “refoundation night” でエレクトリックビーツを、DJセットに入れたりしていた。その辺が自分にとって演奏者としてのエレクトリックミュージックとの最初の繋がりだったと思う。

その頃はまだCDや、ミニディスクとかで、プレイしていた。で、95年頃からレコードを買い始めて、その頃はビッグビート、トリップホップ、ドラムンベース、ジャングル、その辺の音はちょっと変わった音だった。それでブロークンビーツや、速めの音なんかをダンスフロアーでかけてたんだ。ほかでよくやってるような初期アシッドハウスとかじゃなくて、ブロークンビーツのBPM 170くらいの音とか、そういうのをかけてた。

で、その頃、既に小さなバンを持ってて、バンと共に動くっていうアイデアが好きだったんだ。どっかにバンを停めて、そのままそこで寝たりしてたんだよね。クラブの前に停めてたときとか、クラブから出て来たら、その目の前に家があるっていう。森に停めて、そこで音楽を聴いたり、すでにそういう風に生活をしていた。そして90年代後半、交換留学プログラムの奨学金が取れたので亜熱帯農業の勉強をしにイタリアのボローニャに行くことになって、ターンテーブルとレコードをバンに乗っけてイタリアへ。

音楽をプレイするっていうのは人間が持っている衝動の一つだと思う、少なくともオレの場合は衝動という形だった。なんていうか自分にとっては、音楽をプレイしたいっていう感覚は、自由への衝動のようなものだったんだ。自分は、とても強固な自由という感覚に対するフォーム、つまり精神的自由を、音楽を通じて経験しているって思っていた。

そこで、はじめてほかにも自分みたいに、音楽をバンに乗っけて旅している連中に出会ったんだ。その頃、最終的にメチャクチャデカいウェアハウスパーティにたどり着いて、他にもBPM 160〜180の音が好きで、でっかいサウンドシステムをバンに積んで旅してる連中に会ったんだ。スピーカーをトラックに積んで、旅を続けながら、そんな感じで音と付き合っていくっていう、ヤバくない?それはメチャクチャダイナミックで面白かった!

その頃は、フリーパーティで、ドラムンベースとジャングルをミックスしたりしてて、でも4/4の低いベースがブロークンビーツの下で鳴ってるやつも好きだった。それはドラムンベースと、速いステップと、グルーブのあるやつの組み合わせだったり、または4/4キックの瞑想的で反復するモノトーンベースだったり、そういう音がオレの耳に素晴らしい結果をもたらしてくれた。それで、ジャングルや、テクノをミックスし始めるんだ、速いヤツ、フリーテクノに続いていくようなやつ。フリーテクノは、テクノの4/4キックのベースライン、それにエナジェティックで、ノレるグルーブが乗っかっている音。そういうのが本当に好きになった。この辺が90年代中盤にイタリアのウェアハウス パーティでレコードでDJし始めた頃の話。瞬間と音楽を乗っけて、移動し続けて、それを旅の中で自由へと昇華していく。これはテクノムーブメントとは違うカタチだったんだ。

cyberrise+kirrewit

それで、サウンドシステムと旅をミックスし始めた頃は、どんなことを考え、どんなことをしていたの?

音楽をプレイするっていうのは人間が持っている衝動の一つだと思う、少なくともオレの場合は衝動という形だった。なんていうか自分にとっては、音楽をプレイしたいっていう感覚は、自由への衝動のようなものだったんだ。自分は、とても強固な自由という感覚に対するフォーム、つまり精神的自由を、音楽を通じて経験しているって思っていた。それは自分が直面している日々の生活や、自分が生まれたこの社会の中の境界を飛び超える何かへ駆りたたせたり、想像させてくれたりするものだと思う。だから音楽は、いつでも精神的な旅の一つのカタチだったし、自由ということ自体に対するとても強度の高い表現だと思うんだ。それは精神の乗り物とも言える。

同じ類いの自由への衝動の表現は、実際に動き続けることにも見つけることができると思う。ただ毎日、A地点から、B地点へと移動するんじゃなく、そういうものに囚われず動き続けること。それは社会から与えられたパターン、例えばフェンス付きの家だったり、Aから、Bへと、ただひたすらと走り回ることだったり、そういうことではなく。この障壁を飛び超えるために、常に枠にはハマらないで、色々な動き方で、動き続ける瞬間を続けていくこと。そうすることで自由がハッキリし始める。

いつでも、自分のハートが連れていってくれるところへと動き続ける。そういう自由への衝動。精神的自由は音楽を通して勝ち取ることが出来る。音楽を通過したリズムのある自己表現なんだよ。それに日々の物理的移動を通した自由。例えば、違う場所に行って、違う場所で寝て、自分が居たいと思うだけいてみて、自分で合わないなと感じてきたら、自分の行きたいところへとらわれずに何処へでも行くことが出来る。そういう音楽から得られる精神的自由と、物理的移動の自由の組み合わせは、古代から人間が持つ重要な衝動だと思う。実際の物理的移動が音楽を通過して、音楽と一緒に移動していく、それはどんなものにも縛られない想像力と楽しみの組み合わせだと思う。そこから創られるアウトプットは計り知れない。とても自然でユートピア的、かつ同時にとてもリアルなことだと思う。

この二つの自由へ衝動を組み合せるのは素晴らしいと思う。この地球のビートに乗って地球を周っている間に、それはオレたちを音楽にノセていく。なんていうか、音の瞬間にいる間に自然に勝ちとられる組み合わせなんだと思う。

そう、これが90年代。同じような衝動を持って、トラックで音楽と共に旅する連中に出会った。その間一度ドイツに戻って、サクッと農業工学のマスターを取って、それからは自分も基本的に路上に居続けたんだよね。CYBERRISEに関わる全ての人は、みんな道の上で出会った。で、スピーカーを作り始めたんだ。CYBERRISEサウンドシステムは、一つの場所や、一つの国から始まってるとはいうことが出来ない。全てのスタイルや、やり方、そしてその構造は、全て道の中での出会いで生まれた、そしてそこにはサウンドシステムのクルーもいたんだ。どんな時、どんな場所でも、そして特にどこかでもない。路上の動きを通過した自由の為の主張なんだ。

それで最初の数年間、オレらはイタリアのボローニャと、フィレンツェの間の標高1000mのアペニン山脈の、すごいいいロケーションにスタジオを持ってて、そこでさらにスピーカーを作って、サウンドシステムをやり始めたんだ。そのあと大きいトラックを手に入れたり、ゆっくり準備しつつ、もっとスピーカーを作っていったんだよね。そこはヨーロッパを旅している間の家兼基地というか、中間地点だった。

フリーパーティ、テクニバルから生まれて来た音楽や、そのリリースのスタイルについてどう思いますか?

そうだね、テクニバルやフリーパーティで見つけられる最も個性的な音楽のスタイル、そのスタイルをフリーテクノって呼びたいって思う。それはクラブシーンから独自に進化したアップテンポなテクノのバリエーションの一つで、旅や、道の経験の中で進化し、実際の動きを通過してきたもの。ブロークンビーツや、ジャングルと、4/4キックベースを組み合わせたもの、もっとレイヤーがあるものとも言える。4/4キックベースの単調さだけでなく、ブロークンビーツが乗っかって、常に二つ目のステップが強調されている。個人的には、フリーテクノは馬に乗ってサバンナか、ジャングルをかけているような気分にさせてくれる。とてもエナジェティックでノレるトライバルなテクノなんだ。それは、今オレらにとっては、アマゾンのインディアン達がやっていたこととして知られている、シャーマン達の儀式的なドラムの様な感覚をオレ達に思い出させてくれる。

例えば、アヤワスカの儀式に見られるような感覚なんだと思う。そして今オレ達にはBPM 180、190、200のリズミックドラム「ドゥフッ ドゥフッ ドゥフッ ドゥフッ」がある。これらの儀式に必要な精神的高揚感を作り出す反復されるドラムがあるんだ。そしてフリーテクノの速さや、そのスタイル、そしてフリーテクノで使われるサウンドには、シャーマン達の儀式みたいな感覚がたくさん残っていると思う。本当にそんなふうに思うんだよね。オレたちは、集合的催眠効果を、想像力を通過して、精神的リズム表現を通って、ダンスフロアーという人々が踊るために集まった場所で、恍惚状態で体験している。そこには確実に太古の儀式のドラムとの繋がりが、フリーテクノにはあると思う。

でも今日では、いろいろな違うスタイルもプレイされている。テクニバルで改良されたさまざまなスタイル、ブレイクビーツや、エレクトロ、ハードコア、どんなスタイルでもプレイされる。そして勿論、そのスタイルは基本的に普通のクラブシーンの流れや発展とは、つながらないことが多い。もちろんいくつかのチューンは、クラブのメインフロアーでもプレイされて来たし、それは否定出来ない。

でもプロデューサーやアーティスト、彼ら自身がライブセットを創り上げプレイしているし、その自由なバックグラウンドから音楽を作っている。彼らはいつも普通とは違う感覚の最終的リリースを持っていて、その後、その類いの自由の経験を持たない人々からリリースされる。そしてリリースは、とても多様で幅が広いし、アーティストはもっと広い視野を持っている。リリース自体からもそれを感じることが出来るし、リリースされたものからその感覚を追体験するようなことが可能だと思うんだ。そして幸運で嬉しいことに、いろんな種類があって、おもしろいものもある。自由の影響が詰め込まれた音楽が世にリリースされているんだ。

そして、メインの伝達方法はレコードだってこと。特に90年代はレコードだった。例えばSpiral Tribeは、移動型スタジオを移動型レコードプレススタジオとして使っていて、ライブセットを録音したあと、その場でレコードをプレスして、リリースするようなことをしていた。それは非常にユニークな限定のプレスで、そう簡単には手に入らない。勿論それをゲットする為にはパーティにたどり着いてないと話にならなかったし、もしそこにいなかったらほかのどこでも見つけることは出来なかった。これは言ってしまえば、インターネットが普及する前のすごくいい時代の話。

同じ類いの自由への衝動の表現は、実際に動き続けることにも見つけることができると思う。ただ毎日、A地点から、B地点へと移動するんじゃなく、そういうものに囚われず動き続けること。それは社会から与えられたパターン、例えばフェンス付きの家だったり、Aから、Bへと、ただひたすらと走り回ることだったり、そういうことではなく。

素晴らしいでしょ、わかるかな?フリーゾーン、フリーエリア、T.A.Zの中のみで見つけることが出来る、動くことで見つけることが出来る、それ以外では全く見つけることが出来ないリリースなんて、素晴らしいと思うんだよね。それはそれを見つけた人にとって、永遠に大切なものになると思う。でも残念なことに、この手のダイナミクスはインターネットや、eコマースなんかの、いつでもどこでも、どんなものにでもアクセスすることが出来るテクノロジーによって失われてきている。確かに、そのおかげで音楽を世界中の離れたところまで届けれるようになったという意味で、音楽を一歩前進させるといういい部分もある。でも一方で音楽に独占主義を持ち込んだし、インターネットを使った国際貿易の部分がもっと目立っていると思う。オレたちからしてみると、いわゆるeコマースがここ十数年で乗っ取った影響が運んできたものって好きじゃないんだよね。

