2016年の日本の豊穣な地下シーンを50組のアーティストと楽曲で振り返る。Japanese track maker / musician 2016。#1-25

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2016年、日本の地下シーンは沸騰前夜といってよい豊穣な一年でした。このような燃え上がる創造性の発現、そしてジュラ紀のような多様性の爆発は今まで経験したことがないものです。もちろんそれはこの数年の間に準備されてきたものだと思いますが、煮えたぎるような盛り上がりが可視化されることはありませんでした。ローカルな動きがオンライン経由でさまざまに繋がり合っていき、それが目に見える形で一気に顕在化したのがこの一年だったのではないでしょうか。

とりわけ重要なのが〈Orange Milk〉からの一連の衝撃的なリリースです。そして、UKのレーベル〈flamebait〉ではカオティックな側面を持つアーティストが、USの〈Squiggle Dot〉からはポップでアバンギャルドな感性にシンクロした作品が、〈H.V.R.F. CENTRAL COMMAND〉のHardvapour作品に混じり日本のアーティストがリリースされていたのも印象的でした。見渡すと世界の感性が日本のいろいろな局所的空間とシンクロし合っていることが分かります。

震災以降シーンが下火になり音楽メディアが消える一方で、地下茎のようにアンダーグラウンドでは新しい根が育ち、表現の部分ではむしろ熟成が進んだように思います。日本で表面化するより先に、その結実が海外の目利きたちに発見されていったというのが本当のところだったのかもしれません。

日本、海外という区分け自体はもう意味がなくなってきているとは思いますが、膨大なリリースのなかで日本の作品をあえて抽出してみると、その豊饒さを改めて感じてもらえると思います。だけど実際はそんな数ある面白い作品をこの冬は筆が追いつかず、全く紹介できていないという気持ちに苛まされていました。その代わりというわけではないのですが、年の終わりにいっきに50人の作品を紹介して2016年を締めたいと思います。一般的には順位をつけるのでしょうが、優劣を付けるのが苦手なのでアーティスト名のアルファベット順で並べてみました。

1. 7FO, “Water Falls Into A Blank”

7FOは、大阪を拠点に活動する音楽家。本作は〈RVNG Intl.〉の新プロジェクトとしてリリースされた。レゲエの影響を思わせるローファイで透明感のあるダビーな安定したビートに、フレッシュで透明感のある音響が交錯する。湖に浮かぶ光のゆらめきのような世界で、音の生き物たちが軽やかに舞い踊る箱庭的ユートピア。

2. Akobae, “[α ω α к є] му [ѕ σ υ ℓ]”

ネットの奥底から発掘されたきたようなコラージュ感覚とそこに垣間見えるセンスは、オンライン上でkawaiiとゴシック、そしてスピリチュアルが交雑し変異したような独特のもの。ノイズにより覚醒したドローン作品から、オンラインの落とし子といったコラージュ作まで。変名がいくつかあるようで、その全容はよく分からないけれど、強固で一貫したセンスを感じさせる。

3. alma, “Peach”

Lilyも参加の新宿眼科画廊の展示を終えたばかりのalmaは、ジェンダーの問題意識からさまざまな表現活動を行なっている。身体から発せられる声はとても繊細で、まるでそれ自体が電子音であるかのように、響きの中に溶け出していく。表現の前へ自身を投げ出していく全体を賭けた姿勢は、アーティストという存在の本来のあり方を思い出させてくれた。彼女のような存在が現れた意味を私たちは考えなくてはならないだろう。

4. 荒井優作

早熟な鬼才あらべぇから名義変更し荒井優作へ。モノクロームの映画の中で吹き荒れる静謐な嵐のような粒子の粗いアンビエント。彼が撮影した写真にも独特のポエジーがあって、とてもよいです。

5. brf, “BRF-KU EP”

オンラインの表現集団Baconの商品を取り扱うIsshi MiyakeのBRFより、東京の街のサウンドからつくられたというハードコアテクノ。鋭すぎる五感により写真のように鮮明に焼き付けられたのは、街の姿というより現代の都市を疾走する文化のポートレートのようなものかもしれない。

6. Cemetery, “DENIAL”

東京で活動するアーティスト集団CONDOMINIMUMの主催者、渡邉弘太のCemetery名義。猥雑な都市のノイズをかき消す雨のような詩情に溢れている。かすかに歪んだガラスのような硬質な響きが鉱石のような世界を作り出す、メロディアスかつロマンチックなアンビエント作品。

7. CARRE, “GREY SCALE”

80年代のインダストリアルを継承しながら現代のエレクトロミュージックの音楽のエッセンスを感じさせるデュオ。近藤さくらとの展示も記憶に新しい本作は、深宇宙に潜り込んだかのような抽象的でモノクロームの音響が広がる傑作。15年の作品だが、カセットが本年リリースとなった。スピーカーのような装置を用いたパフォーマンスもとてもインパクトがある。

8. Constellation Botsu, “ちゅざけんなッズベ公!!”

島根在住のトラックメーカー。切り刻まれ破片となったシンセ/ハーシュノイズは繊細かつ破壊的で、マダラ模様に進行する時間感覚は想像を超えたグルーヴを纏い、聴くものを酩酊に導く。そのサウンドのみらず、Tweetされる言葉から、アートワークまでその独特の表現に世界からの注目が集まっている。

9. CVN, “Unknown Nerves”

CVNはJesse RuinsのメンバーNobuyuki Sakumaのソロプロジェクト。複雑性とシンプルな骨格の間を繊細なバランスで揺れ動く、ハイファイで硬質な感触を持つサウンドを作り出す。彼が間に見つけ出した新鮮で力強い美学は、〈Where To Now?〉をはじめ〈Orange Milk〉、〈Dream Disc〉、〈Flamebait〉などさまざまなレーベルに見出され、作品がリリースされた。

10. dagshenma, “NYP1232016”

dagshenmaは京都市在住の樋口鋭太朗による電子音楽のプロジェクト。高周波のようなノイズが、彫刻のように硬質な構造物を描き出す。アンドロイドのような人工的質感をまとったそのサウンドは、低温度の世界観に貫かれており、上質なノイズ/エレクトロとして聴くことができる。京都を拠点とするMadeggとのユニットAcrylも注目。

11. DJWWWW, “Arigato”

DJWWWWは、一度の休止からふたたびオンラインでsimforartなる新しい音楽メディアを開始したKenji Yamamotoの音楽名義のひとつ。この世界のありとあらゆる場所から音を見つけ出し、縦横無尽に組み合わせる豊かなセンスは自身のレーベル〈Wasabi Tapes〉とも共通した感性を感じさせる。純粋な遊びから生まれたというその音のコラージュは新しい感触に貫かれていて、深い音楽愛から新しい音楽フォーマットを作り出してしまったかのよう。オンラインアンダーグラウンドの成果のひとつの結実として記憶に刻まれたマスターピース。

12. EMAMOUSE, “eyeballnized”

もはや謎が神話レベルに高まりつつあるPsalmus Diuersaeから作品を発表する数少ない日本人。自作の独特なイラスト作品に登場する奇妙なキャラクターを模したマスクをすっぽりと被ってライブを行ったり、自撮りをアップするなど、虚構と現実の間を往復する不思議な人物。ゲームミュージックのように繊細に組みあげられたデジタルサウンドや、風変わりなデジタルフォーク的作品も作り出す。エンディングへと疾走するような激しく、めくるめく変転する展開はクセになる心地よさ。

13. former_airline, “Our Fantasies for Science and Pornography”

Former_Airlineは東京在住の久保正樹によるプロジェクト。金属的でノイジーなテクスチャーの音響が、張り詰めたテンションを持続させながら無人の都市を飛翔して行く。ミニマルなパターンの中に豊穣な情景が作り出されてくさまは、クラウトロックのよう。

14. GENSEIICHI, “Berlin”

インプロヴィゼーションユニットa snore.のメンバーでベルリンへと拠点を移した、GENSEIICHIによる作品のタイトルは「Berlin」。ミニマルテクノ的な圧を感じる変則的なビートの上でノイズのパターンが展開していく。低く抑えられた速度が、奇妙な白昼夢のような世界を作り出している。

15. Hakobune, “Impalpable Ashes”

多作で知られるドローン界を代表する才人。アトモスフェリックな音像のなかに神々しく荘厳なサウンドスケープが浮かび上がる。至福の美しさを持つ、アンビエントドローン作品。

16. H Takahashi, “Body Trip”

アンビエントユニットUNKNOWN MEの結成も記憶に新しいアンビエント作家のH Takahashi。結晶を形作るように空間を浮遊する音の像が見たことのない姿を描いていく。スピリチュアルというよりは、日常にある感覚を拡大したかのような優しく朗らかな奇妙さがある。春のような温かみすら感じる、ニューエイジの新しい時代を導いたアンビエント作品の金字塔。

17. Kazuya Suwa, “Above the Head / World is Echo”

レーベル〈Squiggle Dot〉の最初のリリースを飾ったKazuya Suwaの最新作。サイケデリックな夢を漂っているかのようなストレンジな世界観にポップさが光るそのスタイルには、どこか人肌のような温かみや陽気さも存在している。その軽やかさは、今の時代の感性という感じがする。

18. KΣITO, “Juke Shit 3”

Juke/Footworkの遺伝子から、多彩な進化を作り出す早熟な鬼才。本作は縦横無尽に進行するビート、ジャポニズムを意識してか和楽器の音色が絡み合う実験作。

19. Kentaro Minoura, “あー ep”

画家として知られる箕浦建太郎の音楽家としての一面が発揮された作品。音色がそぎ落とされた、静かに荒ぶるノンビートなノイズが徐々に解き放たれて行く1曲目。対極的に終末に向かうようなメランコリックさをたたえた2曲目のアコースティックな演奏でエンディングを迎える。

