Interview with Japan Blues

アジアの音を掘り続けるハードディガーが見つけた、「日本の憂鬱」とは。

Text: Shigeru Nakamura

Japan Blues。日本をはじめとするアジアの音楽を掘り続けるハードディガーであり、ロンドンを拠点とするインディペンデント・ラジオ局であるNTSのホストも務めている。また、〈Berceuse Heroique〉や〈birdFriend〉などのレーベルからリリースを重ねながら、2017年にはついに待望のフルアルバムを自身のレーベルから発表した。ほかにもロンドンのレコードショップ兼レーベルである〈Honest Jons’〉からリリースされた浅川マキに代表される、数多くの日本の歌謡曲のコンピレーションアルバムのリリースに携わってもいる。彼の名前を知らなくても、どこかで彼の関わった作品を聴いたり、目にしている人も多いかもしれない。

彼の名前、そしていつもお面を被ってメディアに登場する彼の姿を見て、「ああ、海外の日本音楽マニアか」と判断する人も多いだろう。彼がコンパイルする音楽の多くには昭和の歌謡曲が含まれているし、なるほど確かに、多くのレーベルから日本の音楽が再発されている現在、彼の試みは「レアグルーヴ」の名の下にまとめ上げられてしまうかもしれない。しかし、彼の名義である「日本の憂鬱」には,単なる(そして懐古主義的な)「日本びいき」を超えたメッセージが隠されているとも深読みできる。彼が愛する昭和の音楽、またレフトフィールドと称される彼の音楽を聴けば、受け手を充足感に包みながらも、居心地のよい真っ白い小部屋に彼らを押し込めるような現在の日本の大衆音楽とはずいぶんと距離があるように感じるのだ。そこには情緒も憂鬱もない。さて、「日本の憂鬱」とは一体どんなものだろうか。

具体的には、彼が「憂鬱」として伝えようとするものは何か、また彼の音楽や取り組みにはどのような背景そして意味が込められているのだろうか。このインタビューはより広く彼の音楽に迫ろうとした試みでもある。彼の見る日本、そして外から見た日本を通して、音楽だけでなくより広い地点から現在の我々が生きるこの国の文化を見るためのヒントを感じていただければ幸いである。

あなたの音楽的な変遷について教えてください。日本の音楽のほかに、どんなジャンルの音楽があなたの現在の音楽スタイルを形成したのですか?あなたが日本の音楽にハマる前に何をきいていたのかに興味があります。

庭師として5年間過ごした以外は、レコード配給の現場で仕事をしていたんだ。流行り廃りや、分派が細かく枝分れしていく様子、そして小規模のホワイトレーベルから始まって、アーティストが世界的に知られるようになっていくのも見てきたよ。子どものころに買ったのは山下勉のLP。レッドブッダのシアターライブを観た後に買ったんだ。そしてその後は、ソウル、パンク、ニューウェーブ、ジャズ、サイケ、「エスニック」な音楽など、またそのほかあらゆるジャンルを覗くようになった。90年代にはハウスとヒップホップのレコードを配給しながら、DJもやっていたこともある。だけど一度もテクニカルだったことはなかった。できたらよかったのだけど、ビートはミックスしなかった。自分のターンテーブル、ミキサーを持ってなかったんだ。日本の音楽をより深く掘り始めたのは、〈Honest Jons’〉でムーンドッグのコンピレーションのために動いていた頃。ムーンドッグの最初の妻は日本人とのハーフで、ムーンドッグ周りのアーティストたちと日本の音楽スタイルで音楽的な実験を行なっていた。その時までに何度か日本に訪れたことがあったので、少しずつ日本の音楽を調べ始め、収集するようになったんだ。

ボイラールームのインタビューにて、日本への出張の時に日本の音楽と出会ったとおっしゃっていました。その時に出会ったレコードの名前、そしてなぜ、どうして印象的なものであったか教えてもらえますか。

日本への出張の際、自分でもどんなレコードを探しているのか分からなかった。そんななか今は無くなってしまった新宿のレコード店に行ったのだけど、そこでグループサウンズのいくつかのリイシューや、寺内タケシのファーストアルバムを発見したんだ。寺内タケシのアルバムは安っぽいGSのレコードより、僕の注意を引いた。特に彼の騒々しくもサーフ音楽と民謡が混ぜ合わされた音楽性に惹かれたんだ。友人たちや、東京の僕の先生、俚謡山脈の方たちに刺激を受けて、僕も熱心な民謡のコレクターになった。そしてまた山下勉へと戻って、再び彼のファーストアルバムを聴いている。

いくつかの日本のレコードをボイラールームのインタビューでは紹介されていました。それらは僕たちのような日本人にとってでさえ興味深いものです。どのように日本の音楽を掘っているのですか?

