Yoshio Ojima Interview

スパイラル環境音楽とNEWSIC、パーソナル文化への変遷とその共鳴。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview and text: Kazunori Toganoki

一連のアンビエント・ミュージックやBGMを総称した「環境音楽」というワードが日本で浸透を見せるのは1980年代前期からだが、そもそもここでいう「環境」とは何を示しているのか、その言葉の由来を探ってみると、1960年代に国内で起きた「環境芸術」と呼ばれるムーブメントの中で提起された環境性の概念に、その起源の一端をみることができる。1966年の「空間から環境へ展」を契機として盛んになっていったこの運動は、「観客をとりまく空間そのものをテーマとして扱った作品やパフォーマンス」を中心とした一連の動向であり、こちらのシンポジウムでの浅田彰の発言によれば、「建築・都市計画の文脈」における「環境」と、フルクサスなどを筆頭に行われたハプニングの生起する場としての、「芸術」の文脈における「環境」が相互に交わりながら、領域横断的な発展を遂げていった。ちなみにこの運動の中で音楽が果たした役割も大きく、一柳慧や秋山邦晴、湯浅譲二といった現代音楽の分野の作家たちが、当時の先端的なテクノロジーを積極的に扱いながら、時間や空間を題材に扱った音作品を発表している。高度成長期のまっただ中でそうした先人たちによって生み出された、環境への新しい視点や先鋭的な表現のアプローチを受け継ぎながら、環境音楽のアーティストたちは、80年代のコマーシャリズムと消費文化が席巻し揺動する時代性のなかで、自分たちが含まれている環境へと改めて意識的に耳を傾け、外部との関係を更新し直すことを、音を通して模索していたのかもしれない。
シーンの黎明期から環境音楽に携わってきた音楽家・尾島由郎の作品がいま、いくらかの月日を経て、新たな世代のリスナーの間で注目を集めていることは間違いないが、これまでのキャリアにおける、その多岐に渡る仕事についてはあまり知られていないだろう。スパイラルやリビングデザインセンターOZONEを含む、さまざまな商業施設の環境音楽を手がけてきたほかに、レーベルNEWSICの企画制作やアーティストプロデュース、そしてサウンドデザインやシステムの開発への参加など、多面的な活動を行いながら、時代特有のみずみずしさと、タイムレスな前衛性を同時に内包したような音のアンビエンスを体現し続けてきた。そして今、彼の音楽性に影響を受けた現行のアーティスト達との連繋によって、また新たな流れが紡がれつつある。
今回のインタビューでは、これまでのキャリアを振り返ってもらいながら、当時の環境音楽シーンについてや流行の誘因となったその時代性、そしてVisible Cloaksとの共作『serenitatem』について、話を伺った。

様々な集客施設の環境音楽を制作された経歴を持つ尾島さんですが、最もその名が知られている仕事のひとつに、青山にあるスパイラルの館内音楽があります。どのような経緯で、スパイラルに携わるようになったのかを教えていただけますか。

話はすこし遡るんですが、スパイラルがオープンする2年前の1983年に、西武百貨店が「Pier & Loft」というファッションイベントを開いたんです。竹芝桟橋にあった鈴江倉庫が会場でした。あの辺一体は倉庫街なんですが、ニューヨークのロフトカルチャーを真似て、ギャラリーやアーティストのスタジオとして再利用されていたエリアだったんですね。その場所に目をつけた西武百貨店が、当時提携したばかりのニューヨークやヨーロッパのファッションブランドを紹介するコレクションを開催したんですが、そのショーの合間に行うライブに音楽家の吉村弘さんが呼ばれたんです。当時の先端的なカルチャーが一堂に会するっていうのがイベントのコンセプトで、二日間のうち初日のライブはMELONでした。ニューウェイブと環境音楽っていう、今思えば結構乱暴な取り合わせでした。まあ、そのくらい環境音楽はブームになっていたんです。で、吉村さんから当日のライブを手伝ってほしいと頼まれて、一緒に曲を作ったりステージで演奏をしました。ちなみにその時の楽曲をまとめて、当時僕が主宰していた複製技術工房というインディペンデントのカセットレーベルからリリースしたのが、一昨年にChee Shimizuさんのレーベルから再発された『Pier and Loft』です。

Pier & Loft会場の鈴江倉庫の屋外にて、画面右が吉村、中央が尾島

Pier & Loftパフォーマンスの時の様子

それからしばらく経って、スパイラルに関わることになります。スパイラルはワコールが文化事業の一環で始めた複合文化施設で、1985年に青山にオープンしました。オープンに向けてスパイラルの準備室ではオリジナルの館内音楽が必要だろうという話になり、僕の名前が上がったようです。先の「Pier & Loft」イベントで西武百貨店のディレクターだった方がフリーになって、スパイラルの準備室にいらっしゃったのもきっかけの一つです。お話を受けたのはまだ24歳くらいの時でした。

商業施設のオリジナルの環境音楽を作るという仕事に対して、どのような印象を抱かれていましたか。

それまで演劇や映像関係の仕事に携わったことはありましたが、実際の空間や場所が音楽を必要としていて、そこに自分の音楽を存在させることができるというのは、非常にわくわくしました。もちろん新しい仕事の場所という側面でもね。例えば先日シアトルのLIGHT IN THE ATTICからリリースされた『KANKYO ONGAKU: JAPANESE AMBIENT ENVIRONMENTAL & NEW AGE MUSIC 1980-90』に選ばれている、同時代に環境音楽を作っていた人たちも、全員がもともと環境音楽専門の作曲家というよりは、どちらかというとロックやジャズといった、別のジャンルや分野で活躍されていた人が多くて、環境音楽という需要ができてから新たに参加していったケースもあります。
でも自分を含めて、空間と結びついた音楽というテーマ自体に面白さを感じて関わるようになった人間も多かったと思います。ダンスや演劇、映像といった他の分野の場合だと、どうしても時間的なしがらみがあるんですが、環境音楽はそういう制約からは解放されているし、なにより長尺の曲を作れる。音楽だけが空間の「時間」の流れを操っているという特性にはいまだに面白さを感じます。

具体的にはどのスペースを手がけられたのでしょう。

スパイラルの1階から2階までのパブリックスペースで流れる音楽を手がけました。それらの環境音楽は「Une Collection Des Chainons: Music For Spiral」という二枚のアルバムにまとめてリリースされているんですが、それぞれの曲のタイトルは実際に流れていた各エリアに対応しています。例えば[Entrance]は入り口、[Espelanado]が青山通りに面した椅子が並んでいる中階段 、[Gallery]がカフェの横のギャラリースペース、[AStrium]が奥の吹き抜け、[Market]が二階のショップ、この5つのゾーンの音楽を色々な時間帯に応じて用意しました。ちなみにアルバム収録曲は全て一部分を抜き出したバージョンで、実際のオリジナルはもっと長いんです。

場所との関係性でいうと、何か意図や目的を想定して楽曲を作られましたか。

各ゾーンの目的や空間の特性に応じた音環境を作って、訪れたお客さんの体験性の質を向上させる、ということが念頭にありました。スパイラルは色々な目的の空間が集約していて、なおかつそれぞれのエリアがシームレスに繋がった設計になっています。それに応じて、例えば一階だと単純に待ち合わせだったり、ギャラリーを見に来た人、カフェの打ち合わせの人みたいに、一つの場所に多様な目的を持ったお客さんが集まるわけです。そういうバラエティのある人たちを相手に、全員を同じ感情へ促していくような強い方向性ではなく、個々人の気持ちが前に進んだり、あるいはとどまってるようにするのを適度にアシストするくらいのレベルで、音楽が穏やかに働きかける。それが結果的に、スパイラルでしか味わえないような感動や体験に繋がって、その人にとって特別な場所として残っていくと思うんです。
まだ80年代って、感性を定量化したり、心理学的な観点を取り入れた空間デザインは整理されていなくて、わりと感覚と経験を頼りに手がけることが多かったようです。データに基づいた店舗設計やマーケティングが一般化したのは2000年代に入ってからで、僕も当時は、明確でロジカルな思考をもって取り組んでいたわけではないんですが、あとから振り返ってみて、現代でいう感性工学的な視点から音を作っていたんだなと気づきました。
例えば入り口の雑貨を扱っているコーナのところ、あそこの床は大理石なんですが、窓際のエスプラナードから下がカーペットになってて、足の踏みごたえが変わるんです。踏みごたえが柔らかくなることで緊張感が薄れて、リラックスした気持ちで絵を眺めたり、腰掛けたりできるようになる。音楽もそれに対応して、方向を示すような金属的な響きの強いサウンドから、より丸い質感のサウンドに変化しています。多用的な空間に応じて、視点をミクロ/マクロに変化させながら音を作れるというのも、スパイラルの環境音楽ならではでした。

その後、様々な場所のサウンドデザインを手がける上で、やはり最初の仕事がスパイラルの館内音楽だったのというのはご自身にとっては大きかったのでしょうか。

そうですね。一度サウンドアーティストのビル・フォンタナの音響彫刻の展覧会をスパイラルでやったときに、音のインスタレーションを発表する場という視点から見て、ここの空間は独特で面白いね、と彼に言われて腑に落ちたことがあって。一番初めに良い空間を自分は与えられたなと思います。もう少しフラットな商業施設やギャラリーだったら、そこまでサウンドデザインのアプローチは広げられなかったですから。スパライルだからこそ学べたことが多くあったし、後の集客施設のサウンドデザインに関しても、あそこで会得したことがとても役に立ちました。

レーベルのNEWSICが始まったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

スパイラルがスタートしてしばらくすると、館内音楽を気に入ってくれて音源を購入したいというお客さまからの問い合わせが結構ありました。それならカセットで出版してみようという話になり、それがきっかけとなって、音楽レーベルのNEWSICが始まったんです。

レーベルに何かコンセプトはありましたか?

すでにスタイルが出来上がっているものではなくて、まだ開拓の余地のあるような新しい音楽を推したいという気持ちがありました。レーベルって世の中の新しい音楽を先行して提供する役割を担っていると思っていたので、積極的にたくさんアーティストと会ってリサーチして、どういう音楽がスパイラルの人たちに受け入れられるか、あるいは耳の早いリスナーに届くか、そういうアンテナは張り巡らせていました。
あとはいわゆる「アンビエント」専門や「実験音楽」専門のように、ひとつのジャンルに固定して打ち出したりはせず、NEWSICが新しい音楽を中心としたひとつのプラットフォームとして機能するように、バラエティのあるセレクトを心がけていました。

1993年当時のNEWSICレーベルカタログのフライヤー

最初のリリースは、濱瀬元彦さんの『樹木の音階』と沢村満さんのミッチライヴ名義での『夏の波の思い出』ですよね。お二人を選ばれたのはどういう経緯だったんでしょう?

最初のリリース作品はレーベルの方向性を表現できるように多様性を出したいと色々話し合って決めました。沢村さんは、彼がMIDIレコードの『Dear Heart』というサブレーベルからファーストアルバムを出した時に、スパイラルのガーデンでライブをした繋がりもありお願いしました。濱瀬さんは、最近新録盤も出た『Intaglio』と『Reminiscence』という彼のアルバムが僕は大好きで、現代音楽的なアプローチの作品を出したいと思い、声をかけたんです。

その後は海外作品を挟んで、打楽器奏者の越智義朗さんのアルバム『ナチュラルソニック』が続いています。

当時彼はイッセイミヤケのコレクションの音楽を担当していました。今思えば、越智さんみたいにファッションブランドとコネクションがあって演奏する人間だったり、あるいは文化施設とコネクションのあった自分のような人間だったり、いわゆる従来の作曲家やプレイヤーとは違った、新しいタイプの音楽家があの当時生まれたのかもしれません。

そして尾島さんの音楽活動のパートナーでもある、柴野さつきさんのアルバム制作が始まるんですよね?
クラシック音楽の教育を受けたピアニストの柴野さつきさんはエリック・サティを専門とする演奏家としてデビューしましたが、次にクラシックの枠組みを超えた音楽にアプローチするために僕にプロデュースの依頼がありました。そこでNEWSICレーベルの中で制作したアルバムが「Rendez-vous」です。プロデュース作業を通じて、やがて二人の異なる特性を活かし、ピアノと電子楽器が生み出す新しい響きを生み出す共同の音楽製作を始めるようになり、それは現在に至るまで続いています。

あと気になっていた作品があって、1993年にリリースされた『Silence』というコンピレーションアルバムです。これまでのNEWSICの流れと違ってかなり異端的な内容という印象があって。Holger CzukayやSimon Fisher Turner、David Cunningham、Jan Steeleといった海外の実験音楽家から、国内は尾島さんや柴野さんや池田亮司さん、そしてあのジョン・C・リリーがリーディングで参加していたりと、非常にユニークなセレクションですよね。

これは当時NEWSICのディレクションを一緒にしていた池田亮司さんと共に企画したアルバムで、二人で色々相談しながら、海外や国内のアーティストにオファーしました。ジョン・C・リリーの曲は、ちょうどイルカの会議で来日していた時に会いに行って、本人に朗読してもらって、そのヴォイスの後ろに僕と池田さんがドローンを乗せたものです。このV.Aを再発したいという問い合わせが結構あるんですけど、残念ながら権利関係の問題で、今のところは難しそうです。
そういえば当時、NEWSICの作品を海外流通させるために、海外の音楽見本市に出展したことがあったんですが、逆に海外のレーベルに売り込まれました(笑)。日本のレーベルだからお金がたくさんあると思惑して向こうのレーベルの人が集まってきて、結局手にいっぱい抱えるくらいのテープを持って帰る羽目になってしまいました。

では少し話題を変えて、当時の環境音楽のシーンについて伺いたいと思います。
ここ数年で、海外を中心に日本の環境音楽の再評価と音源の再発化が進んでいますが、シーンの当事者であった尾島さんこそ、おそらく一番身をもってその流れを感じられているかと思います。その集大成ともいえるようなコンピレーションアルバム「Kankyō Ongaku」もSpencer Doran監修の下で昨年リリースされ、大きな話題になりました。
いま個人的に思うのは、いわゆるレコードディガーが発掘した作品を、SNSやYoutubeといったデジタル上のプラットフォームをベースにシェアされてバズ化する現代のスタイルの中で、良くも悪くも音楽作品だけが切り取られて伝播して、当時の社会背景の部分にはそれほど焦点は当てられていない。ただ環境音楽自体は、芦川聡さんの『波の記譜法』に見られるサウンドスケープ的なアプローチの類から、インテリアミュージックや空間の音楽、あるいはもっと大衆的に敷衍したニューエイジやヒーリングミュージックなど、様々な要素を包括した敬称で、時代のコンテスクトや潮流との強い相互関係から生まれて発展したものです。なので、その背景の部分をもう少し当事者であった尾島さんからお聞きしたいなと。環境音楽が80年代の都市文化に広く浸透したのは、何が根本にあったと思いますか?

80年代に入って登場した、「個人」重視のライフスタイルと消費文化の影響がベースにあると思います。それまでの70年代ってどちらかといえば社会との関わりがメインで、生活のパーソナルな側面はまだまだ優先されていなかった。80年代になって、自分にとっての暮らしを充実させようとする個人重視のライフスタイルや、それまでの日常の生活感から離れた建物や居住空間、価値観や気分に基づいたカルチャーやファッションといった新しいニーズが、若い人達の間で高まっていったように思います。西武なんかはそこに積極的にコミットしていった。音楽のマーケットもそこに目をつけて、パーソナルな生活にフィットするような音楽をどんどん提案していくんです。今までの70年代的な生活感を感じさせないシンプルでモダンなインテリアを前提にして聴かれる静かな音楽だったり、あるいは音楽がそういう空間を想起させるようなものだったり。そこにサティの「家具の音楽」のコンセプトを絡めたインストゥルメンタルや、環境音楽が役割を担っていったと思うんです。

音楽好きのためというよりは、もっと広範囲で、ライフスタイルとして接する人々に向けて訴求される音楽だったと。

音楽にあまり詳しくない人の層までも視野に入れて、パッケージングや広告を図ったことで、マーケットとして成功したし、ひとつの流行にまで至ったんでしょうね。例えば僕の場合、アパレルに関連する繋がりが結構あったんですが、ファッションに関わっている人はとくに新しい文化に対して敏感だった印象があって、ショップの若い店員さんとかも新しい音楽によく反応してくれました。リスナーだけでなくて、作り手の側にも、あの80年代の空気感やスタイルには少なからず影響を受けていたと思います。
ところが、いまだに当時の環境音楽が流れている施設ってスパイラルくらいしかないと思うんですよ。当時都内には、マツダのM2ビルとか、代官山のゴルティエのブティックビルとか、そういうデザインの建物物がたくさんあったんですが、バブル期にできたビルはもう取り壊されて、今はほとんど残っていない。もし残っていれば、環境音楽が実際にそうした空間に添えられていた音楽だったというのがもう少し理解できると思うのですが、今は音楽だけしか残っていませんからね。

さきほども少し話にあがりましたが、その環境音楽シーンの流れでエリック・サティはどのように受け取られていたのでしょうか。

「家具の音楽」のイメージやコンセプトが、環境音楽に明確に位置づいて機能したのは確かですが、ただ実際にサティが唱えたものとは別の形に歪曲されて、コマーシャリズムの中で増幅、浸透していったと思います。当時の関わりでいうと、芦川聡さんが主宰されていたサウンド・プロセス・デザインから、彼のソロアルバム『スティルウェイ』、吉村弘さんの『ナインポストカード』、そしてそれらに続いて、1984年に柴野さつきさんがサティのアルバム『Erik Satie (France 1866-1925)』をリリースしたんです。柴野さつきさんはJ.J.バルビエの教えを受けて、フランスから戻ってきたところでした。当初このアルバムは芦川さんがアレンジした「家具の音楽」のピアノバージョンをメインに据えたアルバム、という内容で企画がスタートしたそうですが、悲しいことにアルバムが完成する前に芦川さんが亡くなってしまい、結果的には環境音楽的な、起伏の少ない静かなサティのピアノ曲を柴野さんが弾く、というコンセプトに変更になったそうです。

環境音楽的なコンセプトにも関わらず、アルバムには「家具の音楽」の楽曲は収録されていませんよね。

柴野さんから聞いた話では、芦川さんと打ち合わせしている中で、芦川さんがポツンと「でも家具の音楽ってはっきり言って聞きづらい曲だよね、環境音楽っぽくないよね」って、言ってたそうです。
僕も初めて「家具の音楽」を知った時は、「人が聴くことを前提しない」というコンセプト自体にすごくわくわくしたんですよ。で、ある日、吉村弘さんの家に遊びにいった時、初めて実際の曲を聴かせてもらってびっくりして。もっとジムノペティのような静かな音楽を期待していたら全然そうではなかった。そもそも「家具の音楽」は室内楽曲ですしね(笑)。その後ずっと「家具の音楽」のコンセプトと実際の楽曲のギャップには、ずっと疑問が残っていました。

最近になり、柴野さんと共に開催している「エリック・サティ・エキセントリック・ライブ」のためにサティについてもう一度調べていくうちに、色々謎が解けてきて。「家具の音楽」はコンセプチュアルアートとしてダダ的に表現された、一種のパフォーマンスなんです。マックス・ジャコブという詩人が画廊で行ったサロン芝居の演奏会場で、サティは「家具の音楽」を受注するスペースを作ったり、会場の壁に社会主義的なスローガンを貼ったり、いろんなパフォーマンスを通して「家具の音楽」というコンセプトを表そうとしていた。実際に会場で演奏されていた「ビストロ」「サロン」という曲は、どちらもモティーフはサティのオリジナル曲ではありません。モティーフの一つはアンブロワーズ・トマで、もう一人がサン・サーンス。トマはサティが学校に通っていた時の先生で、サティはトマに軽蔑されていました。一方のサンサーンスは当時の大御所の作曲家で、彼が所属していた芸術アカデミーに、サティが立候補するのを何回も落としていた。そうやって自分を嫌っていた人物のメロディを意図的に取り入れて、それをサティは「家具の音楽」と称したんです。

皮肉が効いていますね。

ええ。なぜそのようなことをサティがしたかというと、当時芝居や演奏会を観に来る貴族やセレブたちって、お喋りをするのが目的で、実際にはあまり音楽を聴いていなかった人が多かったようです。音楽が社交の場のBGMになってしまっていた。それはプルーストなんかも描いてますよね。で、それをサティも経験していて、じゃあ初めからみんなが無視できていつもの調子で話ができる音楽を、サン・サーンスとかトマといった手垢にまみれた大衆的なモチーフを使って聴かれなくても同じような音楽を用意しましょう、っていうとてもアイロニーに満ちた考えを楽曲に込めたわけです。
サティはそれ以前に、カフェで雇われの演奏家として生計を立てていて、そういう場所で自分が作りたいものとは別の音楽が求められていることを経験していた。音楽の大衆化が進んで、パリの街中のいたるところで流れるようになって、よりエンターテインメント指向性の強い楽曲が求められた。その傾向をサティは快く感じていなかったのでしょう。だから大衆との線引きを設けて、自分の純粋な創作物の領域を作るために、あえて世の中が必要としている、BGMのような音楽を自ら唱えたのではないでしょうか。なので「家具の音楽」というコンセプトは、実は自分の大切な音楽を守るための一種のアンチテーゼでもあったわけです。
ところが80年代の国内のモダニズムの中で、サティの「家具の音楽」は「静かな音楽」といったイメージを率先してつけられて、実際の真意とはだいぶかけ離れて捉えられてしまった。そういう誤謬のもとサティブームが起きて、そこに日本の環境音楽のブームが重なっていったというのが、あの時代のひとつにあると思うんです。

柴野さつきと共に、成城学園前のCAFE BEULMANSで不定期に開催している「エリック・サティ・エキセントリック・トーク・ライブ」。毎回新たに発掘された資料を通じて、エリック・サティの大胆な新解釈を披露している。

当時の異常なまでのサティブームは日本特有の現象だったとお聞きしましたが、そのような捻れの背景があったんですね。
では最後に共作『Serenitatem』について伺いたいのですが、レコーディングがスタートしたのは2年ほど前だったそうですね。

初めてVisible Cloaksの二人と会ったのは、彼らが日本ツアーを行った2017年のときですが、それより前からスペンサーとは一緒に作品を作ろうと連絡を取り合っていて、メールでアイデアの部分は共有できていたので、滞在中のレコーディングはスムーズに進みました。というのも、まず最初に彼らの作品を聴いた時、音に対するアプローチが僕と柴野さんの音楽にとても似ているなと思ったんです。二人が分離している関係ではなく、共同でひとつのストリームを作り上げていくというやり方です。僕らの場合、自分は電子楽器、柴野さんはピアノとそれぞれの演奏の役割は違いますが、互いの境界線がない作りになっているので、どちらの音楽作品とも取れるように聞こえてしまうような。そういう作り方を彼らの音楽にも感じていたので、今回の共作に関しても、それを2倍にしたという感じでした。

アルバム全編を通して、複数の音が個々で鳴っているというよりは、音と音の触発が連鎖しながら、創発的に全体が現れてくるような響きを感じました。

それが一番現れているのが“Stratum”という曲です。基本となるピアノのフレーズをMIDI変換してマリンバやボイスのシークエンスをジェネレートしたり、エフェクトやモジュレーションしたりしてレイヤーを重ねていきました。“Stratum”は「層」という意味なんですが、結果として複数の層が圧縮されて、‘Strutum-less’な形になっています。そういうプロセスは、音楽的なテクニックを使って色々なレベルや強度で、全曲に渡って行っています。なのでコラボレーションといっても、それぞれが自分の役割分担をこなすというよりは、アンサンブルのようなものを一緒に形作っている意識に近かったです。

全体のバランスや構成はスペンサーが担当したのでしょうか。

そうですね、基本的にこちらでレコーディングしたステムを彼に渡して、どのように使うかはお任せしました。後日送られてきたミックスを聴いてみると、見事にこちらが意図していた配置の仕方だったので、ああ、これはうまくいきそうだなと感じました。僕はさらにそこにエフェクトだったり、ダイナミックスの調整をしていきました。
実際に曲として具現化していくミックスの段階で、スペンサーの音に対する新しい感覚には感心しました。音でイメージをビジュアライズしていく、デザイン的な音のあり方といえばいいのかな。例えばですが、空間に直方体や球体のような様々なフォルムが立体的に配置されてて、それらが交互に入れ替わったり、瞬きをする速度で別のところへ移動する、みたいなモーションが音に感じられるんですよ。いってみればそれは「ポップ」なんですが、表現がポップというよりは、音のあり方自体がポップなんです。そういう視覚的な要素と結びついたミックスって彼らに限らず、最近の色々なジャンルに見られると思うんですが、今回自分が参加して、自分たちの時代にはなかった、その音のカラクリみたいなものがどうなっているのかよく分かりました。

今と昔の間で音に対しての感覚が違うというのは、やはりDAWを用いた制作環境の影響が大きいかもしれません。

そうですね、スマートフォンで音楽が完結するという聴取環境の変化だったり、機材のクオリティも関係しているのかもしれません。
僕が音楽を始めた時の録音機材はMTRで、その時のやり方や感覚だったりが、制作する上でベースに残っているんですよ。MTRはとどのつまりスコアのメタファーであって、ガイドを聴きながら音を重ねていくっていう流れがまずあって、曲のベースとなる部分を決めて、音を決めていく。それはいわゆる一般的な音楽の形式やパートの構成をリファレンスしながら、頭の中で組み立てることになるんですよね。そういう構成の仕方は自分がDAWを使うようになってからも無意識的に引き継がれているわけです。今回の彼の、色々な音をデザインパーツとして組み立てて全体を構成するようなミックスはとても興味深かったです。

作るプロセスの部分は聴く側からすると見えづらいので、そのような違いがあったというのはとても面白く感じます。

あと彼は、音を聴くことに対してすごくエネルギーをかけるタイプのミュージシャンだなと思いました。音源のやりとりで、こちらから投げた音に対してどんな微細な変化にもレスポンスするし、その変化を全て分かった上で自分に返しているというのが伝わりました。相手の音を聴くって基本的な行為なんですが、実は意外と難しくて、聴き逃してしまうことが多いですから。

ちなみに今回の共作にあたって、Visible Cloaksがラジオ放送局のセント・ギガの音源を参考にしたと紹介文を読んで知りました。

セント・ギガは世界初の衛星放送によるデジタルラジオ放送局で、潮の干満と月の運行を組み合わせた「タイド・テーブル」によって24時間、音楽と自然音、そしてナレーションをミックスしたストリームを放送していました。僕が当時プログラムに関わっていたことを伝えるとスペンサーが興味を持って、まだまとまった音源を聴いたことがないと言うので、保管してあったアーカイブを彼にあげたんです。それがとても面白かったみたいで、特に放送内での曲の流れや音のストリームに発見があったらしく、インスピレーションになったと話していました。曲と曲の繋ぎの間で声やSEが入る構成だったり、選曲のバラエティにも驚いていました。
セント・ギガのプログラムは、タイド・テーブルによって進行するので、時報や広告や会話はなく、それぞれの切れ目がないので、番組やプログラムという明確な枠があるわけでもなかったんです。

尾島さんも何度かプログラムを担当されたことがあるそうですね。

ええ、アーティストにプログラムを託す時があって、僕も何度かプログラムを担当したり、柴野さんはヴォイスで参加していました。ほかにも僕のコレクション・デ・シェノンの原曲のロングバージョンや、収録曲以外のものを放送でよく使ってくれたりしました。

1992年当時のセント・ギガの番組が収録されたテープ類

セント・ギガは新しい音楽を発信する場所として当時認知されていたんでしょうか?

