ベルリンと東京を拠点に活動するミームレーベル、e6849bがハックするブランドという記号

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e6849bはベルリンと東京を拠点に活動するミームレーベル。そのネーミングである文字コードが象徴するように、私たちのファッションの文化が織りなしてきた文化的なコードを転換するような実践を行っている。

例えば、Amazon Fashion Week TOKYOのメイン会場となった渋谷ヒカリエ、表参道ヒルズ付近で、路上生活者をモデルに起用したゲリラショーを開催したり、広告を掲載しない真っ白な大型アドトラックを走らせたりと、それらはこの都市を覆う既成の文化を真っ向から挑発する実験的な内容である。

また、購入者自身のアイテムにリブランディングを施す往復配送サービス “Ark” を展開。公式サイトで購入手続きを済ませた後、送られてきたパッケージにTシャツ等のアイテムを入れて指定住所に郵送すると、ロゴやシンボルが黒塗りされ、タグが64桁のハッシュ値に貼り替えられたアイテムが返送される仕組みとなっている。

ロゴを黒塗りにするという洋服におけるブランド性をリコンストラクションする試みに加え、Instagramでは路面店のロゴや、町中の広告が消去された映像を投稿している。これらは、この都市を埋め尽くす企業やブランドが作り出してきた文化的な記号を、余白へと戻してやることで、そこにもともと存在していた領域を露わにする試みであると言えるだろう。彼らが「自らのアルゴリズムを取り戻す」と表現するように、その余白には想像力を刺激する豊かさが感じとれる。

http://e6849b.com
https://www.instagram.com/e6849b/

山形一生 連載 第0回 水色のぷにぷに

ポストインターネットアート

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MASSAGE / Text: Issei Yamagata, Title image: Inoue

全5回を予定とする本連載は、「ポストインターネットアート」と呼ばれる芸術作品を考察していくものである。第0回となる本稿では、「ポストインターネットアート」を論じるにあたって、その名前に付随する「ポストインターネット」という概念について検証を行う。そして「ポストインターネットアート」が、いかにしてインターネットと関連しているのかを論じる。

続く第1回では、「展示記録」について考察する。ここでは、発表された展覧会や芸術作品を写真によって記録することや、ウェブ上に公開すること、図録となることなどが論点となる。というのも、筆者は「展示記録」というものが「ポストインターネットアート」を理解するための重要な手立てになると考えているからだ。

第2回以降では、それまでの議論を引き継ぎながら、アートブログ、作品画像の流通、スクリーンでの作品鑑賞などの諸問題から「ポストインターネットアート」を考察する。それら要素が私たちと芸術にどのような影響を与え、「ポストインターネットアート」と呼ばれるに至った芸術作品を生んだのかを論じ、第5回をもって連載を終えるものとする。

はじめに

「ポストインターネット」という概念は芸術だけでなく、ビジネスやファッション、音楽などのひろい分野で用いられ、それぞれの文脈において様々な意味が付加されてきた。こうした用語の乱用は、「ポストインターネット」という概念の利用に対する忌避感を与えるのみならず、インターネット世代、デジタルネイティブなどの世代区分と同様、特定の世代に共有された空気感のような曖昧な意味で用いられることもあった。そのような状態は、一部の批評家やキュレーター、アーティストたちの、この概念に対する辟易にもつながっている1。それは、この概念の持つ意味が曖昧にも関わらず、漠然と意味が共有されたかのような錯覚を生み出していることに起因すると考えられる。

筆者もまた、「ポストインターネット」という概念そのものの有用性を無批判に支持するわけではないにせよ、忌避感が先立ち漠然と議論が避けられているように思われる昨今の状況については残念に思う。たしかに「ポストインターネット」という概念は、バズワードとして広範に用いられたことよって、様々な誤解や議論のすれ違いの原因になっているという点で多くの問題を抱えているのは事実だが、この問題が直接「ポストインターネットアート」と関連付けられる芸術作品自体の問題へと直結すると考えるのは早計だろう。後に記述するが、そこには名称とカテゴライズに伴う問題が横たわっている。すなわち、「ポストインターネットアート」が、その着想において「ポストインターネット時代のアート」という意味であったとしても、実際に「ポストインターネットアート」と呼ばれるような個々の作品は、「ポストインターネット」状況から直接的に説明できるものではないということだ。(さらにいえば、もし「ポストインターネットアート」がそのような意味で用いられているとすれば、現在生み出されている芸術作品はすべからく「ポストインターネットアート」だということになってしまう。)

先に断っておけば、本連載は、「ポストインターネット」自体について検討するものでは決してない。そうではなく、2000年代後半から現在に至るまで発表され続けている「ポストインターネットアート」と呼ばれる芸術作品を対象に、その傾向や問題についてを考察していくものである。願わくば、単なる流行遅れの言説として排除したり、世代論として秘教化するのでもなく、「ポストインターネットアート」をめぐる議論が開かれたものになればと考えている。当連載が目指すものはそこにあり、その一助となることを願っている。

1. ライター、翻訳家、キュレーターであるブライアン・ドロイトクールは「ポストインターネットアート」という概念にしばしば強い拒否感を示しており、以下のように論じている。「ほとんどの人にとって「ポストインターネット」と大声で言うことは恥ずかしいことだろう。しかし、現代の美術において書かれる言葉の大半はそれであり、「ポストインターネット」は、人々がそれを言い続けるほど効率的なアートの仕事をしており、〔人々は〕困惑している。(…)人々がそれを気に入っていようが、嫌であろうが、無関心であろうが、今日の「ポストインターネット」が何を意味しているかを知っているようでありながら、十分にそれを説明をすることはできない」(Brian Droitcour「The Perils of Post-InternetArt」 [2019年3月にアクセス]) 並びに、「ポストインターネットアート」が語られる際、論者によっては「ニューメディアアート」として記述される場合もある。

芸術理論でもなく、メディア論でもない「ポストインターネット」

「ポストインターネット」という概念の利用は2008年前後からみられ2、その当時は批評家でありアーティストでもあるマリサ・オルソン3と、アートライターのジーン・マクヒュー4を除いて、多くの人々はこの概念を扱ってはいなかった。しかし現在では多くの展覧会や論考においてこの概念を利用した発表が行われるようになっている5。この「ポストインターネット」という概念は、2008年にオルソンのインタビュー6で初めて使用され、「人々はもはやオンライン/オフラインの区別をしな」いで、「〔メディアの存在を〕意識をせず〔グーグルで画像検索し、そのまま流用するように〕インターネットを扱うようになった」と彼女は指摘する。しかしオルソンはこの概念の定義や意味をしばしば拡張して用いており、2011年以降においては「インターネット〔の登場〕以降」という広漠な定義で用いている7

一方でマクヒューは、彼が執筆するブログ8のタイトルとして「ポストインターネット」の議論を引き継ぎながら、「インターネットがプログラマーやハッカーなどの領域になることをやめ、コンピュータに関する特別な関心や知識がない人々の日常生活の不可分となったとき、インターネットは変化した」9と論じている。

