水野勝仁 連載第2回
サーフェイスから透かし見る👓👀🤳

3DCGを切り取る「型」としてのバルクとサーフェイス

Masanori Mizuno /
Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title Image: Haruna Kawai

エキソニモの赤岩やえのスクリーンショットではディスプレイを含む手前と奥の空間を問題にしたが、山形一生の作品《Untitled(bird)》、《Untitled(stingray)》ではディスプレイのなかの空間が問題なっている。ディスプレイの表面を形成するガラスとそのなかに広がるピクセルが形成する3DCGの空間とが、ディスプレイを型としてキューブのようなモノとして切り抜かれている感じがある。そこでは、ガラスがサーフェイスとなり、3DCG空間がバルクとなっている。さらに、山形は《ミュータント・スライム》では、透明なアクリル板を用いて、3DCG空間を、文字通り、モノとして切り抜いているように見える。

なぜ、山形の作品は3DCG空間をモノとして切り抜いているように見えるのだろうか。山形は3DCGについて次のように述べている。

ゲームやネットなどのヴァーチャルな世界観と生物飼育はあくまで別物です。ただ、幼い頃から行なってきたことなので、自身の美意識や判断に大きく影響を及ぼしていると言えます。例えば、3DCGは表面のテクスチャのみを描画するのが基本で、中身は完全な空洞です。昆虫の脱皮殻も外見は普通だけれど、中を見ると空洞という点では同じです。そこから思考を発展し、基本的に僕らは対象の表面しか知覚しておらず、それに大きく信頼の比重を置いていると考える。そしてまた、果たしてそうだろうかと、ふたたび疑いのまなざしを向けてみる。基本はアイロニカルに思考を追い詰めていきますが、最終的にはユーモラスな答えを立ち上げるべき、と最近は考えています
https://i-d.vice.com/jp/article/mb3vdq/issei-yamagata-interview-for-joy-issue

ここで注目したいのは、「表面のテクスチャ」とその中身が「空洞」であるという、山形の3DCGに対する認識である。山形は作品で3DCGを使いながら、自身の認識を反転させているいるのではないだろうか。山形の作品では、3DCGのなかが空洞ではなく、テクスチャと密接な関係を持つモノとなっていると考えられる。それは、空洞という何もない状態を何かあるものとして扱うことであり、そこでは、テクスチャがサーフェイスとなり、空洞がバルクとなって3DCGのオブジェクトだけではなく、その空間も一つのモノとしてそこにあるように見えるのである、テクスチャと空洞とを手掛かりに、山形の作品における3DCG空間とサーフェイスとバルクとの関係を探りたい。

3DCGを切り取る「型」としてディスプレイ

《Untitled(bird)》 2017

《Untitled(bird)》のディスプレイはほとんどの時間何も表示されていないと思われるほど真っ黒な平面となっている。だから、一見しただけでは、ディスプレイは単なる黒い板であり、奥行きを画面に見ることは難しい。しかし、そこに向こう側から鳥が飛んできて、何かに激突したような描写が表示されると、ディスプレイのあり方が変わる。ディスプレイが表示していた黒い平面は、鳥が飛ぶことができる黒い空間であり、その一番手前には鳥が激突する何かが設置されている。3DCGをディスプレイに表示しているのみの状態では、そこにはサーフェイスもバルクもない。そこにあるのは3DCGがつくる擬似的な奥行きとそれを表示するピクセルがつくるテクスチャの表面でしかない。しかし、ディスプレイがつくる空洞をガラス窓とその奥の物理世界に重ね合わせた状況をつくり、3DCGのテクスチャで覆われた鳥があたかもディスプレイのガラスに激突したように表示された瞬間に、ディスプレイのガラスを一つのサーフェイスとするバルクが現れる。このとき、ディスプレイは3DCGの奥行きが充填される空洞として存在している。3DCGの空間の奥行きがディスプレイがつくる空洞を満たし、ディスプレイのガラスとその奥のガラス窓が示す外部世界とのあいだに連続した厚みを持つバルクをつくりだしている。3DCGのテクスチャとしての鳥は、バルクのなかを飛びながら、そこから出ようとするが、その空間=モノからは逃れることができずに、ディスプレイのガラスに衝突する。実際には、バルクの境界としての3DCG空間で設定された空間のきわに激突している。3DCG空間のきわとディスプレイのガラスとを重ね合わせることで、3DCG空間がディスプレイのガラス面を一つのサーフェイスとなり、ディスプレイの空洞が3DCGのテクスチャを充填されたバルクに変化して、鳥を閉じ込める一つのモノができあがる。

