水野勝仁 連載第4回 モノとディスプレイとの重なり

エキソニモの《Body Paint - 46inch/Male/White》《Heavy Body Paint》
モノと光とが融け合う魔術的平面

Masanori Mizuno /
Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title Image: Akihiko Taniguchi

前回のHouxo Queの《16,777,216 view》 シリーズとEvan Rothの《Dances For Mobile Phones》シリーズに対する考察で、光とモノとデータとの重なりを一度バラバラに解体して、再度、それらが一塊で展開していくような平面をつくりだす。ディスプレイの構成要素を分解し、再度まとめることで、光、モノ、データの重なりにズレが生じて、そこにこれまで意識しなかったような平面が生まれると書いた。そして、このあらたな平面が認識のバグを発生させるとした。

今回は、エキソニモの《Body Paint – 46inch/Male/White》と《Heavy Body Paint》への考察から、認識のバグが起こる平面の形成プロセスを明らかにしていく。ディスプレイは光の明滅を原型的性質とする平面であったけれど、エキソニモの作品は、ディスプレイが放つ光とモノとの関係を一変させて、見る者に強い錯覚=認識のバグを否応無しに発生させる。それゆえに、《Body Paint – 46inch/Male/White》と《Heavy Body Paint》を分析していくと、「モノに擬態する光」という認識のバグを発動させる条件を見出すことになる。ディスプレイは「モノに擬態する光」を伴い、モノとの重なり方を更新して、あらたな状態に変わりつつある。

《Body Paint》が示す錯覚

NTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で開催されている「オープン・スペース2016 メディア・コンシャス」展に、エキソニモの《Body Paint – 46inch/Male/White》と《Heavy Body Paint》という同じ手法で制作された2つの作品が展示されている。まずは、《Body Paint – 46inch/Male/White》を考察していきたい。

《Body Paint – 46inch/Male/White》はタイトルが示すように46インチのディスプレイに男のヒトの上半身が映しだされている。しかし、ディスプレイに映し出されるヒトは全身を白色で塗られ、ディスプレイもヒトが表示される領域以外はフレームも含めすべて白で塗られている。このことが《Body Paint – 46inch/Male/White》(以下、《Body Paint》)に、ヒトが実際にそこに存在するかのような特異な質感を与えている。エキソニモは《Body Paint》について次のように書いている。

全身を単色でペイントした人物の映像がLCDディスプレイに映され、その人物以外の部分が同色で直接ディスプレイにペイントされている。映像内の人物と背景にあたる部分が同色にペイントされていることで、見る側の視覚に混乱が起き、絵画とも映像とも判別できない感覚 ― そこに実際の人物が存在するかのような錯覚すら ― を引き起こし、身体とデバイスの境界の不確かさに感覚が揺さぶられる。1

ヒトとディスプレイに同色のペイントを施すことで「実際の人物が存在するかのような錯覚」が生まれる。その錯覚は、普段は画像の支持体であるディスプレイを「キャンバス」のような絵具の支持体として見なして、絵具を塗るという通常は行わない行為をすることからつくられる「認識のバグ」と言えるだろう。ディスプレイにペイントするという行為は、前回取り上げたHouxo Queの《16,777,216view》シリーズと同じである。そして、《16,777,216view》シリーズの考察を通じて、ディスプレイが放つ光と絵具というモノとの組み合わせが「未だ名づけ得ない平面」をつくることを示した。では、エキソニモとQueの作品は同じようなバグを引き起こすのだろうか。Queはインタビューで「同年代に、他にもディスプレイに描いた作家はいましたか?」という問いに、梅沢和木とKen Okiishiを挙げている2。しかし、QueはのちにTwitterで「エキソニモ」も挙げるべきであったとツイートしている3。ここで興味深いのは、このツイートを受けて、エキソニモの千房けん輔が「ウチはディスプレイにペイントしているわけではなくて、Body Paintをしたらディスプレイまで塗らざるをえなくなっただけで、たぶんみんなとは別のベクトルです」4とツイートしたことである。「別のベクトル」という千房の言葉から、エキソニモは《Body Paint》シリーズとQueの《16,777,216view》シリーズとでは異なる認識のバグが生じると考えられる。

MG_0384

Photo: KIOKU Keizo 撮影:木奥恵三 Photo courtesy: NTT InterCommunication Center [ICC] 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

Body-Paint

では、《Body Paint》シリーズと《16,777,216view》シリーズは、ともにディスプレイに絵具をペイントしておきながら、何が異なるのだろうか。ひとつはディスプレイの存在感であろう。Queは「現実とディスプレイに同等のリアリティーがあるという状態」で、ディスプレイと自分の能力であるペインティングを結びつけようとする5。Queにとってディスプレイへのペイントは「画面を切り替えればディスプレイに映し出されるものが変化するという揺らぎの強さを前にしたときに、ペインティングの価値を再考」するために必要な行為であった6。その結果、ディスプレイが表示可能な16,777,216色を60fpsで表示させて、光を放つ装置としての「ディスプレイ」という存在が最も顕わになった状態で、ペイントという行為がなされる。その結果、モノとディスプレイの光とのあいだに仮想的な平面がバグとして生じる。

対して、エキソニモは、表示されているモチーフを除いてフレームも含めて、ディスプレイを塗り潰してしまう。それは、Queとは対照的で、ディスプレイの存在を消去しようとするような行為である。千房が書くように、《Body Paint》は「ディスプレイ」にペイントしているわけではないのであろう。スマートホンを持ち歩くようになり、インターネットの常時接続するようになったヒトの「身体」を考えてみると、スマートホンへのプッシュ通知が身体を震わせるように、デバイスが身体の一部となっていると言える状況が生まれてきている。そう考えると、情報が提示され、データのやり取りが行われるディスプレイもまた「身体」の一部となる。そのような状況で「Body Paint」を行うとすると、ヒトの身体だけではなく、ディスプレイも「身体」としてペイントされなければならない。ヒトの身体とディスプレイとが地続きになった状態をつくりだすために、エキソニモは「身体」と「ディスプレイ」をともに「Body」としてペイントしている。ヒトとディスプレイは同一色でペイントされ、強制的に同一条件に置かれることで、見る者の認識をハックし、バグを引き起こしている。ディスプレイに映るヒトは描かれた肖像画のような印象を見る者に与えるけれど、実際は映像である。なおかつ、映像とペイントされたディスプレイとの組み合わせによって、ディスプレイの光で描かれるヒトは、そこに実際にいるかのような存在感を示すのである。

肖像画や人形がモノでありながら生きているような感覚を見る者に与えるように、ヒトの似姿を象ったものには不思議な力がある。《Body Paint》もまたヒトというかたちが見る者に錯覚を引き起こしているのであって、ディスプレイにペイントすることはあまり重要ではないと考えることもできるかもしれない。しかし、ヒトという形から錯覚が引き起こされているのであれば、《Body Paint》はリアリスティックにヒトを表現した絵画や彫刻と変わりがなくなってしまう。重要なのは、《Body Paint》を見て、驚く人の多くがそれを肖像画だと思い込んでいた点にある。《Body Paint》はディスプレイといういつでも表示を切り替えられる平面に映されたヒトを、描かれた肖像画だと見る者に認識させてしまう。動かないはずの絵画が、突如、動くからこそ、作品を見る者の多くが驚くのである。では、なぜ、ディスプレイに映る映像を、ヒトをリアルに表現した絵画や彫刻だと思い込んでしまうのだろうか。ここにこそ、ヒトを描いた《Body Paint》だけではなく、絵具のビンを描いた《Heavy Body Paint》で使われたモチーフとディスプレイとを同色で塗るという「Body Paint」という手法が示す認識のバグの秘密がある。

MG_0376

Photo: KIOKU Keizo 撮影:木奥恵三 Photo courtesy: NTT InterCommunication Center [ICC] 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

《Heavy Body Paint》が示す再帰構造と色の問題

ディスプレイでヒトが表示されている《Body Paint》には「そこにいないはずのものがいる」という奇妙な生々しさを含んだホラー的な怖さがある。だからこそ、《Body Paint》はディスプレイに等身大のヒトを映し出すことで、見る者の認識を効果的に揺さぶる作品になっている。しかし、ヒトがモチーフとなっているがゆえに、ディスプレイにペイントするという行為によって引き起こされる認識のバグの原因を見えにくくしている。対して、《Heavy Body Paint》はディスプレイにペイントするという行為を前面に押し出した作品といえる。そのため、《Heavy Body Paint》を分析することで、ディスプレイが引き起こす認識のバグの要因を突き止められると考えられる。

《Heavy Body Paint》では「Heavy Body」という文字がプリントされたラベルが貼られた絵具のビンがディスプレイに映しだされている。ビンの色は黄色、白、青と3色あり、《Body Paint》と同様にそれぞれの色でビンが映しだされる場所を除いたディスプレイ全体が塗られている。 ヒトをモチーフにした《Body Paint》に対して、絵具のビンが表示された《Heavy Body Paint》には怖さはなく、どこかコミカルな要素がある。それは「Heavy Body」と名付けられながらも、そこに表示されているのがヒトではなくビンであるというダジャレ的な要素もあるかもしれない。あるいは、動くはずのないビンが動いていることに由来するかもしれない。しかも、そのビンは「重い身体」というラベルが貼られているにもかかわらず、小刻みに軽快に揺れていたりもする。

当たり前だが、ヒトと異なりモノはそれ自体が動くことはない。けれど、《Heavy Body Paint》で表示されているビンは動いているように見える。《Heavy Body Paint》が展示されている「オープン・スペース2016 メディア・コンシャス」展の作品説明には、次のように書かれている。

《Heavy Body Paint》(2016)では、絵具のボトルが、[《Body Paint》と]同様のやり方で提示されています。それは、先の作品と同様に、認識のゆらぎをもたらしますが、そこには人物は映っていません。しかし、手持ちカメラで撮影された、手ぶれを伴う映像によって、そこに撮影者という人間の存在を感じさせるとともに、「見ている」ということを考えさせます。7

作品説明にあるように「撮影者」というディスプレイのフレームの外にいるヒトの存在が、ビンに動きを与えていることは確かであろう。しかし、ビンが小刻みに動いていることを、撮影者という存在に帰してしまっていいのであろうか。2009年からエキソニモは連作「ゴットは、存在する。」を制作している。このシリーズは「標準的なインターフェイスやデバイス、インターネットの中に潜む神秘性をあぶり出すことをテーマにした」ものである8。連作のひとつ《祈》は、通常はヒトがひとつのマウスで操作するカーソルを、ふたつのマウスの重ね合わせで動かした作品である。《祈》が端的に示すように「ゴットは、存在する。」では、インターフェイスからヒトが排除されて、モノがコンピュータを「操作」している。「ゴットは、存在する。」の延長に《Heavy Body Paint》があるとすると、この作品もまた《祈》のようにヒトとモノとのあいだに大したちがいがないことを示していると考えられる。だとすると、ビンの動きは撮影者の手ぶれに帰するものではなくなり、ヒトという存在を消去して、モノ自体に起こるひとつの現象として見る必要がでてくる。