  1. 2. 初出の年号に関しては文献ごとに揺れがある。マクヒューの「Post Internet」(Gene McHugh「Post Internet」LINK Editions,2011年)では2007~9年にオルソンが扱い始めたと記述があるが、オルソンが「ポストインターネット」と発したことで有名なブログの記事そのものは2008年となっている。また、ブライアン・ドロイトクールは2009~2010年に当概念を発見し、その当時においてもオルソンとマクヒュー以外の人物は使ってはいなかったと記述している。本稿ではオルソンのインタビュー記事の発表に従って2008年からと記述する。並びに、日本国内では2014年にMassageとideaが特集を行い、2015年に美術手帖が大きく扱った。国外では、GoogleTrendsによると芸術カテゴリにおいて2011年8月ごろから検索がみられるようになり、2014年以降から連続的なものとなっている(googletrendsにて、地域をすべての国、芸術カテゴリ、「Postinternet」「Post-Internet」で検索)。日本では検索結果の顕著なグラフが現れておらず判断がしにくいが、芸術関連よりもネットワーク関連技術の記事の中で先に多く用いられたことがわかる(googletrendsにて、地域を日本、芸術カテゴリ、「ポストインターネット」で検索)。
  2. 3. Marisa Olson:1977年ドイツ生まれ。美術批評家、アーティスト。2006年に複数のアーティストが運営するコミュニティブログである《Nasty Nets》の設立初期メンバーとして知られる。
  3. 4. Gene McHugh:アートライター、アーティスト。ブルックリンを拠点とし、ArtforumやRhizomeなどに寄稿。
  4. 5. 『Art Post Internet』,2014年3月1日〜5月11日,ユーレンス現代美術センター セントラルギャラリー,北京,中華人民共和国
  5. 6. We Make Money not Art「Interview with Marisa Olson」 [2019年3月にアクセス]
  6. 7. オルソンは「ポストインターネット」を、インターネットを使用して作られた芸術、そしてネット上の検索という行為も制作として考えられるといった内容を述べている。(Gene Mchugh「Post Internet」LINK Editions,2011年)
    しかし、今の時代においてインターネットを用いないほうが稀であるため、技術の使用状況によって区分することは難しいだろう。彫刻家であれ、ペインターであれ、今日では誰もがインターネットを使用している。
    また、日本国内で行われたポストインターネットの議論に関しては、2012年に行われたICCでの座談会「『ポストインターネット』を考える(β)」(ICC「座談会「『ポストインターネット』を考える(β)」」 [2019年3月にアクセス] )ならびに美術手帖2015年6月号内の特集内にある水野勝仁の記述が詳しい。水野は定義の変化を以下のように論じる。「わずか3年のあいだにポストインターネットが強調していたネットとリアルの区別はもはや意識されることすらなくなり、インターネット以降の表現(が普及した状態)に対するラベルとしてポストインターネットが使われる状況になったのである」(水野勝仁「ポストインターネット用語20」『美術手帖2015年6月号 vol.67』美術出版社,2015年) ここで水野が論じた、ポストインターネットが使われる「状況」とは、哲学者であるLouis Doulasによる論考が参考となる(Louis Doulas,「Within Post Internet Part i 」,2011 [2019年3月にアクセス] )。
  7. 8. アンディ・ウォーホル財団の助成を得て1年に渡って執筆されている。
  8. 9. マクヒューのこの定義を参照する場合、「ポストインターネット」という概念の発足は、概念そのものが生まれた2008年からではなく、インターネットの一般化が大きく進んだ2000年代初頭頃からともいえるだろう。美術家の永田康祐は、ヴォルフガング・シュテーレの作品を論じた際、アレクサンダー・R・ギャロウェイが論述したインターネットに関する芸術を2つのフェーズにわけるという主張を引用しながら、「ポストインターネットアート」の発端を、2001年のテロ事件から見ることができるだろうと論じている。 (永田康祐「写真可能なものの政治性」『パンのパン03 たくさんの写真についての論特集号』パンのパン,2018年)

以上が黎明期における「ポストインターネット」という概念の扱われ方であり、研究や論考において言及される際には、この二者の考え方が始点となっている。そして、これらの論に共通することは、その指摘がインターネット自体の変化に関するものでもなければ、それが芸術にたいして直接的に及ぼす影響についてでもなく、インターネットによって変化せしめられた、ごく一般的な生活や社会のありかたに関するものであるということだ。すなわち、「ポストインターネット」にかかわる議論とは、芸術理論ではまったくない。さらにいえば技術論的なメディア論ですらない。ここで模索されているのは、インターネットを契機とした個別の文化における変容と文化分析に留まっている。

劇場としてのインターネット

筆者は、オルソンやマクヒューらによるこうした概念の利用を、芸術をはじめとする諸文化へ接続して用いることは困難と考えている。だが、今ではインターネットが電気や水道などの公共サービスと立場を共にし、意識せずとも使われるようになったという彼らの指摘は受け入れるべきだろう。この「ポストインターネット」という概念は2014年から世界的に現代美術の領域で利用され始め、近年では、World Wide Webを契機として1989年から現在(展覧会発表時においては2018年2月)までのインターネットに関する芸術作品を基軸とする展覧会10や、ミレニアル世代と呼ばれるインターネットと共に成長した人々と、その社会に何がもたらされたかを検証する展覧会11などの試みがされており、インターネットを歴史化するような試みが行われている。このような時代区分は議論の範囲を明確にする機能を果たす一方で、特定の世代による受容にその考察が集中したり、議論が特定の時代に収束する可能性を孕む。ここでは、ある世代のみに内面化された事象として語るのではなく、インターネットが私たちにどのようなことを与え、そして変化させたのかを考えたい。

  1. 10. 『Art in the Age of the Internet, 1989 to Today』,2018年2月7日〜5月20日,ボストン現代美術館,ボストン,アメリカ合衆国
  2. 11. 『I Was Rised On The Internet』,2018年6月23日〜10月14日,シカゴ現代美術館,シカゴ,アメリカ合衆国
  3. 12. 「ポストインターネット」が示そうとしたことは、こうしたインターネットの拡大による、ひとつの極点と考えることは出来るだろう。

インターネットは私たちのまわりにある様々なものを模倣し、インターネット空間へとインストールすることで、あえて誇張して言えば、世界になろうとしてきたといえるだろう12。かつてインターネットは、現実とは別にあるもう一つの世界としてサイバースペースとも呼ばれ、人々の没入の対象として存在していた。アカウントを作り、名前を付け、検索をし、お気に入りの画像をデスクトップ背景に設定して、フォルダ分けして、ゴミ箱に捨てて、投稿して、フレンドをみつけて、メッセージを送って、絵を描いて、アドレスを取得して、ホームに戻る。これら全ての活動は、現実の私たちの生活とはなかば切り離された仮想的なものとして行われていた。こうした活動がそれでもなお、リアリティをもって私たちに体験されているのは、インターネットの諸機能が私たちの活動に関連する隠喩として実装されているからに他ならない。これらの機能は、アンテナや電子回路、プログラム、各国の大規模なサーバー群、太平洋を横断する海底ケーブルなどの物理的な要素によって実現される一方で、画面上においては、アドレス、デスクトップ、ゴミ箱といったイメージを媒介として表現される13。そして、私たちはそれらが私たちの世界におけるアドレス(住所)やゴミ箱とは決して同一でないことに気づいていながらも、スクリーンに表示されるままのイメージを積極的に信じている14。私たちは、スクリーンの背後で行われることに関心を寄せることはなく、インターフェイスやイメージを、そのまま受け止め続ける。私たちとインターネットの関係は、そのような二重の態度で硬く結ばれてきたといえる。インターネットに関する議論においてしばしば挙げられるスクリーンやIoTの遍在化は、このような態度を自覚しないままに展開させる。このようなユビキタスなメディアは、私たちに絶えずなにかを見せ続けながら、同時に別のものを見えなくさせている。

Trevor Paglen,《NSA-Tapped Undersea Cables, North Pacific Ocean》,c-print,2016年

展示空間としてのインターネット

90年代から2000年代初頭におけるこうしたインターネットに関する議論は、インターネットと私たちの関係を明瞭に示したものだろう。サイバースペース独立宣言15からも理解できるように、かつてインターネットは現実世界とは隔離されたもう一つの仮想的な世界として扱われていた。そして、こうしたインターネットという世界を新たな芸術表現の場として利用したのが「ネットアート16」と呼ばれる芸術作品である。

