セカンドライフの現在。Second Life Bloggers Unionに集められた仮想世界のユートピアアート。

MASSAGE /

セカンドライフってそういえばどうなったっけと急に気になって調べてみたら、まだちゃんと存在していました。メタバースという概念が巷を賑わした一時のブームからもうずいぶん経って、日本の企業や代理店ははやばやと手を引いてしまいましたが、その世界はずっと進化をし続けていたみたいです。見比べてみると、ずいぶん高精細になった印象です。

さて、そのセカンドライフ関係で今回紹介したいのがSecond Life Bloggers Unionというグループです。今の所、205人のメンバーが所属しており、セカンドライフで作り出したアートを発表しているみたいです。

覗いてみたら、ゴシックとファンタジーとファッションとエロが融合されたような、独特の世界観が作り上げられていてびっくりしました。ざっと投稿されているイメージを紹介しますね。

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LOOKS NO. 390: DEAD END ROAD

♥ Fechando o Verão ♥

I'll be back on my feet again...soon

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LOTD 506

Garden of mind

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A lovely friend is always a good company

What did they know?

これは単なる勘ですが、VRが普及したらふたたびメタバース的な手法は息を吹き返すのではないでしょうか。そのときセカンドライフが再び主役に躍り出るかどうかはわかりませんが。

最後に、かなり前の作品ですがアーティストJon Rafmanによる作品「Kool-Aid Man in Second Life」というセカンドライフをコミカルなアバターで延々と旅していく作品を貼っておきます。こちらのビデオはセカンドライフ内でアーティストにインタビューを行っている映像のよう。

以下はJon Rafmanによるプロモビデオ。後半はかなり怪しいとろにまで突っ込んでいきます。閲覧注意です。自分はセカンドライフの操作性があまり好きになれなくて早々と離脱してしまったのですが、こんなディープな遊び方があったとは知りませんでした。

http://koolaidmaninsecondlife.com/secondlife_tour_promo.mov

セカンドライフは今でも無料で楽しめますし、ひさしぶりに仮想世界への冒険を楽しんでみてはいかがでしょうか。

Yusuke Suga, Kosuke Nagata, Issei Yamagata Exhibition “Seeing things”

イメージの操作が作り出す、「奇妙な感覚」

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MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Photo: Kosuke Nagata

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須賀悠介、永田康祐、山形一生による3人展「Seeing things」が開催された。3DCGを扱うという共通点を持つ3人のアーティストが、「イメージ」というテーマのもと作品を制作し、tokyoarts galleryの空間にバラエティ豊かな作品を展開した。

眩しい光沢を放つ商品、美しい肌の色、一つの汚れもないハイクオリティな生活。美しい写真が撮れる、スマートフォン。メディアと商業資本が作り出すイメージは、企業の欲望が投影された単なる記号にすぎないけれど、その記号によりドライヴされたイメージは強大な力を内包している。

イメージというとわたしたちは平面を想像しがちだが、その視野に映る世界も実際のところ眼球の奥へ投射された光なのだから、そもそもわたしたちは平面的に世界を眺めている。だから奥行きというのは、想像された世界なのかもしれない。

わたしたちは想像の力で、平面の向こう側へと突き抜けようとしてきた。絵画平面への没入を誘うさまざまな試みはその表れだが、数学の面で言えばその結実はデカルト座標のような概念といえるだろう。その3つの矢印はいまやわたしたちの空間理解の見えざる基礎となっている。人間が作り出した道具がこのように、現実の認識にまで影響を与えるのは興味深いことである。

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3Dソフトウェアツールで作られているものは、我々の実物空間の理解や接し方などを大きく変えた。それは今の建築家が、設計に使ったAutoCadのバージョンを認識できるぐらい影響の強さがある。(Manuel Fernández Interview

Manuelが言うように、わたしたちの認識の仕方は、社会構造とセットになってひとつのインフラを形作っている。そのときメディアを形作るテクノロジー群は、自然環境のように透明な存在となってしまう。だから今のメディアアーティストには、テクノロジーは必要ない。彼らが目に見える形でテクノロジーを使用していないのが、その証拠である。

記号の操作のようなもので豊穣な意味が生み出されていくなら、わたしたちはその新しい空間に書き込まれた意味を読み取って楽しむことができる。しかしその結果には、なにか恐ろしいものが待ち受けている予感がする。イメージに内包されたパワーが、わたしたちを侵食するからである。

幸運なことに私たちはまだその手前の段階にいるのかもしれない。その現実にどのような姿勢を持つかは人それぞれだが、その「現在」の可能性を紐解く必要はあるように思える。だからメディアに意識的なアーティストは、テクノロジーではなく、「現在」の可能性という実験にシフトしていく。結果生み出されるのが、ただ「奇妙な感覚」のようなものだとしても、少なくともその感覚はわたしたちの見方をふたたび新しくしてくれるに違いない。

会期: 2016.09.02‒15(終了)
会場: tokyoarts gallery
http://seeingthings.xyz
出展作家:須賀悠介永田康祐山形一生

X会とパープルーム。ふたつの運動体がいわき市で見せる、過去と現在のシンクロ二シティ。

MASSAGE /

明日(9月17日)より、福島県いわき市のもりたか屋にて『X会とパープルーム』と題された展覧会が開催されます。

「X会」というのは、いわき市に75年前まで存在していた旧制磐城中学校の学生を中心に活動した美術サークル。コラージュの大家である洋画家の若松光一郎が所属したことで知られている。太平洋戦争の余波ですでに自然消滅したというその過去の運動に、パープルームの現在の姿を重ね合わせ、時を超えたシンクロニシティを引き起こそうというのが今回の展示の見どころ。

ちなみに本展示は、福島県いわき市平地区をツアー形式で巡ぐる芸術祭「カオス*ラウンジ新芸術祭」の一部として行われる。貴重なこの機会にいわきを訪れてみてはいかがでしょうか。

『X会』が太平洋戦争の余波で自然消滅してから75年が経ち、いわきでも『X会』の名は風化していきつつある。そんな局面で『X会』の舞台だった福島県いわき市の平に『X会』の設立からちょうど100年後の2013年に結成された『パープルーム』が召喚されたのは単なる偶然なのだろうか?