《祈》では動作の主体だと考えられるヒトを消去して、モノの組み合わせが情報を生み出し、それがディスプレイ上のカーソルを動かした。《Heavy Body Paint》のモチーフであるビンは単体で動くことはないし、どう組み合わせたところで、コンピュータの何かを動かすわけではない。しかし、ヒトによって撮影され、ディスプレイに映され、「Body Paint」を施された絵具のビンは、自律的に動いているような感じを見る者に与える。それは、ディスプレイを塗り潰すという手法によって、ビンに動きを与えている手ぶれを引き起こしている撮影者の存在感が消去されるからである。《Heavy Body Paint》でも《Body Paint》と同様に「撮影者」というヒトがディスプレイとともに塗り潰される。「撮影者」というヒトの存在をペイントによって消去することで、ビンはヒトの生命を譲り受けたかのように、勝手に揺れ動く。

絵具のビンが動きはしないことは、誰もが知っている。しかし、ディスプレイにペイントされた《Heavy Body Paint》が示すビンは、それ自体が動いているような感じを見る者に与える。それは錯覚でしかない。けれど、「ゴットは、存在する。」からのエキソニモの作品の流れを考えると、《Heavy Body Paint》にはアニミズム的感性が現れているといえる。 《Body Paint》が「身体とデバイスの境界の不確かさ」をヒトの側から示した作品だとすると、《Heavy Body Paint》はディスプレイのフレームの外に位置するヒトの存在を塗り潰してしまうことで、あたかも生命が宿っているかのような存在としてビンを見せ、モノの側からヒトとモノとの境界の不確かさを示した作品だと考えることができるだろう。

しかし、《Heavy Body Paint》にアニミズム的感性を見出すのであれば、ディスプレイに表示されるモチーフはモノであればなんでもいいのではないだろうか。いや、《Heavy Body Paint》のモチーフは、そこに描かれている絵具のビンでなければならない。なぜなら、「Heavy Body」と記された絵具のビンをモチーフとすることで、作品に再帰構造が与えられるからである。「Heavy Body」という文字は《Body Paint》からの作品の継続性を示しながら、ビンに記されたものと同じ文言がタイトルにも使われたり、映像で示されるビンのなかの絵具でディスプレイがペイントされたりという再帰構造が絵具のビンを起点として生じてくる。それゆえに、《Heavy Body Paint》のビンは《Body Paint》のヒトのように「Body Paint」される必要がないどころか、「Body Paint」してはいけないのである。けれど、ビンはところどころペイントされている。それは意図的なペイントではないかもしれないが、ビンには絵具が付いている。そして、このビンについた映像の絵具とディスプレイにペイントされた絵具とが、ときに同一の平面に存在するかのような感覚を引き起こす。そのとき、映像の絵具とモノの絵具が同一のものとして認識される。この認識はディスプレイにペイントされた絵具が、映像で示されているビンのなかの絵具であったということを、見る者が意識することから生じると考えられる。つまり、「Heavy Body」と記された絵具のビンをモチーフとすることで、絵具を巡る再帰構造が作品に導入され、映像で示されるビンやそこに付着する絵具が、ディスプレイに塗られた絵具と同じようなモノとして感じられるのである。

そして、《Heavy Body Paint》の再帰構造においては、《Body Paint》のときには単にヒトとディスプレイとを同一条件にする役割を担うとされていた「色」が大きな意味をもつことになってくる。なぜなら、ディスプレイが放つRGBの三原色がつくる光の色とモノに由来する色とが全く異なる色のあり方になっているからである。《Heavy Body Paint》はRGBとCMYKを同一平面で扱おうとしている。メディアアーティストの藤幡正樹はコンピュータによる色の操作の可能性をまとめた『カラー・アズ・コンセプト』のなかで、コンピュータによる色の価値観の変化を次のように書く。

コンピューターが扱う光の3原色によって、色彩の価値観が解放されたといってもいいでしょう。どの色もその物質性から自由になって、高いから使われないとか、安いからなおざりに扱われるということがなくなりました。ところが、この光の3原色は、従来から私たちが扱ってきた絵具の3原色とは、極端に異なった振る舞いをします。光の3原色のルールでは、赤色と緑色が混ざり合うと黄色ができるのですが、これは特に昔から色彩について慣れ親しんでいる人にとっては、ほとんど理解ができない世界です。さらに、実際には「色を混ぜる」ということが、コンピューターの上ではありえません。残念ですが、絵具同士がとろとろ次第に混ざっていく「あの感覚」が、コンピューターの上にはないのです。ここに大きな意識上のギャップがあります。絵具からコンピューターへ至る変化、物質から概念への移行によるギャップなのです。9 

エキソニモの《Heavy Body Paint》は同一の絵具の一部が映像に映り、一部がディスプレイに塗られている。これは絵具の一部が光で示され、一部がモノであることを意味する。光の色は物質の色のように混ざることはないと藤幡が指摘するのと同じように、通常、光の色はモノの色とも混ざることはない。なぜなら、このふたつの色のあいだには概念と物質という超えがたいギャップが存在しているからである。しかし、《Heavy Body Paint》においては一瞬、光の色とモノの色とが交じり合い、同一のものだと感じられる。それはモノの色と光の色とのあいだにあるギャップが、一瞬、埋まってしまった結果として起こるものだと考えられる。《Heavy Body Paint》が示す再帰構造において、ディスプレイが示す物質から概念へ移行した色が、再び、物資へと強制的に移行させられるような事象が起こり、それに伴い、光の色とモノの色とのギャップが埋められる。絵具のビンをモチーフにした《Heavy Body Paint》は、「Heavy Body」と記されたビンを起点に絵具を巡る再帰構造を作品に取り入れ、モノから解放された概念化した色=光を、再び、モノに具現化する流れを明示するのである。

ヒトの身体の延長としてディスプレイを塗ることから始まったエキソニモの「Body Paint」は、《Heavy Body Paint》が示すように、色を巡る再帰構造をディスプレイに持ち込むことで、モチーフと同一色でモチーフの表示部分以外のディスプレイを塗り潰す手法となりヒト以外のモノへも適用可能となった。それはヒトとデバイスの境界だけでなく、デバイス同士、モノ同士の境界も曖昧になってきていることを示しているのかもしれない。モチーフがヒトであろうと、ビンであろうと「Body Paint」は、映像で示されるモチーフと塗りつぶされたディスプレイのあいだで、光の色とモノの色とが混ざり合う事象を発生させる。そして、見る者に「実際のモノが存在するかのような錯覚」=認識のバグを引き起こすと考えられる。

モノに擬態する光

エキソニモの《Body Paint》と《Heavy Body Paint》を見たときには、 前回考察した Houxo Que や Evan Roth の作品とは異なり、ガラスが全く意識されない。ガラスが意識されないのはもとより、ディスプレイそのものがその存在をひっそりと隠している。ディスプレイが消失しているといったほうがいいのかもしれない。ある程度遠くからみると、ヒトや絵具のビンというモチーフが中心に描かれている「絵画」のように見える。しかし、近づいて、作品を見ると「絵画」のように見えたものの支持体がディスプレイであるということがわかる。ディスプレイがヒトや絵具のビンの像を形成する光を放ち、そのガラス面とフレームにまで絵具が塗られている。絵具というモノがひとつ平面をつくり、ペイントされていない領域からは光が放たれている。

《Body Paint》と《Heavy Body Paint》では、ピクセルの支持体として機能しているディスプレイそのものが絵具の支持体となっている。ディスプレイはピクセルの支持体として存在しているが、そのことは普段ほとんど意識されない。ディスプレイは画像の表示面をもち、それを保護するためのガラスの平面をもっている。そして、ガラスの平面は樹脂製のフレームで囲まれている。フレームがガラスの平面に保護された画像表示面である光る平面を他の空間から明確に区切る。このフレームがヒトの注意を光る画像のみに集中させて、ディスプレイというモノの存在を消失させる。しかし、エキソニモはディスプレイのフレームを含めてペイントしてしまい、モノとしてのディスプレイと画像の表示面としてのディスプレイの区分けを曖昧にする。エキソニモの作品においては、通常はガラスを透過して見る者に放射される光はヒトとビンの輪郭に沿って塗られた絵具で遮断されるため、光はヒトと絵具のビンだけを表す。

光とモノとがヒトやビンのシルエットに沿って確固とした境界をつくると同時に、常に揺れ動いているヒトとビンとがこの境界を曖昧にする。この明確であると同時に曖昧な境界は、光とモノとのちがいを強調するのではなく、逆に、そのちがいを曖昧にして、ディスプレイの光をディスプレイに塗られた絵具と同一平面に押し出す。そして、光と絵具とが交じり合いながらひとつの平面をつくり、ディスプレイのガラスを消失させる。それゆえに、そこに「絵画」のような存在が現れる。それはヒトとビンを構成する光とその周囲の絵具というモノとが融け合おうとしているからである。ヒトとビンというモチーフは明確に示されるが、それらを構成する光と周囲の絵具というマテリアルのレベルが互いに融け出して、ひとつの平面をつくりだす。

光と絵具とが形成するひとつの平面において、光は絵具のようになって、「光でもあり絵具でもある」というキメラ的状態になっているように見える。しかし、実際には光が絵具になることはない。あくまでも、光と絵具というモノが混ざったように見えるだけである。では、なぜ混ざるはずがない光とモノとが混ざるのか。それは、光と絵具とが形成する平面において、光が絵具というモノに擬態するからである。「擬態」というと単に別のモノの様子に似せるカモフラージュの意味を思い浮かべるかもしれない。しかし、フランスの哲学者、ロジェ・カイヨワは「擬態」を「魔術使いが自分で自分に罠をかけるという、至上の形態のまじない」として定義する10。なぜなら、カイヨワは、昆虫の擬態が敵から身を隠すためのカモフラージュではなく、最終的な目的が「周囲の環境への同化」であるために、擬態が昆虫の形態を決定していたと考えているからである11。《Body Paint》と《Heavy Body Paint》のディスプレイ上で起こっている光の擬態は、単にモノを真似ているのではなく、カイヨワが指摘するように、光が周囲のモノである絵具と同化して、その形態を変えていると考えられる。擬態は形態変化というひとつの魔術であり、エキソニモは「Body Paint」という手法で、光をモノへと擬態させる。

ここでもうひとつ「擬態」について引用したい。美術批評家のロザリンド・クラウスはカイヨワの擬態論を受けて、次のように記している。

動物のカムフラージュは動物の生命を救いはしない、とカイヨワはいう。カムフラージュは視覚領域の出来事だが、動物の捕獲は臭いを媒介として行われるからだ。擬態は適応行動ではない。そうではなく、それは「空間」の呼びかけに対する特異に心理的な応答なのだ。内側と外側の境界、即ち、図と地の境界の維持の失敗なのだ。それは、自己の全体の輪郭を、自己保持をゆるめることであり、ドゥニ・オリエのいうように「主観性の縮小」の一例だ。自身の環境に乗り移られるように、身体は崩壊し、溶解し、周囲の空間の写しを作り出す。写しを作り出すのはまさにこの乗り移りなのであり、それは実際、図を消すことなのである。地の上の地。12

