50 Japanese track maker / musician 2018
日本の豊穣な地下シーンを50組のアーティストと楽曲で振り返る。
2016年から数えてこれで3回目となる日本のミュージシャンを取り上げた年間ベストです。この3年で、メディアでの活動量は落ちてしまいましたが、その間にも新しい作品が次々と生み出されてきました。最近は、追いつくのは無理でもささやかながらなにかしかの役に立ちたい、という思いで月間のレビューという形を採用しています。さて、2018年の音楽シーンはどうだったでしょうか? 長年変化し続ける音楽の現場を見続けてきて、これだけは真実であると言えます。どんなに停滞しているように見える時代でも、その背後で素晴らしい作品が生み出され続けている。それはこの宇宙の存在と同じように、当たり前の事実でしょう。けれども、真実が無数に存在しうる虚無的な世界が広がっている現代において、ただ存在するだけでこれほど美しい事実もほかにないように思います。
とにかく、多様な傑作が今年も実りました。世界のレーベルから多くの日本人が続々と作品をリリースしていて、まだそれほど頻繁ではありませんが実際にライブを見る機会にも恵まれました。たとえ日本のシーンがどれほど縮小しても、世界中のフリークたちが血眼でまだ名付けられていないその音に込められた価値を探し続けている限り、必ずどこかにその居場所が見つかるはずです。いちリスナーとしてわたしたちはそのようにして発見された新しい価値をただメディアの上で伝えることしかできませんが、その価値を伝えるうえで何かの役に立っているなら嬉しく思います。それでは今年の50です。
Dark Jinjaを主催するsoujによる、新しい名義Photon Poetryによるリリース作品。荒廃した都市の持つ廃墟的な美しさが迷宮のように複雑に織りなされ、コラージュのように浮かび上がる。その先端性たるが故に劣化も早い世界のエレクトロニックのシーンにあって、久しぶりに耳を更新される感覚を覚えた。前衛的なグライムや抽象的なインダストリアルといった現代のモードを手中にしながらも、アジア的でもあり、独特の叙情性とファンタジックな空想性もあり、数少ない楽曲の中に多様な今の先端が詰め込まれている。
O.N.Oが主催するレーベル〈STRUCT〉からのリリースなどで注目される宇都宮を拠点に活動するトラックメイカー。弾むように打ち鳴らされる変則的で硬質なビートに、荒れた質感に包まれたインダストリアルな電子音響が絡み合い、荒涼とした迷宮のような入り組んだ世界を描き出す。歌詞を聴き取ることができないが、その歪んだボーカルワークも際立っている。抑制された緊張がどこまでも心地よい、いつか大音響で聴いてみたい作品。
北海道在住の大学生と思しきトラックメーカー、シャリテによるセカンドアルバム。壮大なSF映画のサウンドトラックのようなスケール感で描かれたミニマル電子音響。洗練と成熟を極めたそんなサウンドを新しい世代がナチュラルに作り出している、という事実に驚きを隠せない。スモッグのような朝靄のような霧がかった世界で鳴らされる音の響きはすべてが耳に心地よく、ゆっくりとした時間感覚の中で次第にその輪郭を現していく。どこか遠くの景色を眺めているようなゆったりとした時間感覚があり、行くあてもなく現れたフューチャリスティックな音響がその存在を響かせながら消えていく。どこか孤独な感触を持つ音響が特徴的な作品。
MASSAGEのインタビューでも取り上げた、The Death of RaveからリリースされたNozomu MatsumotoによるファーストLP。作品に派生する様々なコンセプトについてはこちら を読んでいただきたいが、個人的に初めは、内部がぽっくりと空洞化しているかのような、何か不気味な印象を作品に覚えていた自分が、何十回と再生を繰り返すうちに、いつの間にかそこに情緒に近いエモーションを抱いていたことが驚きだった。ヒューマンとノンヒューマンの境界線を、自らの適応が拭い去っていくかのような体験というか。絶対的なアイデンティティとして機能する自らの身体性が、外部世界に委託、流出することが実現化されつつある今、感覚は希薄になるのではなく、無限に複合化していく。他者と共有された対象をわが身のものとして受肉し、これまでと同じようにそこに感覚を覚え感情を宿らせようと、我々は確かに望んでいる。モノとマルチが往還しながら更新される現代と、その数歩先のハイパーリアルな近未来を、流転するテクスチャーと圧倒的なスケールで描いた、エポックメイキングな傑作。
〈Wasabi Tapes〉からのリリースはちょっと意外だったのだけど、中身を聴いてみて納得。ホワイトノイズとまでは行かないが、まるで自然音のような異様な音像、とても自然に次の場所へと展開していくより引き伸ばされた奇妙なゆらぎは、自然のゆったりとした時間の流れを都市のビルの合間から垣間見ているような気持ちになる。その情景は、そこにあるのにけして近づくことのできない光景のように、わたしたちの窮屈な日常にピッタリとはまり込む。