うーん、どうでしょう。リスナーの数は少なかったと思うし、このスタイルでの放送が続いたのはたった2年くらいなんです。放送はWOWOWのサブチャンネルを使って行なっていたし、そもそもテレビでラジオを聴かなきゃいけないという条件自体がかなり敷居が高かったですから。まあそういったわけでわずか2年で通常のラジオ放送局に転じてしまいましたが、当初は非常にチャレンジャブルな存在でした。

今後の予定を教えてください。

6月に東京と大阪で、「Visible Cloaks, Yoshio Ojima & Satsuki Shibano – serenitatem – World Premiere Live in Japan 2019」というコンサートを行いましたが、これをきっかけに今年の秋からこのカルテットでヨーロッパツアーがスタートします。11月にトリノで開催されるClub To Clubと、ユトレヒトのLe Guess Who?をはじめとしてヨーロッパ六カ国での演奏が決まっています。柴野さつきさんとの二人のユニットでは、9月にアンビエントミュージックの野外パーティーCAMP Off-Toneに参加します。初の屋外ライブなので今から楽しみです。
それから年内には海外のレーベルより「Une Collection Des Chainons: Music For Spiral」をはじめとする複数のNEWSIC作品のリイシュー予定があります。過去にリリースした作品も含めて、新たに出会う方達にこれからも音楽を届けていければ幸せです。

尾島由郎 Yoshio Ojima
一貫してアンビエントミュージック/環境音楽の世界を追求している作曲家、音楽プロデューサー、マルチメディアプロデューサー。代表作はスパイラル(ワコールアートセンター)のための環境音楽集『Une Collection des Chainons I & II』(1988年、Spiral)、『HandsSome』(1993年、Spiral)、ピアニスト柴野さつきとのコラボレーションアルバム『Caresse』(1994年、Spiral)、『Music for Element』(1994年、les disques des chainons)、『belle de nuit』(2012年les disques des chainons)。また、2017年に17853 Recordsよりリイシューされた吉村弘『Pier&Loft』(1983年、複製技術工房)など、プロデュース作も数多い。
80年代より、「スパイラル」(ワコールアートセンター)や「リビングデザインセンターOZONE」(新宿パークタワー)、「東京オペラシティ ガレリア」、「キャナルシティ博多」などの集客施設の環境音楽を多数制作し、サウンドデザインやサウンドシステムの開発にも関わる。
最近では、80〜90年代の日本の環境音楽にフォーカスしたコンピレーションアルバム『Kankyō Ongaku: Japanese Ambient, Environmental & New Age Music 1980-1990』(2019年、Light In The Attic)に過去の楽曲が収録されるほか、海外レーベルより『Une Collection des Chainons』をはじめとする過去のアルバムのリイシューも予定されている。

www.yoshioojima.com

Interview with Staalplaat (Guillaume Siffert) 1/2

レコード屋の境界を飛び越えた、ショップ&ミュージアム&カルチャーハブ&ハプニング。 多面的DIYアートカルチャー プロジェクトStaalplaat 。

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MASSAGE / Interview by Refugees On Dance Floor

Staalplaatはベルリンにある、レコード屋。ベルリンのアンダーグラウンドカルチャーのハブかつ、いつでも新しいイメージや、音楽にフェティッシュな物質感とともに出会えるまるでミュージアムのような場所。そのアンダーグラウンドカルチャーへの懐の広さ、そしてシーンに対する、計り知れ得ないリスペクトと理解、それを拡張しようとするアイデアによって、今や世界中にDIYアートカルチャーを後押し、紹介し続ける独自の存在となっている。ジェントリフィケーションによって変わり続けるベルリンで、タフに12年間の変わらぬアンダーグラウンドな音楽と、アートへのサポートと追及を維持するStaalplaatを運営してきた、Guillaume Siffert。今Staalplaatを離れ、新しいプロジェクトに移行しようと動き始める彼に、ベルリンで、飲みつつ、蕎麦と天ぷらをツマミに2時間に渡るロングインタヴュー!!

どんな風に“staalplaat”をスタートしたの?

2006年に “le petit mignon” っていう小さな店をベルリンで始めた。すごく小さいレコード屋で、シルク スクリーン プリントや、ファンジンや、本等の、アンダーグラウンド アート、ヴィジュアルものをメインに取り扱っていて。で、ある日“staalplaat”のオーナーから、「誰か“staalplaat”を引き継いでくれる人を探してるんだけど、やってみない?」という話が来て、それでやってみようかなと。

それが2007年。それで自分の店を、“staalplaat” 内に引っ越したんだよね。で、二つの店をミックスしたんだ。それまで“staalplaat”は、基本的に音楽がメインで主に実験音楽を取り扱ってて、本や、シルクスクリーン等のヴィジュアルものはあんまり扱ってなかった。で、そこに自分が “le petit mignon” でやってた、アンダーグラウンドアート、ヴィジュアルサイドをミックスしていったんだ。その後、音楽サイドにも自分の好きなものも持ち込みつつ、ヴジュアルサイドのものをミックスし続けて行ったんだ。それに五週間に一回のペースで展示と、展示のオープンニングとしてインストア ギグを店内で始めたりしてた。それが2008年、2009年。その後、店をノイケルン(南ベルリン)に引っ越して、展示とインストアライブを続けてた。そこでは二、三年店をやってた。

その頃はどんなアーティストが展示をやってたの?

まずは何人かのアーティストのファンジンとシルクスクリーンを取り扱い始めてたんだんだよね。ベルリンって、ただたくさんの人が来るってだけじゃなく、たくさんのアーティストが世界中から集まって来る場所。彼らは店のことを前から知ってたり、誰かに聞いて知ってたりしてて、ベルリンに来ると寄ってくみたいな感じだった。ただ寄って行くだけの人もいるし、そのうち何人かは、自分のやってる作品や、ペインティングを、店に持って来るんだよね。で、いいなと思ったら、店に置いたり、そこから展示に発展していったりしてた。そんな感じで、いろんなアーティストに出会っていったんだ。それ以外にも、その頃は、ほぼ毎日どこかのコンサートに遊びに行ってて、そこで直接誘ったり。『店でオープニングやるから、ライブしない?』『いいじゃん、やろうよ』って。その頃はインストアライブってあんまり無かったら、「レコ屋でライブか、面白いかもね、やってみようか」って感じだった。

それで、店でライブやったミュージシャンから口づてで広がっていったんだよね。その後はツアーでベルリンに来るアーティストから「ライブやれないかな?」って直接連絡が来るようになったりして、たくさんオファーが来るようになった。それ後は、オファーが来すぎるようになって、ときには断ってた。単純に音が好みじゃなかったり、基本的には展示のオープニングで、5週間に一回だけだったから。たとえメールを10通もらっても無理っていう。もっとやっても面白いかなとも思ったんだけど、ライブハウスじゃないし、やることが増えすぎちゃうからやらなかったんだよね。ちょっと違うやり方でライブが出来る場所、ってところがポイントだった。その頃の“staalplaat” は地下もあって、そこでライブが出来て、アコースティックなやつなら、店の中でやったりしてた。

展示は、ほとんどのアーティストが、ほぼ誰も知らない、アンダーグラウンドのアーティスト。ベルリンのアーティストだったり、ファンジンを送ってきたアーティストを招待したり、その時の話や状況次第。それに既にたくさんのアーティストが自分のアートワークを店に見せに来るようになってた。もちろんメールからの繋がりもあるし、ベルリンを自分で歩いて見つけたのもある。ネットワークみたいなもので、店に来たことない人でも、店に来たことがある人から聞いたりとか。展示やギグやったことのあるアーティストの繋がりの中で、口づで広がっていくっていうか。ほとんどの繋がりがインターネットっていうより、実際に人と人とのダイレクトなコミュニケーションの中で出来てきてた、そこは重要だった思う。

Fully Blown Dental Reform ‎– FBDR (Tape + double-sided A3 poster)
Hedoromeruhen, H, Alkbazz - Split (Silkscreen Artprint + 7”)
Helaas - The Second To Last Plague (Tape + double-sided A3 poster)
Monno ‎– Cheval Ouvert (2xLP + Offset & Screen Printed Artwork)
Monno ‎– Cheval Ouvert (2xLP + Offset & Screen Printed Artwork)
Pokemachine, Tree People - Split (clear green 7" + 3D Artbook)
V.A. - Hans Trapp (orange 7" + double-sided screen print)
V.A. - Hans Trapp (orange 7" + double-sided screen print)
V.A. - Le Petit Mignon Vs Le Cagibi (7" + Screen printed Artbook)
V.A. - Le Petit Mignon Vs Le Cagibi (7" + Screen printed Artbook)

All released by Le Petit Mignon

今までの話が最初の6年間、2006~2012年。その後はどうしてたの?

それから2012年に、店を今の場所(Kienitzer Str)に引っ越ししたんだ。それから展示や、コンサートは一回止めることにしたんだよね。なんでかっていうと、忙しくなり過ぎたっていうのもあるし、ベルリンで同じような事をやる人が増えてきて、自分がやらなくてもいいかなって思ったんだ。ライブのオーガナイズも同じで、昔ベルリンのいろんなところでオーガナイズしてたんだけど、ほかに同じことやってる人がいっぱいいるようになってきて、オレがやる必要がないかなって。ベルリンって、いつもいろんな人がたくさんのエナジーを持ってやってくる流れがあって、もしほかにやる人がいるなら、じゃあオレは違うことをやるよっていう。ほかの大きな町だと、ちょっと状況が違ったりしてて、昔からやってる人が辞めちゃうと、引き継ぐ人がいないんだよね。だから実際にみんな、なんとか面白いことが途絶えないように続けていく。企画展をやめても、いろんな人が店に持ってきた作品で常に変化しつつ展示は続いている。常にシルクスクリーンやアートワーク、ファンジンがあるし、自分でやってる店の壁の展示は定期的に変えるようにしてる。だから常設展みたいな感じかな。

2012年に新しい場所に店を移動して、ちょっとやり方を考え直したんだね。それから6年経った今、展示や、インストアイベントを再開したのは、どうして?

元々の“staalplaat”自体が1982年に始まってて、超オールドスクールな店なんだよね。たくさんの人が店のことを知ってるとしても、若い世代は聞いたことすら無かったりする、それでどうしたら彼らに知ってもらえるかなって思って。それで、古き良き手法で古い世代も若い世代もみんな一緒に集めて、もう一回展示とインストアギグをやって、何が起きてるかを知らせようとしたんだ。ベルリンって、もの売ってお金稼ぐっていうのが難しいんだよね。みんなお金無いし。パーティーか、飲んだり食べたりする方にお金を使うっていうか。だから展示やイベントをオーガナイズしても、それでお金を稼ぐっていうよりは、何か見せて提案したり、プロモートするっていう感覚に近いんだよね。俺の場合はアーティストの提案をしてるけど、同時に店のプロモーションにもなってる。

それに今ベルリンでも、実際世界中見ても、音楽とアンダーグラウンド アートをミックスしてる店ってあんまり存在してないと思う。ベルリンでも音楽だけか、展示のオープンニングだけだったり。だ特にこの店に集まってるアートワークだったり、発信してるものって、ベルリンのどこを見ても、同じような場所は無いし、じゃあ、ゆっくりともう一回やってみる意味があるかなって思ったんだ。

12年間、ベルリンで“staalplaat”をやってて、ベルリンの変化について思うところってあるかな?

店自体はいつも山あり谷ありっていうかで、ときには全くダメで、ときには大丈夫っていう、全く予測不可能。もちろん、さらにアーティストはベルリンに集まってきてる。すでに知られてる現代アートのアーティストで、ギャラリーで絵をもうちょっと高く売りたいみたいな人だけじゃなくて、スクリーンプリントや、リソグラフ プリンティングをやってるD.I.Y.のアーティストも増えてきてる。それに既にベルリンで活動しているアーティストもここに留まってる。ほかの西ヨーロッパの大きな町と比べても、未だに安く住めるし、仕事もやり易い。でもみんなお金が無いから、売るのは難しい。前からそうだけど、買っていくのは旅行客、住んでいるのはお金の無いアーティストだね、笑。

インターネットの影響って、店に感じる?

もしオンラインショップをやってなかったら潰れてたなって思う、店とオンラインショップどっちもやらないと無理だったね。その辺がベルリンとほかの大きな町だとちょっと違うところだと思う。例えばフランスだと客がお店にちょくちょく来て買っていくみたいで、その代わりオンラインでは全く売れないらしいんだよね。でもベルリンじゃそうはいかない。だからオンラインで買うお客さんと、色々な理由でベルリンに来るお客さん、どっちも考えないといけない。例えば、単にチルしに来る人だったり、フェスティバルに来てついでに店に寄っていく人。そういう人は、1年に1回か2回ベルリンに来るだけ。ベルリンで常連って、ほぼいない、1週間に2、3回来て、レコードを5、6枚買ってくみたいな、お客さんって少なくとも“staalplaat”には殆どいない。DJ向けじゃないっていうのもあるけど。

それで最近、DJと話して、テクノもいいけどフィールドレコーディングとか、もっと変な音をビートに混ぜたらいいじゃない?みたいな。そういうのを押し始めてる。結局DJが唯一定期的にレコードを買っていくお客だからね。今時DJもデータしか買わないから、オレが言ってるのはレコードのDJ、オールドスクール スタイルのDJっていうか。テクノセットと実験音楽やフィールドレコーディング、ワールドミュージックの領域なんかのもっと幅広い音を混ぜるというアイデアを、音楽の可能性を広げる方法に気づいてもらおうと、アーティストと話したり、提案したりしている。例えば、オレはケニアの伝統音楽と現代のロッテルダム テクノをミックスしてるよとか、50年代のルーマニアの工業地帯のフィールドレコーディングと、何かとか。ビートだけじゃくて。だってビートミュージックが機能するのは明らかだから。

テクノのレコード屋っていっぱいあるし、そこ行けばいいテクノのレコードは見つかるだろうけど、でもさ、テクノ以外で何を置いてるのかって言う話。で、結局そこでスタックする。例えばテクノのパーティに行くとさ、たまに今誰がやってるかさえも中々分からなかったりする。先週どこかで誰かがやってたのを聴いたのと、殆ど同じビーツだったりさ。テクノシーンに不満を言ってるわけじゃなくて、テクノは大好きなんだよ。ただ単縦に、もしあるテクノのDJがテクノ以外なにも聴かないとしたら、一体どうやったら、いいテクノのミックスが出来るのかって話。もしやってる音楽がノイズだとしても同じ話、もしノイズしか聴かない人が、ノイズ演奏してたとしたら、面白いノイズなんて作れないと思う。一回だけのギグか、一枚のいいレコードは作れると思う、でもさ、毎回毎回同じ音だとしたら、どっかにも問題があるんだと思うんだよね。ミュージシャンが毎回同じプレイするのが好きな人もいるけど、オレは、独自の影響や、内面性の深さを楽しみにしてる。例えば、この人はいろんな音や物事ににオープンマインドに接してて、その影響からどんな風に独自の音楽を創り出すんだろうっていう。

オレがやってるのって、要はただの一件のレコード店。それに誰かを“staalplaat”でしか買わないみたいにしたいんじゃないんだよね。ウチになんでもあるってワケじゃないし。だからむしろ、もしテクノを探してたら、ウチであんまり買わないで、この店に行った方がいいよって、ほかの店を紹介したり。もしほかの音が好きだったら、あっちの店がいいよとかさ。それによって、もっと広い範囲の違う音楽に触れる事が出来ると思うし、それによってもっと自分の音楽に深く入っていけるじゃないかなって思うんだよね。そうしたら、その音が客にとってもっと実験的なるんじゃないかな。

ベルリンのレコード店 “staalplaat”をやりながら続けている、ギョーム自身の別プロジェクト、レーベル、 “le petit mignon”について話をしてもらえる?

“le petit mignon”は、オレが最初にベルリンの始めた店の名前。ベルリンに移住したのは15年前、22歳の時。その頃はめちゃ大きいWG(ルームシェア)に住んでて、最初にベルリンには一週間だけ来たんだ、もうベルリンに移住するって決めてたんだけど、まず部屋を探しに来て、その400㎡の部屋を見つけた。ドイツ人だけで10人くらい住んでて、子供がいる家族連れもいて。そんなのはフランスではまずありえなかったし、前にパリに住んでた時はルームシェアって言うと狭い部屋で二人が限界って感じだった。だから、まぁ行ってみようかなって。それで、ベルリンに引っ越したんだよね。

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それでパリから、ベルリンに引っ越したんだ。それが2006年。

そうしたら10年くらい会ってなかった友達が偶然ベルリンにオレよりちょっと前に引っ越してて、また一緒に遊ぶようになったんだよね。彼女はアーティストで写真と絵をやってて、めちゃいい絵を描く。それで、ある日オレが浴びてるのを待ってる間に、絵を描き始めたんだよね。その頃住んでるところの下の階に印刷会社があって、たまに山ほど紙を捨ててさ、よくそこからデッカい紙を持って来て。それでその絵を見たとき「うわぁ、この絵すごいねって」なってさ。それで、その友達が描いた絵はしばらく部屋壁に飾ってた。

ベルリンに住み始めて二、三ヶ月後、店を始めることを考え始めた。その頃すでに今自分がやってるようなヴィジュアルアートに関わり始めてたんだけど、まだ自分が店を始めるかどうかは、わからなかった。ベルリンでの生活を始めてたんだけど、その頃はドイツ語は全く出来なくて、いろんなものが難しくて、自分でも何をしたらいいか、わからなかった。何にせよ、もうベルリンにはいたんだけどさ。

ある日その友達の家に遊びに行ってて、そしたらその友達が友達の子供の写真を見せてくれたんだ。その友達がまたも偶然、オレの親友の一人で。その頃は周りの友達が子供を作り始める時期っていうか、その子供はその最初の一人だったんだ。で、オレはその写真を見たとき “oh le petit mignon”(小さい可愛いものって意味。) って。その後しばらくして、オレは店の名前を考え始めてたんだけど。で、ある日多分完璧に酔っ払ってて、壁に貼ってあった、その彼女描いた絵を見た時、実際これって “oh its le petit mignon” だなって思って。

そして全てが始まったんだよね。店の名前を“le petit mignon”って決めて、その友達にその絵を店のカードやロゴに使っていいかなって聞いてさ。その後、店をオープンさせて、色々やり始めて、展示もやり始めたんだ、それが“staalplaat”から話が来る前の話。その頃、自分の関わり始めたもののリリースも始めたいなと思ってたんだけど、その頃はどうやってやったらいいかとか全然知らなかった。それにいわゆるレーベルにもしたくなかったし、いわゆる本の出版社にもなりたくなかった、なんていうかそういうものの中間でありたかったんだよね。で、ミックスしてしまえば、いいんじゃんって。アンダーグラウンドの音をリリースするけど、面白いヴィジュアルサイドのアンダーグラウンド アートとカバーでミックスすることに、こだわったものにしようと。フォーマットだけでも、ヴィジュアルだけでも、音楽だけでもなく、何かその間に位置するようなものにしようと思ったんだよね。

それで、アンダーグラウンドの音とヴィジュアル アートのとミックスを、音を作るアーティストと、カバーのデザインとヴィシュアル自体をアーティストと、シルクスクリーンをやるプリンティングアーティストと一緒にコラボレーションで作って、7インチをメインにリリースするのを始めたんだ。

“le putti mignon” は、ショップの出発地点で、それがある種の出版社兼、ノンレーベルなレコードレーベルになって行ったんだよね。レーベルじゃないレーベルっていう言い方が好きなんだよね。その後は “le putti mignon” は自分がオーガナイズするコンサートや展示の名前にもなったりしてた。始めてから12年経った今でも、出版や、リリース、展示企画等を、やる時の名前になってる。後は色々な活動の、その間のどっかでトラベリングエキシビジョンっていうのを始めたんだけど。今は第三弾を準備していて、第三弾のアイデアはアーティストを集めて展示と一緒に出来るだけ遠くまで世界中を旅して回るっていうもの。今 “le putti mignon” は、そのトラベリングエキシビジョンをやる時の名前にもなってる。

その「トラベリングエキシビジョン」のコンセプトってどんなものなの?今までどこに行って、これからどこに行こうとしてるの?

トラベリングエキシビジョンは2012年に、店をflughafenstrから、今の場所に移した時に、一度店での展示とコンサートをやめた時から始まった。ちょっと働き過ぎだなと思ってた頃で、これはちょっとベルリンから離れないとダメだなって。だから個人的な理由っていうか、なんとかベルリンの外に出る方法を考えてて、 “トラベリング エキシビジョンっていいじゃん! “って思いついたんだよね。展示と一緒に旅をしたら、作品をベルリンの外に見せることもできるじゃん!ってね。アイデアは、店で人が見に来たり作品を持ってくるのを待ってるだけじゃなく、こっちから持って行こうっていうもの。一方通行だけじゃなく双方通行っていうか。みんながこっちに来るだけじゃ無く、こっちからも行くよっていう。

トラベリングエキシビジョンはオレが店でやってたことの延長線上で、変なことやってる若いアーティストで、普通の伝統的なギャラリーには当てはまらないようなアーティストにフォーカスしてて、もっとD.I.Y.のフィールドだったり。別に有名になる為にやってるわけじゃなかったり、お金儲けの為に作品を作ってるわけじゃ無いアーティスト。ただ別のやり方で普通に生きたいって人達。自分が好きで信頼できるアーティストや友達にアイデアを伝えることから初めて。店に、本やペインティングなんかを持ってきた人たちに、つながりが山ほどあったから、いろんな人や場所に話を持ちかけたんだ。最初はヨーロッパをメインに。実際、ヨーロッパ圏を旅するのって、あんまりお金がかからないしね。それで、展示と一緒に西ヨーロッパと東ヨーロッパへの旅を始めたんだ。

それで、実際一つの場所にずっと居るよりいい感じじゃん!って感じかな?これからの見通しはどんな感じ?

そうだね、でも店にいるのも、旅するのも、どっちも好きだけどね。今は、もう少し本腰入れ始めたセカンドエディションが終わったところ。サードエディションには今8人アーティストがいて、そこから2人と一緒に現地まで行って、ワークショップやコラボレーションをその場やるっていうアイデア。でも、それをやるにはもっとお金がかかるから、やれる場所を見つけるのがすごく大変。ただトラベリング エキシビジョンって言うと、ファンディングがすごく難しい。ファンディングにはもっと大きなプロジェクトが必要で、大きなプロジェクトを用意する時間がまだあんまり取れてないんだよね。だから今のところファンディング無しで、全部自腹でやってる。いい繋がりがいろんなところにあるから、もっといろんな場所に行こうと思って試行錯誤してるところ。

All images from shop exhibitions

実際今までどこに行ったの?

アムステルダム、ロッテルダム、ブリュッセル、マルセイユ、パリ、ローマ、ジュネーブ、ルビアナ、ワルシャワ、スロベニア、それに日本で東京、大阪、京都。もっとヨーロッパの外に行きたいんだけど、なかなか難しい。まぁわかるんだけど、例えば自分に置き換えてみても同じっていうか。もし誰かがオレに同じアイデアを送ってきたとしたら、一人の旅費ならなんとかなるけど、三人は無理だねっていう。だからD.I.Y.でアンダーグラウンドな場所でやるのは難しい、みんなお金無いからね。もうちょっとアカデミックな場所か、その中間みたいな場所じゃを見つけないと無理だと思ってる、でも、何だかんだ行っても結局はD.I.Y.な場所でやると思うけど。

日本は、個人的にすごく行ってみたくて、自分で行った。でも、日本に多少のつながりがあって、何人か知り合いもいた。だから日本でも展示の機会がすぐ見つかったし、人にも会えたんだよね。ヨーロッパの外でトラベリングエキシビジョンで行けたのは今のところ日本だけ。でもすっごいいい経験だった。展示でかなりの数のシルクスクリーンプリントや、多少のオリジナルペインティングも見せれたし、その後に一緒に何か出来そうな人にも出会えた。ベルリンの店用に新しい本を仕入れたり、知り合った人と、いろんな話をしたりね。

今は可能な限りいろんなところに企画を送ってる。あと今のところトラベリングエキシビジョンはフランス人が多いから、フランスのインスティチューションにも企画を送ってたりしてる。でも彼らはすごく保守的。フランスのインスティチューションは、もっと写真とかに興味があって、オレがやってるようなのは、彼らにはクレイジー過ぎて、あんまり興味が無いみたいなんだよね。まぁ色々やってみてるってところ。

とにかくいろんな可能性を探ってるってところで、最終的にお金が出なくても結局自腹で行くと思う。サードエディションのアイデアは、アーティストと一緒に旅に行ってその場で色々な相互作用を作り出すこと。それによって新しい何かを生み出したいんだよね。

Interview by Refugees On Dance Floor

Refugees On Dance Floor
無国籍多国籍フリーフォームサウンドコレクティブ、日本、ドイツ、ルーマニア、ポーランド、ハンガリー、世界中に散らばるネットワークハブをベースに、ヴィジュアル、音楽、このご時世未だにアートの力をメチャクチャ真剣に受け止め、探索、実験かつ、即興、創造、そしてアウトプットする想像集団プラットフォーム。アートサイド、サブカルチャーサイドからの社会実験、自由な状況に関わり生み出し続ける。
https://refugeesondancefloor.blogspot.com/
https://soundcloud.com/refugees_on_dance_floor

Photo by LOX, Staalplaat
Lox
https://www.flickr.com/photos/lox2/

Interview by Refugees On Dance Floor

Interview with Yoshi Sodeoka

アナログとデジタルを行き交いながら、視覚をハッキングする有機的映像美

MASSAGE /
MASSAGE / Text & Interview: Yusuke Shono

30年にわたりNYで活動するヴィデオアートのアーティストでありミュージシャンでもあるYoshi Sodeoka。デジタルとアナログの間を横断しながら、まるでRGBの色彩で視覚をハッキングするようなサイケデリアが広がる、実験的な映像作品を作り出してきた。その作品は抽象的だが、独特の温かみと有機的複雑性、そして純粋な映像的快楽にも満ちている。また、その活動歴は、その作品と同じように多彩である。まだブラウザがNetscapeだった1990年台の、GIFアニメすらサポートされていなかった時代に、オンライン上で作品を閲覧することができるオンライン上のプラットフォーム「Word Magazin」にアートディレクターとして携わる。また、当時では珍しかった映像作品を集めたDVD作品集のリリースや、近年もまた実験的な映像作品をリリースするプラットフォーム「Undervolt&Co」を立ち上げるなど、自らの作品を発表するだけでなく、アーティストたちのハブとなるような空間の創造も行ってきた。今回、PHENOMENON: RGB展にも作品を出品中で来日中だった彼に、直接話を聞くことができた。

NYはもう30年になるそうですが、最初に映像の作品を作るようになったきっかけなどはあるのでしょうか?
95年ぐらいだったと思うんですけど、最初はインターネットアートのプロジェクトの「Word.com」というのをやっていたんです。マルチメディアでプレゼンテーションをする、GIFや映像が鑑賞できるサイトです。そのプロジェクトに、アートディレクターとして5年ぐらい携わりました。でも、テクノロジーはすごく変わってしまう。1年前に作った仕事が、ブラウザが新しくなってもう観られられなくなる。Shockwaveというソフトがあって、それもよく使ってたけどもう使えなくなったりとか。そういうことが頻繁にあって、そのことが結構フラストレーションだったんです。そこで、やっぱり表現するメディアとして、ヴィデオがよいのかもしれないと考えるようになりました。

たしかに、映像のテクノロジーはブラウザに比べたら変化が緩やかですよね。
そもそもヴィデオというのはシンプルなんです。たとえばQuickTimeがなくなっても、ほかのフォーマットにコンバートすることはそんなに難しくない。ソフトウェア会社に振り回されるのは嫌だ、というのもあります。企業は経済的な判断を優先しますから。それなら自分で自分の信じていることをやりたい、と思うようになりました。そこから、ヴィデオ作品を作ることに集中し始めたんです。2001年には、DVDの作品集も作りました。出版も自分で。その頃はそういうことをやってくれる人はだれもいなかったから自分でやるほかなかったんです。とりあえずお金を集めて、ハリーポッターを出版してるDVDの会社に頼んでマスターを作ってもらいました。そのときは結構珍しいものだったから、日本でも売ってもらったり、雑誌なんかで取り上げてもらいました。今はDVDの時代も終わっちゃっいましたけどね。2004年くらいに第二弾もリリースしました。

確かに当時は映像を見る手段はほかにはあまりなかったですよね。
YouTubeが始まったのが2005年だから、当時はオンラインでヴィデオは観る簡単な方法がなかったんです。ギャラリーでも、こういった実験映像の展示などはあまり行われていませんでした。だからDVDを作ることが、一番いい方法だと考えたんです。音楽もやってたので、CDを自分で焼いて聴いてもらうということにも慣れいていた。だから、映像も同じアイデアでやればいいかなと。

そこからどうやってミュージックビデオなどを手がけるようになったのでしょうか?
そういう活動が少しづつ人に知られるようになって、〈WARP〉の仕事を手がけ始めたのが、2010年くらいです。彼らって変わったことをやりたい人たちなんですよね。小さいレーベルだからお金が凄くあるわけじゃないんだけど、実験的なことができる。だからやりがいがありました。そういう仕事をするようになって、こういうふうにお金を作る方法もある、ということを知ったんです。仕事は仕事なんだけど。自分では仕事のようには思ってなかったですね。コミッションワークみたいな感じです。

内容に関して自由にやらせてもらえる、ということでしょうか?
そうですね。これは最初に言うんですけど、細かく指示される仕事はあまりやりたくないんです。だから、最初に自由に作らせてくださいということは言うようにしています。その点でいうと、大抵のレーベルの人たちは理解があります。ミュージシャンもヴィジュアルアートの人たちも、アーティスト同士ですから。

ミュージックビデオの仕事で、特に印象に残っている仕事はありますか?
大きかったのは、Tame Impalaとの作品ですね。まだ彼らも、今ほどの人気ではなかったんですが、僕が作ったシングルのヴィデオですごく人気が出たんです。そこからそういった仕事が増えました。だけどポップミュージックではなくて、実験的なスタイルのアーティストから頼まれることが多い。IDMもあれば、ロックのバンドも。

