フリーカルチャーとT.A.Zを実践する「テクニバル」。スパイラル・トライブとの歴史、そしてテクニバルJPNについて

本日公開したYAYA23のインタビューの補足として、初めての方に向けて、もうすこし詳しくテクニバルについて紐解いておきたいと思います。

インタビュー記事はこちら https://themassage.jp/yaya23/

「テクニバル」はテクノとフェスティバルを融合して造られた造語。いわゆる野外レイブのようなものです。しかしその内容はふつうのレイブとはぜんぜん違う。たとばテクニバルには、一般的にオーガナイザーと呼ばれる役割は存在していません。主催者が指定した場所、時間に、参加者たちは自前のサウンドシステムを持ち寄り、それぞれが自由に音を出したりして楽しむ。出演者としてDJをやるのも、あるいは食材を持ってきて調理して提供するのも、とにかくすべてが自由。テクニバルのキャッチコピーは、ノー・オーガナイズ、ノー・コマーシャル、ノー・マネーシステム。だから入場料も無料というわけです。

ダンスミュージックは文化として広く深く定着し、多くの人に楽しまれるものになったけれど、テクニバルはその遊びを追求した先にあるフリーカルチャーの理念を形にしたものと言ってよいでしょう。今回、YAYA23にインタビューしてくれたベルリン在住のDestr∞yについてはMASSAGE 9で詳しく書いたので重複になってしまうけれど、一箇所に定住せず、フェスティバルの会場を追いかけて旅をするトラベラーと呼ばれる人々、あるいはスクウォットをして廃ビルなどに暮しているアーティストやDJ、そういうライフスタイルに共鳴し参加する人々、そんな彼らの作り出している生活のスタイルはとにかくすごく洗練されたものに思えました。レイブのなかだけでなく、その思想は世界各地のさまざまな部分で育ち、実践されているのです。

さて、ここで少しだけテクニバルの歴史をおさらいしておきたいと思います。その由来は、イギリスのサッチャー首相の時代にまで遡らなくてはなりません。イギリスでは当時、彼女の元で富裕層が厚遇される新自由主義的な政策がとられていました。その結果、職がない人々、あるいは定職に就かず、ノマド的な生活スタイルを送る人々があらわれました。彼らの楽しみといえば、音楽に合わせてダンスすること。ダンスミュージックは、彼らの不満や不安を解消してくれる安価な楽しみでした。しかしそのシーンが大きくなりすぎたことを問題視した政府は、「クリミナル・ジャスティス・アクト」という、音楽に合わせて集団で踊ることを禁止する法律を施行してしまったのです。

当時、イギリスには中古のトラックにサウンドシステムを積み込んで、国内を放浪する集団がいました。その中のひとつが、スパイラル・トライブと呼ばれる集団です。けれども「クリミナル・ジャスティス・アクト」の影響で、国内での取り締まりが強化され、彼らはやがて国外へと追いやられてしまいます。そしてヨーロッパから北アメリカまで世界中を旅しながら、同じようなサウンドシステムのクルーを仲間にしていきました。彼らは時期を決めて、同じ場所でサウンドシステムを持ち寄ってパーティをやり始めます。それが徐々に大きくなって、現在のテクニバルの形態になっていったと言われています。

SpiralTribeTheFreeForceOfTeknoFlyer

実は、かなり前のことですが日本でテクニバルを主宰するフランス人の方にインタビューさせてもらったことがあります。彼はフランス在住時に、イギリスから渡ってきたテクニバルに出会って衝撃を受けたそうです。彼はその後日本に移住し、この地でもテクニバル・ジャパンを始めることにしたのです。そんなことがきっかけでついに日本でも、テクニバルが開催されることになりました。

そう実はまだその流れは受け継がれていて、この夏この日本のどこかで、ふたたびテクニバルが開催されます! 詳細は明かされていないので、興味がある人は下記から問い合わせてみてください。

http://freeteknojapan.blogspot.jp

さて、最後にYAYA23のインタビューでも触れられているT.A.Zというキワードについて触れて締めたいと思います。

T.A.Zという言葉はハキム・ベイという思想家が提唱したもので、Temporary Autonomous Zoneつまり一時的自律ゾーンの略称です。一時的にでも自分自身の空間を出現させ、その内部に、自由で自立した状況を作り出そうというわけです。それは、断続的にT.A.Zの空間や時間を広げていくことで、社会の不自由さそのものに対抗していこうという考え方でした。T.A.Zはテクニバルや、バーニングマンの形成に大きな影響を与えたと言われています。

パーティの楽しさとは究極的には、社会から強制されるさまざまな拘束から逃げ出すこと、そしてそのことにより、たとえ一時的にでも自由の感覚を獲得することにほかなりません。その“一時的”という部分をずっと引き伸ばし続けついにはそれを日常にしてしまうこと、なかなか簡単にできることではありませんが、それがYAYA23や、Destr∞yといったテクニバルのライフスタイルを追求するトラベラーたちの生き方、なのかもしれませんね。