水野勝仁 連載第2回
サーフェイスから透かし見る👓👀🤳

3DCGを切り取る「型」としてのバルクとサーフェイス

Text: Masanori Mizuno, Title Image: Haruna Kawai

エキソニモの赤岩やえのスクリーンショットではディスプレイを含む手前と奥の空間を問題にしたが、山形一生の作品《Untitled(bird)》、《Untitled(stingray)》ではディスプレイのなかの空間が問題なっている。ディスプレイの表面を形成するガラスとそのなかに広がるピクセルが形成する3DCGの空間とが、ディスプレイを型としてキューブのようなモノとして切り抜かれている感じがある。そこでは、ガラスがサーフェイスとなり、3DCG空間がバルクとなっている。さらに、山形は《ミュータント・スライム》では、透明なアクリル板を用いて、3DCG空間を、文字通り、モノとして切り抜いているように見える。

なぜ、山形の作品は3DCG空間をモノとして切り抜いているように見えるのだろうか。山形は3DCGについて次のように述べている。

ゲームやネットなどのヴァーチャルな世界観と生物飼育はあくまで別物です。ただ、幼い頃から行なってきたことなので、自身の美意識や判断に大きく影響を及ぼしていると言えます。例えば、3DCGは表面のテクスチャのみを描画するのが基本で、中身は完全な空洞です。昆虫の脱皮殻も外見は普通だけれど、中を見ると空洞という点では同じです。そこから思考を発展し、基本的に僕らは対象の表面しか知覚しておらず、それに大きく信頼の比重を置いていると考える。そしてまた、果たしてそうだろうかと、ふたたび疑いのまなざしを向けてみる。基本はアイロニカルに思考を追い詰めていきますが、最終的にはユーモラスな答えを立ち上げるべき、と最近は考えています
https://i-d.vice.com/jp/article/mb3vdq/issei-yamagata-interview-for-joy-issue

ここで注目したいのは、「表面のテクスチャ」とその中身が「空洞」であるという、山形の3DCGに対する認識である。山形は作品で3DCGを使いながら、自身の認識を反転させているいるのではないだろうか。山形の作品では、3DCGのなかが空洞ではなく、テクスチャと密接な関係を持つモノとなっていると考えられる。それは、空洞という何もない状態を何かあるものとして扱うことであり、そこでは、テクスチャがサーフェイスとなり、空洞がバルクとなって3DCGのオブジェクトだけではなく、その空間も一つのモノとしてそこにあるように見えるのである、テクスチャと空洞とを手掛かりに、山形の作品における3DCG空間とサーフェイスとバルクとの関係を探りたい。

3DCGを切り取る「型」としてディスプレイ

《Untitled(bird)》 2017

《Untitled(bird)》のディスプレイはほとんどの時間何も表示されていないと思われるほど真っ黒な平面となっている。だから、一見しただけでは、ディスプレイは単なる黒い板であり、奥行きを画面に見ることは難しい。しかし、そこに向こう側から鳥が飛んできて、何かに激突したような描写が表示されると、ディスプレイのあり方が変わる。ディスプレイが表示していた黒い平面は、鳥が飛ぶことができる黒い空間であり、その一番手前には鳥が激突する何かが設置されている。3DCGをディスプレイに表示しているのみの状態では、そこにはサーフェイスもバルクもない。そこにあるのは3DCGがつくる擬似的な奥行きとそれを表示するピクセルがつくるテクスチャの表面でしかない。しかし、ディスプレイがつくる空洞をガラス窓とその奥の物理世界に重ね合わせた状況をつくり、3DCGのテクスチャで覆われた鳥があたかもディスプレイのガラスに激突したように表示された瞬間に、ディスプレイのガラスを一つのサーフェイスとするバルクが現れる。このとき、ディスプレイは3DCGの奥行きが充填される空洞として存在している。3DCGの空間の奥行きがディスプレイがつくる空洞を満たし、ディスプレイのガラスとその奥のガラス窓が示す外部世界とのあいだに連続した厚みを持つバルクをつくりだしている。3DCGのテクスチャとしての鳥は、バルクのなかを飛びながら、そこから出ようとするが、その空間=モノからは逃れることができずに、ディスプレイのガラスに衝突する。実際には、バルクの境界としての3DCG空間で設定された空間のきわに激突している。3DCG空間のきわとディスプレイのガラスとを重ね合わせることで、3DCG空間がディスプレイのガラス面を一つのサーフェイスとなり、ディスプレイの空洞が3DCGのテクスチャを充填されたバルクに変化して、鳥を閉じ込める一つのモノができあがる。