クラウスの擬態論における図と地の話から、もう一度、エキソニモの《Body Paint》と《Heavy Body Paint》とを見ていきたい。ディスプレイのガラスに塗られた絵具によって、このふたつの作品のディスプレイは「光の明滅」という原型的性質を一度剥ぎ取られる。その結果、作品は「絵画」のようにみえる。それはいわば「図」を構成する光が崩壊し、ディスプレイのガラス面を絵具で塗りつぶした「地」に溶解して、周囲に平面に同化してしまったことを意味する。光が示すヒトやビンという図は輪郭を絵具という地に取り囲まれることで、その境界を明確にするのではなく、「図と地の境界の維持」に失敗する。なぜなら、常に揺れ動く映像の光が、絵具がつくる平面との境界にゆらぎをもたらしているからである。そして、映像という図から発する光は輪郭を取り囲む絵具という地に擬態し、絵具とモノに擬態した光とが「地の上の地」を形成する。ここでの「図」と「地」とは、ディスプレイの光が描くヒトやビンのモチーフとその周囲の絵具で塗りつぶされた平面のことではなく、モチーフを描く「光」と平面を塗り潰す絵具という「モノ」というマテリアルレベルのことを言っている。光がモノへと形態変化を遂げるような魔術的な平面がマテリアルレベルでつくられている。

しかし同時に、光は光としてヒトとビンを示し続け、モノと光とが交じり合った平面から浮き出てくる像を形づくる。この時の光は単なる光ではなく、一度、モノに擬態した光として、ヒトとビンの像を形成する。それゆえに、その像は映像の光でありながらも、あたかもヒトやビン自体がそこに存在するかのように見えるのである。 《Body Paint》と《Heavy Body Paint》では、ヒトやビンが際立ってみえることが重要なのではない。一度は周囲の絵具に擬態して「地の上の地」を形成した光が、モノに擬態した状態で再度、光とモノとが混合したあらたな平面の上に図を描くことが重要なのである。クラウスの擬態論はアンフォルメルを目指し、明確なかたち、区分をなくしていくことを意図していたけれど、エキソニモの「Body Paint」がつくりだす光の擬態はマテリアルの境界を崩し、魔術的平面をつくるけれど、その上に描かれる図は保たれるのである。

エキソニモは、これまで引き剥がすことも付け足すこともできないとされたディスプレイの光の平面に絵具をペイントすることで、モノとモノに擬態した光とが交じり合った「地の上の地」をつくる。一見すると、エキソニモの作品は「図=光=モチーフ」と「地=モノ=絵具」の対比によって、光をモノのように見せているように見える。しかし、それはモチーフのレベルではなく、マテリアルレベルで光とモノとを重ね合わせているのである。エキソニモが 《Body Paint》と《Heavy Body Paint》で用いた「Body Paint」という手法がディスプレイにあらたに実装したのは、モノとモノに擬態した光とが重なり合い、キメラ的なマテリアルとなって混じり合った平面自体なのである。このあらたな平面ではモノに擬態したあらたなマテリアルである光が、これまでの絵画やディスプレイに映る映像における図のように機能している。だから、「Body Paint」を見る者は、これまでのディスプレイ体験から得た感覚とあらたな魔術的な平面が引き起こす感覚を同時に感じることになる。そして、あらたな感覚を受け容れるために、従来の感覚とのすり合わせが行われる。その結果、「実際のヒトやモノが存在するかのような錯覚」をつくりだしてしまう。しかし、そこにあるのはモノではなく、ディスプレイでこれまで試されたことがなかった光とモノとの重ね合わせであり、その結果生じた、光がモノに擬態し、光とモノとが互いが融け合った魔術的マテリアルが展開する平面なのである。

ディスプレイの魔術的状態と認識のバグ

ディスプレイは光の明滅を原型的性質とする平面であった。けれど、エキソニモがディスプレイにペイントしたように、ディスプレイを光とモノとが融合可能な支持体にしてしまうことで、そこに光がモノに擬態する平面が生まれる。それは、光がモノに擬態して、モノと交じり合って形成された「地の上の地」である。そして、「地の上の地」はさらに融合して光とモノとが融合していく魔術的なマテリアルを展開する平面となる。そして、その平面に描かれた「図」が、ヒトの注意を引き込んで認識のバグを引き起こし、光とモノとを同一の存在として認識させる。つまり、ディスプレイが引き起こす認識のバグとは、光とモノという異なる形態が融け合う平面という条件のもとで、ヒトの認識が否応なしに光とモノとを同一視してしまうことなのである。しかし、実際にはそれはバグではない。なぜなら、ディスプレイでは光とモノとが融け合う魔術的な状態が徐々につくられてきているからである。ディスプレイで起こりつつある魔術的な状態への遷移を「認識のバグ」というのは、モノに擬態する光などディスプレイが示すあらたな状態が、これまでのディスプレイ体験と著しくズレているからなのである。

しかし、光という融通無碍な存在は、モノにだけ擬態するわけではないだろう。光はデータにも擬態して、「地の上の地」をつくりだし、それらが融合したあらたな魔術的な平面をディスプレイにつくり、そこにあらたな図を描いていると考えられる。次回は、光とモノとが融け合った平面だけではなく、光とデータとの融け合った平面の形成の可能性を探るために、ディスプレイの「薄い板」という型状自体を作品に意識的に取り入れた谷口暁彦の連作「思い過ごすものたち」や「滲み出る板」を考察し、記述していきたい。

参考文献・URL
1. エキソニモ、Body Paint (series)、http://exonemo.com/works/bodypaint/?ja (2016.7.25 アクセス)
2. Featured Interviews_Houxo Que」、“QUOTATION” Worldwide Creative Journal no.22、2015年、p.116
3. Houxo Que(@ QueHouxo)のツイート、 https://twitter.com/QueHouxo/status/670218641321758720(2016.7.25 アクセス)
4. エキソニモ・千房けん輔(@1000b)のツイート、https://twitter.com/1000b/status/670431002838368256(2016.7.25 アクセス)
5. 谷口暁彦×Houxo Que「ディスプレイの内/外は接続可能か?」、美術手帖 2015年6月号、美術出版社、p.86
6. 同上書、p.83
7. NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」展、《Body Paint – 46inch/Male/White》及び《Heavy Body Paint》の作品解説、http://www.ntticc.or.jp/ja/archive/works/heavy-body-paint/(2016.7.25 アクセス)
8. エキソニモ、「ゴットは、存在する。」 (series)、http://exonemo.com/works/spiritualcomputing/?ja (2016.7.25 アクセス)
9. 藤幡正樹『カラー・アズ・コンセプト デジタル時代の色彩論』、美術出版社, 1977、p.7
10. ロジェ・カイヨワ『神話と人間』、久米博訳、 せりか書房、1975、p.113
11. 同上書、pp.113-114
12. ロザリンド・クラウス「視覚的無意識」小俣出美・鈴木真理子・田崎英明訳、『モダニズムのハード・コア―現代美術批評の地平』kindle版、太田出版、2015、Location 4948

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

MukqsとDJWWWWによるスプリットがテープにて8月1日にリリース。二つの才能が生み出した共鳴と衝突。

MASSAGE /

Mukqsはシカゴを拠点としたGood Willsmithのメンバーであり、〈Hausu Mountain〉の運営も行うMax Allisonによる名義。Good Willsmithは高評価だったアルバム「Things Our Bodies Used To Have」を出したばかりで、日本勢との絡みで言えば、AllisonがConstellation Botsuの「Miracle Hentai」の「土下座強制機」という曲に参加していたのも記憶に新しいです。

そしてBサイドを担うのが、最近新しい音楽ブログSim magazineを立ち上げたばかりのDJWWWWことKenji Yamamoto。

A面は、ここちよいサンプルのメロディが次第に崩壊していき、切り刻まれ、抽象的な構成へとグラデーションをえがきます。曇りガラスから世界を覗いているような独特の質感をもち、粒子が乱反射しているような音の輪郭が曖昧なコラージュサウンドですが、重さはなく、どこか懐かしささえ感じる、ファンタスティックで色彩豊かな世界が表現されています。

粒子感がカオティックな印象のA面に対し、DJWWWWが担当するBサイドは束の間の晴れ間が訪れたようなクリアな世界に入っていきます。ボーカルサンプルが絡む反復ビートから、複雑なコラージュ的な作品まで、アブストラクトだけど常にポップ。

まさに二人の世界観が共鳴しあい、あるいは個性が衝突しあって浮かび上がったあたらしい世界。怪作といってよいのではないでしょうか。
レーベル〈Phinery〉より8月1日にリリース予定。

thumpのサイトで視聴が可能です。
https://thump.vice.com/en_us/track/muqks-djwwww-split-tape-phinery-stream-listen?utm_source=thumptwitterus

muqks-djwwww-split-tape-phinery-body-image-1469560319

奇才BALAM ACABの新作「&&&heartsss;;;」がname your priceにて公開。多幸感あふれる強烈に美しい作品。

MASSAGE /

TRI ANGLEレーベルオーナーでペンシルヴァニアのプロデューサーAlec Kooneのプロジェクト、BALAM ACABの新曲「&&&heartsss;;;」が本日公開になりました。一曲だけですけど。

ロマンチックなカバージャケットです。BALAM ACABの暗い恍惚感というか、洞窟の奥から聴こえてくるようなその独自の音響は息を潜めていますが、強烈な美しさはそのままに、きらびやかさが倍加され多幸感に満ちています。どちらかというと夏の終わりのような切なさを感じますね。スケール感のあるオーケストレーションに、しっとりとした女性ボーカルが響く、ポップなテイストの作品です。

Thvndermag、FELT、cloaque。コラボレーション、キューレーション、メディア的活動が混在するオンラインならではの面白い場所。

MASSAGE /

オンラインマガジンは星の数ほどありますが、今日はインターネットぽい表現を紹介している際立ったものを幾つか紹介してみたいと思います。

ひとつ目は「Thvndermag」。スペイン語なのでスペイン語圏なのでしょうか。MASSAGE 9でもインタビューさせてもらったO FLUXOがスペインではとても有名ですが、前に紹介したShallowwwもマドリッドを拠点にしていたり、スペインにはインターネットの文化がとても盛んで面白いアーティストがたくさんいるイメージがあります。このThvndermagはテイストがとてもくっきりしていて、コンピューターグラフィックとファッションのエッジな部分を取り上げている印象です。更新頻度もけっこう高い。

スクリーンショット 2016-07-22 16.42.14

ふたつ目は「FELT」。こちらは正直に言うと、ぜんぜん正体がわかりません。正式名称がTHE FELT ART COLLECTIVEなのでメディアというよりアーティストの集まりなのかもしれません。ショウをブルックリンでやってたりするので、US発信と思われます。特集のようなコーナーがあってこれまで九つのイシューが掲載されています。Kim Laughtonといったおなじみのメンツもいます。Facebookページがけっこう活動的です。

最新のフィーチャーはConor Stautzという人で、アニメをモチーフにした独特の質感の作品が気になるのですがインスタしかアカウントがなくてこちらもどんな人なのかよくわからないといったふうになっています。

http://feltzine.us/issues/9/conorstautz

スクリーンショット 2016-07-22 16.39.40

最後は、メディアじゃないんですが「cloaque」を紹介したいと思います。インターネット界隈の作家がこぞって参加。リンクを辿っていくだけで素晴らしいアーティストにたどり着けます。日本からは谷口暁彦さんも。いろんな作家の作品がTumblrサイト上に積み重なっていくというオンライン展示の一種で、かなり以前から活動しているのですが、最近Diego NavarroというアーティストのBAD DRAGONという作品がアップされていましたので加えて紹介しました。

