私たちは音楽を聴いている時に、色を感じているだろうか。また感じているとすれば、そこには一体どんな色が宿っているだろうか。Tomoko SauvageとFrancesco Cavaliereの2人のアーティストから成るプロジェクト『Green Music』は、「緑」という色彩をコンセプトに、ガラスや鉱物、植物やいくつものオブジェクト、彩られた楽器を用いながら、視覚的に空間をその色に染め上げ、私達の内側に、静謐な穏やかさと、色彩と音楽が結びついた、新しい聴取/体験をもたらす。今年2017年の夏に行われたアート・フェスティバル『インフラ INFRA』でも、素晴らしいパフォーマンスとインスタレーションを披露してくれたのが記憶に新しい。今回、Shelter Pressから新作「Musique Hydromantique」がリリースされたばかりのTomoko Sauvageに、『Green Music』について、そして彼女のソロでの活動について、話を伺った。
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トモコさんはパリで、フランチェスコはベルリンと、それぞれ別々の場所に住んでソロとして活動されていらっしゃるお二人が、共にプロジェクトを始める何かきっかけはあったのでしょうか。
Tomoko Sauvage(以下T) ベルリンは昔からよく行く機会があり、2009年にモーマスと森本誠士さんと一緒にベルリンで演奏をした時に、フランチェスコが展示をしないかと声をかけてくれたのが始まりです。彼はGRIMMUSEUMというギャラリーでサウンド·アート関連のイベントをキュレートしていて、私の楽器にはビジュアル的な要素があるから、展示をやるべきだと話してくれて。それまで視覚を意識して音楽制作を行ったことはなかったのだけど、氷が溶けるタイミングでランダムなパーカッションが鳴るインスタレーションを展示用に考案しました。ビジュアルを含めた制作の方向に行くようになったのは彼のおかげとも言えます。そのときの展示は、フランチェスコが全面的に手伝ってくれて、遊戯的で、ファンタジーに富んだ彼の制作プロセスと姿勢に大きく影響を受けました。そうした繋がりがあり、一緒に音楽を作るようになりました。
『Green Music』というプロジェクトにある、コンセプトやバックグラウンドについて教えてください。
T ある日、小杉武久さんが書かれた『音楽のピクニック』という本で、フルクサスのアーティストであるヘニング·クリスティアンセンの「緑の音楽」の存在を知りました。この「緑の音楽」のアイディアをフランチェスコにもちかけて、私たちなりに再解釈したものが『Green Music』です。ヘニング·クリスティアンセンというアーティストは音楽や生活を含め、あらゆる行為を緑という色彩に結びつけようとした人物です。例えば楽器を緑に塗ったり、耳を緑に塗ったり、緑の光をあてた空間のなかで演奏したり、緑色の絵画やインスタレーションを発表したり。本を読んだ時は彼の音楽にスコアがあると思っていたのですが、その後ご子息さんとコンタクトをとって、彼にまつわる話を色々聞いて、楽譜はないと知りました。クリスティアンセンは緑という色彩を用いて、音楽の中に自然を取りこもうとしました。実際に緑の楽器に囲まれていると、自然と音楽が融和していくかのような感覚になり、まるで森や山を眺めているかのような鎮静作用や効果がある。自然の力を引きつけるような力があるんですね。
そうしたクリスティアンセンのオリジナルなアイディアに影響を受けながら、お二人は緑にまつわる、様々なエピソードやオブジェクトを集めているとお聞きました。
T 演奏旅行をするたびに、各国で自然に、偶発的に、緑にまつわる迷信や民話を収集するようになりました。例えばフランスで劇場に緑色を用いるのは不吉だという言い伝えがあります。演奏直前にそのことを言われて困ったこともあったんですが。また香港にツアーで行った時、フランチェスコが緑色の帽子をかぶっていたら地元の人にとても驚かれたんです。香港では「緑の帽子」=「奥さんが浮気をしている」という意味らしくて、間男を指すらしい。なんでも二つの単語の発音が類似しているらしいのが由縁みたいで。そうした興味深い緑にまつわる迷信や民話は文献などを通して自分たちでリサーチすることもあるけれど、どちらかというとツアーなどで訪れる時に、地元の人たちが教えてくれることの方が多くて。その方が意外性があって面白いですね。そういう偶然、ひとつのミラクルとの出会いを大切にしています。だから演奏会場に事前に緑色のものを用意するように頼んでおいたり、お願いしなくても観客の方が緑色の服装やアクセサリーを身につけて来てくれたりします。『Green Music』の活動では、音楽を超えたさまざまな生活や状況、環境とのインプロヴィゼーションが、アウトプットのアイディアを生み出すうえで大きな役割を果たしていると思います。