《Untitled(stingray)》 2017

《Untitled(stingray)》では、3DCGのエイが仰向けになって、その両端を一定のリズムでパタパタさせている。エイは砂の上で呼吸している。上下にうごく体の両端が、3DCG空間に厚みを与えている。ディスプレイそのものの厚さに3DCGの厚さが重なる。さらに、ディスプレイの外側に設置されたペットボトルが一定のリズムで、ディスプレイに水を注ぐように傾けられる。実際に、ペットボトルから水が出るわけではないが、ディスプレイのなかにペットボトルから注がれたかのような水が3DCGで描かれる。すべては表面のテクスチャで構成されている3DCGが奥行きをつくる。その奥行きはディスプレイの空洞を覆うようなピクセルの光によってつくられている。ピクセルの光がつくるテクスチャとディスプレイの空洞とが、ペットボトルから注がれるかのような水によって、ディスプレイの外側と結びつく。このとき、ディスプレイの空洞が型となって、3DCGの空間を切り取り、モノの厚みに呼応した透明なキューブのような空間をつくっている。このとき、ガラスのサーフェイスをひとつの面とするバルクがディスプレイのなかに生まれている。

山形は《Untitled(bird)》と《Untitled(stingray)》で、ディスプレイのガラスや周囲のモノの厚みをサーフェイスとして、3DCG空間を囲い込んで、バルクとして切り出す。ガラスを一つの面とするサーフェイスに周囲から切り出された3DCG空間は、一つのバルクとしてガラスと接続される。サーフェイスとバルクとは一続きのモノであるから、バルクからサーフェイスまでは鳥も水も簡単に移動できる。しかし、3DCG空間はサーフェイスによって一つのキューブとして切り出されたバルクとなっているために、その内部から抜け出すことはできないし、外部との接続もできない。3DCG空間は一つの個別のモノとしてディスプレイの空洞のなかにある。ここでは、ディスプレイのガラスが一つのサーフェイスとなり、カラスやエイが存在する空間を示すピクセルのテクスチャがバルクとなっている。だから、鳥もガラスに衝突せざるを得ないし、水もサーフェイスの内側からバルクへ注がれるを得ないのである。

ディスプレイのガラスは「ガラス」として使用されることで内部の空洞と密接に関連するサーフェイスとなり、ディスプレイの空洞がピクセルのテクスチャと結びつき、バルクとなる。そして、ガラスをサーフェイスとして、3DCGを構成するテクスチャとのそのなかのモデル=空洞がバルクとして充填されたモノが切り出される。それは、ディスプレイ全体と個別のテクスチャとのあいだに関係をつくり、個別のオブジェクトが持つ空洞をディスプレイが示す3DCG空間に広げていくことを意味する。ディスプレイ全体と個別のテクスチャとのあいだに関係をつくるために、モノの厚みが3DCGの厚みとなり、バルクを構成するような構造をつくりだされる。そして、ディスプレイが3DCG全体をモノとして切り出す型となる。

モノとして切り出された3DCGはテクスチャとモデルから成立するものではなく、ガラスから連続する一つのバルクとなると同時に、ディスプレイ内を満たす一つの空間となっている。モノ自体が空間となって、操作されるようになる。ディスプレイというモノが3DCGの世界を切り取り、私たちの前に提示している。ディスプレイは通常「窓」として考えられているが、3DCGを表示するディスプレイは窓のようにこちらから見透すものではなく、3DCG世界の一つの空間を切り出す刃物に近く、「クッキー型」のように空間を切り取る型として捉える必要がある。型としてのディスプレイがいかようにも設定できる3DCGを切り出してくる。ディスプレイの空洞が一つの型として3DCGの空間を切り取り、外部との断絶をつくるサーフェイスに周囲を囲まれた内部空間をもつ透明なキューブのようなモノをつくり、そこにテクスチャが充填される。ここでは、テクスチャはモデルの表面を覆うものではなく、ディスプレイの空洞を満たすバルクになっている。そして、ディスプレイを「型」として捉えることで、私たちは物理的なガラスとピクセルの明滅という現象という異なるカテゴリーにあるものごとを、一つのモノを構成するサーフェイスとバルクとして連続して扱えるようになるのである。

