あいちトリエンナーレ2019の展示風景/藤井 光/《無情》2019/Photo: Ito Tetsuo

連載: 過去と未来の間

あいちトリエンナーレ:「情」と時間、歴史についての一考察

Text: Shigeru Nakamura

 不定期ではあるけれど、こんなタイトルで連載を始めることとなった。様々な情報が、様々な場所やデバイス、そしてメディアを通して我々のすぐ横を通り過ぎていく。ふと思ったことをこの連載ではつらつらと記していきたいと思う。内容は読者によってはもう「古くなった」ものかもしれない。だけれど、過去とはもう僕たちにとって関係のないものなのだろうか。すべてが加速的に、フラッシュのようにまたたいて消えていくけれど「現在」はいつだって過去と未来の間にある。どんなことも考え続けることで、それはいつだって「現在」になる。第1回目は先月閉幕した、あいちトリエンナーレの部分的なレポートとともに、そこで考えたことなどを記したい。

 あいちトリエンナーレが閉幕した。2ヶ月超に渡って名古屋市と豊田市の様々な会場を使って行われたこの国際芸術祭は、その開催当初に起こった『表現の不自由展 その後』が大きなニュースになった。このため、多くの人々の間ではこの芸術祭の中のあくまでも一部分にすぎない展示が全体化され、あたかもあいちトリエンナーレとイコールに語られることが多かったように思う。筆者が現地を訪れたのは8月末の週末の2日間であり、開催後すぐに中断されてしまった『不自由展』だけでなく、この事態に呼応したアーティストたちによる展示の取りやめが続いていた状況であった。また、2日間で愛知県立美術館、円頓寺周辺の展示、そして豊田市立美術館という大きく3つのエリアを駆け足で見て回ったため、じっくりと観れたものは決して多くはない。このため、概観をつかみ言語化することは難しい。そんな中でも特に強烈な経験となった展示について、展示内容の外側までつなげることができる何かを提示することができればという期待を抱きながらレポートとして記したい。

 毎回異なるテーマを掲げるあいちトリエンナーレの今年のテーマは「情の時代」である。この様々に解釈し得るテーマのもとで集められた作品たちは勿論多くを語るものであるが、筆者に文字通り「刺さった」いくつかの展示には感情、情報、そして歴史とナショナリズムについての大きな問題提起があったように思う。
 藤井光の作品『無情』は台湾に残された、大日本帝国による皇民化政策の様子を収めた歴史資料に加えて、愛知県で暮らす外国人の参加を仰ぎながら戦時中の皇民化政策の様子を再現する映像が巨大なスクリーンに映され、並んで展示される。台湾は1890年に清(当時の中国)から日本に移譲され、1937年から皇民化政策が始まることで、台湾人は日常生活を日本語で行うだけでなく、文化・生活様式までも「日本人」として生きるように矯正されていく。薄暗い部屋に入ってすぐに目に飛び込むその様子を収めたビデオは率直に言えば、歴史的な資料それ以上でもそれ以下でもないように思えた。70年以上に撮影された映像だ。表情は勿論のこと、どんな顔つきかも判然としないシーンも多い。「なるほどね」という感想以上のことをもつ方が難しいかもしれない。
 しかし、並列された現代の映像にはまるで殴られるような衝撃を受けた。大きな声を出して気合を入れたり、一糸乱れずに同じ動作をする外国人たち。アジア人がほとんどだっただろうか。しかし、先ほどの歴史資料とは異なり、表情だけでなく息遣いまでが聞こえるようなリアリティを持つ。その瞬間、並列された歴史資料に基づいて同じ動作をしていることを強く意識させられるようになる。当時の台湾の人々が何をしていたのかだけではなく、その時の思いについて、またそれを今スクリーン越しで観る日本人としての自分の立ち位置や存在について、スクリーンの奥にいる彼らと直接に話をすることはできないが、そこでは情報よりも感情という「情」が揺さぶられる音も聞こえたように思う。

 その後に向かった円頓寺本町商店街でも様々な展示を見て回ったが、毒山凡太朗による「君之代」が鮮烈な印象を与えてくれた。この作品は上述の藤井光の作品と共通し、台湾の人々にスポットが当たる。大日本帝国の統治時代に教育を受けたお年寄りたちが日本語でインタビューに答えるものだ。当時を生きた人々は勿論現在は高齢であるが、今でもはっきりと日本の歌を覚えていて、また教育勅語を暗記している。その記憶を笑いながら話す姿は、ただインタビューににこやかに答えているだけなのけれど、あまりにも力を持っていた。
 決して少なくない日本人が、台湾は「親日」だと感じている。この作品を観る人々の中にもそんなイメージをもち、またこの作品によってそのイメージを強化した人もいるかもしれない。映像では日本の戦争責任、加害責任を問うような質問はなかったと思う。ここで試されているのは台湾の人々の記憶ではなく、作品を観る側の記憶と経験である。台湾の人々は覚えている。それでは「日本人」はどうだろう。ここでは日本にくらす一人ひとりの記憶ではなく集団としての「日本人」としての記憶、そして経験の受け継ぎが浮かび上がってくる。誰が国家統治を行ったのか。それは直接的には我々ではない。だが、我々がその当事者たちの子ども、孫であるともし自認するのであれば、その記憶には何が残されているのか。もしくは、何かが残されなかったのか。そのような問いを素朴なインタビューが突きつける。