『パープルーム』と『X会』は活動の地域や形態の違いこそあれ似ているところがあるように思われる。自主独立の学生によって運営された『X会』、民間の私塾の形態をとる『パープルーム予備校』、それはともにオルタナティブな姿勢と言えるし、様々なクラスタを有しているという共通点がある。
『パープルーム』が『X会』の未知数「X」にパープルームの「P」を代入し『X会とパープルーム』として75年ぶりに、いわきの平に姿を表すことは必然だと思える。

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若松光一郎/Composition 30.8.82/1983/h194×w390(3点組)/墨、カゼイン、和紙/個人蔵

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坂本 夏子/夏(犬と坂道)/2014/h194.0xw162.0 cm/キャンバスに油彩/©Natsuko Sakamoto, Courtesy of ARATANIURANO/Photo by Ichiro Mishima

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リスカちゃん&パープルーム/パープルーム関連画像からリスカちゃんが生成して結晶化したもの『Parplume Art Fair』より

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梅津庸一/智・感・情・A/2012-2014/パネルに油彩/h.180.6xw.99.8cm each(四点組のうち三点)/パネルに油彩

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坂本夏子&梅津 庸一/開戦/2014-2015/h116.7xw182.2cm (2pieces)/キャンバスに油彩/©Natsuko Sakamoto & Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO/Photo by Fuyumi Murata

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フナイタケヒコ/UNTITLED B-1/1975/真鍮、木

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『パープルタウンにおいでよ』展示風景/パープルーム予備校/Photo by Fuyumi Murata

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智輝/「薬」/2016.8.31/紙にアクリル/h20.8×w13.2cm

出展作家:坂本夏子/福士千裕/百頭たけし/KOURYOU/鋤柄ふくみ/フナイタケヒコ/高橋大輔/飯田 jennifer 桃子/山本悠/花粉になった野方の空白/urauny/リスカちゃん/新井夏菜/qp/若松光一郎(特別出品) パープルーム予備校:安藤裕美/アラン/あま/智輝/梅津庸一

会場:もりたか屋2階〈福島県いわき市平三町目34番地〉
開催期間:2016年9月17日(土) − 10月10日(月) ※土日祝日のみオープン
開催時間:11:00−19:00
観覧料:1,000円(高校生以下は無料)
http://www.parplume.jp/tennji/tokusetu201609.html

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DIS Magazineキュレーションによるベルリン・ビエンナーレの楽しみ方。あるいはオンライン・ラディカリズムの実空間への移植は成功したか②

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ベルリン・ビエンナーレについての原稿、第2回目です。

さて今回はビエンナーレについて、少し率直な感想について書いてみたいと思います。実はベルリンに在住している友人たちにビエンナーレの感想について聞いてみたのですが、そもそも関心がないか、あまりよい感想は持っていないようでした。以前のビエンナーレに比べてパワーが感じられないと言っている人もいました。

ぶっちゃけて書いてしまうと、そう言いたくなる気持ちもわかる気がしました。

ビエンナーレに訪れるのは初めてなのですが、ベルリン・ビエンナーレ自体は今回で9回目の開催になります。1996年に発足なので、したがって20年の歴史があることになります。その20年の間に、現代美術はその規模を拡大し、もっとも投機的な市場と呼ばれるまでになりました。DIS Magazineは今回のテーマとして、「パラドックス」というキーワードを挙げていますが、こうしたアート領域の経済化もそのひとつに数えられるにちがいありません。

ベルリンは自由都市の呼び名にふさわしく、左翼的な考え方が強いことで有名ですが、こうしたグローバル経済のパワーを押しとどめようという意識がとても強く存在しています。それはこの街の特性、多様な文化を認める寛容の精神や、低コストで生活できる住環境の良さなどに由来しています。いつでも大きな潮流に飲み込まれず、カウンター的な存在であり続けているのも、この街の特色のひとつなのです。街に遺伝子レべルで刻まれたそうした性質は、ベルリン・ビエンナーレのベースに常に存在していたということができると思います。

そのような文脈のなかでDIS Magazineの起用は、非常に理解できるものでありましたが、また同時に、このベルリンの空気感の中で鑑賞する展示は、そのような文脈から切り離されたところに存在しているもののように感じました。

Canadian Art誌によるインタビューで、インタビューアーのTess EdmonsonはDISのキュレーターたちに次のように聞いています。

「(会場が)Auguststrasseから離れることは、明らかに安い家賃、芸術的な自由、まだ使われていない都市空間、そして初期のベルリンビエンナーレが定義したもの、けれどたぶん真実ではないか、少なくともかつてほどではなくなった神話のようなものへのノスタルジーを拒絶しようとする意図が読み取れます。」

この質問に対してDISは、自分たちはそこから始めなくてはならなかったといような答えを返しています。つまり会場構成において、DISのキュレーターたちはこれまでのベルリンの文脈から距離を置くことを明確に意図していたということです。

ベルリンの自由都市的な風土が神話かどうかはさておき、NYからやってきたDISの現状を批判しない姿勢は明確で、作品そのものからダイレクトに伝わる衝撃が薄いのは、こうした複雑な現実をそのままの姿で見せようという姿勢に由来しているように思います。その代わりに彼らは現在の複雑さを示すために「パラドックス」という概念を採用しました。それは作品群の背後にあって確かに見えにくいですが、DISの現実の複雑性へ挑む知的で洗練された手つきのように感じます。

つまりそれは、モノそのものより、現実の複雑性が産み出したモノの背後にあるさまざまな奇妙な事態(つまりパラドックス)にこそ現在において検証すべき可能性があるということなのです。

さて、最後にひとつだけ作品をあげておきます。アムステルダム在住のKatja Novitskovaという、ポストインターネットを代表するアーティストでもある作家の作品「Expansion Curves (fire worship, purple horns)」です。

彼女は企業などの作り出しているイメージを引用したような彫刻を発表してきたアーティストなのですが、最近の作品はハリボテのようなぺらぺらのオブジェクトになってきています。写真に撮ると逆に伝わらないかもしれませんが、その造形は完全に消失してしまっており、ただの板のようなものなのです。立体であるのに正面からしか見ることのできない彫刻。それを堂々と展示してしまうということは、現代のメディア状況の以前では絶対にありえない出来事だったと思います。

スクリーンという存在の広範囲な進出により、わたしたちは現実と現実のイメージというふたつの世界にどっぷりと暮らすようになりました。そしてついにスクリーンの中にしか存在しなかった、平面的な事物が現実に進出してきた。わたしたちはそうした現実を受け入れるようになったということなのです。

以前、彼女の同手法の作品に関して、ライターでキュレーターのBrian Droitcourが「THE PERILS OF POST-INTERNET ART」というオンライン上の原稿で、ポストインターネット・アートへの批判を展開していました。

水野勝仁さんがMASSAGEの連載で引いていたものの孫引きで申し訳ないのですが…

「ポストインターネット・アートは、洗濯洗剤がコマーシャルでよく見えるようにブラウザでよく見える。洗濯洗剤がコインランドリーでは魅力的ではないように、ポストインターネット・アートもギャラリーでは輝いていない。作品のまわりを周りながら観るのは退屈である。それは実のところ彫刻ではない。空間を活性化しない。ポストインターネット・アートの作品はしばしばその正面がカメラのレンズに向けて整えられている。」