他のアーティストとコラボレーションもよくされていますね。ほかのアーティストと一緒に仕事をするのは好きですか?
好きですね。今回の展示にも出品しているSabrina Rattéと一緒にアートディレクションをやったことがあります。もう10年位付き合いがあるかな。国外の人と働くことが多いですね。だからみなオンラインでやりとりしますね。NYに住んでるけど、やっぱりヨーロッパ。あとはLAの人が多いかもしれない。

Yoshiさんが最近映像を手がけたレーベルの〈RVNG〉もNY拠点ですが、NYは実験的なことをやっている人は多いんでしょうか?
多いですね。アートの中心ですから。だけどやっぱり家賃とか生活費とかが高いから結構逃げていっちゃう人も多いですね。

Yoshiさんの制作活動は普段はどんな感じなんでしょうか?
スタジオはトライベッカの方にあって、ローワーイーストサイドの自宅を自転車で行き来しています。朝10時には出勤して6時には帰るっていうスケジュールを保つようにしてます。コミッションでやる仕事と自分の作品を作る時間を分けて、開いてる時間にはずっと自分の作品を作っていますね。

今回RGB展に出品されている作品にはどのような背景があるのでしょうか?
最近、ブラジルのMYMKというミュージシャンとよく一緒に作品を作っているのですけど、今回の作品はそのシリーズです。いままでとは、ちょっと違った路線の作品です。オーディオリアクティブになっているんですが、以前はそういった作品は好きじゃなかった。音に反応するというと単純な動きを作る人が多い。この作品は音との反応を微妙にわかりにくくしています。

確かに音との連動性はそこまで直接的には見えてこないですね。
彼の音楽の方向性が割とリズムがなく、抽象的だからかもしれません。あと、オンラインに作品を上げたりすると、どういうふうに作るのか聞かれることが多いんです。プロセスがすごくややこしくて説明するのも難しいというのもあるんですけど、あまり手法のことは聞かれたくないんです。実は、小さいときから油絵を習っていたんですが、トラディショナルなアートは、その手法自体に興味を持たれることが少ない。観ることに意識が行っていて、筆をどう使うかということには関心がない。デジタルアートというのもそういう風になっていかないといけないんじゃないかなと思うんです。

なるほどですね。それでいうとYoshiさんの作品には、油絵の具を重ねるときのようなレイヤー感も感じます。作品のスタイルもとても幅広いですけど、普段の作品の実験が作品化されていく、というような進め方になるのでしょうか?
プエジェクトによっても違うんですけど、いろいろなフェーズがあります。まずはアナログでやって、それがうまく理解できるようになったら次に挑戦するという感じで。今は新しいスタイルを作り出しているけど、実験したことは全部後で役に立ちます。映像で編み出した手法を使ってグラフィックも作るしね。

たしかに、映像作品に掲載されているスチールが印象的でした。
一つ一つのカットの見た目が良くないといけないと考えてます。ヴィデオを作っているんだけど、ポートフォリオにスティールも入れるでしょ。止まった状態の絵でよいか悪いかを判断する制作プロセスも影響している気もします。映像を止めて静止画を確認して、またちょっと止めてというのを、一日中やっていますから。

しっかりプランして作るというより、自然のままに任せて作るという感じでしょうか?
最初に思い描いたイメージは、作っていくうちにだいたい変わっていきますね。仕事だと最初にプロポーザルを出すプロセスがありますよね。予め仕上がりを見せるのはあんまり得意じゃないんです。作っていくプロセスで新しい発見をすることが多いですから。一つ一つが実験という作り方なんですけど、長年やっているので、そこは信頼してくれる人が多いです。あとは一番最初に、そこをはっきりと伝えますね。どうなるかわからないけど、絶対良くなるから信頼してくれって。そしたら、なんとかなりますよ。

https://sodeoka.com/

PHENOMENON: RGB 展示風景

PHENOMENON: RGB 展示情報
会期:2019年2月23日(土)~3月11日(月)時間:11am~21pm会場:ラフォーレミュージアム原宿 入場料:無料 主催:ラフォーレ原宿
協賛:FRAMED*、八紘美術
機材協力:株式会社 映像システム
企画制作:ラフォーレ原宿、CALM&PUNK GALLERY(GAS AS INTERFACE)
会場デザイン、グラフィックデザイン:YAR

会場には、ファッション、アートの分野で活躍する アーティスト・Jonathan Zawada、グラフィックアーティスト・YOSHIROTTEN、視覚ディレクター・河野未彩による新作大型インスタレーションが立ち現れる。また、その周りを取り囲むように、国内外6名のアーティスト ― 藤倉麻子、Kim Laughton、Natalia Stuyk、MSHR、Sabrina Ratté、Yoshi Sodeokaの映像作品が会場全体を鮮やかな光で包む。

Interview with MSHR

音と光が鮮やかに混じり合う、ハイパーディメンジョナルな空間。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview and text: Kazunori Toganoki

Birch CooperとBrenna MurphyからなるMSHRは、ニューヨークを拠点に活動を行うアートコレクティブである。自作のシンセサイザーを用いた音響作品やパフォーマンス、コンピューターグラフィクスに基づく彫刻や映像作品、VRを取り入れたインスタレーションなど、多岐にわたる分野を横断しながら、そのアーティスト名が意味するように、ビジュアルとサウンド、アナログとデジタル、リアルとヴァーチャルといった、異なるコンポーネント同士を複合的に“Mesh”(結合)させ、ハイパーディメンジョナルな空間芸術を作り出していく。一見過剰なまでに放出される色彩とサウンドは崩壊に陥ることなく、自然界のエコロジーにも似た有機的なフィードバックシステムのもとで、複雑で鮮やかなフタクタル構造を形成していく。またBrennaはVisible Cloaksの一連の作品のビジュアル、Maxwell August Croyのプロジェクト、Kagamiのアートワーク、本サイトのMASSAGE10号の表紙デザイン、最近ではティモシー・モートン著『Hyperobjects』のイタリア語翻訳版の装丁を担当するなど、グラフィックデザインの仕事でもその名が知られている。昨年には来日を果たし、現在ラフォーレ原宿で開催されている展覧会『PHENOMENON:RGB』に新作の映像を提供している彼らに、その音楽性やルーツについて伺った。

あなたたちが出会うきっかけとなったアートコレクティブについて教えてください。現在のMSHRとしての活動のベースに、そのコレクティブの存在があると伺いました。

Brenna(Br) 2007年から2011年までの4年間に渡って、オレゴン州ポートランドでOregon Painting Society(以下OPS)というアートコレクティブを活動させていました。メンバーは私とBirchを含めた計5人で、大きな一軒家を借りて共同で生活をしつつ、インスタレーションやライブパフォーマンスなど色々な表現手段を模索しながら、精力的に活動を続けていました。

Birch(Bi) OPSにはリーダー的な存在や、ヒエラルキーがなかったので、誰もが同等の立場でした。また、いわゆるオーナーシップも設けなかったので、メンバーのアイデアや、機材や彫刻、衣装などは誰が使用しても、またどのようにエディットしてもよかったんです。明確なルールを作らずに、流動的なコラボレーションを繰り返すことで、OPSは断続的な変化を続けながら、成長を遂げることができました。

Br 結成した当初は、一体何からすればよいのか分からなくて、皆で一枚の紙に絵を書いたところから始まったんです。そこから毎週ミーティングを開いて意見を持ち寄り、それぞれの異なるバックグラウンドを活かしながらアイデアを具現化させていきましたね。

Bi 例えば自分の場合、インタラクティブな音楽機材の制作というバックグラウンドがあったので、コレクティブの中ではサウンド担当として、インスタレーションとパフォーマンスを兼ねた機材を開発し、少しづつ発展させていきました。

Br 様々な人をまきこみながら複合的に生じていく一連のコラボレーションは、どう転ぶのか先の予測がつきませんでしたが、とても有意義な出来事でした。OPSが終わり、MSHRがスタートしてからも、あの時の経験が、今でも自分たちの創作活動の核にありますね。

Photo: Daniel Kent

コレクティブのメンバーを紹介していただけますか?

Bi 最初は10人以上メンバーがいたんですが、最終的に私とBirch、Matt Carlson、Barbara Kinzle、Jason Traegerの5人になりました。

Br Matt Carlsonはコンピューター・ミュージックを扱う音楽家で、Golden Retrieverというグループとソロの両方で活動していますよ。

Shelter Pressからソロアルバムをリリースしていますよね。そういえば確かポートランドの大きな教会で、彼が有名なラーガの演奏者とコラボレーションしたのを見た覚えがあります。

Br その演奏者はMichael Stirlingですね。あれは素晴らしいコンサートでした。

Bi 私たちは彼のボイストレーニングの授業を何年か受けていたんです。マイケルは元々Terry Rileyの師弟で、Pandit Pran Nathとも知り合いでした。毎週日曜日の朝、彼は自宅の庭にたくさんの人達を招いてDIYの授業を開いていたんです。最初に彼がラーガの旋律を歌って、そのあとにみんなが彼の歌声を習って、見よう見まねで自由に発声していました。

Br La Monte YoungやTerry Rileyといった北インド音楽から影響を受けた音楽家たちは、プレイヤーとしても作曲家としても僕らにとって大きな存在だったので、その直系の人物が偶然ポートランドに住んでいて、彼から教えを受けられるというのは光栄なことでした。地元の実験音楽シーンに関わっている人の多くが授業を受けに来ていましたね。彼はスペシャルな存在です。

そのような人がローカルのアーティスト達と交流があったというのはとても興味深いです。ほかのメンバーについても教えてもらえますか?

Br Jason Traegerはペインターやフォトグラファー、今はスタンドアップコメディアンとして活躍しているアーティストで、私たちより一回りほど年上で、みんなから頼られる存在でした。

Bi 彼は人生経験が豊富で、すごく面白い経歴を持っているんです。17歳で高校を中退した時に、ハードコアバンドの7 Secondsのローディーとしてバンドと一緒にアメリカ中をツアーで周ることになり、それからサンフランシスコで、Dead KennedysのJello Biafraが主宰するAlternative Tentaclesで働き始めました。その後、彼自身も音楽を始めて、オリンピアに引っ越した時、Calvin Johnsonとルームメイトになった所以もあって、Kレコーズからレコードを出しました。そこから喋りの才能を活かして、スタンダップコメディアンとして活動を始めるようになって、キャリアを積んだ後にポートランドに移ってきて、Pacific Northwest College of Art(PNCA)というアートスクールに入学したんです。そこで僕たちや、OPSのもう一人のメンバーのBarbaraと出会うことになりました。

Br 40歳を過ぎてからペインターとしても活動を始めましたが、シュルレアリスティックな作風で素晴らしいんです。若い時からずっと何かに駆られて創作活動を続けている、才能ある人間ですね。それにコレクティブでは、年長者として色んなアイデアをまとめる役割を果たしてくれて、彼がいなければ、たぶん私たちの活動はうまく続かなかったと思います。

Photo: Walter Wlodarczyk

活動していた頃、ポートランドであなたたちのほかにアートコレクティブはありましたか?

Bi Woolly Mammoth Comes to Dinnerという女性三人組のダンスコレクティブがいましたね。僕らと何度かコラボしたこともありました。あとはFuture Death Tollという、オレンジ色の衣装をつけて、サウンドパフォーマンスを行うグループだったり。

Br コレクティブの数はそんなに多くなかったと思います。ただもっと広い範囲で、インディペンデントなアートシーン全体が当時ポートランド中で盛り上がっていて、自分たちの活動に協力してくれました。「コレクティブ」そのものにたくさんの人がエキサイトしてくれたし、色々な人が見にきてくれたので、ほぼ毎月なにかしらのイベントを開催していました。

Bi OPSが始まったとき、音楽のシーンも非常にクールでした。特にノイズミュージックが盛んで、それほど大きいコミュニティでもなかったので、知名度を問わず皆が一緒くたになってプレイしていましたね。

Smegmaのメンバーで、現在はThe Tensesとして活動しているリックとジャッキー夫妻とも交流が深かったですよね。昨年には彼らとのコラボレーション作品をリリースもしました。エクスペリメンタルシーンの長として地元では崇められていましたが、何がきっかけで出会ったか覚えていますか?

Br 小さなシーンだったので、誰か興味のある人がいれば、すぐ繋がることができました。共通の友人から紹介してもらい、自分たちが主催するハウスショーに彼らを呼んだのがきっかけです。たしかその日は、フィンランドのJan Anderzenや日本のASUNA、Mark McGuire、Monopoly Child Star SearchersのSpencer Clarkらを共演者に招いて、とても良いショーになりました。懐かしいですね。そこから二人と交流がスタートし、毎週彼らの家に機材を持ち寄って、何年間も一緒にジャム・セッションを続けていたんです。

ではMSHRに話を移らせてください。オリジナルの彫刻/音響的な装置群を用いて光と音のフィードバックを作り出していく、というのがあなたたちの音楽的特徴の大きな一つの要素かと思いますが、シンセサイザーの役割や、具体的なシステムのメカニズムについて教えていただけますか。

Bi 従来のアナログなエレクトロニック機材を、サウンドとビジュアル相互の次元でインタラクトさせる装置へ独自に発達させたものが現在の形になっています。コレクティブの初めの頃は、ひとつのオシレーターしか搭載されていないような、シンプルなシンセサイザーでしたが、MSHRを結成後に、新しい方向性や美学を見出して、モジュラーシンセサイザーのユーロラックのような、より複雑な回路と組み合わせに対応した機能とデザインへ拡張していきました。ただし通常のモジュラーとは異なって、デジタル信号が用いられていますし、本体には光を入力するセンサーと、その光源量を調整するパラメーターが搭載されていて、音の原型となるオシレーターは、光の入力レベルに応じてモジュールされるんです。そして光を発するバルブにも、音を入力するセンサーが搭載されているので、音の入力レベルに応じてモジュールされ、そのモジュールされた光がまた別の音のセンサーに出力されて…といったような無限のフィードバック現象が生じます。FMシンセサイザーの、モジュールとキャリアの関係性の原理を考えてもらったらよいかもしれません。

Br 私たちは音そのものを、川や海、風といったような自然現象で生じる「流れ」のように捉えています。フィードバックという作用を用いて、音がどのように発生し、複数のエレメント間で影響を与えながら変化して、還っていくのかという、一連の有機的な生成運動を描いていくんです。

「流れ」という考えにも繋がると思いますが、あなたたちは音や光によって立ち現れる空間性というものに非常に意識的ですよね。

Bi そうですね、とても大事です。私たちの音楽は、まず具体的な場所の空間に依るところがありますから。音のフィードバック自体は勝手に生じますが、空間との共振関係によって、良し悪しのコンテクストは大きく異なるんです。パフォーマンス中、自分たちは音を奏でるというよりは、PAのように全体の流れを調整しながら、鳴らされた音と空間同士を上手く共振させていきます。

Br ただ演奏自体は固定化されていて、その都度やり方をフレキシブルに変更することはできないので、物理的な空間の大きさや、光の具合によって実際にはかなり左右されます。けれど、自分たちの関与できない脆性が予めシステムに組み込まれていることで、毎回予測不可能なチャンス・オペレーションが作り出されるので、サイトスペシフィックにならざるをえないという点は、結果的に私たちのパフォーマンスの一つの面白さになっていると思っています。

Bi たまに思わぬアクシデントに出くわすこともありますね。以前ヘルシンキのSorbusというDIYギャラリーでショウがあった時、イベントの趣向がオープンエアーということで、路上に面したエントランスの一面の窓が外されていたんです。サマータイムの関係で日が暮れず、日差しが入ってくる状況だったので、さすがに普段の光を用いたパフォーマンスはできず、急遽コンピューターで代替したセットを組みました。野外での演奏は私たちには向いていないんです(笑)。

音楽のコンセプトについてですが、「ハイパーリアルな領域を顕在化させていく」ことがもともとの目的だと述べていましたね。パフォーマンスでは圧倒的なまでにカオティックな視覚性が強調されると同時に、体験する側に、ある種の内省や瞑想を促すかのようなスタティックな力も働いているように思います。表現という視点からみて、空間はどのような意味を持つのでしょうか。

Bi 私たちの作品に限らず、音楽という音の複合体にはもともと空間性が備わっていて、実際には目視できませんが、建築や彫刻と同じように、脳内では立体的なオブジェクトとして認識されています。目に見えない空間のメカニズム、つまり構造や法則が一体どんなものなのか、私たちは自分たちの装置やパフォーマンスを媒介して学び、近づこうと試みています。言葉で伝えるのはなかなか難しいですけれどね。

Br  もともと身体器官では直接的に感知できないフォームやライン、あるいは場所の痕跡を辿ることに興味があって、自分たちの表現を通せば、そういう意識を超越した、ファンダメンタルな次元に不思議とアクセスできるんです。デジタルというツールを使って、それらを具体的なレベルに還元したものが、MSHRの映像やスカルプチャーには現れていると思います。

Bi 私たちはビジュアルアーティストであり、サウンドアーティストでもあるので、視覚的手法、聴覚的手法、どちらにも比重が傾かず相互作用するよう、とても注意を払うようにしています。

実験音楽家のDavid Tudorにも大きな影響を受けているらしいですね。

Bi はい!彼はフィードバック現象を用いたエレクトロニック・ミュージックを探求した人物で、作曲法や作品、それにシンセサイザーのデザインでも多大なインスピレーションを受けました。有機的に作動するシステム構造という点でも、私たちとTudorは相通ずるものがあると思います。

Br コレクティブの最初の頃、Birchが自分たちに『Rainforest』というタイトルのレコーディング音源を聴かせてくれたんです。誰かが「確かに、これはTudorの『Rainforest』みたいだね」と言ったら、Birchから「何それ?」って言葉が返ってきて。まだその時、Tudorの存在を知らなかったんですね。すごい偶然の一致だったので、みんなで驚きました。

最近はVRを用いたインスタレーション作品に新しく取り組んでいます。他の分野での表現と比べて、何か違いはありますか。

Br まずVR作品では、これまで作ってきたインスタレーションにはない試みが色々なされています。今までのインスタレーションはパフォーマンスと同じく、アナログの装置から生まれるフィードバックといった、フィジカルな側面が中心でしたが、VRにはそういった要素はなく、全てデジタルで構成されています。コンセプトとしては、私たちはVRを映画やゲームといった実用的な用具としてではなく、現実とヴァーチャルの空間を多層化させる、ひとつのスカルプチャーとして捉えています。ヴァーチャル内のイメージと、床にプリントされた装飾は全く同じではないですがリンクしていて、ヘッドセットを着けたり外したり、あるいはそれを着けて歩き回ることで、身体レベルで揺らぎが起こり、現実とヴァーチャル間の境界がクロスしていきます。

Bi またTudorに話は戻りますが、去年ニューヨークで行われたイベントで、Tudorのスコアともいえる、サウンドプログラムがグラフ化されたフローチャートを、あるアーティストがヴィジュアライズし、設計図自体を作品に発展させたものを見る機会がありました。そのアイデアにとても影響を受け、私たちも自分たちのフィードバック回路のダイアグラムを、実際のヴィジュアルの要素として取り入れてVRに取り入れてみたんです。VRの床の装飾は、システムを起動させるダイアグラムであり、同時に空間を作用させる実際のトリガーとしても機能しているので、いわば二重の意味をなしているんです。

Bi また通常のVRだと、ヘッドセットをつけた人間だけがヴァーチャル空間を体験できて、他の人達はそれが終わるのをただ眺めて待つしかないですよね。体験は一人だけの特権だから、ヴァーチャルと現実の人間間で、いわば覗き見行為のような、奇妙な分断ができてしまう。ですが私たちのVRでは、体験する側の動きに応じて部屋全体に設置された光とスピーカーのサウンドが変化するシステムなので、VRの体験者は現実空間に作用する、いわばパフォーマーとして機能しています。そしてそれを、他の人達がオーディエンスとして体験することができるんです。一つの関係性が生まれるんですね。自分たちにとって、これは新しい表現の試みの一つになりました。

現在日本で行われている展示『PHENOMENON:RGB』に、お二人も映像作品を提供しています。RGBという色彩の表象法が今回の展示のテーマですが、あなたたちにとって色彩は、作品表現とどのような関わりを持つのでしょうか。

Bi 私たちの映像作品にとって、色彩は彫刻性と同じくらい重要な要素です。とりわけRGBが作り出す、玉虫色の光沢感に強く魅了されてきました。色彩自体もですが、色彩のサーフェイスが醸成する空間のテキスチャーも含めて、これまでのほぼ全ての作品の色彩表現にRGBを使用してきました。そういう意味でも、今回の展示のテーマは自分たちにとって親和性が高いんです。

数年前に活動の拠点をポートランドからニューヨークに移しましたが、何がきっかけだったのでしょう。また制作のうえで、大きな変化はありましたか。

Bi ポートランド時代の友人が、ニューヨークで新しくAmerican Mediumというコンテンポラリー・アートのギャラリーを始めたんです(2018年12月にクローズ)。彼らからアパートメントに空きができるからこっちにこないかと誘われて、それでポートランドを離れることになりました。

Br 違いといえば時間の流れですね。ポートランドではスローテンポな生活というか、ゆったりとした速度で動いていましたが、ニューヨークは街も人が常に目まぐるしく移り変わるので、かなりインテンスです。展示やショウの数も増えたので、今までより忙しいサイクルで動かないといけなくなりました。

Bi 今までのように、落ち着いて制作に取り込むことはできなくなりましたが、スピーディーな流れに合わせることで、これまでとは違った作品が生まれることもあります。どちらにもメリット、デメリットがあると思います。

Photo: Sergio Urbina

昨年は、アジアやフィンランド、イギリスやポルトガルといった国を訪れながら活動を行なっていましたよね。海外のレジデンシー生活やツアーに、インスピレーションを受けることはありますか。

Br 現地の人々と交流して、彼らのアートや音楽、ローカルなシーンを学ぶことができるのが旅の醍醐味です。昨年は色々な国を巡ることができて幸運でした。訪れた国全てが素晴らしかったですが、なかでもフィンランドとポルトガル、それに日本で出会えた人達やコミュニティーにインスパイアを受けました。海外での滞在は、創作の原動力としても、インスピレーションとしても、自分たちにとってメインのソースだと思います。

今後の予定を教えてください。

Bi 海外でのプロジェクトが続くので、去年に引き続いて、今年も旅が続くことになりそうです。今はオースティンにあるThe Museum of Human Achievementのレジデンシーにいて、メキシコで開催されるフェスティバルに参加するため、これからオアハカに向かいます。それが終わったら、今度はVRのインスタレーションの展示のためにモントリオールを訪れて、その後はロッテルダムのDePlayerというデザイングループと、本やアルバムにまつわる共同プロジェクトがあるので、ヨーロッパに向かいます。今年中には、またアジアに戻ってきたいと色々計画しているところですよ!

http://mshr.info
http://bmruernpnhay.com
http://birchcooper.net

PHENOMENON: RGB 展示情報
会期:2019年2月23日(土)~3月11日(月)時間:11am~21pm会場:ラフォーレミュージアム原宿 入場料:無料 主催:ラフォーレ原宿
協賛:FRAMED*、八紘美術
機材協力:株式会社 映像システム
企画制作:ラフォーレ原宿、CALM&PUNK GALLERY(GAS AS INTERFACE)
会場デザイン、グラフィックデザイン:YAR

会場には、ファッション、アートの分野で活躍する アーティスト・Jonathan Zawada、グラフィックアーティスト・YOSHIROTTEN、視覚ディレクター・河野未彩による新作大型インスタレーションが立ち現れる。また、その周りを取り囲むように、国内外6名のアーティスト ― 藤倉麻子、Kim Laughton、Natalia Stuyk、MSHR、Sabrina Ratté、Yoshi Sodeokaの映像作品が会場全体を鮮やかな光で包む。

Interview with Takeshi Murata

時間と空間が作り出す、夢・記憶にも似たその世界。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Nukeme, Translation: Chocolat Heartnight, Goh Hirose

タケシムラタは1974年、アメリカのシカゴ生まれのアーティストである。最初期からデータ・モッシングを作品制作に使用しており、その後のグリッチ・ムーヴメントにおいてもパイオニアの1人として名が挙がることが多い。ムラタが作る作品の表面は、感情移入を受け入れない。デジタルの完璧な清潔さを隠そうとしない。作品の表面は、それが観念上のオブジェクトであり、現実とは乖離した世界のものであることを常に意識させる。にも関わらず、例えば「Get Your Ass to Mars」を長く眺めていると、長い映画のあるシーンを切り取った、スチール写真を見ているかのような錯覚が起こる。見ているこちらの心の状態が変化して、空間の前後にあるはずの物語を想像してしまう。なぜこのような心の投影が起こるのだろう? 参照すべき物語を持たないスチール写真が呼び出す虚ろな心は、虚ろであるがゆえに不穏で、しかし瞑想的な静けさがある。それは具象的なモチーフが作り出す、抽象的な時間である。ムラタの作品が作り出す心境は、何かが起こりそうな予感であり、全てが終わった後の残滓でもある。

初期の作品で、映像におけるグリッチ表現にかなり早い段階から取り組んでいましたね。グリッチとの出会いはどのようなものだったのでしょう?また、作品の中でグリッチを扱うことについて伺いたいのですが、グリッチをどういうものと考えていますか?

2003年頃に初めてこのビデオを制作したとき、自分は映画出身だったから表現としてのグリッチはまだ知らなかった。そのころは、Pat O’Neill、Ed Emshwiller、Steina Vasulkaのようなアーティストの映画を見ていたよ。背後の物語ではなく、メディアを全面に出すという彼らのアプローチの直接性は、20年以上前の作品にもかかわらず、近いものに感じられた。それはまだ破壊的だった。デジタルメディアをこういうふうに見ていて、ある時、ダウンロードに失敗したときにそのアイデアを得たんだ。海賊版の映像を実際に見たことはないけど、その圧縮されたキーフレームから多くの実験が始まった。

あなたの作風には,(こういう言い方には語弊があるかもしれませんが)非常にサイケデリックな面があると思います。いわゆる大文字の「サイケデリック」カルチャーというものについて,どういう距離感を持たれていますか?

初期の映像作品には似ている点がたくさんある。最も似ているのは、出発点として心の状態が入れ替わること。そのためには特にフィルムとビデオが適している。幻想、特にヴィジョンの持続性はとてもサイケデリックだけど、映像が始まると目に見えないほど強い力を持つ。

「OM Rider」の最後で狼男がトランペットで吹いている曲は、米軍の葬送で使用される「Taps」と呼ばれるものですよね。序盤で使われるシンセサイザーの演奏との対比がとても印象的でした。C. Spencer Yehの起用など、映像作品の音についても独特な世界観がありますが,音楽と作品の関わりについてお聞きしたいです。

オオカミが鳴らしている「Taps」は、トランペットを吹いて最初の一年か一週目の、子供の演奏を記録したもの。いちばん初歩的な能力だけど、その誠実さがよいと感じた。老人へのトリビュートに合うことが分かった。オオカミの誠実さにもかかわらず、彼のスキル不足が最終的に老人の死を失敗に終わらせる。

サウンドトラックはまた、ほかのアーティストとコラボレーションできる機会でもある。制作過程のこのステップはとても楽しみで、その音が作品に反映されることもある。 Robert Beattyとはほとんどすべてのプロジェクトで協力してきたよ。彼は有能なミュージシャンだし、最近はヴィジュアルアートにも同じ才能を発揮している。Devin Flynnも多才なアーティストだね。一緒に働くことができてラッキーだよ。

あなたの両親は建築家だそうですが、八角形の家で鶏と一緒に住んでいたという話が興味深かったです。そのような環境は現在の作品に影響を与えましたか?

大都市に長年住んでから、妻と一緒にニューヨークのキャッツキル山地にある手作りの八角形の家に引っ越したんだ。家は60フィートの高さの松で囲まれていて、庭があって、鶏を育てていた。以前の都市でのアパート生活とは、まったく対照的だった。スタジオは田舎だったし、ずいぶん隔離されてる。都市での仕事を続けていたけれど、離れても直接の関わりは薄かった。それはニューヨーク市に移ってから、自分が持っていなかった視点だった。そういう日々の経験から、テクノロジーとその進化する役割について考え始めた。それで、デジタルで制作されたフォトリアリスティックな静物画「Get Your Ass to Mars」が生まれたんだ。

Cyborg, 2011
Pigment print
28 × 42 inches (71 × 107 cm)

Art and the Future, 2011
Pigment print
32.5 × 50 inches (83 × 127 cm)

Bernie’s, 2012
Pigment print
63.5 × 85 inches (161 × 216 cm)

例えば時間ベースのアートワークを作っているとき、時間や空間のアーキテクチャは意識しますか?

まさに。 Melter 3-Dのような直接的なものもあれば、写真のような間接的なものもある。映像、印刷、彫刻も作るときは同じプロセスを用いる。それはいずれにせよ、アニメーションから来ている。

あなたの作品には画や映画・ゲーム・アニメーションなどのサブカルチャーの影響が具体的にモチーフとして織り込まれているものもあれば、抽象的な表現の方向性を持つものもあります。両者の間のバランスをどのように考えていますか?