でも、今日、2016年、基本的にテクニバル、フリーパーティでプレイされる音楽には、ライブセットの大きな影響がある。根強いライブセットのカルチャーがあるし、それを抜きにしても、幸運なかつ嬉しいことに、2016年もいまだにほとんどのDJは主にレコードをプレイしている。MP3をプレイするのは避けよう。まぁこれはオレの意見だけど。だからデカい勝利を少なくとも音自体に関しては。

フリーパーティや、テクニバルでは、凄い音によく出くわすんだ。なんでかっていうと、みんな自分のサウンドシステムに情熱を捧げている。それ組み上げ、計算し、ほかのサウンドシステムと組み合わせ、つないだり、分裂させたり、すべての種類のスピーカーシステムを組み込むために、巨大なディレイラインを作り上げ、改良する。しかもそれで全部じゃない。それは大きなサウンドシステムのアートだと思う。何度も驚かされる、その音の再現性は、ダンスフロアーにスゴい結果をもたらしている。

でっかく太いベースライン。幅広いスケールで、いろんな場所からのいい仕事がある。チェコの連中からのや、フランス人や、イタリア人、イギリス人達のいい仕事。素晴らしい音の再現性、みんな、よくやってる!!本当にヤバいよ。どこのクラブでも聴けない、フリーエントランスベースの、フリーパーティでしか聴けない音。ヤバイよね。フリークエンシーとリズムに関するオレたちの進化のための、めちゃくちゃいい仕事だよ。

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YAYA
DJ、レーベルオーナー、YAYA23というレコードショップ兼、レーベルをドイツ、ベルリンにて主宰する。EU圏にてもっともユニークなSOUND SYSTEMの一つ、CYBERRISEの設立CREWの一人。ヨーロッパのフリーパーティ、テクニバルシーンの中でも徹底したアンダーグラウンドスタイルで信頼の厚くナイスな人柄を持つ。90年代半ばよりSOUND SYSTEMを立ち上げ活動を始める。音のクオリティにフォーカスし、いくつものフリーパーティ、テクニバルを潜り抜け、オルタナティヴカルチャーを支え続けている。既にそのカルチャーが深く根づき、たくさんの人々やSOUND SYSTEMが活動する西ヨーロッパから、その様なカルチャーからもう少し離れているブルガリアやギリシアの様な夢追い人たちが、もっと新しい世代のために新しい方向性を求めて辿りつく、東ヨーロッパの果ての国々までバンにスピーカー積んでる旅を続ける。その間の旅も最高の瞬間から、大変でハードコアな事まで起きる道中をくぐり抜け旅を続ける、全てはKEEP FIRE BURNINGのために。
Youtube https://www.youtube.com/channel/UCHHxK9hTclKFKBnUZt9xtTA
discog & shop https://www.discogs.com/seller/yaya23/profile
soundcloud https://soundcloud.com/yaya23-records
mixcloud https://www.mixcloud.com/yaya23/

destr∞y
ikanani mothzzzzrrr fukerrrr sound system のクルーとして、数々のパーティ、レーベル、ハプニングを繰り広げつつ音を鳴らしはじめる。その後ヨーロッパへとベースを移し、各地のローカルサウンドシステムと共にフリーパーティ、スクオットパーティ、ストリートパーティ、テクニバル、アンダーグラウンドから生まれるアートに巻き込まれ、出会いから生まれる関わりから、さまざまなサウンドシステムに参加し、ライブセット、DJ、同時にスピーカー運び、ヨーロッパの西の端から東の端まで、自律的かつ、フリーダムなハプニングに関わり続ける。同時にヨーロッパのアンダーグラウンドfree improvisationシーンを発見し、エクスペリメンタルや、ノイズシーンで活動するさまざまなアーティストと共に、さまざまなツアーに関わる。オープンデッキ、オープンセッションをコンセプトとしたSEWAGE/OPENCLOSEや、ツアーへの参加。より多角的活動のアウトプットとしてRefugees on dance floorをスタート。自身が関わるレーベルikanani x coreheadからアナログをリリース。
https://soundcloud.com/destrooyakadubdub
https://soundcloud.com/refugees_on_dance_floor
https://www.mixcloud.com/destrooyakadubdub/

この夏、日本のどこかでテクニバルが開催予定!
http://freeteknojapan.blogspot.jp

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Noise and experimental music in Portland

きっかけはSmegmaのメンバー、JackieとEricとの出会いだった。自宅で定期的に行われているというセッションは、Jackieが焼いてくれたクッキーと一緒に楽しむ気楽なものだったが、とてもディープな体験だった。ミュージシャンであろうがなかろうが、誰でも音を出してよい。まるで事故のように生まれた面白い音、出来事。そういうものを見つけて遊ぶ。それを自分たちの家で、庭で、ライブで人々と共有する。そんなふうにこのシーンは始まり、継続してきたのではないだろうか。そういう気がしてポートランドのノイズミュージックのシーンに興味を持った。Smegmaのインタビュー記事「DIY before it existed: An interview with Smegma」によると、移り住んだばかりの70年代のポートランドはまだ保守的な街だったという。多くの観客から受け入れられているわけではなかった彼らは、マネージャーを付ける代わりに自分たちで全てをやることにした。DIYという価値観がなかった当時から活動している彼らは、今でも精力的で、様々なイベントを主催し、地元の若いアーティストたちとも垣根なく交流している。そんな場所から生み出される表現がおもしろくないわけがない。
 そして、ポートランドのライブ会場を回っているうちに、日本人女性エミと偶然出会った。彼女はポートランドの街で仕事をしながら、この土地のノイズミュージックのシーンを追いかけているという。当初どうやってそのシーンに接続したらいいのかわからなかった彼女も、追いかけていくうちに様々なアーティストや場所にたどり着くようになった。見知らぬ土地で、手探りでコアなシーンに接続していく嗅覚と情熱。久しぶりにそういう人と出会って、もっと話を聞いてみたくなった。これはそんな彼女に、ポートランドのノイズミュージックシーンについて聞いたインタビューである。

ポートランドのノイズシーンに興味を持ったきっかけというのはなんでしょうか? 
ポートランドに来る前、東京に住んでいた時からノイズが好きだったのと、Smegmaがポートランドのバンドと知って、そこから渦巻いてるシーンがあるはずだと思ったんです。あとドキュメンタリー映画の『People Who Do Noise』の影響もあったり。

それ以前はどんな音楽を聴いていたんですか?
高1の時に観に行った少年ナイフのライブの前座で出ていたDMBQにショックを受けて、追っかけているうちに対バンのインディーロック、ハードコア、ノイズ・エクスペリメンタル系のバンドや、ボアダムスなどを知って、放課後は制服でライブハウスへ出向くといった高校生活を送っていました。20歳前半は当時最盛期だったサイケデリックトランスにどっぷり浸かりつつ、20代後半はダンスミュージックのパーティシーンに移行しました。ポートランドに来てからは、こちらの四つ打ちはサッパリなので潔く諦めて、今またアングラな音楽シーンを掘り下げているところ。

日本からポートランドに渡って、現地のシーンにどういう風に接続していったのですか?
フリーのローカル・カルチャーを扱った新聞のライブスケジュール欄や、Myspace、フェイスブックで情報を探ったり、ライブツアー経験のある日本の友達にバンドを教えてもらったり。藁をもつかむ気持ちで片っ端からライブに行くうちに、繋がっていったという感じです。そこで出会った人に「こういうのはどう?」って紹介してもらったりとか。そのうちノイズ・エクスペリメンタルシーンがハウスショウで盛り上がってることを知りました。

ハウスショウというと日本の音楽シーンではあまり馴染みがないですね。 
そうですね。ジャンルにかかわらず、駆け出しのバンドや、主にエクスペリメンタルミュージックのバンドは、家の地下でライブをやるんです。ポートランドは一軒家が多くて、みんなシェアして住んでて、たいてい地下にも部屋がある。そこでバンドの練習をしたり。飲み物は持ち込みで、夏場なら庭でクックアウトしながらだったりでゆるいのがいい。最近はハウスショウは減ったと言われているけど、探せばないことはないですよ。

ポートランドのシーンは、世代間の壁が低いように思いました。日本ではあまりそういうことはないので、印象的だったのですが、そういったことは感じますか? 
20代の頃にサイケトランス好きが高じて、本場のヨーロッパへバックパックで旅行した時にも思ったんですが、ポートランドに限らず欧米ではどんな音楽シーンでも老若男女入り乱れていると思う。日本もいまの30-40歳代の層がアーティストでもオーディエンスでも、ずっと残っていてくれたらってことだよね。これは自分にも言い聞かせてます(笑)。あと世代だけじゃなくて、バリアフリーも。中規模以上のヴェニューに行くと車いすの人を大体一人ぐらいは見るので、そういう壁もなくなっていったらなと思う。

ポートランドは人がどんどん入れ替わっていく街だと聞いたのですが、5年の間シーンを見てきて、変化は感じますか? また、シーンは活発でしょうか? 
5年の間に主要なヴェニューが潰れてしまいました。エクスペリメンタル系のライブが面白かったArtisteryや、カートコバーンとコートニーラブが出会った箱と言われていて、老舗のSatyricon、中規模の箱でいろんなジャンルのライブをやってたBerbati’s Pan(現Voo Doo Doughnutがある街角)、21歳以下 でも入場できた Slab Townはクローズの危機の直前にKickstarterで再建の資金を募っていたけど叶わず。あと、ボヤでビル自体の防災が甘かったことが発覚して、休止から自然消滅してしまったEast Endも。East Endは毎年、独立記念日にヴェニュー前の通りを封鎖して、メタル祭りを催してたんです。ポートランドは人口に対してヴェニュー数はかなり多い街だけど、こうして羅列すると寂しい現実ですね。 
 ポートランドに来た当初、ハウスショウで知り合った友だちはLAやNYCに引っ越してしまったけど、先ほど引き合いに出した映画『People Who Do Noise』に出演している半分は、いまも現役でライブしている。その様子からすると、移りゆくところもあれば留まるところもあるって感じでしょうか。年齢にかかわらず好きなことを続けてる人たちは目に付くしね。
(※アメリカのヴェニューの年齢制限は厳しく、未成年とみなされる21歳以下はほとんどのヴェニューに入れない。入れる箱でもフェンスで21歳以下ゾーンがくっきり分かれていたりする)

House show @Alice Coltrane Memorial Coliceum

Han Bennick & Mary Oliver special orchestra by Creative Music Guild @Redeemer Lutheran Church