透明なアクリル板を「型」にして3DCGを切り取る

《ミュータント・スライム》 2017

山形の透明なアクリル板の裏面にプリントされたミュータント・スライムは表面から見られることを想定されている。ここではアクリルの板に裏と表の2つのサーフェイスとそのあいだにバルクがあることが前提となっている。私たちが画像を見るとき、ディスプレイを見るとき、画像やテキストは常にディスプレイのガラス越しに見える。ならば、山形はアクリル板の裏側にプリントして、アクリル越しにミュータント・スライムを見るのが、私たちのディスプレイの視覚的体験に近いものになると言っていた。3Dデータを与えられたミュータント・スライムには前と後ろがあり、前を向いたミュータント・スライムがアクリル板の裏のサーフェイスにプリントされている。そして、それはアクリル板の厚みに押し込められたチューブのように見えるように計算されている。

裏側にプリントされたミュータント・スライムを表から見ると、そのテクスチャは透明なアクリルを透して、バルクに入り込んだように見える。なぜなら、ミュータント・スライムには3Dデータが与えられ、チューブ状になっていて、光源も設定されているからである。山形は、あたかもミュータント・スライムがアクリルのバルクのなかに入り込んだように見えるように、データを処理している。しかし、実際には、ミュータント・スライムは裏面のサーフェイスにプリントされているだけで、バルクに入り込めているわけではない。この意味で、ミュータント・スライムは透明なアクリル板に付加されたテクスチャに過ぎない。

アクリル板にプリントされたミュータント・スライムは、サーフェイスを通り抜けて、バルクへ入り込んでいるわけではない。にもかかわらず、透明なアクリル板を表面から見ると、ミュータント・スライムがバルクに浸透して、その内部空間に閉じ込められているように見える。裏面のサーフェイスからテクスチャがバルクに入り込んでいるように見えること自体が、この作品では重要である。テクスチャが付与されたモデルが空洞であるならば、その空洞にテクスチャが浸透してくことも不可能ではない。アクリル板の裏面のサーフェイスにプリントされたミュータント・スライム自体はテクスチャでしかないけれど、アクリル板が透明であるがゆえに、それはバルクに浸透していったように見える。《Untitled(bird)》、《Untitled(stingray)》でディスプレイが一つの型として空洞を示したように、《ミュータント・スライム》の透明なアクリル板はモノとしてサーフェイスとバルクを示しながらも、バルクが空洞化し、そこにプリントされたテクスチャが浸透してきているのである。山形は透明なアクリル板を使ってテクスチャがバルクに浸透する状態を示すことで、3DCGをモノ化している。透明アクリルのサーフェイスにプリントされたミュータント・スライムはバルクに浸透し、そこで硬化して、アクリル板とともに一つのモノとなっているのである。

透明アクリル板というモノのサーフェイスとバルクとを用いて、山形は3DCGのオブジェクトであるミュータント・スライムをディスプレイの外部空間へと持ち出す。その際に、ミュータント・スライムは立体=3Dになっているわけではない。あくまでも3Dのデータは与えられていはいるけれど、ミュータント・スライムは透明アクリルの裏面にプリントされていて、極めて平面的な存在なのである。しかし、アクリル板の表面からプリントを透かし見ることで、ミュータント・スライムがバルクに浸透しているかのように見え、その際に、アクリル板の厚み=バルクが、そのままミュータント・スライムに付与される。こうして、ミュータント・スライムはアクリル板の両面のサーフェイスに挟み込まれて、そのあいだに充填されたかのように板の厚みの分だけ少しだけふっくらとした状態に見えるのである。