20. Lisachris, “LINE EP”

トラックメイカー、DJ、モデルと多彩な活動を見せるLisachrisのサウンドはベースミュージックの感性を下敷きにし、オンライン的なコラージュ感や高解像度の視覚イメージも掛け合わせたエッジ感の強いスタイル。そのエッセンスはDiploのMad Decentにも通じるような形式を独自に変容させてしまうような軽やかなセンスを感じさせる。

21. 鶴岡龍とマグネティックス, “Luvraw”

BTBを解散したトークボックス奏者のLuvrawの新次元を見せた新しいプロジェクト、鶴岡龍とマグネティックス。南米の甘く狂気に満ちた夜を思い起こさせるような、危険で楽しい、生の快楽に満ちたエキゾチックな楽曲集。

22. LSTNGT, “Boarding Gate”

トランスを新しい角度から解釈したかのような、身体をドライヴする至高のシンセサウンド。きらびやかな情景を描き出すそのメロディは、生まれ出た生命を表現するかのように、自由にその形を躍動させていく。ただ美しいだけでなく、聴くものの視聴を内側から突き破る破滅的な衝動を揺さぶる傑作。

23. MANTIS, “Resolution EP”

MANTISは、Moss(モス)とLa-Pachu(ラパチュ)によるデュオ・プロジェクト。エレクトロミュージックやダブの影響を独自の言語で昇華し、重くもたつくようなビートの上に高密度に敷き詰められた音像が複雑に交錯する暗く硬質な音の世界を作り出す。本作は、去年のアルバムからのヴァイナルカット作品だが、異なるヴァージョンとPoleのStefan Betkeによるリミックスが収録されている。

24. Madegg, “New”

Madeggは京都在住の音楽家/アーティスト。全ての像がぼやけたようなモノクロームのサウンドスケープが、霧が晴れたように新鮮な音遊びの世界へと移行。さまざまな音楽がキマイラのように結合し、異形の進化を遂げる。音楽が見た夢のような分裂病的鮮烈さをもつ抽象的なエレクトロミュージック。

25. Metome, “FEATHER”

Metomeは大阪を拠点として活動するTakahiro Uchiboriによるソロ・プロジェクト。高精細なテクスチャーと変形されたボーカルに、断片的な音像が編み物のように組み込まれ複雑な姿を見せる抽象的なサウンドの構造物。安定感のあるクオリティに旺盛な実験精神が掛け算された、アップデートされたエレクトロニカ的感性。

[関連]Japanese track maker / musician 2016。日本のトラックメイカー/楽曲50。#26-50

2016年の日本の豊穣な地下シーンを50組のアーティストと楽曲で振り返る。Japanese track maker / musician 2016。#26-50

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26. Nozomu Matsumoto, “Pre-Olympic”

バーチャル聴覚室EBM(T) のメンバーとしても知られるNozomu Matsumotoの夢と消えたZaha Hadidの建築イメージが、切ない幻想性を掻き立てるシングル。人々の集合の力が生み出す巨大建造物の背後にある儚さ。資本主義が見る夢のような虚構性がエレクトロニックなサウンドの背後で鳴る荘厳でクラシカルなサンプルから響いてくる。

27. nukeme band, “Tower Mansion”

nukeme bandは、メンバー全員が寅年生まれのヌケメ、ドリタ、9s9、pagtas、suzukiiiiiiiiiiによるドローンをテーマにしたバンド。セカンドとなる本作は抽象的ではあるものの持続音に重さはなく、即興の遊びにより構築されたさまざまな音色が楽しく飛翔していく。シンセポップ的な要素が新鮮な新世代のドローン実験ユニット。

28. Rhucle “Yellow Beach”

Rhucleは東京在住のアンビエント作家。早朝のまどろみのような、やさしさと温かみを感じさせるあいまいなものの美しさ。奏でられる持続音の中に、森林の空気のような清々しい幻想が広がっていく。繊細さの奥に強い芯を感じさせる作品。

29. Ryo Murakami, “Esto”

Ryo Murakamiは大阪を拠点に活動するアーティスト。アラブ首長国連邦のレーベルより。硬質な響きが蠢き、聴くものの感覚を歪ませるようなインダストリアルな世界観が構築されている。どこまでも深くてどこまでも黒い、ドローン/エクスペリメンタル。

30. §✝§

音源は数少ないが、VRを用いたライブが評判。サウンドだけでなく、オンラインが現実に結実したかのようなパフォーマンスは、サウンドとヴィジュアルの稀な幸福な結合であり、唯一無二のもの。もっと聴きたいし、もっと見たい。

31. Seiho, “Collapse”

大阪の出身で、〈Day Tripper Records〉の主宰者。ロスの〈LEAVING RECORDS〉から認められ、その稀有な才能が「Collapse」に結実した。Arcaにも通じるフェティシズムを通過したその音の異形を愛でる美学は、崩壊直前の絶妙なバランス感覚の上に成立している。エレクトロニカ、ビート、アンビエントなどさまざまな音の要素が、溶け合うように結合した、優しくも美しい作品。

32. 食品まつり a.k.a. Foodman, “Ez Minzoku”

Juke/Footworkが日本で独自の進化を遂げた。スカスカした独創的で脱力した奇妙なサウンドは、あれよという間に世界中の音楽メディアに捕捉され、その多くから本年のベスト作品としてノミネートされた。既存のカテゴリーにはけして分類できない、まさに異能の天才が作り出した作品。その奥からは職人的な探求というより、子供の心を覗き込んでしまったかのような、純朴な即興性と素朴な音への関心の追求が聴こえてくる。

33. Sugai Ken, “鯰上 -On The Quakefish”

日本の伝統的意識を現代の意識で消化した、風変わりなエレクトロミュージック。想像を超えて奔放に形を変化させていく美しく奇妙な音の生き物たち。豊穣な暗がりの中からどこかユーモラスなファンタスティックな光景が浮かび上がる。動と静の垣間見える捉えどころない間が、聴くものを中毒性のある音像の世界へと導いていく。

34. Takahiro Mukai, “Bubble Over”

日本の〈Birdfried〉や〈Phinery Tapes〉、〈Hylé Tapes〉など国内外のレーベルから精力的にリリースを続ける大阪在住のアーティスト。電子パルスのパターンが変化しながら泡のように浮かび上がっては消えていく。絞り込まれたミニマルな要素のなかに新鮮な感触が作り込まれており、硬質な弾性を感じさせるその音の構築物は、ただ純粋にカッコよい。

35. takao, “V”

さまざまな音楽の響きが聞こえては遠くへ消えていく。彩度の低いくぐもった音響が重なり合いゆれうごく、フィルターを通して世界を眺めているような幻想性。ストイックな美しさを持つアンビエント作品。

36. Theater 1

Theater 1は、D.J.FulltonoとCRZKNYによるコンセプチュアルなシリーズ・プロジェクト。日本のジューク/フットワーク界を代表する二人がタッグを組み、月一でその可能性を探求。本作は完成したトラック群の総集編的なアルバムとなる。ミニマルでテクノライクなそのサウンドは、その裏にあふれんばかりの熱量と強烈な刺激を含んでいる。

37. toiret status, “◎omaru◎”

プリセット音のみで作られたという高音質な音の破片が歪みの中でかき混ぜられ、聴覚の酩酊の中で新しい姿を形成していく。強い重力により音が放たれる空間自体を歪ませたようなそのサウンドは、聴くものの予定調和を次々と破壊せずにはおかない。このような新鮮な才能が、食品まつりらと同じく〈Orange Milk〉から作品を発表したということも驚き。本作にも参加している同郷であるKenji Yamamotoとのユニット、Toiret $egatasにも注目したい。

38. TOYOMU, “印象VII : 幻の気配”

京都のビートメイカー/プロデューサー。カニエ・ウェストの新作を妄想で作り上げた作品に続いて作られた宇多田ヒカルの「Fantôme」の妄想作。感覚が先走ったその組み立てには、Vaporwaveの奥にあるコンセプトとの共通性も感じさせる。乱暴なまでに斬新で、かつ奇妙な独自の世界を作り上げている。

39. UNKNOWN ME, “AWA EP”

UNKNOWN MEはやけのはら、P-RUFF、H TAKAHASHIにより結成されたアンビエントユニット。自身の分野で才能を開花させている3人がアンビエントの新機軸となるファーストカセットから、はやくも7inchのEPをリリース。日常における気持ち良さを拡大し持続させたような、透明で美しい幸福の気配に包まれたアンビエントハウスの傑作。

40. Ultrafog, “Faces, Forgotten”

Solitude Solutions〉よりリリースされたUltrafogのファーストカセット。厚みのある音像空間に、ミニマルな音の襞が優しく広がっていく。サイケデリックでほのかな温度を感じるローファイなアンビエント作品。

41. ROTTENLAVA, “KDK-8 ROTTENLAVA – MOTHER C”

メランコリックな響きを持つシンセサウンドの揺らめきに包まれながら、暗闇で微かな光を頼りに進む方向を確かめるように、もったりとしたビートがどこからかやってきては消えていく。反復によって作られるその感触はドローンのようだが、気がつくとダンストラックのような姿をしていたりする。不安定だが、儚さゆえの美も感じる作品。