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彫刻の体験としては実際にチープなのですから、Brianの主張にも同意できるところはあります。それはそうなのですが、それを言ってしまうのはあまりにまっとうな批判過ぎてつまらない。むしろその批判自体、あきらかに彼女の作品の中に構造的に組み込まれています。現実の方が虚構より劣って見えること。それは彼の批判とは逆に、現実と虚構の間にある階級差を反転してしまうという、彼女の作品の持つラディカルな可能性にほかなりません。またそれこそDISの言わんとする「偽装された現実」であるのです。

DIS Magazineの「現在」における試みは、あたらしい事態を描写してみせることなのだから、そういう視点で見るとこの作品はとてもわかりやすい。だから、これこそがもっとも象徴的な作品だなと思うわけです。

気が向いたらまた続きも書いてみたいと思います。

アフリカのアーティスト集団〈NON〉とメキシコのコレクティブ・レーベル〈N.A.A.F.I.〉がジョイント。ブルックリンのEMBACIの作品をフリーDLにて公開。

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アフリカのディアスポラのアーティスト集団〈NON〉とメキシコのコレクティブ・レーベル〈N.A.A.F.I.〉が意外なコラボレーションを行いました。ブルックリンのシンガーソングライターのEMBACIの作品を共同で公開。SoundcloudのページからフリーDL可能です。〈N.A.A.F.I.〉からはLAOやOMAAR、〈NON〉からはCHINO AMOBI、MYA GOMEZなど、多数のプロデューサーが参加して、透明感のあるシルキーなヴォーカルを持つ彼女の世界観をさまざまに料理しています。

この音源は、ニューヨークのRed Bull Studioで今年はじめに行われたセッションの録音のよう。特別なレーベルの特別なジョイント。こういう実験的な試み、ほかのいろいろなレーベルでも見てみたいですね。

水野勝仁 連載第5回 モノとディスプレイとの重なり

谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」
iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅

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Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title Image: Akihiko Taniguchi

前回はエキソニモの「Body Paint」シリーズを取り上げて、ディスプレイを絵具の支持体として用いることで、その表面で光がモノに擬態する魔術的平面が生まれていることを示した。今回はスマートフォンやタブレットといった表面一面をディスプレイが占めるモノを取り上げてみたい。スマートフォンやタブレットはモノとディスプレイとがもともと重なりあって、ひとつのデバイスとして機能している。そのモノとディスプレイとの重なりに、エキソニモの「Body Paint」シリーズが示す魔術的平面のような特異な平面は存在しているのであろうか。

谷口暁彦はスマートフォンやタブレットを用いた「思い過ごすものたち」(2013〜)と「滲み出る板」(2015)という作品を制作している。「思い過ごすものたち」は《A.》と題され、「滲み出る板」では《D》と題された作品で、iPadはともに天井から吊られて、ユラユラしながら映像を表示している。ディスプレイがユラユラと空間に吊らされている状態は、これまで本連載が扱ってきた作品になかったことである。エキソニモの「Body Paint」シリーズ、Houxo Queの《16,777,216 view》 シリーズがともに壁にディスプレイを絵画のように設置した作品だったのに対して、谷口の《A.》と《D》はディスプレイを彫刻的に扱った作品と言える。それゆえに、これまではディスプレイを正面から見ていたのに対して、側面や背面などディスプレイをひとつのモノとして構成する要素が問題となるのである。「思い過ごすものたち」と「滲み出る板」は連作の作品であるから、本来はそれぞれ連作内において作品の連関を読みとるべきものであろう。しかし、「モノとディスプレイと重なり」を追ってきたこの連載ではiPadを用いた《A.》と《D》のみを考察して、ディスプレイが表示する映像と物理世界に置かれたディスプレイのモノとしての側面との関係をみていきたい。

ディスプレイと物理世界との間違った接続

谷口はHouxo Queとの対談「ディスプレイの内/外は接続可能か?」で「iPadやiPhoneの画面の中と外をどのようにつなぐかを考えて、最初に制作したのが「A.」という作品です」と述べている。そして、次のように《A.》の説明を続ける。

3DCGのティッシュペーパーが風でたなびいている15秒くらいの映像を、天井から吊るしたiPadでループ再生しています。そばに扇風機があって、その風があたるとiPadが揺れ、画面に映るティッシュペーパーもたなびいているように見えるというものです。画面の中のティッシュの映像は、風とは無関係にただループ再生されていることは見ればすぐわかる。iPadそのものを揺らすことは間違えた接続なのだけれど、それによって風が画面の中に入っていくように感じられてしまう。こうした、本来はフィクションとして閉じている画面の中の映像を、いかに画面の外の世界と接続し、関係させるかということがこれまでも僕の作品の共通の問題としてありました。1

《A.》で画面の外と中とを接続するために扇風機の風をiPadに当て、ディスプレイに表示されているティッシュペーパーと物理世界とが接続された感じを生じさせるのであれば、iPadを天井から吊るさなくてもいいのではないだろうか。iPadを壁に設置して、そこに扇風機の風を当てたとしても、多くのヒトはディスプレイの内と外とをつなげてしまうと考えられる。しかし、谷口はiPadを天井から吊らして、揺らす。その理由は、谷口がタブレットやスマートフォンについて、「画面が薄い板状で、触って操作できるということは、向こう側を覗く窓(Windows)から、いまここにある物質っぽさを強く感じさせます2」と言っているところに見いだせるだろう。ディスプレイを「窓」として捉えるならば、iPadを絵画のように壁に設置するだろうが、谷口は「コンピュータを一枚の板として彫刻の素材に使うことができるんじゃないか3」と考え、iPadのモノとしての側面を強調するために、iPadを天井から吊り下げる。天井から吊り下げられたiPadは「間違えた」方法でディスプレイの内と外とを接続する。

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スマートフォンやタブレットという薄い板状のコンピュータの登場によって、ディスプレイを「窓」ではなく、「モノ」として使用することが「誤用」とは言い切れなくなっている状況になっている。ディスプレイは「見る」ための装置であったけれど、タッチパネルを備えたスマートフォンやタブレットの登場によって、ディスプレイは「触れる」対象となったために、そのモノ性が強調されるようになった。さらに、ディスプレイはヒトの手に持たれることで、モノとしての側面を強調するようになった。映画のスクリーンやテレビの画面は見る者に対して垂直に置かれているのに対して、スマートフォンやタブレットはヒトの持ち方で見る角度を自由に変更可能である。それゆえに、側面や背面などディスプレイをひとつのモノとして構成する要素が視界に入るのである。このようなディスプレイの変化のなかで、谷口はiPadやiPhoneをひとつのモノと見なして、彫刻の素材として用いる。だから、「思い過ごすものたち」で使用されているiPadやiPhoneは、額縁のなかの絵画や映画のスクリーンのように見るための存在として物理世界から半ば独立した平面的な状態に置かれることはない。それらは彫刻のように物理世界のなかに置かれ、物理法則が作用するモノとして扱われることになる。