《Untitled(bird)》、《Untitled(stingray)》で、山形はディスプレイというモノを空洞を持つ型として3DCGを切り抜いた。そして、《ミュータント・スライム》では、3DCGをテクスチャとしてサーフェイスにプリントするだけではなく、透明アクリルのバルクに浸透させるかたちで、3DCGのミュータント・スライムを硬化させ、生け捕りにしたと言える。3DCG空間全体を型どるのではなく、ミュータント・スライムという個別のオブジェクトを透明アクリルを使って閉じ込めることに成功している。山形は透明アクリル板を使って、ディスプレイの空洞で切り取られた3DCG空間を、ディスプレイの外部空間に持ち出す。そして、外部空間としてのアクリル板のバルクではディスプレイが切り取った3DCG空間は消失し、ミュータント・スライムという個別のオブジェクトだけがアクリル板のバルクのなかで硬化して、かたちを留めている。同時に、硬化した3DCGのオブジェクトとしてのミュータント・スライムが、消失してしまった周囲の3DCG空間の気配を見る者に伝える。透明なアクリル板自体が、ミュータント・スライムと3DCG空間を内包したオブジェクトになっているとも言える。つまり、ミュータント・スライムが存在している3DCG空間が、透明なアクリル板によって切り取られ、サーフェイスとバルクを持つモノとして外部と断絶した一つモノになっているのである。

バルクを囲むサーフェイスが向こう側の世界を切り取り、型に充填する

山形はディスプレイと透明なアクリルを型として使って、3DCG空間を切り取り、オブジェクトだけなく、その空間自体をモノ化していく。3DCGがもつ空洞を充填するかのように、型としてのディスプレイとアクリル板がオブジェクト表面のテクスチャを切り抜いていく。ここには3DCG空間そのものもまた空洞であり、それを示しているディスプレイも空洞ではないかということが示されている。しかし、一つのモノとしてのディスプレイが示すのは空洞ではなく、サーフェイスに囲まれたバルクである。ここでのバルクは一見、サーフェイスに囲まれた何もない空間であるが、それは形を生み出す母型=マトリクスとしてそこにあるのである。そして、サーフェイスに囲まれたバルクという型は、3DCG空間を切り出し、型の空洞に充填していき、一つのモノを形成する。このことは、3DCGの登場によってディスプレイやアクリル板といった平面的で、向こうを見通すための「窓」として捉えられていた存在が、厚みを持ち向こう側の世界を切り取るモノとして成形する「型」に変化していることを示している。そして、ディスプレイという型に充填された3DCG空間は一つのモノのように、あるいは、モノとして扱われるようになる。さらに、アクリル板にプリントされたミュータント・スライムは、3DCG空間に限らず、空間そのものをサーフェイスに囲まれたバルクのように扱える可能性を示唆するのである。

次回は、Googleのマテリアルデザインの「サーフェイス」概念を読み解きながら、型に切り取られバルクとなった空間について考えてみたい。

参考URL
1. 山形一生インタビュー:ビヨンド・コントロールの愉楽、https://i-d.vice.com/jp/article/mb3vdq/issei-yamagata-interview-for-joy-issue(2018年6月9日 アクセス)

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

MASSAGE MONTHLY REVIEW – 5

MASSAGE&ゲストで、5月の音楽リリースをふり返る。

S=Yusuke Shono, T=Kazunori Toganoki, N=Shigeru Nakamura, I=Hideto Iida, C= Chocolat Heartnight

Aïsha Devi – DNA Feelings

ケイト・ワックス名義で活動してきたスイス/ネパールの混血プロデューサー、アイシャ・デヴィの本名名義の2作目。原型のわからなくなるほど電子的に変形された「声」が作り出す音響が、古代の儀式を目撃するかのような瞑想的で抽象的な世界へと誘う。自身が設立メンバーでもある、ポストインダストリアルともいわれる挑発的で実験的なテクノをリリースし続けるスイスのレーベル〈Danse Noire〉の世界観とも共振する、解放されたクラブミュージックの新しい進化の形。レーベルの世界観もそうだけど暗い神秘性を秘めたこの質感、やはりヨーロッパの風土が生み出すものなのだろうか。(S)

YAGI – HAVE A NICE MONDAY

Dil WithersやSeenmrなど数多くの洗練されたビートをリリースするUKのカセットレーベルAcorn Tapesから初めて日本のビートメイカーがリリースされた。Yagiの音は、水が滴るように滑らかなメロディに転がり弾けるようなビートが特徴。サンプリングミュージックでありながらも限りなくヒップホップから離れて行く彼の姿勢は独自の音の像を描いているようだ。それも見つけた、あるいは撮り貯めた音を丁寧に磨いていくプロセスが思い浮かぶ。今後も彼の様々なテクスチャ際立つ音楽が楽しみだ。(I)