42. Ryota Mikami, “Wedding”

Ryota Mikamiは東京を拠点とするアーティスト。Weddingというタイトル通り、希望を感じさせるメロディのループが高らかに鳴り響く。躍動感のあるサウンドの表面には、多彩な音の色や形が敷き詰められており、ポップさの中に荘厳な美しさのある世界を作り出している。9つの波で構成されたミュージックビデオ「Pyre」も発表した。

43. WoopHeadClrms, “日本の鎌倉母”

WoopHeadClrmsは愛知在住のトラックメーカー。変則的なビート、ボーカル、サンプルから作り出される脈絡のなさが際立つそのサウンドコラージュはMADの影響を受けたものだという。拡散的でノイジーなサウンドテクスチャーで構成されるそのグルーヴは、無重力で三半規管がかき混ぜられるようなカオスの中にある気持ち良さがある。

44. world’s end girlfriend, “LAST WALTZ”

world’s end girlfriendは前田勝彦によるプロジェクト。6年ぶりとなるこのアルバムはこれまででもっともパーソナルな哲学の領域に踏み込んだものだという。粒子の粗いメロディが深層へ語りかけるように静けさのなかに荘厳に響き渡り、その独自の物語空間へと聴くものを誘いながら、次第に耳へと重くのし掛かってくる。この重力の質感と、彼岸へと暴走するような虚無感は、どこかウィッチハウスとも共通する感触を感じる。

45. xoltev, “zero”

Wasabi Tapes〉より、鹿児島を拠点に活動する音楽家、xoltevのリリース。そのサウンドには空想的な明るさのようなものがあり、邪気のない心で希望に満ちた世界を映し出す。天上へ突き抜けていくような上昇感をまとったハーモニーに、変則ビートが空気のような軽さで交絡み合い、それらが美しい光景を描きながら、生命の喜びに満ちた躍動感で跳ね踊る。

46. Yoshitaka Hikawa

Yoshitaka Hikawaは東京を拠点に、〈CVLT〉や〈Astral Plane〉、O Fluxo Magazineなどに楽曲やリミックスを提供するプロデューサー。本作は、ju caとYoshitaka Hikawaのスプリット作品となる。さまざまな音のマテリアルが切り刻まれ、重ねられて生み出された靄がかった音像が、抽象的だがくっきりとした美学を感じさせる構造物を作り出していく。オンラインで生まれたばかりの新しい身体感覚をここに聴くことができるだろう。

47. 夕方の犬(U ・ェ・), “Choir and Room”

犬推しのイメージで聴くものを混乱させる音楽家、夕方の犬(U ・ェ・)。賛美歌とミュージック・コンクレートを結合。おもちゃのような不思議な感触がある環境音を背景に、神々しい響きを持つメロディが響き渡る。繊細な美しさと奇妙さが同居した幻想的な作品。

48. YPY, “The Rusted U.F.O”

goatリーダーのHino Koshiroのソロ名義YPYがJMT Synthのみを用いて制作した作品。もちろんただのデモンストレーションではなく、Hinoのストイシズムの中に無限とも思える豊かさを作り出すその才能がここでも存分に発揮されている。聴き心地の良いテクスチャーが形作った音のカーペットは、驚くほどいろいろな姿を映し出す。そのストラクチャー全てに聴くものをダンスへと誘う強い引力が存在している。

49.YYOIY

マドリード在住の日本人トラックメイカーでファッションデザイナー。ボーカルサンプルをスクリューしたR&B/ベースミュージック的な感触のある楽曲。去年〈Day Tripper Records〉から発表された「Hyper Pastelism」にも通じる、オンラインやポップ、ストリートなどに遍在するさまざまな要素をハイブリッドし独自に昇華したような、純粋に楽しく、新鮮な未来的感覚が存在している。

50. Yuta Inoue, “Piercer”

こちらも〈Day Tripper Records〉から作品を発表するアーティスト。粒子感のある様々な音像がマーブル模様を描くようにビートの上で混じり合い、帯状の分厚い音の層を作り出していく。モノトーンの色彩で描かれた抽象画のようなビートミュージック。

https://soundcloud.com/yuta-inoue-3/piercer

[関連]Japanese track maker / musician 2016。日本のトラックメイカー/楽曲50。#1-25

Liam Wongが写す今の東京の中に見える未来。Vaporwaveを彷彿とさせる、サイバーパンク、ネオ東京の姿。

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ぼんやりと光るネオン、夜空に伸びるサーチライト、無数に並んだビル群、糸を引くバイクのライト。大友克洋原作、1988年公開「AKIRA」の舞台として視覚化されたネオ東京の姿は、そんな東京の未来的なイメージを世界に知らしめました。原作の舞台は2019年、今の日本はAKIRAのような混沌とした世界にはなりそうもありませんが、西新宿や丸ノ内のビル群を見ると、そうした未来的な風景に似た部分も感じられます。

今回は、東京の都市の今を、レンズを通して未来の姿として写し出すフォトグラファーの「Liam Wong」を紹介したいと思います。

Liam Wongはカナダ在住で、Ubisoftでグラフィックデザインディレクターとして働くかたわら、アートディレクターや2Dアーティストやフォトグラファーとしてもマルチに活躍し、2015年9月頃からInstagram上にロンドン・パリ・ロサンゼルス・東京などの都市の写真を公開してAdobeやCanonなどの企業からもFacebook上で評価を受けています。

ポートフォリオサイト「夜の美」には夜景の写真のみがアップしてあり「I love capturing real moments and transforming them into the surreal.(私は現実の瞬間を捉え、超現実に変えることを愛しています)」と書かれている通り、東京の夜景をネオンカラーへと変化させ、薄明るい暗さを闇へと変えることによって、情報や人や物であふれ混沌とした「サイバーパンク」を表現し、新宿や渋谷の街中で見たことのある光景は、彼のフィルターによってAKIRAやBlade Runnerのようなイメージへと昇華されます。

新宿歌舞伎町

My work is on the front page of @businessinsider and @Smithsonian today: "For art director and photographer Liam Wong, the streets of Tokyo at night are mesmerizing, like the "cyberpunk world" in the 1982 blockbuster "Blade Runner." Wong, who currently serves as graphic design director at video game developer Ubisoft, was inspired to photograph Japan's capital city during a recent trip there. "I was bewitched by how the city lit up, and I just kept taking picture after picture," he told Business Insider.

Influenced by his background in video games, @liamwon9 made mesmerizing, technicolor images of Tokyo, depicting it in a way it's never been seen before." #cyberpunk #neotokyo #night #tokyo #signage #street #shibuya #instagram #travel #streetphotography #streetphoto #neonsigns #neon #city #canon #liamwong #noir #neonnoir #bladerunner #enterthevoid #videogames #gamedev

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渋谷

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中野

担々麺の名店「ほおずき」の看板「担々麺」の文字が、ヴェイパーウェーブを彷彿とさせる。

浅草

https://www.instagram.com/p/BNcGyWugkOu/?taken-by=liamwon9

神保町

モノで溢れかえった新宿、渋谷の光景と比較して、浅草や神保町はサイバーパンク化した都市の片隅にあるノスタルジーを感じさせます。

彼のInstagramは定期的に更新されており、過去の作品も確認することができます。日本以外の国で撮影された写真もありますが、どうやらかなりの日本好きのよう。皆さんもぜひ覗いてみてくださいね。

Instagram: https://www.instagram.com/liamwon9/

ちなみにWebstoreでグッズ販売も行っており、個人的には新宿3丁目の写真のトートバッグがオススメです。

www.society6.com/liamwon9

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撮影場所はこちらのよう。

また、日本人写真家も未来を彷彿とさせる表現をしています。外側からの目線と中側からの目線の両方から日本とその未来を想像するとおもしろいですね。現在進行形の東京から見える未来を1枚の写真で表現する、そんな彼らをこれからもチェックしていきたいと思います。

Yuma Yamashita

Otaku Life #inspirationcultmag

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Takashi Yasui

https://www.instagram.com/p/BN6lnOZhE7j/?taken-by=_tuck4&hl=ja

(Text: 小松塚悠太)

水野勝仁 連載第7回 モノとディスプレイとの重なり

永田康祐《Translation #1》
水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする

Masanori Mizuno /
Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title image: Akihiko Taniguchi

1ピクセルの光の明滅を見せる渡邉朋也の《画像のプロパティ》、高速で色面を切り替えるディスプレイにブラックライトで発光する蛍光塗料が塗られたHouxo Queの《16,777,216 view》シリーズ、光とモノとを融合させた魔術的平面をつくりだすエキソニモの《Body Paint》は絵画のようにディスプレイが壁に垂直に掛けられていた。天井から吊り下げられたiPadのモノとしての薄さがディスプレイ空間の薄さと連動する谷口暁彦の「思い過ごすものたち」の《A.》や「滲み出す板」の《D》、割れたスマートフォンのガラスを木に彫り込んだ須賀悠介の《Empty Horizon》といった彫刻的作品でも、ディスプレイは垂直の状態にあった。しかし、今回考察する永田康祐の《Translation #1》で用いられているふたつのディスプレイは水平に置かれている。ディスプレイが水平になるということは、スマートフォン以前では珍しい出来事だったかもしれないけれど、今では多くの人が水平のディスプレイを覗き込んでいる。このとき、ディスプレイには何か変化が起こっているのであろうか。さらに、《Translation #1》ではふたつのディスプレイに同じ映像が分配されている。映像の分配もまた普段よく見る出来事になったが、複数のディスプレイとそこに表示されている映像は同じ映像というよりは、見えない何かで結ばれた出来事が複数の場所で起こっているといったような感じがないだろうか。今回は永田康祐の《Translation #1》を扱いながら、水平に置かれたディスプレイと映像を分配されたふたつのディスプレイという問題を考えて、モノとディスプレイとの重なりをみていきたい。