《A.》でモノとして吊り下げられているiPadは風に当たると揺れる。そして、そのディスプレイに表示されているティッシュペーパーも揺れている。ふたつは扇風機からの風によって揺れているように見える。しかし、ディスプレイ自体の揺れとそこに映されたたなびくティッシュペーパーとを結びつけてしまうのは間違った接続なのである。iPadが物理世界の情報を取得する加速度センサーなど各種センサーをもっていることが、この間違った接続をもっともらしく見せていることに貢献しているとしても、そのセンサーは機能していないため、iPadは物理世界に対する情報を取得することはない。ここで起こっているように見えるのは、物理現象である風が物理世界から切り離されているはずのディスプレイの世界にも作用するという奇妙な現象なのである。

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ここで《A.》におけるディスプレイとその外の物理世界との間違った接続を考えるために、「箱ティッシュはどこにあるのか?」という問いを立ててみたい。箱ティッシュは真っ黒な3DCG空間のなかに置かれていると言えるし、iPadのディスプレイのピクセルを構成する光の明滅によって現われている平面にあるとも言える。フィクションとして3DCG空間があり、それを具現化するためのディスプレイの光の明滅による平面がある。そのどちらに3DCGの箱ティッシュはあるのだろうか。ここでコンピュータグラフィックスを初期のころから作品のメディウムとして用いているメディアアーティストの藤幡正樹のテキストを引用してみたい。

ルールにしたがってタイプされた数字や記号が結果として画像を作りだしてしまうということは、はっきり言って信じられないことだ。が、これを繰り返していくうちにコンピュータ内にストックされた記号が記号としてしか取り出せないことに苛立ち始めた。記号は三次元の形態を意味しているにも関わらず出力される画像は二次元でしかない。特に初期のコンピュータ・グラフィクス映像がやたらと物体の周りを回り込む様に動くのは、動きというもうひとつの次元、時間の次元を画像に付け加えることによってなんとか三次元をみせようということにほかならない。4

藤幡のテキストから考えると、三次元的形態としてモデリングされた箱ティッシュは、その三次元性を保ちながら、二次元の画像としてディスプレイに表示されているといえる。その際に箱ティッシュのみではなく、その周囲の3DCG空間も二次元化される。箱ティッシュは三次元でありながら、ディスプレイに二次元の画像として表示され、しかも、その三次元性を示す「モノの回り込む様な動き」も失っている。このように考えると、ティッシュペーパーは映像として扇風機の風とは関係なくたなびいているけれど、箱ティッシュも含めた3DCG空間自体がディスプレイとともに扇風機の風に揺れているのである。言い換えれば、「モノの回り込む様な動き」の代わりに、扇風機で揺れている動くiPadが「動きというもうひとつの次元」をディスプレイに付け加えて、そこに表示されている風にたなびくティッシュペーパーを取り巻く空間自体に三次元性を再び与えているのである。

ティッシュペーパーは扇風機の風と連動しているかのように動いているけれど無関係であり、それが置かれた3DCG空間はディスプレイに平面的に表示されながら、扇風機からの風を受け揺れているディスプレイとともに揺れている。だとすれば、ティッシュペーパーは扇風機の風の影響を受けていて、3DCG空間がその支持体であるディスプレイとともに揺れていることになる。そのとき、揺れているのはディスプレイでしかないのに、見る人はその物理的な揺れを映像のティッシュペーパーの揺れと連動させて見てしまう。そして、物理的な揺れとティッシュの揺れの連動が扇風機の風を3DCG空間に吹き込むのである。それは間違った接続でしかないのだけれど、その間違いの延長で、ディスプレイに表示されている映像に物理的揺れというかたちで「動きというもうひとつの次元」を与える。つまり、iPadの物理的な揺れが3DCG空間でオブジェクトを三次元的に見せる動きの操作に擬態して、ディスプレイに表示されている映像全体に三次元性を与えるのである。

3DCG空間における「モノの回り込む様な動き」を擬態するiPadが箱ティッシュのティッシュペーパーを揺らすことで、3DCG空間に扇風機の風を接続して、ディスプレイがもつ二次元という制約から箱ティッシュを解放している。けれど、それは錯覚にすぎない。すべてはiPadのディスプレイという平面で起きていることである。錯覚だとしても、一度そのように思い過ごしてしまうことは、「風」によってiPadが揺れ続けることで、物理世界とディスプレイという二次元の平面に表示されざるを得ない3DCG空間とを「三次元」というフレームでつなぐ環境が構築されたことを意味する。それがたとえ錯覚で思い過ごしだとしても、物理空間と3DCG空間というふたつの世界が接続されたという意識経験は確かに見る人に起こったのである。

二次元と三次元との交錯

「滲み出す板」の《D》は「思い過ごすものたち」の《A.》とは何が異なるのだろうか。まずは、谷口の作品説明からみていきたい。

天井からiPadが吊るされていて、扇風機の風で揺れている。iPadには、カーテンのついた窓枠のCGの映像が映し出されていて、 カーテンが風で揺らめいている。その窓枠の背景には、iPadの背面のカメラで撮影している現実の空間の風景が映し出されていて、 iPadが揺れる動きによってその風景も揺れ動く。しかし、窓枠のCGの映像はそれとは無関係に中央に映し出されている。5

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《D》が《A.》と異なる点は3つである。ひとつ目は表示されているオブジェクトが「カーテンのついた窓枠」であること。ふたつ目は、窓枠の背景が真っ暗ではなく「iPadの背面のカメラで撮影している現実の空間の風景が映し出されてい」ること。最後は作品自体の違いではなく、作品説明後半の「空間」についての以下の記述である。

この時、iPadの中に映る現実の風景は、iPadを透明な窓のように作用させ、奥行きのある空間性を持つが、CGの窓枠はむしろ、 iPad自体の厚みと対応する、板状の薄っぺらい空間に貼り付いたように見える。5

谷口はここで「iPad自体の厚み」に注目している。《D》と同じように《A.》のiPadももちろんモノとして厚みをもつものであったが、そのことには言及されていない。《D》のiPadは厚みをもつモノとして意識的に扱われていることで、《A.》よりも彫刻的要素が強く扱われている。同時に、それは絵画のように向こう側を示す「窓」としても機能している。この彫刻と絵画とのあいだに、もうひとつの3DCGの窓枠とカーテンが示されている《D》は《A.》よりも複雑な構造を示している。

まずは《A.》の手法を引き継いでいるところからみていきたい。《D》のiPadもまた《A.》と同様に扇風機の風を受けて揺れており、3DCGの窓枠につけられたカーテンも揺れている。《D》のカーテンは《A.》のティッシュと同じように物理世界と3DCG空間とを接続する役割を担っている。しかし、《D》のもうひとつのオブジェクトである窓枠は、箱ティッシュとは異なり枠の向こうにあるものを見せるという機能をもつがゆえに、その枠からみえる視点=パースペクティブを見る者に与えるのである。そして、3DCGの窓枠はiPadの背面カメラという「窓」とは異なる視点を与えられている。それゆえに、《D》のiPadのディスプレイには、真っ黒な3DCG空間に置かれた箱ティッシュを捉えるパースのみを示していた《A.》とは異なり、背面カメラと3DCGモデルの窓枠が示すふたつのパースが混在した平面が展開していることになる。

