MASSAGE MONTHLY REVIEW – 6
MASSAGE&ゲストで、6月の音楽リリースをふり返る。
現行リリースの作品の広大な大海原から、6月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
現行リリースの作品の広大な大海原から、6月に出会った素晴らしいリリースをご紹介。
Grey Matter ArchivesのキュレーションやAvyss Magazineの運営者としても知られるCVNの〈Orange Milk〉からとなる新作。ジャケットは「PHENOMENON:RGB」展にも参加したSabrina Rattéであり、NTsKiや、Cemetery、Le Makeup、LSTNGT、ROTTENLAVAなど盟友たちとのコラボレーションを繰り広げた、まさに現行のシーンをアルバムの上に広げたマガジンのような作品となっている。印象的な一曲目のNTsKiをフィーチャーした「成分」はまどろんだアトモスフィアの中を彼女の柔らかな声質が響き渡り、都市的な背景のもとノスタルジックな和やかさと安心感で包み込む。ノイジーでインダストリアルな感触を持つ楽曲からリズミカルに聴くものを揺さぶるダンストラックまで、よりフリーキーにより自由に組み合わされたサウンドで心地よく耳を刺激する。静と動、秩序と無秩序の間で引き起こされてきた駆け引きを紐解きながら、即興のさなかに生み出された解を目撃しているかのような研ぎ澄まされた洗練。音の振動すべてが楽器であるような、録音上の徹底呈した平等性は、デジタルによりもたらされた現代の音の洗練の極地と言ってよいだろう。異質なもの同士の重ね合わせと結合により作られたそれらは、調和を否定することによって逆説的に美しさを生成するという、現代におけるバロック的な美であるといってよいかもしれない。(S)
S S S SことSamuel Savenbergは、スイスはルツェルン在住の音楽家であり音楽プロデューサー。「Walls, Corridors, Baffles」は、スイスのルツェルンを拠点とする〈Präsens Editionen〉からリリースされた。〈Präsens Editionen〉は、クラブカルチャーや音楽、アートなど発信しているzweikommasiebenの書籍やアルバムなどを発表している。音楽は概念的で象徴的なものではなく、その具体性が重要だと考え作成したアルバムの表情は全体的にとても暗くて重い。しかし、予定調和のない旋律や冷やかな金属音やノイズ、緻密なリズムが時に交錯し、時に一つに重なり調和すると、エネルギーに満ち溢れた緩急のある音のうねりを生み出す。音のうねりが押し寄せてくるたびに感情の高揚を誘っているように感じる。アルバムを聴き終えると、不思議と耳元を心地よい風がふっと駆け抜けるような感覚に陥る。アルバムのタイトル「Walls, Corridors, Baffles」はフランスの哲学者であるロラン・バルトの一節から引用されている(おそらく「Empire Of Signs」『表徴の帝国』からと思われる)。音楽は聴き手の感じ方次第という考え方も、もしかしたらロラン・バルトの影響があるのかもしれないと考えると、アルバムの聴き方が少し変わるかもしれない。Han Le Hanによる生け花のアートワークもアルバムの暗い表情を美しく表現している。(TN)
「振動の伝達」を扱ったフィールドレコーディング作品を中心に、音源のリリースやインスタレーションの発表などを行うサウンドアーティスト/美術家の角田俊也。今作は彼の90年代の代表作として知られる「Extract From Field Recording Archive 」シリーズに、未発表の新作音源を追加した5枚組CD。音を波の振動として捉える角田は、振動運動の現象的側面や、音の発生/伝播を生み出す空間との関係性に焦点を当て、港や工業といった豊富な振動現象が観察されやすい場所に注目して長年フィールド録音を続けてきた。振動は彼によっていくつかのパターンに分類されており、例えばシリーズ1作目に収録されている音源は「定常波」と呼ばれる種類のもので、それは複数の音波が反射と干渉を繰り返して、ある特定のエリアで停滞している音のことを指している。どれも音が持続しているという点では共通しているものの、振動源の素材や性質によって、それぞれの音色や周波数、倍音の具合は千差万別で、異なる背景を備えた音たちは、どれもハードコアでミニマルな様相ながら味わい深い響きをなしている。
彼の作品は、一聴してそれだけでは何の音なのかよく分からない。それは人間の可聴域外の音であったり、空気ではなく固体を媒質とした音であったり、つまり日常で私たちが知覚できない、あるいは意識に留まることのない音が主な対象だからであり、録音された音源そのものに、視覚的イメージや追体験性を喚起させる要素は含まれていないからだ。その点でも、一般的なフィールドレコーディング作品にみられるようなサイトスペシフィックな要素は、角田の音作品には表面上からは切り取られてしまっている。それは作品のコンテクスト(録音の場所や状況、振動源、FMシンセのモジュレータのような、振動に影響する外部の振動音など)を理解するというプロセスのなかで立ち上がってくるものなのかもしれない。自分の場合は曲ごとの説明を読み、それぞれの文脈を捉えることでまったく異なる聞こえ方へと変わった。