《Untitled(stingray)》 2017

《Untitled(stingray)》では、3DCGのエイが仰向けになって、その両端を一定のリズムでパタパタさせている。エイは砂の上で呼吸している。上下にうごく体の両端が、3DCG空間に厚みを与えている。ディスプレイそのものの厚さに3DCGの厚さが重なる。さらに、ディスプレイの外側に設置されたペットボトルが一定のリズムで、ディスプレイに水を注ぐように傾けられる。実際に、ペットボトルから水が出るわけではないが、ディスプレイのなかにペットボトルから注がれたかのような水が3DCGで描かれる。すべては表面のテクスチャで構成されている3DCGが奥行きをつくる。その奥行きはディスプレイの空洞を覆うようなピクセルの光によってつくられている。ピクセルの光がつくるテクスチャとディスプレイの空洞とが、ペットボトルから注がれるかのような水によって、ディスプレイの外側と結びつく。このとき、ディスプレイの空洞が型となって、3DCGの空間を切り取り、モノの厚みに呼応した透明なキューブのような空間をつくっている。このとき、ガラスのサーフェイスをひとつの面とするバルクがディスプレイのなかに生まれている。

山形は《Untitled(bird)》と《Untitled(stingray)》で、ディスプレイのガラスや周囲のモノの厚みをサーフェイスとして、3DCG空間を囲い込んで、バルクとして切り出す。ガラスを一つの面とするサーフェイスに周囲から切り出された3DCG空間は、一つのバルクとしてガラスと接続される。サーフェイスとバルクとは一続きのモノであるから、バルクからサーフェイスまでは鳥も水も簡単に移動できる。しかし、3DCG空間はサーフェイスによって一つのキューブとして切り出されたバルクとなっているために、その内部から抜け出すことはできないし、外部との接続もできない。3DCG空間は一つの個別のモノとしてディスプレイの空洞のなかにある。ここでは、ディスプレイのガラスが一つのサーフェイスとなり、カラスやエイが存在する空間を示すピクセルのテクスチャがバルクとなっている。だから、鳥もガラスに衝突せざるを得ないし、水もサーフェイスの内側からバルクへ注がれるを得ないのである。

ディスプレイのガラスは「ガラス」として使用されることで内部の空洞と密接に関連するサーフェイスとなり、ディスプレイの空洞がピクセルのテクスチャと結びつき、バルクとなる。そして、ガラスをサーフェイスとして、3DCGを構成するテクスチャとのそのなかのモデル=空洞がバルクとして充填されたモノが切り出される。それは、ディスプレイ全体と個別のテクスチャとのあいだに関係をつくり、個別のオブジェクトが持つ空洞をディスプレイが示す3DCG空間に広げていくことを意味する。ディスプレイ全体と個別のテクスチャとのあいだに関係をつくるために、モノの厚みが3DCGの厚みとなり、バルクを構成するような構造をつくりだされる。そして、ディスプレイが3DCG全体をモノとして切り出す型となる。

モノとして切り出された3DCGはテクスチャとモデルから成立するものではなく、ガラスから連続する一つのバルクとなると同時に、ディスプレイ内を満たす一つの空間となっている。モノ自体が空間となって、操作されるようになる。ディスプレイというモノが3DCGの世界を切り取り、私たちの前に提示している。ディスプレイは通常「窓」として考えられているが、3DCGを表示するディスプレイは窓のようにこちらから見透すものではなく、3DCG世界の一つの空間を切り出す刃物に近く、「クッキー型」のように空間を切り取る型として捉える必要がある。型としてのディスプレイがいかようにも設定できる3DCGを切り出してくる。ディスプレイの空洞が一つの型として3DCGの空間を切り取り、外部との断絶をつくるサーフェイスに周囲を囲まれた内部空間をもつ透明なキューブのようなモノをつくり、そこにテクスチャが充填される。ここでは、テクスチャはモデルの表面を覆うものではなく、ディスプレイの空洞を満たすバルクになっている。そして、ディスプレイを「型」として捉えることで、私たちは物理的なガラスとピクセルの明滅という現象という異なるカテゴリーにあるものごとを、一つのモノを構成するサーフェイスとバルクとして連続して扱えるようになるのである。