モノの配置の記述とディスプレイ内の配置の記述

永田康祐の《Translation #1》には、様々なモノが組み合わされて同じように置かれたふたつのセットがある。モノの組み合わせを下から見ていくと、まずベニアでつくられた箱状の台がある。台の上に厚めの板が置かれており、その上にディスプレイと鏡が置かれている。ディスプレイは表示面を上にして水平に台に対して置かれていて、その上には石膏で型どられた石と模造大理石のプレート、木片、ステンレスでできた何かを挟むような器具が置かれている。さらに黄色から緑へとグラデーションしていく画像をプリントした紙があり、ガラスのビンがその紙をおさえるように置かれ、ビンのなかには人工観葉植物が入れられている。グラデーションの紙はディスプレイの端にかかるように置かれていて、その大半は台の上に垂れ下がっている。そして、台の上の紙をおさえるようにアルミのスプレー缶や模造大理石、ガラスのオブジェや銀色に光る重りのようなものが置かれている。そして、作品として置かれたモノをよく見ると、ふたつのベニアのボックスの木目はよく似ていたり、ふたつのディスプレイのフレームには同じ位置に指紋のような汚れがついていたり、スプレー缶にも同じ位置にくぼみがついていたりする。全く同じように見えるように注意深く置かれたふたつのモノの組み合わせが存在していて、そのなかにふたつのディスプレイが水平に置かれ、画像を表示している。

ディスプレイはその上に置かれた石や大理石、紙にプリントされたグラデーションの画像などを表示している。石の画像を示すウィンドウの上に石が置かれ、大理石の画像を示すウィンドウの上に大理石や木片や何かを挟む器具が置かれている。石は直接、石の画像の上に置かれているのではなく、石と石のウィンドウのあいだには何も表示していない白いウィンドウがある。ガラスのビンがグラデーションの紙をおさえるように、石が白いウィンドウの上に置かれている。もちろん、石は白いウィンドウに直に置かれているわけではなく、ディスプレイのガラスの上に置かれている。紙にプリントされたものと同じグラデーションの画像がデスクトップピクチャとして設定されていて、ディスプレイの最背面に表示されている。グラデーションのデスクトップの前面にはこれまで記述してきたウィンドウ以外にGoogle docsやGoogle Earthのウィンドウが表示され、さらに、ディスプレイの真ん中には等間隔に配置された大理石の板が上から下に垂直に移動していく映像を表示するウィンドウもある。このウィンドウは重なり順から、石のウィンドウの下、Google docsのウィンドウの上に位置していることがわかる。ディスプレイの最前面にあるメニューバーは「Google Earth」がアクティブなウィンドウになっていることを示している。しかし、Google Earthアプリのウィンドウは大理石のウィンドウの下にあり、最前面にはない。ディスプレイの一部を見えなくしているグラデーションの紙をよく見ると、紙が隠している部分にGoogle Earthからの何かしらのメッセージを伝えるウィンドウがでていることに気づく。Google Earthのメッセージのウィンドウが、ディスプレイの最前面にあることになる。そして、《Translation #1》にあるふたつのディスプレイは、このようなウィンドウの配置を全く同じかたちで表示している。

モノの配置の記述とディスプレイ内の配置の記述に違いはあるだろうか。「前面」「背面」という記述は、ディスプレイに特有のものであろう。ディスプレイ特有の「薄っぺらい空間」のなかで重なり合うウィンドウを記述するには、平面的な奥行きを示す「前面」「背面」という言葉は有効であろう。ディスプレイという物理世界に置かれる装置自体もディスプレイ内のウィンドウと同じように平面的であるけれど、それは板の前面にあるとは記述されずに、板の「上」にあると記述される。このような記述の違いが起こるのは、モノが置かれる物理世界は3D空間のx、 y、 z軸が絶対的な設定であるのに対して、ディスプレイではz軸があるようでないような曖昧な設定になっているからではないだろうか。

映像メディア研究者のアン・フリードバーグは『ヴァーチャル・ウィンドウ――アルベルティからマイクロソフトまで』で、「オーバーラップするウィンドウは、ほんのわずかに窓の隠喩を変えた。ウィンドウを積み重ねることができるようになって以来、表面的な窓ガラスは今や奥行きをもち、重力を無視するようになったのである」と指摘している1。レオン・バッティスタ アルベルティが絵画論で絵画の隠喩として「窓」を用いていらい、隠喩としてのウィンドウはそれ自体が世界を覗き見るフレームであったために積み重なるということはなかった。窓のメタファーを適用されてきた絵画、映画、テレビにおいて、フレーム内に描かれた世界には3D空間のx、 y、 z軸があったとしても、フレーム内の平面が個別の世界であったために、その平面世界が積み重なることは設定されていなかった。しかし、コンピュータと組み合わせられたディスプレイにウィンドウ(W)、アイコン(I)、マウス(M)、プルダウンメニュー(P)から構成される「WIMPインターフェイス」という設定が与えられたときに、絵画で世界を見渡す隠喩として機能していたウィンドウがデータを見るためのフレームとして採用されるとともに、ウィンドウ自体が積み重なる設定を付与された。平面を積み上げるという用途のために最低限の奥行きがディスプレイ内の空間に設定されて、ウィンドウが形成する平面が次々に重なり合うようになった。そして、重なり合うウィンドウは、フリードバーグが「重力を無視するようになった」と呼ぶように、ドラッグされて縦横無尽にディスプレイ平面を動き、クリックひとつでウィンドウの重なりがつくる奥行きを手前に奥へと移動した。ディスプレイ外のモノとは異なり、ディスプレイ内のウィンドウは重力から逃れている。けれど、そこには重なり合いのたびに生じる最低限の奥行きしかない。そのために、ディスプレイ内には平面しか存在できず、平面がただ積み重なるのみである。ディスプレイ内においては物理空間で絶対的なz軸は、ウィンドウという平面の「重なり」が現れるときにのみ現れるものである。ディスプレイ内では「重なり」が先にあり、その後にz軸があるものとして仮定される。このz軸の扱いの曖昧さが、モノの配置の記述とディスプレイ内の配置の記述に違いがでてくるのである。

ピクセルで形成されたモノの支持平面

《Translation #1》でのディスプレイの役割は映像表示装置であると同時に、石などが置かれる台でもある。ディスプレイが台として機能するのは、ディスプレイが垂直ではなく水平に置かれているからである。水平に置かれたディスプレイの表示面にある透明なガラスはモノとしての存在を消して、映像を見せると同時に、ガラスの板として石や紙、ビンや模造大理石などを支える支持平面となっている。永田はディスプレイを垂直ではなく、水平に置くことで、重なるウィンドウを示すディスプレイを「デスクトップ=机の上」として物理的に機能させて、モノの関係のなかに組み込んでいる。「ディスプレイ」というz軸が曖昧に設定されている装置が、水平に置かれることで強制的に絶対的なz軸の3D空間に組み込まれているため、ディスプレイにモノを置くという行為が可能になっている。このことを明示するために、永田はディスプレイ内にフルスクリーンの映像や画像やテキストではなく、「デスクトップ」と「ウィンドウ」との重なりというGUI環境でのデフォルトとなった状況を表示しているのである。GUIのデフォルト画面を水平に置いたディスプレイに表示させることで、永田が「デスクトップ」という語が示す水平性をディスプレイ内の画像の関係性に持ち込む。しかし、それはGUI環境のディスプレイ内にもともと存在していた「デスクトップ」という水平面に「ウィンドウ」という垂直面が配置されるという捻れを顕在化させることを意味している。フリードバーグは次のように指摘する。

それでは、スクリーンの空間のいくつかの「ウィンドウ」をナビゲートするコンピュータ・ユーザーについて考えてみよう。コンピュータ・スクリーンの混喩において、コンピュータ・ユーザーはスクリーンに対して比喩的に複数的な空間的関係に置かれている。各「ウィンドウ」は、互いの「ウィンドウ」の前面(窓を通して見るように垂直のスクリーンを覗き込む場合)または上部(垂直のスクリーンが重力を無視して90度回転し、上から見られるような角度でスクリーンを覗き込む場合)に重ねられる。「ページ」なのかそれとも「ウィンドウ」なのか、混喩には流動的な位置の転換が含意されている。ユーザーは水平な(デスクトップの)眺めと垂直の(ウィンドウの)眺めを行き来しているのである。デスクトップという隠喩は背景と前景の層[レイヤー]を含意しているが、それらは上から見られるものである。2

「デスクトップ」と「ウィンドウ」というメタファーを採用したディスプレイは、水平面と垂直面とが入り交じった状態をユーザに示し続けていた。そして、フリードバーグの著書のタイトルが示すようにこれまでは明らかに「ウィンドウ」の比喩の方が優勢であった。絵画の流れからディスプレイも物理的に垂直に置かれたため、ウィンドウの方がデスクトップよりも物理世界との整合性が取れていたからである。それゆえにウィンドウの移動を示すために「前面」「背面」や「手前」や「奥」と言う奥行きの表現が使われた。しかし、ウィンドウはデスクトップという水平面に置かれたものとして設定されている。ならば、それらは本来「机の上」にあるものであり、「上」「下」といった表現でその位置関係を言えるものである。実際、ウィンドウに対しては奥行きの表現と上下の位置関係の表現とが入り混じった状態で使われている。それは、デスクトップの水平性と積み重なるウィンドウとの関係性のなかで、物理世界で紙の順番を入れ替えるように、クリックでウィンドウの重なり順を変化させるという行為は定義されたけれど、この段階ではディスプレイ内のz軸は明確に設定されていなかったからである。