追いかけている特定のアーティストはいますか?  
年上アーティストの代表格だと、Smegmaのメンバーは自分が出ない様々なライブにも出没し、世代下のアーティストと交流していて、それは大きい。ThronesのJoeもしかり。Daniel Mencheは最近、日本でツアーで回っていたのも記憶に新しい。彼のライブは、頻繁にライブ形態を変えていて、いつも実験的。ポートランドに来た当初、頻繁にハウスショウをしていたMattは、家の都合で最近はやらなくなってしまったけど、Red Neckという名前で今も活動している。彼はホラー映画が大好きで、ハーシュノイズのプレイ中にブルーベリーを顔に塗りたくって最後に死んだふりという芸が定着していて面白いです。Soup Purseという名前のソロ活動と、去年からシェアハウスの住人たちと始めたユニークなインプロバンドFiascoでもシンセなどを担当してるToddの家が、Alice Coltrane Memorial Coliseumという名前で頻繁にハウスショウをしていたのだけど、家が売りに出されるとかでみんな出て行かないといけないとかという噂。今はどうなってるかどうかわかりません。彼は話も面白くて、Soup Purseとしてのライブは、毎回内容が違っていて楽しませてくれる。Gordon Ashworthは自分でライブ企画をしたり、夏にノイズとメタルが交互にプレイするフェスを2年続けてやったり、全米各地・ヨーロッパや日本へもツアーに出ていて、とても精力的。Oscillating Innards、Concernなどの名義でも活動しています。Golden Retrieverという2人組もよく観に行きます。カラフルなコードが複雑に入り組んでる壁モジュラーシンセと、ベースクラリネットの組み合わせで、毎回映画音楽のような壮大な空間を作り上げています。シンセのMatt Carlsonはソロ活動も頻繁。先日、教会で15人くらいのオーケストラ編成を彼が率いるエクスペリメンタルとクラッシックを融合させた特別ライブがあったのだけど、こういうフュージョンは大好き。もっと音楽のジャンルはクロスオーバーしたらいいと思う。あとMASSAGE 10の表紙を飾ったBrennaと彼女のパートナーのBirchの実験音楽プロジェクト、MSHRも注目してるアーティスト。彼ら独自で創作したシンセとライティング装置から、毎回予想できないパフォーマンスは見逃せない。
 あとノイズではないけど、1939 Ensembleはオススメ。元Breedersドラマーで現在ポートランドでドラムショップを経営してるJoséと、バンド以外ではミュージックスクールでドラムを教えているドラム一筋のDave、シアトルから数年前に移ってきたJoshがサックスとムーグシンセという現3人組。前出の二人はドラムとバイブロフォンをライブの中盤でスイッチするというのが独特で、BATTLESやPeter Brotzmannなどの前座を務めたり、知名度がじわじわ上がって来ています。

今、ポートランドで注目の場所はありますか? 
以前ほどこの箱というのは減ったけど、強いて言えばProjection MuseumValentine’sYale Unionは面白い企画が多い。体毛がビリビリするほどの爆音に包まれたければ、The KnowKenton Club。あと、教会でアンダーグラウンドシーンのライブが企画されることもあって、個人的にはそういう環境がとても好き。天井は高いし、音の響きが間違いなくいい。神聖な雰囲気との対照も面白いし。前にCharlemagneが演奏したカレッジの教会に、巨大な円形のオルガンがスペースシップの如く天井から吊ってあって。子連れで来てた人たちにも有無を言わさないほどの爆音。
 ハウスショウは機会があれば是非体験してもらいたい。日本じゃなかなかできないし。家にあるなんだこれは!なアートにも圧倒されるだろうし、崩れそうな階段とか一度も掃除したことないようなバスルームとかに出会うことも(笑)。今はもうやっていないのだけど、Noise Pancakeといって、日曜日の昼からノイズとパンケーキの平和な融合が繰り広げられる企画もあったり。ポートランド郊外には、溶接スタジオで開催されるノイズライブがあったことも。それも今はやっていなくて残念。工具むき出しというインダストリアル感満載で、ノースウエストらしい素晴らしいラインナップだったのだけど。

もし日本からそういったシーンを訪れるとしたら、どうすればよいでしょうか?
とにかくポートランドに来てください! もしくはポートランドのアーティストを日本に呼んでください‼︎

エミ オオタキ ジョイス
短期語学留学でポートランドに来てから、街と自然の絶妙な調和にすっかり魅了され気がつけば5年。ローカルアパレルブランドでデザイナーをしながら、藍染めやキノコ狩りにはまる生活。ポートランド音楽ブログ、ゆるりと更新中。 http://emioopdx.tumblr.com

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Glitchaus / Jeff Donaldson

2014年の6月、グリッチをテーマにした「Glitch @TOKYO解放区」が伊勢丹新宿店のTOKYO解放区にて開催され、それに合わせてJeff Donaldsonが来日した。僕は2011年にTumblrを通じて彼と連絡を取り合うようになり、実際に会うのは2度目になる。伊勢丹での企画に参加したのはJeffのGLITCHAUSの他にGlitch Textiles、bodysong.、Nukeme and Ucnvで、特にucnv氏には企画の段階からアイデアを出してもらった。日本の百貨店で、グリッチに関する企画が開催されたのは、おそらく初めてのことだろう。Jeffの活動は音楽、映像、テキスタイルと多岐にわたり、その作品形態の変遷自体がひとつの歴史になっている。今回は、彼のコンセプトがどういったところから来ているのかについて話を聞いた。

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Motif designed by displaying programs at the wrong resolution. 150x100cm. 50/50 merino wool/acrylic. 2015

今回、日本の伊勢丹百貨店で作品を発表し、どんな印象を持たれましたか?
伊勢丹百貨店で僕の作品を発表できたことを嬉しく思っているよ。また、他のアーティストの作品を見られたこと、僕の作品が世界中のアーティストに囲まれて展示されたことに興奮した。展示の仕方もとても素晴らしかったね。

伊勢丹は、日本ではとても有名な百貨店のひとつです。百貨店でのグリッチ作品の展示は初めてですか?
そうだね。僕は主に美術館やギャラリーで展示を行っていて、ベルリンでインターネットヤミイチにも参加したよ。このような有名な百貨店で展示できたことを誇りに思っている。来日する機会を与えてもらえて本当に嬉しいんだ。

日本に来たのは2回目ですね。
初めて来日したのは2011年で、Koenji HighでBlip Festivalに出演したんだ。僕の好きな場所のひとつだよ。

あなたの経歴について教えて頂けますでしょうか?
僕はテキサスで生まれ、親の仕事の都合でハワイやミシガン州などいろいろな場所で暮らした。これまでの大半をアメリカの東海岸で過ごしたよ。1980年代は、スケートボードとビデオゲームに夢中だった。ニューヨークに行く前、ボルティモアで9年住んでいて、バンドでギターを担当していた。2001年、大学で作曲を勉強するかたわら、エクステンデッドミュージックの技術をビデオゲームに取り込んだんだ。このビデオ作品は、僕のテキスタイルデザインのコンセプトに繋がっている。2007年にスカーフを発表して、2011年にGlitchausスタジオレーベルを立ち上げたんだ。

クラシックギターを弾いていたのですか?
ジャズギターとクラシックギターの両方を学んでいて、いろいろなバンドで弾いていたよ。直近のバンドはボルティモアでやっていた時のものかな。

バンド名は?
ひとつはインストゥルメンタルでプログレッシブロックの The French Mistake。1990年代にツアーをして、7インチレコードを〈Vermin Scum records〉からリリースした。もうひとつは、Wzt Hearts。2004年から2008年まで活動して、フリーインプロビゼーションでノイズ系のバンドだった。「Wzt Hearts」 では2枚のレコードが〈Carpark and Hoss Records〉からリリースされてる。

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Gradient
Chance based motif generation designed by diffuse dithering a gradient image. 185x150cm. 50/50 merino wool/acrylic. 2014

グリッチの制作プロセスはどのようなものでしょうか?
いくつか異なるプロセスを使っている。一つ目は、おそらく一番知られている方法だと思うんだけど、任天堂のゲーム機の回路基板にワイヤーを加えてわざとショートするように改造するプロセス。僕はこのプロセスの結果を Notendo と呼んでいる。いろんな人に、サーキットベンディングとして参考にされているテクニックだ。サウンド系のおもちゃのバッテリーをサーキットベンディングしている人がよくいるね。僕が2001年にしたことは、それをビデオ機器に応用することだったんだ。
二つ目は、データベンディングとして参考にされているテクニックと、データをビジュアル化するテクニックだ。データベンディングは初期のグリッチアートのテクニックで、ファイルデータの操作を含む。僕はこれを16進数で操作するのが好きなんだ。またこのテクニックは、例えばノートパッドかテキストエディターのテキストを画像ファイルとして開くことが可能になる。結果は同じだよ。僕はこのテクニックを千鳥格子のスカーフに使った。
データをビジュアル化するプロセスは、 Data Knit に使った。バイナリデータをグラフィック化できる ソフトを使ってね。

作品を作るに当たって、影響を受けたものはありますか?
最初に影響を受けたのは、2001年に見た夢なんだ。任天堂のゲーム機でアブストラクトなアートをつくっている夢を見た。だから、目を覚ました時、やり方を思いついた。ジョンケージは、もちろん、作曲やエクステンディットテクニックを勉強していた時に大きな影響を受けたよ。“prepared”って用語は、彼の“prepared piano”から拝借した。僕がどんなことをやっているかを表現するためにね。その用語がしっくりきたんだ。ジョンケージが機材を使ってピアノを改造して音色を変えたように、僕はワイヤーを加えて従来ビデオシステムがするべきことを変化させた。
そのプロセスを開発している時、結果を見て北米や南米で発見されたモチーフに似ていると気づいたんだ。それ以来、ファイバーアートの歴史に興味を持って、そこに影響を受けた。
あとは映画と音楽にも影響を受けたよ。2001年はコンテンポラリージャズをよく聴いていた。ジャズのインプロビゼーションのフリーフォームから受けた影響は、僕のライブビデオ制作でのアプローチに出ているよ。

グリッチという手法に惹かれる理由は何でしょうか?
始めた頃から 僕が魅了されているのは、アートフォームの自然性、偶発性なんだ。いつも驚かされるよ。期待するものをアイデアにすることは可能だけど、実際できるものはいつも異なるから。

スカーフ作成の目的は?エキシビジョン、それとも販売用ですか?
2007年のスカーフは、改造したNESで作った初めてのテキスタイル作品。それは、僕のコンセプトである、グリッチがトラディショナルでコンテンポラリーのテキスタイルデザインに似せることができるかをテストしたものなんだ。スカーフをつくってみて、グリッチがファッションのアイデアになると思った。僕は、自分のテキスタイルを着るのと同様に展示できるものだと考えているよ。

どのように販売したのですか?
インターネットとビデオパフォーマンスで販売した。何人かの友人も買ってくれたよ。

グリッチという手法を最初に認識したのはいつ頃でしょうか?
グリッチを最初に認識したのは、1980年代にビデオゲームをしていた時だった。僕はそれが「グリッチアート」ということを2004年まで知らなかったんだ。知ったのはAnt Scott と Arcangel Constantini にコンタクトを取った時だった。ほどなくして、僕は改造したNESとSEGAでの作品を展示し始めたんだ。

やはりパイオニア的存在ですね。
僕はグリッチをカタチにしたパイオニアたちの一人だよ。メキシコシティのArcangel Constanini と僕は、最初にビデオゲーム機材をショートサーキットさせたんだ。僕はまた、「グリッチアート」をテキスタイルデザインに初めて取り込んだ存在でもある。

Data Knit
Motif designed by visually rendering binary data of the Windows Explorer executable. 145x17cm. Acrylic. 2015

あなたが好きなのは、新しいデザインの方法を見つけることですか?
僕は、新しい方法を見つけるつもりはないよ。僕は自分の直観に従っている。僕は自分が始めたことをやり続けることが好きなんだ。