透明なアクリル板を「型」にして3DCGを切り取る

《ミュータント・スライム》 2017

山形の透明なアクリル板の裏面にプリントされたミュータント・スライムは表面から見られることを想定されている。ここではアクリルの板に裏と表の2つのサーフェイスとそのあいだにバルクがあることが前提となっている。私たちが画像を見るとき、ディスプレイを見るとき、画像やテキストは常にディスプレイのガラス越しに見える。ならば、山形はアクリル板の裏側にプリントして、アクリル越しにミュータント・スライムを見るのが、私たちのディスプレイの視覚的体験に近いものになると言っていた。3Dデータを与えられたミュータント・スライムには前と後ろがあり、前を向いたミュータント・スライムがアクリル板の裏のサーフェイスにプリントされている。そして、それはアクリル板の厚みに押し込められたチューブのように見えるように計算されている。

裏側にプリントされたミュータント・スライムを表から見ると、そのテクスチャは透明なアクリルを透して、バルクに入り込んだように見える。なぜなら、ミュータント・スライムには3Dデータが与えられ、チューブ状になっていて、光源も設定されているからである。山形は、あたかもミュータント・スライムがアクリルのバルクのなかに入り込んだように見えるように、データを処理している。しかし、実際には、ミュータント・スライムは裏面のサーフェイスにプリントされているだけで、バルクに入り込めているわけではない。この意味で、ミュータント・スライムは透明なアクリル板に付加されたテクスチャに過ぎない。

アクリル板にプリントされたミュータント・スライムは、サーフェイスを通り抜けて、バルクへ入り込んでいるわけではない。にもかかわらず、透明なアクリル板を表面から見ると、ミュータント・スライムがバルクに浸透して、その内部空間に閉じ込められているように見える。裏面のサーフェイスからテクスチャがバルクに入り込んでいるように見えること自体が、この作品では重要である。テクスチャが付与されたモデルが空洞であるならば、その空洞にテクスチャが浸透してくことも不可能ではない。アクリル板の裏面のサーフェイスにプリントされたミュータント・スライム自体はテクスチャでしかないけれど、アクリル板が透明であるがゆえに、それはバルクに浸透していったように見える。《Untitled(bird)》、《Untitled(stingray)》でディスプレイが一つの型として空洞を示したように、《ミュータント・スライム》の透明なアクリル板はモノとしてサーフェイスとバルクを示しながらも、バルクが空洞化し、そこにプリントされたテクスチャが浸透してきているのである。山形は透明なアクリル板を使ってテクスチャがバルクに浸透する状態を示すことで、3DCGをモノ化している。透明アクリルのサーフェイスにプリントされたミュータント・スライムはバルクに浸透し、そこで硬化して、アクリル板とともに一つのモノとなっているのである。

透明アクリル板というモノのサーフェイスとバルクとを用いて、山形は3DCGのオブジェクトであるミュータント・スライムをディスプレイの外部空間へと持ち出す。その際に、ミュータント・スライムは立体=3Dになっているわけではない。あくまでも3Dのデータは与えられていはいるけれど、ミュータント・スライムは透明アクリルの裏面にプリントされていて、極めて平面的な存在なのである。しかし、アクリル板の表面からプリントを透かし見ることで、ミュータント・スライムがバルクに浸透しているかのように見え、その際に、アクリル板の厚み=バルクが、そのままミュータント・スライムに付与される。こうして、ミュータント・スライムはアクリル板の両面のサーフェイスに挟み込まれて、そのあいだに充填されたかのように板の厚みの分だけ少しだけふっくらとした状態に見えるのである。

《Untitled(bird)》、《Untitled(stingray)》で、山形はディスプレイというモノを空洞を持つ型として3DCGを切り抜いた。そして、《ミュータント・スライム》では、3DCGをテクスチャとしてサーフェイスにプリントするだけではなく、透明アクリルのバルクに浸透させるかたちで、3DCGのミュータント・スライムを硬化させ、生け捕りにしたと言える。3DCG空間全体を型どるのではなく、ミュータント・スライムという個別のオブジェクトを透明アクリルを使って閉じ込めることに成功している。山形は透明アクリル板を使って、ディスプレイの空洞で切り取られた3DCG空間を、ディスプレイの外部空間に持ち出す。そして、外部空間としてのアクリル板のバルクではディスプレイが切り取った3DCG空間は消失し、ミュータント・スライムという個別のオブジェクトだけがアクリル板のバルクのなかで硬化して、かたちを留めている。同時に、硬化した3DCGのオブジェクトとしてのミュータント・スライムが、消失してしまった周囲の3DCG空間の気配を見る者に伝える。透明なアクリル板自体が、ミュータント・スライムと3DCG空間を内包したオブジェクトになっているとも言える。つまり、ミュータント・スライムが存在している3DCG空間が、透明なアクリル板によって切り取られ、サーフェイスとバルクを持つモノとして外部と断絶した一つモノになっているのである。