記憶や夢を通して空間を表現しようとすると、自分がここに導かれることがよくある。 CG制作はその状態をうまく再現する。 CG環境での作業することも、時々は夢を見ているようなものになる。スクリーンを通して画像を見ることは、大部分の高低で重要な部分なんだ。

今のコンピュータグラフィックスはほとんど現実と見分けがつかないところに来ていると思いますが、あなたはもっとCG特有のスタイルを維持しているように思えます。あなたはその特性のどういった点に可能性を感じますか?

人工的に汚れや不完全さを追加すれば、CGのオブジェクトも現実世界に馴染んで現実味あるものになる。でも僕は鮮明なシャープネスのほうが好みだね。完璧な形と表面は、同時に深い満足と不安を導くことができる。それは僕が作品で探求している矛盾なんだ。

アナログな表現からデジタルへの以降の中で、使用するツールにも大きな変化があったと思いますが、制作の背景にあるヴィジョンに影響はありましたか?

すべてのツールが変わった。最初は、例えばフィルムの長さで図られる時間のような、映画製作から伝えられる感覚が重要だと思ってた。でも、長年にわたるデジタル制作のスピードと絶え間のない進化にも心動かされてきた。自分たちが住む増殖していくデジタル世界と繋がる方法として、その影響は素晴らしいものだった。

「Melter 3-D」のアイデアには非常に驚かされました。どのような経緯で完成に至った作品なのでしょうか?

液体クロムのシミュレーションで遊んでいて、同時にCNC製の彫刻制作の作業を始めたんだ。ニューヨークでGregory Barsamianの「Feral Fount」を1年前に見て、またその後にジブリ博物館の3Dゾエトロープに夢中になった。実際の空間でアニメーションを見られるという信じられないほどの効果にもかかわらず、アニメーション化されたオブジェクトの繰り返しによりイリュージョンが明らかになる。回転のある角度ごとに、アニメーションのシーケンスの次の反復が分かってしまうんだ。たとえば、トトロが飛び跳ねるのではなく、同時に20個のリングが見えるというふうに。

自分がクロムが流れる球体で3Dゾエトロープを作ったら、この繰り返しを隠すこと、イリュージョンの仕組みを隠すことができると思った。そしてひとつの流れる3Dのオーブが完成した。自分の作品のなかでも、これは実際に見てほしいもののひとつだね。

また、初期の作品でも「Melter 02」と題されたものがあります。「Melter」はシリーズなのでしょうか?

行動することに感謝だね。10年ごとに1つ作る。「Melter 04」が登場する予定。

もし今後のヴィジョンがあったら教えてください。

そう、ニューヨークのSalon 94の新しいショウに向けての制作を始めている。この展示では、彫刻、合成写真、CG映像シミュレーションを組み合わせることになると思う。

Takeshi Murata
http://www.takeshimurata.com

Recsund: Interview with Clifford Sage

毒の洞窟から魚を救い出す、一人称視点のフィッシングゲーム・パフォーマンス作品「Tuner v1.0」

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Noriko Taguchi

Recsundは、CGアーティストのClifford Sageによるサウンドビジュアルのプロジェクト。今回は、今月初旬に発表された最新作ライブ向けに作られた毒性のある洞窟ネットワークから魚を救うという一人称視点のフィッシングゲーム・パフォーマンス作品「Tuner v1.0」について紹介する。舞台はtoxic caveと呼ばれる、何とも不気味な洞窟。前作ProDance®は正面から舞台を眺める作品であるのに対して、Tuner v1.0は、オーディエンスがボートの後部に乗りながら魚を救い出しているような感覚にさせられるゲームのような作品だ。ここにある内容はまだ氷山の一角で、ライブパフォーマンスはまだまだ進化していくという。

Recsundについて教えてください。ソロのプロジェクトなのでしょうか?
Recsundは10年半にわたって活動してきたソロプロジェクトで、Tunerはその作品。音楽を作り出すことは、常にいちから世界を作り出すことだった。最初は音楽のための音楽でもなかった。今はメディア(3Dとサウンドデザイン)の統合が本質的で、またツールの多くはこれまでになく流動的になっていると真剣に感じている。

なぜ魚をモチーフに選んだのでしょうか?
魚をモチーフにしたのは、直接的には90年代後半の歌う魚の飾りからインスピレーションを受けたから。また前作のProDance®よりも新しい視点の作品を作りたかったというのもある。

技術的には、どのようなプロセスを経て作られているのでしょう?
ゲームエンジンを用いたMIDIインタラクションによりピースをコントロールしつつ、MIDI信号をDAWにフィードバックするという方法で演奏している。3Dアニメーションがトリガーするオーディオシンセシス、そして3Dのヴァーチャル世界によって歪められた音声信号の間にワルツが生み出されるんだ。

ライブ時に使っている機材やデバイスについて教えてください。
先にも言ったように、この作品は純粋にMIDIのやりとりで駆動され、あらゆる種類のデバイスに適応する機能がある。自作のコントローラーを作るというアイデアには惹かれるけど、今は自分の愛すべきicon社のi-djxとi-djを使い続けているよ!もちろん、誰かのために作品を書き出すアイデアも重要だと思っているけど、今の時点ではこの作品がただひとつのインターフェースであることを楽しんでいる(ゴメン)。

CG面の技術についてはいかがですか?
リアルタイム3Dの内部で、既存のマウスやキーボード、ジョイスティック以外の外部入力で何が可能かということについて長い間考えながら過ごしてきた。超過的にも技術的にも進化するように設計し、モジュール単位でバイオメカニカルボートと通信するすべてのアセットを作り出した。でも、将来的にはProDance®を登場させたり、他のライブメンバーと繋げられるようにする予定だよ。」

前作のProDance®

1. member (by yourself or team?)
Recsund has primarily been my solo project for over last decade and a half and Tuner was made by myself. Making music for me has always been world building from the beginning and isn’t initially about music for music sake (although at times it has been) , I feel like now seriously the integration of both these mediums (3D & Sound design) is essential and that more of these tools are fluid like never before.

2. the motief (why you choose fish?)
I wanted to make a new live visual project that was from the first person point of view (compared to my previous recsund ProDance® videos) and where the audience are back seat drivers as we try to save fish from a toxic cave network.
It’s part of a grander idea of making work based on environmental topics and subjects on nature. This is just the tip of the iceberg and currently the live performance is rather frustrating as we’re mainly manoeuvring around junk that emits sound signals of past news broadcasts! The use of fish is also a direct inspiration we had from the singing fish ornament of the late 90’s that I also want to expand upon.

3. equipments for your live performance
Well as mentioned before this document is purely driven with MIDI interaction and has the ability to adapt to all sorts of devices. The idea of making custom physical controllers does excite me but currently I am keeping it just to my cute icon i-djx and i-dj ! The idea of exporting the document for anyone of course does inspire me and is really important, but at this point i’m enjoying it for it’s uniqueness with this interface. (sorry)

4. technique of CGI (how you made?)
Utilising the game engine, the piece is being controlled by midi interaction but in turn also drives midi back to my DAW applications from the animations, so there is a waltz between 3D animation triggering audio synthesis and audio signals effecting the 3D world (virtually).
For a long time the idea of external input beyond classic mouse, keyboard and joystick within a real-time 3D workstation has kept me up many a nights, thinking about what is possible,
Designed to evolve overtime both topically and technically I made all the assets modularly all communicating mainly with the biomechanical boat that we are. But in the future I plan on having the ProDance® on board or maybe even a secondary live member through a network!

Clifford Sage
http://recsund.tumblr.com

Nozomu Matsumoto Interview

モノ⇄マルチが行き交う世界と響きあう。  『Climatotherapy』による、文化共同体のデトックスとその可能性。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview&Text: Kazunori Toganoki

アーティスト/キュレーターとして活動する松本望睦はこれまで、先鋭的なアーティストを紹介するデジタルのサウンドギャラリー『EBM(T)』や、オンラインとオフラインの領域が共存し合う基盤としてのアートフェスティバル『インフラ』など、新しい視聴覚体験が開かれ、人々に共有される場所や機会を提供してきた。今回〈The Death of Rave〉からリリースされた初のフィジカル作品『Climatotherapy』は、新しい領域にしなやかにインタラクトするそんな彼の姿勢と呼応するかのように、多様な表情と可能性を帯びた、そして蓄積された知覚経験のラベリングから解放された音楽である。また、この作品自体が一つのミディウムのように機能し、「現在」と「未来」が同時に進行する(もしくは「未来」が「現在」を侵食する)かのような、奇妙に捻れた時間軸で生きる私たちの不確かな存在の世界を、極めてリアリスティックに照らし出しているのかもしれない。その「気候療法」が示す意味とはなんなのか、そして音声スピーチの背後にある作品世界について、話を伺った。

Climatotherapy(PDF) 気候療法(PDF)

今回リリースされた『Climatotherapy』は、日本語に訳すと“気候療法”を指し、「日常とは異なった環境下で、疾患の治療や保養を行う療養」という意味を示します。レーベルのリリース文を参照したところ、ノゾムさんは気象病をお持ちだったそうですが、そうしたパーソナルな健康上の問題と今回の作品は何か関わりがあるのでしょうか。

昔から虚弱体質で、生まれつき癇癪持ちでした。ここ10年くらいは偏頭痛と精神疾患があります。そのため、気圧アプリを見て痛み止めや安定剤を調節しています。モチーフとしてはそのことは多少は関わっているかもしれません。ただ今回の作品が指す『気候療法』は実際的な意味とは少し離れていて、精神医学・心理学上で感情・気分が天気・天候へ例えられることを用い、ある時代のあるコミュニティでのメンタリティやモラリティとして気候を扱っています。

今回の作品に胚胎するコンセプトや背景について教えてください。

コンセプトをまとめてみました。

気候療法(climatotherapy)は古気候学(paleoclimatology)を通し、道徳(morality)や精神性・心性(mentality)のソーシャルデトックス(social detox)を目的としている。テーマは、音声、またそれが発される母体を探ること。声(voice)は、身体=body(母体=matrix)に帰属する発音で、逆に楽器(instrument)とは、身体に帰属しない代わりに身体的発声器官の拡張を促す、生理的表現の延長から抜け出す発音である。声・音声が母体を、身体でない楽器として発音される時、共同体のパースペクティブや文化的色相を元にスケーリングされた音楽がどのように私たちをデトックスし、ロマンティックな健康状態を心に持たせるのか。 

また私たちが進化していく際に、適応しないための適応能力を自身に要求することを「積極的な退化」と呼んでいます。この能力にまつわることはいつも作品コンセプトに含まれていて。昨年に”The Mind Has No Firewall”というタイトルの作品で、フレイ効果(耳を通さず脳に直接聴覚信号を送ること)を使用する展示計画がありました。回路図は研究者にいただけたのですが、ある一定以上の時間聞いていると統合失調症になってしまう、音をアルミ製の板などで隔離しないと半径30m圏内の近隣住民にも聞こえてしまうなど、デメリットが多く実現できませんでした。ですが、その時の「心はファイアウォールを持たない」というタイトルの言葉が、今回の『気候療法』の背景には残っています。実験としてCVNの佐久間さんが始めたGrey Matter Archivesでその雛形を作っています。

「積極的な退化」という言葉ですが、非常に有効性があり、説得力のある言葉です。環境に適応する能力が過剰に求められている現代の状況において、我々の「心はファイヤーウォールを持たない」がゆえに、適応とともに何でもかんでも受け入れてしまい、結果様々なバグや攻撃を食らって、問題を抱え込んでしまう。むしろ適応しないように働きかける(≒退化)ことで、事物そのものの性質やエネルギーに接近する試み、という意味合いでしょうか?このワードに関して、もう少し解説していただけますか。

現代において、とりわけ技術進歩の中で進化していく環境や、それに囲まれる人間やモノが日々アップデートされる際にアップグレードも施されています。「積極的な退化」というのは、ダウングレードも交えながらアップデートすることです。グレードの変化ということが一体どういう影響を及ぼしたか、または及ぼすのかというのをきちんと知った上でできる判断の選択肢だと思います。
「事物そのものの性質やエネルギーに接近する試み。」という部分は少し訂正があって、全てのモノは振動していて、固有の周波数を持っています。私たちは人間であると同時にモノで、モノであると同時にエネルギーでもあると思います。なので、私たちは心そのものを守る何かを持つのではなく、心のありよう自体を強くする必要があるんです。与えられた変化の選択肢が進化だとしたら、退化することで自分に与える変化の選択肢が退化であるとも言えますね。

少し遡りますが、コンセプトの概要でおっしゃっていた「ロマンティックな」健康という響きがすごくいいなと思いました。具体的にはどのようなイメージなのでしょう?

ロマンティックには「甘美な」というよく使われる意味のほかに、「架空の」という意味があります。ここでのイメージはいわゆるロマン主義のような甘美さや、精神運動でもあります。また、架空の健康状態という、何をさして健康なのかを問いている言葉でもあります。自分自身でもこの言葉自体はまだよく分かっておらず、言語化できていない感覚です。今後大きなテーマになっていく言葉かもしれません。

では作品のテキスト内容についてお聞きしたいのですが、『気候療法』には、ナチスの安楽死政策や、行動心理や社会問題、バイオテクノロジーや生物学、青い鯨事件…など、自然と人間社会両方の視点から様々な現象や問題が取り上げられていますよね。それらは、更新されていくエピステーメーと同じように、価値や倫理が反転する余地のある存在たちのように思いました。まだはっきりと固定化されていない、曖昧で両義的な状態に近いような。それが音と混じりながら複数の層を形成し、複雑な現実世界が提示されています。テキストは[Fibrous:繊維質][Crystalline:結晶質][Vaporous:蒸気質]という三つの章立てに分かれていますが、これらは何を示しているのでしょう。

今回の気候療法で言うと、主にモノ(単一性)⇄マルチ(多様性)が常に価値の崩壊可能性を孕んでいて。その中で、人間である私たちがどう選択してきたかと言うニュース(≒歴史、逸話)を取り上げて、特に虐殺、自殺、戦争を穀物、鉱物、クラウドのあり方に見立て、繊維質精神、結晶質精神、蒸気質精神としています。
虐殺ではT4作戦という安楽死政策が、穀物のようにサイレージに入れられサイロ思考(縦社会思考)になってしまうこと、その弊害。自殺ではVKontakteで2016年に起きた、青い鯨事件での集団自殺までの過程と、鉱物が宝石になる過程とモース硬度、その脆弱性。戦争では、現在の仮想通貨と昔の石貨の経済システムにおける共通性と違い、末路とメルトダウン(心理学的用語としての意味も含め)。例えば、[繊維質]の章ではナノセルロースという物質が出てきます。この物質は食料や衣服、飛行機や車のバンパーになる多様性(マルチ)があります。もしこれが市場独占率である73%を超え、画一化(モノ)した時、そこにウイルスやバグが生じて、私たちの生活に必要な様々な物の供給が途切れてしまいますよね。
よくディストピアやユートピアという言葉が使われますが、これらも結局はモノトピアで。私たちは常にマルチトピアに生きているので、モノな情報をニュースとして鵜呑みにしやすい傾向があります。そのモノポリー、モノカルチャー等についてマルチトピックな言葉で詩が構成されています。

「モノトピア」とは、「単一性が崇められる世界」のようなニュアンスでしょうか。逆説してモノ化に向かう現代の傾向と、それに伴う「価値の崩壊」に対し、言語における発話と意味の自由な横断によって、ノゾムさんがおっしゃる「モノ→マルチ」への多義化とその回復が試みられていると感じました。

マルチトピアは元々James Ferraroの『Multitopia』という作品からきています。
モノトピアの解釈の一つとして「単一性が崇められる世界」はあると思います。マインドセットはモノ ⇄マルチやプライベート⇄パブリック等、行ったり来たりして形成されていきます。
あと、これは今回のテキスト内容にもかかってくるのですが、逸話が作話になった時、というのはいつも興味深くて。歴史は最初から定められているわけじゃなくて、大小問わず、どんなニュースが歴史になるかならないかは誰にも分からない。例えば、私たちは日常の生活でボディソープではなく石鹸を使う時があると思います。石鹸はもともとサポー(Sapo)の丘という、ローマ近郊にあった石鹸(Soap)の誤った語源とされる土地で、「神に供える習慣のために動物の肉を焼き、滴り落ちた脂肪と薪の灰の混合物に雨が降り、アルカリによる油脂の鹸化(Saponification)が自然発生して石鹸が発見される」という逸話(=神話)を持ちます。でも、サポーの丘があったとされる証拠はなく、架空の土地だとされています。ただ、私たちは石鹸というモノを知っているし、この言葉を使いますよね。この逸話を真実・事実だと信じることが作話になった瞬間で、その時、石鹸は人の手が少し加わって自然生成された超自然素材(Hyper natural material)という風に感じられます。そして同時に、言葉にもマテリアリズムがあると言えます。

作話という無意識のプロセスが、自然物を変容させるという現象は面白いですね。フィクションという行為のなかに、物体そのものに命を宿らせてしまうかのような側面が潜在することに気がつきました。インスタレーション制作などを通して、視覚や触覚にも鋭敏な感性を持ち合わせていると思いますが、何か物質に対してのこだわりやフェティシズム、個人的な信仰みたいなものはありますか?

物質だと最近フィルムバルーンに興味があります。サウンドアートのアーカイブの本を最近読んだ時に、ベルナルド・バシェ&フランソワ・バシェが制作した、ギターのボディが青いフィルムバルーンでできた『Folding and Inflatable Guitar』を知ったんです。元々、ピエール・ユイグの共同制作者でもあるフィリップ・パレーノの『My Room Is Another Fish Bowl』が好きだったこともあって、興味が再燃しました。
フェティシズムに関しては、自分の制作物とは真逆の、触覚性の高い作品にとても魅力を感じます。例えば中園孔二くんのペインティング群には網膜を直接触られてるような不快感も同時に感じますし、フロリアン・ヘッカーの「Acid in the Style of David Tudor」には頭の中に粘着質なサウンドを入れられているような不快感を感じます。不快を超えた動的な触覚性に羨ましさを覚えますね。脳で感じる以上に、第二の脳である腸でも感じることのできる作品というか。感覚が空間とマージする瞬間を提示してくれた貴重な瞬間だったと自覚しています。
最初の気象病、偏頭痛の話に戻るのですが、自分は本当にひどい偏頭痛持ちで、血管が切れてしまって入院したり、しょっちゅう病院に救急搬送されていました。偏頭痛には予兆があって、最初に視界に盲点があることが分かり、次に液晶の傷のようなものが視界に映り出し、最後には痛みが来てブラックアウトしてしまう症状がありました。同時に吐き気もするので薬すら飲み込めず、肌もブヨブヨした何かのような自分のものではない感覚で、匂いも麻痺してしまって。その中で唯一残るのが聴覚なんです。なので、どうしても自分にとって最後の感覚が聴覚という気がしています。死に最も近い時の唯一の感覚。どの感覚器官でも同じようなことを感じている人がいて、そういった人のクリエイションからはとてもインスピレーションと不快感、共感を覚えます。そしてそこにフェティッシュ(=呪物)を感じます。

最後に残った感覚が聴覚というのは生理作用によるのか、それとも意識の働きかけからなのか、どちらにしてもそれが音にシンパシーを感じる大きな要因となっていそうですね。

死に近いっていうのは多分、五感が麻痺状態になって第六感に頼るような出来事だと思っています。催眠状態に恐怖がついてきたような感じなのかもしれません。

今作を含め、音を具現化していくにあたっての、制作のプロセスを教えていただきますでしょうか。ノゾムさんの場合、まず明確なコンセプトが先行して、それを形に落とし込めていく作業という順序があるようにみえます。

初めから明確なコンセプトがあるようで、意外とないかもしれません。
まだ想像言語でしかないもので作り上げることで抽象化し、そこから自然言語に置き換えて自身で気づくといった方がしっくりきますね。まずは色んな本やウェブページから気にいった単語を見つけて、メモしてたらとんでもない量になっていて、それを繋げながら整理していく、お掃除みたいな感覚です。
音楽制作は大体ショッピングから始まります。音楽制作で個人的に最も重要なのはヴォリュームとタイミングですが、購入時に大事なのはハーモニーの美しさなので。どんな音色を使うか、吟味してエフェクトやMIDIを買います。インスタレーション制作で何を使うか想像している時と同じで、この時間が一番重要だと思います。音素材はEastWestZERO-G、他にCymatics8Dioの製品を買うことが多いです。DAWはAbleton Liveで、ソフトウェアサンプラーのKontaktに買ったソフト達を入れて音を出します。あとはPureDataと、ごくたまにSuperColliderやMATLABを使います。こっちはちょっとしたエフェクトをプログラムで作りたい時とか、高音質の音素材を作りたい時用ですかね。
プロセスは、ほとんど覚えていないんです。例えば、フィールドレコーディングをMIDI化したりとか、何百曲か作ってそれを素材にしてさらに組み合わせていく、というのを繰り返すとかはあるんですが、部分部分しか記憶にないですね。テキストも音楽も交互に・相互に形が出来ていくので、構成するってよりは組成されてきたって感覚が強いかな。ショッピング⇄クリーニングで作品が組成されてく感覚です。

Pre-Olympic“の時からすでにその一端を覗かせていましたが、壮大なオーケストラを思わせるストリングスのアンサンブルと、音声合成によるスピーチという奇妙な組み合わせのアイデアはどのようにして思いついたのでしょう。有機的なものと無機的なものが協創しあって、単純な感情に落とし込められないような音が響いているように感じられます。

冒頭のコンセプトの要約部分でも触れましたが、もともと音声、それが発される母体を探ることをテーマとしていて。声は、身体(母体)に帰属する発音ですよね。逆に楽器とは、身体に帰属しない代わりに身体的発声器官の拡張を促す、 生理的表現の延長から抜け出す発音。その声が楽器だった場合どうなるんだろう、というのがアイデアの核です。以前MASSAGEでもインタビューを受けていたNile Koettingのメゾンエルメスでの展示の音声を制作した時に、ナイルのアイデアとしてテキストスピーチにパンクのリリックを朗読させるというものがありました。その時にIVONAというWeb上で書いた文字をmp3で保存できるサービスを使っていて。エルメスでの展示後にそのウェブサイトを見てみたらAmazonに買収されてAmazon Pollyという名前に変わっていました。

音声合成ソフトって、現段階ではまだ実用的なレべルで使用されることに留まっていて、そこではメッセージの伝達が主で、どのように伝えるかは問題とされていないから、声の肌理や響きのようなものは、みんなある程度了承した上で無視できている。ただ感情や思考を「表現する」という、もう一段階レベルが上がった時、無視できていた部分が外在化して、そこに別の現象が生じてきます。それが経験し、蓄積してきた感情を洗い流すという、今回の『気候療法』の「デトックス」効果にも繋がりそうです。コンセプトを一旦抜きに考えて、自動音声自体の響き方はお好きですか?

大好きですね笑。今回大量にMIDIや音声合成ソフトを購入しましたが、最近ではラップや、ダンスホールレゲエの声だけフレーズ集もあって、とても色々な可能性を感じています。

あと単純に、自動音声って人間の発音より抑揚がないから聞いていて居心地が良く、リラクゼーション効果があるとも思えたんです。

とっても同意です。多分、不気味の谷現象の声バージョンなんじゃないかと勝手に推測しています。

フレイ効果を用いた実践が興味深いこともあって聞いてみるのですが、道徳の貧困化がエスカレートしている現状において、音を聴くという能動的な姿勢と、聴覚自体に潜在する力は、今でも大きな可能性が眠っていると個人的に思っています。美術と音楽の分野をまたいで活動されるノゾムさんは、聴覚が形成する感性の可能性について、何か考えていることはありますか。

聴覚が形成する感性の可能性としては、正直分からないです笑。けど、音にはソナーやエコーロケーションのように探知・探査が出来る機能もあるので、詩的または物理的な探知・探査という役割を超えて、聴覚が他の感覚や空間とマージしてしまうことが普及すると面白いですね。その時、音楽取締法違反が出来るでしょうね。

Boomkatが運営しているThe Death of Raveから今回リリースされたのは、どのような成り行きがあったのでしょうか。

まずこの作品が出来た時、身の回りの大切な人や、その制作に関わってくれた人たちだけに送っていました。そうしたらTCFのラーズが、The Death of RaveのボスでBoomkatのA&RであるConor Thomasを紹介してくれて、すぐに意気投合してリリースする流れになりました。ラーズにはいつも助けられていて、友達だけど少し上のお兄ちゃん、あるいはお父さんみたいな感じがします。今回彼がきっかけで全て繋がっていった縁なので、まずは彼にすごく感謝をしています。それから、Jamse Ferraroから「曲が良かった」という旨の返事が来ていて。彼のokが無かったらリリースすること自体やめていたと思います。

これまで、自分の制作活動においてどのような音楽や美術から影響を受けてきましたか。

もちろん影響はあらゆるものからですが、一番は相棒?友達?兄弟?家族?でもあるナイル・ケティングです。国内外にも影響を受けたアーティストはたくさんいます。あとは稲田禎洋くんと、亡くなってしまったけど、中園孔二くん。身近に世界で活躍するようなセンスを持った人がいたことがとてもラッキーでした。

最後に、今後のリリースや展示の予定があれば教えてください。

9月中に急遽、オーストラリアのLongform Editionsというレーベルから20分以上の作品をリリースする予定です。それから10月の後半からパリで制作をして、11月の14〜18日にイギリスのSomerset Houseで開催されるフェスティバルに出演予定です。規模が大きく、有名なアーティストも何組も出演が予定されています。演奏はメインステージでライブかスクリーニングをするのが一つあります。展示も一つあって、ナイルにパフォーマティヴ・インスタレーションを依頼し、僕もそこでインスタレーションの一部として静物化する予定です。お近くの方は是非お越しください。

Nozomu Matsumoto
https://soundcloud.com/nozomu-matsumoto
https://twitter.com/nozomumatsumoto

Orange Milk: Interview with Seth Graham

「未知なる」音楽を発掘し、輩出する集合体〈Orange Milk〉の姿勢と、その在り方

MASSAGE /
MASSAGE / Interviewer: Kazunori Toganoki, Foodman

国内のセンセーショナルな音楽家のリリースをはじめ、インディペンデントなレーベルシーンを第一線で牽引し続けてきた〈Orange Milk〉。そのファウンダーであり、アーティストのSeth Grahamが待望の来日を果たす(残念ながら、急病の為キースの来日がキャンセルとなり、レーベルメイトであるNico Niquoの代演が発表された)。「未知なる音楽」の発見と輩出、ジャンルの垣根を越えたセレクション、各作品の特性と密接に結びついたアートワークは、アーティスト個人の発信からだけでは現れてこない、作品の新しい価値観や聴き方を集合体の中から提示し、レーベルをオリジナルなものにたらしめてきた。そして生成とアップデートを繰り返しながら、その集合体は絶えず大きく拡がっていく。各公演を「Orange Milk」色に染め上げること間違いない今回のツアーを前に、ゲストとして、レーベルとも関わりの深い、食品まつりa.k.a foodmanさんからの質問を含め、セスにインタビューを行った。

2人の出会いはどのようなものでしたか?レーベルを立ち上げるに至った具体的なエピソードなどがありましたら教えてください。

キースとは、とあるショウで出会って、一緒にバンドを組んで、ライブをしたりしたんだ。12年前のことで、そこから僕らは良い友達さ。昔、僕は“Quilt”という名前のレーベルを運営していて、彼のテープをリリースしたことがある。その時レーベルを始めようと2人で話し合って、〈Orange Milk〉がスタートしたんだ。

レーベルの当初から現在に至るまで、取り上げるアーティストの音楽性やそのラインナップ、ヴィジュアル面において、統一したアイディアや美学が見られます。こうしたコンセプトは、レーベルを始める際に、おふたりで入念に話し合い、決められていたのでしょうか?もしくは段階を経て、具体化していったのでしょうか。

どちらかというと、徐々に具体的になっていったんじゃないかな。自分たちのやりたい事についてたくさん話を重ねて、これまでアイディアにつまることもなく、選択した方向に進んでいったのさ。音楽とアートにまつわるディスカッションが僕たちの周りをいつも取り巻いていたよ。

2人の役割分担はありますか?またお互いのパーソナリティの相違が、レーベルの音楽性に反映されていると思いますか。

キースはもちろん、アートワークのほとんどを手がけている。二人ともレーベルで生計を立てている訳じゃないから、やるべきことはシェアできるようにしていて、もし彼より時間がある時は僕が担当するし、その反対もあるよ。レーベルをやりつつ、音楽を作り、生計を立てるのは結構忙しいから、そういう流動的な分担になっているんだ。お互いのことをよく知っているし、何か一緒に物事をやるにあたっても都合がいい。気心の知れた関係だね。レーベルは、僕ら2人の好みがよい形で現れていると思うよ。

Orange Milk〉はセスとキースの明確な指向がベースにあって勿論成り立っていますが、それぞれの作品が集合体となって新しい音楽の価値や可能性を生み出していく、ひとつの挑戦的なプラットフォーム的な場所として作用しているようにもみえます。根本的な質問ではありますが、レーベルが担う役割の意味とはなんなのか、アーティスト、あるいは運営側両方の視点から教えてください。

レーベルの運営をとても愛しているし、レーベルはアーティストをサポートする場所だと思うよ。〈Orange Milk〉は特に、まだ世間にはノーマークの、未知のアーティストを紹介する場所として提供してきた。もちろん知名度のあるアーティストも好きだけれど、個人リリースよりも大きな範囲で、無名のアーティストが発信するのを手伝う、というアイディア自体とても気に入っているのさ。

リリースする作品を選ぶにあたって、何か基準は設けていますか。

最近はそこまでたくさんのデモをもらっている訳じゃないけど、特に決まった基準は設けてないよ。基本的に音質の高い作品が聞きたいから、わざとローファイな音色を狙ったものには興味がないね。あえて言えば、その点くらいから。

これまでのアーティストや作品の中で、レーベルの方向性を決定づけた重要なものはありますか。

やっぱり、FoodmanやKoeosaeme、Toiret Statusのような日本人のリリースは、〈Orange Milk〉らしい音を定義してくれたと思うね。Kate NVは名前が知られているというのもあって、レーベルの知名度をあげてくれた。個人的には、Hanz Appelvquitのリリースがとても気に入っていて、作品自体面白いし、僕が出したいのはああいうもの。Machine GirlとNoah Creshevskyの作品も大好きだね。バラエティーの幅広さは、〈Orange Milk〉の大きなポイントになっていると思う。簡潔にはまとまっていない美学や視点から興味をもって、ジャンルの裾野を広げていくことがとても好きだし、〈Orange Milk〉らしいアイディアだと思っている。

最近はtropical interfaceやTraxmanといった、ジュークやグライムと関係の深いアーティストのリリースも続いていますが、そういったダンスミュージック的なサウンドにはどのくらいシンパシーを感じていますか?