《D》では《A.》とは異なりiPadが具体的な厚みを持ったものとして扱われている。iPadは平面的であるが、厚さをもたない概念的な平面ではない。しかし、ディスプレイを正面から見ている際には、iPadは「平面」である。しかし、それを風で揺らすことで、iPadは様々な角度を見る者に見せる。そこに具体的な厚みが生じる。ただし、具体的な厚みといっても、それは「薄さ」と対応するような「平面的」と形容することを許容する厚みである。もちろん《A.》のiPadにも平面的な厚みを見ることはできる。しかし、その厚みがディスプレイのなかに示されている映像と関係を持つことはない。《A.》のiPadは単に風に揺れるモノであればいいのであって、具体的な厚みは映像との関係では捨象されている。それゆえに、3DCG空間そのものがディスプレイとともに揺れるのであり、いかなる角度においても、ティッシュペーパーは3DCG空間にあり続けるのである。

しかし《D》では、平面的な厚みを見せる3DCGの窓枠が示すパースと揺れるiPadが示すモノとしてのディスプレイのパースが重なったときに、見る者はiPadの具体的な厚さとその平面的な薄さを同時に見ることになる。そして、そこに谷口が作品説明の後半で「空間」について書いている「iPad自体の厚みと対応する、板状の薄っぺらい空間に貼り付いたように見える」状態が生まれる。そのとき、窓枠の向こうに映されていた物理世界もまた板状の薄っぺらい空間に貼り付く。そこでは世界は覗き見る対象ではなくなり、角度的に見づらいけれど、そこに存在することは否定出来ない板状の薄っぺらい空間になっている。ここにはiPadの具体的な厚さとディスプレイとがつくりだす独自の状態が生まれている。板状の薄っぺらい空間の幅は最大でiPadの厚みをもつと同時に、それはiPadのディスプレイの光の明滅という厚さを持たない二次元の平面でもある。つまり、3DCGの窓枠とiPadが異なるパースで互いに示していた物理世界は、最大でiPadというモノの厚み、最小でディスプレイの光の明滅というほとんど厚みを持たない現象のあいだに生じる二次元と三次元とが交錯する特異な状態に置かれるのである。

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乱層のディスプレイ

しかし、「二次元と三次元との交錯」はもともとコンピュータに接続されたディスプレイが示していたものであったともいえる。デザイナーの戸田ツトムは、次のように書いている。

コンピュータはひとつのディスプレイ上に、概念的な平面とゴミ箱が置かれた街角のような空間を同時に混在させる。空間性不要のウィンドウでもスクロールツールによって全体の平面内をなぜか文字列がパンする。同様に「平面」上でウィンドウが重なり、後ろに回り、別ウィンドウの上を通過したり…。平面に存在し得ない状況の様々である。「絶対の平面・空間に置かれた平面・深さと線遠近法的な性格をある程度もった平面」、これら言わば乱層するデスクトップを、ユーザーはそれほどのストレスや戸惑いを感じることなく受容し得た。これは驚くべきことではなかったか? 6

谷口の《A.》《D》は、いわば戸田が「乱層のデスクトップ」と呼ぶ体験を、ディスプレイを基点にして反転させた作品だと考えられる。そして、「乱層のデスクトップ」をディスプレイというモノを用いて、物理世界に引っ張り出してきているのが、谷口の作品であり、この連載でこれまで扱ってきたエキソニモの「Body Paint」シリーズ、Houxo Queの《16,777,216 view》 シリーズだと考えられる。これらの作品はすべてディスプレイの光の明滅という原形質的性質とモノとしての性質を組み合わせて、あらたな平面をつくりだしている。私たちはディスプレイを覗きこみ続けて、そこに表示されていた奇妙な平面を見続けて、その感覚を蓄積していった。それはモノとしては体験できないものであった。しかし、ディスプレイ自体が薄くなり、また、タブレットやスマートフォンというあたらしい装置の登場によって、「乱層のデスクトップ」的体験をディスプレイというモノを経由して、物理世界で体験可能になっている。そして、Houxo Que、エキソニモ、谷口の作品は「乱層のデスクトップ」にモノという側面を付け加えて、光のうえに浮遊するようなモノ、モノに擬態する光、モノの厚みと光の薄さとの交錯といった「乱層のディスプレイ」とでも言える体験をつくりだし、ヒトが慣れ親しんできたモノと物理世界に揺さぶりをかけているのである。

参考文献
1. 谷口暁彦×Houxo Que「ディスプレイの内/外は接続可能か?」,美術手帖 2015年6月号,美術出版社,P.87
2. 同上書,p.87
3. 藤幡正樹「四次元からの投影物」,『アートとコンピュータ ─ 新しい美術の射程』,慶應義塾大学出版会,1999年,p.120
4. 谷口暁彦「滲み出る板 / board ooze out 2015」,http://okikata.org/☃/shimideruita/(2016.8.30 アクセス)
5. 同上URL
6. 戸田ツトム『電子思考へ…―デジタルデザイン、迷想の机上』,日本経済新聞社,2001年,pp.20-21

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

バーミンガムの〈Noumenal Loom〉より、レーベルコンピレーションの第二弾「Compilation Two」がプレオーダー中。日本からはMetomeや$egaなどが参加。

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Holly Waxwingによって運営されるバーミンガムの〈Noumenal Loom〉より、レーベルコンピレーションの第二弾がプレオーダー中。現在EATQSによる楽曲が視聴可能で、日本からもMetomeや$egaなど何人かのアーティストが参加しているようです。“カセット・アンビエント”、“オンライン・ニューエイジ”といわれるシーンの中心レーベルと言われていた〈Noumenal Loom〉が、2016年どのような視野で今を見ているのか、とても気になります。発売が楽しみですね。

https://noumenalloom.bandcamp.com/album/compilation-two

Mykki Blancoのデビューソロアルバム「Mykki」より、「Loner」MVが公開。社会における出会いと孤立の選択の物語。

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Mykki Blancoのソロアルバム「Mykki」のリリースが近づいてきましたね。〈!K7 Records〉より発売日は9月16日。先行してリリースされたシングル「Loner」のMVが公開されました。

Oliver Davidが監督したこの実験的なミュージックビデオは、4つのティザー映像からなるシリーズの最初のもので、社会における出会いを抽象化した物語になっているそう。疎外感を認めながら、積極的に孤立することを選んだ人物像を描いている。

