0xhaikuによるオンチェーン作品「Receipt」に関する考察。
ブロックチェーンが可能にした新しい所有の形。

Text=Yusuke Shono
0xhaiku - Receipt 0.0278 ETH

2023年の1月、NEORT++にてNFTのスマートコントラクト部分にフォーカスした展示Made in Contractが開催された。NIINOMI、bouze、0xhaikuらが参加したこのグループ展は、NFT以降に出現した新しいアートの可能性を体験できる貴重な機会として、大きな話題を呼んだ。

スマートコントラクトとはブロックチェーン上で永続的に動き続けるプログラムのことである。ブロックチェーンと同じ透明性と、作者であっても変更することができないイミュータブルな性質を持つ。そのスマートコントラクトの性質を用いることで、ブロックチェーンはメディウムとしての性質を帯びる。そんなスマートコントラクトを用いた作品を制作するアーティストで、Made in Contractの参加者の一人0xhaikuの作品「Receipt」について取り上げてみたい。

「Receipt」は、ブロックチェーン以外の外部メディアを使用しないフルオンチェーン作品であり、購入者が支払う金額を自由に設定できるという作品。ただし、誰かが設定したものと同じ金額をミントすることはできない。ミントされればされるほど指定できる金額が狭まっていくため、早期にミントした者がより広い選択肢を持つという、興味深いゲーム性が生まれている。また視覚的にも動的に変化する要素を持っている。たとえば、購入した金額が刻印されていたり、転送された記録が最大100件印字されるという仕掛けが施されていたりする。

0xhaiku – Receipt 0.0043 ETH

最も興味深い点は、このNFTが「レシート」であるという点である。よく考えてみると、このNFTを購入するとき私たちは何を買っているのだろうか。通常、レシートとは何かを購入した証明として手渡されるものである。この作品を購入するとき、作品を購入したという履歴が手渡される。他に手に入れられるものは何もない。購入者は購入したという事実、それ自体を買っているのである。

ここで思い出すのは、Mitchell F. Chanの初期NFT作品「Digital Zone Of Immaterial Pictorial Sensibility」だろう。本サイトでも以前に紹介したが、イヴ・クラインの目に見えない芸術作品の存在を立証するコンセプチュアルな作品の再演であるこの作品のヴィジュアルも、イヴ・クラインのパフォーマンスと同じく「領収書」の形を取っている。当然ながらこの作品の実体は、領収書でない。実体は、アートを購入するという「行為」の側にある。アートが形を持たないことで、「アートを購入する」という行為がはじめて作品化される、という構図になっている。両者は共に、存在しないアートを観客と作者が共犯的に実体化させるという野心的な試みであったと言える。

領収書はその行為の過程で生まれた副産物であり、単なる行為の記録である。またアートの形をより純粋に昇華するため、その領収書さえ燃やすことが推奨されていた。その点において、Mitchell F. Chan作品も、イヴ・クラインの作品も構造は同じであるが、Mitchell F. Chan版では「領収書」の存在だけでなく、行為自体がオンチェーンに刻まれている点が異なっている。これはブロックチェーンの性質によってはじめて可能になったことである。観客はその目に見えないアートの生成に参加したという事実の記録を、文字通り所有できるのである。

0xhaikuの作品に戻ると、「Receipt」はその二つの系譜の上に置かれる作品であるということが分かるだろう。私たちがNFT化されたアートピースを所有するということは、保有者(Owner)としての証明をオンチェーンに刻むということにほかならない。hasaquiによる「Made in Contract」の展評でも、0xhaikuの発言が引用されており、「Receipt」がブロックチェーンのトランザクションそのものを形にした作品であると述べられている。

NFT初期作品であるMitchell F. Chanの領収書と、0xhaikuのレシートの違いは、Mitchell F. Chan作品が静的な領収書の画像を象徴として表示しているのに対し、0xhaiku作品が購入の記録をNFTの上で可視化しているという点である。実際、この違いは大きい。0xhaikuの「Receipt」は、トランザクションの履歴を作品の上に動的に表現する。つまり「Receipt」は、実際のレシートでもある、ということなのだ。

コンセプチュアルな次元では、形のないもの、アーティストや観客の行為自体も作品となり得る。アートの生成に参加したという事実、その唯一無二の瞬間をブロックチェーンの上で結晶化し、NFTの形で記録する。それはまさにNFTコレクターたちの日常であるが、その記録自体がアートの本体だと考えたらどうだろう? 私たちはアートを買うときに、購入の体験自体を買っているとは言えないだろうか。行為の形成に参加し、その記録を所有すること。すなわち「Receipt」は、所有という行為自体を所有する作品なのである。それはまたブロックチェーンがもたらす新しい形の所有、その始まりを象徴する作品でもあるに違いない。

0xhaiku – Receipt 0.01 ETH