リリース前のストリーミングやSNSでの視聴はなく、通販でCDを購入するというのがこの作品を聴く唯一の手段だった(のちに7インチレコードが全国流通盤としてリリースされている)。しかし、これがデビュー作品となるOrangeadeとしての音はどこにもない。ほぼジャケ買いということになる。しばらくして届いたCDを再生したときには思わずガッツポーズ、くらいの気持ちだった。潔いほどに良質のポップス、そのサウンドはどこか太陽の匂いがする。どう考えても初めて聴く音楽なのに、よく知っている懐かしい人やもの、あるいは場所のようでもあり、不思議な安心感と心地良さ、そして高揚感がある。そんな作品を選ばないわけにはいかないのでこうして書いているものの、今すぐに聴いてもらえないのが残念に思う。でも、なんらかの機会があったらぜひ聴いてもらいたいので、ここにこうして書いておくことにする。(これを書き終わった日に、アルバム『Broccoli is Here』のリリースがアナウンスされた。メンバーの佐藤望によると「前作から音楽性を大幅に刷新」とのこと)
http://orangeade.love
今年は数作のシングルをセルフリリースしたNTsKiの作品から、夏の楽曲。レゲエビートに載せて独特の甘くドリーミーなボーカルを響かせる、夏らしい一曲になっている。どのシングルも良かったけれど、この曲はゆったりとしたリズムと日本語の歌詞の響き合いが印象に残った。古びた写真にかすかに残る切ない記憶のような、ちょっぴり切ないメロディに心を締め付けられる。
久保正樹によるソロ・プロジェクトformer_airlineとニューヨーク出身の音楽家、shotahiramaによるレーベル〈SIGNALDADA〉からのスプリット作品。shotahiramaサイドはエレクトロニクスとノイズが粘土のように変幻自在に形を変え交錯するトリッキーなサウンドコラージュ、former_airlineサイドはな螺旋のようなパターンを響かせながら上昇を描くダビーで催眠的なミニマルビート。ショーケース的にそれぞれの特性をシンクロさせた良作。
ビートメーカーとして活動してきたVaVaによるEP。ゲームなどのディスプレイの向こうにあるバーチャルな文化への愛を赤裸々にラップした作品。ハスリングする日常を描いたり、セルフボーストを決めてみせるHIPHOPもよいけれど、オタクっぽい歌詞内容が逆に新鮮。ジャケットがカセットを模したものだったり、Vaporwave的な感触もあるけれど、それより同時代の文化を自然と歌にしたという佇まいが感じとれる。もちろんラップにおいて素直さは価値だけれど、その率直さがふとした瞬間に心に刺さる良品。
emamouseによる〈Psalmus diuersae〉からの久々のリリース。Bandcampにインタビューが掲載されたり海外からの注目度が高まっているものの、唯一無二の世界観をマイペースに生み続ける彼女のめくるめく不思議の国に安心して身を浸すことのできる3曲。不安や希望のようなかすかな感情が、おとぎ話のような複雑さの中に入り交じる。その奇妙なサウンドから溢れ出てくる生命感が放つ、暗い躍動がほのかに眩しく、そのお話しの終わりには、どこか切ない感情だけが残される。
http://psalm.us/closingdogsgate.html
栗原ペダル、荒木優光、DISTESTの三人から成るエクペリメンタル・ジャンクバンドの新作テープ。短いスパンで執拗に反復されるサンプリング音、並べるというよりはぶち撒けるような勢いのコラージュ感覚、強弱の境界がつかないビートとぽんぽん浮遊する電子音、と周辺全体を徹底的に散らかしながらも、後半にかけて突如踊らせにまとめ上げてくるところが憎い。テープの音圧との相性も抜群で、暴力的かつ粗雑なサウンドに一層拍車がかかる。基礎を熟知した人間のスカムは凄いとどこかで聞いたことがあったが(漫才だったかもしれない)、計算された破壊と方法で構築されたサウンドごった煮は、どこよりも美麗で強烈な輝きと悪臭を放っている。石塚俊による、銀の箔で刻印されたクレジットとタイトルのデザインも完璧。B面には小松千倫によるミックスが収録。
VIDEO
島根から東京に居を移したConstellation Botsuによる、〈Psalmus Diuersae〉から出たばかりの作品。タイトルがsusan balmarってイカれてる。フラットになるまで咀嚼されたノイズ音響が連打される、まるで狂気の放出のようなノイジーなエネルギーを無方向に放射し続ける5曲。音楽を無になるまで摩耗させたかのようなその荒唐無稽な作風は健在。カバーアートワークは星川あさこ。