  1. 13. ブレンダ・ローレル「劇場としてのコンピュータ」トッパン,1992年
  2. 14. 東浩紀「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2」河出書房新社,2011年
  3. 15. 1996年2月、当時アメリカで成立することとなったインターネットの通信品位法に対し、アメリカの詩人であるジョン・ペリー・バーロウが当法案に反対すべく発表したもの。サイバースペース(インターネット)は現実とは独立した空間であり、統治されることなく自由な空間であるべきとした。

fig.1 – Olia Lialina《My Boyfriend Came Back from the War》ウェブサイト,1996年

fig.2 – ALEXEI SHULGIN《FORM ART》ウェブサイト,1997年

「ネットアート」のいくつかの作品において、スクリーン上のインターフェイスが作品を組織する主要素として扱われることがある。「ネットアート」を論じる際の代表的な作品であるオリア・リアリナの《My Boyfriend Came Back from the War 17[fig.1]は、ハイパーテキスト、白黒のビットマップ画像、そしてウェブブラウザのフレームといったHTMLの基本要素によって構成されている。画像やテキストに設定されたリンクをモンタージュのように扱いながら、フレームが画面を分割し物語が展開される。また、アレクセイ・シュルギンの《FORM ART》[fig.2]では、ボタンやチェックボックス、スクロールバーなどのウェブブラウザ上で操作されるインターフェイスによって画面が構成されている。この二者は、ユーザーがウェブサイトを閲覧する際、マウスカーソルによって操作可能なインターフェイスとして認識しているフレームやボタンといったものを、作品のイメージや主軸を担うものとして扱うことが共通している。

他にもブラウザ上でレンダリングされた画面と、その裏で働いているソースコードを利用したもの18や、(当時における)ウェブサイトの読み込み速度を表現の根幹とする作品19なども発表されている。先述した私たちのスクリーンとの関わりに対して、ここではスクリーンの背後で行われているものを顕在化する試みが行われているといえるだろう。「ネットアート」は90年代後半になるにつれ画像が多く用いられるようになり、後に映像やFlashを基盤とする作品も出始め、2000年代にはBBSやブログを作品とするものが現れるようになった。そして、これら「ネットアート」と呼ばれる作品の大半は、かつての私たちとインターネットの関係と同様に、現実空間と半ば隔離されて表現が行われてきたといえる20。「ネットアート」において、ウェブサイトは、表現の媒体として用いられ、鑑賞者自身のインターネット環境において鑑賞されることを前提に発表されている。ネットアートの議論において、ロシアインターネットアートシーン21におけるアーティストの地域性や、冷笑的な態度やミームの利用といった文化的傾向について指摘されることがしばしばであるが、まず根幹となることは、作品がウェブサイトに依拠して発表され、ブラウザを通じて経験されるということである。

  1. 16. 「ネットアート」と「インターネットアート」は同義のものであり、文献ごとに表記揺れがある。本連載ではRhizome.orgに従って「ネットアート」を使用していく。
  2. 17. 当作品は後に他のアーティストたちから多くのオマージュを生み出した。それらの多くはフレーム構造を利用したものが多いが、ガスリー・ロナガンの《My Burger Came Back From The War》はもはやタイトル以外に類似を見いだせないなど、ネットアートにおける一つの指標として今でも扱われている。(Guthrie Lonergan《My Burger Came Back From The War》website,2012年)
  3. 18. JODI《http://wwwwwwwww.jodi.org/》website,1995年
  4. 19. JODI《AUTONOMATIC RAIN》website,1995年
  5. 20. 「ネットアート」と現実世界の影響と関係における議論は、etoyの《Toywar》(1999)やLYNN HERSHMAN LEESONによる《THE DOLLIE CLONE SERIES》(1995-1998)、そしてTSUNAMII.NETの《ALPHA3.4》(2002)が挙げられるだろう。これらは現実の株価に影響を与えるものや、webカメラを通して現実の風景を窃視するもの、インターネットと現実の距離の関連などを問題に扱っている。
  6. 21. 1990年代半ば当時のロシアでは、商業や出版業界におけるアートシーンに反発的だったアーティストにとって、インターネットは有効な表現手段として用いられていた。本稿でも記載したオリア・リアリナを筆頭に、ロシア前衛映画を制作する若いアーティストたちの活動と相まって、「ネットアート」はロシアで独自の発展が起きていた。 (Rachel Greene「Internet Art」Thames & Hudson,2004年)

なにかをインターネットと呼ぶこと

「ネットアート」と「ポストインターネットアート」は、名称も相まって、地続きに発展した芸術活動であると議論されることがある。キュレーターのローレン・コーネル22は、「ポストインターネットアート」とは「ネットアート」という巨人の肩に乗りながら、その実践をギャラリー文化へと奪還するものであるという指摘をしている23

  1. 22. Lauren Cornell:1978年生まれ、キュレーター。ニューミュージアムのキュレーションやRhizome.orgの編集に関わる。
  2. 23. Karen Archey and Robin Peckham「Art Post-Internet」Ullens Center for Contemporary Art in Beijing,2014年

たしかに「ポストインターネットアート」と呼ばれる作品やアーティストは、「ネットアート」で行われたいくつかの実践と共鳴する部分はあるかもしれない。しかし、「ポストインターネットアート」を「ネットアート」と地続きに関連して論じることは些か早計だろう。それは「ポストインターネットアート」は決して「ネットアート」のように、インターネットおよびウェブサイトの特性を条件として制作しているわけでもなければ、ネット空間固有のものとして独立する作品の形態でもないからだ。むしろ「ポストインターネットアート」はヴァーチャル空間やインターネットスペシフィックといった要素は撤退し、現実と双方向に位置するような実践を行っている。それ故、従来の芸術表現である絵画や彫刻、写真およびインスタレーションといった形式で制作され、ホワイトキューブで発表することが標準となっている。あえていうならば、「ポストインターネットアート」は従来の芸術表現や現代美術の実践に近接し、ふつうに作品を制作して発表するようになったのだ、といえるだろう。
 
それ故、「ポストインターネットアート」とされる芸術を一括りに論じることは困難を極めている。冒頭で述べたように、「ポストインターネットアート」がインターネット以降の社会状況や技術によって生まれた作品であることは事実だろう。それら作品をインターネットという用語によって包み込むこと自体は可能であるが、そのパッケージは今では何の意味も成さない。インターネットは私たちの活動の大部分に関連するものであり24、インターネット自体を基軸として何かを論じることは茫漠な議論を招く危うさがある。私たちがインターネットを主題とした時、その議論の中心は街中に点在するディスプレイやスマートフォン、JPEG画像やスクリーン上のインターフェイス、TwitterやInstagramなどのSNS、AmazonやAlibabaなどであり、それらは確かにインターネットと大きく関連しているが、インターネットそのものではない。現在のインターネットは私たちの世界を覆う一つのレイヤーとなっている25

以上の状況から「ポストインターネット」やインターネットを主題とする展覧会では、インターネットが誘起した問題を複数に分類し考察する試みが行われた。流通、言語、企業的美学、インフラ、パフォーマンス、監視、ヴァーチャル、新しい身体、などが例として挙げられている26。北京で行われた「Art Post Internet」という展覧会では、カーチャ・ノヴィツコワ27やティムール・シーキン28といったアーティストは「ポストヒューマンボディ」として分類され、ジョーダン・ウルフソン29やサイモン・デニー30は「ブランディングと企業の美学」に分類される。たしかに、それら分類から考察することも可能であるが、アーティストたちは社会状況や技術の実践に呼応して複数の問題を横断的に扱っている。そのため、一重に括ることは早計であり、しかしインターネットを用いるにはあまりに網羅的になってしまうという問題が「ポストインターネットアート」を論じる際の懸念として横たわっている。

