Nkisi – 7 Directions


作品に対峙する際に、その作者のルーツやアイデンティティを丁寧にたどることの必要性は、音楽だけではなくエンターテイメントのフィールドでますます強くなっている。たとえば昨今のブラック・カルチャーへの「関心」と、黒人が主役のヒーローものなどウケないと言われていた過去が嘘のように、そういった作品がアカデミー賞にノミネートされるまでに至ったことの間には確実に関連があるだろう。
しかし、他方で「ブラック」「アフリカ」などの語そのものが十二分にそのルーツや背景を語るものではない。先に挙げた映画でも、アメリカン・アフリカンにとっての大きな経験を描くものであっても、そこで描かれるアフリカの架空の国についてはアフリカへの先入観が大きく作用しているとの批判も時にあったからだ。ある特定の人種や民族の文化的背景を背負ったり迫ることには多大な難しさがある。鑑賞する側も同じような態度で軽々しくそこにルーツを見とることは、大きな誤解を導きかねない。
Nkisiの楽曲が評される際に、彼女の出自であるアフリカ、コンゴ民主共和国への視点が散見される。そのアーティスト名がその地では「魂が宿るもの」であることからも、彼女の自身のルーツへの強い思いが伺えることは明らかだ。しかし彼女の音楽には、ルーツへの視点のみが自身のアイデンティティを音楽に位置づける唯一の方法ではないという意思が示されているように思う。
本作はLee Gambleの主宰する〈UIQ〉からリリースされた。強く印象付けられるのはテクノだ。先に述べたアフリカ的なものは、七曲目のように、たとえばKonono no.1が鳴らすような、ルーツについて記名性を持った音が鳴る。しかし、全体として我々がアフリカを想起するようなわかりやすい音像が提示されるわけではない。これはある種の期待を持って聴くリスナーには残念な展開かもしれない。たとえば一曲目はアンビエントのような包み込むような柔らかさに包まれた後にリズムが複雑に絡むようにキックが入ってくる。二曲目は打って変わり、パーカションの音で始まり、キックの乱打がそこに重なる。後半になると、六曲目では音の間に隙間が作られ、いわゆる「ウェイトレス」な電子音楽も彷彿とさせる。Lee GambleのルーツにJeff Millesのようなテクノがあるように、彼女のルーツにはテクノがあるのだ。
その特に顕著な点を述べれば、彼女の音楽は90年代の、とりわけAphex Twinの影がハッキリと残る当時のテクノの強い影響下にある。彼女は幼い時にコンゴ民主共和国からベルギーに移ったというが、同じ90年代のテクノの流れの中でもガバと言ったハードテクノの影響は本作ではうっすらと伺えるものの、文字通りの弱い残像でしかない。はるかに強いのはAphex Twin、そして〈R&S records〉からリリースされたような当時のヨーロッパテクノの姿である。
「物語る」という行為は音楽においてはその音自体になるだろうが、彼女の出自についてその地理的な変遷を考慮すれば音楽も同じようにさまざな音楽の影響下にあるというべきだ。さらに、本作はコンゴ民主共和国にて大きな影響をもつ学者の宇宙観に影響されたものとも言われる。どこまで僕も含めたリスナーがこの宇宙的な音についていけるのだろうか。文字と異なり、音が語ることは往往にして断片的でありイメージである。そして当たり前のことだが、ルーツとはそんなシンプルなものではない。我々はそんなシンプルな世界、時代に生きてはいない。「魂の宿るもの」であるNkisiのその内側にはあるものは、確かに宇宙なのだろう。