フリードバーグの水平のデスクトップと垂直のウィンドウという関係性は、ディスプレイが垂直に固定されていたときにのみ有効だとも言える。スマートフォンが一般化した現在では、ディスプレイ自体が流動的にその位置を変えるようになっている。メディアアーティストの藤幡正樹は次のようにディスプレイの自由度について述べている。

これまでのディスプレイは、人間が起きた姿勢で見るように、スクリーン面が地面に対して垂直であった。だから、人間の視線とスクリーン(ディスプレイ)の位置関係は、映画において、座席が動かないことと画面サイズが巨大であるために、ほぼ一意に決まっていたと言えるだろう。またテレビにおいては、画面が映画に比べて小さいうえに、人がその周りを動き回るので、見る人が首をかしげない限り、Roll方向の動きはない。つまり、横から見るとか上から見るとかいう二軸(Yaw と Pitch)方向しかなかった。しかし、携帯電話のディスプレイにおいては、まず位置情報として三つの自由度(X、 Y、 Z)があり、回転軸にも3つの自由度がある。さらに、使い手の視点との関係性でも三軸(Yaw、 Pitch、 Roll)の自由度があることになる。3

藤幡が指摘するように、縦横無尽に空間内で回転しつづけるスマートフォンのディスプレイにおいては、ディスプレイは垂直である必要はなく、それにともなって、ウィンドウという垂直性を示すメタファーがデスクトップよりも有効である理由はなくなっているのである。この流れのなかで、永田はウィンドウの垂直性ではなくデスクトップの水平性をディスプレイに与えようとする。それは垂直のスクリーンを「重力を無視して90度回転」させるというような大それたことではなく、単にディスプレイは水平に置けるということでしかない。永田はディスプレイを水平において、デスクトップを文字どおり「机の上」として使い、そこにモノを置いていく。ここで興味深い問題がでてくる。それは、ディスプレイは簡単にその位置を変えることができるようになったけれど、ウィンドウやデスクトップをディスプレイ内で180度回転させることを禁止するGoogleのマテリアルデザインのようなデザインのガイドラインができたことである。Googleのデザイン担当ヴァイスプレジデントであるマティアス・デュアルテは、マテリアルデザインについて次のように述べている。

マテリアルデザインは「私たちの考えをひとつにしました」と、Duarteは言う。さらに、「それは完全な制約となっているのです」と認めている。これらの制約は、デザインの決定をより容易にし、一貫性のあるものにしていると、彼は言う。例えば、カードをひっくり返して裏を見るというアイデアがあるとします。マテリアルデザインの世界では、それは機能しえない不正行為なのです。もしソフトウェアがこれらのデバイスのなかに実在するような物質的なものだとしたら、スマートフォンの内部にはカードを裏返すような空間はないのです。だから、Googleはその行為自体を許可しないのです。4

ソフトウェア的には可能なことでも、そのソフトウェアが機能するハードウェアの厚みから考えると、そこに充分な空間がないとされる。ソフトウェアをスマートフォン内部の空間に実在するものと考えることは、物理法則に縛られないソフトウェアの自由さに対して大きな制約であるけれど、ディスプレイ内にひとつの世界をつくり上げることに大きく寄与している。マテリアルデザインがこのように考えるのは、ディスプレイ内の環境におけるz軸を明確に定義しているからである。

マテリアル環境とは3D空間、つまりすべてのオブジェクトがx、 y、 z軸の方向を持つ空間です。z軸は表示されている平面に対して垂直に配置された軸であり、z軸の正の値が閲覧者に向かって伸びています。マテリアルのシートはそれぞれz軸に沿って1点の位置を占め、標準で1dpの厚さを持つようになっています。 ウェブ上では、z軸はレイヤリングに使用され、遠近感の表現には使用されません。3Dの世界は、y軸の操作によってエミュレートされます。5

ディスプレイの上に置かれた石やビンや模造観葉植物は、物理世界にあるものであり、そこではz軸方向に充分な空間が与えられている。けれど、ディスプレイに示された石や模造大理石にはz軸方向に充分な空間が与えられているようには感じられない。それらは立体的に見えるけれども、ディスプレイという平面に押し込められている感じが拭えない。この感覚をマテリアルデザインは明確に「マテリアルのシートはそれぞれz軸に沿って1点の位置を占め、標準で1dpの厚さを持つ」と定義している。マテリアルデザインではピクセルは単なる光の明滅ではなく、「厚みのある物理的な存在(マテリアル)6」と解釈されている。この解釈のもとで、ディスプレイが示す「デスクトップ」を考えると、その平面はz軸方向に1dpの厚さを持つ空間であり、それは「薄っぺらい空間」でしかない。「影を使うことで、マテリアル間の相対的な高度(z軸上の位置)を自然な形で表現でき」るため、影を描くことでいくらでも平面的なウィンドウは重なるかもしれないけれど、マテリアルデザインがカードの回転を禁止するように、そこにはウィンドウが回転できるような充分な空間はz軸方向にはないのである。マテリアルデザインでは、z軸が明確に定義されているけれど、それは「影」でエミュレートされているだけだからである。

マテリアルデザインは重なるウィンドウとデスクトップメタファーがディスプレイ内に曖昧なまま持ち込んだZ軸という概念を明確に定義するとともに、z軸の表現として「影」の役割を強調している。それは物理世界のルールを強く意識させることである。マテリアルデザインは物理世界でできることを、ソフトウェアとディスプレイの世界に適用していく。それゆえに強い制約が働き、ピクセルでできたウィンドウやデスクトップをディスプレイの「薄っぺらい空間」では回転させることができなくなる。しかし、永田はデスクトップを「机の上」として機能させるために、ディスプレイ自体を回転させる。ディスプレイは物理世界のルールに従うので、それは垂直から水平に回転させることができる。ディスプレイが回転しても、ウィンドウが垂直で、デスクトップが水平であることは変わらない。ここには物理世界のルールは適用されずに、ソフトウェア世界のルールが適応されるからである。けれど、マテリアルデザインのようなディスプレイ外の物理世界のルールを意識した強い制約と一貫性をもった世界がディスプレイ内につくられたのであれば、ディスプレイの置き方がディスプレイ内に強く影響を与えるということもまた起こるはずである。

ディスプレイの置き方を強い制約とするようなインターフェイスデザインはディスプレイの向きに合わせて画像が回転することがあるくらいで、マテリアルデザインのような決定的なディスプレイ内のデザインはでてきていない状況である。しかし、Microsoftがディスプレイの傾きを自在に変更できるSurface Studioとともに発売したSurface Dialは、PixelSenseと名付けられたディスプレイが水平に近い角度に傾けられ、そこに置いて使用することを前提としている点で、ディスプレイの置き方から派生したインターフェイスと考えられる。PixelSenseが水平に傾けられると、その表面にSurface Dialが置かれて、ピクセルとモノとが直接インタラクションしているかのような状況が生じるようになる。水平のディスプレイ表示面に物理的なモノが直接置かれるというインタラクションによって、ディスプレイ内のピクセルがつくる表示面がモノとの接地面となって、ソフトウェアと物理世界とがより密接に触れ合いはじめるのである。

永田の《Translation #1》はGoogleのマテリアルデザインとMicrosoftのSurface Dialが示すようなディスプレイのあらたなあり方を示している。そのあらたなあり方を顕著に示すのが、ディスプレイの上に直接置かれている白い石や模造大理石はガラスとの接地面にある影が消失し、まるでディスプレイの最前面に配置されているように見える箇所である。ディスプレイが水平に置かれることで、「ウィンドウ」という向こう側を見る垂直面の存在よりも、「デスクトップ」という水平面の存在が強くなり、ウィンドウが示す影によって生じるディスプレイ内のz軸方向の空間と物理空間のz軸と融けあい、ひとつのz軸として実在性が強調される。その結果として、デスクトップが「厚みを持ったピクセル」というあらたなマテリアルから成立している支持平面として機能し始める。だから、《Translation #1》ではディスプレイのガラス面にモノが置かれているのではなく、Surface Dialのようにピクセルという接地面にモノが直接置かれているのである。Houxo Cueやエキソニモは絵具という物理的なマテリアルでガラス面を上書きしたけれど、永田の作品ではz軸を設定されたピクセルというソフトウェアとディスプレイのルールでガラス面を上書きして、ピクセル自体をモノの支持平面にしてしまうようなことがおこっている。ディスプレイに表示されるウィンドウは影を示して、ディスプレイ内のz軸が実在していることを示すけれど、ディスプレイの光はその上に置かれた石やビンなどの影を消し、物理世界のz軸とディスプレイ内のz軸とを融合させてひとつにしてしまうことで、見る者に奇妙な感覚を与えるようになっているのである。

ふたつのディスプレイをつなぐ幽霊チャンネル

ディスプレイとその周囲のモノとの関係だけでも充分に複雑さを示しているところに、永田はもうひとつの同じ構成のモノの組み合わせを置く。このふたつのモノのセットの意味を、ふたつのディスプレイの関係から考えてみたい。ディスプレイ内のピクセルが放つ光はモノの制約から逃れているけれど、モノに影響を与える。GUI環境のディスプレイはデスクトップというかたちでモノのあり方を模しているけれど、それはモノになりきることがない光がモノの制約から逃れている平面である。しかし、エキソニモの《Body Paint》シリーズが示した光によるモノの擬態のように、ディスプレイがひとつだけだとディスプレイ内のピクセルはモノ化してしまう傾向がある。しかし、永田はディスプレイを複数用いることで、ディスプレイ内のピクセルが放つ光をモノ化せずに扱おうとしている。モノの集合のなかに置かれたひとつのディスプレイの光はあらたなマテリアルとなりモノの接地面になっている。けれど、ふたつのモノの集合のなかにそれぞれ置かれたふたつのディスプレイが放つピクセルの光はモノ化を免れて、光独自のルールを見せている。それは矛盾している感じであるが、矛盾を含みながらモノとディスプレイとの関係を探っているのが、永田の《Translation #1》なのである。再び、マテリアルデザインを先導するデュアルテの言葉を引用したい。