バルクを囲むサーフェイスが向こう側の世界を切り取り、型に充填する

山形はディスプレイと透明なアクリルを型として使って、3DCG空間を切り取り、オブジェクトだけなく、その空間自体をモノ化していく。3DCGがもつ空洞を充填するかのように、型としてのディスプレイとアクリル板がオブジェクト表面のテクスチャを切り抜いていく。ここには3DCG空間そのものもまた空洞であり、それを示しているディスプレイも空洞ではないかということが示されている。しかし、一つのモノとしてのディスプレイが示すのは空洞ではなく、サーフェイスに囲まれたバルクである。ここでのバルクは一見、サーフェイスに囲まれた何もない空間であるが、それは形を生み出す母型=マトリクスとしてそこにあるのである。そして、サーフェイスに囲まれたバルクという型は、3DCG空間を切り出し、型の空洞に充填していき、一つのモノを形成する。このことは、3DCGの登場によってディスプレイやアクリル板といった平面的で、向こうを見通すための「窓」として捉えられていた存在が、厚みを持ち向こう側の世界を切り取るモノとして成形する「型」に変化していることを示している。そして、ディスプレイという型に充填された3DCG空間は一つのモノのように、あるいは、モノとして扱われるようになる。さらに、アクリル板にプリントされたミュータント・スライムは、3DCG空間に限らず、空間そのものをサーフェイスに囲まれたバルクのように扱える可能性を示唆するのである。

次回は、Googleのマテリアルデザインの「サーフェイス」概念を読み解きながら、型に切り取られバルクとなった空間について考えてみたい。

参考URL
1. 山形一生インタビュー:ビヨンド・コントロールの愉楽、https://i-d.vice.com/jp/article/mb3vdq/issei-yamagata-interview-for-joy-issue(2018年6月9日 アクセス)

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

MASSAGE MONTHLY REVIEW – 5

MASSAGE&ゲストで、5月の音楽リリースをふり返る。

MASSAGE /
MASSAGE / S=Yusuke Shono, T=Kazunori Toganoki, N=Shigeru Nakamura, I=Hideto Iida, C= Chocolat Heartnight

Aïsha Devi – DNA Feelings

ケイト・ワックス名義で活動してきたスイス/ネパールの混血プロデューサー、アイシャ・デヴィの本名名義の2作目。原型のわからなくなるほど電子的に変形された「声」が作り出す音響が、古代の儀式を目撃するかのような瞑想的で抽象的な世界へと誘う。自身が設立メンバーでもある、ポストインダストリアルともいわれる挑発的で実験的なテクノをリリースし続けるスイスのレーベル〈Danse Noire〉の世界観とも共振する、解放されたクラブミュージックの新しい進化の形。レーベルの世界観もそうだけど暗い神秘性を秘めたこの質感、やはりヨーロッパの風土が生み出すものなのだろうか。(S)

YAGI – HAVE A NICE MONDAY

Dil WithersやSeenmrなど数多くの洗練されたビートをリリースするUKのカセットレーベルAcorn Tapesから初めて日本のビートメイカーがリリースされた。Yagiの音は、水が滴るように滑らかなメロディに転がり弾けるようなビートが特徴。サンプリングミュージックでありながらも限りなくヒップホップから離れて行く彼の姿勢は独自の音の像を描いているようだ。それも見つけた、あるいは撮り貯めた音を丁寧に磨いていくプロセスが思い浮かぶ。今後も彼の様々なテクスチャ際立つ音楽が楽しみだ。(I)

Guggenz – A New Day

聴いたことのない音楽を聴く。そのきっかけとなるのがジャケットであることは多い。ジャケ買いということばもある。インターネットでのランダムな出会いでは、再生するかどうかはアートワーク次第と言い切ってもいいくらいだろう。実際は、そのアートワークに対して(勝手ながら)持ったイメージに合う音が流れてくることはそれほど多くはない。それでも毎回期待しつつ再生ボタンを押す。うっすら黄味ががった白地にエメラルドグリーンとパステルピンク、ヤシの木のシルエット……Guggenzの『A New Day』は、ほんとうにこのアートワークどおりの音が流れてくるから、ちょっと再生ボタンを押してみてもらいたい。(C)

jjjacob – Nondestructive Examination

jjjacobはコペンハーゲンの24歳。突然の右半身の麻痺という自身の体験をもとに制作された「Intracerebral Hemorrhage(脳内出血)」から、周囲も驚くほどの回復を見せた数ヶ月後のリリースとなる本作のタイトルは「Nondestructive Examination(非破壊検査)」。深海のような重く深い音の世界に潜り込むように、ビートと旋律が自由自在に新しい調和をなした形を織りなしていく。未来的でいて、ノスタルジック。あらゆる要素を飲み込むようなその貪欲な音楽性は、Oneohtrix Point Neverのサウンドにも通じるところがあるように思う。どっぷりとその世界観にハマりながら、極上の時間を過ごすことができる作品。(S)