スクリーンショット 2016-07-22 16.39.52

オンラインギャラリーのCermaもFloat Galleryと名を変えてスタートするみたいですし、コラボーレション、キュレーション、メディア的な活動がぐちゃぐちゃに混在しながらあたらしいものが生まれていくのもこの場所ならではの面白さだと思います。これからもまだ見ぬ多様な表現とたくさん出会えることを楽しみにしています。

メキシコのアーティストコレクティブ/音楽レーベル〈NAAFI〉のミックスがフリーDLで公開中。

MASSAGE /

〈NAAFI〉はメキシコのアーティストのコレクティブ/音楽レーベル。プロデューサやデザイナーなど幅広い人材を擁し、Lao、Omaar、Imaabsなどの才能を世界中に発信。そのコンセプトにRitmos Periféricos(辺境のリズム)を掲げており、その姿勢通りに、ローカルミュージックから最先端のエレクトロミュージックまでを貪欲に吸収した音楽性はとにかく多彩。才能あるメンバーたちが国境や政治、ビジネスや音楽といったさまざまな領域を柔軟に切り開くことで、世界各地で名声を獲得しつつある。

今回発表された「Pirata 3」はNAAFIファミリーのアンオフィシャルなエディットやリミックスを収録した「Pirata」シリーズの第三弾となる。

https://www.hulkshare.com/playlist/131798

過去のやつもめちゃ良い。
http://naafi.mx/pirata-2/
http://naafi.mx/pirata/

PIRATA-3-600x600
NAAFI-TRIBAL

フリーカルチャーとT.A.Zを実践する「テクニバル」。スパイラル・トライブとの歴史、そしてテクニバルJPNについて

MASSAGE /

本日公開したYAYA23のインタビューの補足として、初めての方に向けて、もうすこし詳しくテクニバルについて紐解いておきたいと思います。

インタビュー記事はこちら https://themassage.jp/yaya23/

「テクニバル」はテクノとフェスティバルを融合して造られた造語。いわゆる野外レイブのようなものです。しかしその内容はふつうのレイブとはぜんぜん違う。たとばテクニバルには、一般的にオーガナイザーと呼ばれる役割は存在していません。主催者が指定した場所、時間に、参加者たちは自前のサウンドシステムを持ち寄り、それぞれが自由に音を出したりして楽しむ。出演者としてDJをやるのも、あるいは食材を持ってきて調理して提供するのも、とにかくすべてが自由。テクニバルのキャッチコピーは、ノー・オーガナイズ、ノー・コマーシャル、ノー・マネーシステム。だから入場料も無料というわけです。

ダンスミュージックは文化として広く深く定着し、多くの人に楽しまれるものになったけれど、テクニバルはその遊びを追求した先にあるフリーカルチャーの理念を形にしたものと言ってよいでしょう。今回、YAYA23にインタビューしてくれたベルリン在住のDestr∞yについてはMASSAGE 9で詳しく書いたので重複になってしまうけれど、一箇所に定住せず、フェスティバルの会場を追いかけて旅をするトラベラーと呼ばれる人々、あるいはスクウォットをして廃ビルなどに暮しているアーティストやDJ、そういうライフスタイルに共鳴し参加する人々、そんな彼らの作り出している生活のスタイルはとにかくすごく洗練されたものに思えました。レイブのなかだけでなく、その思想は世界各地のさまざまな部分で育ち、実践されているのです。

さて、ここで少しだけテクニバルの歴史をおさらいしておきたいと思います。その由来は、イギリスのサッチャー首相の時代にまで遡らなくてはなりません。イギリスでは当時、彼女の元で富裕層が厚遇される新自由主義的な政策がとられていました。その結果、職がない人々、あるいは定職に就かず、ノマド的な生活スタイルを送る人々があらわれました。彼らの楽しみといえば、音楽に合わせてダンスすること。ダンスミュージックは、彼らの不満や不安を解消してくれる安価な楽しみでした。しかしそのシーンが大きくなりすぎたことを問題視した政府は、「クリミナル・ジャスティス・アクト」という、音楽に合わせて集団で踊ることを禁止する法律を施行してしまったのです。

当時、イギリスには中古のトラックにサウンドシステムを積み込んで、国内を放浪する集団がいました。その中のひとつが、スパイラル・トライブと呼ばれる集団です。けれども「クリミナル・ジャスティス・アクト」の影響で、国内での取り締まりが強化され、彼らはやがて国外へと追いやられてしまいます。そしてヨーロッパから北アメリカまで世界中を旅しながら、同じようなサウンドシステムのクルーを仲間にしていきました。彼らは時期を決めて、同じ場所でサウンドシステムを持ち寄ってパーティをやり始めます。それが徐々に大きくなって、現在のテクニバルの形態になっていったと言われています。

SpiralTribeTheFreeForceOfTeknoFlyer

実は、かなり前のことですが日本でテクニバルを主宰するフランス人の方にインタビューさせてもらったことがあります。彼はフランス在住時に、イギリスから渡ってきたテクニバルに出会って衝撃を受けたそうです。彼はその後日本に移住し、この地でもテクニバル・ジャパンを始めることにしたのです。そんなことがきっかけでついに日本でも、テクニバルが開催されることになりました。

そう実はまだその流れは受け継がれていて、この夏この日本のどこかで、ふたたびテクニバルが開催されます! 詳細は明かされていないので、興味がある人は下記から問い合わせてみてください。

http://freeteknojapan.blogspot.jp

さて、最後にYAYA23のインタビューでも触れられているT.A.Zというキワードについて触れて締めたいと思います。

T.A.Zという言葉はハキム・ベイという思想家が提唱したもので、Temporary Autonomous Zoneつまり一時的自律ゾーンの略称です。一時的にでも自分自身の空間を出現させ、その内部に、自由で自立した状況を作り出そうというわけです。それは、断続的にT.A.Zの空間や時間を広げていくことで、社会の不自由さそのものに対抗していこうという考え方でした。T.A.Zはテクニバルや、バーニングマンの形成に大きな影響を与えたと言われています。

パーティの楽しさとは究極的には、社会から強制されるさまざまな拘束から逃げ出すこと、そしてそのことにより、たとえ一時的にでも自由の感覚を獲得することにほかなりません。その“一時的”という部分をずっと引き伸ばし続けついにはそれを日常にしてしまうこと、なかなか簡単にできることではありませんが、それがYAYA23や、Destr∞yといったテクニバルのライフスタイルを追求するトラベラーたちの生き方、なのかもしれませんね。

動きが自由をつくり出す

Interview with YAYA23

DJ、レーベルオーガナイザーのYAYA23。旅をしながら音を追求する、
そのライフスタイルが切り開くもの。

MASSAGE /
MASSAGE / Interview: Destr∞y, Text: Yusuke Shono, Translation: chocolat

ノーオーガナイズ、ノーマネーシステム、ノーコマーシャリズムを掲げる自由参加型のレイブ、「テクニバル」。その非商業的な文化の可能性を追いかけ、ベルリンにまで移住してしまったdestr∞y。彼についての記事を書いたのは、MASSAGE 9の記事でのことだから、もう数年前のことになる。311以降の日本は随分と変わってしまって、エクストリームな遊びを追求することも今の気分ではなくなってしまった。そうこうしているうちにここの文化は、コマーシャリズムに覆われ、なんだか平板なものになってしまった気がする。

そんなふうに停滞している間にも、外の世界ではあたりまえに、毎日新しいものが生まれ、そして進化していく。そういうものに共鳴するなら、飛び込んで行って、その創造の現場の一員になってしまえばいい。守るものが多い生活をしていたらなかなか簡単なことではないけれど、そうした冒険からしか次の世界は切り開かれない。そんな世界に行きっぱなしでなかなか帰ってこないdestr∞yが、どういう人たちと、どんな生活をしているかに興味があった。

その日常については以前に触れたので、今回は彼が出会った人物に焦点を当てたいと思う。そんな彼が選んだ人物は、ベルリン近郊最大規模のサウンドシステム・コレクティブ “CYBERRISE” のオーガナイザー、YAYA23だった。これはdestr∞yがYAYA23に話を聞いたインタビューである。西ヨーロッパを旅しながらテクニバルのオーガナイズに携わり続けてきたその彼の、旅と音楽の共通点、そしてそのライフスタイルが切り開いたものとは。

※テクニバルについての解説記事はこちら

どのように音楽をプレイし始めて、どのようにサウンドシステムを始めたんですか?

90年代はじめ、スケートパンクから、ジャングルや、トリップホップ、ビッグビートなどのいろいろなサブカルチャーに興味があって、既にその頃から西ドイツのクラブでレジデントDJとして、インディーロックや、パンクのパーティなんかでプレイしていたんだ。そして初期トリップホップや、初期のジャングルと、ドラムンベースなんかも入ってき始めて、その頃やっていたレジデントパーティー “refoundation night” でエレクトリックビーツを、DJセットに入れたりしていた。その辺が自分にとって演奏者としてのエレクトリックミュージックとの最初の繋がりだったと思う。

その頃はまだCDや、ミニディスクとかで、プレイしていた。で、95年頃からレコードを買い始めて、その頃はビッグビート、トリップホップ、ドラムンベース、ジャングル、その辺の音はちょっと変わった音だった。それでブロークンビーツや、速めの音なんかをダンスフロアーでかけてたんだ。ほかでよくやってるような初期アシッドハウスとかじゃなくて、ブロークンビーツのBPM 170くらいの音とか、そういうのをかけてた。

で、その頃、既に小さなバンを持ってて、バンと共に動くっていうアイデアが好きだったんだ。どっかにバンを停めて、そのままそこで寝たりしてたんだよね。クラブの前に停めてたときとか、クラブから出て来たら、その目の前に家があるっていう。森に停めて、そこで音楽を聴いたり、すでにそういう風に生活をしていた。そして90年代後半、交換留学プログラムの奨学金が取れたので亜熱帯農業の勉強をしにイタリアのボローニャに行くことになって、ターンテーブルとレコードをバンに乗っけてイタリアへ。

音楽をプレイするっていうのは人間が持っている衝動の一つだと思う、少なくともオレの場合は衝動という形だった。なんていうか自分にとっては、音楽をプレイしたいっていう感覚は、自由への衝動のようなものだったんだ。自分は、とても強固な自由という感覚に対するフォーム、つまり精神的自由を、音楽を通じて経験しているって思っていた。

そこで、はじめてほかにも自分みたいに、音楽をバンに乗っけて旅している連中に出会ったんだ。その頃、最終的にメチャクチャデカいウェアハウスパーティにたどり着いて、他にもBPM 160〜180の音が好きで、でっかいサウンドシステムをバンに積んで旅してる連中に会ったんだ。スピーカーをトラックに積んで、旅を続けながら、そんな感じで音と付き合っていくっていう、ヤバくない?それはメチャクチャダイナミックで面白かった!