F 「インプロヴィゼーション」という言葉は、予期していないものとの遭遇、という意味でもある。例えばレストランに入って、隣の席で誰かが緑にまつわる話や噂をしていれば、私たちは熱心に耳を傾けて、ノートを取るでしょう。それが自分たちの音楽にとって、大きなインスピレーションになるかもしれませんからね。
フランチェスコさんは「緑」という色彩に関して、どのような印象をお持ちでしょうか。
Francesco Cavaliere(以下F) 緑に対する印象といえば、まず最初に独特の湿り気や、苦味が思い浮かびます。小さいときにトスカーナで、新芽の茎をいつも食べていたからです。緑を思い浮かべると、ジューシーだけれど、まだ熟れてはいなくて苦味のある、そんな不思議な味が自然と思い起こされます。吸血鬼がリンパ液を好むみたいに、緑の味の中毒になっていました。音楽についていえば、グリーン·ミュージックには自分の中にあるイメージや心象風景がはっきりあって、それを具現化するのは困難だけれど、彼女といっしょに緑の音色を探し、捨象しては選び直したり、楽器や物を作ったり、どうやってオーガナイズするかを学んできた。シンプルなチューニングと音の動きが、この音楽におけるバランスの中でとても重要。そこから生じる豊かな流れのようなものが緑という色彩にはあって、その色彩に容易にチューニングできるようになった自分たち自身に時々驚かせられることがある。まるで陸と水中を行き来しながら自己の状態を常に変化させている両生類のように、沼のような陰の要素をもちつつ、同時に明るくしたりしながら、自由自在に色を操ることができるんです。
確かにお二人の『Green Music』に現れる「緑」には、色々なバリエーション、グラデーションがあり、とても繊細で微妙な変化があるように思います。
F さっきの比喩の続きで言えば、両生類がある一定の時間が立つと陸地から水中に戻らなければならないみたいに、私たちの音楽もいつも色彩を変化させているのです。その変化は音楽のハーモニーに必要なもの。自分の意識より先に、脳がこれから起きるであろう出来事を事前に察知するかのように、その変化の必要性を感じ取っています。時には演奏中、とてもディープなゾーンに入り込む時もあるけれど、一箇所に偏りすぎないように、ある程度幅を持ったエリアの中で常に変化し、流動し続けることが大事なのです。
では『Green Music』において、実際にどのように音を具現化していくのか、そのプロセスのようなものがありましたら教えてください。
T あらかじめ決められた演奏というのはないですが、完全に即興というわけでもありません。 作曲された部分と新しい素材を即興的に組み合わせていくことが多いです。事前にファイルの交換や話し合いである程度お互いが準備している音の素材は把握しているんですが、サプライズとして、新しい音を現場で相手に与えたりすることもあります。既存の要素にぶつけたりくみあわせることで、そこにライブ感がでて、その場での偶発的な勢いや驚きや集中力が生まれます。緑が偶然を必然に変えてくれるという意味では、「楽器」の緑色が果たす役割は大きいです。たまたま緑色だったために手に取った事物、オブジェクトから新しい音が生まれたり、その土地の緑色にまつわる伝説や言い伝えなどから私たちの音楽のストーリーを発展させることがプロセスの中心となっています。マイクという楽器が、アコースティックな音を拾うという現象には、脆さと同時に未知という可能性を含んでもいる。不確定な部分をあえて設けながら、お互いが信頼によってその未確定な箇所を補完していくことで私たちの音楽は成り立っています。私たちの関係はどちらかというと、もちろん直接的な意味ではありませんが、カップルのようなものに近いかもしれない。私たちは住む国が違うので、直接会って制作を進めるということは出来ないけれど、離れているからこそ良い面もある。プロジェクトを進めていくには、お互いの深い内側へのエンゲージメントや信頼、それをうまく作用させていくための努力が必要。またそれぞれがソロで活動している私達にとって、共同で制作をするという行為は、お互いのエゴを乗り越えるための機会でもある。『Green Music』は対話とスピリチュアル·ファイト、つまりエゴとの軋轢をなくして、対話と相互間の信頼によって、オープンな心を開いて、最大限の自由を得るための闘いでもあるんです。
F コラボレーションでの音楽制作は、2010年からはソロでのプロジェクトに専念してきた私にとってはスペシャルなもの。「じゃあ一度、気軽に一緒に演奏してみて、そこから作っていこうか。」というわけではなく、形にする前に時間をかけて話し合い、互いのアイディアやアティトゥードを深くシェアする必要がある。また実際の制作やコンサートなどの演奏においては、常に相手の視点に立ちながら、柔軟な考えを持たなければいけない。自分ではない他人と時間を共にし、相手の内側に入り込むということは素晴らしいこと。また私たちの場合、母国語ではない言語で自分の気持ちを伝えあうという点でも、学ぶところが多いとも言えます。