フィールドレコーディング作品はその形式の性質上、現実世界で生じて録音された音を「聴く」行為とは、つまり一体なにを意味するのか、という疑問を聴き手に問い続ける(作家の意図からも離れて)わけだが、角田の作品からは、音を通した対象物の「自律性」(ハーマンの言葉を借りるなら)、意味作用に絡み取られる前の事物の「存在」そのものが強く感じられる。モーターやエンジンの駆動、配管の内部での共鳴、フェンスの震え、etc…。機能という契約から一時的に逃れて再び現れたそれらには、こちらを誘引するような穏やかならぬ気配とぬくもりが感じ取れるだろう。ものたちの間に交わされている接触や干渉、総じて「起こる」≒「在る」ことを浮かび上がらせるという角田の主題は、音のオントロジーを探る実践でもあるともいえる。
ちなみに、本人が自身の作品や録音について、いくつかまとめて書いてあるのをmixiのコミュニティで見つけた。
どれも面白い内容なので興味のある人はチェックを。
TOY TONICSからリリースされた、ミュンヘンのユニットCOEOによる80年代のジャパニーズポップのエディット集。レーベルには「トイトニックスは日本が大好き」と書かれている。小さい文字だけれども、このことばがちょっと目をひく。例えば英語なら、「TOY TONICS loves Japan」となるわけで、ロゴなどでよく見かけるフレーズのような印象。それをそのまま日本語にするだけで、シンプル、かつ、ストレートなことばになる。そんなところからも複数の文化が交差するおもしろさを感じずにはいられない。“Japanese Woman”、“Tibetan Dance”、“What’s Going On”は原曲のタイトルがそのままつけられているが、“Girl In The Box〜22時までの君は…”は“Matchbox”に、“とばしてTaxi Man”は“Uber Man”となっているのもおもしろい。ドリンク片手にフロアで踊りたくなるダンストラックへとさらなる進化を遂げたシティポップチューンの全5曲。
言うまでもないが、音楽は作り手の意図やそこに込めた気持ちからはこぼれていくものだ。ある音がどのように受け止められるかは、個々のリスナーやメディアによるジャンルに落とし込もうという試みによるものだが、音楽の鳴らされる場としてインターネットの影響が強くなり、ジャンルが細分化され、一つの確固たる区分がますます効力を失いつつある現在では当然にリスナーの感じ方に左右される(もちろん、そこで「批評」の形が変わっていくことは言うまでもない)。時々の大小さまざまな音の流行りはある中で、作り手は確固とした「自分らしさ」を打ち出す必要があるのかもしれない。
ロンドンのレーベル〈Whities〉は上述のような状況の中で、ベースやエクスペリメンタル、そしてテクノといったキーワードではくくられようが、「自分らしさ」をわかりやすく打ち出すことなく、奇妙な存在であり続けてきた。KowtonやAvalon Emerson、そしてMinor ScienceやGiant Swanなど多様なラインナップからも「わかりにくさ」を打ち出すその姿勢を感じることができるだろう。そんなレーベルの最新作の一つが、これまで決して目立つリリースはなかったが着実に支持を得てきたLeifによるLoom Dreamである。アンビエント、そしてニューエイジへの注目が強まる昨今の流れを考慮すれば、Leifの新作は快く迎えられるだろう。しかし、そこは〈Whities〉である。リスナーからの一方的な「定義」をさらりと避けていくような音が迎えてくれる。
Leifのこれまでの作品は、一言でいえばおとなしく耽美的なものであった。〈UntilMyHeartStops〉からリリースされた前作Taraxacumではエクスペリメンタルな要素はちりばめられているものの、基軸としてのディープハウスはしっかりと聴きとれていた。つまり、クラブ・トラックとしても機能するようなものであった。しかし、今作の基軸は一聴してはわかりにくいかもしれない。全体で34分ほどの短いミニアルバムは17分ずつ、つまりA面とB面にわかれていてそれぞれが1トラックとして聴くことができる。フィールドレコーディングによるものと予想される音が鳴っていく中で、リスナーは「アンビエント」という言葉を持ち込むだろう。しかし、その中でゆっくりとキックが入ってくる。その音はまさしくUKのベースのそれである。もちろん、たとえばRandomerなどUKベースにおけるテクノとトライバルを狂気的に混ぜ合わせたものとは音はまったく異なる。あくまでも自然に、あらゆるバランスが計算されたうえで、アンビエントともベース・ミュージックとも聴くことが可能な、ある種の違和感と気持ちよさが同居している。眠ることも踊ることも許されている。
音楽がBGMとして流されている場所にいく度に、その音楽の意味や機能について考えてしまう。メッセージを与えるもの、ある種のメタメッセージを与えるものなど様々だろう。癒されてもいい。踊ってもよい。ぼく個人は、Leifの音楽をBGMとして聴くことは難しい。新たに環境を作り出すもの(としてのアンビエント・ミュージック)であっても、何かしらの環境に上手くフィットするように使える便利なものとは思えないからだ。機能性といったリスナーの都合によって容易に消費されず、聴き手の耳を文字通り奪っていく。おとなしい音と思われることもあるかもしれないが、強力なミュータントである。(N)