http://psalm.us/botsu.html
パソコン音楽クラブのside Bともいえるリリース。Martine Recordsからのリリース『PARK CITY』や全国流通盤の『DREAM WALK』などのようなサウンドだけを聴いて彼らのライブに行くと、こういった音に驚くこともあるかもしれない。このシームレスなチャンネル切り替えを何食わぬ顔でやってしまうところがパソコン音楽クラブの良さであり、どこまでいってもつかみどころのない感じがする恐ろしさでもある。ただ、エレクトリックなダンスミュージックでありながら、どこかまろやかさがある音はやはり彼らならでは。長時間踊って少し疲れた身体でも安心して身を任せられそうな音に、もしかしたら、どこかに優しさのようなものがひっそりと織り込まれているのかもしれない、などと思う。もっとも、彼ら自身はそれには気がついていないのだろうけれども。
〈RVNG〉からも作品をリリースする大阪を拠点に活動する音楽家7FOの新作。ダブ処理が施された音響に、幸福感をたたえたゆるやかな電子音が交錯する、どこか朗らかで温かみのある不思議なサウンドが凍えた心を溶かす。細野晴臣が作り出した実験のような、乾いたスピリチュアリティと洗練されたピュアなマインドが、変化に富んだ音響の中を満ちわたっている。異世界へのファンタスティックな旅路を見せる、心地のよい全5曲。(S)
岐阜県のポストブラックメタルバンド、虚無堕落の通算9作目のフルアルバム。BGMのように背後で鳴り響くリズミカルなドラム、重金属のように重厚なギターの轟音がエコーのように深く沈み込み、ドローン・アンビエントのようなさざなみで聴くものを包み込む。終末の向こう側に来てしまったかのような、崩壊した世界が見せる耽美的な美しさ。その暗さへの安堵に意識を溶解させたくなる。
カニエウェストの新作アルバムPabroを聴かずに架空のアルバムとして構成してしまった作品で話題になったTOYOMUのデビュー作品となるアルバム。京都に古くから伝わるわらべうたをテーマにしたMABOROSHIをはじめ、ファニーかつ才能のスケールの大きさを感じる作品が並ぶ。題材から想像される幻想的でノスタルジックな光景とはまた異なり、ユーモラスでありながらも奇妙に乾いた不思議な世界観が広がっている。
ホストの体験からゲームから影響まで、その濃い経歴をニコニコ動画、YouTubeを通じて発信してきた彼が、トラックメイキングからマスタリングまでセルフプロデュースしたという作品。スペーシーでゴシックなトラップビートに載せたそのライミングは、まったく力みのない姿勢のまま変則的なリズムを自由自在に乗りこなす。流れるように紡ぎ出されるそのリリックは、赤裸々だがなぜだかとても爽やかな響きを持つ。その特異な存在はきっとこのシーンの次の領域を切り拓くにちがいない。そんな刺激的な予感に満ちた作品。
Sim Forartや〈Wasabi Tapes〉を主催するKenji Yamamotoの名義のひとつ+youとspace xによる作品。space xはイーロン・マスクに刺激を受けてのKenji Yamamotoによるネーミング。断片的な音のコラージュによって作られるその世界像はとても明朗なヴィジョンを紡ぎ出す。そこには、まだ見ぬ世界へのノスタルジーやフューチャリスティックな幻想性など、ありとあらゆる豊かな感覚を感じ取ることができる。ジャケットのアートワークにも現れているように、このザッピングによって織りなされる名状しがたい感情は、現代のメディア環境が作り出した知覚がもたらす新しい感覚を示しているようにも思える。
マンスリーでも取り上げたけれど、その後めでたく〈EM RECORDS〉からリリースされたtakaoによる作品。カテゴライズするとしたらもちろんアンビエント・ニューエイジということになるのだろうけど、室内楽的な作品にしてはその存在感はあまりに苛烈だ。アコースティックな響きに垣間見える柔らかい優しさに満ちたエレクトロニックなテクスチャー、その調和が幸福なユートピア像を浮かび上がらせる。レトロスペクティブともいえる不可侵の気分が支配する現代において、そんな時代性とは全く無関係に、叙情性やスピリチュアリティの代わりとなる今を示す。そこに接続するその先を示してくれた作品。
この作品のリリースも白昼夢みたいだった熱海でのイベントも、もうずいぶん前のような気がするけれど、実際はまだほんの半年ほどしか経っていない。彼らの足取りはずいぶんとしっかりとしたものになってきていると思う。しかしだからといって、ちょっと何かこれまでの型のようなものにはめようとすると、とたんにゆるっとすり抜けてしまう。誰かにとって価値のないものもほかの誰かにとってはプレシャスなものになるように、それまで誰も気にとめていなかったものやむしろ嘲笑の対象だったようなものも新しいもの、なんだかとても気になるものとして彼らは見せてくれる。しかも、構えたり気負ったりすることなく、なんとはなしといったふうにそれをやってみせる。きっとこれからも、気軽に楽しく音楽を作るクラブのそんなふたりに、私たちは癒され、そして、踊らされるのだろう。