あいちトリエンナーレ2019の展示風景/毒山凡太朗/“Time_goes_by” 2017/
Courtesy of the artist

毒山凡太朗/《Synchronized Cherry Blossom》2019/Photo: Kenji Morita

 これらの作品を通して、記憶について考える。誰かの身体、精神の中に刻み込まれた記憶がある。他方で、人々の記憶は個人の内面に閉じ込められた不可侵のものではなく、共有されるものでもある。ナショナリズムについて、アンソニー・D・スミスは『ナショナリズムとは何か』(筑摩書房、2018)というその概念が大いに広いものであることを示す著書において人々が自らの共同体について持っているだろう「確信」を4点述べているが、その中の一つに記憶の共有が挙げられている。それは「物質的および/または精神的、芸術的に栄華を誇った時代とし手の「黄金時代」の記憶の共有」である(pp. 300-301)。記憶が共有され、物語となることで、その土地に生きる人々を一つの集団としてまとめていく。歴史は記憶と相互に影響し合い、両者はナショナリズムを作るための基礎となる。
 ある歴史的事実に注目しよう。大日本帝国はアジアの国々を侵略した、という歴史的事実がある。しかし、そこには異論が出されることがある。当時の大日本帝国の行いはアジアの解放や独立のための行動だと論じる人々がいる。そこでは歴史的「事実」は議論の対象となる。だが、そのような議論においては当事者が忘れられてしまうことが多い。記憶は一旦物語となり、その物語は歴史家に加えて声の大きな人々によってどんどん変容していく。歴史的事実としての硬度は増すだろう。だが、そもそも元を辿れば記憶は誰かの中にあったものだ。記憶は誰のものなのか。記憶とは何だろうか。
 戦後70年を越え、多くの戦争経験者が去っていく。個人的な経験を話さない人々もたくさんいる。話すことができない人だっているだろう。そういった個人の経験、いや地獄の記憶とも言えるかもしれないものを軽々しく聞くことはできない。記憶、そしてそれを思い出す行為はタンスや棚を引き出すこととに例えられることが多い。しかし、実際には引き出しの場所もそして引き出した中身も容易に改ざんされる。それは当人の恥ずかしさが原因している時のように、意識的・無意識的な行動であることも多いが、それが外部からもたらされることもある。
 そこには勿論、教育がありメディアの影響が大きい。倉橋耕平が『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社ライブラリー, 2018)で論じたように、ディベート教育のように思考力を高めることを目的として説得的に2つの立場を戦わせる活動は、たとえば「大日本帝国による朝鮮への一連の行いは侵略だったのかどうか」をテーマにすれば歴史修正のきっかけとなり得てしまう。
 また、記憶を外部化することが起きたら‥とも考えてみよう。外付けのハードディスクやクラウドのような外部に、自分の記憶を預けてみる。これはSFの話ではない。現実の世界でも、実業家のイーロン・マスクが設立した会社Neuralinkでは、脳にマイクロチップを埋め込んでコンピューターと接続する技術の開発が勧められている。SFやアニメのファンであれば、すぐに思い出すのが『攻殻機動隊』であろう。作中では記憶がデジタル化されるが、登場するロボットのコンピューターが並列化される場面がある。同一の情報、つまり記憶が保たれることになるが、ここでは同時に個性の剥奪の可能性を問うシーンとなっている。くり返しになるが、これはSFではなく現実の世界の話である。
 閑話休題。ここで、あいちトリエンナーレそのものに戻ろう。本展覧会のテーマは「『情』の時代」である。現代において我々は情報をどのように受け止め、そして感情をどのように我々はコントロールしていくのか。いや、そもそも脳とコンピューターが直接に接続された時、情報と感情はどのように変容するのか。ますます「情」という語がクローズアップされてゆく。

 声の強いものが大きな力を得て、彼らの言説がますます強い力を持って一般化されていく流れがある現実において、情報社会を象徴するツイッターのようなSNS上での議論はどのように記憶の中でデジタル化されていくのだろう。また、情報はどのように我々に提供されていくのだろう。情報が感情と一体化し、歴史的事実も一つの情報として蓄積される中では、歴史そしてナショナリズムを巡る議論にも影響を与えるだろう。ますます技術が発展する中で情報が処理される仕組みそのものが変わる中で、そのスピードに抗うことすらもままならないとしたら、結果として残る歴史はどんなものになるだろう。
 「アート」という語には「手段」という意味がある。藤井、毒山両氏の展示が相互補完的に投げかけるものは、解釈としての歴史を作る材料としての情報、そして手段としての感情(及び思考と判断)への現代的な再考の必要性であろう。E.H カーは「歴史とは何か」という問いについて「歴史家と事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」であるとしている(p.40, 岩波書店, 1962)。加速度的に情報と感情を巡る状況が変わる中、現在はすぐに過去になっていく…という陳腐な表現ではなもはや追いつかない。未来はすぐに過去になっていくのだ。何が置いていかれているのか。誰を置いていってるのか。「情」の時代は、慌ただしいスピードの中で我々自身をも置きざりにしてしまうかもしれない。