僕らはリアルな物理を使うとはいってますが、リアル世界をコピーしようとは考えていません。ただ、脳や心にとって自然なものを作ろうとしているだけです。ソフトウェアの可能性を開いて、変化のある本当にマジカルな体験を作っていく、僕らはそんなラインの上でダンスしようとしています。7

永田はディスプレイ内のピクセルのモノ化とそれと相反する光としての性質を示し、ソフトウェア世界の可能性を示そうとしている。だからこそ、ディスプレイを用いた《Translation #1》は、ディスプレイなしで構成された《Translation #2》よりもマジカルな体験を見る者に与えるのである。《Translation #1》は《Translation #2》に比べると、モノの置き方も特徴的である。《Translation #2》が回転台に載せられたモノの位置がズレているにもかかわらず、ひとつの台の上に平行移動でコピペされたようにふたつのモノの組み合わせが並んでいるのに対して、《Translation #1》は同じ配置のふたつのモノはふたつの台とその上に配置されたモノが、あたかも異なる見え方になるように設置されている。しかし、その異なる見え方のなかで、ディスプレイ内の表示は寸分違わずに表示されている。あたかもハメコミ合成されたかのようにふたつのディスプレイ内に表示される同一の映像が、ふたつのモノの組み合わせがモノではなく光に基づいた同一ルールのもとにあることを示すマジカルな体験の土台を形成している。コピペされるように同一のモノが氾濫するということは、大量生産の時代にはよくあることである。しかし、《Translation #1》でふたつのディスプレイが示す同一の表示は、モノの大量生産とは異なるソフトウェアが切り開くあらたな体験を見るものに与えているようにみえる。このあらたな体験を哲学者の戸田山和久が「幽霊チャンネル」と呼ばれるものを説明する際に、ひとつのコンピュータに接続されたふたつのディスプレイを例として用いていることから考えてみたい。

Translation #2

因果連鎖は情報の流れの必要条件ですらない。二股因果と呼ばれるケースがある。たとえば、コンピュータAがそれぞれ別室にあるモニタBとモニタCを制御して同じ画像を映しているとしよう。AはBで起こることとCで起こることそれぞれの原因だが、BとCには直接の因果関係はない。しかし、この場合でも、Bで起きたことを知ることによってCがどうなっているかを知ることができる。Bにリンゴが映っていたら、Cのにもリンゴが映っている条件付き確率は1だ。この場合、BとCの間には通信路のようなものがあり、情報の流れがあると言ってよいだろう。こういうとき、BとCには「幽霊チャンネル」(ghost channel)があると言う。ホラー専門のケーブルテレビ局みたいだけど。8

戸田山の例と同じように永田の作品でふたつのディスプレイに映っている映像はひとつのコンピュータが処理したデータが分岐したものであるから、同じ映像である。ディスプレイの個体差があるから、モノのレベルでデータの見え方は極々僅かにちがいがでてきているのだろうけれど、データとしては同じものである。同じ映像がそこに映っているけれど、そこには直接の因果関係がないとされる。ふたつのディスプレイのあいだには幽霊チャンネルがある。では、ディスプレイ以外にモノには「幽霊チャンネル」が成立するのであろうか。一般的にモノの関係においては、恐らく幽霊チャンネルは存在しないだろう。なぜなら、モノの変化は同時には起きないからである。片方に汚れを意図的につけたとして、それと同じように、もうひとつにも注意深く汚れをつけるということを行わなければならない。物理世界にあるモノに対して、同じ出来事が同時に起こることはほとんどない。しかし、映像を分配した複数のディスプレイのあいだではそのようなことが常に起こる。モノの組み合わせのなかにディスプレイを用いるということは、ふたつのディスプレイが示す幽霊チャンネルのような関係を組み合わせたモノにまで適用させようとする意図が、永田にあったと考えられる。

情報の流れがあるためには、出来事同士が、「あれが起きているならこれも起きている」という仕方で互いに結びついている必要がある。そのような結びつきがあるために、二つの出来事がじかに因果関係でつながる必要はない。二股因果が下支えしている幽霊チャンネルであってもよい。しかし、次のことは言える。幸いなことに、われわれの住む世界では、出来事が因果の鎖で結ばれていて、その結果としてさまざまな「あれが起きているならこれも起きている」関係で出来事同士が結ばれている。だから、情報が流れる世界になっている。そういう仕方で、因果が情報の流れを支えていると言えるだろう。9

私たちの世界は「因果が情報の流れを支えている」けれど、幽霊チャンネルがつなぐ関係があってもよい。分岐したディスプレイは「幽霊チャンネル」でつながっているため、出来事が同時に起こる。ふたつのディスプレイのうちでどちらが基準ということはない。ディスプレイが同じものであればなおさら、どちらが主ということはない。ユーザが見ている方が主と言えるかもしれないけれど、それはたいしたことではない。ひとつのディスプレイで何かが起きたときには、もうひとつのディスプレイでも同じことが起きているように見える。しかし、ここでは「同じ」ことが起きていると考えるのは間違えであって、ただ単にそれぞれのディスプレイにその出来事が起きているのである。幽霊チャンネルでつながったふたつでのディスプレイとともにあるモノは、ふたつのディスプレイが示す関係から逃れられなくなる。モノを足したり、引いたりする時に、幽霊チャンネルでつながれた関係がでてくる。Aのモノと同じようにBのモノが注意深く置かれるのではなく、それらはともにAとして置かれたモノとして見えてくるのである。このときのAには、因果関係でモノとモノとが結ばれた物理世界とは異なるルールが適用されている。《Translation #1》はソフトウェアとディスプレイとがつくる「幽霊チャンネル」というルールをモノにまで適用させているのである。永田はディスプレイを含んだふたつのモノの組み合わせを置くことによって、ソフトウェアとディスプレイによるルールが物理世界のルールを上書きする状態をつくっているのである。

物理世界のルールを上書きして生まれるマジカルな体験

マテリアルの表面と輪郭は、現実世界に基づく視覚的な手がかりとなります。人間にとってなじみのある感覚を取り入れることで、ユーザーはどのように操作すればよいのかがすぐわかるのです。さらにマテリアルの柔軟性は、人間と物(マテリアル)との関係において、物理的法則を破ることなく現実世界とは違った可能性を生み出します。10

永田の《Translation #1》はGoogleのマテリアルデザインのようなクリーンさで、ヒトとディスプレイとの関係において「物理的法則を破ることなく現実世界とは違った可能性を生み出し」ている。谷口やエキソニモが物理世界のモノをベースにしてモノとディスプレイとを重ねているとすれば、永田はソフトウェアとディスプレイのピクセルが放つ光からつくられるあらたなマテリアルをベースにモノとディスプレイとの重ね合わせを行なっているといえる。そこにはマテリアルデザインと同じように物理世界を模しながらも、そのコピーではない独自の原理に基づいて物理世界をディスプレイ内に組み込もうという意思がある。物理法則は物理世界で基本的なものであるけれど、ソフトウェアとディスプレイとの組み合わせによって絶対的なものではなくなった。《Translation #1》は物理世界のルールがソフトウェアに制御されたディスプレイの光がつくる「厚みを持ったピクセル」というルールによって上書き可能であることを示す。永田はソフトウェアとディスプレイとが制御するピクセルというマテリアルを物理世界と融合させて、物理世界のなかにありながらもその基本的なルールを上書きし、見る者の脳や心に自然でありかつマジカルな体験をつくるのである。

参考文献・URL
1. アン・フリードバーグ『ヴァーチャル・ウィンドウ――アルベルティからマイクロソフトまで』、井原慶一郎、宗洋訳、産業図書、2012年、p.318
2. 同上書、pp.328-329
3. 藤幡正樹『不完全な現実』、NTT出版、2009年、p.223
4. Dieter Bohn、 Material world: how Google discovered what software is made of、 2014 http://www.theverge.com/2014/6/27/5849272/material-world-how-google-discovered-what-software-is-made-of(2016.12.7 アクセス)
5. Google「マテリアル デザインのガイドライン(日本語版)」2016、https://material.google.com/jp/(2016.11.27 アクセス)
6. 深津貴之「マテリアデザインとその可能性」『UI GRAPHICS -世界の成功事例から学ぶ、スマホ以降のインターフェイスデザイン』、BNN新社、2015年、p.31
7. Gizmodo「マテリアル・デザインって何? Androidデザイン責任者にインタヴュー」、2014 http://www.gizmodo.jp/2014/07/_android.html (2016.12.7 アクセス)
8. 戸田山和久『哲学入門』、筑摩書房、2014年、pp.188-189
9. 同上書、p.191
10. Google「マテリアル デザインのガイドライン(日本語版)」

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

マイアミを拠点に活動する、La Mano Friaが立ち上げた新しいVaporwaveレーベル〈Sud Swap〉。そこに込められたソフトなメッセージ。

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さて、今回はちょっとだけ過去の話題に触れたいと思います。2000年代初頭から音楽シーンを追っている人なら、〈Beta Bodega〉というレーベルが存在したことを覚えている方もいるかもしれません。自身のルーツである南アメリカへの思いと、力強い政治的メッセージが込められたそのビジュアルは、レーベルオーナーであるLa Mano Friaによるもの。音楽への情熱をグラフィックのみならずレーベル運営という形で表現し、また〈Rice And Beans〉や〈Botanica Del Jibaro〉などといったサブレーベルへと枝葉を伸ばしながら、さまざまな活動を精力的に行ってきました。