1988年からスケーターのビデオを撮っていたということは、スカーフの制作よりも、音楽やまたは映像の方が歴史が長いということですよね。一番興味があるものは何ですか?
僕は全てのことに平等に興味がある。僕の音楽はビデオ映像に繋がっているし、それらはテキスタイルのデザインに繋がっている。すべては繋がっているんだ。

クリエイティブなインスピレーションはどこからやってくるのですか?スケーター、音楽、他にどんなものがありますか?また、そこからなぜ着るものをつくろうと思ったのですか?
僕は世界中の古代のアートにインスパイアされている。その技術は本当に目を見張るものばかりだ。どの作品もとても繊細で意味がある。僕はそれがとても美しいと気づいたんだ。僕の姉は花嫁衣裳と映画の衣装デザインのビジネスをやっていて、それにすごく興味があった。1990年代にはジャン=ポール・ゴルチエが大人気だった。映画「コックと泥棒、その妻と愛人」のゴルチエの衣装にすごい影響を受けたよ。

映像はファミコンでつくっているけど、スカーフはどのように作っているのですか?
改造した NES で作った スカーフのモチーフを映像に記録して、そのビデオのフレームから静止画を 選んでいる。それから、画像を編集し、1ピクセルごとに編みこんでくれる編み機へデータを送るんだ。

スカーフを作る時、ファミコン以外で作ることはありますか?
僕は2007年からドイツで 編み機でつくっている。クオリティが素晴らしく、安定感がある。また、ブラザーの編み機を使っているよ。家に一台持っていて、改造した FTDI ケーブルを使って、ノートパソコンのおUSB経由でモチーフを送っているんだ。

グリッチで大切なのは、偶然性?一番興味があることは、偶然の結果を得られることですか?
そのとおり。僕は偶発性に興味がある。予想できないからね。もちろん、そこから偶発性を作品の形にしていくんだけど。偶発性がなかったらグリッチは存在しない。

Read Error
Motif designed by displaying programs at the wrong resolution. 175x25cm. 50/50 merino wool/acrylic. 2012

スカーフを発表した以降2008年頃、いろんな人のグリッチ作品を見たと思うのですが、その時どう思われましたか?
Melissa Barronは、僕と同じコンセプトでテキスタイルデザインを発表していた。2010年、シカゴでの GLI.TC/H カンファレンスの時にMelissa に会ったよ。僕はすぐに彼女の作品を気に入り、コラボレーションしないか、ってオファーしたんだ 。Melissa は僕のRead Error モチーフを織ってくれて、僕はそれを2011年ブルックリンで開かれたBent Festival での展示作品の一つに加えたんだ 。ヌケメ氏のGlitch Embroidery とニットレースは最もオリジナリティーがある作品で、しばらく見入ってしまったよ。彼の作品は個人的に好きだよ。また、UCNV/Bodysong コラボレーションも好きだね。とても美しかったよ。

グリッチは、他の人やっても同じ結果が出るものですか?
「グリッチアート」を見ればどんなテクニックが使われているかを知るのは簡単だよ。だから、デザインにとってコンセプトこそが一番大切だと考えているよ。

アイデアとコンセプトは大切。スタイルは簡単ということでしょうか?
スタイルをまねるのは、コンセプトをまねるよりはるかに簡単だと思う。

グリッチアーティストですが、その技法を使わずに何かを作りたいと思いますか?
僕はグリッチとエラーが作り出すもの、例えばテキスタイル、ファッション、インテリアデザインなんかに興味がある。また、アナログエラーも好きだよ。僕は、Electronic Textile Institute Berlin で、織物の見た目が破損してしまったブラザーの編み機を使っていた。これは画像ファイルの代わりに 、編み機のエラーをモチーフに編むことを可能にしたんだ。僕は今もなお、探し続けている。僕はまだ始めたばかりのような感覚なんだ。すべてのことに興奮をおぼえるよ。

今ではさまざまな手法のグリッチが出てきていますが、そのスタイルの違いについてどう考えていますか?
僕は、色々なスタイルがあることは大切だと思っている。その方がおもしろいからね。

Jeff Donaldson プロフィール
2011年より、Notendo、Glitchaus。Glitchausなどの名義を用いて活動。今後はGlitchausの1本にしていく予定とか。 Glitchausの「haus」は、ドイツ語ではfromの意味。グリッチから発信するという意味合いが込められている。

Jeff Donaldsonによるグリッチニットのはこちらで購入可能。

Glitchaus http://glitchaus.com
Notendo / Jeff Donaldson http://notendo.com

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Tacit sculpture: Tilman Hornig

iPhoneやiBookの形状をガラス素材で制作した「GlassPhone」「GlassBook」。ルーターやハードディスクの表面に謎めいたテキストをプリントした作品群。それらは単体のアート作品として制作されると同時に、日常に置かれた写真作品として記録される。画像へと変換された彫刻作品は、ネットという特有の空間において流通することで、その存在を非アートの領域へと溶け込ませる。その変換は、彫刻に伴う「重さ」を消し去ろうとするかのようだ。テクノロジーが作り出すさまざまなイメージ群と、それが及ぼす影響。それらを反映させ、また解体しようとする。イメージと彫刻の関係性の戯れに身を委ねるかのような、そんな彼の独自の制作スタイルを探ってみた。

あなたのバックグラウンドを教えてもらえますか。

ドイツに住んでいて、ドレスデンのアートアカデミーでファインアートや彫刻を学んだんだ。アートは僕がやれる唯一のことだし、やりたいと思っているただひとつのことだね。と言っても、スタジオに毎日行く必要はないけど……でも、日々アート制作については意識的であろうとしているよ。プライベートと作品づくりの間には、境界がないんだ。それはつまり、スタジオと呼ばれている場所に身を置いて、キャンバスや彫刻の前でアイデアをひねったり発想するという、椅子に座ったステレオタイプなスタイルではないということ。僕自身や僕の作品で重要なのは、地域や地形に制限されず、できるだけ自由にフレキシブルであることなんだ。陳腐に聞こえるかもしれないけど、僕個人にとってそれが気分の良いことだね。たとえば、作品を作り展示するという行為についてグローバルに活動するのは簡単になっていると思うし。

Web上の作品からの想像ですが、2008年の作品「TheNewromanzer」から比べると、それ以降はコンピューターの文化を意識した作品になっているように思えます。こうした方向性のきっかけはありますか。

それ以降も、数多くの作品を制作してきたけど……そうだな、2011年の「Cut」という作品がきっかけと言えるかな。作品展示の前にかなりの量のコレクションを集める必要があって、つまり彫刻はとにかく広いスペースが必要なんだ。なぜ、僕が自分の制作の比重をインターネットに移すようになったかという理由のひとつは、さっき言ったことがそうで。それに、A地点からB地点まで重たい物体を引きずって、嫌になるほど積み重ねあげていく作業にうんざりしたんだ。最終的に彫刻作品をスタジオの壁へ立てかける前に、インターネット上のどこかへ保管したり、どこか特別に保管する場所を設ければいいと考えたんだよ。それとは別に、インターネットの膨大なポテンシャルは、自分の作品の保管場所や展示スペースになるし、作品のインスピレーションの源泉にもなるって発見したんだ。もともと、僕は子供向けのSF映画やコンピューターゲームにハマってきたし、それ以降は自作のエレクトリックミュージックの方が、絵画のような山々や神聖な建造物、美術館の展示物より好きだったということもあるね。

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「GlassPhone」や「GlassBook」はモチーフとして、私たちの身近になったテクノロジーを象徴する二つのもの、スマートフォンやノートパソコンを強く連想させる立体作品ですが、このモチーフを選んだ理由はコンピューター文化への興味を反映しているのでしょうか。

そう、もちろん! スマートフォンなどのデバイスは、僕をエキサイトさせてくれるよ。そして、僕の制作活動を変えてきたし、今も変えているツールなんだ。コンテンポラリーのアーティストとして、このデジタルなコスモスを絶対に無視することはできないね。この現実世界に僕は生活し制作を行っている。その中で、自分の仕事や作品のパートとして「デジタルカルチャー(デバイスやインターネット、Tumblr、Tinder等)」を扱っているという感じだな。

「GlassPhone」や「GlassBook」の素材はガラスですが、実際のiPhoneにも表面にガラスが用いられていますよね。あなたはガラスに素材としての魅力を感じますか。あるいは、単にコンピューターの非物質性に関する比喩でしょうか。

そう、「GlassBook」を作るよりも前から、素材としてのガラスには長いこと惹かれてきたんだ。美的な観点からも、ガラスはとても美しい素材だし。また、ガラスとコンピューターとの関連性の明確な理由としては、その透明性や物質感の無い物体の中で、複雑な事物やコンテンツが結びつけられている点が挙げられるね。また、僕はあまりに大量な情報やシェアするデータ量の膨大さにうんざりしていたんだ。それで、空白に満たされていて何も無い、同時に僕達の世界をそのまま見せてくれるオブジェを作りたいと考えたんだよ。コンピューターは尽きることのない可能性を持ち運べるものだけど、それを使う人がいなければ、空っぽな存在だ。そう、コンピューターそれ自体では何もできないわけで。でも、すでに存在しているものでもある。僕は複雑で多機能なツールであるということと透明性があって存在感もあるということに制作のアイデアを得たんだよ。

僕はあまりに大量な情報やシェアするデータ量の膨大さにうんざりしていたんだ。それで、空白に満たされていて何も無い、同時に僕達の世界をそのまま見せてくれるオブジェを作りたいと考えたんだよ。コンピューターは尽きることのない可能性を持ち運べるものだけど、それを使う人がいなければ、空っぽな存在だ。

「TXT on Devices」は「TXT work/Pro Work」とつながりのある作品ですね。使用されているテキストは同じに見えますが「TXT work/Pro Work」が「TXT on Devices」という作品に発展したと考えてよいのでしょうか。

そうだね。テキストは、所々同じものだよ。テキストの制作を始めたばかりの頃は、たとえば詩のようにテキストそれ自体が作品だと思っていたし、なんと言うか、完全に独立した表現メディアだと考えていたんだ。

僕はテキストについて絵画やモチーフのようだと考えていて、自分のアート制作の実践として試みていたんだよ。もともと制作したテキストは、キャンバスにプリントしていて……さらにほかの文脈のレイヤーを加えるために、コンピューター等のデバイスにテキストをプリントしたというわけだね。

書かれているテキストの制作方法についてですが、このテキストはコラージュでしょうか。あるいは、詩のように完全な創作物として書かれたのでしょうか。

テキストは、僕が描いた絵なんだ。作家が文章を書くようにね。本来のやり方とは全く異なった方法ではあるけれど、僕にとってはナチュラルなことだよ。人がテキストを目にした時は、いつも何らかの情報だと感じてしまう。言葉の並びを内容のあるものとして扱う……それを止めることはできない。その事態が僕を魅了するんだ。もし今、あなたが不可解で大量な情報を目にしたとしたら、抽象的な、アブストラクトな感覚を抱くと思う。僕のテキストでは、何か良くないことの予兆のような、疲労感というか脱力感のようなものをクリエイトしたいんだ。