レーベルをやりながら、自分の興味の境界を押し広げようと意識してきて、嫌いなものに触れたとき、なぜこれが嫌いなのか、よく自分に問うようにしている。ダンスミュージックは好きだし、上手い作り手にも興味があるよ。僕自身は苦手だから作れないけれど、聞くのはとても好きさ。特にすっきりとしない、変な類のものが好きで、聞いていると幸せな気分になるね。

幼少期の頃は日本で育ったそうですが、当時はどんな生活をしていましたか?また当時の経験が、自身の音楽性に影響しているとは思いますか。

とても奇妙な体験だったよ。両親はクリスチャンの宣教師で、僕が6歳の時に日本に引っ越した。2年生から6年生まで普通の公立の小学校に通って、その翌年に生駒にあるアメリカンスクールに入学したんだ。で、4年毎に、僕ら家族はアメリカに戻って、宣教師を続けるための資金を稼ぐために、アメリカ中の協会を回っては、寄付金を募る旅行に出かけたんだ。全ての州を訪れたよ。僕ら家族は常に移動していたし、どこか一箇所に長い期間留まったことがないから、付き合いの古い友達を持っていないんだ。その代わりに、取り憑かれたように、車や電車の中でいつも音楽を聞いてきたよ。僕が音楽と付き合うようになったのは、このライフスタイルがあってだと思う。同じような幼少期を過ごした人はほとんどいないと思うから、どれくらいの影響なのか、確信はないけれど。それと、その時の経験が僕のパーソリティに大きく関わっていることに、今になってようやく気がつきはじめたんだよね。日本にいた時、日本人の文化や習慣、コミュニティーの感性が好きだったけれど、同時に両親からは、アメリカへの愛国心を強く持つよう育てられたんだ。それで小学6年生の時、広島に修学旅行へ出かけてね。そこで、アメリカが多くの日本の犠牲者を出したことを学んで、両親が教える愛国主義とやらは、正しくないかもしれないと思ったのさ。と同時に、アメリカが間違っているとすれば、日本が間違っているという可能性も否定できないと思った。この疑心暗鬼に僕のアイデンティティは混乱してしまって、今まで何にも「本当」らしさを感じたことはなかった僕は、自分自身について、また改めてその「本当」らしさとは何なのか、よく考えるようになった。ゲームみたいなものだね。

(食品まつり) 日本のプロデューサーの作品を多くリリースしていますが、日本のプロデューサーの作る音に感じる特徴やそのアプローチの違いなど、感じるものがあれば教えてほしいです。

全てのアーティストが、自分なりの個性を発揮したスタイルを構築しようとしていると思う。でもどれだけ個人が努力しても、それぞれの文化的背景の影響は免れないよね。一方で、インターネットという場所は、あらゆるトレンドを同質で普遍的なものに変容させてきた。今ある意味では、アーティストによる選択は、個人の出身地や国柄といった条件を超えて、インターネット・カルチャーというひとつの括りに収斂しているじゃないかな。

レーベルを長く継続していくために、意識していることや考えていることはありますか?

長く続けられればと思うけれど、何かに強制されるのは嫌だし、このままの調子で運んでいければよいと思う。

最新作「Gasp」では、様々なクラシカルな楽器と電子音を混ぜ合わせています。全ての曲が非常に小さな音のピースから構成されていて、それを緻密にまとめあげているような印象を受けました。何かモチーフのようなものはありましたか?また録音のプロセスについても教えてください。

初期のアヴァンギャルドなクラシック音楽、特にJohn Eatonという音楽家が大好きなんだ。彼はmass, blind man’s cry, solo clarinetという作品をリリースしていている。面白さと、時々聞いてられないようなひどさが同居していて、謎めいた変な雰囲気もあったりと、個人的にはすごく狂った作品だと思う。あとはIlhan Mimarogluというトルコの電子音楽家が参加しているコンピレーション・アルバムの、彼のこの曲も大好きで。
古いアヴァンギャルド作品の多くが、ほとんど誰にも知られずに姿を消していったわけだけど、こうして形として残った作品が僕は大好きだし、彼らと同じようなスピリットで、制作をしたいと思っている。いま挙げた2つのアルバムに、DPIのMN RoyとRico EPみたいな、コンテンポラリーなコンピューターミュージックの要素を組み合わせて、オーケストラのような複数の楽器音と結びつけたものを作りたいと考えていて、それが今回の「Gasp」なんだ。上手くいったかは分からないけれど、挑戦してみたよ。

音と音の余白が作り出す間も独特ですね。音がない状態に対してミュージシャンとしてどのような考えを持っていますか?

静寂や休止は、後に来る音の展開に期待をもたらすし、音楽的なテクニックとしてとても好きだよ。僕にとって面白い音楽とは、次にどんな音が来るかがこちらで予期できないもの。静寂を用いるのはアクセントをつける上でも良い手法なんだ。ただアーティストとして、静かなもの、あるいはその逆で激しいもの、どちらか一方に偏ったり、完全に区分して音楽を作るのは自分としては難しくて、2つのスタイルを行き来しながら、中間のポジションで作ろうといつも心がけている。

(食品まつり) 以前と比べ現在のアメリカのカセットレーベルのシーンに変化はありますか?

テープのシーンはだいぶ大きく成長したよ。13年前に初めてテープ作品をリリースした時、ほとんどは個人か、ノイズシーンだけに限られていたからね。今、〈Orange Milk〉の作品をテープでしか買わない人が多くいて、とりわけ若い人たちの間ではメインストリームな存在になりつつある。CDやLPの他のフォーマットと同じように扱われているし、どんなスタイルやジャンル、グループであろうが、テープでリリースし、販売することをアーティストは考えているかね。逆にCDは、一部のリスナーからは受けにくくなっているし、ノーフィジカルの時勢でこれまでと同じように受容されるのは難しいと思う。そういう状況だからテープは、フィジカルという形態としても、あとはコレクションとしても面白いんだよね。でももしテープと同じ価格でLPを作れるなら、ほとんどのリリースがLPだけになると思うよ。そんなことは起きないだろうけど。この先もテープがリスナーに価値のあるものと見られるのか、もしそうならテープのカルチャーがどこに行くのか、個人的に興味があるよ。

Orange Milk
https://orangemilkrecords.bandcamp.com

Orange Milk Japan Tour

6/5 tue 21:00 – at Dommune Tokyo
WWW & Disk Union presents Buy Nowers Club feat. Orange Milk
Talk Session: CVN, Yusuke Tatewaki, Dirty Dirt
DJ: Seth Graham, Dirty Dirt
LIVE: emamouse, Constellation Botsu
VENUE / INFO http://www.dommune.com
 
6/6 wed 18:00 – at Forestlimit Tokyo
K/A/T/O MASSACRE vol.173 Orange Milk vs 奴隷船
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, 奴隷船
DOOR ¥2,500+1D
VENUE http://forestlimit.com
INFO https://twitter.com/NOVO_vintage
 
6/8 fri 23:00 – at hikarinolounge Okazaki
OMツアー
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, CVN, 食品まつりa.k.a foodman, fri珍, nutsman, pootee, woopheadclrms, Yusuke uchida
ADV ¥2,500* | DOOR ¥3,000
*前売特典 Orange Milk Japan Showcase Tour 2018 A2 Poster
VENUE / INFO https://hikarinolounge.tumblr.com
 
6/9 sat 14:00 – at Torikai Hachimangu Shrine Fukuoka
0FFICE
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, toilet status, hinako takada, SHX, abelest, hir0))) and more
VJ: chanoma
ADV ¥2,500 | DOOR ¥3,000
VENUE http://hachimansama.jp
INFO http://office314.wpblog.jp
 
6/10 sun 16:00 – at Circus Osaka
Orange Milk Showcase Japan Tour 2018 Osaka
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, D.J.Fulltono, 食品まつり a.k.a foodman and more
ADV ¥2,500+1D | DOOR ¥3,000+1D | U19 Discount+1D
VENUE http://circus-osaka.com
INFO http://popowpowpow.tumblr.com
 
6/12 tue 18:30 – at WWW / WWWβ Tokyo
Orange Milk Japan Showcase Tour 2018 – Tour Final –
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, 食品まつり a.k.a foodman, CVN, koeosaeme and more
ADV ¥2,500*+1D | DOOR ¥3,000+1D | U23 ¥2,000*+1D
*前売特典 Orange Milk Japan Showcase Tour 2018 A2 Poster
Ticket Outlet e+ / RA / WWW
VENUE / INFO http://www-shibuya.jp/schedule/009038.php

Interview with Japan Blues

アジアの音を掘り続けるハードディガーが見つけた、「日本の憂鬱」とは。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Shigeru Nakamura

Japan Blues。日本をはじめとするアジアの音楽を掘り続けるハードディガーであり、ロンドンを拠点とするインディペンデント・ラジオ局であるNTSのホストも務めている。また、〈Berceuse Heroique〉や〈birdFriend〉などのレーベルからリリースを重ねながら、2017年にはついに待望のフルアルバムを自身のレーベルから発表した。ほかにもロンドンのレコードショップ兼レーベルである〈Honest Jons’〉からリリースされた浅川マキに代表される、数多くの日本の歌謡曲のコンピレーションアルバムのリリースに携わってもいる。彼の名前を知らなくても、どこかで彼の関わった作品を聴いたり、目にしている人も多いかもしれない。

彼の名前、そしていつもお面を被ってメディアに登場する彼の姿を見て、「ああ、海外の日本音楽マニアか」と判断する人も多いだろう。彼がコンパイルする音楽の多くには昭和の歌謡曲が含まれているし、なるほど確かに、多くのレーベルから日本の音楽が再発されている現在、彼の試みは「レアグルーヴ」の名の下にまとめ上げられてしまうかもしれない。しかし、彼の名義である「日本の憂鬱」には,単なる(そして懐古主義的な)「日本びいき」を超えたメッセージが隠されているとも深読みできる。彼が愛する昭和の音楽、またレフトフィールドと称される彼の音楽を聴けば、受け手を充足感に包みながらも、居心地のよい真っ白い小部屋に彼らを押し込めるような現在の日本の大衆音楽とはずいぶんと距離があるように感じるのだ。そこには情緒も憂鬱もない。さて、「日本の憂鬱」とは一体どんなものだろうか。

具体的には、彼が「憂鬱」として伝えようとするものは何か、また彼の音楽や取り組みにはどのような背景そして意味が込められているのだろうか。このインタビューはより広く彼の音楽に迫ろうとした試みでもある。彼の見る日本、そして外から見た日本を通して、音楽だけでなくより広い地点から現在の我々が生きるこの国の文化を見るためのヒントを感じていただければ幸いである。

あなたの音楽的な変遷について教えてください。日本の音楽のほかに、どんなジャンルの音楽があなたの現在の音楽スタイルを形成したのですか?あなたが日本の音楽にハマる前に何をきいていたのかに興味があります。

庭師として5年間過ごした以外は、レコード配給の現場で仕事をしていたんだ。流行り廃りや、分派が細かく枝分れしていく様子、そして小規模のホワイトレーベルから始まって、アーティストが世界的に知られるようになっていくのも見てきたよ。子どものころに買ったのは山下勉のLP。レッドブッダのシアターライブを観た後に買ったんだ。そしてその後は、ソウル、パンク、ニューウェーブ、ジャズ、サイケ、「エスニック」な音楽など、またそのほかあらゆるジャンルを覗くようになった。90年代にはハウスとヒップホップのレコードを配給しながら、DJもやっていたこともある。だけど一度もテクニカルだったことはなかった。できたらよかったのだけど、ビートはミックスしなかった。自分のターンテーブル、ミキサーを持ってなかったんだ。日本の音楽をより深く掘り始めたのは、〈Honest Jons’〉でムーンドッグのコンピレーションのために動いていた頃。ムーンドッグの最初の妻は日本人とのハーフで、ムーンドッグ周りのアーティストたちと日本の音楽スタイルで音楽的な実験を行なっていた。その時までに何度か日本に訪れたことがあったので、少しずつ日本の音楽を調べ始め、収集するようになったんだ。

ボイラールームのインタビューにて、日本への出張の時に日本の音楽と出会ったとおっしゃっていました。その時に出会ったレコードの名前、そしてなぜ、どうして印象的なものであったか教えてもらえますか。

日本への出張の際、自分でもどんなレコードを探しているのか分からなかった。そんななか今は無くなってしまった新宿のレコード店に行ったのだけど、そこでグループサウンズのいくつかのリイシューや、寺内タケシのファーストアルバムを発見したんだ。寺内タケシのアルバムは安っぽいGSのレコードより、僕の注意を引いた。特に彼の騒々しくもサーフ音楽と民謡が混ぜ合わされた音楽性に惹かれたんだ。友人たちや、東京の僕の先生、俚謡山脈の方たちに刺激を受けて、僕も熱心な民謡のコレクターになった。そしてまた山下勉へと戻って、再び彼のファーストアルバムを聴いている。

いくつかの日本のレコードをボイラールームのインタビューでは紹介されていました。それらは僕たちのような日本人にとってでさえ興味深いものです。どのように日本の音楽を掘っているのですか?

大衆的になったものも含めすべて、民謡は30年代から80年代まで追いかけたよ。民謡に誘われて、演歌や、60年代のビート音楽やサイケロック、70年代のソウル、ディスコ、ニューウェーブそしてテクノ歌謡まで聴いた。友人たちはこれらのレコードに広くみられるクリアな音や、素晴らしいスタジオ製作についてよく言及している。僕はそれに加えて、歌声に恋しているんだ。個性的な音楽であったり、何か非凡なものにいつも惹かれてしまう。同じように演歌の厳格な型、60年代の日本のロックの荒々しい喚き声、そして肩の力の抜けたはっぴぃえんどの職人らしさや、純真でありつつ散漫なニューウェーブの音から強い喜びを感じるんだ。

Discogsのように、インターネットはレアで素晴らしいレコードを掘る多くの人々に多大な影響を与えるものだと思います。日本の音楽を含めて新しい音楽をどれほどインターネットがあなたにとって重要なものかを教えてください。どのようにそれはあなたの音楽生活を変えたのですか。

新旧関わらずどんな音楽を掘るにもインターネットは決定的な役割を果たしているけれど、今は多くの人々が日本のレコードを探し求めている。だから、ebayで安値でヘンテコな音楽を探していたころと比べて、より競争が激しくなってしまった。最高の日々はもう終わってしまった。現在はレコードそのものの値段に加えて、輸送コストもとても高い。時にはレコード店で直接探した方がいいこともある。店員からオススメのレコードを教えてもらえたり、運があれば値下げしてもらえるから。3年前にNTSで番組を始めたときは、そういう知識はほとんど持ってなかったけど、好奇心だけは強かったんだ。

最初にあなたの楽曲を聞いたときに、日本の古く伝統的な音楽だけでなくYMOのようなシンセポップからもインスパイアされたものだと感じました。とりわけ、その印象はあなたのファーストアルバムで顕著なものだと思います。個人的には、さまざまな時代とジャンルに由来するものたちの美しいコラージュと感じました。あなたのアルバムの基底にあるものはなんですか。また、それらの音楽がどのようにあなたをインスパイアしたのかも教えてください。

クラフトワークからずっと多きな影響を受けているので、YMOは必然的に通る道だった。とはいえ、彼らの作品には好き嫌いはあるかな。YMOのメンバーとそれぞれのバンド外のキャリアの方がより広く、興味深いと思ってる。フロア志向のリミックスを作ったあと、より雰囲気が出るようなものにしようと考えたんだ。アーカイブの中から色々な音を引用して、楽曲の基礎を作り、そしてその場で即興的に音を作っていった。アルバムを通して聴こえる感覚として、日本の暗くてもっとも弱い部分への意識がある。それは観光的なものではなく、日本(そして世界全体)が今のような状態になったことで失った感覚を表している。アレックス・カーの著書『犬と鬼』では、日本の河川がコンクリートで管理されたことについて述べられているんだ。つまり、国を愛せば愛すほど、何を失ったのかをより実感するということ。民謡のもつドローンとリズム、五音音階、そしてほとんどの日本のポップスに受け継がれているその血統に心を奪われているんだ。

近年,日本だけでなくほかの多くの地域からの音楽がますます大きな注目を集めていると思います。個人的には,そのような音楽がある種のエキゾチックなもの,あるいは一般的なものではないからではないかと思います。しかし,あなたのアプローチはそれらとは異なるものだと思っています。何があなたの音楽をユニークなものにしているのでしょうか?

音楽において古く慣習的なスタイルに飽きてしまっている人もいる。つまり、ほかの国々の音楽から自国の音楽に興味が移っているということ。僕のアプローチはそういった人々とは違うと思っている。気まぐれなファッションの流行りに迎合するタイプではないからね。日本の音楽は「単なるクリスマスのためのもの」ではない。NTSの番組では、DJたちがうっとりしてしまうような曲をプレイするかもしれないけど、同時に洒落ているとは全くもっていえないような音楽もプレイするつもり。いつも最大限、プレイする音楽の幅をもっていたいと思っている。レコードをプレイするときも、作るときも、これまでの音楽的な影響が今僕が何をすべきかという方向性を作り出しているんだ。自分と自身のプロダクションやリミックスだと、いつも日本のものをトラックに使ったり、フィールドレコーディングやそのほかの曖昧な音を取り込んでいる。

あなたの写真を探そうと試みると、いつもお面をかぶっていることに気づきました。何か特別な理由があるのでしょうか。「日本の憂鬱」というアーティスト名から,何か特別な理由があるのかなと思ったのですが。何かあなたのアイデンティティのようなものを示すためのものなのでしょうか。

地球上の大多数の人々とは違って、僕はひどいセルフ・プロモーターなんだ。日本の音楽をプレイし広めていく仕事の中でその力を高めるように望んでいるんだけど、僕の顔がインターネット上にあることはあまり心地よくなくて。自分がやらなくても、顔をネット上にさらされることは手に負えないほどあるからね。それで、まず骨董品の張り子のお面を使ったんだ。その後、ちょっとした中毒になってしまって、大量のプラスチックのお面を買ったわけ。鬼だけではなく、ウルトラマンのお面も買ったよ。近年、ミステリーがこれまで以上に重要なものになっている。誰もかれもが何を食べたのかや日常の退屈なちょっとしたことをシェアしているからね。僕たちにはもっとミステリーが必要だと思う。

たくさんの日本のおもちゃがボイラールームのインタビューでは映っていました。音楽だけでなく,ほかの日本文化にも興味があるのですか。

怪獣にハマってたんだ。日本は独自の怪物を生み出すことに関しては間違いなく世界を牽引しているね。こういった狂気的な創造物にハマることには逆らえなかった。もちろん、古い怪獣のフィギュアがとてつもない高値になっていることは、まんだらけでみたから分かっている。僕は日本映画の熱狂的なファンでもある。最初期は、例えば黒澤明や小津安二郎、溝口健二、そして今村昌平などの60年代のアンダーグラウンドな映画から、そして今は是枝裕和の映画。彼は現代の映画監督では最良の人だよ。今の新しい作家の作品は十分には読んでないけれど、川端康成や太宰治、そして三島由紀夫にも心を奪わた。いつも日本文化と、日本史のさまざまな側面に興味をもっている。日本食については話し始めたらキリがないのでやめておこう。

日本、もしくはほかのアジア諸国の面白い音楽があればぜひ教えてください。何かレコメンドはありますか。

NTSの番組で僕が面白いと思ったものは全部聴くことができるよ。老婆が遠い島でアカペラで歌うフォークソングであれ、チンドン、もしくは子ども向けの漫画の音楽であっても僕はいつも探している。僕は韓国音楽びいきでもあるし、ほかのアジアの音楽も持っている。ほとんどは60年代、70年代のもので、ビート音楽やポップスが多い。たまに日本のアーティストの楽曲もカバーされているよ。韓国のサイケデリック・ミュージックもこれまた素晴らしいんだ。

Iku Sakanとはどのように知り合ったのでしょうか。彼のアルバムをリリースしようと思った理由は何ですか。

最初にIkuと会ったのは僕が歌舞伎町のBE-WAVEでSoi48がプレイした時だ。ちなみに新宿は音楽的にとても重要なエリアで、もちろんその歴史はすでに消えて無くなってしまったのだけれどもね。雑談している中で、彼が基本的にはベルリンに住んでいることを知ったから、ドイツに行った時に一緒に過ごしたんだ。その後、彼とPekka Airaksinenが対バンするギグをロンドンのカフェOTOで企画したよ。その時は本当に魔法がかかったような夜で、両者とも本当に素晴らしいセットを披露したんだ。そのライブの告知のために、僕はIkuに自分のラジオ番組で数曲プレイしてもらったんだけど、テンションを高めてくれるオリジナリティに溢れた曲たちにとても刺激を受けてね。それがきっかけで僕はIkuに楽曲のリリースを持ちかけてみたんだ。実際のところ、どれだけ人々が彼の音楽に興味を持つか確証はなかったのだけれど、一定の人々が熱狂的になっているのを知った時は本当に驚きだったね。今後いくつかの作品をリリースすることを予定しているよ。

https://www.nts.live/shows/japanblues

Interview with Visible Cloaks

日本のニューエイジを通過した、新しいアンビエント・ミュージックの姿。
Dip in the Poolとの共作「Valve」からみえてくる、その音楽愛と試みとは

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Kazunori Toganoki

ポートランド在住、Spencer DとRyanの二人によるVisible Cloaksが先月ブルックリンの〈Rvng Intl〉から二曲入りシングル「Valve」を発表した。2014年に出たファースト・アルバム「Visible Cloaks」ではヴァリエーション豊かで丸みのある電子音楽を聞かせてくれた彼らであったが、今回の作品ではかねてからファンであったという甲田益也子と木村達司による日本人デュオ、Dip in the Poolとの共同制作に挑戦している。甲田の特徴的な日本語の歌詞に呼応するように振動とビブラフォンが沸き起こり、いくつかの環境音、フラットなシンセ音がそれを包んでいく。音と音はぶつかり合うようでいて、ゆるやかなテンポのもとにひとつに溶解しあい、奇妙な「調和」を生み出している。Brenna Murphyによる、美しい彩色とデジタルの立体性が印象的なジャケットワークも、彼らの音楽性を見事に視覚化し、その調和に加担する。今回の作品に応じて発表されたヴァーチャルメディアソフトをインストールすれば、このジャケット内の空間を自由に動き回ることができ、より「Valve」を多次元で楽しむことができるので、チェックしてみてほしい。

全体を通して見受けられる「調和」のどこかに、私たちは日本的な何かを嗅ぎ取ることができるが、メンバーのSpencerは自身の音楽制作に大きく日本の音楽から影響を受けたと公言しており、レコード・コレクターでもある彼の知識はとても豊富だ。数年前には80年から86年まで限定のジャパニーズ電子音楽/アンビエントのミックスアルバム「Fairlights, Mallests, and Bamboo」を発表しており、これまで開拓されることのなかった、未知で、異国の「ニューエイジ」の存在を人々に知らしめた。西欧の人間だけではなく、当の我々にとっても刺激になるような曲ばかりなので、ぜひダウンロードして聴いてほしい。

彼らの音楽に胚胎する、深い日本のニューエイジへの造詣と、それらをリヴァイズさせた新しいアンビエント・ミュージックの在り方、そして現在のポートランドについて、メンバーのSpencer Dに訊いてみた。

Valve / Valve (Revisited) by Visible Cloaks

Visible Cloaksはどのように結成されたのでしょうか? それまで異なる名義で活動はしていましたか?
はじめはソロ名義として“Cloaks”として活動していたのが途中で“Neon Cloaks”になり、メンバーにEternal TapestryのRyanが入ったタイミングで“Visible Cloaks”という今の名前になったよ。Cloaks/Neon Cloaksをやっていた時は、結構な量の作品をリリースしたんだけれど、全てEasel Recordsという日本のレーベルからのみリリースされていて、アメリカでは手に入らないんだ。きっと探せばすぐ見つかると思うよ。

「Valve」は最近アムステルダムのレーベル「Music From Memory」から12インチシングルがリイシューされ、話題を呼んだ日本人デュオのDip In the Poolとのコラボレーション作品です。このプロジェクトがどのように始まったのか、教えて下さい。
うーん、話すと少々ややこしくなるんだけれど、僕たちが最初Dip in the PoolのMiyako Kodaのヴォイスを彼女のソロアルバム「Jupitar」からサンプリングしていた時、〈RVNG〉のマットがもう一人のメンバーである木村達司とあるプロジェクトで関わりがあって、僕たちの代わりにサンプリングの使用を許諾してもらったんだ。そうするとマットは単なるサンプリングだけでなくて、一緒に彼らと曲を作らないか、とアイディアを出してきて、そのおかげで僕と達司の間で、メール上のファイル交換を通しての作品作りが始まったのさ。益也子はそこに新しい歌詞とヴォーカルをのせてくれたよ。

この作品にはアンビエント・ミュージックと日本的な美学の調和が感じられるように思います。どのようなアイディアがあなたの頭にありましたか?
「Valve」は日本語と英語という二つの言語を用いながら、それらをMIDIへと落とし込んだ一連の実験作品のひとつなんだ。なだらかな展開と余白を含んだメロディーは、益也子の豊かな声のリズムから来ている。そこにペンタトニックスケールを使うことで、複合的に組みあわされたサウンドが生まれるんだ。音色に関しては、日本の音楽、とりわけ小野誠彦(清水靖晃や吉村弘、そしてDip in the Poolらを手がけている!)がミックスしている作品に影響を受けているね。輪郭を鮮やかに浮かび上がらせるような音像と、彼の録音物が持つような立体感、奥行に近づけようとした。

Brenna Murphyが手がけたデザインが素晴らしいですね。不思議と音楽にリンクしているような気もします。何かヴィジュアル面において担当した彼女に注文したことはありますか?
ただ僕の思ったいくつかのことだけ聞いてこれを描いてくれたんだ。明確な指示はしていないよ。彼女とはもう何年も共に作品を制作していたから、お互いの気持ちが自然と伝わっているのかもしれないね。

valvecover

使っている楽器を教えてください。
だいたいはPCで、そこにいくつかシンセとビブラフォンを足すぐらいかな、相方のRyanはYAMAHAの楽器のコントロール用にWX11を使っている。

あなたは日本の音楽、中でも清水靖晃や吉村弘、細野晴臣らといったニューエイジのアーティストらがお好きなようですね。実際にあなたの作る音楽に影響は与えているのでしょうか?
君が挙げたその三人は確かに僕にとってはとても重要な人物だね。アメリカでも彼らがどれだけ偉大なのか、人々がようやく最近気がつきはじめたところで、僕は早い段階で知る機会に恵まれていたから、このタイムラグに驚いているね。

〈RVNG〉や〈Leaving Records〉、〈Aguirre〉、〈Music From Memory〉といったレーベルらが主体となってここ数年で起きている、リバイバル・ニューエイジのムーブメントについてどう思われますか?
日本のニューエイジはまさにファッショナブルだけれど、それはなにもアンビエントやニューエイジといったジャンルだけではない。賞賛に値すべき音楽だから、一時的な流行で終わらないことを願うだけだよ。最近のニューエイジに集まる関心についてだが、バイヤーのAnthony PearsonとDouglas Mcgowan(2013年にシアトルのリイシュー・レーベルLight in the atticからリリースされたニューエイジのコンピレーションアルバム『I am the Center』を監修)、アーティストであるGreg Davisら、この三人が最初にその素晴らしさに気がついて、ブームの火つけ役となった人物だ。彼らは三人ともカリフォルニアで育っていて、ありとあらゆるレコード、そして異種混合化された文化に幸運にも触れることができたのさ。カリフォルニアがカルチャーの再盛期だった時だね。

普段ポートランドではどのような場所で演奏を行っていますか? Xハーチ(ポートランドの実験的なアーティストらが集うインディペンデントな共有スペース。元々教会であった場所を改築して、現在はヴァーチャル・メディアを用いたイベントや、アンビエント・ミュージック限定のショーなどを不定期で行っている)界隈の人たちと関わりが深そうに思えますが。
そうだね、Xハーチはできて以来、ずっとプレイしているお気に入りの場所だ。とても良いところだよ!RyanとBrenna Murphyが関わってVRのイベントも開催されているね。他で言えばHoloceneでもよくプレイしているし、S1ギャラリーも好きな場所だよ。

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ポートランドにはMSHRやGolden Retriever、Grouper、Pulse Emitter、そしてあなたたちVisible Cloaksといった独自の音楽を追求しているアーティストがいますよね。ポートランドの電子音楽のシーンについてどう思われますか?またそういったポートランドの環境や土地性はインディペンデントな文化を育むに適しているのでしょうか?
君が挙げた人たちはみんな友達だけれど、BirchとBrennaは悲しいことに活動場所をニューヨークに移してしまったし、Grouperのリズは今オレゴンの海岸の方に住んでいて、街の方に来ることはほとんどない。そういったアーティストたちは個別にはいるけれど、電子音楽のシーンはまだまだ限られているよ。あくまでポートランドのシーンの基盤になっているのはロックやパンク、ハードコアといったジャンルさ。周縁のサブカルチャーを維持していくにはこの街は十分な大きさではないから、音楽活動だけで生計を立てるのは実際難しいのが現状だ。

あなた達のファースト・アルバムは昨年ポートランドに新しくオープンしたレコード屋でもある〈Musique Plastique〉からリリースされていますよね。
そこを経営しているTonyとLukeとは昔からの友達なんだ。かつて街のレコード屋でバイヤーとして働いていたことがあって、レコード屋を経営している知り合いが多いんだ。クリントンストリートにあるLittle Axeというレコード屋も素晴らしいよ。

最近のお気に入りの作品をいくつかリストアップしてください。
10枚を挙げるとすれば、
Hamlet Gonashvili – Georgian Folks Songs
Pepe Maina ‎– Scerizza
You’re Me – Plant Cell Division
Studio der frühen Musik – Vox Humana
Instrumental Music of the Kalahari San
John McGuire ‎– 48 Variations For Two Pianos
Gabriele Emde ‎– Die Natur Der Klänge – Neue Musik Für Harfe
Les Halles – Transient
Mayumi Miyata and Midori Takada – Nebula
Luis Cilia ‎– A Regra Do Fogo
かな。ちなみにSeaver and Witscherというポートランドの二人組が作る音楽は素晴らしいよ!