その彼が来日するというので久しぶりに会うことになり、そこで彼が新しいレーベル〈Sud Swap〉を立ち上げ活動しているということ、そしてそれがVaporwaveのレーベルであるということを聞いてとても驚きました。Bandcampのページを見てみると、今年だけでもかなりの量の作品がリリースされていて、かなりエネルギッシュに活動していることがわかります。

https://sudswapaudiobrewing.bandcamp.com

そのネットワークは拡大しつつあり、パートナーレーベルとして同じくマイアミのU-HALL法人営業のメンバーが運営する〈Botanica1〉が参加。また、日本のパートナーとしてはレーベル〈Seikomart〉があり、〈Sud Swap〉の限定リリースの作品などを買うことができるようです。

最新作は「Bottle Share 1」というコンピレーションです。U-HALL法人営業や、ミスターハンセン病患者などといったレーベルでリリースを行なっているアーティストたちの作品がパッケージされており、レーベルの全体像を知ることができる一枚となっています。

その内容は、レトロでドリーミーなアンビエントから、サンプルが引き伸ばされスクリューされたコラージュミュージックなど、Vaporwaveの定番的なスタイルを踏襲したものがメインとなっていますが、レゲエをコンセプトにしているというU-HALL法人営業のダビーなサウンドは、Vaporwaveのコンセプトとレゲエの手法に共通点を見出したものだそうで、そのあたりはマイアミならではの解釈、といえそうです。

「Vaporwaveとはコンセプチュアルな音楽」というのは彼の談ですが、強すぎる主張を盛り込むのは今の時代に合わないと言っていたのも印象的でした。強固な政治的メッセージが込められていた〈Beta Bodega〉のオーナーがそう言うのを聞くと、とても複雑な気持ちになります。かつてより困難な時代に突入しているからこその実感なのでしょう。けれど変わっていないこともあります。それは、彼がDIYで作られていく音楽シーンに可能性を見い出し続けているという点です。続けていくために変わっていくこと、それもまた必要な戦いなのかもしれません。

そんなLa Mano Friaさんですが来年はふたたび来日して、展示やライブなどを精力的に行うよう。予定は以下のような感じです。

1.5 SAPPORO @ 札幌駅地下歩道空間 チ・カ・ホ (exhibition)
1.7 CHITOSE @ 千歳市タウンプラザ (live/workshop)
1.8 TOMAKOMAI @ CLUB ROOTS (live)
1.12-16 TOKYO @ UPLINK GALLERY (exhibition)
1.14 NIIGATA @ TBA (live)

是非、La Mano Friaの新しい展開を体験して見てください。

〈Hausu Mountain〉よりBen BillingtonによるQuicksails名義の電子音楽とジャズが既視感と未視感の上でまろやかに結合した作品「Mortal」がデジタルとLPにてリリース

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これまでも色々なリリースを紹介してきましたが、レーベルからプレスリリースをもらうことも増えてきました。もっともレーベルオーナーですらアーティストの情報を持っていないこともあったりして、そういうのもネット以降の繋がり方という感じがします。少ない情報からも、いろいろな物語を想像するのはとてもたのしい作業です。

とりわけ〈Hausu Mountain〉のリリースはとても丁寧な仕事がされていて、毎回、その作品への愛を感じることができるものになっています。前回は彼らにインタビューをさせてもらいましたが、今回はそんな彼らから届いた作品をふたたび紹介したいと思います。

今回届いたのはBen BillingtonによるQuicksails名義の「Mortal」という作品。Ben Billingtonはシカゴで実験的なDIY、電子音楽、フリージャズのシーンで、Tiger Hatchery、ONO、ADTなどといったバンドのメンバーとして10年以上の活動歴があり、またソロとなるQuicksails名義では〈Spectrum Spools〉や〈NNA〉などといったレーベルから作品をリリースしてきました。

Hausu Mountain〉がとても変わった作品ばかりリリースするのはリスナーに聴いたことのない音楽を届けたいという情熱の表れだと思いますが、この作品からもそのヴィジョンが明確に伝わってきます。さまざまな要素のハイブリッドで形作られたその演奏スタイルは、実験を通過して長い視聴に耐えうる普遍的な形に結実した作品と感じました。

弾むようなパーカッションのリズムとエレクトロニックなテクスチャーから構成されるその表現は、エレクトロミュージックのなかにフリージャズのボキャブラリーが織り込まれているところが新鮮で、音のマテリアルをぐつぐつと煮込んで一体化させたかのような、既視感と未視感がまろやかに融合された美しさを持っています。

そんなQuicksailsの作品「Mortal」は、17年の1月13日にはフル・レンングスのLPがリリースされる予定だそう。これはフィジカルでじっくりと聴きたいタイプの作品かと思います。是非。

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Oaklandの「最も美しい場所」、Ghost Shipで引き起こされた痛ましい火災。DIYの地下シーンを支えるさまざまな音楽レーベルから、犠牲者を支援する動きが広がる。

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先日、OaklandのGhost Shipという倉庫で行われていたウェアハウスパーティで36人もの犠牲者を出した痛ましい火災がありました。当日は金曜日で、LAのレーベル〈100% SILK〉が関係するパーティが行われていたそうです。DIYで実験的な地下シーンを支えてきた老舗レーベルのパーティだったということで、その衝撃が波紋を呼んでいます。

thumpの記事によれば、11ヶ月間もこの場所に住んでいたというライターでアーティストのCarmen Britoは、Ghost Shipのことを「最も美しい場所」と述べています。ウェブサイトに写真があがっているのが確認できますが、さまざまな楽器や家具、アンティークな小物に埋もれた温かみのある愛に溢れた場所だということが伝わってきます。それを思うと、写真を見ているだけでとても胸が痛みます。

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不幸なことに、この会場は違法建築として調査されていた最中だったといいます。さらにスプリンクラーや火災報知器が働いた形跡がなかったことから、管理者に非難が集まる結果とになってしまいました。けれどもアーティストが高い家賃を避け、こうした古いスペースを見つけ出して拠点にする例は多く、そんな場所があるからこそ商業的ではない多様な表現が生み出されてきたということもまた事実なのです。亡くなってしまった命は取り戻すことはできませんが、事件によってこれまで築き上げて来られた文化が否定されるようなことがあってはいけないと思います。

以下のリンクは、映画評論家の町山智浩がこの火災に関して、カリフォルニアの「ジェントリフィケーション」という概念を紹介しつつ、その背景を語った内容を書き起こしをしてくれているブログです。どうしてアーティストたちがこのようなライフスタイルを作り出したのかよくわかる内容になっています。

http://miyearnzzlabo.com/archives/41020

この火災に関して、負傷者や犠牲者の方々への支援が始まっています。Youcaringというサービスを用いて、支援を行うことができます。

https://www.youcaring.com/firevictimsofoaklandfiredec232016-706684

また、アンダーグラウンドミュージックを担うたくさんのレーベルが同時に支援の声を上げ始めました。少し探しただけでもほんとうに多くのレーベルが何らかのアクションをとっており、ここに挙げきれないほどです。

悲劇的なこの火災がより痛ましいのは、非常に過酷な出来事が、純粋な善意と人々の相互扶助により作り出されてきた文化のなかで生じてしまったという点にあると思います。この事件は文化の脆さも露呈させもしましたが、同時に守らなくてはならない価値を浮かび上がらせもしました。犠牲になられた方々には冥福をお祈りするしかありませんが、日本からもドネーションを行うこともできます。ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

Vektroidの最初期の名義Vektordrumの作品が3つ合わせてリリース。若さが才気走る、疾走するビート。

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最近急に活発にリリースを始めたVektroidですが、自分自身の過去の作品をまとめようという時期に来ているのかもしれません。次々と変名を作り出すことでも有名ですが、今回の名義はVektordrum。そのリリースはVektroidより以前の2008年からのことで、この名義は彼女のもっとも若い時代のエイリアスであったようです。これらの作品は当時の再リリースということになります。

音源を聴いてみると、現在よりもリズムパートに比重が置かれており、よりメランコリックな傾向があることが分かります。それは時代のニュアンスも大きいと思いますが、くぐもったエフェクトや、さまざまな素材が折り重ねられ溶け合った果ての抽象画を眺めるようなその作曲スタイルはこのときからすでに完成しています。16歳から18歳まで使用していた名義らしいので、かなりの早熟な才能であったことは確かです。

Vektordrum, “Capitose Windowpane”

次第に明確になっていくリズムパターンの上で、歪んだシンセ音が歌うようにさまざまな表情を作り出す。暗くメランコリックな世界観が横たわっているが、作り出された構築物に重さはなく、ゆっくりとそのグルーヴを飛翔させていく。

Vektordrum, “Hello1&2”

雲の合間に光が差すように、美しい音色が柔らかな輪郭の上に現れては消えていく。シンプルで重さのあるビートの背後には、ロマンティックなニュアンスが見え隠れしている。一定の疾走感を保ちながら、作り込まれた楽曲構造により場面が次々と展開していく。そのさまは、まるでシューティングゲームの背後で鳴らされているBGMのよう。

Vektordrum, “Geese”

液体のように変化するリズムパターンに、低いテンションで何かを語りかけるボーカルのサンプルが重ねられたビート、アンビエントノイズ作品。丸みを帯びたノイズのテクスチャーが、低空飛行を続ける音階とゆっくりと溶け合っていく。16歳にして高すぎる完成度。