その頃は、フリーパーティで、ドラムンベースとジャングルをミックスしたりしてて、でも4/4の低いベースがブロークンビーツの下で鳴ってるやつも好きだった。それはドラムンベースと、速いステップと、グルーブのあるやつの組み合わせだったり、または4/4キックの瞑想的で反復するモノトーンベースだったり、そういう音がオレの耳に素晴らしい結果をもたらしてくれた。それで、ジャングルや、テクノをミックスし始めるんだ、速いヤツ、フリーテクノに続いていくようなやつ。フリーテクノは、テクノの4/4キックのベースライン、それにエナジェティックで、ノレるグルーブが乗っかっている音。そういうのが本当に好きになった。この辺が90年代中盤にイタリアのウェアハウス パーティでレコードでDJし始めた頃の話。瞬間と音楽を乗っけて、移動し続けて、それを旅の中で自由へと昇華していく。これはテクノムーブメントとは違うカタチだったんだ。

cyberrise+kirrewit

それで、サウンドシステムと旅をミックスし始めた頃は、どんなことを考え、どんなことをしていたの?

音楽をプレイするっていうのは人間が持っている衝動の一つだと思う、少なくともオレの場合は衝動という形だった。なんていうか自分にとっては、音楽をプレイしたいっていう感覚は、自由への衝動のようなものだったんだ。自分は、とても強固な自由という感覚に対するフォーム、つまり精神的自由を、音楽を通じて経験しているって思っていた。それは自分が直面している日々の生活や、自分が生まれたこの社会の中の境界を飛び超える何かへ駆りたたせたり、想像させてくれたりするものだと思う。だから音楽は、いつでも精神的な旅の一つのカタチだったし、自由ということ自体に対するとても強度の高い表現だと思うんだ。それは精神の乗り物とも言える。

同じ類いの自由への衝動の表現は、実際に動き続けることにも見つけることができると思う。ただ毎日、A地点から、B地点へと移動するんじゃなく、そういうものに囚われず動き続けること。それは社会から与えられたパターン、例えばフェンス付きの家だったり、Aから、Bへと、ただひたすらと走り回ることだったり、そういうことではなく。この障壁を飛び超えるために、常に枠にはハマらないで、色々な動き方で、動き続ける瞬間を続けていくこと。そうすることで自由がハッキリし始める。

いつでも、自分のハートが連れていってくれるところへと動き続ける。そういう自由への衝動。精神的自由は音楽を通して勝ち取ることが出来る。音楽を通過したリズムのある自己表現なんだよ。それに日々の物理的移動を通した自由。例えば、違う場所に行って、違う場所で寝て、自分が居たいと思うだけいてみて、自分で合わないなと感じてきたら、自分の行きたいところへとらわれずに何処へでも行くことが出来る。そういう音楽から得られる精神的自由と、物理的移動の自由の組み合わせは、古代から人間が持つ重要な衝動だと思う。実際の物理的移動が音楽を通過して、音楽と一緒に移動していく、それはどんなものにも縛られない想像力と楽しみの組み合わせだと思う。そこから創られるアウトプットは計り知れない。とても自然でユートピア的、かつ同時にとてもリアルなことだと思う。

この二つの自由へ衝動を組み合せるのは素晴らしいと思う。この地球のビートに乗って地球を周っている間に、それはオレたちを音楽にノセていく。なんていうか、音の瞬間にいる間に自然に勝ちとられる組み合わせなんだと思う。

そう、これが90年代。同じような衝動を持って、トラックで音楽と共に旅する連中に出会った。その間一度ドイツに戻って、サクッと農業工学のマスターを取って、それからは自分も基本的に路上に居続けたんだよね。CYBERRISEに関わる全ての人は、みんな道の上で出会った。で、スピーカーを作り始めたんだ。CYBERRISEサウンドシステムは、一つの場所や、一つの国から始まってるとはいうことが出来ない。全てのスタイルや、やり方、そしてその構造は、全て道の中での出会いで生まれた、そしてそこにはサウンドシステムのクルーもいたんだ。どんな時、どんな場所でも、そして特にどこかでもない。路上の動きを通過した自由の為の主張なんだ。

それで最初の数年間、オレらはイタリアのボローニャと、フィレンツェの間の標高1000mのアペニン山脈の、すごいいいロケーションにスタジオを持ってて、そこでさらにスピーカーを作って、サウンドシステムをやり始めたんだ。そのあと大きいトラックを手に入れたり、ゆっくり準備しつつ、もっとスピーカーを作っていったんだよね。そこはヨーロッパを旅している間の家兼基地というか、中間地点だった。

フリーパーティ、テクニバルから生まれて来た音楽や、そのリリースのスタイルについてどう思いますか?

そうだね、テクニバルやフリーパーティで見つけられる最も個性的な音楽のスタイル、そのスタイルをフリーテクノって呼びたいって思う。それはクラブシーンから独自に進化したアップテンポなテクノのバリエーションの一つで、旅や、道の経験の中で進化し、実際の動きを通過してきたもの。ブロークンビーツや、ジャングルと、4/4キックベースを組み合わせたもの、もっとレイヤーがあるものとも言える。4/4キックベースの単調さだけでなく、ブロークンビーツが乗っかって、常に二つ目のステップが強調されている。個人的には、フリーテクノは馬に乗ってサバンナか、ジャングルをかけているような気分にさせてくれる。とてもエナジェティックでノレるトライバルなテクノなんだ。それは、今オレらにとっては、アマゾンのインディアン達がやっていたこととして知られている、シャーマン達の儀式的なドラムの様な感覚をオレ達に思い出させてくれる。

例えば、アヤワスカの儀式に見られるような感覚なんだと思う。そして今オレ達にはBPM 180、190、200のリズミックドラム「ドゥフッ ドゥフッ ドゥフッ ドゥフッ」がある。これらの儀式に必要な精神的高揚感を作り出す反復されるドラムがあるんだ。そしてフリーテクノの速さや、そのスタイル、そしてフリーテクノで使われるサウンドには、シャーマン達の儀式みたいな感覚がたくさん残っていると思う。本当にそんなふうに思うんだよね。オレたちは、集合的催眠効果を、想像力を通過して、精神的リズム表現を通って、ダンスフロアーという人々が踊るために集まった場所で、恍惚状態で体験している。そこには確実に太古の儀式のドラムとの繋がりが、フリーテクノにはあると思う。

でも今日では、いろいろな違うスタイルもプレイされている。テクニバルで改良されたさまざまなスタイル、ブレイクビーツや、エレクトロ、ハードコア、どんなスタイルでもプレイされる。そして勿論、そのスタイルは基本的に普通のクラブシーンの流れや発展とは、つながらないことが多い。もちろんいくつかのチューンは、クラブのメインフロアーでもプレイされて来たし、それは否定出来ない。

でもプロデューサーやアーティスト、彼ら自身がライブセットを創り上げプレイしているし、その自由なバックグラウンドから音楽を作っている。彼らはいつも普通とは違う感覚の最終的リリースを持っていて、その後、その類いの自由の経験を持たない人々からリリースされる。そしてリリースは、とても多様で幅が広いし、アーティストはもっと広い視野を持っている。リリース自体からもそれを感じることが出来るし、リリースされたものからその感覚を追体験するようなことが可能だと思うんだ。そして幸運で嬉しいことに、いろんな種類があって、おもしろいものもある。自由の影響が詰め込まれた音楽が世にリリースされているんだ。

そして、メインの伝達方法はレコードだってこと。特に90年代はレコードだった。例えばSpiral Tribeは、移動型スタジオを移動型レコードプレススタジオとして使っていて、ライブセットを録音したあと、その場でレコードをプレスして、リリースするようなことをしていた。それは非常にユニークな限定のプレスで、そう簡単には手に入らない。勿論それをゲットする為にはパーティにたどり着いてないと話にならなかったし、もしそこにいなかったらほかのどこでも見つけることは出来なかった。これは言ってしまえば、インターネットが普及する前のすごくいい時代の話。

同じ類いの自由への衝動の表現は、実際に動き続けることにも見つけることができると思う。ただ毎日、A地点から、B地点へと移動するんじゃなく、そういうものに囚われず動き続けること。それは社会から与えられたパターン、例えばフェンス付きの家だったり、Aから、Bへと、ただひたすらと走り回ることだったり、そういうことではなく。

素晴らしいでしょ、わかるかな?フリーゾーン、フリーエリア、T.A.Zの中のみで見つけることが出来る、動くことで見つけることが出来る、それ以外では全く見つけることが出来ないリリースなんて、素晴らしいと思うんだよね。それはそれを見つけた人にとって、永遠に大切なものになると思う。でも残念なことに、この手のダイナミクスはインターネットや、eコマースなんかの、いつでもどこでも、どんなものにでもアクセスすることが出来るテクノロジーによって失われてきている。確かに、そのおかげで音楽を世界中の離れたところまで届けれるようになったという意味で、音楽を一歩前進させるといういい部分もある。でも一方で音楽に独占主義を持ち込んだし、インターネットを使った国際貿易の部分がもっと目立っていると思う。オレたちからしてみると、いわゆるeコマースがここ十数年で乗っ取った影響が運んできたものって好きじゃないんだよね。

でも、今日、2016年、基本的にテクニバル、フリーパーティでプレイされる音楽には、ライブセットの大きな影響がある。根強いライブセットのカルチャーがあるし、それを抜きにしても、幸運なかつ嬉しいことに、2016年もいまだにほとんどのDJは主にレコードをプレイしている。MP3をプレイするのは避けよう。まぁこれはオレの意見だけど。だからデカい勝利を少なくとも音自体に関しては。

フリーパーティや、テクニバルでは、凄い音によく出くわすんだ。なんでかっていうと、みんな自分のサウンドシステムに情熱を捧げている。それ組み上げ、計算し、ほかのサウンドシステムと組み合わせ、つないだり、分裂させたり、すべての種類のスピーカーシステムを組み込むために、巨大なディレイラインを作り上げ、改良する。しかもそれで全部じゃない。それは大きなサウンドシステムのアートだと思う。何度も驚かされる、その音の再現性は、ダンスフロアーにスゴい結果をもたらしている。