Guggenz – A New Day

聴いたことのない音楽を聴く。そのきっかけとなるのがジャケットであることは多い。ジャケ買いということばもある。インターネットでのランダムな出会いでは、再生するかどうかはアートワーク次第と言い切ってもいいくらいだろう。実際は、そのアートワークに対して(勝手ながら)持ったイメージに合う音が流れてくることはそれほど多くはない。それでも毎回期待しつつ再生ボタンを押す。うっすら黄味ががった白地にエメラルドグリーンとパステルピンク、ヤシの木のシルエット……Guggenzの『A New Day』は、ほんとうにこのアートワークどおりの音が流れてくるから、ちょっと再生ボタンを押してみてもらいたい。(C)

jjjacob – Nondestructive Examination

jjjacobはコペンハーゲンの24歳。突然の右半身の麻痺という自身の体験をもとに制作された「Intracerebral Hemorrhage(脳内出血)」から、周囲も驚くほどの回復を見せた数ヶ月後のリリースとなる本作のタイトルは「Nondestructive Examination(非破壊検査)」。深海のような重く深い音の世界に潜り込むように、ビートと旋律が自由自在に新しい調和をなした形を織りなしていく。未来的でいて、ノスタルジック。あらゆる要素を飲み込むようなその貪欲な音楽性は、Oneohtrix Point Neverのサウンドにも通じるところがあるように思う。どっぷりとその世界観にハマりながら、極上の時間を過ごすことができる作品。(S)

Actress x London Contemporary Orchestra – LAEGOS

本作はLondon Contemporary Orchestra とのセッションを基礎とするもので、その試みは2016年に始まる。クラシカルな楽器と同時にビニールのレジ袋なども楽器として採用しつつ、Actressの鳴らす不穏なノイズとともにさまざまな表情を見せる。Actressは古典と現代という時代の軸において対置される要素(楽器)を組み合わせて、未来を目指す音楽的な実験を行いながら-興味深いことに-オーケストラのメンバーとセッションを行ったロンドンのBarbicanという文化施設の設計図も参考にしている。Barbicanはコンクリートの打ちっぱなしが印象的な、合理主義に貫かれたブルータリズムの流れにある建築物である。コンクリートのように、Actressの音楽はいつも冷たい。しかし、その音像は暗闇の中で揺れ動くカーテンのようで、その風景がどこから来たのか、そしてどこへ聴き手を導くのかは不明瞭である。断片的に分析すればそこにはテクノやハウス、ヒップホップの姿が見えてくる。しかし、その肩を叩いても表情まで確認することはできない。幾重にも重ねられた生地のような音楽ともいえるだろうか。そのインダストリアルな感触はモダニズムと結びつくものだが、本作での音楽的実験によりさらに増幅された「(カーテンのように動く人間の心の)ゆれ」のような不確実性こそ、合理主義とは切り離された「何か」であり、だからこそ聴き手を揺さぶってくれる。冷たくて果てのない建物の中で。(N)

Takao – STEALTH

アコースティックな響きも電子音響も、メロディもリズムも、あらゆる要素が渾然一体となり繋がり合っている。崇高とキッチュの隙間を縫いながら、すべてが元からそこにあったかのように、リズミカルな自然の命を奏でている。どのような音も次の音に繋がり、誰ひとり孤独のままでいることはできない。アンビエント・ミュージックとは音の生命が必要とした静寂なのだ。胸が苦しくなるほど、美しく、不思議な存在感を放つアルバム。現在は一部のみダウンロードできる状態だが、フィジカルリリースも予定しているとのこと。(S)