  1. 24. e-flux journal「The Internet Does Not Exist」Sternberg Press,2015年
  2. 25. アーティストのヒト・シュタイエルは以下のように述べている 「(・・・)インターネットはこれまで以上に力を増しています。それは活気だけでなく、これまでのどの時点よりも多くの人々の想像力、注意力、生産性を十分に引き出しています。これまでにおいて、より多くの人々がウェブに依存し、埋め込まれ、監視され、そして搾取されたことはなかったでしょう。それは圧倒的で、目まぐるしく、すぐの代替はありません。インターネットはまず間違いなく死んでいないでしょう。それはむしろオールアウトとなった。より正確には、オールオーバーだ。(・・・)インターネットはどこにもありません。ネットワークが指数関数的に増えているように見える今日でも、多くの人々はインターネットへのアクセス権を持たなかったり、まったく使用していません。それにも関わらず、インターネットは別の方向へと拡大しています。それはオフラインへ移行し始めました。(・・・)周りを見てください、街全体がYouTube CADチュートリアルのふりをしているように、頬骨はエアブラシで磨かれています。」(Hito Steyerl「Too Much World : Is the Internet Dead?」『The Internet Does Not Exist』Sternberg Press,2015年)
  3. 26. 2014年、北京のユーレンス現代美術センターで行われた『Art Post Internet』では7つのサブテーマを設けている。distribution、language、the posthuman body、radical identification、branding and corporate aesthetics、painting and gesture、infrastructureである。並びに2018年にボストンICAで行われた『Art in the Age of the Internet, 1989 to Today』では5つ設定されており、Network and circulation、Hybrid Body、Virtual Worlds、States of surveillance、perfoming the self となる。
  4. 27. Katja Novitskova:エストニア生まれのアーティスト。インターネット上で流通する動物の画像や企業イメージを利用したフォトスカルプチャー作品である《Approximation》シリーズで知られる。
  5. 28. Timur Si-Qin:ベルリンを拠点に活動するアーティスト。商業的な画像の利用や、原始人の化石を3Dプリントした彫刻で作られた《Premier Machine Funerary》シリーズで知られる。
  6. 29. Jordan Wolfson:アメリカ生まれのアーティスト。女性型ヒューマノイドの作品である《Female Figure》、Alfred E. Neuman、Howdy Doodyといったアメリカのポップキャラクターを彷彿させる彫刻が機械によって幾度となく引き摺り回される《MANIC / LOVE》で知られる。
  7. 30. Simon Denny:ニュージーランド生まれのアーティスト。エドワード・スノーデンによって告発されたNSAの監視プログラムを契機とした作品《Modded Server Rack Display with Hack Change 》で知られる。

次回に寄せて

「ポストインターネット」が前提とするインターネットによる人々への影響は確かにあるだろう。しかし、その変化が全てインターネットが独自にもたらした劇的な出来事ではない。時にオールドメディアとして語られるビデオや印刷技術等もまた同時代的な知覚の在り方に変容を与えた。このような文化の変動そのものを定量化することは困難だが、これらの変化をしばしば芸術は受け止めてきたといえる。ポップアートやビデオアートなど、ある技術の革新はときに芸術作品を個別の領域へと誘う。後世にすれば、その個別性は作品の変化を理解する為の一時的な区分として役立ち、そして美術館およびコレクターに対するマーケットを開くためのパッケージとしての機能を果たしてもいる。しかし、その区分は条件を茫漠なままにカプセル化することも事実であり、場合によって、一過性の価値やトレンドとしてのみ乱用されることもある。そして「ポストインターネットアート」は、まさに茫漠なカプセルになりつつあり、それは付随する「インターネット」という用語が、現在では単一的に意味を指し示すことが出来ないことに起因していると考えられる。それ故、本連載はインターネットそのものを注視して対象を論述することはない。インターネットといった網羅的となる議論は採用せず、「展示記録」という視点に立つことで「ポストインターネットアート」を論じる。それらの政治性や問題を経由することは、インターネット自体を通じて論じるよりも理解を導く手立てになると考えているからだ。言葉を変えれば、本連載が論じるものは「展示記録時代の芸術」ともいえるだろう31

「ポストインターネットアート」を論じるにあたって、名に付随するインターネットを無視して議論を行うことは出来ず、第0回となる本稿は些か遠回りとなってしまったことをお詫び申し上げたい。続く第1回では、改めて「展示記録」に関する議論から「ポストインターネットアート」を考察する。

31. 「ポストインターネット」という概念の有効性の不確かさをここまで扱ったが、これは直接「ポストインターネットアート」という芸術を否定したいわけではない。私たちが感受している「ポストインターネットアート」とされる芸術は確かにあるだろう。しかし、そう呼ぶに相応しい名称が現在見当たらない為、本連載では引き続きこれらの作品を「ポストインターネットアート」と呼んでいく。

参考文献一覧

外国語文献
David A. Ross (Foreword)「010101: Art in Technological Times」San Francisco Museum, 2001年
Rachel Greene「Internet Art」Thames & Hudson, 2004年
Gene McHugh「Post Internet」LINK Editions, 2011年
Karen Archey and Robin Peckham「Art Post-Internet」Ullens Center for Contemporary Art in Beijing, 2014年
Simon Denny「The Personal Effects of Kim Dotcom」Walther Konig, 2014年
e-flux journal「The Internet Does Not Exist」Sternberg Press, 2015年
Lauren Cornell「Mass Effect: Art and the Internet in the Twenty-First Century (Critical Anthologies in Art and Culture)」The MIT Press, 2015年
Lauren Cornell, Ryan Trecartin「Surround Audience: New Museum Triennial 2015」Skira Rizzoli, 2015年
Melanie Bühler「No Internet, No Art – A Lunch Bytes Anthology」Onomatopee 102, 2015年
Agata Cieslak 「Pre-, during-, post-: Art and the Internet」Module: CP6010 Course: BA (hons) Fine Art The Cass Dissertation, 2015年
DIS「9. Berlin Biennale fuer Zeitgenoessische Kunst: The Present in Drag」Gestalten; Bilingual, 2016年
Omar Kholeif「Electronic Superhighway: From Experiments in Art and Technology to Art after the Internet」Whitechapel Gallery, 2016年
Omar Kholeif「I Was Raised on the Internet」Prestel, 2018年
Omar Kholeif「Goodbye, World!: Looking at Art in the Digital Age」Sternberg Press, 2018年
Omar Kholeif「You Are Here – Art After the Internet」Home and Space, 2018年
Eva Raspini「Art in the Age of the Internet, 1989 to Today」Yale University Press, 2018年
Living Content「Katja Novitskova and Timur Si-Qin in Conversation」『Living Content, issue 8』Living Content, 2018年

日本語文献
ブレンダ・ローレル「劇場としてのコンピュータ」トッパン,1992年
東浩紀「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 東浩紀アーカイブス2」河出書房新社,2011年
大森俊克「コンテンポラリー・ファインアート 同時代としての美術」美術出版社,2014年
髙岡謙太郎、ばるぼら「idea 2014年 09月号」誠文堂新光社; 隔月刊版,2014年
マッサージ編集部(Yusuke Shono, Kentaro Takaoka, Kanako Matsuya, Natsumi Fujita)「MASSAGE 9」MASSAGE,2014年
庄野祐輔「MASSAGE 10」MASSAGE,2015年
水野勝仁「ポストインターネット用語20」『美術手帖2015年6月号 vol.67』美術出版社,2015年
福尾匠「眼がスクリーンになるとき」フィルムアート社,2018年
永田康祐「写真可能なものの政治性」『パンのパン03 たくさんの写真についての論特集号』パンのパン,2018年
水野勝仁「ポストインターネットにおいて,否応なしに重なり合っていく世界」甲南女子大学研究紀要第 54 号 ,2018年