これまではミックステープなどではリリースがあったようなのですが、意外にも本作がデビュー作。かつて女装したBlancoがラップしながらNYを練り歩く「Haze Boogie Life」のビデオをはじめて見たときには度肝を抜かれました。トランスジェンダーを公言した彼の姿勢からクイアラップなどと呼ばれたりしましたが、先日発表されたビデオを確認する限り、これまでの表現をより深化させ、全く新しい世界を作り出しているようです。セクシャルな不安と、怪しさを感じさせるその雰囲気には、どこかarcaのような感性すら連想させます。アルバムが待ち遠しいですね。

http://mykkiblancoworld.com

Virginal Variations:
Interview with Koshiro Hino

日野浩志郎インタビュー前編。
東京公演を終えたばかりの彼に新プロジェクトの詳細について直撃した、インタビュー&ライブ映像。

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MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Assist: chocolat, Photo: Ryosuke Kikuchi, Movie: Okamotonoriaki & Ryosuke Kikuchi

goatのコンポーザー兼リーダーの日野浩志郎。ソロ名義YPYでのリリースや、自ら主催するカセットレーベル〈birdfriend〉も動きが活発だ。大阪のアンダーグラウンドシーンの中心人物として注目を浴びるその彼が、新たなプロジェクトVirginal Variationsを発足した。内容はメンバー20人というこれまでとは全く異なる形態で、管弦楽などクラシックな編成を中心とする。東京公演は、去る2016年3月13日に原宿Vacantにて開催され、UNITでの第2回となる公演が9月22日に控えている。
そのライブで、Virginal Variationsは多人数編成ならではの、オーガニックで厚みのある独特の音響を響かせた。持続音のレイヤーにさまざまな音色が重ねられていくリズムのないパートから、一転エレクロトロニックなサウンドと管弦楽器が複雑に交差し、インダストリアル感のある強烈なドラミングが展開していく。オーケストラ編成のインパクトもさることながら、ヴァリエーション豊かな展開に耳を奪われ、一時間ほどの演奏も一瞬に感じるほどだった。
本記事ではエネルギッシュな公演を終えたばかりで疲労困憊の日野浩志郎に新プロジェクトVirginal Variationsの詳細について直撃。インタビュー&ライブ映像とともにお届けする。

今回は日野さんの新しいプロジェクトVirginal Variationsをメインにお聞きしていきたいと思っています。昨日、Vacantでの東京公演が無事終わったばかりですが、疲れは取れました?
まだぜんぜん疲れてますね。ライブ終わってぬけがらみたいになってしまって。

関わってる人も多いですしね。まず今回のプロジェクトで目を引くのは20人というメンバーの多さですが、この編成でやってみてどうでしたか? 率直な感想は?
これだけ人数集めたのは初めてだったので、単純にひとつの音をみんなで出すってだけで、感動がありますね。でも、20人でのリハーサルは当日までできなくて。だから大阪のメンバー半分、東京のメンバー半分でそれぞれ練習を重ねました。当日の現場で音を合わせることを頭の中だけで想像しながらやってきたので、不安はずっとありました。

そうすると当日までは、ひとりの作業の割合が多かったということですか?
ほとんどひとりでした。集まる時間がなかなかなくて。大阪のメンバーと練習したのも、4回か5回。当初は服部峻くんにアレンジを加えていってもらうというのも考えていたんですが、今回は時間が取れず難しかったですね。9割くらいのベースは自分で考えて、そこからみんなで一緒にっていう感じです。初回のライブは、去年のHOPKENでやったものなんですけど、そのときは8人編成だったんです。そのライブを終えてから、しばらくは全部忘れる作業をしてて。今回の東京公演は、そこから何が必要かっていうのを客観的に聴いて、いちから組み立てていきました。

すると、メンバーを集める前に明確なヴィジョンみたいなものがあった?
いや、なかったです。もちろん、ある程度見えてる部分はあるんですけど、音を鳴らしてみないと分からないので事前のアイデアだけに頼ってしまったらまずい。Virginal Variationsは、与えられた環境の中でどういうことができるかっていうのを、やたらめったら試しまくったみたいな、そういう感じです。だから情報量がすごく多いんですよ。1時間くらいの演奏の中でも、5つのフェーズがあるし。

5つのフェーズは具体的にはどういうアイデアなんでしょう? これは5つ曲があるって考え方になるんですか?
そうですね。5つの曲っていう考えでもあるけど、基本的には全体で1曲という考え方です。

ドラムパターンがない前半から、後半にはリズムが入ってくる構成になっていましたが、そういう全体の構想は最初から?
そう。ドラムだけのフェーズは一番初めにできたんですよ。ドラムパターンを作るのが一番得意なので。でも流れはあんまり考えず、思いつくものを次々作っていき最終的にパズルのように組み込んでいきました。行き当たりばったりみたいですね(笑)。

でも聴いている方としては、そうも思えなくて。アイデアの部分がしっかりしているからかもしれませんが。今回の公演でいえば、発想の大元になったものはなんだったんでしょう?
ヒントとなった曲やアーティストはたくさんいますが、おおまかに言えばクラシック楽器の編成とエレクトロニクスを足し合わせるという単純なアイデアが根本になります。ソロだったら話は別ですが、最初にコンセプトを決めすぎるにはまだ経験が足りないと思ってたんですよ。とりあえず大人数で試したいアイデアがとにかくいっぱいあったので、まずはそれを試していく。そこで面白いアイディアや新しいコンセプトが見えてくるだろうと思って最初に決めすぎないようにしてたんです。集まった楽器と人数でどんな事ができるだろう?というそこからのスタートでした。 今回は20人揃ったんですけど、とにかく最初は菅と弦がいっぱい欲しいというのは考えてました。だから最初に、Twitterで弦楽器を募集したんですけどね。でも残念ながら応募が来なくて…。

日野さんといえばgoatのセカンドのリリースもあったり、去年で一定の評価を受けたと思うですが、そのタイミングで新プロジェクトというのにびっくりしました。
いい意味で期待を裏切っていきたいと思ってるところはあります。ある程度こうやったらうまくいくということが見えた時点で新しいことをしようと思ってしまう。今年goatは基本的に海外でしかやらない方向で考えてて、3枚目のアルバムを作ったら日本でもまたコンスタントにやりたいと思ってます。それぞれのプロジェクトは1回1回しっかり作って、bonanzas~YPY~goatそしてVirginal Variationsとマンネリにならないサイクルを自分の中で保とうとしてるんです。自分がやりやすいようにやってるだけで、発表するタイミングに関してはなにも考えてないですね。

とはいえVirginal Variationsにも、goatとの共通点みたいなものがあったりとか、goatから生まれてきた部分もある気もしました。
たとえば、goatだと強度があるものを作りたいと思ったら、練りに練ってワンループをひねり出す必要がある。だけどギターのコードを100人で鳴らせば、簡単にものすごい音になる。浅はかなことかもしれないけど、人数を集めるっていうのはそれだけですごいことなんです。それだけに頼ったらダメだと思うけど、大人数だからこそできる表現だってある。 goatに関しては逆に、すごく制約を作ってる。制約のなかで作るっていう境地、そのおもしろさを求めてる。Virginal Variationsは、たくさんの要素を集めて、その中でどういう方向性があるのかっていうのを試していく。だからgoatで培ったアイデアも入ってるし、演奏の緊張感は通じるものがあるのかもしれません。