でっかく太いベースライン。幅広いスケールで、いろんな場所からのいい仕事がある。チェコの連中からのや、フランス人や、イタリア人、イギリス人達のいい仕事。素晴らしい音の再現性、みんな、よくやってる!!本当にヤバいよ。どこのクラブでも聴けない、フリーエントランスベースの、フリーパーティでしか聴けない音。ヤバイよね。フリークエンシーとリズムに関するオレたちの進化のための、めちゃくちゃいい仕事だよ。

photo-jan2
photo-jan

YAYA
DJ、レーベルオーナー、YAYA23というレコードショップ兼、レーベルをドイツ、ベルリンにて主宰する。EU圏にてもっともユニークなSOUND SYSTEMの一つ、CYBERRISEの設立CREWの一人。ヨーロッパのフリーパーティ、テクニバルシーンの中でも徹底したアンダーグラウンドスタイルで信頼の厚くナイスな人柄を持つ。90年代半ばよりSOUND SYSTEMを立ち上げ活動を始める。音のクオリティにフォーカスし、いくつものフリーパーティ、テクニバルを潜り抜け、オルタナティヴカルチャーを支え続けている。既にそのカルチャーが深く根づき、たくさんの人々やSOUND SYSTEMが活動する西ヨーロッパから、その様なカルチャーからもう少し離れているブルガリアやギリシアの様な夢追い人たちが、もっと新しい世代のために新しい方向性を求めて辿りつく、東ヨーロッパの果ての国々までバンにスピーカー積んでる旅を続ける。その間の旅も最高の瞬間から、大変でハードコアな事まで起きる道中をくぐり抜け旅を続ける、全てはKEEP FIRE BURNINGのために。
Youtube https://www.youtube.com/channel/UCHHxK9hTclKFKBnUZt9xtTA
discog & shop https://www.discogs.com/seller/yaya23/profile
soundcloud https://soundcloud.com/yaya23-records
mixcloud https://www.mixcloud.com/yaya23/

destr∞y
ikanani mothzzzzrrr fukerrrr sound system のクルーとして、数々のパーティ、レーベル、ハプニングを繰り広げつつ音を鳴らしはじめる。その後ヨーロッパへとベースを移し、各地のローカルサウンドシステムと共にフリーパーティ、スクオットパーティ、ストリートパーティ、テクニバル、アンダーグラウンドから生まれるアートに巻き込まれ、出会いから生まれる関わりから、さまざまなサウンドシステムに参加し、ライブセット、DJ、同時にスピーカー運び、ヨーロッパの西の端から東の端まで、自律的かつ、フリーダムなハプニングに関わり続ける。同時にヨーロッパのアンダーグラウンドfree improvisationシーンを発見し、エクスペリメンタルや、ノイズシーンで活動するさまざまなアーティストと共に、さまざまなツアーに関わる。オープンデッキ、オープンセッションをコンセプトとしたSEWAGE/OPENCLOSEや、ツアーへの参加。より多角的活動のアウトプットとしてRefugees on dance floorをスタート。自身が関わるレーベルikanani x coreheadからアナログをリリース。
https://soundcloud.com/destrooyakadubdub
https://soundcloud.com/refugees_on_dance_floor
https://www.mixcloud.com/destrooyakadubdub/

この夏、日本のどこかでテクニバルが開催予定!
http://freeteknojapan.blogspot.jp

突然の新作です。VaporwaveのオリジネーターVektroidが、3つの新作をドロップ

MASSAGE /

突然の新作です。8月1日にSiddiqをフィーチャーした新しいアルバムの発売がアナウンスされていたVaporwaveのオリジネーターVektroidですが、先ほど新作が3つもドロップされました。ずいぶん急ですよね。突然でしかも大量。驚かせてくれますね。

Vektroid “RE•SET”

暗い深海をさまようような、実験的アンビエント。粒感のあるグリッチノイズは、ローファイなそれではなく、もやがかかったような幻想性を与えています。サイケデリックでありながら、ドリミーな世界観はそのまま。もはや振り返る過去はなく、未来へ向けて歩き出したというような傑作です。

Vektroid “Big Danger”

うってかわってこちらはサウンドコラージュ作品です。さまざまな音のテクスチャーが揺らめき、恍惚感あふれる光景へと没入を誘います。プランダーフォニックスを彷彿とさせる引き伸ばされ、寸断され、逆回しされた具体音。そこに持続音やノイズが結合され、独特の世界観が紡ぎ出されています。エクスペリメンタルな音響アンビエント作品。

Vektroid “Texture Maps”

こちらは2009から2013年にかけて作られた未発表音源集のようです。過去の作品とあってもっともVaporwave的なアプローチを感じることができます。Vaporwaveの真骨頂サンプリングそのままの曲やスクリューされたビート、グルーヴィなFuture funkサウンド、メランコリックかつロマンティックな世界観が展開されます。予定のない休日に、ベッドルームで一人静かに聴いてみたいそんな音源集です。

Vaporwave勢の中でもVektroidのサウンドは安定感が抜群で、その奥底から伸び上がるような落ちついた飛翔感は、むやみに騒がしい感じではなく、その奥底には瞑想的な雰囲気すら漂っています。Vektroidという人はやはり常に時代の先端の気分を作っている人で、ブレがないのが良いなあと思います。ぜひお気に入りの作品を見つけてみてくださいね。

Dirt on Tape Vol.06

カセットテープコレクターDirty Dirtがマンスリーでお送りする、連載第六回。
今回はUKのカセットレーベル〈Opal Tapes〉について。

Dirty Dirt /
Dirty Dirt / Text: Dirty Dirt, Title Logo: ancco

日本でも、ことしからカセットストアデイが公式に開催されることが決まりました。レコードストアデイとはまたちがって現行の流れとまったく関係のないところからはじまってたり、リリースされるものは現行レーベルのものよりも過去の音源のカセット化みたいなのが中心だったりと、アメリカでできてからけっこうな議論がなされていて、わたしが追っている現行カセット界隈からは不評だったりするんですが。現行の流れと、なつかしいかんじやカセットの復権みたいな流れとはいつまでたっても溝が深くって、日本での公式の活動ってどうなるんでしょう。わたしがこういうことを書くから溝を深めてるのもありますが。開催が発表されたところなのでどんなかんじになるか見守ってゆきたいとおもいます。

現行カセットテープ界隈で尊敬しているひとがふたりいます。ひとりは過去にFact Magazineで毎月カセットテープのコラムをかいてたくさんの地下のレーベルやアーティストをすくいあげてきたり、たとえば日本のConstellation Botsuや食品まつりなど尖ったひとをリリースして世界へ知らしめるきっかけをつくった〈Digitalis〉のBrad Rose。長い休息期間にはいってしまいましたが。もうひとりはBasic HouseのなかのひとStephen Bishopです。

今回はそのStephen Bishopが運営する〈Opal Tapes〉について。

もはや〈Opal Tapes〉はレコードのリリースも安定していて、カセットレーベルというくくりでは語れない雰囲気ですし、Resident Adviserによる2013年のインタビュー記事で彼のカセットテープ愛についてかなり語られていますが、やはり現行カセットテープ入門という流れでかかせていただいてるなか、いっとう好きなレーベルなのでここはかいておきたいです。

初回で書いたように、現行カセットレーベルの流れでおもしろいのはテクノやダンスミュージックのレーベルが流行の雰囲気をおしあげたかんじがあるということ、そしてUKのレーベルの躍進だとおもいます。〈1080p〉オーナーにいちばん影響を受けたレーベルは〈Opal Tapes〉と語らせるように、〈Opal Tapes〉はその基礎をつくり、いまもかわらずつきすすんでいるレーベルだとおもいます。

黒い靄がかったテクノやノイズ、ダンスミュージックをリリースしてきた〈Opal Tapes〉ですが、はじめからUKということにこだわらずに、メルボルンのTuff Sherm、スウェーデンのD.Å.R.F.D.H.S.ProstitutesやTraag、PHORKなどアメリカ勢とローカルなシーンから発するものではなくレーベルの色を意識した人選で貫き通されています。

レコードでのリリースが安定してきたいまでも、しっかりとレーベルの色にあったあたらしいひとをカセットテープでリリースするところがすばらしいです。ことしにはいってからだけでも、ペルーのリマ出身のブラックメタル/ノイズ女子CAO、エジプトのカイロ出身$$$TAG$$$、テヘランのハードコアテクノSote、そしてButtechnoの来日が予想をこえた動員で大成功だったりと注目されるモスクワ周辺ですが、〈Opal Tapes〉も春のリリースでロシアとウクライナのまだあまり知られていないプロデューサーを集めたコンピーション “U S S R” をリリースと、世界の流れのさらに深いところをつきすすんでいます。

ここのよいところはPatriciaBody BoysMetristなどカセットテープのリリースがよかったひとたちをこんどはレコードでリリースしてと、さらに高いところへもってゆくところ。そして〈Tesla Tapes〉や〈Acid Wax〉など周辺のレーベルのマスタリングも引き受けていたりと、人選、リリース、活動がすべて未来へ向かっているかんじがします。一見、閉ざされたような黒いイメージと、未来へむかう明るさのバランスがレコードをだすようになったいまもしっかり保たれていて。ただリリースするだけでなく、カセットレーベルをしっかりと根付かせるモデルとして、すばらしいです。

レーベルの持つ美意識は統一された黒いケースとJカードの黒い背のデザインまですみずみまで反映されていて、その統一感は棚で並んだときにうつくしく買う側もそろそろ日本人もここへくい込んでほしいなとおもっています。UKだけでなく外へも目を向けているレーベルなんで、可能性はあるんじゃあないでしょうか。ポンドが安くなってすこし買いやすくなっていますので、これを機会に日本であまり流通のないカセットテープのほうも買ってみてはいかがでしょうか。

image4

6月によかったもの、いくつか。

東京のCONDMINIMUM主催でBatman WinksのメンバーでもあるKota Watanabeのソロ名義Cemeteryのデビュー作です。さわやかな高揚感とせつないかんじが同時進行なシンセの音のつらなりと、そこに重なるノイズと音の割れるかんじ、そのバランスがかっこいいです。Cemeteryにその周辺の若い子たちの行動力に振る舞いと、いまの東京のインディというかんじがして、これまでどちらかというと日本のひとたちに耳を傾けなかったこちらもどきどきします。石像ジャケットなものってよいものがおおいんですが、Jカードの裏側、白黒で印刷された曲名のところに、A面B面の文字だけカラーとかさりげなく細かいところまで凝っているところもよいです。

Cemetery “DENIAL” 〈CONDMINIMUM〉
https://cemeteryjpn.bandcamp.com/releases

Dean BluntとInga CopelandのコラボレーターでもあるJohn T. Gastの新作は自身のレーベルから。これまでも映画『ウォーターワールド』の日本版ポスターをそのまま盤面に転写したCD-RをリリースするなどHype Williams周辺なひとだけあっておかしなことをしてましたが、今作はけっこうまっすぐかっこいいのでは。全体的に不穏なアンビエントな質感、そこに破裂するようなビートに、話し声のサンプリング、鳴り響くブラス、いまっぽさをたくさん詰め込みながらもおかしな脱力感があって。最後のボーナストラック扱いの曲がパーカッションとギター? 爪弾きの不協和音っていういきなりな生な楽器だったりとつかみどころがないです。ひさびさなタッパーみたいなケースです。あまりこれは好きではありません。

John T. Gast “INNA BABALON” 〈5 Gate Temple〉
https://5gatetemple.bandcamp.com/album/5gt0025-john-t-gast-inna-babalon

限定25本リリースをつづけてきたポルトガル、コインブラの〈Exo Tape〉の姉妹レーベルから。DJWWWWなど複数名義で活躍し、7月からアート、音楽に関するメディアSim MagazineをはじめたLil $egaことKenji Yamamotoの+you名義と、レーベルオーナーであるjccgの別名義xccgのsplit。それぞれのサイドに相手へあてた曲がはいっていたりと、個人的な関係性もかいまみえて、カセットテープでのリリースってこういうひとのつながりが色濃くみえてたのしかったりします。+youサイドはあたたかく、木漏れ日のようなすこしまぶしい光のようなアンビエントに、かさこそと物音、水の音、鐘の音、話し声などが溶け込んでゆくような。“sad” にはその深海アンビエントにノイズが弱いながらも破裂していて、ただアンビエントではないかんじ。xccgサイドはあたたかくすこしさびしいギターのアンビエントの重なりから、ゆったりと水のなかをすすむようなシンセのアンビエント。Lil $egaさんいわく初夏に向けた作品ということで、ぜひいまの季節に。Jカードがカセットをつつむかんじで、ケースの突起が突き抜ける仕様で、ちょっとどきっとします。