アラビア語や中国語を使うことにはどういう意図があるのでしょうか。文字を読めなくするということを意図しているのですか。

そう。英語以外の言語を使っているのはそこに意図がある。なぜ、英語にこだわる必要があるんだろうね。当然、言語やコミュニケーションにはたくさんの側面があるし。あるテキストを理解できないということは、その言葉をしゃべれない、または内容が分からないということだよね。僕にとって、分からない、理解できないということはエキサイティングな瞬間なんだ。まさに、興奮する瞬間だよ。もし、理解不能な事柄が無くなったとしたら、ものすごく退屈で仕方ないだろうね。

プールに沈んだルーターの作品は、非アートのイメージがアートと受け取られる可能性がある今の状況と関係しているのでしょうか。

夏に僕はけっこう水泳をしていて、その時にスイミングプールの中で何かをやりたいなってアイデアを思いついたんだ。それが水の中のWi-Fiルーターで、僕にとって意味を感じられるものだった。ルーターには、これまでとは違うテキストもプリントしてね。誰かがプールの底にあるルーターにプリントされたテキストを読んで、意味が分からなかったり、判読できなかったりするんじゃないかなって。まあ、結局はとんでもなく現実離れした考えだったけどね。水中のWi-Fiルーターというシチュエーションは、ネット上で話題が広がったし良い写真になったよ。意図通りだね。このピクチャーの普及の仕方や見方については、アートの文脈に限定されたものではないし、文脈の中にあるか、もしくはその外にあるという作品。そう、僕にとって様々な境界はもはや妥当なものではなくなっているし、どんどん境界はぼやけていっているんだ。

あなたのTumblr上では展示の写真ではなく、様々なシチュエーションで撮影された画像が上がっていますね。実際、Tumblrでも「GlassPhone」や「GlassBook」の拡散された画像をたくさん見ました。あなたの彫刻作品はイメージとして受容されることを意識していますか。

まず言わなくちゃいけないのは、「GlassBook」や「GlassPhone」は現実の生活の中でこそ、素晴らしく見えるってことなんだ。写真を使って彫刻を作るというタスクから、自分を引き離すものだね。つまり、これらのガラスの彫刻はテーマ的にも、美的な意味でも、完全に彫刻の使われ方の記録こそが展示そのものになるってことなんだよ。そう、プロダクトの広告に似ているね。彫刻の全体的なコンセプト(彫刻というのは、アーティストによって制作されたアーティスティックな人工物という意味)は、重要な役割を担っているよね。その彫刻がどこに属しているのか。プライベートな台座か、美術館の室内なのか、パブリックスペースにあるべきか、どこかの広場なのか。彫刻はどんな風に扱われているのか、彫刻とアイテムの境界はどこにあるのかが大事なポイントだと思う。僕の作品の写真では、作品の利便性や実用的な彫刻であるということを人に喚起させていると思う。

このピクチャーの普及の仕方や見方については、アートの文脈に限定されたものではないし、文脈の中にあるか、もしくはその外にあるという作品。そう、僕にとって様々な境界はもはや妥当なものではなくなっているし、どんどん境界はぼやけていっているんだ。

興味のあるアーティストや作品がありましたら教えてください。アート以外の物でも構いません。

アートに限っていえば、とても良いと思うのはごくわずかだね。僕は、それ自体が何かよく分からないという時に興味を抱くのだと思う。ある振る舞いのプレハブみたいなパターンやステレオタイプには、死ぬほど退屈している。僕はアーティストが、彼ら自身のやり方でその人生を通じて「描く」ことを続けていたら敬服するんだと思う。良いアートというのは、何かを欲しがるべきではないとも思っている。アートは常に人工的な側面を持つものだし、祝福を与えたり、ののしりの言葉になるような性質を持つものだって考えているよ。

今後の制作の予定を教えてください。

僕がアートを学んだドレスデンには、ドイツ衛生学博物館があって、解剖された人体モデルが1930年代から展示されているんだ。ちょうど人間と同じサイズのガラス製のモデルがあってね。その「Glass Woman」の透明なボディーの下には、すべての臓器が見えるようにできている。次は、「Glass Woman」のリメイクに制作時間を割く予定だよ。

Tilman Hornig プロフィール
ドイツのドレスデンにあるアートアカデミーでファインアートや彫刻を専攻。ガラス素材でスマートフォンやノートPCの形態をオブジェにした「GlassPhone」「GlassBook」などが代表作。作品を通じてリアルとネットとの連関に、違和感や親和性という矛盾を表現する一連の活動を行っている。

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3 Dimentional Surface #3: Maiko Gubler

Maiko Gublerはベルリンにスタジオを構えるヴィジュアルアーティストである。彼女は3Dモデリングツールを用いて、デジタルデータの彫刻作品を制作する。彼女の作品には、色彩と形状の組み合わせに意図的なズレがある。液体のような形状にのせられた大理石のパターンや、ぐねぐねと曲がった円筒に組み合わされたグラデーションのパターンなど、現実であまり見たことがない、しかしはっきりとその物感を想像することができる、不思議な質感を持っている。まるで3Dモデルの形状と表面の色彩がそれぞれ別の参照先を持っている、その構造自体を提示しようとしているかのようである。彼女の作品は1枚の画像として完成しているものもあれば、実際に物質として出力されているものもあるが、作品が画像であるか物質であるか、というところには境界を引いていないように見える。「彫刻作品」も「彫刻作品の画像」も、「鑑賞によって作品が知覚される」という点は共通するからである。彼女の制作は、ヴィジュアルと物質の認知上の差について、画像を形として認識できるのはそもそも何故か、という根源的な部分へのアプローチであるように思える。そういった意味でMaiko Gublerの作品は、鑑賞者に知覚される「イメージ」そのもの、サイズと重力のない世界をベースにしながら鑑賞者のイメージを彫り刻む、「イメージの彫刻」であると言える。

※本記事は、ネットで活動するアーティストの作品を3Dプリンターで実体化させるプロジェクト、DMM.makeに掲載の「3 Dimentional Surface #3: Maiko Gubler」の連動企画として、お届けします。DMMのテキストはこちら

はじめに、あなたのバックグラウンドを教えてください。
私は日本人の父とスイス人の母との間に生まれ、スイスで育ちました。ベルリンに移る前はチューリッヒの芸術大学で学際的な基礎コースを受講していて、そこでは特にコンピューターとは関わっていませんでした。その代わり、たくさんの工芸や技術的なスキルを学びました。1年間の在学でしたが、作品制作について全体的なアプローチがはっきりと見えたと思っています。私自身の日本とスイス、両方のバックグラウンドが自分の制作に与える影響とかです。

その後、大学ではどのようなことを学んだのですか。
ベルリンの芸術大学ではデジタルメディアクラスのビュジュアルコミュニケーションを学び卒業しました。それから、インタラクティブアートのディレクターとして働き始め、Art+Com, Fork Unstable Media, DDB, Jung von Mattなどのクリエイティブエージェンシーに所属し、たとえばフォルクスワーゲンやグーグル、EAエレクトリックアーツ、ナイキなどのクライアントを相手に仕事をしていました。約10年ほど続けた後、昨年から私自身の制作活動に集中するようになりました。

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Gradient Bangles

「Gradient Bangles」が生まれるきっかけは何だったのでしょうか?
私は数学的というか計算式によって形成される3Gの表層にあらわれる色彩の勾配、傾きに魅了されてきました。ここには色と3次元のトポロジーがベースを形づくっています。物質性を保つためにも、あえて私はZCorp full colour 3D printerを利用していて、それは粗めの質感をわざと作り出すためなんです。というのも、「Gradient Bangles」は身につけられるものですが、装飾など機能性をもったジュエリーではないという事を意味するから。しかしながら、私はデザインよりアートの方が価値があるとは思っていません。お互い、それぞれ異なる意図や文脈、マーケットが存在していますしね。ただ、今回の場合では、実用的なプロダクトを制作したいとは思いませんでした。でも、そのうちどこかで作っちゃうかも……期待していてくだい。

「Gradient Bangles」は「もや」のような色彩のグラデーションが特徴的ですが、こういった色彩のイメージはどういったところからインスピレーションを得ているのでしょう?
最初のバージョンだと、表層の色を直接的に発生させ、さらに意図的に色の配置を間違えて再配置しました。一方で、最近のバージョンはあらかじめセットされているゆるい色彩のパターンにインスパイアされています。

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Still Life with Marble

私が興味を抱いているのは、私たちのリアリティーの連結を明らかにすること、と同時にますます見えにくくなっているテクノロジーのほぐれた縫い目を再び明白なものにすることです。

「Still Life with Marble」では大理石が液状化したような作品を作られていますね。こうした「液体」や「鉱物」のイメージは、どういったところから来ているのでしょうか。
このシリーズを作った2009年の終わり頃には、3D作品の一般的な認識はまだかなり一元的なものでした。特殊効果であったり、商業的なイメージにこっそり使われていたりというのがほとんどだったんです。一方で、現実以上のリアリティーを表現する写真家や肉感的・魅惑的な3D作品は、よりリアルな感じを持っていました。「Still Life with Marble」は上記のテーマに踏み込んでみた作品です。物事や物質的な価値と「写真のようなリアル」のイメージとの整合をとり併存させるというか。レンダリングした3Dの人工モデルとスクラッチで作ったデジタルなオブジェクトを並置してみたのです。最近では、デジタルなマーブルのパターンは円柱や胸像などでありふれたものとなっているかもしれませんが。でも、リアルに対する意識を拡張したものだと私は考えています。

あなたの作品について、「もやのようなグラデーション」や「液体」などの特徴はデジタルの3D空間に対するご自身の気持ちを表しているように感じました。つまり、「不定形で曖昧なもの」ということを表現しているのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。
確かに、不確定という言葉はよいかもしれませんね。ただ、彫刻のイメージやヴァーチャルなモデル、具象的なオブジェクトの区切りをぼやけさせる表現については、それら全てを均一化させることでも、互いの表現ジャンルを対抗させようとしているわけでもありません。私が興味を抱いているのは、私たちのリアリティーの連結を明らかにすること、と同時にますます見えにくくなっているテクノロジーのほぐれた縫い目を再び明白なものにすることです。

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About Making Architecture

最近、3Dプリンターでは金属やゴムのような素材も出力可能になっていますが、今後、あなたの作品でそういった素材を利用する事はあるのでしょうか。
ゴム素材についてはとても興味を持っていますし、いつか試してみたいと思っています。また、すでに金属の鋳造に関連してワックスプリントを試したこともあります。けれど、私は3Dプリントの即時性を好んでいますし、短時間でモデルを形成できる方法を失いたくはないですね、ベストなアイデアがあれば、それを採用しますけども。今は、私は3Dプリンターの従来の技術を組み合わせることを試しているところです。

ところで、キノコ狩りが好きだとうかがいましたが。
ふふっ、はい、確かに。人工的には栽培できない、野生のオーガニックなもの特有の形態や形状に惹かれるんですよね。森の中に分け入って進んでいく体験が大好きなんです。それは、意識を鮮明にし、自分の中の本能が研ぎすまされる行為です。そして、何か食べられる物を手にして戻ってくる事は、人間としてとてもつつましく手応えのあることだと感じています。

影響を受けたクリエーターなどはいますか。好きなアーティストを教えてください。
現在、素晴らしい仕事を行っているアーティストは本当にたくさんいます。でも、私がいつも立ち戻ってくるのは、イサム・ノグチとジョン・ケージですね。

