eightyeight-eightynine / plaktilts – ETERNAL FRESHMAN


東京を中心とする2つのユニット、eightyeight-eightynineとplaktiltsによるスプリットカセットがリリースされた。両者ともインダストリアル、ドローン、そしてノイズなどのタームを用いて紹介されるユニットである。いうまでもなく、これらは昨今ますます加速する作品のリリースの波の中で頻繁に見かける語だ。いまや音楽に限らず、様々な歴史的な遺産はアーカイブ化され、並列化というよりもまるで棚に陳列された参照すべき一つの項目でしかない。たやすく「それっぽさ」を作れる現在においては、一つのジャンルやタームは音楽的な「雰囲気」として、まるで香辛料のように利用される。つまり、これらがかつて語の本来の意味としての「オルタナティブ」であった時はすでに去ったとも言えるのだろう。「ロック」や「パンク」と言った語が先立ったように、様々なターム、ジャンルが後に続く。このようなタームを使って形容される「オルタナティブ」には果たして「代替する」というこの語の意味をどこまで見出すことができるだろうか。

こういったある種のあきらめは確かに筆者の心のどこかにあるけれど、eightyeight-eightynineの音楽にはオルタナティブの姿がちらつくように思う。使い古された閃きとも言えるが、ダブの手法が大きな役割を果たしている。昨今のエクスペリメンタルやレフトフィールドの方法論において、彼らの音楽が近接するだろうテクノの視点からはたとえばLogosのような「ウェイトレス」な方向が模索される。特にノイズを主軸にして注音域から高音域をメインに展開するならば、差異化を図るには低音域でのビートに注目が集まるが、彼らは古典的ともいえる4/4のフォーマットをベースに、ダブの手法を選択する。もちろん、ダブは確かにポストパンクの時代から空間的な広がりを生み出す手段として効果を持っていたし、言うまでもなくテクノの領域ではBasic Channelの存在がすぐに思い出されるだろう。ダブ・テクノだ。しかし、Basic Channelがそのレーベルのリリースラインナップも含めた視点で見ればテクノだけではなくレゲエの更新という趣向もあった他方で、eightyeight-eightynineはあくまでもダブを手法として何か「別のところ」を目指そうとする狙いがある。つまり、ここではテクノではなくポスト・パンクの道が明確に選択されている。冒頭からくり返される笑うようなピアノは、P.I.Lの、つまりJohn Lydonの乾いた笑いであり、Keith Leveneの冷めきったギターを思い起こさせる。感覚が麻痺するほどの長いループとノイズは、熱くマッチョな暴力性ではなくどこまでも冷めている。暗闇の中でも影が存在すると思えるような、暗さと冷たさ、そして少し湿った音が続いていく。

他方でPlaktiltsは異なったアプローチで「オルタナティブ」を描こうとする。2曲が連続して収録されているが、冒頭はアンビエントと形容される音が着実に空間を作っていく。ミドルには高速で鳴るビートがある一方で、ハイとローはゆっくりと存在感を示しながらレイヤーを重ねていく。その流れの中で自然と入っている爆音のノイズはあまりにも美しい。まるでゆっくりと釘を身体に打ち込まれいくように、それまでのそれぞれの音域のバランスが保たれながらノイズを身体に突き刺さっていく。たとえばいわゆるスロウコアのように突然ノイズが飛び込んでくるような飛び道具としてのノイズではない。ただそこにいつのまにかノイズがあり、何かが体に打ち込まれるような感覚をもつ。派手な音楽ではあるが、決して驚かしではなく波のようにノイズが飲み込んでいく。

言葉が機能主義的な考えでは結局のところは個人の内心を運ぶための乗り物でしかないことと、ノイズも同様かもしれない。eightyeight-eightynineとplaktiltsというそれぞれのユニットが今作にどんな思いを込めているのか、音楽からだけではわからない。いや、そもそも理解など求めてもないのだろう。このカセットから聴こえてくるものは反抗でなく、圧倒的な拒絶である。日々の様々な出来事を受け止め、またこなしていきながらもただ老いていくだけの人生を受け止めてしまう我々の存在を拒絶するように、そう「俺はお前ではない」と呟くように、ETERNAL FRESHMANというタイトルすらノイズのように響いてくる。「オルタナティブ」はどこにあるのか、ずっと探している。こんな時代だからこそなのだろうか、拒絶の中にこそ「それ」はあるのもしれない。