Jan Jelinek – Zwischen

ジョン・ケージ、スラヴォイ・ジジェク、レディー・ガガ、ヨーゼフ・ボイス、シュトックハウゼン、マルクス・エルンストといった、見慣れた思想家や芸術家、文化人の名前と共に、それぞれに与えられた、質問のような疑問文。作名には決してふさわしくない固有名詞と、長々とした文章の組み合わせがタイトルとして羅列する、ヤン・イェリネックの新作『Zwischen』は、ドイツの公共ラジオ局のために制作された音源集であり、同局で行われたインタビューの回答を素材として用いたコラージュ作品。ただし、抜粋された言葉は全て、正確にいえば「言葉」ではなく、タイトル『Zwischen』の訳に当たる「between」≒「間」、つまり言葉と言葉のつなぎ目となる、話し手の意図しない余白の音声部分である。通常の会話において、直接的な意味以外に、パラ言語と呼ばれるアクセントや身振り、イントネーションといった周辺的側面を含めて、話し手は言葉を伝達する。このアルバムではその中でも、ポーズ、しかもそれがスムーズに行われ損なった箇所だけがフォーカスされており、例えば言葉の頭に着く無駄な音(「あ〜」のような)や吃音、ブレス、口腔内の摩擦音、あるいは伸ばされた語尾、といった二次的な伝達レベルにおけるエラーが切り取られては、執拗に繰り返し、変調されている。会話において捨象される無駄な発音が、一つのサウンドという単位で音楽内に用いられたとき、現れるのは「言葉の残滓」とも言うべき疵や綻びが彷徨する、異様なまでに不気味で艶かしい音響空間。もはやそこでは固有性は完全に失われ、所有者を離れ、ヴェールを剥ぎ取られた無数の塊が、ぽっかりと宙に浮かぶ。傑作『Loop-Finding-Jazz-Records』で見られる卓越したサンプリングの手法を、イェリネックは今作でさらに細かく突き詰めて脱構築し、入念に練られたミュージック・コンクレートへと仕上げた。(T)

Orange Milk: Interview with Seth Graham

「未知なる」音楽を発掘し、輩出する集合体〈Orange Milk〉の姿勢と、その在り方

Interviewer: Kazunori Toganoki, Foodman

How do you and Keith got to know each other?

We met each other at a show, we both played in bands and played a show together. It was about 12 years ago, we became good friends.

Could you tell about the background that made you lead to launch up Orange Milk?

I used to run a label called ‘Quilt’. I released a tape for Keith. We started talking about doing a label together, and Orange Milk happened.

I feel like that from the beginning to present, OG have held the consistent idea or aesthetic as we could see the aspect of sound, the line-up, and the visual. Have you already decided upon these concepts or the direction you were heading for before you had started on the label or gradually embodied them?

I think we gradually embodied them. We had many discussions on what we wanted to do, but we never stuck to an idea, we just decided things as we went, however, it was always surrounding many long discussions about music and art.

Do you have the division of roles between Keith and yourself? And you think that a disparity of each personality has influenced on the character in the label?

Keith of course does most of the art. We both share duties, we both dont make our living from OM, so sometimes I have more time than Keith so I will handle most things and vice versa. Generally speaking, we both trade duties as we are both busy trying to make music and make a living as we run OM. Its a very fluid relationship, where we both are very much there for each other and are like minded in getting things done when we are able. I do think the label is a good representation of both of our tastes.

It is a matter of course that OG is basically formed by Seth and Keith, but I feel like that it also could work as like an experimental platform where a variety of artists put together and create values or possibilities that are unknown to everyone.It’s a basic question, but from both sides of being artist and running the label could you describe the role that the label has fulfilled and what the label is for yourselves?

Ive come to really love running the label, to me its a platform to help other artists, and I see OM that way, where we want to give unknown artists we like a platform. We also like known artists, but I really like the idea that we can help artists have a bigger platform over a self release.

Are there any basis or rules when selecting what you will release from bunch of demos?

We havnt had too many demo releases lately, however, we dont have any specific criteria, generally we want somewhat high resolution recording quality, we never seem to be into purposefully lo fi music. Outside of that, we dont have a criteria.

Could you selected some important albums or artists that have determined where orange milk was going if you had?

To me, many of the Japanese artists really define OM, Foodman, Koeosaeme,Toiret Status. I think Kate NV raised OM’s profile since she has become very popular. Personally I really like the Hanz Appelvquist album, I thought that album was really interesting and very representative of material I want to release. I also really love Machine Girl and the Noah Creshevsky release. I like a wide variety, which I think is a big part of OM. Meaning, we seem to stretch the genre and interest far enough where its not a ‘concise’ aesthetic, which I really like and is a very Orange Milk idea.

Some artists like Tropical Interface or Traxman who have lately released out from OG are familiar with Juke or Grime. Do you feel much sympathetic to “Club” or “Dance music” that we normally categorize? Just simply intrigued by their sounds?

With Orange Milk, I have tried to push my boundaries on what I find interesting, I often question why I dislike something. Dance music I really like, and I am really interested in hearing people who are good at producing dance music. I dont make dance music because I feel I am bad at producing it, but I really like to listen to it. I also really like how abstract and strange dance music gets, to me it always maintains an element of fun.