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大阪を拠点に活動する音楽家Takahiro Uchiboriのソロプロジェクトの、3作目となるアルバム。丹念に描かれたソウルフルな11枚の風景画。空間を保ちながら飛翔し、けして着地を踏み外さない研ぎ澄まされたビート、ハンドクラップから断片的なボーカルまで、すべてがパズルのように有り得べき場所に収まり響き合う。その完成度は凍えるように硬質で、音そのものが孤独を描くようだ。ほかには誰もたどり着けなかったエレクトロニックの極北を行く、洗練された楽曲が鳴り響く。
愛知県在住のトラックメイカーwoopheadclrmsによる〈Genot Centre〉からの作品。カットアップコラージュによるこのような抽象表現的なサウンドが、これほどポップに昇華されたことはなかったのではないか。見たことのないほどの豊かさと驚きが、その響きのなかに満ちわたる。シーンをつなぎ合わせることにより物語が生み出される映画のように、さまざまな色彩やテクスチャーを持つ音の組み合わせが、切り貼りされて非言語的な物語を紡いでいく。それはオンラインの片隅で集合無意識が生み出した非人間的な美学だ。感情とか理解などといった地平を超えて、ただシンプルに美しさと出会えるという幸せ。これまで見たことがない、その奇妙で驚くべき光景をただただずっと眺めていたい。
この曲を聞いていて、突然「国道20号線」という映画のことを思い出した。国道という普通の風景に横たわる若者たちの生き様の生々しさは、鋭く心をえぐられるものがあった。このハリボテのような現実からの出口のなさ、というかそもそも出口などないという現実を前に、わたしたちはこの生身の体を燃料に生きるほかない。そうやって自分を失いながら、次第に老いながら、感覚を鈍磨させながら、希望を引き換えに生き延びていく。この非現実的でヒリヒリとした刹那の儚さを持つ音楽は、そんな現実を燃やしたあとの夢の残り香ような切なさを響かせている。
マンスリーでも紹介した、大阪を拠点に活動するLe Makeupの6曲入りのEP。汎アジアを掲げ活動するコレクティブ〈Eternal Dragonz〉より。何よりも印象的なのは彼の甘い響きを持つボーカルだろう。エレクトロニックで複雑なテクスチャーを持つトラックに、ささやくように歌われるのは、どこか切なさhttps://themassage.jp/wwp/wp-admin/media-upload.php?post_id=12984&type=image&TB_iframe=1を感じる詩の世界。そのヒリヒリとした青さを放つ情景は、Instagramによって切り取られた日常のような、見知らぬ人々の感情を眺めているような感触がある。さまざまな感情がかつては存在したことを示す淡々とした記録のように、残されたそれはまるで物質のような存在感を放つ。失われた過去の時間という記憶が持つ感傷とその美しさが、結晶のように閉じ込められた作品。(S)
ほとんどインフォが見つからず、謎のオブラートに包まれた(がゆえに一層そそられる)日本人プロデューサーのJigga(≒「自我」)による、今をときめくサウジアラビアのBedouin RecordsよりリリースされたEP。グライムやベース、テクノ、インダストリアル、といった様々なダンスミュージックのサウンドをエクストリームに突きつめつつ、核となるアジア大陸のサウンドを大胆にコラージュして折衷せしめた、異様な官能性と神秘性が脈打つ音響作品。メタリックなエフェクトを呈したボーカルのワンフレーズが反復しながら、威圧的なビートのパターンが徐々に変化していく“Nitya”の破壊力と陶酔感たるや。トライブなどという土着の形容を悠に振り切って、超次元で音と音がメルトしていく、トランスナショナルなエクスペリメンタル。
〈PYRAMIDS〉レーベルからリリースされた、Japanese Ghostsシリーズの3作目。日本という風土が持つ霊性を音により具体化するこの連作は、伝統が未来的なヴィジョンをも形作れることを証明した。ゴーストとは幽霊でもあり、存在しない何者かの痕跡を捉えるための言葉でもある。存在と存在の間にあるその非存在は、音が作り出す響きのように豊かな色彩を持つ。あらゆるものが生命のような固有の響きを持つとしたら? 不安以上に、そんな楽しみに満ちた世界はほかにはない。不確定性原理のようなパラドキシカルなその曖昧さは、オンライン以降を生きるわたしたちのリアルにこそふさわしいだろう。