インターネット文献
Ian Wallace「What Is Post-Internet Art? Understanding the Revolutionary New Art Movement」 [2019年3月にアクセス]
Rhizome.org「NET ART ANTHOLOGY」[2019年3月にアクセス]
https://www.artspace.com/magazine/interviews_features/trend_report/post_internet_art-52138 [2019年3月にアクセス]
Brian Droitcour「The Perils of Post-InternetArt」[2019年3月にアクセス]
Brian Droitcour「Why I Hate Post-Internet Art」 [2019年3月にアクセス]
We Make Money not Art「Interview with Marisa Olson」 [2019年3月にアクセス]
ICC「座談会「『ポストインターネット』を考える(β)」 」[2019年3月にアクセス]
Louis Doulas「Within Post Internet Part i」[2019年3月にアクセス]
Gary Zhexi Zhang「Post-Internet Art: You’ll Know It When You See It」 [2019年3月にアクセス]

Interview with Yoshi Sodeoka

アナログとデジタルを行き交いながら、視覚をハッキングする有機的映像美

MASSAGE /
MASSAGE / Text & Interview: Yusuke Shono

30年にわたりNYで活動するヴィデオアートのアーティストでありミュージシャンでもあるYoshi Sodeoka。デジタルとアナログの間を横断しながら、まるでRGBの色彩で視覚をハッキングするようなサイケデリアが広がる、実験的な映像作品を作り出してきた。その作品は抽象的だが、独特の温かみと有機的複雑性、そして純粋な映像的快楽にも満ちている。また、その活動歴は、その作品と同じように多彩である。まだブラウザがNetscapeだった1990年台の、GIFアニメすらサポートされていなかった時代に、オンライン上で作品を閲覧することができるオンライン上のプラットフォーム「Word Magazin」にアートディレクターとして携わる。また、当時では珍しかった映像作品を集めたDVD作品集のリリースや、近年もまた実験的な映像作品をリリースするプラットフォーム「Undervolt&Co」を立ち上げるなど、自らの作品を発表するだけでなく、アーティストたちのハブとなるような空間の創造も行ってきた。今回、PHENOMENON: RGB展にも作品を出品中で来日中だった彼に、直接話を聞くことができた。

NYはもう30年になるそうですが、最初に映像の作品を作るようになったきっかけなどはあるのでしょうか?
95年ぐらいだったと思うんですけど、最初はインターネットアートのプロジェクトの「Word.com」というのをやっていたんです。マルチメディアでプレゼンテーションをする、GIFや映像が鑑賞できるサイトです。そのプロジェクトに、アートディレクターとして5年ぐらい携わりました。でも、テクノロジーはすごく変わってしまう。1年前に作った仕事が、ブラウザが新しくなってもう観られられなくなる。Shockwaveというソフトがあって、それもよく使ってたけどもう使えなくなったりとか。そういうことが頻繁にあって、そのことが結構フラストレーションだったんです。そこで、やっぱり表現するメディアとして、ヴィデオがよいのかもしれないと考えるようになりました。

たしかに、映像のテクノロジーはブラウザに比べたら変化が緩やかですよね。
そもそもヴィデオというのはシンプルなんです。たとえばQuickTimeがなくなっても、ほかのフォーマットにコンバートすることはそんなに難しくない。ソフトウェア会社に振り回されるのは嫌だ、というのもあります。企業は経済的な判断を優先しますから。それなら自分で自分の信じていることをやりたい、と思うようになりました。そこから、ヴィデオ作品を作ることに集中し始めたんです。2001年には、DVDの作品集も作りました。出版も自分で。その頃はそういうことをやってくれる人はだれもいなかったから自分でやるほかなかったんです。とりあえずお金を集めて、ハリーポッターを出版してるDVDの会社に頼んでマスターを作ってもらいました。そのときは結構珍しいものだったから、日本でも売ってもらったり、雑誌なんかで取り上げてもらいました。今はDVDの時代も終わっちゃっいましたけどね。2004年くらいに第二弾もリリースしました。

確かに当時は映像を見る手段はほかにはあまりなかったですよね。
YouTubeが始まったのが2005年だから、当時はオンラインでヴィデオは観る簡単な方法がなかったんです。ギャラリーでも、こういった実験映像の展示などはあまり行われていませんでした。だからDVDを作ることが、一番いい方法だと考えたんです。音楽もやってたので、CDを自分で焼いて聴いてもらうということにも慣れいていた。だから、映像も同じアイデアでやればいいかなと。

そこからどうやってミュージックビデオなどを手がけるようになったのでしょうか?
そういう活動が少しづつ人に知られるようになって、〈WARP〉の仕事を手がけ始めたのが、2010年くらいです。彼らって変わったことをやりたい人たちなんですよね。小さいレーベルだからお金が凄くあるわけじゃないんだけど、実験的なことができる。だからやりがいがありました。そういう仕事をするようになって、こういうふうにお金を作る方法もある、ということを知ったんです。仕事は仕事なんだけど。自分では仕事のようには思ってなかったですね。コミッションワークみたいな感じです。

内容に関して自由にやらせてもらえる、ということでしょうか?
そうですね。これは最初に言うんですけど、細かく指示される仕事はあまりやりたくないんです。だから、最初に自由に作らせてくださいということは言うようにしています。その点でいうと、大抵のレーベルの人たちは理解があります。ミュージシャンもヴィジュアルアートの人たちも、アーティスト同士ですから。

ミュージックビデオの仕事で、特に印象に残っている仕事はありますか?
大きかったのは、Tame Impalaとの作品ですね。まだ彼らも、今ほどの人気ではなかったんですが、僕が作ったシングルのヴィデオですごく人気が出たんです。そこからそういった仕事が増えました。だけどポップミュージックではなくて、実験的なスタイルのアーティストから頼まれることが多い。IDMもあれば、ロックのバンドも。

他のアーティストとコラボレーションもよくされていますね。ほかのアーティストと一緒に仕事をするのは好きですか?
好きですね。今回の展示にも出品しているSabrina Rattéと一緒にアートディレクションをやったことがあります。もう10年位付き合いがあるかな。国外の人と働くことが多いですね。だからみなオンラインでやりとりしますね。NYに住んでるけど、やっぱりヨーロッパ。あとはLAの人が多いかもしれない。

Yoshiさんが最近映像を手がけたレーベルの〈RVNG〉もNY拠点ですが、NYは実験的なことをやっている人は多いんでしょうか?
多いですね。アートの中心ですから。だけどやっぱり家賃とか生活費とかが高いから結構逃げていっちゃう人も多いですね。

Yoshiさんの制作活動は普段はどんな感じなんでしょうか?
スタジオはトライベッカの方にあって、ローワーイーストサイドの自宅を自転車で行き来しています。朝10時には出勤して6時には帰るっていうスケジュールを保つようにしてます。コミッションでやる仕事と自分の作品を作る時間を分けて、開いてる時間にはずっと自分の作品を作っていますね。

今回RGB展に出品されている作品にはどのような背景があるのでしょうか?
最近、ブラジルのMYMKというミュージシャンとよく一緒に作品を作っているのですけど、今回の作品はそのシリーズです。いままでとは、ちょっと違った路線の作品です。オーディオリアクティブになっているんですが、以前はそういった作品は好きじゃなかった。音に反応するというと単純な動きを作る人が多い。この作品は音との反応を微妙にわかりにくくしています。

