空間現代 - Palm

京都を中心に活動する空間現代による、オリジナル作品としては約7年ぶりのリリースとなるサードアルバム。これまでと同様にギター、ベース、ドラムが形作るリズムのズレと反復、そして同期の手法を基調に据えながらも、今作が前作品たちと異なった印象を受けるのは、その三者の音自体に根本的なズレが生じていることだろう。それぞれが相手の存在に意識を払いながらも、あえて正面を向かずに角度をずらしながら演奏しているようで、一方が出すフレーズに対し、一方がそれをどの程度まで受け止め、あるいは横に流しているのかがよく分からないように設定されている。これまでの作品の展開にあった、三者が中心点に集まって生まれる強烈な一致とダイナミズムは、5曲目の「Sougei」を除いてはほとんど見当たらず、どちらかというと、距離の関係を絶えず変化させながら、中心点から放散するように遠ざかっていく「齟齬」の感覚に重点が置いているように思う。ダンスミュージックの機能にみられる身体とビートの同期を留保して彼らが選んだ、その齟齬が表すものとは、ならば一体何なのだろう?今作に関するインタビューを読むと、彼らはバンド活動と照らし合わせながら、他者との関係性によって意味が変化するという点において、「コミュニケーション」がキーになったと語っている。意思や感情のコミュニケーションには、自分と他者の関係性の上で生じるという点において、一定の伝達不可能性が必然的に潜んでいる。しかし肝心なのは、気を留められるのではなく、その脆弱性や断絶を認め、引き受けることにあるだろう。そのような文脈に重ねながら、今作で彼らが意識的に炙り出した齟齬の感覚をもう一度見つめてみると、共通の意味理解がそもそも存在しない「分かり合えなさ」を起点に置いて、オルタナティブなコミュニケーションツールと、「分かり合える」かもしれない可能性、あるいはその萌芽の瞬間を探し当てようとしているようにも思えた。