こちらもマンスリーでも取り上げた作品。東京を拠点とするryu yoshizawaのプロジェクトkoeosaemeの〈angoisse〉からリリースされた作品。カットアップコラージュのように音の断片が抽象的なイメージを描く、明朗さに貫かれた作品。ぶつかり合う音の要素は強いコントラストを放ち、常に新鮮な面白さと驚きに貫かれたパターンを描き出す。フラットかつ乾いたエレクトロニックな音の断片が、具体音と混ぜ合わされる。高度に洗練された職人芸のような構成で、箱庭のような繊細な美しい世界観を浮かび上がらせている。
〈Orange Milk Records〉よりメトロノリの作品選。儚くささやくような彼女の聴き取ることのできない抽象的なボーカルに、触れたら壊れてしまいそうな繊細で構築された音響が織物のように組み込まれ、張り詰めた美しさを響かせる。どこまでもなにも出来事が起こらない、終わりのない夢を見ているような感覚が持続していく。ただそこに音が存在することが許されるような、ポップを超えて胸に響く作品。
レーベル・HIHATから今年11月にリリースされた『Rubber Band EP』。曲名には数字が並ぶのみというシンプルさに加えて、Hajime Iidaに関しては鳥取の日本人ハウスミュージックプロデューサーであるということ以外はアーティスト情報がない(この感じは2017年にMartine RecordsからリリースされたOtenba Kidにも近いものがある。Otenba KidはHajime Iida以上にまったく情報がないが。奇しくもどちらも“ちょうど良い塩梅のハウスミュージック”)。リリース作品のページにはアーティストのSNSのリンクがあるのが当たり前となっている今、手にした作品のみで判断することがあるというのはある意味嬉しいことでもある。そして、そのことにどこかほっとしている自分もいる。音はソリッドな感じのものから軽やかなものまでどれも気持ち良く踊れるものばかり。購入した人だけが楽しめるしかけもあるので、ぜひ所有して楽しんでもらいたいと思う。
今年見たイベントの中ではSUBURBAN MUSÏKが主催したCapitalizmが、異端の表現を束ねながらも二人の世界観を爆発させていたのが鮮烈に印象に残っている。覚悟して注文したのだけど案の定届かず、本人からイベントの際に売ってもらったEvian Volvikの新名義Bleed boiによる作品。歪みきったエクストリームな音像に抒情性も垣間見えるとても美しい作品だが、それ以前にいつも音にまだ見ぬ感覚を求めていて、新しい人たちが新しい未来を形作っているのを見ると、変わらない真実を目撃しているような気持ちになる。この向こう見ずな加速感はそのような傍若無人な若さによってのみ引き出されるのだろう。いつも前のめりで、ぶっ飛んでいて、ちょっと儚さもある。そんな存在を美しいと思って眺めてしまう。(S)
ゴダール映画のカットアップのように、さまざまな音が次々に飛び出してくる。ポップで、美しくて、少し恐ろしい。その一見めちゃくちゃに思える音の洪水が新鮮な刺激を生み、それが心地良さに変わる。そして、私たちの日常もこんなふうなのかもしれないとふと気づく。キラキラとした時間もあれば、おどろおどろしい感情が渦巻くときもある(外には出さなくても)。ぼんやりと安らかな気持ちになる時間もあるだろう。自分の目線の外側に出て、そこからそんな日常を見たら、きれいに編集された映画とは違って、起こるできごとには脈略がなく、バラバラで、混沌としているに違いない。そういう日々を私たちは生き抜いている。それだけでもほめられるに値すると思ってもいいのかもしれない……と、内緒話のようなささやきに耳をくすぐられながら思う。「こんにちは。あなたは僕にとって100パーセントの女の子なんですよ」(C)
今年3月にスタートしたばかりにもかかわらず、すでに上質な作品を数多くリリースしている日本発信のレーベル・Local Visions。その第1弾『Megadrive』は華やかな幕開けにふさわしいコンピレーションアルバム。さまざまなアーティストのそれぞれの色があるトラックが並ぶものの、単純なアソートではなくレーベルとしてのカラーできちんとパッケージングされているのは、主宰の捨てアカウントによるところが大きいのではないだろうか。17曲目の“Megadrive”はアルバムの最後の曲でありながら、トレイラーのような空気を漂わせている。これからLocal Visionsはどこへ向かっていくのか……という期待を写し出しているようにも思える。「部屋の窓から、都市を眺めているような雰囲気」というのはこの曲についての捨てアカ氏のことばだが、きっと、窓から見えているのはLocal Visionsの未来だろう。