Actress x London Contemporary Orchestra – LAEGOS

本作はLondon Contemporary Orchestra とのセッションを基礎とするもので、その試みは2016年に始まる。クラシカルな楽器と同時にビニールのレジ袋なども楽器として採用しつつ、Actressの鳴らす不穏なノイズとともにさまざまな表情を見せる。Actressは古典と現代という時代の軸において対置される要素(楽器)を組み合わせて、未来を目指す音楽的な実験を行いながら-興味深いことに-オーケストラのメンバーとセッションを行ったロンドンのBarbicanという文化施設の設計図も参考にしている。Barbicanはコンクリートの打ちっぱなしが印象的な、合理主義に貫かれたブルータリズムの流れにある建築物である。コンクリートのように、Actressの音楽はいつも冷たい。しかし、その音像は暗闇の中で揺れ動くカーテンのようで、その風景がどこから来たのか、そしてどこへ聴き手を導くのかは不明瞭である。断片的に分析すればそこにはテクノやハウス、ヒップホップの姿が見えてくる。しかし、その肩を叩いても表情まで確認することはできない。幾重にも重ねられた生地のような音楽ともいえるだろうか。そのインダストリアルな感触はモダニズムと結びつくものだが、本作での音楽的実験によりさらに増幅された「(カーテンのように動く人間の心の)ゆれ」のような不確実性こそ、合理主義とは切り離された「何か」であり、だからこそ聴き手を揺さぶってくれる。冷たくて果てのない建物の中で。(N)

Takao – STEALTH

アコースティックな響きも電子音響も、メロディもリズムも、あらゆる要素が渾然一体となり繋がり合っている。崇高とキッチュの隙間を縫いながら、すべてが元からそこにあったかのように、リズミカルな自然の命を奏でている。どのような音も次の音に繋がり、誰ひとり孤独のままでいることはできない。アンビエント・ミュージックとは音の生命が必要とした静寂なのだ。胸が苦しくなるほど、美しく、不思議な存在感を放つアルバム。現在は一部のみダウンロードできる状態だが、フィジカルリリースも予定しているとのこと。(S)

Jan Jelinek – Zwischen

ジョン・ケージ、スラヴォイ・ジジェク、レディー・ガガ、ヨーゼフ・ボイス、シュトックハウゼン、マルクス・エルンストといった、見慣れた思想家や芸術家、文化人の名前と共に、それぞれに与えられた、質問のような疑問文。作名には決してふさわしくない固有名詞と、長々とした文章の組み合わせがタイトルとして羅列する、ヤン・イェリネックの新作『Zwischen』は、ドイツの公共ラジオ局のために制作された音源集であり、同局で行われたインタビューの回答を素材として用いたコラージュ作品。ただし、抜粋された言葉は全て、正確にいえば「言葉」ではなく、タイトル『Zwischen』の訳に当たる「between」≒「間」、つまり言葉と言葉のつなぎ目となる、話し手の意図しない余白の音声部分である。通常の会話において、直接的な意味以外に、パラ言語と呼ばれるアクセントや身振り、イントネーションといった周辺的側面を含めて、話し手は言葉を伝達する。このアルバムではその中でも、ポーズ、しかもそれがスムーズに行われ損なった箇所だけがフォーカスされており、例えば言葉の頭に着く無駄な音(「あ〜」のような)や吃音、ブレス、口腔内の摩擦音、あるいは伸ばされた語尾、といった二次的な伝達レベルにおけるエラーが切り取られては、執拗に繰り返し、変調されている。会話において捨象される無駄な発音が、一つのサウンドという単位で音楽内に用いられたとき、現れるのは「言葉の残滓」とも言うべき疵や綻びが彷徨する、異様なまでに不気味で艶かしい音響空間。もはやそこでは固有性は完全に失われ、所有者を離れ、ヴェールを剥ぎ取られた無数の塊が、ぽっかりと宙に浮かぶ。傑作『Loop-Finding-Jazz-Records』で見られる卓越したサンプリングの手法を、イェリネックは今作でさらに細かく突き詰めて脱構築し、入念に練られたミュージック・コンクレートへと仕上げた。(T)