確かに音との連動性はそこまで直接的には見えてこないですね。
彼の音楽の方向性が割とリズムがなく、抽象的だからかもしれません。あと、オンラインに作品を上げたりすると、どういうふうに作るのか聞かれることが多いんです。プロセスがすごくややこしくて説明するのも難しいというのもあるんですけど、あまり手法のことは聞かれたくないんです。実は、小さいときから油絵を習っていたんですが、トラディショナルなアートは、その手法自体に興味を持たれることが少ない。観ることに意識が行っていて、筆をどう使うかということには関心がない。デジタルアートというのもそういう風になっていかないといけないんじゃないかなと思うんです。

なるほどですね。それでいうとYoshiさんの作品には、油絵の具を重ねるときのようなレイヤー感も感じます。作品のスタイルもとても幅広いですけど、普段の作品の実験が作品化されていく、というような進め方になるのでしょうか?
プエジェクトによっても違うんですけど、いろいろなフェーズがあります。まずはアナログでやって、それがうまく理解できるようになったら次に挑戦するという感じで。今は新しいスタイルを作り出しているけど、実験したことは全部後で役に立ちます。映像で編み出した手法を使ってグラフィックも作るしね。

たしかに、映像作品に掲載されているスチールが印象的でした。
一つ一つのカットの見た目が良くないといけないと考えてます。ヴィデオを作っているんだけど、ポートフォリオにスティールも入れるでしょ。止まった状態の絵でよいか悪いかを判断する制作プロセスも影響している気もします。映像を止めて静止画を確認して、またちょっと止めてというのを、一日中やっていますから。

しっかりプランして作るというより、自然のままに任せて作るという感じでしょうか?
最初に思い描いたイメージは、作っていくうちにだいたい変わっていきますね。仕事だと最初にプロポーザルを出すプロセスがありますよね。予め仕上がりを見せるのはあんまり得意じゃないんです。作っていくプロセスで新しい発見をすることが多いですから。一つ一つが実験という作り方なんですけど、長年やっているので、そこは信頼してくれる人が多いです。あとは一番最初に、そこをはっきりと伝えますね。どうなるかわからないけど、絶対良くなるから信頼してくれって。そしたら、なんとかなりますよ。

https://sodeoka.com/

PHENOMENON: RGB 展示風景

PHENOMENON: RGB 展示情報
会期:2019年2月23日(土)~3月11日(月)時間:11am~21pm会場:ラフォーレミュージアム原宿 入場料:無料 主催:ラフォーレ原宿
協賛:FRAMED*、八紘美術
機材協力:株式会社 映像システム
企画制作:ラフォーレ原宿、CALM&PUNK GALLERY(GAS AS INTERFACE)
会場デザイン、グラフィックデザイン:YAR

会場には、ファッション、アートの分野で活躍する アーティスト・Jonathan Zawada、グラフィックアーティスト・YOSHIROTTEN、視覚ディレクター・河野未彩による新作大型インスタレーションが立ち現れる。また、その周りを取り囲むように、国内外6名のアーティスト ― 藤倉麻子、Kim Laughton、Natalia Stuyk、MSHR、Sabrina Ratté、Yoshi Sodeokaの映像作品が会場全体を鮮やかな光で包む。

Interview with MSHR

音と光が鮮やかに混じり合う、ハイパーディメンジョナルな空間。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview and text: Kazunori Toganoki

Birch CooperとBrenna MurphyからなるMSHRは、ニューヨークを拠点に活動を行うアートコレクティブである。自作のシンセサイザーを用いた音響作品やパフォーマンス、コンピューターグラフィクスに基づく彫刻や映像作品、VRを取り入れたインスタレーションなど、多岐にわたる分野を横断しながら、そのアーティスト名が意味するように、ビジュアルとサウンド、アナログとデジタル、リアルとヴァーチャルといった、異なるコンポーネント同士を複合的に“Mesh”(結合)させ、ハイパーディメンジョナルな空間芸術を作り出していく。一見過剰なまでに放出される色彩とサウンドは崩壊に陥ることなく、自然界のエコロジーにも似た有機的なフィードバックシステムのもとで、複雑で鮮やかなフタクタル構造を形成していく。またBrennaはVisible Cloaksの一連の作品のビジュアル、Maxwell August Croyのプロジェクト、Kagamiのアートワーク、本サイトのMASSAGE10号の表紙デザイン、最近ではティモシー・モートン著『Hyperobjects』のイタリア語翻訳版の装丁を担当するなど、グラフィックデザインの仕事でもその名が知られている。昨年には来日を果たし、現在ラフォーレ原宿で開催されている展覧会『PHENOMENON:RGB』に新作の映像を提供している彼らに、その音楽性やルーツについて伺った。

あなたたちが出会うきっかけとなったアートコレクティブについて教えてください。現在のMSHRとしての活動のベースに、そのコレクティブの存在があると伺いました。

Brenna(Br) 2007年から2011年までの4年間に渡って、オレゴン州ポートランドでOregon Painting Society(以下OPS)というアートコレクティブを活動させていました。メンバーは私とBirchを含めた計5人で、大きな一軒家を借りて共同で生活をしつつ、インスタレーションやライブパフォーマンスなど色々な表現手段を模索しながら、精力的に活動を続けていました。

Birch(Bi) OPSにはリーダー的な存在や、ヒエラルキーがなかったので、誰もが同等の立場でした。また、いわゆるオーナーシップも設けなかったので、メンバーのアイデアや、機材や彫刻、衣装などは誰が使用しても、またどのようにエディットしてもよかったんです。明確なルールを作らずに、流動的なコラボレーションを繰り返すことで、OPSは断続的な変化を続けながら、成長を遂げることができました。

Br 結成した当初は、一体何からすればよいのか分からなくて、皆で一枚の紙に絵を書いたところから始まったんです。そこから毎週ミーティングを開いて意見を持ち寄り、それぞれの異なるバックグラウンドを活かしながらアイデアを具現化させていきましたね。

Bi 例えば自分の場合、インタラクティブな音楽機材の制作というバックグラウンドがあったので、コレクティブの中ではサウンド担当として、インスタレーションとパフォーマンスを兼ねた機材を開発し、少しづつ発展させていきました。

Br 様々な人をまきこみながら複合的に生じていく一連のコラボレーションは、どう転ぶのか先の予測がつきませんでしたが、とても有意義な出来事でした。OPSが終わり、MSHRがスタートしてからも、あの時の経験が、今でも自分たちの創作活動の核にありますね。

Photo: Daniel Kent

コレクティブのメンバーを紹介していただけますか?

Bi 最初は10人以上メンバーがいたんですが、最終的に私とBirch、Matt Carlson、Barbara Kinzle、Jason Traegerの5人になりました。

Br Matt Carlsonはコンピューター・ミュージックを扱う音楽家で、Golden Retrieverというグループとソロの両方で活動していますよ。

Shelter Pressからソロアルバムをリリースしていますよね。そういえば確かポートランドの大きな教会で、彼が有名なラーガの演奏者とコラボレーションしたのを見た覚えがあります。

Br その演奏者はMichael Stirlingですね。あれは素晴らしいコンサートでした。

Bi 私たちは彼のボイストレーニングの授業を何年か受けていたんです。マイケルは元々Terry Rileyの師弟で、Pandit Pran Nathとも知り合いでした。毎週日曜日の朝、彼は自宅の庭にたくさんの人達を招いてDIYの授業を開いていたんです。最初に彼がラーガの旋律を歌って、そのあとにみんなが彼の歌声を習って、見よう見まねで自由に発声していました。

Br La Monte YoungやTerry Rileyといった北インド音楽から影響を受けた音楽家たちは、プレイヤーとしても作曲家としても僕らにとって大きな存在だったので、その直系の人物が偶然ポートランドに住んでいて、彼から教えを受けられるというのは光栄なことでした。地元の実験音楽シーンに関わっている人の多くが授業を受けに来ていましたね。彼はスペシャルな存在です。

そのような人がローカルのアーティスト達と交流があったというのはとても興味深いです。ほかのメンバーについても教えてもらえますか?