木下美紗都と石塚周太による音楽プロジェクトの、2016年に横浜のSTスポットで行われた公演『アルプの音楽会 音の顔と性格』の記録音源。音楽サイトのototoyよりハイレゾ・フォーマットで配信されている。「ふだんはなかなか聞こえるようにはならない音や考え」を可視/聴化し、「そのように聞こえるという形をまさにその形にしている条件や状態」である、音の「たくさんの顔」を探るという説明が付属のブックレットに記されているが、ここではまず音が現象として成立するための様々な「動詞」(叩く、触れる、撫でる、擦れる、揺れる、反響する、弾ける、etc)が、音と等価なレベルで現前化している。物理法則という人間の干渉不可能なルールに基づきながらも、音はひとつの動きで驚くほど表情を変えては、一箇所に留まることはできない。そうしたアンビバレントな特性を熟知しつつ操作しながら、今作で彼らは身体と音の接点を生み出そうとしているように思う。残念ながら公演には足を運べなかったので、生の空間がどんなものであったか体験できなかったのが悔しい。音源には公演のダイジェスト映像が付いてきます。
https://ototoy.jp/_/default/p/118745
日記のような日常世界の感覚から始まった前作、前前作から、タイトル通り「宇宙」をテーマにしたという本作は、日常から空想的な果ての世界へと至る旅の物語として聴くことができる。サウンドトラックのように描かれたその楽曲には、記憶の彼方に触れるような心やさしく穏やかな光景が広がり、その奥には微かな既視感がずっと響き続けている。この感覚はノスタルジーという現代に顕著なモードである。文化的に洗練された逃避行を続けながら、日常から音の生命を汲み出し続けるという試み。小庭的な作品だが、そこには私的な空間に穿たれた穴から世界を眺めているような展望が広がっている。
なんともみずみずしく、きらきらした、どこか時間を巻き戻したような空気のあるサウンド。わかりやすい記号的なものを使わず、時代の空気を含ませることに成功している。それが制作者の意図するところかどうかは私にはわからないが、ここは成功と言いたい。その良さは、音程は安定していながらも、どこか未成熟な部分を感じさせるボーカルによるところも大きい。マスに向けて作られ、その目的にじゅうぶんに応え得るポピュラーソング的な前向きさと輝きがある(もちろん良い意味で)。特に1曲目の“ネオン”は、人知れず眠っていた旧作が発掘されて何かのCMソングに使われているのだと言われれば、ふつうに納得してしまいそうだ(個人的には冬季限定ビールなどがぴったりだと思う)。とはいえ、懐かしい匂いがするだけではなく、どこか少し先の未来を見ているような気持ちにさせられるところもある。これは、過去、現在、未来をつなぐサウンドといえるのかもしれない。
アンビエントの持つ現代的な可能性を更新し続ける特異な音楽家H.Takahashiによる、〈White Paddy Mountain〉からの新作。控えめな感触を持った電子音響がミニマルな世界を構築する本作のタイトルは「Low Power」。都市文化の持つハイテンションなエネルギーにかき消されがちな、低層にあるさまざまな豊かな感覚を掘り起こすかのような、プリミティブな感覚に触れるラディカルな優しさに満ちた作品。箱庭的ともいえるその小さな空間の価値を、稀有なバランス感覚によって浮かび上がらせている。(S)
12月26日発売、かけ込み2018年リリースとなったこの作品。メンバーの佐藤望より「音楽性を大幅に刷新」というどことなく不安にさせるようなコメントが出ていたが、なんのことはない、確かな完成度と心地良さ、そこは前作『Orangeade』と変わらず。しかし、英語詞、ニュークラッシックあるいはアンビエントの趣きのインストゥルメンタル、予想を裏切り続けるように1曲の中でどんどん変化していくメロディ……と確かにシティ感の強い前作とは異なったさまざまな試みが行なわれている。彼らとともに新しいアドベンチャーを楽しむような心踊る1枚。年末ぎりぎりの発売日はあえて年間ベストに入らないようにしようとする意図なのか……と思うのは考えすぎだろうか。こちらは、Orangeadeのショップからの直接通販分は完売ながら、CDショップなどでまだ購入できるもよう。
https://shop.orangeade.love/items/15786776
大阪を拠点に活動するTAKAHIRO MUKAÏの〈ERR REC〉からとなる、独特の歪を見せるノイジーな感触を持つミニマルミュージック。輪郭のぼやけた音のテクスチャーに、柔らかなリズムが波のように寄せては返すうねりを重ねていく。8ミリフィルムのモンタージュのような抽象的かつ柔らかな音像で脳をかき回し、跳ねるように躍動するリズムの持つ優しい狂気で聴くものを包み込む作品。