+you / xccg “buranko” 〈A Q U A E〉
https://aquaardens.bandcamp.com/album/you-xccg-buranko

AngoisseCønjuntø Vacíø、そしてそれらを扱うDeadmoon Recordsなど、黒い雰囲気のEBMやノイズだったらいまはスペインのレーベルが熱いです。この〈B.F.E. Records〉もスペインのヴァレンシアのレーベルで。このあたりを追ってるひとたちにとっては現時点ベストななまえのならび。〈Nostilevo〉からもだしてるSiobhan、Craow、Ariiskに、ことしすでに10作品は越えてるGerman Army、UKでいまいっとう信用できるレーベル〈Night School〉オーナーのApostille、ことしベストレーベルのひとつ〈Seagrave〉運営コンビによるIXTABContainerForm A Logも結成し〈Not Not Fun〉からもリリースしていたProfligate、大阪〈birdFriend〉からもリリースしていたベルリンのテクノ女子Wilted Womanなど、個人的にはことしのコンピレーションベストです。

V.A. “MATERIAL ELÉCTRICO VVAA” 〈B.F.E. Records
https://bferecords.bandcamp.com/album/b-f-e-37-material-el-ctrico-vvaa-cs

Minimal ViolenceはバンクーバーのAshlee LukとLida Pの女子二人組。これまでカナダのこれから注目していきたい女子ばかりだす〈Guenero〉からリリースしていました。ローファイでけっこう荒削りなテクノをやってるんですが、前作から1年たった今作はハイハットやクラップ音が過剰にリヴァーヴがかっていたり、ドラマティックなシンセの反復だったり、音はしっかりしてきたけれども打撃が唐突だったりとさらに暴力的なかんじになっていて。Marco Lazovicは知らなかったんですがモスクワの方みたい(調べてもいまいちでてこない)。いまのモスクワのひとたちと共通するような靄がかったテクノからちょっとダサめなハウス。

Minimal Violence / Marco Lazovic “MV x ML” 〈Jungle Gym Records〉
https://junglegymrecords.bandcamp.com/album/udg-005-mv-x-ml

ベルリンのレーベルから。Pete SwansonThurston MooreとライブしていたりなイタリアControl UnitSilvia Kastelソロです。Control Unitではヴォーカル、というか叫び声というか、それとシンセを担当していて、片割れのNinni Morgiaの前衛ギターとあわさって、きいててぽかんとしかならなくって、たのしかったんですが、おととしバンドな音色になって、人気がでるかとおもったら、そうでもなかった。久々のソロ作は、明滅、暴発するシンセやドローンにポエトリーリーディングや声のループが重ねられて。Jカードが本人写真でとてもよいです。

Silvia Kastel “The Gap” 〈Noisekölln Tapes〉
https://noisekoelln.bandcamp.com/album/the-gap

Dirty Dirt
現行のカセットテープコレクター。2015年は450本購入。カセットテープに関するブログ、zine、雑誌への寄稿、たまにカセットDJなど、現行のカセットテープのことならなんでも。 http://dirtydirt2.blogspot.jp

〈PC Music〉の設立者、A. G. Cookの久しぶりの新曲“Superstar”。フリーDLで公開中

MASSAGE /

お、A. G. Cookの新曲が来ましたよ。とても久しぶりな気がします。A. G. Cook自身のボーカルに、ピアノのメロディが印象的なエモーショナルな楽曲。フリーDLです。加えて、FacebookにTwitterにInstagramと専用のアカウントができていました。これから何かが始まるんでしょうかね。

A. G. Cookはレーベル〈PC Music〉の設立者。その先進的なヴィジュアルイメージと、ポップなサウンドで、今のインターネットカルチャーの流れに大きな存在感を持つ、まさに震源地のような存在。コロンビアレコードと契約するなど去年はメジャーに躍り出るかのような動きがあったばかり。勘ぐりかもしれませんが、今回の発表は何かの布石のような感じがしますね。

また、7月20日にLAでのショーケースがあるようです。

http://superstar.pcmusic.info

マルチすぎる鬼才Tristan Whitehillが運営するレーベル〈Squiggle Dot〉。その雑食的ラディカルさについて

MASSAGE /

ちょっと多すぎて今世界にどのくらいのレーベルがあるのか、全く見当もつきません。気付いた端から追いかけていっても、それ以上の速さで増えているのではないか?と勘ぐってしまいたくなるほどです。先日は〈Software〉の終了が明らかになって、ちょっとショックでしたが、世界を見渡すとおもしろい作品をリリースしているレーベルは星の数ほどあります。こうやって日夜探っていると、生態学の研究をしているような気持ちになりますね。

さて、今回紹介したいのはフロリダを拠点に活動する〈Squiggle Dot〉です。まず目を引くのは統一されたかわいらしいカバーワーク。サイケデリックで、その絵柄にはどことなくバンドデシネのようなスピリチュアリティも感じます。

このアートワークを手がけているのはTristan Whitehillというアーティストで、なんとこのレーベルのオーナー。彼はマルチ奏者/シンセシストでもあり、Euglossineという名義で活動しています。こうした多方面にわたる才能は、レーベル〈Orange Milk Records〉の主催でもあり、自分自身のカバーワークも手がける、Giant ClawのKeith Rankinとの共通点も感じます。

実際彼はその〈Orange Milk Records〉や〈Beer On The Rug〉といったレーベルからも作品をリリースしています。彼に影響を与えた音楽は、ディスコやドラムンベース、ヒップホップ、ハウス、ジャズを通過した70年代のファンクや、電子音楽、古典の方のニューエイジ、カンタベリー・ロックと、ものすごく幅広い。〈Squiggle Dot〉にも、こうした多様なジャンルの音楽性をさまざまな形で融合し、新しい世界観を作り出そうという意気込みを感じます。

最近公開されているのを見つけたのですが、Tristan Whitehillが作ったアニメーションです。映像まで作り始めるとは、どんだけ才能を示せば気がすむんでしょうか。

7月30日にリリースされる予定の作品、Kagami Smile “CLOUD DRM”です。培養された細菌が織り成すマイクロコスモスをイメージした世界観。多様な色彩の音の粒がノイジーな質感を作り出す、心地よいアンビエントです。こちらのアートワークはBeefstrongによるもの。リリースが待ち遠しいですね。

Kagami Smile “CLOUD DRM”

いちばん最近のリリースはこちら。まさにこのレーベルの看板のスタイルでもあり、ファンタスティックでドリーミーなニューエイジ/アンビエント。ジャケットのイメージは「自分自身のマインドから物質を作り出す恐竜」だそうです。

Novelty Toys “Gra​-​e”

個人的に好きなのはこれです。メキシコの作曲家Turning Torsoの作品ですが、アブストラクトなハーモニーにミニマルなビートの組み合わせ、そこにインプロっぽいアコースティックなサウンドが絡んでくるのが特徴的です。このレーベルの中でも彩度の低い世界観で、けっこう渋いです。

Turning Torso “Kāla”

Tristan WhitehillのEuglossine名義。〈Beer On The Rug〉からリリースされた作品です。早朝の爽やかな太陽の光のような、淡くてきらびやかなシンセポップ。重さのない肉体でハイウェイを滑空しているかのような、疾走感。ものすごくフュージョンぽい作品です。

Euglossine “Complex Playground”

name your priceで公開されているので、このへんのコンピレーションからレーベルの世界観を体験してみるのも良いかもしれません。

Squiggle Dot World Wide Vol. 2

[R.I.P.]Oneohtrix Point Neverとして知られるDaniel Lopatinが主宰するレーベル〈Software Recording〉の活動が終了。 🙏

MASSAGE /

ありゃ。ちょっとショックなニュースが飛び込んできました。レーベル〈Software Recording〉のホームページのトップに意味ありげなBob Weirの言葉の引用が掲載されていて、何かと思ったらどうもショップがクローズするようです。主宰は今や世界的に注目を集めるアーティストOneohtrix Point Neverとして知られるDaniel Lopatinですが、レーベル活動はその役割を終えたということでしょうか。

ウェブを訪れると、ブラックの背景に「2011 – ∞」という表記と、無限に続くスクロール。〈Software Recording〉はOneohtrix Point Neverの作品だけでなく、印象的なアーティストの作品を多くリリースしてきました。〈Software Recording〉のラインナップをあらためて眺めてみると、いろいろ聴いたなーと感慨が湧いてきます。もしまだ未聴の方は、ぜひ彼らの活動を振り返ってみてくださいね。

http://softwarelabel.net

software-recording-co

Baconより夏を感じさせるstrawberrysexの最新ミックスが到着。

MASSAGE /

夏が来ました!こんな季節に聴いたら良い感じの、涼しい音源が次々と届き始めましたね。久しぶりにBaconより最新ミックスです。もはや説明はいらないと思うのですが、いちおう言っておくとBaconとはオンライン上で活動する匿名の集団で、いろいろなものをリブログしたりリリースしたりしている人たちです。SOBOでの展示をすこしだけ紹介したこともありましたね。

https://themassage.jp/exibition-space-sobo/

さて、今回そんなBaconに邂逅したのはstrawberrysexさんです。今回の提供は2回目で、前回は3年前だそう。

ぜひ彼らのウェブ上でお楽しみください。

http://bacon-index.tumblr.com/bcnmix11

以前公開されたstrawberrysexさんのオルタナティブなアイドルをテーマにしたミックスへのリンクも貼っておきます。

http://bacon-index.tumblr.com/BCNMIX05

tumblr_oa5s14C60y1qmgy9ro1_r1_1280

Nozomu Matsumotoのシングル「Pre-Olympic」。Zaha Hadidのイメージが切なさを感じさせる、ゴージャスでリラクシンなユートピアサウンド

MASSAGE /

レーベル〈Roof Garden Records〉より、先日も紹介したバーチャル聴覚室EBM(T) のメンバーとしても知られるNozomu Matsumotoのシングルが公開。ダウンロード可能です。タイトルは「Pre-Olympic」。夢と消えたZaha Hadidの建築イメージを今あらためて眺めると、どこか切ない幻想性を感じます。

再生ボタンを押すと流れてくるのは、ゴージャスでリラクシンなユートピアサウンドです。オリンピックのような人々の巨大な集合の力が生み出す、夢のような壮大な物語。ポストモダンの都市世界からは既に消えようとしている、もはや懐かしささえ感じるダイナミックな物語性を感じる作品でした。

これはティザーのようなのですが、メンバーをみてください。すごくないですか?これから詳細が分かるのでしょうか。楽しみすぎます。

Yoshitaka Hikawa & Isamu Yorichika & Nozomu Matsumoto & Kenji Yamamoto

現実の中にとうとう仮想現実が…。「Pokemon GO」でセルフィーに浮かれる海外の人々の反応

MASSAGE /

すでに海外では先行してリリースされている「Pokemon GO」ですが、プレイしている人たちがポケモンとの自撮りをシェアしまくっていて羨ましいです。とにかく楽しんでいますね〜。なんというか浮かれている感じが伝わってきて、とても微笑ましいです。

任天堂といっしょに「Pokemon GO」を作り上げたNiantic社は元Googleのプロジェクトで、拡張現実ゲーム「Ingress」をリリースしたことで有名です。そこからの「Pokemon GO」というのはすごく理解できる展開。「Ingress」のときもワクワクしましたが、その彼らと任天堂という組み合わせは最強というほかありません。「Ingress」はまさにこのための実験だったといってもよいのではないでしょうか。