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Interview with Kari Altmann

ネットワークに接続したイメージをかき混ぜ、新しい生態系を作り出すKari Altmann。
アーティストはフィルター、そしてレンズになる。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Translation: Noriko Taguchi, chocolat, Goh Hirose

Kari Altmannというアーティストの作品をひとことで言い表すのはとても難しい。彼女のプロジェクトの多くが、音楽やデジタル画像、そして立体や映像、印刷物といった考えられうる限り最も幅広いメディアを複合的に組み合わされたものでできており、その表現のアウトプットもInstagramからTumblr、Soundcloud、実際の空間を用いたインスタレーションなどといったさまざまな場所に、ときには時を超えて存在しているからだ。

その作品から受ける印象は、とても皮膚感覚的なもので構成されているように思う。例えば複数の画像からやってくる、共通の触感であったり、色彩。またそこにある差異や、違和感。これらが独自のイメージ言語となり、これまで感じたことのないような感覚を創出している。リブログ的な画像から、自作のグラフィック、さまざまな要素が織り交ぜられるそのスタイルは、イメージが著者性という束縛を超えて、まるで自分自身の生態系を作り出しているかのようである。

彼女はこのインタビューで、多くのプロジェクトは継続的で散発的に成長していくものだと述べている。こうした制作の姿勢は、単一の物語に解釈されることへの抵抗のようにも見えるし、あるいは結果として既存のアーティスト像をそれが更新するものだとしても、そうした姿勢こそ現代という多メディアな環境を生きるわたしたちの自然な表現形式の一つということに過ぎないのかもしれない。

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Soft Mobility Video Teaser Editorial for ArtPapers Magazine

実際の展示だけではなく、TumblrやSoundcroudなど他のメディアへ作品を拡張させていくのがあなたの作品の特徴だと思います。そのような活動形態になったのはなぜでしょうか?

それはとても自然なことだったんです。形式は探究すべきだし、理解すべき。メディアやプラットフォームにしばられることには興味がないんです。主に心理的、社会的色彩、声あるいは前口述的なエネルギーを、自分は作品に込めたい。そうすればアウトプットが何であれ、理解できる。唯一の問題は、産業が追いついてないということ。だから彼らは1つの種類の仕事やカテゴリに制限しようとする。少なくとも今わたしたちはこうした制約から逃げられるプラットフォームを手に入れた。でも、ほかのものと同じようにプラットフォームにも限界はある。これがミックスしたり、全体性を保つことがよいことの理由。

またギャラリーとオンラインでは異なるシステムがあり、また異なる観客が存在していると思います。あなたはその二つの間を往復しながら、その二つにどのように折り合いをつけているのでしょうか?

それは作品によります。ギャラリーやイベントのためと同様に、エディトリアルや公共の場所でもたくさんのことを行ってる。まだその全部をエクスポートしているように感じる。それから、ほとんど作品は柔軟なフォーマットで印刷されたり、もしくはオンデマンドのみで発表されることが多い。目の前で触れる手仕事の部分を作り出すまで、人々にそれを見ないように交渉することは難しいけれど、状況はよくなってきている。すべての印刷物は、社会的、地理的および経済的な状況を、なんらかの方法で反映しているような気がする。旅を始めるとき、あるいは多くのスタートアップと作業し始めたとき、それは本当に面白いことになる。私はギャラリーで妥協したり、創造的なソリューションを明らかにしようとするけれど、その壁の内側にある物流構造にはまだ制約がある。だから時々はそれと戦って、乗り切らないとならない。願わくば、それが長い目で見て、私のあとにやって来る似た実践を行うアーティストや、自分自身のためになればと思ってる。

それに加えて、私はいつもウェブや映像、携帯機器、パフォーマンス、音楽などに戻っていく。私はEuro-GalleryやC.A.D.(Contemporary Art Daily / Computer Aided Drafting)スタイルの印刷だけやることにはプレッシャーは感じない。シェアできるものを作るのが好きだし、玄関をくぐって行くのではなく、瞬時に見ることができるものを作るのが好き。自分のやっていることをアプリ開発者のように考え始めている。あるいは自分のプロジェクトを様々なフォームに形を変えるデバイスやコード、集合のようなものとも考えている。自分のウェブが存在して、自分のアイデンティティを管理できている限り、個々の部品とそれらのメタイメージを、すべて一緒にするように設計を同時に保つことができる。親密な友人と同じように、自分の作品や、そのタグやイメージを世界中の人々にシェアすることは、みんなのもう一つの現実になり始めている。

あなたの作品は企業文化が作り出してきたテクノロジーや、ブランドが作り出してきたイメージを再利用しているものが多く存在します。あなたがそれらを作品化する方法論とはなんでしょうか?また、それらを作品に使用する際に気をつけていることはありますか?

私はどんな言語やイメージでも作り出すし、考察する。そこにはさまざまな理由がある。私はそれが理想主義者の美しさや、現実逃避であるかぎり、浅ましい魅力も、良性のストレスも信じている。コンセプトや共感するやり方において、ほんのちょっとショッキングなもの、怪しいものや実際に未加工で、原始的に感じるものが本当に好き。でもその背後には、より大きな感情的で哲学的な可能性があるべきだと思う。たくさんのレベルがあって、最初に引き込まれたり、あるいは反発のあとに時間をかけて解かれる、そしてもっと大きな領域に連れ出してくれるレイヤーのあるものが大好き。私は実際にその展開と目的について考えている。そして実際に自分が扱うマテリアルと一緒に暮している。

私はまたクトーニアン(クトゥルフ神話に登場する架空の種族)の海賊版、トロール美学、とても微妙な、あるいは説得力のある、まだ捉えられたことのない、ニッチな言語の中にいる。会社やブランドだけからではない。多くのタイプの言語、言葉遊び、生き物の写真や、携帯用のソーシャルメディアの写真、絵画の比喩、DJの比喩、CGIのキャラクターデザイン、セルフィー、あげ始めたら終わりがない。でもブランドは、偽りの普遍的な記号。ぞっとするほどね。ある人々にとってはほかのものより読み取りやすく、捕まえやすい。それは見過ごしやすい部分。

私はブランドを恐れてはいない。それらはミーム、そして記憶と本質的には同じだから。それらはアイデンティティ、そしてメタ・イメージがどのように働くかの方法。自分の作品はそれに触れる可能性があっても、ブランドや会社やテクノロジー、インターネットあるいはアルゴリズムに「ついて」の作品ではないと50回はいい続けたい。これはメタ・イメージ、共同ファンタジー・イメージ、そのソフト・パワー、そのミーム学、彼らの適応、そのハイブリッド状態、そして生存についての作品なのです。ブランドではなく、これらのメタ・イメージを参照すれば、企業への参照の鎖を断ち切れると思う。

私はハイパー資本主義、そしてさらに共同社会のオフグリッド、あるいはアンダーグラウンドのスペースやイメージで育ってきた。私にとって、そして私の周りのグループに機能する、何らかのイメージのシステムをいつも作り出そうとしてきた。だから私の言語は、その状況と環境を反映しているのです。

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HITASHYA, 2013-PRESENT
AUDIO, VISUALS, PERFORMANCE, INSTALLATIONS, VIDEO, ETC.

去年公開された最新のプロジェクト「XOMIA」について伺いたいと思います。あなたの作品の特徴であるテクノロジーへのファンタジーと、さまざまなメディアを横断した表現が高度に結合した表現であると感じました。もしよければこのような複雑な展示が生み出された背景について教えていただけますか?

「テクノロジーへのファンタジー」という質問への答になっているかは、わかりません。たぶん再定義を見込むなら、あるいはもっと柔軟な境界においてなら、それを理解できるかもしれません。

https://en.wikipedia.org/wiki/Zomia_(geography)

間違いなく不吉で、崇高な、優しい、そして同時に共感できるもののはず。展示されているものの幾つか(例えばFlexia映像の中の用語)は、とても恐ろしくて、怪しい。あるものは本能的で、あるものは静かで快適で、あるものは哀れで、笑えるもの。ほかの反応、参照や読み物の範囲の真ん中に位置しないとならないある種類の、瞬間的な生物学的な衝動をそのすべてがかき混ぜる。あなたがそこにいられたら、瞬間そこで生き、異なるリアリティに侵入することができるでしょう。

私は共同のファンタジー・イメージが、どのように周りにあるものをなんでも一緒に使用するようになって、地域や集団を作り出し、生物学的条件を作り出し、そしてあるいはその周りにある新しい土地、周りにある変化する場所を見つけるために適応し、動き続けなければならない、さまざまな力の対象になるのかについてたくさん考えてきた。メタ・イメージ、ネットワークに接続したファンタジー・イメージは、極めて重要な衝動であり、それは道を見つけるでしょう。だから、あなたはまたこれらのものごとが魅力の生態系とコード化された領土を確立する方法を、そしてどれだけ多くの異なる種類のものが混ぜられた地形で戦い抜くのかを、見なければならないのです。極めて多くの層やフィルタ、極めて多くの印象があります。私も内部レベルでは、DIYソフトのパワーと、境界の戦争について多くのことを考えています。でも、たぶん最初の世界環境内では、生き残るもの、曖昧さ、居所のなさを感じます。

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XOMIA (Return Home, Realflow, All Terrain) installed at Ellis King, 2015

最近どんなものに惹かれますか? アートでなくてもかまいません。

あらゆるものにある種のディズニーフィルターがあるのを観察し続けてる。たぶんそれは、春の汚染を通過した最新のHDの光る表面、あるいは携帯をアップグレードしないとならないということかも。わたしは再び、自分の目を更新したのかもしれない。光沢、宝石の音色、曲線、動いてると感じるもの、液体、かわいすぎるもの。その下には何かが潜んでいる。自分が見た韓国ドラマやインドの映画の多くにあるものを、わたしはパレットとして考えてる。ドバイでもそういうものを多く見た。「Hitashya」と「Ttoxhibaa」はそこに近づいている。地面を耕す、コアに浸透するファンタジー画像について、そして仮想現実のようなものがどのように文化に働くかについてたくさん考えている。私はレンズ、フィルタ、コードやコアに戻り続けている。境界と倫理について、感情の労働、そして最近の知性についてもまた、たくさん考えています。

もし今後の予定がありましたらおしえてください。

私はリニアなやり方で働かない。いつもマルチタスクで、季節のように、気分、そしてオーディエンスによって、その日ごとに注意をどこに注ぎ込むかを決める。自分のプロジェクトの多くは、ライブあるいは休止状態、そしてレイヤー化できる個人的なモードとして考えている。それらはまた、すべてが完全に死んでいるのではなく、時間をかけて進化します。

自分の作品はみな最終的な目的や(多くのリソースが必要になる)ショーに直線的に向かうよりも、散発的にアップデートされ、オンデマンドのプレゼンテーションに書き出されることが多い。あるいは最終のファイナルショーはわたしの人生の終わりかもしれない。ここで言っていることは、「XLTE」や「HITASHYA」、「SOFT MOBILITY」、「SUPPORTMELIKETHIS」、「ON HATCH」、「GARDEN CLUB」、「ABUNDANZIA」、「HANDHELD」、「VALUE SHIFT」、「ROMANTIC GESTURE」、「RESTING POINT」といった、順番待ちになっている現在のモードのこと。

実際に言ってしまうと、これは「HITASHYA」の影響を大きく受けているだけど、音楽に集中する予定。それから、「Soft Mobility」のためにペインティングや、短い脚本やパフォーマンスを作っている。春にはいつも「Garden Club」がアクティブ。天気があまりにも熱で変色するなら、血液が表面に登ってきて数週間は完全に「XLTE」の期間になるわね。

Kari Altmann
http://karialtmann.com/

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動きが自由をつくり出す

Interview with YAYA23

DJ、レーベルオーガナイザーのYAYA23。旅をしながら音を追求する、
そのライフスタイルが切り開くもの。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview: Destr∞y, Text: Yusuke Shono, Translation: chocolat

ノーオーガナイズ、ノーマネーシステム、ノーコマーシャリズムを掲げる自由参加型のレイブ、「テクニバル」。その非商業的な文化の可能性を追いかけ、ベルリンにまで移住してしまったdestr∞y。彼についての記事を書いたのは、MASSAGE 9の記事でのことだから、もう数年前のことになる。311以降の日本は随分と変わってしまって、エクストリームな遊びを追求することも今の気分ではなくなってしまった。そうこうしているうちにここの文化は、コマーシャリズムに覆われ、なんだか平板なものになってしまった気がする。

そんなふうに停滞している間にも、外の世界ではあたりまえに、毎日新しいものが生まれ、そして進化していく。そういうものに共鳴するなら、飛び込んで行って、その創造の現場の一員になってしまえばいい。守るものが多い生活をしていたらなかなか簡単なことではないけれど、そうした冒険からしか次の世界は切り開かれない。そんな世界に行きっぱなしでなかなか帰ってこないdestr∞yが、どういう人たちと、どんな生活をしているかに興味があった。

その日常については以前に触れたので、今回は彼が出会った人物に焦点を当てたいと思う。そんな彼が選んだ人物は、ベルリン近郊最大規模のサウンドシステム・コレクティブ “CYBERRISE” のオーガナイザー、YAYA23だった。これはdestr∞yがYAYA23に話を聞いたインタビューである。西ヨーロッパを旅しながらテクニバルのオーガナイズに携わり続けてきたその彼の、旅と音楽の共通点、そしてそのライフスタイルが切り開いたものとは。

※テクニバルについての解説記事はこちら

どのように音楽をプレイし始めて、どのようにサウンドシステムを始めたんですか?

90年代はじめ、スケートパンクから、ジャングルや、トリップホップ、ビッグビートなどのいろいろなサブカルチャーに興味があって、既にその頃から西ドイツのクラブでレジデントDJとして、インディーロックや、パンクのパーティなんかでプレイしていたんだ。そして初期トリップホップや、初期のジャングルと、ドラムンベースなんかも入ってき始めて、その頃やっていたレジデントパーティー “refoundation night” でエレクトリックビーツを、DJセットに入れたりしていた。その辺が自分にとって演奏者としてのエレクトリックミュージックとの最初の繋がりだったと思う。

その頃はまだCDや、ミニディスクとかで、プレイしていた。で、95年頃からレコードを買い始めて、その頃はビッグビート、トリップホップ、ドラムンベース、ジャングル、その辺の音はちょっと変わった音だった。それでブロークンビーツや、速めの音なんかをダンスフロアーでかけてたんだ。ほかでよくやってるような初期アシッドハウスとかじゃなくて、ブロークンビーツのBPM 170くらいの音とか、そういうのをかけてた。

で、その頃、既に小さなバンを持ってて、バンと共に動くっていうアイデアが好きだったんだ。どっかにバンを停めて、そのままそこで寝たりしてたんだよね。クラブの前に停めてたときとか、クラブから出て来たら、その目の前に家があるっていう。森に停めて、そこで音楽を聴いたり、すでにそういう風に生活をしていた。そして90年代後半、交換留学プログラムの奨学金が取れたので亜熱帯農業の勉強をしにイタリアのボローニャに行くことになって、ターンテーブルとレコードをバンに乗っけてイタリアへ。

音楽をプレイするっていうのは人間が持っている衝動の一つだと思う、少なくともオレの場合は衝動という形だった。なんていうか自分にとっては、音楽をプレイしたいっていう感覚は、自由への衝動のようなものだったんだ。自分は、とても強固な自由という感覚に対するフォーム、つまり精神的自由を、音楽を通じて経験しているって思っていた。

そこで、はじめてほかにも自分みたいに、音楽をバンに乗っけて旅している連中に出会ったんだ。その頃、最終的にメチャクチャデカいウェアハウスパーティにたどり着いて、他にもBPM 160〜180の音が好きで、でっかいサウンドシステムをバンに積んで旅してる連中に会ったんだ。スピーカーをトラックに積んで、旅を続けながら、そんな感じで音と付き合っていくっていう、ヤバくない?それはメチャクチャダイナミックで面白かった!

その頃は、フリーパーティで、ドラムンベースとジャングルをミックスしたりしてて、でも4/4の低いベースがブロークンビーツの下で鳴ってるやつも好きだった。それはドラムンベースと、速いステップと、グルーブのあるやつの組み合わせだったり、または4/4キックの瞑想的で反復するモノトーンベースだったり、そういう音がオレの耳に素晴らしい結果をもたらしてくれた。それで、ジャングルや、テクノをミックスし始めるんだ、速いヤツ、フリーテクノに続いていくようなやつ。フリーテクノは、テクノの4/4キックのベースライン、それにエナジェティックで、ノレるグルーブが乗っかっている音。そういうのが本当に好きになった。この辺が90年代中盤にイタリアのウェアハウス パーティでレコードでDJし始めた頃の話。瞬間と音楽を乗っけて、移動し続けて、それを旅の中で自由へと昇華していく。これはテクノムーブメントとは違うカタチだったんだ。

cyberrise+kirrewit

それで、サウンドシステムと旅をミックスし始めた頃は、どんなことを考え、どんなことをしていたの?

音楽をプレイするっていうのは人間が持っている衝動の一つだと思う、少なくともオレの場合は衝動という形だった。なんていうか自分にとっては、音楽をプレイしたいっていう感覚は、自由への衝動のようなものだったんだ。自分は、とても強固な自由という感覚に対するフォーム、つまり精神的自由を、音楽を通じて経験しているって思っていた。それは自分が直面している日々の生活や、自分が生まれたこの社会の中の境界を飛び超える何かへ駆りたたせたり、想像させてくれたりするものだと思う。だから音楽は、いつでも精神的な旅の一つのカタチだったし、自由ということ自体に対するとても強度の高い表現だと思うんだ。それは精神の乗り物とも言える。

同じ類いの自由への衝動の表現は、実際に動き続けることにも見つけることができると思う。ただ毎日、A地点から、B地点へと移動するんじゃなく、そういうものに囚われず動き続けること。それは社会から与えられたパターン、例えばフェンス付きの家だったり、Aから、Bへと、ただひたすらと走り回ることだったり、そういうことではなく。この障壁を飛び超えるために、常に枠にはハマらないで、色々な動き方で、動き続ける瞬間を続けていくこと。そうすることで自由がハッキリし始める。

いつでも、自分のハートが連れていってくれるところへと動き続ける。そういう自由への衝動。精神的自由は音楽を通して勝ち取ることが出来る。音楽を通過したリズムのある自己表現なんだよ。それに日々の物理的移動を通した自由。例えば、違う場所に行って、違う場所で寝て、自分が居たいと思うだけいてみて、自分で合わないなと感じてきたら、自分の行きたいところへとらわれずに何処へでも行くことが出来る。そういう音楽から得られる精神的自由と、物理的移動の自由の組み合わせは、古代から人間が持つ重要な衝動だと思う。実際の物理的移動が音楽を通過して、音楽と一緒に移動していく、それはどんなものにも縛られない想像力と楽しみの組み合わせだと思う。そこから創られるアウトプットは計り知れない。とても自然でユートピア的、かつ同時にとてもリアルなことだと思う。

この二つの自由へ衝動を組み合せるのは素晴らしいと思う。この地球のビートに乗って地球を周っている間に、それはオレたちを音楽にノセていく。なんていうか、音の瞬間にいる間に自然に勝ちとられる組み合わせなんだと思う。

そう、これが90年代。同じような衝動を持って、トラックで音楽と共に旅する連中に出会った。その間一度ドイツに戻って、サクッと農業工学のマスターを取って、それからは自分も基本的に路上に居続けたんだよね。CYBERRISEに関わる全ての人は、みんな道の上で出会った。で、スピーカーを作り始めたんだ。CYBERRISEサウンドシステムは、一つの場所や、一つの国から始まってるとはいうことが出来ない。全てのスタイルや、やり方、そしてその構造は、全て道の中での出会いで生まれた、そしてそこにはサウンドシステムのクルーもいたんだ。どんな時、どんな場所でも、そして特にどこかでもない。路上の動きを通過した自由の為の主張なんだ。

それで最初の数年間、オレらはイタリアのボローニャと、フィレンツェの間の標高1000mのアペニン山脈の、すごいいいロケーションにスタジオを持ってて、そこでさらにスピーカーを作って、サウンドシステムをやり始めたんだ。そのあと大きいトラックを手に入れたり、ゆっくり準備しつつ、もっとスピーカーを作っていったんだよね。そこはヨーロッパを旅している間の家兼基地というか、中間地点だった。

フリーパーティ、テクニバルから生まれて来た音楽や、そのリリースのスタイルについてどう思いますか?

そうだね、テクニバルやフリーパーティで見つけられる最も個性的な音楽のスタイル、そのスタイルをフリーテクノって呼びたいって思う。それはクラブシーンから独自に進化したアップテンポなテクノのバリエーションの一つで、旅や、道の経験の中で進化し、実際の動きを通過してきたもの。ブロークンビーツや、ジャングルと、4/4キックベースを組み合わせたもの、もっとレイヤーがあるものとも言える。4/4キックベースの単調さだけでなく、ブロークンビーツが乗っかって、常に二つ目のステップが強調されている。個人的には、フリーテクノは馬に乗ってサバンナか、ジャングルをかけているような気分にさせてくれる。とてもエナジェティックでノレるトライバルなテクノなんだ。それは、今オレらにとっては、アマゾンのインディアン達がやっていたこととして知られている、シャーマン達の儀式的なドラムの様な感覚をオレ達に思い出させてくれる。

例えば、アヤワスカの儀式に見られるような感覚なんだと思う。そして今オレ達にはBPM 180、190、200のリズミックドラム「ドゥフッ ドゥフッ ドゥフッ ドゥフッ」がある。これらの儀式に必要な精神的高揚感を作り出す反復されるドラムがあるんだ。そしてフリーテクノの速さや、そのスタイル、そしてフリーテクノで使われるサウンドには、シャーマン達の儀式みたいな感覚がたくさん残っていると思う。本当にそんなふうに思うんだよね。オレたちは、集合的催眠効果を、想像力を通過して、精神的リズム表現を通って、ダンスフロアーという人々が踊るために集まった場所で、恍惚状態で体験している。そこには確実に太古の儀式のドラムとの繋がりが、フリーテクノにはあると思う。

でも今日では、いろいろな違うスタイルもプレイされている。テクニバルで改良されたさまざまなスタイル、ブレイクビーツや、エレクトロ、ハードコア、どんなスタイルでもプレイされる。そして勿論、そのスタイルは基本的に普通のクラブシーンの流れや発展とは、つながらないことが多い。もちろんいくつかのチューンは、クラブのメインフロアーでもプレイされて来たし、それは否定出来ない。

でもプロデューサーやアーティスト、彼ら自身がライブセットを創り上げプレイしているし、その自由なバックグラウンドから音楽を作っている。彼らはいつも普通とは違う感覚の最終的リリースを持っていて、その後、その類いの自由の経験を持たない人々からリリースされる。そしてリリースは、とても多様で幅が広いし、アーティストはもっと広い視野を持っている。リリース自体からもそれを感じることが出来るし、リリースされたものからその感覚を追体験するようなことが可能だと思うんだ。そして幸運で嬉しいことに、いろんな種類があって、おもしろいものもある。自由の影響が詰め込まれた音楽が世にリリースされているんだ。

そして、メインの伝達方法はレコードだってこと。特に90年代はレコードだった。例えばSpiral Tribeは、移動型スタジオを移動型レコードプレススタジオとして使っていて、ライブセットを録音したあと、その場でレコードをプレスして、リリースするようなことをしていた。それは非常にユニークな限定のプレスで、そう簡単には手に入らない。勿論それをゲットする為にはパーティにたどり着いてないと話にならなかったし、もしそこにいなかったらほかのどこでも見つけることは出来なかった。これは言ってしまえば、インターネットが普及する前のすごくいい時代の話。

同じ類いの自由への衝動の表現は、実際に動き続けることにも見つけることができると思う。ただ毎日、A地点から、B地点へと移動するんじゃなく、そういうものに囚われず動き続けること。それは社会から与えられたパターン、例えばフェンス付きの家だったり、Aから、Bへと、ただひたすらと走り回ることだったり、そういうことではなく。

素晴らしいでしょ、わかるかな?フリーゾーン、フリーエリア、T.A.Zの中のみで見つけることが出来る、動くことで見つけることが出来る、それ以外では全く見つけることが出来ないリリースなんて、素晴らしいと思うんだよね。それはそれを見つけた人にとって、永遠に大切なものになると思う。でも残念なことに、この手のダイナミクスはインターネットや、eコマースなんかの、いつでもどこでも、どんなものにでもアクセスすることが出来るテクノロジーによって失われてきている。確かに、そのおかげで音楽を世界中の離れたところまで届けれるようになったという意味で、音楽を一歩前進させるといういい部分もある。でも一方で音楽に独占主義を持ち込んだし、インターネットを使った国際貿易の部分がもっと目立っていると思う。オレたちからしてみると、いわゆるeコマースがここ十数年で乗っ取った影響が運んできたものって好きじゃないんだよね。

でも、今日、2016年、基本的にテクニバル、フリーパーティでプレイされる音楽には、ライブセットの大きな影響がある。根強いライブセットのカルチャーがあるし、それを抜きにしても、幸運なかつ嬉しいことに、2016年もいまだにほとんどのDJは主にレコードをプレイしている。MP3をプレイするのは避けよう。まぁこれはオレの意見だけど。だからデカい勝利を少なくとも音自体に関しては。