とめどなく溢れ出る命のように喜びに満ちた音楽。瞬間瞬間に音のイメージが、色鮮やかに変転し続け、踊りを踊るようにさまざまな形を描いていく。言語化を拒むように掴んでは転げていくその抽象的な形態は難解というよりも、未だ名付けられぬものが持つ純粋さと、喜びに満ちあふれているように感じる。わたしたちはそれを音楽と呼んでもよいのだし、たぶんそう呼ばなくともよいのだ。ただ泡のように次々と生まれ出ては消える心地よい驚きが続けばよいのだから。
マンスリーでは「ARU OTOKO NO DENSETSU」を取り上げたのだけど、個人的には〈Palto Flats〉からリリースされたこちらも押したい。「ARU OTOKO NO DENSETSU」がさまざまな試みを詰め込んだ実験作だとしたら、「Moriyama」は包容力で聴く者を包み込む安心感をまとった聴き心地のある作品。もちろんほかの何者でもないいつものぶっ飛んだ食品まつり節であるのだが、そのスタイルはより洗練度を増して、その独自性を確固たる領域として出現させている。ファンタジックな架空性を纏っていたテクスチャーの現代味やリズムのなかにある歴史性がリアルさを獲得して、わたしたちの持っていた音楽の概念を上書きするような、普遍的な確からしさを獲得したかのような。何時も常に軽やかで、ミニマルな要素にも、森の生態系のような複雑性や彩りが広がっている。彼の音楽性の持つその豊かさの中には、いつでも明るい未来を感じることができる。
Kouhei FukuzumiことUltrafogによるアメリカのレーベル〈Motion Ward〉からのヴァイナル作品。凛とした緊張感を纏った分厚い音響のテクスチャーが、聴覚の世界を非現実的な幻想により覆い尽くす。ミニマルで現代的なアンビエント作品だが、身を委ねられるような心地よさというより、ゆらぎを持った荘厳な響きの中に身を晒しているような感覚がある。硬質だが彩り豊な音に包まれるダイナミズムを感じることのできる作品。
海外でのTumblrやMTVなどに続いて、日本でも、ゲームや広告、インターネット界隈で、また、インターネットの外で、これまでvaporwaveを知らなかった人々がvaporwaveに触れる機会が増えた2018年。そんな2018年が始まったばかりの1月に、日本のseaketaのキュレーションによって制作されたコンピレーションアルバム。ゲームをしたりテレビを観たりして過ごした80年代から90年代の幸福な記憶に思いをはせてジェネレーターたちが作ったのが初期のvaporwaveだとすれば、その頃のvaporwaveに思いをはせて作られたこのアルバムは、vaporwaveがある意味一周したということを表しているのかもしれない。そして、そんな入れ子のような、合わせ鏡のような状況、それもまたvaporwaveなのだろうと思う。
Masahiro TakahashiとEunice Lukが運営するSlow Editionsより、「何もしたくない時に聴く音楽」をコンセプトに6人のアーティストの楽曲を収録したコンピレーション作品。夕方の犬(u ・ェ・)、H. TAKAHASHI、Hegira Moya、Takao、 Endurance、Lieven Martensといった国内外の音楽家が参加し、それぞれの異なった発想を巡らした楽曲たちを楽しむことができる。 消費文明とインターネットという産物の普及は人々を常に稼働へと駆り立てたが、生活の余白のようなものはいつでも現実で不意に訪れる。その時間はなんだがもどかしくて、そわそわするが、漠然と満たされていて窮屈な感じはしない。「何もしたくない」は、身体の片隅にインプットされた人間営為の残骸でもあり、音楽はそういう、よく分からない身体感覚をよく分からないなりに体現するものとして存在する一面があるのかもしれない。もちろん各楽曲自体も素晴らしいが、なにより作業用BGMみたいな効用音楽が横溢している今、「何もしたくない」状態に自身の想いを馳せながら聴きたい作品。
山口で活動するToiret Statusによる、〈PLUS100 Records〉からの作品。知らないならばとにかく何が何でも聴いてもらいたいアーティストの一人。そのグルーヴは更新されており、独自のフリーキーさを保ちながらもより身体性を獲得していっているように思う。そこで獲得されるのは踊れる身体というだけでなく、あらたな身体感覚にほかならない。だけど、このような唯一無二のスタイルを持つ作家において進化とは何かという問題ほど難しい問題もほかにない。比べるべき尺度がほかにまったくないからだ。無重力に放り出されるかのような、甘美なめくるめく転回。ここにあるその自由の感覚は、オンライン以降に切り開かれた感覚の解放の最も良質な結実ともいえるだろう。