Orange Milk: Interview with Seth Graham

「未知なる」音楽を発掘し、輩出する集合体〈Orange Milk〉の姿勢と、その在り方

MASSAGE /
MASSAGE / Interviewer: Kazunori Toganoki, Foodman

国内のセンセーショナルな音楽家のリリースをはじめ、インディペンデントなレーベルシーンを第一線で牽引し続けてきた〈Orange Milk〉。そのファウンダーであり、アーティストのSeth Grahamが待望の来日を果たす(残念ながら、急病の為キースの来日がキャンセルとなり、レーベルメイトであるNico Niquoの代演が発表された)。「未知なる音楽」の発見と輩出、ジャンルの垣根を越えたセレクション、各作品の特性と密接に結びついたアートワークは、アーティスト個人の発信からだけでは現れてこない、作品の新しい価値観や聴き方を集合体の中から提示し、レーベルをオリジナルなものにたらしめてきた。そして生成とアップデートを繰り返しながら、その集合体は絶えず大きく拡がっていく。各公演を「Orange Milk」色に染め上げること間違いない今回のツアーを前に、ゲストとして、レーベルとも関わりの深い、食品まつりa.k.a foodmanさんからの質問を含め、セスにインタビューを行った。

2人の出会いはどのようなものでしたか?レーベルを立ち上げるに至った具体的なエピソードなどがありましたら教えてください。

キースとは、とあるショウで出会って、一緒にバンドを組んで、ライブをしたりしたんだ。12年前のことで、そこから僕らは良い友達さ。昔、僕は“Quilt”という名前のレーベルを運営していて、彼のテープをリリースしたことがある。その時レーベルを始めようと2人で話し合って、〈Orange Milk〉がスタートしたんだ。

レーベルの当初から現在に至るまで、取り上げるアーティストの音楽性やそのラインナップ、ヴィジュアル面において、統一したアイディアや美学が見られます。こうしたコンセプトは、レーベルを始める際に、おふたりで入念に話し合い、決められていたのでしょうか?もしくは段階を経て、具体化していったのでしょうか。

どちらかというと、徐々に具体的になっていったんじゃないかな。自分たちのやりたい事についてたくさん話を重ねて、これまでアイディアにつまることもなく、選択した方向に進んでいったのさ。音楽とアートにまつわるディスカッションが僕たちの周りをいつも取り巻いていたよ。

2人の役割分担はありますか?またお互いのパーソナリティの相違が、レーベルの音楽性に反映されていると思いますか。

キースはもちろん、アートワークのほとんどを手がけている。二人ともレーベルで生計を立てている訳じゃないから、やるべきことはシェアできるようにしていて、もし彼より時間がある時は僕が担当するし、その反対もあるよ。レーベルをやりつつ、音楽を作り、生計を立てるのは結構忙しいから、そういう流動的な分担になっているんだ。お互いのことをよく知っているし、何か一緒に物事をやるにあたっても都合がいい。気心の知れた関係だね。レーベルは、僕ら2人の好みがよい形で現れていると思うよ。

Orange Milk〉はセスとキースの明確な指向がベースにあって勿論成り立っていますが、それぞれの作品が集合体となって新しい音楽の価値や可能性を生み出していく、ひとつの挑戦的なプラットフォーム的な場所として作用しているようにもみえます。根本的な質問ではありますが、レーベルが担う役割の意味とはなんなのか、アーティスト、あるいは運営側両方の視点から教えてください。

レーベルの運営をとても愛しているし、レーベルはアーティストをサポートする場所だと思うよ。〈Orange Milk〉は特に、まだ世間にはノーマークの、未知のアーティストを紹介する場所として提供してきた。もちろん知名度のあるアーティストも好きだけれど、個人リリースよりも大きな範囲で、無名のアーティストが発信するのを手伝う、というアイディア自体とても気に入っているのさ。

リリースする作品を選ぶにあたって、何か基準は設けていますか。

最近はそこまでたくさんのデモをもらっている訳じゃないけど、特に決まった基準は設けてないよ。基本的に音質の高い作品が聞きたいから、わざとローファイな音色を狙ったものには興味がないね。あえて言えば、その点くらいから。

これまでのアーティストや作品の中で、レーベルの方向性を決定づけた重要なものはありますか。

やっぱり、FoodmanやKoeosaeme、Toiret Statusのような日本人のリリースは、〈Orange Milk〉らしい音を定義してくれたと思うね。Kate NVは名前が知られているというのもあって、レーベルの知名度をあげてくれた。個人的には、Hanz Appelvquitのリリースがとても気に入っていて、作品自体面白いし、僕が出したいのはああいうもの。Machine GirlとNoah Creshevskyの作品も大好きだね。バラエティーの幅広さは、〈Orange Milk〉の大きなポイントになっていると思う。簡潔にはまとまっていない美学や視点から興味をもって、ジャンルの裾野を広げていくことがとても好きだし、〈Orange Milk〉らしいアイディアだと思っている。

最近はtropical interfaceやTraxmanといった、ジュークやグライムと関係の深いアーティストのリリースも続いていますが、そういったダンスミュージック的なサウンドにはどのくらいシンパシーを感じていますか?