フリーパーティや、テクニバルでは、凄い音によく出くわすんだ。なんでかっていうと、みんな自分のサウンドシステムに情熱を捧げている。それ組み上げ、計算し、ほかのサウンドシステムと組み合わせ、つないだり、分裂させたり、すべての種類のスピーカーシステムを組み込むために、巨大なディレイラインを作り上げ、改良する。しかもそれで全部じゃない。それは大きなサウンドシステムのアートだと思う。何度も驚かされる、その音の再現性は、ダンスフロアーにスゴい結果をもたらしている。

でっかく太いベースライン。幅広いスケールで、いろんな場所からのいい仕事がある。チェコの連中からのや、フランス人や、イタリア人、イギリス人達のいい仕事。素晴らしい音の再現性、みんな、よくやってる!!本当にヤバいよ。どこのクラブでも聴けない、フリーエントランスベースの、フリーパーティでしか聴けない音。ヤバイよね。フリークエンシーとリズムに関するオレたちの進化のための、めちゃくちゃいい仕事だよ。

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YAYA
DJ、レーベルオーナー、YAYA23というレコードショップ兼、レーベルをドイツ、ベルリンにて主宰する。EU圏にてもっともユニークなSOUND SYSTEMの一つ、CYBERRISEの設立CREWの一人。ヨーロッパのフリーパーティ、テクニバルシーンの中でも徹底したアンダーグラウンドスタイルで信頼の厚くナイスな人柄を持つ。90年代半ばよりSOUND SYSTEMを立ち上げ活動を始める。音のクオリティにフォーカスし、いくつものフリーパーティ、テクニバルを潜り抜け、オルタナティヴカルチャーを支え続けている。既にそのカルチャーが深く根づき、たくさんの人々やSOUND SYSTEMが活動する西ヨーロッパから、その様なカルチャーからもう少し離れているブルガリアやギリシアの様な夢追い人たちが、もっと新しい世代のために新しい方向性を求めて辿りつく、東ヨーロッパの果ての国々までバンにスピーカー積んでる旅を続ける。その間の旅も最高の瞬間から、大変でハードコアな事まで起きる道中をくぐり抜け旅を続ける、全てはKEEP FIRE BURNINGのために。
Youtube https://www.youtube.com/channel/UCHHxK9hTclKFKBnUZt9xtTA
discog & shop https://www.discogs.com/seller/yaya23/profile
soundcloud https://soundcloud.com/yaya23-records
mixcloud https://www.mixcloud.com/yaya23/

destr∞y
ikanani mothzzzzrrr fukerrrr sound system のクルーとして、数々のパーティ、レーベル、ハプニングを繰り広げつつ音を鳴らしはじめる。その後ヨーロッパへとベースを移し、各地のローカルサウンドシステムと共にフリーパーティ、スクオットパーティ、ストリートパーティ、テクニバル、アンダーグラウンドから生まれるアートに巻き込まれ、出会いから生まれる関わりから、さまざまなサウンドシステムに参加し、ライブセット、DJ、同時にスピーカー運び、ヨーロッパの西の端から東の端まで、自律的かつ、フリーダムなハプニングに関わり続ける。同時にヨーロッパのアンダーグラウンドfree improvisationシーンを発見し、エクスペリメンタルや、ノイズシーンで活動するさまざまなアーティストと共に、さまざまなツアーに関わる。オープンデッキ、オープンセッションをコンセプトとしたSEWAGE/OPENCLOSEや、ツアーへの参加。より多角的活動のアウトプットとしてRefugees on dance floorをスタート。自身が関わるレーベルikanani x coreheadからアナログをリリース。
https://soundcloud.com/destrooyakadubdub
https://soundcloud.com/refugees_on_dance_floor
https://www.mixcloud.com/destrooyakadubdub/

この夏、日本のどこかでテクニバルが開催予定!
http://freeteknojapan.blogspot.jp

Noise and experimental music in Portland

オレゴン州ポートランドに根付くノイズ・エクスペリメンタルシーン。
現地のシーンを追いかける日本人女性エミの出会ったアーティストたち。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview and Text: Yusuke Shono, Translation: Sylvester T. Shippy, Visual: Kosuke Kawamura

きっかけはSmegmaのメンバー、JackieとEricとの出会いだった。自宅で定期的に行われているというセッションは、Jackieが焼いてくれたクッキーと一緒に楽しむ気楽なものだったが、とてもディープな体験だった。ミュージシャンであろうがなかろうが、誰でも音を出してよい。まるで事故のように生まれた面白い音、出来事。そういうものを見つけて遊ぶ。それを自分たちの家で、庭で、ライブで人々と共有する。そんなふうにこのシーンは始まり、継続してきたのではないだろうか。そういう気がしてポートランドのノイズミュージックのシーンに興味を持った。Smegmaのインタビュー記事「DIY before it existed: An interview with Smegma」によると、移り住んだばかりの70年代のポートランドはまだ保守的な街だったという。多くの観客から受け入れられているわけではなかった彼らは、マネージャーを付ける代わりに自分たちで全てをやることにした。DIYという価値観がなかった当時から活動している彼らは、今でも精力的で、様々なイベントを主催し、地元の若いアーティストたちとも垣根なく交流している。そんな場所から生み出される表現がおもしろくないわけがない。
 そして、ポートランドのライブ会場を回っているうちに、日本人女性エミと偶然出会った。彼女はポートランドの街で仕事をしながら、この土地のノイズミュージックのシーンを追いかけているという。当初どうやってそのシーンに接続したらいいのかわからなかった彼女も、追いかけていくうちに様々なアーティストや場所にたどり着くようになった。見知らぬ土地で、手探りでコアなシーンに接続していく嗅覚と情熱。久しぶりにそういう人と出会って、もっと話を聞いてみたくなった。これはそんな彼女に、ポートランドのノイズミュージックシーンについて聞いたインタビューである。

ポートランドのノイズシーンに興味を持ったきっかけというのはなんでしょうか? 
ポートランドに来る前、東京に住んでいた時からノイズが好きだったのと、Smegmaがポートランドのバンドと知って、そこから渦巻いてるシーンがあるはずだと思ったんです。あとドキュメンタリー映画の『People Who Do Noise』の影響もあったり。

それ以前はどんな音楽を聴いていたんですか?
高1の時に観に行った少年ナイフのライブの前座で出ていたDMBQにショックを受けて、追っかけているうちに対バンのインディーロック、ハードコア、ノイズ・エクスペリメンタル系のバンドや、ボアダムスなどを知って、放課後は制服でライブハウスへ出向くといった高校生活を送っていました。20歳前半は当時最盛期だったサイケデリックトランスにどっぷり浸かりつつ、20代後半はダンスミュージックのパーティシーンに移行しました。ポートランドに来てからは、こちらの四つ打ちはサッパリなので潔く諦めて、今またアングラな音楽シーンを掘り下げているところ。

日本からポートランドに渡って、現地のシーンにどういう風に接続していったのですか?
フリーのローカル・カルチャーを扱った新聞のライブスケジュール欄や、Myspace、フェイスブックで情報を探ったり、ライブツアー経験のある日本の友達にバンドを教えてもらったり。藁をもつかむ気持ちで片っ端からライブに行くうちに、繋がっていったという感じです。そこで出会った人に「こういうのはどう?」って紹介してもらったりとか。そのうちノイズ・エクスペリメンタルシーンがハウスショウで盛り上がってることを知りました。

ハウスショウというと日本の音楽シーンではあまり馴染みがないですね。 
そうですね。ジャンルにかかわらず、駆け出しのバンドや、主にエクスペリメンタルミュージックのバンドは、家の地下でライブをやるんです。ポートランドは一軒家が多くて、みんなシェアして住んでて、たいてい地下にも部屋がある。そこでバンドの練習をしたり。飲み物は持ち込みで、夏場なら庭でクックアウトしながらだったりでゆるいのがいい。最近はハウスショウは減ったと言われているけど、探せばないことはないですよ。

ポートランドのシーンは、世代間の壁が低いように思いました。日本ではあまりそういうことはないので、印象的だったのですが、そういったことは感じますか? 
20代の頃にサイケトランス好きが高じて、本場のヨーロッパへバックパックで旅行した時にも思ったんですが、ポートランドに限らず欧米ではどんな音楽シーンでも老若男女入り乱れていると思う。日本もいまの30-40歳代の層がアーティストでもオーディエンスでも、ずっと残っていてくれたらってことだよね。これは自分にも言い聞かせてます(笑)。あと世代だけじゃなくて、バリアフリーも。中規模以上のヴェニューに行くと車いすの人を大体一人ぐらいは見るので、そういう壁もなくなっていったらなと思う。

ポートランドは人がどんどん入れ替わっていく街だと聞いたのですが、5年の間シーンを見てきて、変化は感じますか? また、シーンは活発でしょうか? 
5年の間に主要なヴェニューが潰れてしまいました。エクスペリメンタル系のライブが面白かったArtisteryや、カートコバーンとコートニーラブが出会った箱と言われていて、老舗のSatyricon、中規模の箱でいろんなジャンルのライブをやってたBerbati’s Pan(現Voo Doo Doughnutがある街角)、21歳以下 でも入場できた Slab Townはクローズの危機の直前にKickstarterで再建の資金を募っていたけど叶わず。あと、ボヤでビル自体の防災が甘かったことが発覚して、休止から自然消滅してしまったEast Endも。East Endは毎年、独立記念日にヴェニュー前の通りを封鎖して、メタル祭りを催してたんです。ポートランドは人口に対してヴェニュー数はかなり多い街だけど、こうして羅列すると寂しい現実ですね。 
 ポートランドに来た当初、ハウスショウで知り合った友だちはLAやNYCに引っ越してしまったけど、先ほど引き合いに出した映画『People Who Do Noise』に出演している半分は、いまも現役でライブしている。その様子からすると、移りゆくところもあれば留まるところもあるって感じでしょうか。年齢にかかわらず好きなことを続けてる人たちは目に付くしね。
(※アメリカのヴェニューの年齢制限は厳しく、未成年とみなされる21歳以下はほとんどのヴェニューに入れない。入れる箱でもフェンスで21歳以下ゾーンがくっきり分かれていたりする)

House show @Alice Coltrane Memorial Coliceum

Han Bennick & Mary Oliver special orchestra by Creative Music Guild @Redeemer Lutheran Church

追いかけている特定のアーティストはいますか?  
年上アーティストの代表格だと、Smegmaのメンバーは自分が出ない様々なライブにも出没し、世代下のアーティストと交流していて、それは大きい。ThronesのJoeもしかり。Daniel Mencheは最近、日本でツアーで回っていたのも記憶に新しい。彼のライブは、頻繁にライブ形態を変えていて、いつも実験的。ポートランドに来た当初、頻繁にハウスショウをしていたMattは、家の都合で最近はやらなくなってしまったけど、Red Neckという名前で今も活動している。彼はホラー映画が大好きで、ハーシュノイズのプレイ中にブルーベリーを顔に塗りたくって最後に死んだふりという芸が定着していて面白いです。Soup Purseという名前のソロ活動と、去年からシェアハウスの住人たちと始めたユニークなインプロバンドFiascoでもシンセなどを担当してるToddの家が、Alice Coltrane Memorial Coliseumという名前で頻繁にハウスショウをしていたのだけど、家が売りに出されるとかでみんな出て行かないといけないとかという噂。今はどうなってるかどうかわかりません。彼は話も面白くて、Soup Purseとしてのライブは、毎回内容が違っていて楽しませてくれる。Gordon Ashworthは自分でライブ企画をしたり、夏にノイズとメタルが交互にプレイするフェスを2年続けてやったり、全米各地・ヨーロッパや日本へもツアーに出ていて、とても精力的。Oscillating Innards、Concernなどの名義でも活動しています。Golden Retrieverという2人組もよく観に行きます。カラフルなコードが複雑に入り組んでる壁モジュラーシンセと、ベースクラリネットの組み合わせで、毎回映画音楽のような壮大な空間を作り上げています。シンセのMatt Carlsonはソロ活動も頻繁。先日、教会で15人くらいのオーケストラ編成を彼が率いるエクスペリメンタルとクラッシックを融合させた特別ライブがあったのだけど、こういうフュージョンは大好き。もっと音楽のジャンルはクロスオーバーしたらいいと思う。あとMASSAGE 10の表紙を飾ったBrennaと彼女のパートナーのBirchの実験音楽プロジェクト、MSHRも注目してるアーティスト。彼ら独自で創作したシンセとライティング装置から、毎回予想できないパフォーマンスは見逃せない。
 あとノイズではないけど、1939 Ensembleはオススメ。元Breedersドラマーで現在ポートランドでドラムショップを経営してるJoséと、バンド以外ではミュージックスクールでドラムを教えているドラム一筋のDave、シアトルから数年前に移ってきたJoshがサックスとムーグシンセという現3人組。前出の二人はドラムとバイブロフォンをライブの中盤でスイッチするというのが独特で、BATTLESやPeter Brotzmannなどの前座を務めたり、知名度がじわじわ上がって来ています。

今、ポートランドで注目の場所はありますか? 
以前ほどこの箱というのは減ったけど、強いて言えばProjection MuseumValentine’sYale Unionは面白い企画が多い。体毛がビリビリするほどの爆音に包まれたければ、The KnowKenton Club。あと、教会でアンダーグラウンドシーンのライブが企画されることもあって、個人的にはそういう環境がとても好き。天井は高いし、音の響きが間違いなくいい。神聖な雰囲気との対照も面白いし。前にCharlemagneが演奏したカレッジの教会に、巨大な円形のオルガンがスペースシップの如く天井から吊ってあって。子連れで来てた人たちにも有無を言わさないほどの爆音。
 ハウスショウは機会があれば是非体験してもらいたい。日本じゃなかなかできないし。家にあるなんだこれは!なアートにも圧倒されるだろうし、崩れそうな階段とか一度も掃除したことないようなバスルームとかに出会うことも(笑)。今はもうやっていないのだけど、Noise Pancakeといって、日曜日の昼からノイズとパンケーキの平和な融合が繰り広げられる企画もあったり。ポートランド郊外には、溶接スタジオで開催されるノイズライブがあったことも。それも今はやっていなくて残念。工具むき出しというインダストリアル感満載で、ノースウエストらしい素晴らしいラインナップだったのだけど。

もし日本からそういったシーンを訪れるとしたら、どうすればよいでしょうか?
とにかくポートランドに来てください! もしくはポートランドのアーティストを日本に呼んでください‼︎

エミ オオタキ ジョイス
短期語学留学でポートランドに来てから、街と自然の絶妙な調和にすっかり魅了され気がつけば5年。ローカルアパレルブランドでデザイナーをしながら、藍染めやキノコ狩りにはまる生活。ポートランド音楽ブログ、ゆるりと更新中。 http://emioopdx.tumblr.com

Glitchaus / Jeff Donaldson

グリッチ黎明期から活動するオリジネーターJeff Donaldson。
グリッチニットなどを制作する、その彼のインスピレーションの源。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview & Text: nukeme, Translation: Noriko Taguchi, Fujita Natsumi

2014年の6月、グリッチをテーマにした「Glitch @TOKYO解放区」が伊勢丹新宿店のTOKYO解放区にて開催され、それに合わせてJeff Donaldsonが来日した。僕は2011年にTumblrを通じて彼と連絡を取り合うようになり、実際に会うのは2度目になる。伊勢丹での企画に参加したのはJeffのGLITCHAUSの他にGlitch Textiles、bodysong.、Nukeme and Ucnvで、特にucnv氏には企画の段階からアイデアを出してもらった。日本の百貨店で、グリッチに関する企画が開催されたのは、おそらく初めてのことだろう。Jeffの活動は音楽、映像、テキスタイルと多岐にわたり、その作品形態の変遷自体がひとつの歴史になっている。今回は、彼のコンセプトがどういったところから来ているのかについて話を聞いた。

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Motif designed by displaying programs at the wrong resolution. 150x100cm. 50/50 merino wool/acrylic. 2015

今回、日本の伊勢丹百貨店で作品を発表し、どんな印象を持たれましたか?
伊勢丹百貨店で僕の作品を発表できたことを嬉しく思っているよ。また、他のアーティストの作品を見られたこと、僕の作品が世界中のアーティストに囲まれて展示されたことに興奮した。展示の仕方もとても素晴らしかったね。

伊勢丹は、日本ではとても有名な百貨店のひとつです。百貨店でのグリッチ作品の展示は初めてですか?
そうだね。僕は主に美術館やギャラリーで展示を行っていて、ベルリンでインターネットヤミイチにも参加したよ。このような有名な百貨店で展示できたことを誇りに思っている。来日する機会を与えてもらえて本当に嬉しいんだ。

日本に来たのは2回目ですね。
初めて来日したのは2011年で、Koenji HighでBlip Festivalに出演したんだ。僕の好きな場所のひとつだよ。

あなたの経歴について教えて頂けますでしょうか?
僕はテキサスで生まれ、親の仕事の都合でハワイやミシガン州などいろいろな場所で暮らした。これまでの大半をアメリカの東海岸で過ごしたよ。1980年代は、スケートボードとビデオゲームに夢中だった。ニューヨークに行く前、ボルティモアで9年住んでいて、バンドでギターを担当していた。2001年、大学で作曲を勉強するかたわら、エクステンデッドミュージックの技術をビデオゲームに取り込んだんだ。このビデオ作品は、僕のテキスタイルデザインのコンセプトに繋がっている。2007年にスカーフを発表して、2011年にGlitchausスタジオレーベルを立ち上げたんだ。

クラシックギターを弾いていたのですか?
ジャズギターとクラシックギターの両方を学んでいて、いろいろなバンドで弾いていたよ。直近のバンドはボルティモアでやっていた時のものかな。

バンド名は?
ひとつはインストゥルメンタルでプログレッシブロックの The French Mistake。1990年代にツアーをして、7インチレコードを〈Vermin Scum records〉からリリースした。もうひとつは、Wzt Hearts。2004年から2008年まで活動して、フリーインプロビゼーションでノイズ系のバンドだった。「Wzt Hearts」 では2枚のレコードが〈Carpark and Hoss Records〉からリリースされてる。

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Chance based motif generation designed by diffuse dithering a gradient image. 185x150cm. 50/50 merino wool/acrylic. 2014

グリッチの制作プロセスはどのようなものでしょうか?
いくつか異なるプロセスを使っている。一つ目は、おそらく一番知られている方法だと思うんだけど、任天堂のゲーム機の回路基板にワイヤーを加えてわざとショートするように改造するプロセス。僕はこのプロセスの結果を Notendo と呼んでいる。いろんな人に、サーキットベンディングとして参考にされているテクニックだ。サウンド系のおもちゃのバッテリーをサーキットベンディングしている人がよくいるね。僕が2001年にしたことは、それをビデオ機器に応用することだったんだ。
二つ目は、データベンディングとして参考にされているテクニックと、データをビジュアル化するテクニックだ。データベンディングは初期のグリッチアートのテクニックで、ファイルデータの操作を含む。僕はこれを16進数で操作するのが好きなんだ。またこのテクニックは、例えばノートパッドかテキストエディターのテキストを画像ファイルとして開くことが可能になる。結果は同じだよ。僕はこのテクニックを千鳥格子のスカーフに使った。
データをビジュアル化するプロセスは、 Data Knit に使った。バイナリデータをグラフィック化できる ソフトを使ってね。

作品を作るに当たって、影響を受けたものはありますか?
最初に影響を受けたのは、2001年に見た夢なんだ。任天堂のゲーム機でアブストラクトなアートをつくっている夢を見た。だから、目を覚ました時、やり方を思いついた。ジョンケージは、もちろん、作曲やエクステンディットテクニックを勉強していた時に大きな影響を受けたよ。“prepared”って用語は、彼の“prepared piano”から拝借した。僕がどんなことをやっているかを表現するためにね。その用語がしっくりきたんだ。ジョンケージが機材を使ってピアノを改造して音色を変えたように、僕はワイヤーを加えて従来ビデオシステムがするべきことを変化させた。
そのプロセスを開発している時、結果を見て北米や南米で発見されたモチーフに似ていると気づいたんだ。それ以来、ファイバーアートの歴史に興味を持って、そこに影響を受けた。
あとは映画と音楽にも影響を受けたよ。2001年はコンテンポラリージャズをよく聴いていた。ジャズのインプロビゼーションのフリーフォームから受けた影響は、僕のライブビデオ制作でのアプローチに出ているよ。

グリッチという手法に惹かれる理由は何でしょうか?
始めた頃から 僕が魅了されているのは、アートフォームの自然性、偶発性なんだ。いつも驚かされるよ。期待するものをアイデアにすることは可能だけど、実際できるものはいつも異なるから。

スカーフ作成の目的は?エキシビジョン、それとも販売用ですか?
2007年のスカーフは、改造したNESで作った初めてのテキスタイル作品。それは、僕のコンセプトである、グリッチがトラディショナルでコンテンポラリーのテキスタイルデザインに似せることができるかをテストしたものなんだ。スカーフをつくってみて、グリッチがファッションのアイデアになると思った。僕は、自分のテキスタイルを着るのと同様に展示できるものだと考えているよ。

どのように販売したのですか?
インターネットとビデオパフォーマンスで販売した。何人かの友人も買ってくれたよ。

グリッチという手法を最初に認識したのはいつ頃でしょうか?
グリッチを最初に認識したのは、1980年代にビデオゲームをしていた時だった。僕はそれが「グリッチアート」ということを2004年まで知らなかったんだ。知ったのはAnt Scott と Arcangel Constantini にコンタクトを取った時だった。ほどなくして、僕は改造したNESとSEGAでの作品を展示し始めたんだ。

やはりパイオニア的存在ですね。
僕はグリッチをカタチにしたパイオニアたちの一人だよ。メキシコシティのArcangel Constanini と僕は、最初にビデオゲーム機材をショートサーキットさせたんだ。僕はまた、「グリッチアート」をテキスタイルデザインに初めて取り込んだ存在でもある。

Data Knit
Motif designed by visually rendering binary data of the Windows Explorer executable. 145x17cm. Acrylic. 2015

あなたが好きなのは、新しいデザインの方法を見つけることですか?
僕は、新しい方法を見つけるつもりはないよ。僕は自分の直観に従っている。僕は自分が始めたことをやり続けることが好きなんだ。

1988年からスケーターのビデオを撮っていたということは、スカーフの制作よりも、音楽やまたは映像の方が歴史が長いということですよね。一番興味があるものは何ですか?
僕は全てのことに平等に興味がある。僕の音楽はビデオ映像に繋がっているし、それらはテキスタイルのデザインに繋がっている。すべては繋がっているんだ。

クリエイティブなインスピレーションはどこからやってくるのですか?スケーター、音楽、他にどんなものがありますか?また、そこからなぜ着るものをつくろうと思ったのですか?
僕は世界中の古代のアートにインスパイアされている。その技術は本当に目を見張るものばかりだ。どの作品もとても繊細で意味がある。僕はそれがとても美しいと気づいたんだ。僕の姉は花嫁衣裳と映画の衣装デザインのビジネスをやっていて、それにすごく興味があった。1990年代にはジャン=ポール・ゴルチエが大人気だった。映画「コックと泥棒、その妻と愛人」のゴルチエの衣装にすごい影響を受けたよ。

映像はファミコンでつくっているけど、スカーフはどのように作っているのですか?
改造した NES で作った スカーフのモチーフを映像に記録して、そのビデオのフレームから静止画を 選んでいる。それから、画像を編集し、1ピクセルごとに編みこんでくれる編み機へデータを送るんだ。

スカーフを作る時、ファミコン以外で作ることはありますか?
僕は2007年からドイツで 編み機でつくっている。クオリティが素晴らしく、安定感がある。また、ブラザーの編み機を使っているよ。家に一台持っていて、改造した FTDI ケーブルを使って、ノートパソコンのおUSB経由でモチーフを送っているんだ。

グリッチで大切なのは、偶然性?一番興味があることは、偶然の結果を得られることですか?
そのとおり。僕は偶発性に興味がある。予想できないからね。もちろん、そこから偶発性を作品の形にしていくんだけど。偶発性がなかったらグリッチは存在しない。

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Motif designed by displaying programs at the wrong resolution. 175x25cm. 50/50 merino wool/acrylic. 2012

スカーフを発表した以降2008年頃、いろんな人のグリッチ作品を見たと思うのですが、その時どう思われましたか?
Melissa Barronは、僕と同じコンセプトでテキスタイルデザインを発表していた。2010年、シカゴでの GLI.TC/H カンファレンスの時にMelissa に会ったよ。僕はすぐに彼女の作品を気に入り、コラボレーションしないか、ってオファーしたんだ 。Melissa は僕のRead Error モチーフを織ってくれて、僕はそれを2011年ブルックリンで開かれたBent Festival での展示作品の一つに加えたんだ 。ヌケメ氏のGlitch Embroidery とニットレースは最もオリジナリティーがある作品で、しばらく見入ってしまったよ。彼の作品は個人的に好きだよ。また、UCNV/Bodysong コラボレーションも好きだね。とても美しかったよ。

グリッチは、他の人やっても同じ結果が出るものですか?
「グリッチアート」を見ればどんなテクニックが使われているかを知るのは簡単だよ。だから、デザインにとってコンセプトこそが一番大切だと考えているよ。

アイデアとコンセプトは大切。スタイルは簡単ということでしょうか?
スタイルをまねるのは、コンセプトをまねるよりはるかに簡単だと思う。

グリッチアーティストですが、その技法を使わずに何かを作りたいと思いますか?
僕はグリッチとエラーが作り出すもの、例えばテキスタイル、ファッション、インテリアデザインなんかに興味がある。また、アナログエラーも好きだよ。僕は、Electronic Textile Institute Berlin で、織物の見た目が破損してしまったブラザーの編み機を使っていた。これは画像ファイルの代わりに 、編み機のエラーをモチーフに編むことを可能にしたんだ。僕は今もなお、探し続けている。僕はまだ始めたばかりのような感覚なんだ。すべてのことに興奮をおぼえるよ。

今ではさまざまな手法のグリッチが出てきていますが、そのスタイルの違いについてどう考えていますか?
僕は、色々なスタイルがあることは大切だと思っている。その方がおもしろいからね。

Jeff Donaldson プロフィール
2011年より、Notendo、Glitchaus。Glitchausなどの名義を用いて活動。今後はGlitchausの1本にしていく予定とか。 Glitchausの「haus」は、ドイツ語ではfromの意味。グリッチから発信するという意味合いが込められている。

Jeff Donaldsonによるグリッチニットのはこちらで購入可能。

Glitchaus http://glitchaus.com
Notendo / Jeff Donaldson http://notendo.com

Tacit sculpture: Tilman Hornig

アーティストTilman Hornigが作り出す重さを感じない彫刻。
そこに刻まれた、イメージと彫刻の新たな関係性。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Sosuke Masukawa, Translation: Mina Kato

iPhoneやiBookの形状をガラス素材で制作した「GlassPhone」「GlassBook」。ルーターやハードディスクの表面に謎めいたテキストをプリントした作品群。それらは単体のアート作品として制作されると同時に、日常に置かれた写真作品として記録される。画像へと変換された彫刻作品は、ネットという特有の空間において流通することで、その存在を非アートの領域へと溶け込ませる。その変換は、彫刻に伴う「重さ」を消し去ろうとするかのようだ。テクノロジーが作り出すさまざまなイメージ群と、それが及ぼす影響。それらを反映させ、また解体しようとする。イメージと彫刻の関係性の戯れに身を委ねるかのような、そんな彼の独自の制作スタイルを探ってみた。

あなたのバックグラウンドを教えてもらえますか。

ドイツに住んでいて、ドレスデンのアートアカデミーでファインアートや彫刻を学んだんだ。アートは僕がやれる唯一のことだし、やりたいと思っているただひとつのことだね。と言っても、スタジオに毎日行く必要はないけど……でも、日々アート制作については意識的であろうとしているよ。プライベートと作品づくりの間には、境界がないんだ。それはつまり、スタジオと呼ばれている場所に身を置いて、キャンバスや彫刻の前でアイデアをひねったり発想するという、椅子に座ったステレオタイプなスタイルではないということ。僕自身や僕の作品で重要なのは、地域や地形に制限されず、できるだけ自由にフレキシブルであることなんだ。陳腐に聞こえるかもしれないけど、僕個人にとってそれが気分の良いことだね。たとえば、作品を作り展示するという行為についてグローバルに活動するのは簡単になっていると思うし。

Web上の作品からの想像ですが、2008年の作品「TheNewromanzer」から比べると、それ以降はコンピューターの文化を意識した作品になっているように思えます。こうした方向性のきっかけはありますか。