2018年の1月1日にリリースされた作品だが、最後の曲を除いて2013年に作られたもの。5年も前となると随分前に感じるが、まったく古びてはいない。どこか遠い世界に迷い込んだような寂しさと情緒、感情の奥をくすぐられるような儚さと奇妙さを持つメロディがい響きわたり、ゆっくりとくぐもった視界の先に抽象的なビートが姿が現しては消える。内省的といってもよい繊細な作りをしているけれど、もうすでに揺るがない世界観を獲得している。ラテンアメリカ文学のような幻想性を持つ印象的な作品。
「失踪しませんか?」というフレーズで始まる(なんというインパクト!)、キャッチーで疾走感のある1曲。“提案”の5ヶ月ほどのちにリリースされた“提案 折りたたみedit”がまたとても奇妙で楽しい。hikaru yamadaは、“折りたたみedit”とは「1番(左ch:Tenma Tenma, kyooo)と2番(右ch:SNJO, 西海マリ, 入江陽)を同時に聴けるようにしたものです。左右で失踪するので頭おかしくなれます。あと後半はインストになっているのでみんなで歌ってそれぞれの“提案”を完成させてください」と解説している。それぞれが好き勝手に、かつ、気分良く歌っているかのように左右から聞こえてくる歌声がちょっとしたカオスを作り出す。しかもそれがまったく不快ではなく、むしろ心地良い。なぜそんなふうに感じるのだろうか……と考えているうちにこのカオスの中で失踪してしまう。こんな気持ち良く誰かと失踪してみたい、と思う。
既存の郷土芸能/伝統を脱構築し、新しい日本の情景を打ち立てる屈指のハードコア電子音楽家Sugai Ken。昨年のRVNG Intl.からの『UkabazUmorezu』で一気にその名を国内外に知らしめたが、今年はYerevan Tapesより『岩石考 -yOrUkOrU』と、今作の『てれんてくだ – tele-n-tech-da』の二本をリリース。架空のラジオドラマのように作り上げたという言葉通り、前作の研ぎ澄まされたミニマルな音響とは対照に、今作ではより奔放かつ雑味を帯びたサウンド・コラージュが繰り広げられる。見立てられたそれぞれの由来が何なのかは知識不足のため不明だが、狂気と恐怖、高揚の入り混じった感覚が全体にひりついている。個人的には、今年のMUTEKで見たマルチチャンネルでの演奏にぶちのめされたのも印象に大きい。怒涛のディグ精神とフレキシブルなセンスをもってミュージック・コンクレートを鮮やかに更新する、ブリリアントな一枚。
「架空の神戸」というのがこのアルバムのテーマを伝えることば。まずそのことばにひかれて、期待をして、それから、そこに少しの不安が混ざってきた。なにごとにも過度な期待はしない、いつしかそんなくせがついてしまっていても、期待と違っていたらやっぱり悲しい。でも、不安は必要なかった。ほんとうに「不況も震災も悲惨な事件なんて無かった都合の良いお洒落と恋の」キラキラした神戸そのものだった。そこには柔らかく光を放つようなことばがのせられている(歌詞はSoundCloudで読むことができる)。苦しみや悲しみさえもまぶしい日常の一部。そういう架空の世界だから、このアルバムを聴くと幸せな気持ちになれるのだろう。そう思っていた。けれど、それは少し違っていた、いや、違ってきた。「架空の神戸」がくれた幸福感は架空ではなく、確かにここにある。そして、そんな「架空の神戸」へと連れていってくれた彼は、次はどんなところへ私たちを連れていってくれるのだろう? そう思えることもまた幸せなのだから。
シンガーソングライターの滝沢朋恵による、3枚目のフルアルバムがHEADZよりリリース。様々な分野でその名を広げている滝沢だが、今作でもやはり実験的な試みをナチュラルに仕掛けながら、奇妙な温度を保ったその歌声を響かせている。オリジナルと虚像をくるくる回転しながら軌道はどんどん奥深く遠ざかり、離れるにしたがって照射された光はその輝度を増していく。薄い膜のその先で輪郭をぼやかしながら、こちら側の感覚を掬い取ってはなぞり、呼びかけてくれるかのような、不思議な距離と親密さを感じる作品。
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日本のレーベル〈Solitude Solutions〉より、初のフィジカルリリース。Islandをテーマに抽象的な世界を描いた8つの楽曲からなる。シャワーのように降り注ぐそのサウンドはこなれていて、持続する一貫した世界を作り出している。描かれるその世界は基本的にモノクロームだが、その硬質さの奥にどこかリラックスしたムードも漂う。自然のような超然とした佇まいに、光の波長のような眩しさを持つ音響が響き渡る。hakkeによるジャケットワークもマッチしていてよい。