Br Jason Traegerはペインターやフォトグラファー、今はスタンドアップコメディアンとして活躍しているアーティストで、私たちより一回りほど年上で、みんなから頼られる存在でした。

Bi 彼は人生経験が豊富で、すごく面白い経歴を持っているんです。17歳で高校を中退した時に、ハードコアバンドの7 Secondsのローディーとしてバンドと一緒にアメリカ中をツアーで周ることになり、それからサンフランシスコで、Dead KennedysのJello Biafraが主宰するAlternative Tentaclesで働き始めました。その後、彼自身も音楽を始めて、オリンピアに引っ越した時、Calvin Johnsonとルームメイトになった所以もあって、Kレコーズからレコードを出しました。そこから喋りの才能を活かして、スタンダップコメディアンとして活動を始めるようになって、キャリアを積んだ後にポートランドに移ってきて、Pacific Northwest College of Art(PNCA)というアートスクールに入学したんです。そこで僕たちや、OPSのもう一人のメンバーのBarbaraと出会うことになりました。

Br 40歳を過ぎてからペインターとしても活動を始めましたが、シュルレアリスティックな作風で素晴らしいんです。若い時からずっと何かに駆られて創作活動を続けている、才能ある人間ですね。それにコレクティブでは、年長者として色んなアイデアをまとめる役割を果たしてくれて、彼がいなければ、たぶん私たちの活動はうまく続かなかったと思います。

Photo: Walter Wlodarczyk

活動していた頃、ポートランドであなたたちのほかにアートコレクティブはありましたか?

Bi Woolly Mammoth Comes to Dinnerという女性三人組のダンスコレクティブがいましたね。僕らと何度かコラボしたこともありました。あとはFuture Death Tollという、オレンジ色の衣装をつけて、サウンドパフォーマンスを行うグループだったり。

Br コレクティブの数はそんなに多くなかったと思います。ただもっと広い範囲で、インディペンデントなアートシーン全体が当時ポートランド中で盛り上がっていて、自分たちの活動に協力してくれました。「コレクティブ」そのものにたくさんの人がエキサイトしてくれたし、色々な人が見にきてくれたので、ほぼ毎月なにかしらのイベントを開催していました。

Bi OPSが始まったとき、音楽のシーンも非常にクールでした。特にノイズミュージックが盛んで、それほど大きいコミュニティでもなかったので、知名度を問わず皆が一緒くたになってプレイしていましたね。

Smegmaのメンバーで、現在はThe Tensesとして活動しているリックとジャッキー夫妻とも交流が深かったですよね。昨年には彼らとのコラボレーション作品をリリースもしました。エクスペリメンタルシーンの長として地元では崇められていましたが、何がきっかけで出会ったか覚えていますか?

Br 小さなシーンだったので、誰か興味のある人がいれば、すぐ繋がることができました。共通の友人から紹介してもらい、自分たちが主催するハウスショーに彼らを呼んだのがきっかけです。たしかその日は、フィンランドのJan Anderzenや日本のASUNA、Mark McGuire、Monopoly Child Star SearchersのSpencer Clarkらを共演者に招いて、とても良いショーになりました。懐かしいですね。そこから二人と交流がスタートし、毎週彼らの家に機材を持ち寄って、何年間も一緒にジャム・セッションを続けていたんです。

ではMSHRに話を移らせてください。オリジナルの彫刻/音響的な装置群を用いて光と音のフィードバックを作り出していく、というのがあなたたちの音楽的特徴の大きな一つの要素かと思いますが、シンセサイザーの役割や、具体的なシステムのメカニズムについて教えていただけますか。

Bi 従来のアナログなエレクトロニック機材を、サウンドとビジュアル相互の次元でインタラクトさせる装置へ独自に発達させたものが現在の形になっています。コレクティブの初めの頃は、ひとつのオシレーターしか搭載されていないような、シンプルなシンセサイザーでしたが、MSHRを結成後に、新しい方向性や美学を見出して、モジュラーシンセサイザーのユーロラックのような、より複雑な回路と組み合わせに対応した機能とデザインへ拡張していきました。ただし通常のモジュラーとは異なって、デジタル信号が用いられていますし、本体には光を入力するセンサーと、その光源量を調整するパラメーターが搭載されていて、音の原型となるオシレーターは、光の入力レベルに応じてモジュールされるんです。そして光を発するバルブにも、音を入力するセンサーが搭載されているので、音の入力レベルに応じてモジュールされ、そのモジュールされた光がまた別の音のセンサーに出力されて…といったような無限のフィードバック現象が生じます。FMシンセサイザーの、モジュールとキャリアの関係性の原理を考えてもらったらよいかもしれません。

Br 私たちは音そのものを、川や海、風といったような自然現象で生じる「流れ」のように捉えています。フィードバックという作用を用いて、音がどのように発生し、複数のエレメント間で影響を与えながら変化して、還っていくのかという、一連の有機的な生成運動を描いていくんです。

「流れ」という考えにも繋がると思いますが、あなたたちは音や光によって立ち現れる空間性というものに非常に意識的ですよね。

Bi そうですね、とても大事です。私たちの音楽は、まず具体的な場所の空間に依るところがありますから。音のフィードバック自体は勝手に生じますが、空間との共振関係によって、良し悪しのコンテクストは大きく異なるんです。パフォーマンス中、自分たちは音を奏でるというよりは、PAのように全体の流れを調整しながら、鳴らされた音と空間同士を上手く共振させていきます。

Br ただ演奏自体は固定化されていて、その都度やり方をフレキシブルに変更することはできないので、物理的な空間の大きさや、光の具合によって実際にはかなり左右されます。けれど、自分たちの関与できない脆性が予めシステムに組み込まれていることで、毎回予測不可能なチャンス・オペレーションが作り出されるので、サイトスペシフィックにならざるをえないという点は、結果的に私たちのパフォーマンスの一つの面白さになっていると思っています。

Bi たまに思わぬアクシデントに出くわすこともありますね。以前ヘルシンキのSorbusというDIYギャラリーでショウがあった時、イベントの趣向がオープンエアーということで、路上に面したエントランスの一面の窓が外されていたんです。サマータイムの関係で日が暮れず、日差しが入ってくる状況だったので、さすがに普段の光を用いたパフォーマンスはできず、急遽コンピューターで代替したセットを組みました。野外での演奏は私たちには向いていないんです(笑)。

音楽のコンセプトについてですが、「ハイパーリアルな領域を顕在化させていく」ことがもともとの目的だと述べていましたね。パフォーマンスでは圧倒的なまでにカオティックな視覚性が強調されると同時に、体験する側に、ある種の内省や瞑想を促すかのようなスタティックな力も働いているように思います。表現という視点からみて、空間はどのような意味を持つのでしょうか。

Bi 私たちの作品に限らず、音楽という音の複合体にはもともと空間性が備わっていて、実際には目視できませんが、建築や彫刻と同じように、脳内では立体的なオブジェクトとして認識されています。目に見えない空間のメカニズム、つまり構造や法則が一体どんなものなのか、私たちは自分たちの装置やパフォーマンスを媒介して学び、近づこうと試みています。言葉で伝えるのはなかなか難しいですけれどね。