Interview with Tom Galle

インターネットミームを創造するアーティストTom Galle。
ミームの作り方、そして彼が探求するその可能性とは。

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MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Translation: Noriko Taguchi, Natsumi Fujita

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いろいろな国を移動しているようですが、旅行でしょうか? あるいはいろいろな場所で仕事のスタイルを採用しているのでしょうか?
いつもは主にフリーランスのデジタルクリエイターや広告代理店、デジタルスタジオ、スタートアップのコンサルタントとして働いている。現場に行かなくちゃならない仕事もあるけど、多くのエージェンシーが遠隔でフリーランスと一緒に仕事するようになってる。今のところうまくいっているよ。旅先で出会うすべての場所にアイデアをもらっているし、一日中オフィスで座って仕事しているよりも生産性が高いと感じる。僕はとりわけ日本が大好きなんだ。だからたまに僕を見かけるかもしれないね。

あなたの作品においてインターネットの影響は大きいですか? 最初の出会いを覚えていますか?
もちろん! 多くの作品でインターネットカルチャーにアイデアをもらっているし、捧げてもいる。僕のアイデアの源なんだ。インターネット上に生じる特定のものごとをとらえて、コンセプチュアルな角度を与えて、またそこに再び戻すんだ。イメージやプロジェクトは再び頻繁に取り上げられて、広まっていく。その方法で、僕はインスピレーションをもらったインターネットカルチャーに貢献しようとしてる。ここ数年の働き方は、Moises Sanabria、ART404、John Yuyi、Bob Jeusetteほか、親しい友人とコラボレーションすることだね。

インターネットとの最初の出会いを覚えていますか?
インターネットを始めた時のことを覚えているよ。15歳前後だったと思う。実家で56Kモデムから始めたんだ。そこから今に至る。6人家族なのに家にはパソコンが一台しかなくて、シフト制で使いあっていたんだ。当時は、インターネットに対して完全に自由でアナーキーだというクレイジーな感情があった。ICQやIRCなどのメッセージプラットフォームを使って、何でもほしいものを見つけたり、誰にでもなることができたんだ。それは無制限で、可能性にあふれていて、新しい世界のように感じた。インターネット上の特殊な行為、荒らし(Trolling)のようなものが現れはじめて、そういうものや今日まで残っているものが、僕たちのプロジェクトの多くで用いられている。rotten.comのようなウェブサイト(または、思い出せないいろいろなサイト)は、完全に自由なアイデアを体現しているんだ。

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スマートフォンやケーブルを使った写真の作品をFacebookにアップしはじめたのはいつ頃からでしょう? またそうした作品を作り始めたきっかけはありますか?
作品へのアプローチ方法は二つに分けられる。ひとつ目は、イメージを膨らませてアウトプットすること。ウェブサイトやオブジェクト、パフォーマンスなどがそれに当てはまるね。基本的に、イメージよりもさらに先を行くんだ。それは美しいイメージも生み出し得る。そうやってプロジェクトやイメージは面白くて価値のある作品になるんだ。

二つ目は、より「日記」的なアプローチ。僕たちはテクノロジーや、あるいはミームのような「言語」、ユーモアなどのテーマを中心に、短時間でアイデアを形にする。テクノロジーやインターネット上の行動に、皮肉にせよ、批判的にせよ、感情的にせよ、自分自身の経験に基づいて光を当てようとしている。ソーシャルメディアは短時間で作品をつくったり、ポストしたり、世界中からすぐにリアクションをもらうことを可能にしてくれる。何百万ものフォロワーがいる巨大なミームのサイトで情報が広まってピックアップされたり、雑誌TIMEなどのアーティスティックで主流なメディアに届くこともある。面白いのは、技術的な開発が必要のないコンセプトをただ拡散しているということ。作品は伝えるためのコンセプトや構成、美学に焦点が置かれている。

あなたの作品にはインターネットのミームに近い意識を感じます。あなたはミームにどのような可能性があると思いますか?
その通り。僕は自分自身をミームアーティストと名前を付けたいんだ。でもほかの領域にも興味があるよ。最近は友達と一緒にファッションデザインやプロダクトデザインといった、これまでとは違ったフィールドに取り組んでいる。だけど僕の作品の大多数は、ミームの文化を用い適用し、役立てたものだね。

ミームはこの先もなくならないし、違ったかたちに発展していくと思う。「ミーム」という言葉を聞くと、多くの人はイメージを思い浮かべるかもしれない。でも僕にとってのミームは、基本的にツイッター上の言葉のような伝達手段の言語だったり、ソーシャルメディア上のイメージだったり、オブジェクトやパフォーマンスなんだ(例えばNetflix & Chill roomMacbook Selfie Stickなど)。ミームの定義って、インターネット上で意図的に拡散された特定のユーモアのセンスのことだと思っている。だからユーモアのタイプとミームのかたちは進化すると確信しているし、絶滅しないと思っているよ。もしミームが面白いままなら、僕たちはそれを見守らなければならないんだ 🙂。

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アートの世界において、ミームを用いることには可能性を感じていますか?
ミームアートで本当に面白いのは、これらの作品が大衆や、もっと知的なアートのコミュニティーに同時に語りかけているように見えることだよ。それは伝統的なアートの世界にとっては比較的新しいことなのかもしれない。正直に言うと、僕は昔ながらの世界はあまり知らないんだ。だけど彼らの関心はますます高くなっていると感じるよ。人々がショーや記事などのために、僕たちにアプローチし始めている。だからその昔ながらの世界に入れるポイントがあるのだと確信している。インターネットアートはすでにギャラリーで展示されていて、そこには素晴らしい作品があるし、中にはミームアートだと思うものもある。だからインターネットアートに独自の方法を見出した人々もいると思うんだ。

だけど、積極的に伝統的なアートの世界の一部になろうとは思っていない。聞いた限りでは、アートの世界は制約があって、選ばれたエリートによって支配されている。僕たちはインターネットを使って、違う方法でやれると感じている。オンラインショップで作品を売ることができて、ギャラリーよりもはるかに多いファンを得ることができるかもしれないしね。ギャラリーに行きたくないわけではないよ。フィジカルな作品には本当にいい面があるからね。ただほかの選択肢を探しているだけなんだ。

今まさに試しているところだけど、ギャラリーのインターフェースを一切使わずに、よい値段で作品を買ってくれる友人がいるしね。インターネット上でアーティストになったら、アート界に足を踏み入れたり、あるいはアート界からお呼びがかからなくても、人々が作品で生計を立てられるように進化するものだと思っているよ。

ほかに最近気になるテーマや、テクノロジーなどはありますか?
僕がやっていることの中でこれがいちばん楽しい部分なんだ。インターネットがすごく速くなったので、新しいインスピレーションの源が毎日のように出現する。ある日、ポップカルチャーやミームカルチャー上で熱い話題になったと思ったら、別の日には新しいテクノロジーがすごく注目を浴びるようになっている。僕の課題は、インターネットやテクノロジーの進化とともに進化し続けることなんだ。皮肉や批判やユーモアを持ってそれを投げかけ続けていくつもりだよ。

何か次の作品のプランは控えていますか?
今やっている一番大きなプロジェクトは、親しい友人たちのグループと一緒に行っているアメリカの企業文化を中心にしたものなんだ。このプロジェクトのグループの人たちはとても面白くて、プロジェクトはプロダクトデザインやファッション、写真、ブランディングなど、本当に色々な方法で迫ろうとしているんだ。このプロジェクトは一見シリアスに見えるものだけど、企業がどのようにルールを定義しているかってことに対して違った視点を投げかける、まさに強烈な「Trolling」の要素がある。特にアーティストってこういうルールや制約に弱い。だけどそれはたくさんの人たちに伝わるものだと思っている。

その次に、WebGLを使ったウェブサイトや、3Dイメージ・高度な写真に対応したソーシャルメディアのための新しいコンセプトやコンポジションづくりに取り組んでいる。あとは今、自分たちの作品を買えるショップをつくっているところだよ。

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Tom Galle
http://tomgalle.online
https://www.instagram.com/tomgalle/

プラハに拠点を置くカセットレーベル〈Genot Centre〉より、アウトサイダーハウスのスタイルをプレイするBryce Helmのアルバム「PERSONA」と360度ビデオがリリース。

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プラハに拠点を置くカセットレーベル〈Genot Centre〉より、Bryce Helmのアルバム「PERSONA」のリリースされました。そしてアルバム収録の「Gone」の360度ビデオが、MASSAGEにてプレミア公開。カセットは55本の限定リリースだそう。

Bryce Helmはサクラメント在住のアメリカ人。アウトサイダーハウスと呼ばれる抽象的なハウスとテクノをノイズミュージックに融合したようなスタイルの楽曲を発表してるアーティストです。

そのスタイルは非常に幅広く、都市の情報過多を表象するかのようにサンプルが折り重ねられたサウンドのレイヤーは、その高い密度にもかかわらずインダストリアルな重さを感じさせません。ノイジーで神経質症的なテクスチャーには、AIのような独特の人工的肌感があり、その全体にさまざまなスペクトルが折り重ねられた複雑な感情と、透明感のある張り詰めた空気を生み出しています。

360度ビデオはLOLLABのメンバーDVDJ NNS。以前紹介したHERBARIUM「РИЗОМА」のビデオの制作者。その映像は、アナログとデジタルのロジックを用いて、有機物と無機物の要素を組み合わせ、見るものをフィジカルからヴァーチャルの間を移動する夢のような旅に誘い込みます。