You brought up in Japan while you are young. How was the lifestyle at that time and something drastically changed your minds or not?

I had a very strange up bringing. My parents were christian missionaries and we moved to Japan when I was 6 years old. I went to a Japanese Public School from 2nd grade to 6th grade. When I was in 7th grade, I went to an American School in Ikoma. Every 4 years we returned to America to raise money to keep being missionaries, we traveled all over America asking for churches to give us money so we could continue being missionaries. I traveled all over the US. I never had a lot of long term friends because we moved around so much and I never seemed to be in one place for a long period of time. So I would listen to music obsessively all the time, in the car, in the plane. I do think this lifestyle turned me onto music. But I think very few people have had this type of upbringing, so even I am not sure to what extent it has influenced me. Only now am I starting to realize how my upbringing has formed my personality. I can say, that when I was in Japan I liked all of the customs and the sense of community Japan fosters. I was also raised by my American parents to be very patriotic for America. When I was in 6th grade, our class went on a field trip to Hiroshima. I learned about how the American’s killed so many Japanese. In this moment, I realized that maybe, the patriotism my parents taught me was not true, but then I also thought, if America is not great, then its possible Japan is not great. This was confusing to my identity, and I really started to contemplate identity and being ‘authentic’ because nothing to this day to me feels ‘authentic’ to me personally. It all feels like a game.

(Foodman) Any changes happening now in US cassette scenes than before?

I feel every artists tries to create their unique style. However, I think no matter how individualistic one attempts to be, traces of their culture affect their artistic choices.
On the other hand, the internet has allowed for trends to become very homogeneous, so in some sense, artistic choices I feel are becoming more akin to the internet culture over the country of origin.

Do you have any specific idea or thought to keep the label maintainable for long time?
I hope we can run it for a long time, but I dont want to force anything, if things keep gong well, well keep doing it. I hope this is the case.

Let me ask about the latest album Gasp that you released two months ago.In this work you employed many classical timbres and mixed up them with electronic sounds. I think that each song is composed of very tiny pieces and you collectively pulled together and arrange them.
What is the motif of Gasp and what kind of process did you introduce in order to make it full shape?

I am obsessed with early avant garde classical music, particularly John Eaton. He has an album called mass, blind man’s cry, solo clarinet. this album is quite insane in my opinion, it is almost unlistenable at times, also fun, kind of cryptic and very strange. I also like the album Electronic Music – Various Artists with Ilahn Mimaroglu , specifically this track – https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=flDXiFWpkww
I like how many of these old avant garde albums, the composers had to know, very few people were going to care about these pieces, yet they made them anyway, I love that and wanted to make something in that spirit.
I wanted to combine these two albums mixed with some modern computer music, mainly D/P/I ‘s MN Roy and Rico EP undertone combined with an orchestra in the future.
Not sure if Gasp was successful in doing so, but I tried.

I also found it quite unique that there are many blank spaces between sound and sound. What thinking do you have about the state of silence in Music ?

I love silence and pauses, it creates anticipation and I love the technique of intrigue in music. For me what is interesting in music is when your not sure what is going to happen next, and using silence for me can be a good way to accent the anticipation.
For me the divide sometimes is too stark between artists who want to be ‘quiet’ and use silence and artists who want to be ‘intense’ I was trying to find a middle ground, between two styles.

(Foodman) Do you think that there are a common style or originality that only Japanese artists have through music? What’s the difference between them and other countries’?

The tape scene has evolved so much. When I first started to release tapes about 13 years ago, tape releases were almost exclusively DIY and Noise scene releases.
Since then they have become quite mainstream, many people who buy from OM only buy tapes (it seems like mostly young people). I feel now Tape releases are equivalent to CD and LP releases in some sense, in that any artists looking to get something out will consider or release on cassette no matter what style, genre or group they are trying to appeal.
Since CD’s are having a rough time staying relevant, having no physical media when buying a release I think is hard for certain audiences to accept. So tape is a fun and tangible way to get a physical form of a release and they become easily collectible. I think if LP pressings were as cheap as tapes, we would almost exclusively see LP pressings, but this is not the case. I am curious myself where the tape culture will go and if it will remain relevant to consumers.

https://orangemilkrecords.bandcamp.com