日本のカルチャーについては、どのように考えている、あるいは感じていますか?
私自身、日本人とスイス人のハーフなので、多義的な感情が伴います。日本のカルチャーに対する親しみと当惑の感覚があって、それは私にとって喜ばしいミクスチャーなんだと思います。そう、とてもありがたい事だと思っていますよ。あと、もっと日本の言葉をしゃべれるようになりたい。特に、工芸品に対する意識や日本の伝統的な美学である侘び 寂び、儚さ、不確かさ、あるいは普遍的な事などについてです。
私は宗教的な人間ではありませんし、そして、おそらくはとても西欧的な解釈だと思いますが……私自身と神道にはたくさんのコンセプトの関わりがあると考えています。融合の概念というのでしょうか、それぞれ異なった実体が混ざりあって、複雑に関係をつくり絡み合っていく。私の作品にも使用している融合の概念。たとえば、日本ではお婆さんが伝統的な着物を着て、でも腰の辺りにはケータイをぶら下げています。また、自然への意識を育んでいながらも、アンドロイドのような完全な人工的なものへの抵抗感のなさ、開放性も維持しています。私は日本にいる時はいつでも、さまざまなリアリティーが無理なく相互関係を持っていることに、とても心を揺さぶられるのです。

今後の作品の発表の予定などあれば教えてください。
9月に出版される中国のファッション誌「Kumobakudan」で写真家のMichaël Smitsとのコラボレーションがあります。また、http://dustredux.com/の立ち上げについても楽しみにしていますし、そこで私はいくつかのテキスタイルを作成しています。現時点では、個人的なプロジェクトに取り組む時間を作る事は難しいのですが、それでもやはり、新しい作品に取り組み完成させたいですね。だって、もっともっと新しい何かを発表していくことが大好きですから!

Maiko Gubler http://maikogubler.com

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3 Dimentional Surface #2: Phil Thompson

データなどを故意に破壊することによって出現する現象「グリッチ」に強い影響を受け、主にスカルプチュア作品をメインに活動するアーティストPhil Thompson。その手法はグリッチ的な効果を用いたもの、コンセプチュアルなものなど様々だが、その作品は表層と実質の間にある差異を暴き出す。ものごとの関係にメスを入れ、そのズレが明確になるポイントを作品として定着する、そんな試みを行なっている作家である。

※本記事は、ネットで活動するアーティストの作品を3Dプリンターで実体化させるプロジェクト、DMM.makeに掲載の「3 Dimentional Surface #2: Phil Thompson」の連動企画として、お届けします。DMMのテキストはこちら

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Stones (Marble, Sandstone, Granite)

作品にデジタルの質感を取り込む理由は何でしょうか。それにはどのような狙いや意図があるのでしょうか。
僕の作品の多くはグリッチ(データ等を意図的に壊すことで出現する現象)を用いています。僕はグリッチというのは完璧な再現性の先を見せるもの、構造物の内部を表出させるものと思っています。デジタルによる完璧な再生という神話は今では綻び欠けているし、デジタルで作られた人工物を保つのはどれくらい難しいか、人々は気づき始めていると感じるのです。ただ、オンライン上のイメージはまだ不可知のままであるし、特に言語については(クラウドやワイヤレスなど)非物質的なものにシフトしている。
僕はグリッチや何らかのエラーがイメージとかデータの物質性をあばいてくれることが分かったし、それは物質的な構成要素であるケーブル、ハードドライブ、モニターなどを破壊する事でも引き起こり、様々なコードやファイル形式との間にある相違を明らかにしてくれるものだと分かりました。

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Bronze Sculpture

あなたの作品には質感や質感の価値に関するものがあると思います。その二つを意識して創作している理由を教えてください。また、質感の価値に関する作品とデジタルの質感を用いた作品との違いを説明していただけますか。
僕はいつもオブジェクトやイメージの表層にあるもの、それらが構成する意味に興味を持ち続けてきました。自分の作品は、表面上のクオリティーを壊すよう企てることで、物事の本質をより明らかに見せようとする試みだと考えています。たとえば、貨幣に関する僕の作品は、硬貨に使用されている材料の価格が、実際の硬貨が持つ貨幣的な価値を上回る特定の時点を示すことで、表面にあるズレを明らかにしようとする試みです。
それでいうと、3D CADを用いた自分の作品も、ファイル内の破損やグリッチによって、物事の背後にあるより根源的な何かを明らかにしようとしている点では似ていますね。
でも、グリッチが今ではそれ自体が固有の美的価値のあるものとして受け入れられているのは興味深い。もし、エフェクトが人工的に生成されるようになれば、それは再びテクスチャーになっていくのでしょうね。

僕はグリッチというのは完璧な再現性の先を見せるもの、構造物の内部を表出させるものと思っています。デジタルによる完璧な再生という神話は今では綻び欠けているし、デジタルで作られた人工物を保つのはどれくらい難しいか、人々は気づき始めていると感じるのです。

あなたの作品にはインターネットの影響があると思っていますか。もしそうなら、どのような点でしょうか。
インターネットの影響は間違いなくありますね。僕の人生の大部分はインターネットが周りにあることによって、もたらされていると思う。僕は作品づくりの出発点として、オンライン上の画像やGoogle3Dギャラリーの3Dモデルをよく使っています。僕の作品自体も進行中のシリーズ「Iterations」についてコントロールするのをやめ、オンライン上で誰もが続きを行えるように許可しています。そうすることで、ネット文化にあるコピーや編集に対応できるようにしているのです。

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Iterations

今、特に注目しているアーティストや物事はありますか。
最近は、デジタルの素材を扱い、オンライン/オフラインそれぞれの体験にあるはずの差異を表現している本当に面白い作品を作るアーティストがたくさんいます。LaTurbo Avedonのプロジェクト「Panther Modern」はとても良い例です。また、Manuel Fernandez、Clement Valla、Thomson & Craighead、Julia Crabtree & William Evans、Jan Robert Leegte、Matthew Plummer-Fernandez、それからBenedict Drewの作品にも強い興味を持っています。まあ、この瞬間にも素晴らしい作品を生み出しているアーティストは、この領域の周りにはたくさんいると思いますよ。

今後のプロジェクトや将来的な計画などあれば、教えてください。
中国で次々に建設されている「コピータウン」に関するフィルムをSebastian Ackerと共同で制作し、それが完成しようとしているところです。コピータウンというのは、すでに存在している西洋の街並のレプリカのような街のことです(www.ackerthompson.tumblr.com)。また、9月中にはリュブリャナにある二つのギャラリーで開催される「永遠の9月」という展示にも参加します。

 

Photos courtesy the artist and XPO Gallery

Phil Thompson プロフィール
1988年マンチェスター生まれ。ロンドンに移住し、ゴールドスミスカレッジ、美術のスレイドスクールで彫刻を専攻。彼の作品は、ディジタル技術が既存のメディアや慣習に与える影響に取り組んでいる。パリのXPO Galleryで作品を発表した。

http://www.pjdthompson.co.uk/

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Counterfeiting an alternate reality: olo

olo(オーエルオー)は、「架空」「偽造」をテーマに作品を制作する作家である。本名やその実生活は明らかにされておらず、発表形態はゲリラ的。独特のユーモアと、皮肉が込められた偽新聞のシリーズは、愉快犯的に拡散され、ネット界隈を騒がすことも多い。彼はまた、架空の紙幣の制作者でもあり、さまざまな用途での受注も行なっている。子供の頃より紙幣の魅力に取り憑かれ、続けてきた紙幣の研究により生み出されたその精巧なデザインは、架空とはいえ、実際の存在感を湛えた雰囲気、紙幣ならではの美しさを備えている。そして、最近では「隣接世界」と名付けられた並行世界の画像のシリーズにも注力している。その作品には想像力を刺激する不可思議な魅力がある。

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最初に制作された架空紙幣は三年前だそうですが、その作品は自分のために作ったものですか?
目的はそうですね。きっかけは、思いつきというのがひとつ。あと、たまたまその日残業を強制されて、ものすごく腹が立っていたんです。それで家に帰って、あ、千円札作ろうと。「日常」というアニメのキャラクターの作品なんですが、主人公が自分の描いたBLマンガを警察官に見られたくなくて、千円札を出して「これで勘弁してください!」と叫ぶシーンがあるんです。そのネタと仕事のストレスが急に結びついて、これを作ろうって。ストレス解消のためというか。

その一枚の千円札から、次々と架空紙幣を作っていくわけですね。
自分は絵が描けなかったんですが、昔はFlashアニメなんかも作っていました。お話を作ることが好きだったんですね。そこで、紙幣を使って世界の一部を作ることができるのかなと思ったんです。そこに紙幣があるっていうことは、それを作っている国がある。そこになにかの一端、現れとして紙幣がある。そんな感じで、お話の断片みたいなものがあるんです。

「偽物」を作るところにoloさんの特徴があると思うのですが、偽物にこだわる理由は何ですか?
例えば、紙幣にしろ立体物にしろ、レプリカとか偽物は壊しても本物が壊れているわけじゃない。それが安心できるというか……。1万円札を燃やすという気分を味わいたい時に、本当に燃やしちゃったら1万円がなくなっちゃうわけです。でも複製品を作って燃やしたら、同じような気分が味わえる。そのような考え方が根底にあります。既製品を自分で作って好きにいじりたい。それも合法の範囲内でですね。

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拡散した作品に関しては、自分が作者であるというのは明かさない?
まあ、そうですね。以前、「特定菓子贈与禁止法案可決」という、ヴァレンタインを禁止する法律が施行されますという内容の偽新聞を作ったんです。それを自分のブログに上げたのが転載されて、広がっていった。その偽新聞のまとめページがあるんですけど、そこでは出所はよく分からないということにされている。それは今思うと象徴的な出来事でしたね。

実名を出さない活動形態もそうですが、それはネットが出てきてはじめて成り立つやり方ですね。
いろんな人が面白いと思ったら拡散するし、そうでなければ広がらないですよね。そういう意味でいうと、自分が作ったものが他人が面白いと思うのかどうかが分かりやすい。

実はそういう考え方をずっと持っているんです。完全に共有している知識はひょっとしたらないんじゃないか、と。突き詰めていくと、完全に同じ知識を共有しているということはない。それでも、かろうじて曖昧な概念がお互いに保たれていて、どうにかコミュニケーションを取れている。

図や絵柄が人に影響を与えることに興味があると以前書かれていましたが、それも同じ発想から来ている?
架空紙幣に関しては「拡散」とは別のコンセプトで作ってます。細長い紙に何かが印刷されていても、お札には見えない。でも、こういう模様が入っているとお金に見えるということがある。お金として見えるためにどこかに言葉で説明できる理屈があるわけです。最低何があれば紙幣としての条件を揃えられるか。逆に何を省略して大丈夫なのか。架空紙幣に関しては、そうしたことの研究という意味があります。

紙幣というと法律なども関わってきますよね。そうしたことは気をつけていますか?
気をつけていますね。自分で法律や判例を調べて、こうすれば大丈夫だろうということはやっています。既存の通貨単位を使わないとか。本物と誤認されないように、裏面を刷らないとか。世界中の誰が見ても偽物だと分かる、それでいて紙幣感が感じられるものを作るということです。美術家の赤瀬川原平さんの前例にもあるように、簡単に捕まってしまう可能性もあるので。そういった意味でも気をつけなければならないですね。