Br  もともと身体器官では直接的に感知できないフォームやライン、あるいは場所の痕跡を辿ることに興味があって、自分たちの表現を通せば、そういう意識を超越した、ファンダメンタルな次元に不思議とアクセスできるんです。デジタルというツールを使って、それらを具体的なレベルに還元したものが、MSHRの映像やスカルプチャーには現れていると思います。

Bi 私たちはビジュアルアーティストであり、サウンドアーティストでもあるので、視覚的手法、聴覚的手法、どちらにも比重が傾かず相互作用するよう、とても注意を払うようにしています。

実験音楽家のDavid Tudorにも大きな影響を受けているらしいですね。

Bi はい!彼はフィードバック現象を用いたエレクトロニック・ミュージックを探求した人物で、作曲法や作品、それにシンセサイザーのデザインでも多大なインスピレーションを受けました。有機的に作動するシステム構造という点でも、私たちとTudorは相通ずるものがあると思います。

Br コレクティブの最初の頃、Birchが自分たちに『Rainforest』というタイトルのレコーディング音源を聴かせてくれたんです。誰かが「確かに、これはTudorの『Rainforest』みたいだね」と言ったら、Birchから「何それ?」って言葉が返ってきて。まだその時、Tudorの存在を知らなかったんですね。すごい偶然の一致だったので、みんなで驚きました。

最近はVRを用いたインスタレーション作品に新しく取り組んでいます。他の分野での表現と比べて、何か違いはありますか。

Br まずVR作品では、これまで作ってきたインスタレーションにはない試みが色々なされています。今までのインスタレーションはパフォーマンスと同じく、アナログの装置から生まれるフィードバックといった、フィジカルな側面が中心でしたが、VRにはそういった要素はなく、全てデジタルで構成されています。コンセプトとしては、私たちはVRを映画やゲームといった実用的な用具としてではなく、現実とヴァーチャルの空間を多層化させる、ひとつのスカルプチャーとして捉えています。ヴァーチャル内のイメージと、床にプリントされた装飾は全く同じではないですがリンクしていて、ヘッドセットを着けたり外したり、あるいはそれを着けて歩き回ることで、身体レベルで揺らぎが起こり、現実とヴァーチャル間の境界がクロスしていきます。

Bi またTudorに話は戻りますが、去年ニューヨークで行われたイベントで、Tudorのスコアともいえる、サウンドプログラムがグラフ化されたフローチャートを、あるアーティストがヴィジュアライズし、設計図自体を作品に発展させたものを見る機会がありました。そのアイデアにとても影響を受け、私たちも自分たちのフィードバック回路のダイアグラムを、実際のヴィジュアルの要素として取り入れてVRに取り入れてみたんです。VRの床の装飾は、システムを起動させるダイアグラムであり、同時に空間を作用させる実際のトリガーとしても機能しているので、いわば二重の意味をなしているんです。

Bi また通常のVRだと、ヘッドセットをつけた人間だけがヴァーチャル空間を体験できて、他の人達はそれが終わるのをただ眺めて待つしかないですよね。体験は一人だけの特権だから、ヴァーチャルと現実の人間間で、いわば覗き見行為のような、奇妙な分断ができてしまう。ですが私たちのVRでは、体験する側の動きに応じて部屋全体に設置された光とスピーカーのサウンドが変化するシステムなので、VRの体験者は現実空間に作用する、いわばパフォーマーとして機能しています。そしてそれを、他の人達がオーディエンスとして体験することができるんです。一つの関係性が生まれるんですね。自分たちにとって、これは新しい表現の試みの一つになりました。

現在日本で行われている展示『PHENOMENON:RGB』に、お二人も映像作品を提供しています。RGBという色彩の表象法が今回の展示のテーマですが、あなたたちにとって色彩は、作品表現とどのような関わりを持つのでしょうか。

Bi 私たちの映像作品にとって、色彩は彫刻性と同じくらい重要な要素です。とりわけRGBが作り出す、玉虫色の光沢感に強く魅了されてきました。色彩自体もですが、色彩のサーフェイスが醸成する空間のテキスチャーも含めて、これまでのほぼ全ての作品の色彩表現にRGBを使用してきました。そういう意味でも、今回の展示のテーマは自分たちにとって親和性が高いんです。

数年前に活動の拠点をポートランドからニューヨークに移しましたが、何がきっかけだったのでしょう。また制作のうえで、大きな変化はありましたか。

Bi ポートランド時代の友人が、ニューヨークで新しくAmerican Mediumというコンテンポラリー・アートのギャラリーを始めたんです(2018年12月にクローズ)。彼らからアパートメントに空きができるからこっちにこないかと誘われて、それでポートランドを離れることになりました。

Br 違いといえば時間の流れですね。ポートランドではスローテンポな生活というか、ゆったりとした速度で動いていましたが、ニューヨークは街も人が常に目まぐるしく移り変わるので、かなりインテンスです。展示やショウの数も増えたので、今までより忙しいサイクルで動かないといけなくなりました。

Bi 今までのように、落ち着いて制作に取り込むことはできなくなりましたが、スピーディーな流れに合わせることで、これまでとは違った作品が生まれることもあります。どちらにもメリット、デメリットがあると思います。

Photo: Sergio Urbina

昨年は、アジアやフィンランド、イギリスやポルトガルといった国を訪れながら活動を行なっていましたよね。海外のレジデンシー生活やツアーに、インスピレーションを受けることはありますか。

Br 現地の人々と交流して、彼らのアートや音楽、ローカルなシーンを学ぶことができるのが旅の醍醐味です。昨年は色々な国を巡ることができて幸運でした。訪れた国全てが素晴らしかったですが、なかでもフィンランドとポルトガル、それに日本で出会えた人達やコミュニティーにインスパイアを受けました。海外での滞在は、創作の原動力としても、インスピレーションとしても、自分たちにとってメインのソースだと思います。

今後の予定を教えてください。

Bi 海外でのプロジェクトが続くので、去年に引き続いて、今年も旅が続くことになりそうです。今はオースティンにあるThe Museum of Human Achievementのレジデンシーにいて、メキシコで開催されるフェスティバルに参加するため、これからオアハカに向かいます。それが終わったら、今度はVRのインスタレーションの展示のためにモントリオールを訪れて、その後はロッテルダムのDePlayerというデザイングループと、本やアルバムにまつわる共同プロジェクトがあるので、ヨーロッパに向かいます。今年中には、またアジアに戻ってきたいと色々計画しているところですよ!

http://mshr.info
http://bmruernpnhay.com
http://birchcooper.net

PHENOMENON: RGB 展示情報
会期:2019年2月23日(土)~3月11日(月)時間:11am~21pm会場:ラフォーレミュージアム原宿 入場料:無料 主催:ラフォーレ原宿
協賛:FRAMED*、八紘美術
機材協力:株式会社 映像システム
企画制作:ラフォーレ原宿、CALM&PUNK GALLERY(GAS AS INTERFACE)
会場デザイン、グラフィックデザイン:YAR

会場には、ファッション、アートの分野で活躍する アーティスト・Jonathan Zawada、グラフィックアーティスト・YOSHIROTTEN、視覚ディレクター・河野未彩による新作大型インスタレーションが立ち現れる。また、その周りを取り囲むように、国内外6名のアーティスト ― 藤倉麻子、Kim Laughton、Natalia Stuyk、MSHR、Sabrina Ratté、Yoshi Sodeokaの映像作品が会場全体を鮮やかな光で包む。