ただポケモンを追いかけて高速道路まで行ってしまい、大事故になってしまった例や、水死体を発見してしまった人なども出てきました。そのゲーム内容のせいか、すでに人を奇行に走らせるとまで言われはじめています。現実の中に空想の世界が急に入ってきたことの副作用かもしれません。これからやる人はくれぐれも無茶をしないように気をつけてくださいね。

すでにリリースされているアメリカではいきなり売り上げ一位だそう。これは日本でもすごく流行りそうですね。

http://www.cartelpress.com/pokemon-go-major-highway-accident-man-stops-middle-highway-catch-pikachu/

http://news.livedoor.com/article/detail/11743363/


https://twitter.com/_megannoel/status/752015262077947904

異世界にはまり込む恐怖と快楽。ギーガの世界観を表現したFPS「Scorn」

MASSAGE /

たまにはゲームの話題でも。H・R・ギーガーのあの狂った世界観をまるっと再現してKickstarterで資金調達が失敗するも、あらたに資本を調達して開発に入っているというFPS「Scorn」。その再現度が本気過ぎて、プレイするのを躊躇してしまいそうなくらいです。2017年にプラットフォームはPCで発売されるようです。

プレイする自分自身が宇宙人という設定で、登場するキャラクターもものすごく異質なのですが、特に生き物のような兵器がとても気持ちがわるいです。昆虫とかの世界もそうですが、自分の属している世界の体系とあまりに異なるデザインに出会ったとき、わたしたちは気持ちのわるさを感じるのでしょうか。その感覚は、軽いものでいうと外国語に接した時のような疎外感や馴染みのなさ、もうすこし強いものだと未知のものに感じる危機意識のようなものなのかもしれません。

アートも音楽も同じだと思うのですが、あたらしい表現を目の前にしたとき、前頭葉ではなくてもうすこし原始的な脳の部分が反応している感じがするんですよね。おそらくそれは、生きものとして引き起こされている生理的な反応なのでしょう。けれども違和感のあるものや、一見気持ち悪いと感じるものが、馴染みのある感覚に転換されるその瞬間、最も大きな快楽が生み出される気がします。そういう感覚は常に新しい表現を知りたいという、好奇心のある方なら分かる感覚じゃないでしょうか。まあ、世の中には全然そうじゃない人の方が多い気もしますが…。

http://www.scorn-game.com

Scorn-8-1

Scorn-4

Scorn-3

アルゴリズムが作り出す新しい景色。Danelawの「QNAPP001」とレーベル〈quantumnatives〉について

MASSAGE /

超独特な世界観を持つレーベル〈quantumnatives〉のこれまた超独特なオフィシャルサイトから、Danelawによるリミックス集「QNAPP001」がダウンロードできます。フィーチャーされているのは、x/o、g0ren|dal、ornine、sentinel、Nico Niquo、Kepla。そして先日紹介したRenick Bellもいて、今エッジな表現をしている人たちが並んでいるという感じです。不規則なビート、ノイズ、引き伸ばされ、変形されたさまざまなフレーズ、ある意味お決まりといってもよい、アルゴリズム系特有の聴き辛さもあります。けれど音そのものはそれほど尖っていないので、どちらかというとアンビエント的な雰囲気で聴いたらよい気がしました。音のランダムネスやテクスチャー感が複雑に構成されていて、それぞれが別の世界を描いた絵画のような作品です。

この作品の特色のひとつが、カバーのイメージにもなっているPure Dataのパッチデータが付いてくるという点。その背景には彼が研究者であるという事実が関係していそうです。DanelawはプロデューサーでエンジニアのAdam Parkinsonのプロジェクトなのですが、実際彼は視覚障害のあるオーディオエンジニアのための触知デバイスの開発などをやっているみたいです。自分自身のつくったソフトを他の人の仕事との融合で、進化のようなものだと言っていて、そのあたりに研究者というスタンスを強く感じました。

quantumnatives〉に関しては完全にウェブサイトのせいなのですが、全体像がつかめなくて逆にものすごく興味が湧きます。ついででよいので、指輪物語の中つ国のようなマップの中に仕込まれたさまざまな音楽を探してみてくださいね。アート作品が展示されている空間もあります。

quantumnatives〉のこういったリリースの手法や、アーティストのセレクトからウェブサイトの世界観まで、徹底してレーベル全体で未来的ななにかを作り出そうという強いヴィジョンを感じます。今後も注目していきたいレーベルですね。

http://quantumnatives.com

http://www.mediafire.com/download/cwxw376qvxe83d8/The+Danelaw+%28QNAPP001%29.rar

先日、そのDanelawがradio head「Idiotek」のリミックスをアップしていました。こちらもフリーDLできますのでどうぞ。

https://soundcloud.com/thedanelaw/idiotek

スクリーンショット 2016-07-10 15.28.47

美術の新しい共同体、パープルーム

パープルームは美術予備校でありながら、共同体化しつつある。
その生活スタイルと、彼らが目指す美術運動とは。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Photograph: Ryosuke Kikuchi, Assist: Noriko Taguchi

人と人が集まればコミュニティが生まれる。集団には特有の色彩や温度があって、ときには全体としてひとつの人格のようなものになる。固有名を持った集団としての自我は、求心力となる人物にコントロールされているものだけれど、同時に制御できない不確実性も持つ。人々の間に生まれた無意識が作り出すこうした独特の動きは、加速度が高まり、自立性が大きくなればやがて「運動体」と呼ばれる。そんな運動体となることを目指して活動する集団、パープルームの紹介をしたい。

パープルームは、アーティストの梅津庸一が立ち上げた美術予備校。予備校といっても、美大受験を目指す学校ではない。彼らの特色は、参加するメンバーが共同生活を送っている点。その拠点となる相模原で絵画を勉強する一方、集団としてあたらしい美術を作り出すことを目指して活動している。

梅津はこれまで、制作のかたわら美術予備校と美大のいびつな関係に着目し、業界の人々が語りたがらないその成り立ちを詳らかにする批評活動を行ってきた。そして今度は、自分自身でその「教育」を実践するべく、パープルーム予備校を結成。描き出したビジョンを一歩一歩たどっていく彼の用意周到な性格は、生徒獲得のために予備校に講師として赴任するという、その計画の遠大さにも現れている。

梅津は予備校の赴任を皮切りに、草の根で学校づくりを始めた。集まってきた生徒たちはツイッターなどで活動を知った地方在住の若者たちが多く、その加入の方法がちょっと変わっている。メンバーが増やせないのはパープルームが生活空間も兼ねているからで、そこでメンバーの募集にちょっとしたハードルを設けることにした。そのひとつが、場所が明らかにされていないパープルームに自力でたどり着くというものだった。

「あまくんの決め手は、住所を勝手に調べて当てたところですね。普通の学校ってのは入試があって、無作為ではないけど、誰でも来いって感じがある。そんなことで美術が生まれるはずはない。いくら倍率が高くなっても、傾向と対策がうまくはまれば、情熱がなくても芸大にも受かってしまう。そんなことだから美術が面白くないんです。美術は、少人数でも常軌を逸したやる気があれば、余裕で勝てるはず。そういう意味ではあまくんは絵は見なくてもわかる、存在が、奇跡的な出会いだったらいいんです。」

148A1214 148A1181

いちばん初期のメンバーが、安藤ゆみさんで、彼女は一度加入を断りながらも、現在は藝大に通いながら、パープルームに特別な熱意を傾けるようになった。そのうち、こちらの活動の方がメインになってしまった。

アランくんは、鳥取の美大の大学院に通っていたが、展示の手伝いで梅津さんとの出会う。それをきっかけにして、もっと美術でガチの真剣勝負をしたいと考えるようになった。そして、上京してパープルームに参加。

最年少はともきくんで、17歳。高校を2ヶ月で中退して、パープルームには3日前に青春18切符を買って駆けつけたばかりだ。

ネットの力でパープルームに辿り着いたあまくんは、島根県出身で、島根在住当時、カオスラウンジとパープルームで放送したラジオを聞いたことがきっかけで、パープルームに興味を持ったのだという。

パープルームのメンバーはそんなふうにして増えていき、現在は4名になっている。年齢も出身もバラバラなメンバーたちが、生活をそれぞれ共にしながら、梅津さんのもとで作品を制作し、批評し合い、問題を起こす仲間を諌めたりしながら、楽しく暮らしている。生活と表現がくっついている。それはパープルームも含めた、特に今の表現に当てはまる要素ではないだろうか。

パープルーム大学物語 ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
パープルーム大学物語 ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
ラムからマトン ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
ラムからマトン ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
ラムからマトン ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata

「一人ひとり役割が違っていて。あまだったら掃除をしたりとか、洗物があったら勝手に洗ってくれる。今アランくんからはパープルームの掃除機と呼ばれている。設営をする時に、パープルームはものすごい精度を求めるんですけど、アランくんはそういうのを不眠不休でやる。24時間ぶっとおしで作業して、床にTシャツのまま、寝たりとか。そんなホームレスな過酷な環境でも耐えられるんです。」

特に近年、こうした領域で生きていくためには、より強い覚悟が必要になってきている気がする。いつの時代にもいえることだが、過酷な環境だからこそ、コレクティブのような集合体を作ることには必然性がある。それは寄り添い合うというより、切磋琢磨するための共同体である。彼らは生き残るための条件をクリアするために、ここで予行演習を行っているのだ。

148A1178

「パープルーム予備校は何の予備かっていうと、アーティストの予備ということなんです。それだけじゃなく、この美術教育や、この怪しい共同体を、そのまま美術運動に重ね合わせている。すでに彼らはプレーヤーなんですよ。ここでは、スタートライン切ったところから、すべて見せていく。だから、生活も全部さらけ出すんです。」

多分この世界に存在しているであろういくつもの共同体。その可能性は個人では生み出せない、グルーヴを作り出せるところにある。その波長が、梅津さんという個人から放たれるものだとしても、集団となることで増幅されたり、歪んだり、変化することもある。コミュニティとは、それ自体が全体として、また別の生命のようなものなのだ。その響きをいかに持続し、そこから放たれたものを、より強く、より遠くまで届くものにできるか。個が集団となった時に起きる、その進化を楽しみにしたい。

本インタビューは雑誌『中庭』とのコラボレーション企画です。インタビュー本編は『中庭』のサイトで公開予定!

(取材日2016年1月30日)

パープルームグループ展「パープルタウンにおいでよ」
会期:2016年7月10日(日)~7月19日(火)  
開場時刻:12時~20時 会期中無休
会場:パープルーム予備校/パープルーム見晴らし小屋/ゼリー状のパープルーム容器
〒252-0216 神奈川県相模原市中央区清新3丁目13-19 インベストメント清新 303号室
ゼリー状のパープルーム容器 JR相模原から徒歩10分
※ゼリー状のパープルーム容器でパープルーム予備校、及びパープルーム見晴らし小屋へ行くための地図が配布されます。地図は表面が平山昌尚、裏面はパープルーム予備校による作図となっているそう。
http://www.parplume.jp/tennji/tokusetu201606.html
パープルーム予備校
https://twitter.com/parplume
http://www.parplume.jp/