竹間淳 – Les Archives

以前RVNG Intl.のオーナーのマットが来日していた時、今度サブレーベルから日本のレアなアヴァンギャルド作品を再発するよと彼から話を聞き、それから約1年半リリースを心待ちにしていた作品。
アラブ古典音楽の演奏家として現在活動し、ボンバーマンなど数々のサウンドトラックを手掛けた作曲家としても知られる竹間淳が1984年にソロ名義で発表したLP『Divertimento』。この『Divertimento』の収録曲に新たに3曲を追加し、アートワークを再編したリワーク作品『Les Archives』が〈Freedom To Spend〉からリリースされた。デジタルアーカイブ化が隅々まで浸透した現在でも、得体の知れない作品をサルヴェージしてくるここのレーベルの姿勢と野心には毎度感服させられるが、これまでのカタログのなかでおそらく最も知名度が低く(ネット上の情報の寡少さから察するに、オリジナル盤の存在はこれまでほぼ共有されてなかったはず) 、また音楽性としても異端な作品だと思う。ビートの機械的な反復とポリメトリックなフレーズを軸に、ポップスやフュージョン、ニューウェーブやインダストリアル、プロトテクノといった様々なジャンルを技巧的に組み直した、クロスオーバーな様式を一見装いつつ、同時にそれぞれの音に対して付随する情感やイメージがまるで疎外されているというか、妙に矛盾した響きが全体に通底している。それは例えるなら、大音量で鳴り響いているが「激しく」はないメタルミュージック、あるいは静謐な音色だが「静けさ」が立ち込めていないアンビエントミュージックのようで、「〜的」な恣意の意味作用が無効化された音がそのまま即物化し、その都度コンテクストが独自で生み出されていくようなもの、といったらよいか。海外メディアのインタビューを通して、彼女は自らの作品を「絶対音楽」と形容していて、それは近代の標題音楽に対するアンチテーゼ、つまり記号の還元化を拒み、音の形式や秩序そのものが存在定義を成す音楽を意味するのだが、いくばくかの時間が経過した現代において、フォーマリズムから端を発した彼女の音楽は、もはやそのような二元論的な対立を軽々と跳躍してしまいフラグメンタルな形を増強させ、肯非の入り混じったフェティッシュな戯れと誘惑を成しているように聴こえてくる。そのいびつな「遊戯性」に関しては、収録2曲目のタイトルが示す「Pataphysique」(パタフィジック)という、詩人のアルフレッド・ジャリが作り上げた造語とその概念にも大いに通じているのだが、それに関しては、オリジナル盤に同封されているライナーノーツの素晴らしい解説を一部抜粋してここに載せておく。
「ジャリが、この素敵な造語をもって、とりすました「形而上学」なるものを嘲笑したように、竹間淳も、音楽の分野での、頑迷なアカデミズムと軽薄なポピュラー・ミュージックという両極ファシズムの恐るべき支配を、研ぎ澄まされた聖なる悪意を持って、徹底的に茶化しているのだ。(中略)このモダン・ミュージックのジャリは、自分の音楽だけにどっぷりと浸り込んでいるのでなく、透徹したイロニーというスタンスをもって、音の「PHYSIQUE」を超えていく。(中略)あたかも蝶のような「パタ」の姿勢、つまり「PHYSIQUE」の強固なクロチュールからほんの心持ち身をずらすことで、彼女は幾重にも張り巡らされた罠の中から逃れさっているのだ。」
(ちなみに今回『Les Archives』の文を担当したのはアーティストのナタリア・パンツァー。彼女の丁寧な言葉遣いもとても素敵で、こういう自由なセレクションも含めて良いレーベルだな..としみじみ思ってしまった)