レーベルをやりながら、自分の興味の境界を押し広げようと意識してきて、嫌いなものに触れたとき、なぜこれが嫌いなのか、よく自分に問うようにしている。ダンスミュージックは好きだし、上手い作り手にも興味があるよ。僕自身は苦手だから作れないけれど、聞くのはとても好きさ。特にすっきりとしない、変な類のものが好きで、聞いていると幸せな気分になるね。

幼少期の頃は日本で育ったそうですが、当時はどんな生活をしていましたか?また当時の経験が、自身の音楽性に影響しているとは思いますか。

とても奇妙な体験だったよ。両親はクリスチャンの宣教師で、僕が6歳の時に日本に引っ越した。2年生から6年生まで普通の公立の小学校に通って、その翌年に生駒にあるアメリカンスクールに入学したんだ。で、4年毎に、僕ら家族はアメリカに戻って、宣教師を続けるための資金を稼ぐために、アメリカ中の協会を回っては、寄付金を募る旅行に出かけたんだ。全ての州を訪れたよ。僕ら家族は常に移動していたし、どこか一箇所に長い期間留まったことがないから、付き合いの古い友達を持っていないんだ。その代わりに、取り憑かれたように、車や電車の中でいつも音楽を聞いてきたよ。僕が音楽と付き合うようになったのは、このライフスタイルがあってだと思う。同じような幼少期を過ごした人はほとんどいないと思うから、どれくらいの影響なのか、確信はないけれど。それと、その時の経験が僕のパーソリティに大きく関わっていることに、今になってようやく気がつきはじめたんだよね。日本にいた時、日本人の文化や習慣、コミュニティーの感性が好きだったけれど、同時に両親からは、アメリカへの愛国心を強く持つよう育てられたんだ。それで小学6年生の時、広島に修学旅行へ出かけてね。そこで、アメリカが多くの日本の犠牲者を出したことを学んで、両親が教える愛国主義とやらは、正しくないかもしれないと思ったのさ。と同時に、アメリカが間違っているとすれば、日本が間違っているという可能性も否定できないと思った。この疑心暗鬼に僕のアイデンティティは混乱してしまって、今まで何にも「本当」らしさを感じたことはなかった僕は、自分自身について、また改めてその「本当」らしさとは何なのか、よく考えるようになった。ゲームみたいなものだね。

(食品まつり) 日本のプロデューサーの作品を多くリリースしていますが、日本のプロデューサーの作る音に感じる特徴やそのアプローチの違いなど、感じるものがあれば教えてほしいです。

全てのアーティストが、自分なりの個性を発揮したスタイルを構築しようとしていると思う。でもどれだけ個人が努力しても、それぞれの文化的背景の影響は免れないよね。一方で、インターネットという場所は、あらゆるトレンドを同質で普遍的なものに変容させてきた。今ある意味では、アーティストによる選択は、個人の出身地や国柄といった条件を超えて、インターネット・カルチャーというひとつの括りに収斂しているじゃないかな。

レーベルを長く継続していくために、意識していることや考えていることはありますか?

長く続けられればと思うけれど、何かに強制されるのは嫌だし、このままの調子で運んでいければよいと思う。

最新作「Gasp」では、様々なクラシカルな楽器と電子音を混ぜ合わせています。全ての曲が非常に小さな音のピースから構成されていて、それを緻密にまとめあげているような印象を受けました。何かモチーフのようなものはありましたか?また録音のプロセスについても教えてください。

初期のアヴァンギャルドなクラシック音楽、特にJohn Eatonという音楽家が大好きなんだ。彼はmass, blind man’s cry, solo clarinetという作品をリリースしていている。面白さと、時々聞いてられないようなひどさが同居していて、謎めいた変な雰囲気もあったりと、個人的にはすごく狂った作品だと思う。あとはIlhan Mimarogluというトルコの電子音楽家が参加しているコンピレーション・アルバムの、彼のこの曲も大好きで。
古いアヴァンギャルド作品の多くが、ほとんど誰にも知られずに姿を消していったわけだけど、こうして形として残った作品が僕は大好きだし、彼らと同じようなスピリットで、制作をしたいと思っている。いま挙げた2つのアルバムに、DPIのMN RoyとRico EPみたいな、コンテンポラリーなコンピューターミュージックの要素を組み合わせて、オーケストラのような複数の楽器音と結びつけたものを作りたいと考えていて、それが今回の「Gasp」なんだ。上手くいったかは分からないけれど、挑戦してみたよ。

音と音の余白が作り出す間も独特ですね。音がない状態に対してミュージシャンとしてどのような考えを持っていますか?