それ以降も、数多くの作品を制作してきたけど……そうだな、2011年の「Cut」という作品がきっかけと言えるかな。作品展示の前にかなりの量のコレクションを集める必要があって、つまり彫刻はとにかく広いスペースが必要なんだ。なぜ、僕が自分の制作の比重をインターネットに移すようになったかという理由のひとつは、さっき言ったことがそうで。それに、A地点からB地点まで重たい物体を引きずって、嫌になるほど積み重ねあげていく作業にうんざりしたんだ。最終的に彫刻作品をスタジオの壁へ立てかける前に、インターネット上のどこかへ保管したり、どこか特別に保管する場所を設ければいいと考えたんだよ。それとは別に、インターネットの膨大なポテンシャルは、自分の作品の保管場所や展示スペースになるし、作品のインスピレーションの源泉にもなるって発見したんだ。もともと、僕は子供向けのSF映画やコンピューターゲームにハマってきたし、それ以降は自作のエレクトリックミュージックの方が、絵画のような山々や神聖な建造物、美術館の展示物より好きだったということもあるね。

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glassphonenature

「GlassPhone」や「GlassBook」はモチーフとして、私たちの身近になったテクノロジーを象徴する二つのもの、スマートフォンやノートパソコンを強く連想させる立体作品ですが、このモチーフを選んだ理由はコンピューター文化への興味を反映しているのでしょうか。

そう、もちろん! スマートフォンなどのデバイスは、僕をエキサイトさせてくれるよ。そして、僕の制作活動を変えてきたし、今も変えているツールなんだ。コンテンポラリーのアーティストとして、このデジタルなコスモスを絶対に無視することはできないね。この現実世界に僕は生活し制作を行っている。その中で、自分の仕事や作品のパートとして「デジタルカルチャー(デバイスやインターネット、Tumblr、Tinder等)」を扱っているという感じだな。

「GlassPhone」や「GlassBook」の素材はガラスですが、実際のiPhoneにも表面にガラスが用いられていますよね。あなたはガラスに素材としての魅力を感じますか。あるいは、単にコンピューターの非物質性に関する比喩でしょうか。

そう、「GlassBook」を作るよりも前から、素材としてのガラスには長いこと惹かれてきたんだ。美的な観点からも、ガラスはとても美しい素材だし。また、ガラスとコンピューターとの関連性の明確な理由としては、その透明性や物質感の無い物体の中で、複雑な事物やコンテンツが結びつけられている点が挙げられるね。また、僕はあまりに大量な情報やシェアするデータ量の膨大さにうんざりしていたんだ。それで、空白に満たされていて何も無い、同時に僕達の世界をそのまま見せてくれるオブジェを作りたいと考えたんだよ。コンピューターは尽きることのない可能性を持ち運べるものだけど、それを使う人がいなければ、空っぽな存在だ。そう、コンピューターそれ自体では何もできないわけで。でも、すでに存在しているものでもある。僕は複雑で多機能なツールであるということと透明性があって存在感もあるということに制作のアイデアを得たんだよ。

僕はあまりに大量な情報やシェアするデータ量の膨大さにうんざりしていたんだ。それで、空白に満たされていて何も無い、同時に僕達の世界をそのまま見せてくれるオブジェを作りたいと考えたんだよ。コンピューターは尽きることのない可能性を持ち運べるものだけど、それを使う人がいなければ、空っぽな存在だ。

「TXT on Devices」は「TXT work/Pro Work」とつながりのある作品ですね。使用されているテキストは同じに見えますが「TXT work/Pro Work」が「TXT on Devices」という作品に発展したと考えてよいのでしょうか。

そうだね。テキストは、所々同じものだよ。テキストの制作を始めたばかりの頃は、たとえば詩のようにテキストそれ自体が作品だと思っていたし、なんと言うか、完全に独立した表現メディアだと考えていたんだ。

僕はテキストについて絵画やモチーフのようだと考えていて、自分のアート制作の実践として試みていたんだよ。もともと制作したテキストは、キャンバスにプリントしていて……さらにほかの文脈のレイヤーを加えるために、コンピューター等のデバイスにテキストをプリントしたというわけだね。

書かれているテキストの制作方法についてですが、このテキストはコラージュでしょうか。あるいは、詩のように完全な創作物として書かれたのでしょうか。

テキストは、僕が描いた絵なんだ。作家が文章を書くようにね。本来のやり方とは全く異なった方法ではあるけれど、僕にとってはナチュラルなことだよ。人がテキストを目にした時は、いつも何らかの情報だと感じてしまう。言葉の並びを内容のあるものとして扱う……それを止めることはできない。その事態が僕を魅了するんだ。もし今、あなたが不可解で大量な情報を目にしたとしたら、抽象的な、アブストラクトな感覚を抱くと思う。僕のテキストでは、何か良くないことの予兆のような、疲労感というか脱力感のようなものをクリエイトしたいんだ。


アラビア語や中国語を使うことにはどういう意図があるのでしょうか。文字を読めなくするということを意図しているのですか。

そう。英語以外の言語を使っているのはそこに意図がある。なぜ、英語にこだわる必要があるんだろうね。当然、言語やコミュニケーションにはたくさんの側面があるし。あるテキストを理解できないということは、その言葉をしゃべれない、または内容が分からないということだよね。僕にとって、分からない、理解できないということはエキサイティングな瞬間なんだ。まさに、興奮する瞬間だよ。もし、理解不能な事柄が無くなったとしたら、ものすごく退屈で仕方ないだろうね。

プールに沈んだルーターの作品は、非アートのイメージがアートと受け取られる可能性がある今の状況と関係しているのでしょうか。

夏に僕はけっこう水泳をしていて、その時にスイミングプールの中で何かをやりたいなってアイデアを思いついたんだ。それが水の中のWi-Fiルーターで、僕にとって意味を感じられるものだった。ルーターには、これまでとは違うテキストもプリントしてね。誰かがプールの底にあるルーターにプリントされたテキストを読んで、意味が分からなかったり、判読できなかったりするんじゃないかなって。まあ、結局はとんでもなく現実離れした考えだったけどね。水中のWi-Fiルーターというシチュエーションは、ネット上で話題が広がったし良い写真になったよ。意図通りだね。このピクチャーの普及の仕方や見方については、アートの文脈に限定されたものではないし、文脈の中にあるか、もしくはその外にあるという作品。そう、僕にとって様々な境界はもはや妥当なものではなくなっているし、どんどん境界はぼやけていっているんだ。

あなたのTumblr上では展示の写真ではなく、様々なシチュエーションで撮影された画像が上がっていますね。実際、Tumblrでも「GlassPhone」や「GlassBook」の拡散された画像をたくさん見ました。あなたの彫刻作品はイメージとして受容されることを意識していますか。

まず言わなくちゃいけないのは、「GlassBook」や「GlassPhone」は現実の生活の中でこそ、素晴らしく見えるってことなんだ。写真を使って彫刻を作るというタスクから、自分を引き離すものだね。つまり、これらのガラスの彫刻はテーマ的にも、美的な意味でも、完全に彫刻の使われ方の記録こそが展示そのものになるってことなんだよ。そう、プロダクトの広告に似ているね。彫刻の全体的なコンセプト(彫刻というのは、アーティストによって制作されたアーティスティックな人工物という意味)は、重要な役割を担っているよね。その彫刻がどこに属しているのか。プライベートな台座か、美術館の室内なのか、パブリックスペースにあるべきか、どこかの広場なのか。彫刻はどんな風に扱われているのか、彫刻とアイテムの境界はどこにあるのかが大事なポイントだと思う。僕の作品の写真では、作品の利便性や実用的な彫刻であるということを人に喚起させていると思う。

このピクチャーの普及の仕方や見方については、アートの文脈に限定されたものではないし、文脈の中にあるか、もしくはその外にあるという作品。そう、僕にとって様々な境界はもはや妥当なものではなくなっているし、どんどん境界はぼやけていっているんだ。

興味のあるアーティストや作品がありましたら教えてください。アート以外の物でも構いません。

アートに限っていえば、とても良いと思うのはごくわずかだね。僕は、それ自体が何かよく分からないという時に興味を抱くのだと思う。ある振る舞いのプレハブみたいなパターンやステレオタイプには、死ぬほど退屈している。僕はアーティストが、彼ら自身のやり方でその人生を通じて「描く」ことを続けていたら敬服するんだと思う。良いアートというのは、何かを欲しがるべきではないとも思っている。アートは常に人工的な側面を持つものだし、祝福を与えたり、ののしりの言葉になるような性質を持つものだって考えているよ。

今後の制作の予定を教えてください。

僕がアートを学んだドレスデンには、ドイツ衛生学博物館があって、解剖された人体モデルが1930年代から展示されているんだ。ちょうど人間と同じサイズのガラス製のモデルがあってね。その「Glass Woman」の透明なボディーの下には、すべての臓器が見えるようにできている。次は、「Glass Woman」のリメイクに制作時間を割く予定だよ。

Tilman Hornig プロフィール
ドイツのドレスデンにあるアートアカデミーでファインアートや彫刻を専攻。ガラス素材でスマートフォンやノートPCの形態をオブジェにした「GlassPhone」「GlassBook」などが代表作。作品を通じてリアルとネットとの連関に、違和感や親和性という矛盾を表現する一連の活動を行っている。

3 Dimentional Surface #3: Maiko Gubler

イメージを彫刻化するヴィジュアルアーティストMaiko Gubler。
彼女が解くテクノロジーの「結び目」とは。

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MASSAGE / Text: nukeme, Translation: Sosuke Masukawa, Natsumi Fujita, Taguchi Noriko

Maiko Gublerはベルリンにスタジオを構えるヴィジュアルアーティストである。彼女は3Dモデリングツールを用いて、デジタルデータの彫刻作品を制作する。彼女の作品には、色彩と形状の組み合わせに意図的なズレがある。液体のような形状にのせられた大理石のパターンや、ぐねぐねと曲がった円筒に組み合わされたグラデーションのパターンなど、現実であまり見たことがない、しかしはっきりとその物感を想像することができる、不思議な質感を持っている。まるで3Dモデルの形状と表面の色彩がそれぞれ別の参照先を持っている、その構造自体を提示しようとしているかのようである。彼女の作品は1枚の画像として完成しているものもあれば、実際に物質として出力されているものもあるが、作品が画像であるか物質であるか、というところには境界を引いていないように見える。「彫刻作品」も「彫刻作品の画像」も、「鑑賞によって作品が知覚される」という点は共通するからである。彼女の制作は、ヴィジュアルと物質の認知上の差について、画像を形として認識できるのはそもそも何故か、という根源的な部分へのアプローチであるように思える。そういった意味でMaiko Gublerの作品は、鑑賞者に知覚される「イメージ」そのもの、サイズと重力のない世界をベースにしながら鑑賞者のイメージを彫り刻む、「イメージの彫刻」であると言える。

※本記事は、ネットで活動するアーティストの作品を3Dプリンターで実体化させるプロジェクト、DMM.makeに掲載の「3 Dimentional Surface #3: Maiko Gubler」の連動企画として、お届けします。DMMのテキストはこちら

はじめに、あなたのバックグラウンドを教えてください。
私は日本人の父とスイス人の母との間に生まれ、スイスで育ちました。ベルリンに移る前はチューリッヒの芸術大学で学際的な基礎コースを受講していて、そこでは特にコンピューターとは関わっていませんでした。その代わり、たくさんの工芸や技術的なスキルを学びました。1年間の在学でしたが、作品制作について全体的なアプローチがはっきりと見えたと思っています。私自身の日本とスイス、両方のバックグラウンドが自分の制作に与える影響とかです。

その後、大学ではどのようなことを学んだのですか。
ベルリンの芸術大学ではデジタルメディアクラスのビュジュアルコミュニケーションを学び卒業しました。それから、インタラクティブアートのディレクターとして働き始め、Art+Com, Fork Unstable Media, DDB, Jung von Mattなどのクリエイティブエージェンシーに所属し、たとえばフォルクスワーゲンやグーグル、EAエレクトリックアーツ、ナイキなどのクライアントを相手に仕事をしていました。約10年ほど続けた後、昨年から私自身の制作活動に集中するようになりました。

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Gradient Bangles

「Gradient Bangles」が生まれるきっかけは何だったのでしょうか?
私は数学的というか計算式によって形成される3Gの表層にあらわれる色彩の勾配、傾きに魅了されてきました。ここには色と3次元のトポロジーがベースを形づくっています。物質性を保つためにも、あえて私はZCorp full colour 3D printerを利用していて、それは粗めの質感をわざと作り出すためなんです。というのも、「Gradient Bangles」は身につけられるものですが、装飾など機能性をもったジュエリーではないという事を意味するから。しかしながら、私はデザインよりアートの方が価値があるとは思っていません。お互い、それぞれ異なる意図や文脈、マーケットが存在していますしね。ただ、今回の場合では、実用的なプロダクトを制作したいとは思いませんでした。でも、そのうちどこかで作っちゃうかも……期待していてくだい。

「Gradient Bangles」は「もや」のような色彩のグラデーションが特徴的ですが、こういった色彩のイメージはどういったところからインスピレーションを得ているのでしょう?
最初のバージョンだと、表層の色を直接的に発生させ、さらに意図的に色の配置を間違えて再配置しました。一方で、最近のバージョンはあらかじめセットされているゆるい色彩のパターンにインスパイアされています。

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Still Life with Marble

私が興味を抱いているのは、私たちのリアリティーの連結を明らかにすること、と同時にますます見えにくくなっているテクノロジーのほぐれた縫い目を再び明白なものにすることです。

「Still Life with Marble」では大理石が液状化したような作品を作られていますね。こうした「液体」や「鉱物」のイメージは、どういったところから来ているのでしょうか。
このシリーズを作った2009年の終わり頃には、3D作品の一般的な認識はまだかなり一元的なものでした。特殊効果であったり、商業的なイメージにこっそり使われていたりというのがほとんどだったんです。一方で、現実以上のリアリティーを表現する写真家や肉感的・魅惑的な3D作品は、よりリアルな感じを持っていました。「Still Life with Marble」は上記のテーマに踏み込んでみた作品です。物事や物質的な価値と「写真のようなリアル」のイメージとの整合をとり併存させるというか。レンダリングした3Dの人工モデルとスクラッチで作ったデジタルなオブジェクトを並置してみたのです。最近では、デジタルなマーブルのパターンは円柱や胸像などでありふれたものとなっているかもしれませんが。でも、リアルに対する意識を拡張したものだと私は考えています。

あなたの作品について、「もやのようなグラデーション」や「液体」などの特徴はデジタルの3D空間に対するご自身の気持ちを表しているように感じました。つまり、「不定形で曖昧なもの」ということを表現しているのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか。
確かに、不確定という言葉はよいかもしれませんね。ただ、彫刻のイメージやヴァーチャルなモデル、具象的なオブジェクトの区切りをぼやけさせる表現については、それら全てを均一化させることでも、互いの表現ジャンルを対抗させようとしているわけでもありません。私が興味を抱いているのは、私たちのリアリティーの連結を明らかにすること、と同時にますます見えにくくなっているテクノロジーのほぐれた縫い目を再び明白なものにすることです。

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About Making Architecture

最近、3Dプリンターでは金属やゴムのような素材も出力可能になっていますが、今後、あなたの作品でそういった素材を利用する事はあるのでしょうか。
ゴム素材についてはとても興味を持っていますし、いつか試してみたいと思っています。また、すでに金属の鋳造に関連してワックスプリントを試したこともあります。けれど、私は3Dプリントの即時性を好んでいますし、短時間でモデルを形成できる方法を失いたくはないですね、ベストなアイデアがあれば、それを採用しますけども。今は、私は3Dプリンターの従来の技術を組み合わせることを試しているところです。

ところで、キノコ狩りが好きだとうかがいましたが。
ふふっ、はい、確かに。人工的には栽培できない、野生のオーガニックなもの特有の形態や形状に惹かれるんですよね。森の中に分け入って進んでいく体験が大好きなんです。それは、意識を鮮明にし、自分の中の本能が研ぎすまされる行為です。そして、何か食べられる物を手にして戻ってくる事は、人間としてとてもつつましく手応えのあることだと感じています。

影響を受けたクリエーターなどはいますか。好きなアーティストを教えてください。
現在、素晴らしい仕事を行っているアーティストは本当にたくさんいます。でも、私がいつも立ち戻ってくるのは、イサム・ノグチとジョン・ケージですね。

日本のカルチャーについては、どのように考えている、あるいは感じていますか?
私自身、日本人とスイス人のハーフなので、多義的な感情が伴います。日本のカルチャーに対する親しみと当惑の感覚があって、それは私にとって喜ばしいミクスチャーなんだと思います。そう、とてもありがたい事だと思っていますよ。あと、もっと日本の言葉をしゃべれるようになりたい。特に、工芸品に対する意識や日本の伝統的な美学である侘び 寂び、儚さ、不確かさ、あるいは普遍的な事などについてです。
私は宗教的な人間ではありませんし、そして、おそらくはとても西欧的な解釈だと思いますが……私自身と神道にはたくさんのコンセプトの関わりがあると考えています。融合の概念というのでしょうか、それぞれ異なった実体が混ざりあって、複雑に関係をつくり絡み合っていく。私の作品にも使用している融合の概念。たとえば、日本ではお婆さんが伝統的な着物を着て、でも腰の辺りにはケータイをぶら下げています。また、自然への意識を育んでいながらも、アンドロイドのような完全な人工的なものへの抵抗感のなさ、開放性も維持しています。私は日本にいる時はいつでも、さまざまなリアリティーが無理なく相互関係を持っていることに、とても心を揺さぶられるのです。

今後の作品の発表の予定などあれば教えてください。
9月に出版される中国のファッション誌「Kumobakudan」で写真家のMichaël Smitsとのコラボレーションがあります。また、http://dustredux.com/の立ち上げについても楽しみにしていますし、そこで私はいくつかのテキスタイルを作成しています。現時点では、個人的なプロジェクトに取り組む時間を作る事は難しいのですが、それでもやはり、新しい作品に取り組み完成させたいですね。だって、もっともっと新しい何かを発表していくことが大好きですから!

Maiko Gubler http://maikogubler.com

3 Dimentional Surface #2: Phil Thompson

グリッチなどをテーマに活動するアーティストPhil Thompson。
彼が暴き出す、表層と実質の間にある「差異」とは。

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MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Translation: Sosuke Masukawa, Natsumi Fujita

データなどを故意に破壊することによって出現する現象「グリッチ」に強い影響を受け、主にスカルプチュア作品をメインに活動するアーティストPhil Thompson。その手法はグリッチ的な効果を用いたもの、コンセプチュアルなものなど様々だが、その作品は表層と実質の間にある差異を暴き出す。ものごとの関係にメスを入れ、そのズレが明確になるポイントを作品として定着する、そんな試みを行なっている作家である。

※本記事は、ネットで活動するアーティストの作品を3Dプリンターで実体化させるプロジェクト、DMM.makeに掲載の「3 Dimentional Surface #2: Phil Thompson」の連動企画として、お届けします。DMMのテキストはこちら

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Stones (Marble, Sandstone, Granite)

作品にデジタルの質感を取り込む理由は何でしょうか。それにはどのような狙いや意図があるのでしょうか。
僕の作品の多くはグリッチ(データ等を意図的に壊すことで出現する現象)を用いています。僕はグリッチというのは完璧な再現性の先を見せるもの、構造物の内部を表出させるものと思っています。デジタルによる完璧な再生という神話は今では綻び欠けているし、デジタルで作られた人工物を保つのはどれくらい難しいか、人々は気づき始めていると感じるのです。ただ、オンライン上のイメージはまだ不可知のままであるし、特に言語については(クラウドやワイヤレスなど)非物質的なものにシフトしている。
僕はグリッチや何らかのエラーがイメージとかデータの物質性をあばいてくれることが分かったし、それは物質的な構成要素であるケーブル、ハードドライブ、モニターなどを破壊する事でも引き起こり、様々なコードやファイル形式との間にある相違を明らかにしてくれるものだと分かりました。

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Bronze Sculpture

あなたの作品には質感や質感の価値に関するものがあると思います。その二つを意識して創作している理由を教えてください。また、質感の価値に関する作品とデジタルの質感を用いた作品との違いを説明していただけますか。
僕はいつもオブジェクトやイメージの表層にあるもの、それらが構成する意味に興味を持ち続けてきました。自分の作品は、表面上のクオリティーを壊すよう企てることで、物事の本質をより明らかに見せようとする試みだと考えています。たとえば、貨幣に関する僕の作品は、硬貨に使用されている材料の価格が、実際の硬貨が持つ貨幣的な価値を上回る特定の時点を示すことで、表面にあるズレを明らかにしようとする試みです。
それでいうと、3D CADを用いた自分の作品も、ファイル内の破損やグリッチによって、物事の背後にあるより根源的な何かを明らかにしようとしている点では似ていますね。
でも、グリッチが今ではそれ自体が固有の美的価値のあるものとして受け入れられているのは興味深い。もし、エフェクトが人工的に生成されるようになれば、それは再びテクスチャーになっていくのでしょうね。

僕はグリッチというのは完璧な再現性の先を見せるもの、構造物の内部を表出させるものと思っています。デジタルによる完璧な再生という神話は今では綻び欠けているし、デジタルで作られた人工物を保つのはどれくらい難しいか、人々は気づき始めていると感じるのです。

あなたの作品にはインターネットの影響があると思っていますか。もしそうなら、どのような点でしょうか。
インターネットの影響は間違いなくありますね。僕の人生の大部分はインターネットが周りにあることによって、もたらされていると思う。僕は作品づくりの出発点として、オンライン上の画像やGoogle3Dギャラリーの3Dモデルをよく使っています。僕の作品自体も進行中のシリーズ「Iterations」についてコントロールするのをやめ、オンライン上で誰もが続きを行えるように許可しています。そうすることで、ネット文化にあるコピーや編集に対応できるようにしているのです。

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Iterations

今、特に注目しているアーティストや物事はありますか。
最近は、デジタルの素材を扱い、オンライン/オフラインそれぞれの体験にあるはずの差異を表現している本当に面白い作品を作るアーティストがたくさんいます。LaTurbo Avedonのプロジェクト「Panther Modern」はとても良い例です。また、Manuel Fernandez、Clement Valla、Thomson & Craighead、Julia Crabtree & William Evans、Jan Robert Leegte、Matthew Plummer-Fernandez、それからBenedict Drewの作品にも強い興味を持っています。まあ、この瞬間にも素晴らしい作品を生み出しているアーティストは、この領域の周りにはたくさんいると思いますよ。

今後のプロジェクトや将来的な計画などあれば、教えてください。
中国で次々に建設されている「コピータウン」に関するフィルムをSebastian Ackerと共同で制作し、それが完成しようとしているところです。コピータウンというのは、すでに存在している西洋の街並のレプリカのような街のことです(www.ackerthompson.tumblr.com)。また、9月中にはリュブリャナにある二つのギャラリーで開催される「永遠の9月」という展示にも参加します。

 

Photos courtesy the artist and XPO Gallery

Phil Thompson プロフィール
1988年マンチェスター生まれ。ロンドンに移住し、ゴールドスミスカレッジ、美術のスレイドスクールで彫刻を専攻。彼の作品は、ディジタル技術が既存のメディアや慣習に与える影響に取り組んでいる。パリのXPO Galleryで作品を発表した。

http://www.pjdthompson.co.uk/

Counterfeiting an alternate reality: olo

偽造をテーマに活動する作家olo。
彼の作り出す、ヒヤリとする「架空」の世界像。

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MASSAGE / Interview & Text: Yusuke Shono, Translation: Go Hirose

olo(オーエルオー)は、「架空」「偽造」をテーマに作品を制作する作家である。本名やその実生活は明らかにされておらず、発表形態はゲリラ的。独特のユーモアと、皮肉が込められた偽新聞のシリーズは、愉快犯的に拡散され、ネット界隈を騒がすことも多い。彼はまた、架空の紙幣の制作者でもあり、さまざまな用途での受注も行なっている。子供の頃より紙幣の魅力に取り憑かれ、続けてきた紙幣の研究により生み出されたその精巧なデザインは、架空とはいえ、実際の存在感を湛えた雰囲気、紙幣ならではの美しさを備えている。そして、最近では「隣接世界」と名付けられた並行世界の画像のシリーズにも注力している。その作品には想像力を刺激する不可思議な魅力がある。

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最初に制作された架空紙幣は三年前だそうですが、その作品は自分のために作ったものですか?
目的はそうですね。きっかけは、思いつきというのがひとつ。あと、たまたまその日残業を強制されて、ものすごく腹が立っていたんです。それで家に帰って、あ、千円札作ろうと。「日常」というアニメのキャラクターの作品なんですが、主人公が自分の描いたBLマンガを警察官に見られたくなくて、千円札を出して「これで勘弁してください!」と叫ぶシーンがあるんです。そのネタと仕事のストレスが急に結びついて、これを作ろうって。ストレス解消のためというか。

その一枚の千円札から、次々と架空紙幣を作っていくわけですね。
自分は絵が描けなかったんですが、昔はFlashアニメなんかも作っていました。お話を作ることが好きだったんですね。そこで、紙幣を使って世界の一部を作ることができるのかなと思ったんです。そこに紙幣があるっていうことは、それを作っている国がある。そこになにかの一端、現れとして紙幣がある。そんな感じで、お話の断片みたいなものがあるんです。

「偽物」を作るところにoloさんの特徴があると思うのですが、偽物にこだわる理由は何ですか?
例えば、紙幣にしろ立体物にしろ、レプリカとか偽物は壊しても本物が壊れているわけじゃない。それが安心できるというか……。1万円札を燃やすという気分を味わいたい時に、本当に燃やしちゃったら1万円がなくなっちゃうわけです。でも複製品を作って燃やしたら、同じような気分が味わえる。そのような考え方が根底にあります。既製品を自分で作って好きにいじりたい。それも合法の範囲内でですね。

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拡散した作品に関しては、自分が作者であるというのは明かさない?
まあ、そうですね。以前、「特定菓子贈与禁止法案可決」という、ヴァレンタインを禁止する法律が施行されますという内容の偽新聞を作ったんです。それを自分のブログに上げたのが転載されて、広がっていった。その偽新聞のまとめページがあるんですけど、そこでは出所はよく分からないということにされている。それは今思うと象徴的な出来事でしたね。

実名を出さない活動形態もそうですが、それはネットが出てきてはじめて成り立つやり方ですね。
いろんな人が面白いと思ったら拡散するし、そうでなければ広がらないですよね。そういう意味でいうと、自分が作ったものが他人が面白いと思うのかどうかが分かりやすい。

実はそういう考え方をずっと持っているんです。完全に共有している知識はひょっとしたらないんじゃないか、と。突き詰めていくと、完全に同じ知識を共有しているということはない。それでも、かろうじて曖昧な概念がお互いに保たれていて、どうにかコミュニケーションを取れている。

図や絵柄が人に影響を与えることに興味があると以前書かれていましたが、それも同じ発想から来ている?
架空紙幣に関しては「拡散」とは別のコンセプトで作ってます。細長い紙に何かが印刷されていても、お札には見えない。でも、こういう模様が入っているとお金に見えるということがある。お金として見えるためにどこかに言葉で説明できる理屈があるわけです。最低何があれば紙幣としての条件を揃えられるか。逆に何を省略して大丈夫なのか。架空紙幣に関しては、そうしたことの研究という意味があります。

紙幣というと法律なども関わってきますよね。そうしたことは気をつけていますか?
気をつけていますね。自分で法律や判例を調べて、こうすれば大丈夫だろうということはやっています。既存の通貨単位を使わないとか。本物と誤認されないように、裏面を刷らないとか。世界中の誰が見ても偽物だと分かる、それでいて紙幣感が感じられるものを作るということです。美術家の赤瀬川原平さんの前例にもあるように、簡単に捕まってしまう可能性もあるので。そういった意味でも気をつけなければならないですね。

最近の作品ですが、「隣接世界」はまた新しい展開を見せていますね。
元ネタは2チャンネルの書き込みなんですが、この世界に極めて近い並行世界に行ってしまって、その住人たちは日本語を使っているんだけども、配置がデタラメだったというものです。そのデタラメの恐怖感とはどんなものだろうと思ったのがこの作品の始まりです。そういうものを街中で見た時に、たぶんヒヤッとすると思うんです。それを自分で作ってみたいと。

そのヒヤッていう感覚はどこから来るんだと思いますか?
自分の持っている知識とか、他人と共有しているはずの知識が、全く役に立たないところに放り出されたらどうなるのか。そういう感覚を味わってもらいたい。どちらかというと怖いっていう感覚ですかね。いちどその世界を覗いてみたいというのはありますが、帰ってこられなくなったら嫌ですね(笑)。
 実はそういう考え方をずっと持っているんです。完全に共有している知識はひょっとしたらないんじゃないか、と。突き詰めていくと、完全に同じ知識を共有しているということはない。それでも、かろうじて曖昧な概念がお互いに保たれていて、どうにかコミュニケーションを取れている。でも、それは常に成り立つわけではない。あえて、それをとっぱらちゃったらどうなるんだろうか。そういうことを最近は考えています。

参考著作)すべてolo著
架空紙幣図録
合法的な架空紙幣の制作に関する考察
隣接世界訪問写真集