大衆的になったものも含めすべて、民謡は30年代から80年代まで追いかけたよ。民謡に誘われて、演歌や、60年代のビート音楽やサイケロック、70年代のソウル、ディスコ、ニューウェーブそしてテクノ歌謡まで聴いた。友人たちはこれらのレコードに広くみられるクリアな音や、素晴らしいスタジオ製作についてよく言及している。僕はそれに加えて、歌声に恋しているんだ。個性的な音楽であったり、何か非凡なものにいつも惹かれてしまう。同じように演歌の厳格な型、60年代の日本のロックの荒々しい喚き声、そして肩の力の抜けたはっぴぃえんどの職人らしさや、純真でありつつ散漫なニューウェーブの音から強い喜びを感じるんだ。

Discogsのように、インターネットはレアで素晴らしいレコードを掘る多くの人々に多大な影響を与えるものだと思います。日本の音楽を含めて新しい音楽をどれほどインターネットがあなたにとって重要なものかを教えてください。どのようにそれはあなたの音楽生活を変えたのですか。

新旧関わらずどんな音楽を掘るにもインターネットは決定的な役割を果たしているけれど、今は多くの人々が日本のレコードを探し求めている。だから、ebayで安値でヘンテコな音楽を探していたころと比べて、より競争が激しくなってしまった。最高の日々はもう終わってしまった。現在はレコードそのものの値段に加えて、輸送コストもとても高い。時にはレコード店で直接探した方がいいこともある。店員からオススメのレコードを教えてもらえたり、運があれば値下げしてもらえるから。3年前にNTSで番組を始めたときは、そういう知識はほとんど持ってなかったけど、好奇心だけは強かったんだ。

最初にあなたの楽曲を聞いたときに、日本の古く伝統的な音楽だけでなくYMOのようなシンセポップからもインスパイアされたものだと感じました。とりわけ、その印象はあなたのファーストアルバムで顕著なものだと思います。個人的には、さまざまな時代とジャンルに由来するものたちの美しいコラージュと感じました。あなたのアルバムの基底にあるものはなんですか。また、それらの音楽がどのようにあなたをインスパイアしたのかも教えてください。

クラフトワークからずっと多きな影響を受けているので、YMOは必然的に通る道だった。とはいえ、彼らの作品には好き嫌いはあるかな。YMOのメンバーとそれぞれのバンド外のキャリアの方がより広く、興味深いと思ってる。フロア志向のリミックスを作ったあと、より雰囲気が出るようなものにしようと考えたんだ。アーカイブの中から色々な音を引用して、楽曲の基礎を作り、そしてその場で即興的に音を作っていった。アルバムを通して聴こえる感覚として、日本の暗くてもっとも弱い部分への意識がある。それは観光的なものではなく、日本(そして世界全体)が今のような状態になったことで失った感覚を表している。アレックス・カーの著書『犬と鬼』では、日本の河川がコンクリートで管理されたことについて述べられているんだ。つまり、国を愛せば愛すほど、何を失ったのかをより実感するということ。民謡のもつドローンとリズム、五音音階、そしてほとんどの日本のポップスに受け継がれているその血統に心を奪われているんだ。

近年,日本だけでなくほかの多くの地域からの音楽がますます大きな注目を集めていると思います。個人的には,そのような音楽がある種のエキゾチックなもの,あるいは一般的なものではないからではないかと思います。しかし,あなたのアプローチはそれらとは異なるものだと思っています。何があなたの音楽をユニークなものにしているのでしょうか?