ちなみに作曲って、どういう手法でやっているんでしょう? PCとか?
PCは使ってないですね。ソロのような感じで作るなら打ち込みでできるけど、こういう弦楽器では試したことがない。それで、今回は全部ノートとペンです。

じゃあ、譜面ですか?
譜面みたいな感じ。作曲ノートにとりあえず思いついたことを全部書いて、こういうルールで、こういうドローンにするみたいなことや、ルールをこう組み合わせたらどうなる、みたいなことを書いてます。それがある程度たまっていったら、それを元にフェーズの組み立て作業をしていきました。

少し脇から見えていたんですが、不思議な譜面ですね。譜面になってるところもあるし、なってないところもあるし。これはみんなで同じものを共有してる?
全員一緒の譜面ですね。僕の合図がここであるみたいなのとか、ここからここの間はこういうルールでいきます、とか。まあなんかそういうのをこと細かに書いて渡してます。やってる方も、楽しんでくれてたみたいですね。あとはグラフィックスコアみたいなニュアンスもある。

演奏者にはどのぐらい自由度があるんですか?
ドラムはほぼ自由が無く、コードに関してもほとんど決めてる。そのコードの中で、ある程度自由を持たせるところもあります。いろんな種類の展開のさせ方があって、ドラムをこうやったら、次こういく、僕がこういう手を挙げたら、次の展開にいくとか。時間で計って進行するところもあるし、色々試してる。コードに関してはけっこうこだわっていて。goatとかbonannzasの印象で、コードが弾けないんじゃないかと思われたりするんだけど、実はコードを考えるのは結構好きなんです。コードはgoatではやれないとこだったから、その意味でも、これまでできなかったことを一回解放して、やってみるっていう面もありますね。

今回、日野さん自身は演奏せず、指揮者に徹してましたね。
そうですね。正直ミュージシャンシップというか、自分をミュージシャンだと思ってないんですよ。そこまでギターが好きじゃないし。ドラムマシンは好きだけど。だから演奏したくないんですよね、人前で。だからVirginal Variationsは理想形に近い。実際、やっててすごく楽しかった。

実際は演奏者をコントロールする立場ですけど、機材をいじくる感覚があるとか?
割とあるかもしれない。言ってしまうと、今回の演奏のランダム的な要素とか、コードを展開させてシーケンスが進んでいく手法って、機材でもできる。だけど、それを生楽器でやる意味もある。人間だからそれぞれが影響され合ってるんですよ。基本的には決まってるけど、決まってるなりにどんどんずれていく。そのずれ方によって、また弾き方が変わっていく。そこは指示しなくても、それぞれが考えてやっている部分で。みなミュージシャンだから、全体の音楽をこうした方がいいっていう共通の考えがあって、それが勝手に反響し合う。それが、新鮮というか。

今回のプロジェクトを日野さんはプロトタイプって呼んでいますよね。プロトタイプっていうことは、今後進化していくということなんでしょうか?
もしかしたら、永遠にプロトタイプかもしれないし、永遠に成長していくってことかもしれない。Virginal Variationsはこれで完成とするには違和感があって、ある程度流動的で演奏によって変わるというものを作りたいと思っています。フレーズは決まっているものの、楽器は厳密に決まってなくて演奏者の裁量で曲を進行させていくというテリーライリーの「in C」という曲があるんですけど、Virginal Variationsでも集まった楽器によって最適なフェーズを当てはめ、フェーズの順番を変えてもいいというものにしたいと思っています。「今回のVirginal Variationsではフェーズが10あるうちの3~7で構成する」というような感じで。毎回新しいフェーズを考えるだろうし、終わりがあるのかは分からない。もしかしたら「これが完璧でそれ以上のものは無い」と思ったら流動的にしないかもしれないけど。 ただ今回「プロトタイプ」とつけたのは失敗だったかもしれません。感想を見たり聞いたりする限りでは「プロトタイプだから」というイメージが先行してしまって、はなから「まだ完成ではない」と思われてしまったのが残念で。大阪の初回の演奏はまだまだ粗削りで、はっきりとビジョンが見えていなかったので「未完成」ではあったと思います。でも今回の東京公演は成長途中ではあるけどひとつの完成した作品だと思っています。

これからの新しい展開も考えてる?
それはVirginal Variationsに限らず、いろいろあります。YPYに関しても新しい展望もあるし、goatに関してもある。これから自分のタイミングでやりたい事をどんどんやっていこうと思っています。前回とは違うものをやりたいという気持ちが強い。だから次やる時はどれでも、また新しくっていう感じですね。

日野浩志郎
goat、bonanzasという二つのバンドのコンポーザー、リーダーを務める。ソロ名義YPYでは、ダンスミュージックをリリース。また、カセットレーベル〈birdFriend〉を主宰するなど、精力的に活動。新プロジェクトVirginal Variationsを発足した。

Virginal Variations 第二回東京公演
“VERSIONS” Date: 2016/9/22 (Thu) @UNIT/UNICE Open/Start: 15:30
Line up: CARRE / Chris SSG / COMPUMA & 竹久圏 / hakobune / Hino Koshiro plays Virginal Variations / John Elliott / Madegg / 山本精一 / UNKNOWN ME (やけのはら / H.TAKAHASHI / 大澤悠大) / 行松陽介
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ネットに漂ういまだ名前の付いていない表現を集めたコンピ「very gois #02」。ナイスショップスーによるセルフレビュー

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ネットに漂ういまだ名前の付いていない表現を紹介する、ナイスショップスー「very gois」の第二弾「very gois #02」が早くも再発。フォーマットはマイクロSD。親切にも、カードリーダー付きです。

今回のvery goisには音楽だけでなく、ちっちゃなメモリの中にムービーやPDFなども付いてきます。ナイスショップスーの独特のセンスは、音やビジュアル、映像の中にもバッチリ封入されていて、デジタルならではのZineが進化した新しいメディア表現のように感じました。

今回の参加者のライナップがとても気になってナイスショップスーさんに問い合わせてみたところ、セルフレビューを書いていただけることになりました。正体不明っぽいアーティストが多いなか、少しでも背景を感じられる情報はとても貴重。ぜひチェックしてみてくださいね。

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1. Live Set Preview – XYZ

デンマークのMads Lund Kolding とMathias Bredholtによるサウンドプロジェクト。サウンドクラウドに数年前からアップしていた一曲しか聞いたことなかったんですが、それがめちゃくちゃよくて声をかけてみたら、ちょうど連絡してすぐにデンマークの新レーベル〈Waa Industry〉からLPを発表。その後楽曲を提供していただいた直後にアカウントが消えたのですが、最近また復活したようです。以前にはBandcampでいろんな作品を公開していたそうで、以前からファンだというRin Yabaが過去作XYZ – Rotation ServiceをこっそりYouTubeにアップしてくれています。