最近の作品ですが、「隣接世界」はまた新しい展開を見せていますね。
元ネタは2チャンネルの書き込みなんですが、この世界に極めて近い並行世界に行ってしまって、その住人たちは日本語を使っているんだけども、配置がデタラメだったというものです。そのデタラメの恐怖感とはどんなものだろうと思ったのがこの作品の始まりです。そういうものを街中で見た時に、たぶんヒヤッとすると思うんです。それを自分で作ってみたいと。

そのヒヤッていう感覚はどこから来るんだと思いますか?
自分の持っている知識とか、他人と共有しているはずの知識が、全く役に立たないところに放り出されたらどうなるのか。そういう感覚を味わってもらいたい。どちらかというと怖いっていう感覚ですかね。いちどその世界を覗いてみたいというのはありますが、帰ってこられなくなったら嫌ですね(笑)。
 実はそういう考え方をずっと持っているんです。完全に共有している知識はひょっとしたらないんじゃないか、と。突き詰めていくと、完全に同じ知識を共有しているということはない。それでも、かろうじて曖昧な概念がお互いに保たれていて、どうにかコミュニケーションを取れている。でも、それは常に成り立つわけではない。あえて、それをとっぱらちゃったらどうなるんだろうか。そういうことを最近は考えています。

参考著作)すべてolo著
架空紙幣図録
合法的な架空紙幣の制作に関する考察
隣接世界訪問写真集

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3 Dimentional Surface #1: Manuel Fernández

リアルとインターネットの境界が溶け出しつつある今、その境界の可能性を試すかのように、ネット上でさまざまな試みを行なうアーティストたちがいる。ネットを主な媒体として作品を制作するManuel Fernándezも、そんな作家の一人と言ってよいだろう。スペインのマドリッドを拠点に活動する彼の作品は、静止画、映像、ネットアート、キュレーション、ギャラリー運営まで多彩に広がる。その作風はグリッチやアニメーションGIFなど、インターネット上の流行を取り入れつつも、多様化するメディア環境の特性を露わにする批評性を備えている。

※本記事は、ネットで活動するアーティストの作品を3Dプリンターで実体化させるプロジェクト、DMM.makeに掲載の「3 Dimentional Surface #1: Manuel Fernández」の連動企画として、お届けします。DMMのテキストはこちら

BG Painting 001 UV Paint on canvas. 100x140x3 cm. 2013

あなたの経歴について簡単に教えて頂けますでしょうか?

独学でアーティストになるための勉強をして、1999年から新しいメディアとインターネットの分野で活動するようになった。

オンライン上の活動についてと、オフライン上の活動についてそれぞれ教えてください。

実際、オフラインとオンラインは区別していないね。自分にとってそれは同じ現実だよ。

作品の制作を始めたきっかけがありましたら教えてください。

インスピレーションの源はアート史、ポップカルチャーやインターネット。この分野に起きていることは、新しいアートを作り出せる可能性を持っていると思う。

Pigeon GIF, 500×400 px. 2013

Lamp GIF, 500×400 px. 2013

画像作品にGIFのフォーマットを使うのはなぜでしょうか? また、画像形式もクレジットしていますが、画像形式をマテリアルとして捉えているようにも思います。それに関しては、意識的にやっているのでしょうか?

ずいぶん前のことだけど、オンライン上の広告代理店で仕事をしていたとき、GIFを使い始めて、その時からフォーマットの可能性に惹かれるようになった。世代的にもとても近い感じがする。Tumblrみたいなソーシャルネットワークサイトの登場もあって、最近のGIFはマージナル環境からアート形式になってきたと思っているよ。

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Google Earthを利用した作品や、ブラウザ上での彫刻作品に関してですが、これらはネット上で新しいスカルプチュアを作ろうという試みですね。ネット上におけるスカルプチュアの特性は何だと考えますか?

インターネットや3Dツールは、既存の彫刻の概念について再考させるものだと思っている。新たなツールやインターネット上での新たな実験は、まだ完全に定義されていないところにまで伝統的な概念を拡大させるだろう。

オンラインギャラリーCermaのための僕のキュレーション・プロジェクト「What we call sculpture」では、この問題に取り組んでる。この展示はインターネットにおけるデジタルツールを使用した彫刻の可能性や、オンライン媒体における展示の可能性に焦点を当てることで、インターネット上の彫刻の概念に関して議論することを提案したんだ。

ビデオゲームやインターネットの出現以来、実際の物質的な空間の概念は、コードや3Dソフトウェアで作られているバーチャル空間と共に存在している。スクリーンで見られるグラフィックは、ハードディスクのストレージのように物質的な空間を占めているだけではなく、シミュレートされた空間に対する企図、あるいは相互作用を通して、サイズ、素材やボリュームのような伝統的な彫刻の典型と同じような特徴をもったものとして知覚できる。

ニンテンドー64のマリオブラザーズからSocial Lifeのようなソーシャルネットワークや、Google Earthを通して現実の世界を感じるといった方法まで、3Dソフトウェアツールで作られているものは、我々の実物空間の理解や接し方などを大きく変えた。それは今の建築家が、設計に使ったAutoCadのバージョンを認識できるぐらい影響の強さがある。僕らが彫刻と名付けるものは、彫刻という手法、インスタレーションなどの作品だけど、そこには美学的な戦略をオンラインで発展させるためのデジタルな実験という意味がある。

インターネットやコンピュータ文化を作品に取り入れる理由は?その今後の可能性についてはどう考えていますか?

それは、ツールであり、僕らが生きている時代の自然な背景であると思う。それまでのツールやコンテキストには、僕らが今遊んでいるような、クリエイティヴな探求の可能性はなかった。もっと先を見て、実際にインターネット上で起こっていることに参加できれば、最もたくさんのチャンスがあると思っている。

Domain Galleryというオンラインギャラリーを運営されていますが、ご自身でそういった場所を運営しようと思った理由は何でしょうか? アーティストはどのように選定しているのでしょう?

新しい技術やインターネットを扱っている世代のアーティストに可能性を知ってほしくて、2年半ぐらい前にこのギャラリーを始めたんだ。彼らはこのメディアのためにほぼ独占的に作品を発表している。でも、伝統的な現代美術の世界にはまだ認知されてないね。どんなアーティストを選択するのかを決定するルールはなくて、自分が関心ある作品を選んでいる。このプロジェクトに関心を持ってくれるひとはたくさんいると思っているよ。

共感のできる、あるいは影響を受けたアーティストがいたら教えてください。

数え切れないけど、あげるとすると、Seth Price、Aram Bartholl、Cory Arcangel、Jon Rafman、Artie Vierkant、Constant Dullaart、Anthony Antonellis、Kim Asendorfなどかな。

アート以外で今興味を持っている物事がありましたら教えてください。

植物学とボディーボード。

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Desktop Screenshot Painting Oil on canvas. 60×40 cm. 2012.

Manuel Fernández プロフィール 
1977年、Málaga生まれ。スペインのマドリッドを拠点に活動するアーティスト。彼の芸術的実践はアート、ポップカルチャーとインターネットとの交差する地点から始まる。社会におけるテクノロジーの影響と、それがどのように根底から知覚の方法と経験の現実を変化させたかについて探索している。ウェブ、絵画、アニメーションGIF 、彫刻、映像、写真や印刷などのメディアを通じて、インターネットの時代における、創造とアートの制作、流通、プレゼンテーション、リアルとバーチャル空間の同梱物などに関わる新たなプロセスを調査する。FernándezはNew Museum NYCのArtbase of Rhizomeでいくつかの作品を発表しており、The Museum of Moving Image(ニューヨーク)、Armory Show(ニューヨーク)、Art Basel(マイアミビーチ)、 ARCO(マドリッド)、The Photographers Gallery(ロンドン)など、アメリカ、欧州、アジアで展示を行っている。2013年にArtSlantが主催した「ERROR 415」賞の審査員の一人。2014年にはBeep / ARCO New Media Art Prizeを授与されている。また、Fernandezは、Webベースのギャラリー、デジタルとインターネットベースの作品に焦点を当てたDomain Galleryの創設者でキュレーターでもある。
http://www.manuelfernandez.name

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Internet Fashion: Silvia Bianchi / Shallowww

インターネット以後の感覚を洋服上で表現するいくつかの試みやムーブメントの中において、Shallowwwは象徴的な作品を発表している。インターネットそのものをテーマやモチーフとして用い、インターネットとファッションの両方の領域を拡張しながら、どちらの層も魅了し続けている。かねてよりTumblr上で散見してきたShallowwwの活動のバックグラウンドについて、メンバーの一人であるSilvia Bianchiにインタビューを行なった。Shallowwwの作品がインターネットとファッションの関係性を考える上で象徴的なのは、デザインの中で扱われているモチーフがインターネット上からサンプリングされたものである、ということだけではない。デジタルデータという非物質的なものを、洋服という物質の上に出力することで起こる誤変換を作品化し、デジタルデータと物質の性質の違いを露呈させていることにこそ象徴性がある。インターネット上の画像が元の意味を消失して拡散していくことと、ファッションにおける洋服のイメージが上辺だけで消費されていくことは暗喩でリンクしている。スウェットを基調としたベーシックなアイテム展開は、シーズン性を超えて着用可能なワードローブとして機能しており、これは一時の流行を追いかけ続けるファストファッションやトレンドそのものに対する皮肉のようにも思える。Shallowwwはその名の通りファッションの浅薄さを暴いているが、同時に可能性を提示してもいる。それはメディアとしての洋服の可能性であり、インターネット以降の世界において、言語に依存しないコミュニケーションツールとして、洋服やその画像がどのように機能し得るか、ということを含んでいる。

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まずは、メンバーのバックグラウンドについて聞かせてください。

Silvia Bianchi ShallowwwはBerta Muñoz、Ricardo Juárezと私(Silvia Bianchi)によるプロジェクト。私たちはそれぞれバックグラウンドはバラバラだけど、元々仲が良くてファッションに対する皮肉的な視線が共通していた。Bertaと私は、スタイリスト兼トレンドウォッチャーとして活動していて、ヴィジュアル撮影で何をやったらいいのか分からなくなっている時期もあった。もともとBertaは心理学、Ricardoはグラフィックデザイン、自分は記号学を学んでいて、ファッションは全員が独学。Ricardoとは他にも協同で2010年からBarriobajeroという実験的なクリエイティブ・コンサルタントも手掛けている。他のグラフィックデザイナーみたいに、自分たちの作品がプリントされて、着てもらえることを夢見ていた。それで、自然と力を合わせる結果になったのかもしれないね。

BarriobajeroやShallowwwを立ち上げた経緯を教えていただけますか?