トモコさんにお聞きしたいのですが、ウォーター·ボウルズという珍しい楽器を使うようになったきっかけはなんだったのでしょう。
T もともとジャズピアニストを目指していたのですが上手くいかなくて、自分なりの音楽を探っていた時に、アリス·コルトレーンやテリー·ライリーの影響でインド音楽に傾倒していったんです。そこで南インドの伝統楽器であるジャラタランガムに出会って、とても感銘を受けました。それにハイドロフォン(水中マイク)を組み合わせて、今の自分がメインで使用している「ウォーター·ボウルズ」という楽器に発展しました。「ナチュラル·シンセサイザー」と呼ばれることもあります。私の音楽は実験音楽やアンビエントとカテゴライズされることが多いのだけれど、ジャンルは全く意識せず、どちらかというと「ウォーター・ボウルズ」という楽器の可能性を追求したいという思いで音楽制作をしてきました。
私たちにとってありふれた「水」という物体を、楽器という媒介物として用いるということはとても興味深いです。
T 「ウォーター·ボウルズ」は完全にコントロールできないという点で、とても難しい楽器。水が蒸発すると周波数がすぐ変化してしまうので、決められたチューニングはできない。また水の揺れやボウルのもつ倍音、演奏する空間によって実際に出力される音は大きく左右されます。時間をかけて一定のコントロールはできるレベルになったのだけど、半分は環境下の偶然性や成り行きに委ねられているので、そのバランスポイントを探るのが私の役目。だから、音楽の主体はあくまで「ウォーター·ボウルズ」という楽器であって、演奏を行う「私」ではないです。自分がこのような音を出したいというより、どうすればそれが空間にうまく適合して響くかを調整するためにいるというか。役割としてはある意味、シャーマンのような媒介者に近いかもしれませんね。
新しいアルバム『Musique Hydromantique』は、英語では「Hydromancy」といって、古代に行われていた、水占いを意味します。例えば水面に石を投げて、その波紋の数や水の色で明日の天気や、戦争の状況などを占っていたようです。その考えに通じる点は多くて、「ウォーター·ボウルズ」という楽器が、部屋の湿度や温度、建築的構造、周りにいる人々などの影響を受けた音響を通して、偶然から必然を生み出すというような性質をもった不思議な楽器だと思っています。そういえば新潟で行なったコンサートでは、共感覚を持った人が来てくれて、私たちのパフォーマンスの感想を色々教えてくれました。彼女は聴覚と視覚が交感した、つまり音が実際に「視える」タイプの共感覚者で、演奏中楽器から鳴らされた音が、水やセラミックといった物質に還元していくように「視えた」らしいんです。自分は共感覚者ではありませんが、そういう共感覚者的な複合したイメージにはインスパイアされます。
演奏中に用いられるフィードバックとは、具体的にどのような手法なんでしょう。
T フィードバックは日本語でいうハウリングと呼ばれる現象。ハイドロフォン(水中マイク)とスピーカーとの間に生まれるハウリングを、音の周波数を水の量でコントロールし、また音の大きさもミキサーでコントロールして演奏します。それぞれ水の量でチューニングされた水の張ったボウルが相互に作用し、倍音同士が作用しあったり、また部屋のアコースティックに非常に左右されます。このハイドロフォン·フィードバック(ハウリング)は音響学的には、世界でもユニークなテクニックだと自負しています。身体の動きを通して音を変化させるという行為は大変な集中力が必要で、反復性も相まって、瞑想に近いと思うことがある。とあるフランス人のタオイズム研究家が、瞑想は内的アルケミー(魔術)だと言っていたこととも深く通じる気がします。
フィードバックの音を録音することは、まるで幽霊を写真で撮影するかのように難しい。専門家に一度聞いてみたいのですが、私の素人としての考えでは、骨に直接振動する音を聞いているので、通常の耳を基調とした音の捉え方とはまた別なのでは、と思っています。その場では音が大きく出ているのに、マイクで出力すると非常に小さな音量だったりする。音も電気も目に見えないものなので、フィードバック(ハウリング)には幽霊的なものを感じます。扱いづらい楽器ではありますが、空間に応じてとても綺麗なフィードバックが出る時があって、その奇跡のような瞬間、私のコントロールと偶然が重なった際に生じる調和を探しています。また演奏の際には、音がもつ「彫刻性」を意識しています。具体的には自分の手を使って水位を変化し、水の動きの「フォルム」をボウルの中で変化するさせることによって、音のカーブやフォルムを描き、空間を揺れ動く水の(音響的)彫刻を形成する、というイメージを持って演奏しています。言葉では言い表しにくいのですが、一種のカリグラフィー、書道の考えに近いかもしれません。
ではここで、少し個人的な話に移らせてください。トモコさんはフランスに移られて長いと思いますが、アーティストという視点から、日本人としてのアイデンティティを感じることはありますか?