静寂や休止は、後に来る音の展開に期待をもたらすし、音楽的なテクニックとしてとても好きだよ。僕にとって面白い音楽とは、次にどんな音が来るかがこちらで予期できないもの。静寂を用いるのはアクセントをつける上でも良い手法なんだ。ただアーティストとして、静かなもの、あるいはその逆で激しいもの、どちらか一方に偏ったり、完全に区分して音楽を作るのは自分としては難しくて、2つのスタイルを行き来しながら、中間のポジションで作ろうといつも心がけている。

(食品まつり) 以前と比べ現在のアメリカのカセットレーベルのシーンに変化はありますか?

テープのシーンはだいぶ大きく成長したよ。13年前に初めてテープ作品をリリースした時、ほとんどは個人か、ノイズシーンだけに限られていたからね。今、〈Orange Milk〉の作品をテープでしか買わない人が多くいて、とりわけ若い人たちの間ではメインストリームな存在になりつつある。CDやLPの他のフォーマットと同じように扱われているし、どんなスタイルやジャンル、グループであろうが、テープでリリースし、販売することをアーティストは考えているかね。逆にCDは、一部のリスナーからは受けにくくなっているし、ノーフィジカルの時勢でこれまでと同じように受容されるのは難しいと思う。そういう状況だからテープは、フィジカルという形態としても、あとはコレクションとしても面白いんだよね。でももしテープと同じ価格でLPを作れるなら、ほとんどのリリースがLPだけになると思うよ。そんなことは起きないだろうけど。この先もテープがリスナーに価値のあるものと見られるのか、もしそうならテープのカルチャーがどこに行くのか、個人的に興味があるよ。

Orange Milk
https://orangemilkrecords.bandcamp.com

Orange Milk Japan Tour

6/5 tue 21:00 – at Dommune Tokyo
WWW & Disk Union presents Buy Nowers Club feat. Orange Milk
Talk Session: CVN, Yusuke Tatewaki, Dirty Dirt
DJ: Seth Graham, Dirty Dirt
LIVE: emamouse, Constellation Botsu
VENUE / INFO http://www.dommune.com
 
6/6 wed 18:00 – at Forestlimit Tokyo
K/A/T/O MASSACRE vol.173 Orange Milk vs 奴隷船
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, 奴隷船
DOOR ¥2,500+1D
VENUE http://forestlimit.com
INFO https://twitter.com/NOVO_vintage
 
6/8 fri 23:00 – at hikarinolounge Okazaki
OMツアー
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, CVN, 食品まつりa.k.a foodman, fri珍, nutsman, pootee, woopheadclrms, Yusuke uchida
ADV ¥2,500* | DOOR ¥3,000
*前売特典 Orange Milk Japan Showcase Tour 2018 A2 Poster
VENUE / INFO https://hikarinolounge.tumblr.com
 
6/9 sat 14:00 – at Torikai Hachimangu Shrine Fukuoka
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LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, toilet status, hinako takada, SHX, abelest, hir0))) and more
VJ: chanoma
ADV ¥2,500 | DOOR ¥3,000
VENUE http://hachimansama.jp
INFO http://office314.wpblog.jp
 
6/10 sun 16:00 – at Circus Osaka
Orange Milk Showcase Japan Tour 2018 Osaka
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, D.J.Fulltono, 食品まつり a.k.a foodman and more
ADV ¥2,500+1D | DOOR ¥3,000+1D | U19 Discount+1D
VENUE http://circus-osaka.com
INFO http://popowpowpow.tumblr.com
 
6/12 tue 18:30 – at WWW / WWWβ Tokyo
Orange Milk Japan Showcase Tour 2018 – Tour Final –
LIVE & DJ: Giant Claw, Seth Graham, 食品まつり a.k.a foodman, CVN, koeosaeme and more
ADV ¥2,500*+1D | DOOR ¥3,000+1D | U23 ¥2,000*+1D
*前売特典 Orange Milk Japan Showcase Tour 2018 A2 Poster
Ticket Outlet e+ / RA / WWW
VENUE / INFO http://www-shibuya.jp/schedule/009038.php