2. floss (dr. dre is an idiot) – b o y m o o n

カリフォルニアの非営利ラジオ局KDVS Recordingsを母体に2011年に設立されたインターネットアートポッセ兼テープレーベル〈Brad Grammar〉のメンバーであるsriことArjun Ram SrivatsaとG.S. Sultan(Gorgeous Suntan)ことRoy Wernerによる音楽ユニット。
2012年・2013年に自身の運営するレーベルからアルバムをリリース後作品の発表がなかったのですが、今作のためにユーモア満載の未発表曲をご提供いただきました。

3. sink – H. TAKAHASHI

2015年から海外のカセットレーベルを中心に、美しい音の連なりで様々な感情を揺さぶる素晴らしいアンビエント作品を発表する日本人作曲家。やけのはら率いるアンビエントユニットUNKNOWN MEの一員。作曲家としてだけでなく最小限の機能のみを採用した無機質な建築作品のデザインする建築家としても活動していて、自身でデザインした自分の部屋が海外のデザインメディアdesignboomに掲載されるなど多方面で注目されています。現在は自身でデザインしたマイホームの建築を計画中だそうです。

4. yma0203 – yma

自身の声をベースに構成された生々しく奇妙な美しい音楽を制作する女性音楽家。どういう経緯で発見したか覚えてないんですが、数か月前にサウンドクラウドで彼女のアカウントを見つけたときはまだフォロワー10人くらいだった気がします。数曲提供していただいた楽曲がどれも素晴らしくて、今後彼女のソロアルバムをリリース予定です!

https://soundcloud.com/amy-yma-328257840

5. 2500 Spite House – Sean Seaton

アメリカ・ボルチモアの音楽家。今年〈DEEPWHITESOUND〉からリリースされたアルバムがすごくよくて声をかけました。おそらくDuncan Mooreが運営する本気なのか悪ふざけなのかすらよくわからない自由で刺激的なさまざまな表現を出版するARs周辺のアーティスト。適当にパソコン触ってるだけの全然ライブ感がないライブ映像SEAN SEATON @ The Crown 04.08.2016がかっこいい。

6. Field Scan – Matthew P. Hopkins

独創的で自由なミュージックコンクレート・即興エレクトロニクス・テクノなどのサウンド作品、絵画・ドローイング、造形、映像作品など過去10年間様々な形式で作品を発表し続けているオーストラリアの芸術家。収録曲は結構ダークな雰囲気なんですが、過去にはBELLY SPEAKER (excerpt)のような映像作品も発表されていて、めっちゃよくないですか笑。こういう作品も作る方の曲だっておもうと、より面白く聞こえてくると思います。

7. nakahechi – standard grey

奈良在住のカナダ人アーティスト兼美術評論家兼英会話教室の先生。彼のように日本で英語を教えて生計を立てながら自分の好きな創作を行う外国人ってたくさんいると思うし、こういう方たちと趣味を共有しながらたのしく英語を学べたら最高だなって思うので、定期的に英会話教室みたいなイベントを企画したいななんてことを計画中です。

https://soundcloud.com/christopherolson

8. minuet du – G.S. Sultan

Brad Grammarの一員で2曲目のb o y m o o nのメンバーでもあるRoy Wernerによる音楽プロジェクト。近年は〈Orange Milk Records〉、〈Umor Rex〉、〈NADA〉といったインターネットで注目されている音楽レーベルから作品を発表していて、今月には〈Phinery〉から初のLPをリリースとのこと。来年には日本ツアーを計画中だそうで、どうにか実現させたい!

9. 009 – xPhone tweeted hatena

YouTubeで発見したxPhone tweeted hatena – 005に感動して調べてみたらtoiret statusとしても知られるビートメーカーIsamu Yorichikaのプロジェクトでびっくり。現実の映像と環境音にデジタル音を融合したリアルとオンラインが絶妙に合わさる仮想空間的サウンド作品をYouTubeとインスタグラムを中心に発表しています。

https://www.instagram.com/x_t_h/

10. rib teacher – /f

正体不明の謎すぎる音楽レーベルPsalmus Diuersaeの中心人物?Perry Trollope (aka, Susan Balmar, Warm Thighs)による音楽プロジェクト。YouTubeで見つけたStuffed Pianoがすごくて、本人にこれはあなたですか?って聞いてみたらこういう雰囲気の大作を提供いただけました。ちなみに収録曲は、ぬいぐるみじゃなくて金属ボウルとピアノを使った演奏とのこと。

11. 0704 – network glass

既存の音楽を分解し大胆に無音を挟んで得体のしれない新しい音楽を制作するdie Reiheが運営する〈Bánh Mì Verlag〉から2014年にリリースされたカセット作以降気になっていたアメリカ・ボルチモアの実験音楽家。微生物がうごめいているかのような電子ノイズ、展開の読めない奇妙な構成、少ない音数だけど全然あきない不思議な音楽です。

12. Untitled track – Eric Frye

ミニマムな電子音をユニークに構成した独創的な音楽を制作するミネアポリスのアーテイスト。新旧問わず刺激的な実験音楽を紹介するラジオ番組Splice-Free Radioや、アーティストや思想家の音と文章による作品を発表するデジタル伝送空間Ptyxを設立するなど自身の作品以外にもさまざまな素晴らしい表現を紹介する姿勢も興味深い。収録曲は近々〈Sympathy Limited〉からリリースされる最新作に収録予定の楽曲です。

13. Cam Ranh – Christian Mirande

No IntentionことAllen Mozekが運営する独創的すぎる実験音楽レーベルVitrineから今年リリースされた生活音とデジタル・電子音が不思議に調和するThracian Summerが素晴らしかったアメリカ・ペンシルベニアの音楽家。雑音のような物音のような、普通に生活していて聞き覚えのあるような音がなぜか魅力的に聞こえる不思議な音楽作品を制作しています。最近同じくペンシルベニアを拠点に活動するSlow Tongued BeautyことRyan Scott Kerrと新たに〈Benthic Trawl〉という音楽レーベルを開始したそうです。

14. seaclet track – no artists

近くの銀行のATMの操作音が異様に大きくて妙な違和感を覚えていたので一般的な給料日の某月25日に録音した音源です。ありがとうございました。

URL : http://vg.pe.hu/02.html
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Very Gois #02 – ナ イ ス シ ョ ッ プ ス ー
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Very Gois #02 Track List 1. Live Set Preview – XYZ 2. floss (dr. dre is an idiot) – b o y m o o n 3. sink – H TAKAHASHI 4. yma0203 – yma 5. 2500 Spite House – Sean Seaton

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