Silvia BarriobajeroはShallowwwのプロジェクトの一環。私とRicardoは少しの間ストックホルムに住んでいたのだけど、当時、腕のいいファッションデザイナーたちとオフィスを共有していて、素敵なスタジオを借りていた。若い人たちが起業をして、生活のために自分たちのプロジェクトを進めていくのを見ていて、インスピレーションや新しい刺激を受ける毎日だった。

Shallowwwのブランドのコンセプトについて教えてください。

Silvia その名の通り【Shallowは英語で浅薄の意】、Shallowwwはインターネットの表層的なイコノグラフィー、その記号学、テキスチャー、パターンなどに影響されている。私たちの目標は美学2.0と、その周辺にあるデジタルの形象をテキスタイルに移し替えて、スクリーンプリントやデジタルプリントで表現をすること。リピートやグリッチが生成する不調和な雰囲気、その先にあるディストピアな世界、それは画像が元の意味をなくしてしまって、デジタルの辺獄で、ただ装飾のために残っているという状態。さらにブランド名は、人間の一番浅薄なレイヤー、私たちが洋服を着ることによって作り出されるレイヤーのことでもある。あと、Shallowwwのチームは3人で成り立ってるから、3つの「w」は3人の存在の意味も持っている。

Barriobajeroでは洋服以外にも、キュレーションや出版、アートディレクションなど多岐にわたる活動をしていますね。Shallowwwとはどのように名義を使い分けているのでしょうか?

Silvia BarriobajeroはShallowwwと同じ様な価値と美的感覚を持つのだけど、Shallowwwの本質は明らかに商業より。Shallowwwの衣服はトレンドの研究の結果であって、私たちはいつも革新性、流行と皮肉のバランスを追求している。Barriobajeroはリサーチ、サブカルの実践とカルチャーの促進に専念する実験的なクリエイティブコンサルタントで、商業的というよりはアートを志向している。

平面のデザイン(ウェブデザインとか、グラフィック、写真など)と、洋服のデザインとで、異なる点はなんでしょうか?

Silvia ファッションのアイテムはとても複雑で技術的、そして実用的な問題についても常に考えなきゃならない。でも、私はこういう問題を解決して行くのがとても好きだから、パソコンとスタジオを離れて、新しい生地やボタンなどを買いに行くことや、プロセスの最後に実際にモノを手に取ることができることがとても嬉しい。

 

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「Internet Souvenir(インターネットのお土産)」というタイトルのコレクションで、大理石や水面のようなモチーフを使用していますが、こういったモチーフはTumblrのトレンドにもなりましたね。こうした特徴的なテキスチャーを用いたコレクションはどうして生まれたのですか?またタイトルでもある、「Internet Souvenir」という言葉にはどういった意味が込められているのでしょう? 

Silvia 「Internet Souvenir」はオンライン上でヴィジュアルの価値だけで人気になったヴィジュアルを用いて、その物質の価値が徐々になくなったり、現実世界から離れていく形を写し出すこと。こういった絵柄から生地を制作するのは、物質的実体をよみがえらせて、元の形に戻してあげる事だと考えている。例えば、大理石から彫刻が造られ、水が体を潤わすように。インターネットとヴィジュアル・フィードが「記憶」の仕組みをどのように変えたかについて表現するため、選んだ最初のイメージが大理石だった。大理石は彫刻や建築などに使われているものだけど、それをパターンに変えて、冷たさ、重さなどの物質としての価値を消して、ただのミームになってしまう様子を観察することは面白い経験だった。大理石のパターンを人間の体に巻き付けて、モデルをまるで彫刻の様に仕立てて、特徴のなくなった大理石で温かい洋服を作る、そんな挑戦だった。実は、「Internet Souvenir」は、私たちの前のコレクション「Meme Index」に少し似ていて、現代のパターンが記号のように機能すること、そして若い世代がヴィジュアルの普遍言語に代表されてしまっている様に感じることに焦点を合わせた。2つのコレクションは私たちの美的感覚のメカニズムがTumblrやInstagramのようなイメージ・フィードのネットワークによって、少ないバリエーションの繰り返しに影響されてしまっている事を反映している。

リピートやグリッチが生成する不調和な雰囲気、その先にあるディストピアな世界、それは画像が元の意味をなくしてしまって、デジタルの辺獄で、ただ装飾のために残っているという状態。さらにブランド名は、人間の一番浅薄なレイヤー、私たちが洋服を着ることによって作り出されるレイヤーのことでもある。

大学で記号学を学んでいたそうですが、作品に活かされていますね。そこで学んだことが、インターネット的な記号を服へ乗せるという発想へ繋がったのでしょうか?

Silvia そのとおり。オンラインのプラットフォームに晒されたシンボルやサインなどが消失してしまうこと、シニフィアンとシニフィエとの関係性がなくなって、ヴィジュアルの拡散と反復を通じて新しい感覚と新しいレイヤーが作られることに興味がある。

 

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アラビア語をモチーフにした作品について。他にもTumblr上では、日本語やハングルなどをモチーフにした作品が流行しています。これは、アルファベットでの検索ではたどり着けないインターネット上の場所についての神秘性や、あるいは政治性についての暗喩のように思えますが、いかがでしょうか?

Silvia その通り。私たちはもう国々の境界線はないと考えていて、だからクローズドなアルファベットはいずれなくなると考えている。すべてがグローバルなスケールに代わりつつあり、記号や画像の新しい言語が生まれて、ローマ字はユニバーサルな言語ではなくなるだろうね。

ZARAにデザインをコピーされたことも話題になりましたが、それを知ったときどう思いましたか?

Silvia もちろんとても腹が立ったよ。裁判に持ち込んで戦おうとも思ったけど、やっぱり時間とお金の無駄だと思い直した。そんな訳で、これを機会に自分たちをプロモーションとして、オンラインでスパムすることにした。面白いことに、「Meme Index」のコレクションの一部だった彼らが真似たTシャツは、まさに画像やロゴが簡単にオンライン上でミームになってしまう事がコンセプトだった。私たちはそれから、彼らが真似たTシャツの画像を#copy #shallowwwなどとハッシュタグし続て、そうしたら一ヶ月でその商品の販売は取りやめになった。その時は「やった!」と思ったね。

Shallowwwで特徴的なのは、スウェットなどアイテムがシンプルなことだと思いますが、そうしたラインナップになっているのは意図があるのでしょうか?

Silvia 私たちはファッションの教育を受けていないから、基本的なアイテムから始めざるを得なかった。次のコレクションはもっと複雑にする予定だけど、バロックのグラフィックやパターンを、動きやすいラインと組み合わせるのが好きというのもある。

また一方で、寝具もラインアップに加わりましたね。ブランドとしては変則的なアイテムですが、どうして寝具だったのでしょう?

Silvia Shallowwwはクローズドなコレクションではなくて、オープン・テクスタイルのプロジェクトだから。新しいアイテムが年中リリースできて、さらにファッションが自由に組み合わせが出来るゲームのようになり、インテリア・雑貨、アウター、アンダーウェア、寝具など、液体の様に自由に、その境界線と遊びながら、新しいコンセプトのオープンソースファッションを提案したいと思っている。

YUNG LEANがMVでShallowwwを着ていますがどういった繋がりですか?シーパンク的なMVですが、同じくファッションの方も注目を浴びているシーパンクについてはどう考えていますか?

Silvia 彼のことは最初知らなかった。彼がストックホルムで一番の仕入れ業者からTシャツを買ってくれたみたいで、ミュージックビデオで着てくれたみたい。それから、彼のことを知るようになって、「Internet Souvenirs」のコレクション・リリースパーティーに招待して、披露してもらうことになった。それから、今は彼の「White Marble Tour」の衣装を作っている。シーパンクは大嫌い。でも、Yung LeanとSad Boysはシーパンクだとは思ってない。彼らの音楽はとても素晴らしいし、すごく頑張っている。

最新コレクション「2k15」は、消費文化に対する皮肉のようなメッセージを感じますが、そのコンセプトについて教えてもらえますか?

Silvia 「2k15」をコレクションのメインのテーマに使用した理由は、ファッションの退行について話題にしたかったから。大きな企業が2014年の冬物をリリースしている今、誰が一番新しいものを作れるかの競争になっていて、新しいものも2日で古くなる気がしてしまう。そんな中「2k15」と表示した大きなロゴを作って、プリントした。それからさらに面白く、積極的になれるようにと、2015年を期限に制作を進める事に決めた。「2年間、新しいコレクションはなし、新しいシーズンもなし。」それが私たちのテーマであり「特集」。私たちのブランドはインターネットのトレンドや、ニュースのタグ付けのブレインストーミングのように機能していて、各アイテムがそのどれか一つと対応している。#www #http #w3g #prism #jpeg2000。Shallowwwはファッション消費者のセルフパロディーであり、空虚でスポンサードされたメッセージを媒介する、身体を用いた皮肉めいた遊びでもある。

 

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今回のコレクションに関連した本を発売するそうですが、どのような本なのでしょう?

Silvia イタリアの写真家、Bea De GiacomoとスタイリストのAnna Carraroとコラボレーションで制作したzine。私たちのコレクションと「WE BUY GOLD」の美学を新しく解釈した表現を依頼して、32ページの半分が金、もう半分がカラーの自費出版のzineを作った。長く続くシリーズの一作目になる事を祈っている。新しいフィールドに挑戦するのが大好きだから、ミラノのファッションウィークでの出版記念パーティーで、膨大なスケールの「WE BUY GOLD」ロゴ入りの洋服を作って、借りていた会場のショップを「WE BUY GOLD」のシップに改装してしまった。とてもかっこ良いものになったよ。

Shallowwwはマドリードが拠点ですが、スペインには取り扱っている店がないですね。スペインは新しいカルチャーを取り扱う店が少ないのですか?

Silvia 最初に始めた頃、Ricardoと私はストックホルム、Bertaはマドリードで、私たちが帰る時には、Bertaがいなくて、私はイタリアに通ってた。Shallowwwはオンライン上で、世界中に販売されるところから始まったけど、新しいコレクションを作る為に顔を合わせるようになっただけで、私たちが今マドリードにいるのはただの偶然。実は、私たちはフェイスブックのシークレットグループ、Skypeのチャットとコールやwhat’s appを使ってやり取りをしている。スペインは新しいカルチャーを取り入れないわけじゃないけど、マドリードは砂漠の真ん中にあるから情報が届くのが遅いのかもしれないね。

またマドリードでオススメの場所やカルチャー、注目すべき人物、動きなどがあれば教えてください。

Silvia La Casa Encendidaという素晴らしいアート施設とよく仕事をしている。それとMatadero Madridもとてもクール。マドリードには多くのアーティストが拠点をおいていて、今、私たちの新しいスタジオもEllen Gallenとシェアしている。ほかには、Manuel Fernandez、Emilio Gomariz、Claudia Matenなど。ファッションブランドだと、MoupiaとSHOOPかな。

どこの国に一番影響されていますか?

Silvia 私はイタリア人だから、もちろんテイストやスタイルはふるさとのイタリアに大いに影響されてる。でも、スウェーデンやスカンジナビアの美学からもたくさん勉強したよ。

好きなサイトがあればおしえてください。

https://soundcloud.com/
http://dismagazine.com/
http://novembremagazine.com/

今後の発表の予定などがあれば教えてください。

Silvia 最近Slugabedの新しいミックスをリリースしたばかりで、他にも多くのミュージシャンとのコラボも行なっている。

http://soundcloud.com/shallowww 
http://
facebook.com/shallowww

http://instagram.com/shallowww 
http://
vimeo.com/shallowww

Photo: Bea De Giacomo, Stylist: Anna Carraro, Model: Sidney Geubelle

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