T 向こうにいるときに普段意識することはあまりないけれど、こうして日本に帰ってきたときにやはり「自分は日本人だな」と実感することはあります。ただどちらかというと自分が属する音楽シーンのコミュニティーで培われている、たくさんお人の関わり合いから生まれる「私」としてのアイデンティティが大きく、よりマルティカルチュラルな考えを持っています。でもよくよく考えてみると、私のやっていることはやはり非常に日本的、東洋的なのだと思います。2つのカルチャーを比較してみると、西洋人は理性的で、全てを言葉に変換して理解しようとする。それが良い意味で現れているのが政治です。健全なディスカッションがあり、デモクラシーがある。日本は感覚的で、言葉にしないことを美徳とみなす曖昧な観念があるので、そこに集団主義が加わって、論理的ではない出来事が政治の世界で平然とまかり通っています。政治の世界ではその日本人らしさがマイナスになっているけれど、芸術や感性の面においては、深みになっていると思います。自然との官能的な関係性を日本人はとても大事にしますよね。月を愛でたり、虫の音色を音楽として捉えたり、食文化や温泉の文化、アニミズム、擬人化、といった風習は日本独特の風習です。両者の良いところ、東洋的感性と西洋的理性 から影響を受けられたら最高だと思います。
インターネットを介して、そういった日本の美的感覚が若い人たちの世代で、世界で共有されるようになっていますね。国を隔てても、色々な日本の文化が思わぬところまで拡がっていたりします。アートはやはりまだ西洋文化的ですが、音楽という分野においては、どちらかというと感覚的なものなので、普及しやすいような気がします。
T 色々なジャンルがミックスし合う文化や、マルチなプラットフォームが世界では増えてきています。世界の色々なところで、東洋と西洋、南と北がどんどん近づいていると感じるし、また、ジェンダーも最近の大きなテーマとなっています。そういったことが、アートや音楽シーンをとてもエキサイティングにしています。日本は東洋文化の代表として大きな存在感をこれまで世界に示してきましたが、それ以外の周辺の国々の文化にもフォーカスが当てられるようになってきています。
アーカイブ、環境がインターネットによって整いましたからね。しかし無限に音楽を発見できる環境は、すべての価値観が相対化されてしまったので、メディアの存在意義を考慮すると、そういった音楽を言葉で発信することがとても難しくなってきています。スターの登場が必要ないので、これまで通りのやり方ではない音楽の伝え方を探さなければいけません。
T そうですね。また私は、そうしたインターネットの登場という転換期だからこそ、フィジカルな、交流し合える「現場」の必要性を人々がとても求めていると感じます。今回呼んでいただいた『インフラ』でもそのことを痛感しましたし、とても重要な場所だとも思いました。
震災以降、日本にはインタラクティブな現場が少なくなってしまったと私は感じていたのですが、今回の『インフラ』のように、また色々な分野や界隈の人々がマルチに交流し合えるような場所が、アンダーグラウンドなシーンにおいてまた現れはじめました。
T そういう状況を踏まえても、私はアーティストの役割として、「コネクト」することに大きな意義があると思っています。人と人だけに限らず、場所と場所、自分たちの音楽やアートにおける素材と素材であったり、アイディアとアイディアであったり。広い意味での結びつけと共有が自分の貢献できることのひとつかなと。ミュージシャンとして色々な国を訪れる機会があって、世界中に素晴らしい活動を展開する人々がいることにいつも感銘を受けています。それぞれの国に私を呼んでくれる人々と、お互いのつながりを実感しますし、よりその輪を広げるための努力をしないといけないと思います。
アーティストは自分の関心をつきつめることも必要だけど、現代的、同時代的な問題をいち自分の問題として捉え、考えるも大事。20世紀のアートはaesthetic、21世紀はethicであると誰かが言っていました。私自身もコラボレーションやコミュニティといった倫理的な美を追い求めているけれど、それも一つの芸術の形態だと思っています。現在、世界はキャピタリズムを中心に回っていて、さまざまな弊害が生じている。インディペンデントのシーンが互いにコネクトしながらそれに対抗し、お金以外での別の価値観をきちんとシェアし、発信することが自分とそこに所属している人々にできることだと思うのです。アーティストと、それを愛する人、両方が情熱を持って活動し、ポジティブな雰囲気を生み出せるコミュニティを作っていくことに大きなパワーを感じています。
Tomoko Sauvage
https://o-o-o-o.org
Francesco Cavaliere
https://soundcloud.com/f-cavaliere