音楽において古く慣習的なスタイルに飽きてしまっている人もいる。つまり、ほかの国々の音楽から自国の音楽に興味が移っているということ。僕のアプローチはそういった人々とは違うと思っている。気まぐれなファッションの流行りに迎合するタイプではないからね。日本の音楽は「単なるクリスマスのためのもの」ではない。NTSの番組では、DJたちがうっとりしてしまうような曲をプレイするかもしれないけど、同時に洒落ているとは全くもっていえないような音楽もプレイするつもり。いつも最大限、プレイする音楽の幅をもっていたいと思っている。レコードをプレイするときも、作るときも、これまでの音楽的な影響が今僕が何をすべきかという方向性を作り出しているんだ。自分と自身のプロダクションやリミックスだと、いつも日本のものをトラックに使ったり、フィールドレコーディングやそのほかの曖昧な音を取り込んでいる。

あなたの写真を探そうと試みると、いつもお面をかぶっていることに気づきました。何か特別な理由があるのでしょうか。「日本の憂鬱」というアーティスト名から,何か特別な理由があるのかなと思ったのですが。何かあなたのアイデンティティのようなものを示すためのものなのでしょうか。

地球上の大多数の人々とは違って、僕はひどいセルフ・プロモーターなんだ。日本の音楽をプレイし広めていく仕事の中でその力を高めるように望んでいるんだけど、僕の顔がインターネット上にあることはあまり心地よくなくて。自分がやらなくても、顔をネット上にさらされることは手に負えないほどあるからね。それで、まず骨董品の張り子のお面を使ったんだ。その後、ちょっとした中毒になってしまって、大量のプラスチックのお面を買ったわけ。鬼だけではなく、ウルトラマンのお面も買ったよ。近年、ミステリーがこれまで以上に重要なものになっている。誰もかれもが何を食べたのかや日常の退屈なちょっとしたことをシェアしているからね。僕たちにはもっとミステリーが必要だと思う。

たくさんの日本のおもちゃがボイラールームのインタビューでは映っていました。音楽だけでなく,ほかの日本文化にも興味があるのですか。

怪獣にハマってたんだ。日本は独自の怪物を生み出すことに関しては間違いなく世界を牽引しているね。こういった狂気的な創造物にハマることには逆らえなかった。もちろん、古い怪獣のフィギュアがとてつもない高値になっていることは、まんだらけでみたから分かっている。僕は日本映画の熱狂的なファンでもある。最初期は、例えば黒澤明や小津安二郎、溝口健二、そして今村昌平などの60年代のアンダーグラウンドな映画から、そして今は是枝裕和の映画。彼は現代の映画監督では最良の人だよ。今の新しい作家の作品は十分には読んでないけれど、川端康成や太宰治、そして三島由紀夫にも心を奪わた。いつも日本文化と、日本史のさまざまな側面に興味をもっている。日本食については話し始めたらキリがないのでやめておこう。

日本、もしくはほかのアジア諸国の面白い音楽があればぜひ教えてください。何かレコメンドはありますか。

NTSの番組で僕が面白いと思ったものは全部聴くことができるよ。老婆が遠い島でアカペラで歌うフォークソングであれ、チンドン、もしくは子ども向けの漫画の音楽であっても僕はいつも探している。僕は韓国音楽びいきでもあるし、ほかのアジアの音楽も持っている。ほとんどは60年代、70年代のもので、ビート音楽やポップスが多い。たまに日本のアーティストの楽曲もカバーされているよ。韓国のサイケデリック・ミュージックもこれまた素晴らしいんだ。

Iku Sakanとはどのように知り合ったのでしょうか。彼のアルバムをリリースしようと思った理由は何ですか。

最初にIkuと会ったのは僕が歌舞伎町のBE-WAVEでSoi48がプレイした時だ。ちなみに新宿は音楽的にとても重要なエリアで、もちろんその歴史はすでに消えて無くなってしまったのだけれどもね。雑談している中で、彼が基本的にはベルリンに住んでいることを知ったから、ドイツに行った時に一緒に過ごしたんだ。その後、彼とPekka Airaksinenが対バンするギグをロンドンのカフェOTOで企画したよ。その時は本当に魔法がかかったような夜で、両者とも本当に素晴らしいセットを披露したんだ。そのライブの告知のために、僕はIkuに自分のラジオ番組で数曲プレイしてもらったんだけど、テンションを高めてくれるオリジナリティに溢れた曲たちにとても刺激を受けてね。それがきっかけで僕はIkuに楽曲のリリースを持ちかけてみたんだ。実際のところ、どれだけ人々が彼の音楽に興味を持つか確証はなかったのだけれど、一定の人々が熱狂的になっているのを知った時は本当に驚きだったね。今後いくつかの作品をリリースすることを予定しているよ。

https://www.nts.live/shows/japanblues