不完全なテクノロジーが見せる未来。James Ferraroの最新ビデオ「Plastiglomerate & Co.」

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James Ferraroの「Human Story 3」よりPlastiglomerate & Co.の最新ミュージックビデオが届きました。一時期ネットで拡散されていた群像シュミレーションを使っているのでしょうか、色とりどりの人間たちがヴァーチャルの空間をただ行き交っているという作品です。描かれているのは清潔な理想都市。そのなかで、人々はボットのようにアルゴリズムでコントロールされ、独特のハーモニーが生み出す秩序を見せているのですが…。ビデオはちょっと前のゲームのバグをみているような感じで、見ていると滑稽なんですが、どこか人間自身の姿もそこに重ねて見てしまっている自分がいます。完璧にコントロールされているものよりも、機械の中にある人間ぽさというか、不完全なものにこそ未来っぽさを感じるんですよね。そこに見えなくなってしまったテクノロジーが露出しているからかもしれません。

「Human Story 3」については、Vapor Drawingsさんのレビューが非常に素晴らしかったのでここにリンクを貼っておきます。

http://vapordrawings.tumblr.com/post/146402302182/james-ferraro-human-story-3

こちらには英語ですがインタビューも掲載されています。
https://thump.vice.com/en_us/video/james-ferraro-plastiglomerate-co-video

https://jjamesferraro.bandcamp.com

誰かの心象風景を建築する、異色のアンビエントユニット「UNKNOWN ME」始動。

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まずおどろいたのがこの3人の組み合わせ。「UNKNOWN ME」はやけのはら、P-RUFF、H. TAKAHASHIの新しく始動したばかりのユニットで、“Ambient~NewAge~Tape カルチャー” がキーワードだそうです。その第一弾として、レーベル“NOPPARA TAPES”から、アンビエント・カセット「sunday void」がリリースされるとのこと。アルバムの曲には時間が表記されているので、おそらく曲ごとに日曜日の各時間帯を表現するというコンセプトになっているのだと思います。

すでに各領域で存在を確立している3人ですが、各人の音の進化がいまこのアンビエント・ニューエイジというカテゴリーに合流した結果としての、新ユニット結成なのでしょう。バラバラに存在していたものが、なにか必然のように一点に集まる瞬間ってありますよね。今のアンビエントの盛り上がりには、そんな引力の存在を感じます。どういうふうにメンバーがやり取りをしているのかわかりませんが、この一曲を聴く限り都市の日常の間に訪れる、ふとした虚脱感みたいなものがものすごく爽やかに表現されていて、まるで音の日向ぼっこをしているかのようです。その辺の手際は、なんとなくですがやけのはらさんぽいなと思ったりしました。発売は7月15日だそうですが、今から非常に楽しみです。

UNKNOWN ME (YAKENOHARA+P-RUFF+H. TAKAHASHI)- sunday void

label : NOPPARA TAPES
catNo : NT-01
format : Cassette & Digital
file under : Ambient/NewAge/Balearic

01.nature trail (AM 9:15)
02.The Park (AM 10:00)
03.Bicycle Day (PM 1:30)
04.take a nap (PM 3:00)
05.yuuhi (PM 5:45)
06.SHOWER TIME (PM 8:00)
07.opener (PM 8:30)
08.Blended Screen (PM 9:00)
09.Cosmic Mind (PM 11:30)
total : 30min
(DL コード付き)

Interview with Kazumichi Komatsu / Madegg

トラックメイカーMadeggとして知られる小松千倫に初個展について聞いた。
遠くを見ること。想像することとハウスミュージック。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Photo: Ryosuke Kikuchi

ビートミュージックからアンビエントまで、領域を超えた独自のサウンドを生み出してきた若きトラックメイカーMadeggこと小松千倫。京都で活動する彼の初個展が、高円寺のWorkstaion.で開催された。トラックメイキングからデザイン、そしてコンテンポラリーアートとその表現領域は多岐にわたるが、多様な表現の奥には共通した核が存在しているように思う。そんな彼に展示のコンセプトを聞いてみたところ、なんと「ハウスミュージック」とのこと。最近「ハウスミュージック」をテーマにしたパーティも始めたばかりだから、それも関係しているかもしれないなと思いつつ、個展開催中の小松千倫にそのコンセプトの詳細について聞いてきた。

東京では初個展ということですが、Workstaion.で行うことになった経緯は?
京都でこれまでグループ展示はやっていたんですけど、個展はやったことがなかったんです。Workstation.の矢満田さんに以前フライヤーのデザインをお願いしたことがあって、彼らのグループ展も見に来ていたので、僕からやらせてくださいとお願いした感じです。Workstation.の人たちはとても美意識が強いので、僕でいいのかなっていう気持ちもあったんですが、是非という感じで。それが3ヶ月前。

小松さんといえばトラックメイカーとして知られていますが、サウンドアート的な方向ではなくてインスタレーションという表現手法を選んだのはなぜなんでしょう?
音楽をつくっている時も僕はわりとイメージ先行なんです。分かりやすくいうとイメージを作るのも、音楽もやっていることは同じと思っています。今でも音楽をつくっているという意識はなくて。形式的には音楽という手法を取るんですけど、イメージをつくるのと同じような質感でやっていいんじゃないかと。

アルバム「NEW」はかなりコセンプトをしっかり立てて制作されたと聞きましたが、そういう手法はまさにアートの人のやり方だなと感じました。
悪い癖かもしれないんですが、自分は作る前にそうやっていろいろ考えちゃうところがあって。そのときは音楽から「共感」を得るものはなくて、もっとちゃんと考えてやりたいという気持ちがあったからですね。

共感というのはどういうものですか?
今のアーティストってアイドルみたいなものに近くなっていっている気がするんです。音楽でも、スター性を重視すると、キャラクター性のようなものが強くなっていってる。それに対して違和感があって。むしろ僕は言っていることが全然わからない人の方が面白いと思っているんです。その人が好きなのか、それともその人の音楽が好きなのか。そうじゃないと分からなくなる。結局ほんとうには音楽を聴いていない気がするんですよ。

ちなみに今回のテーマが「ハウスミュージック」ということですが、そのテーマを選んだのはなぜですか?
ハウスミュージックに最近はまっているんです。最近はインダストリアルっぽいテクノが流行っていると思うんですが、そういうものをたくさん聴いたので、ハウスのような音楽を自然に聴くようになったのかなと。それでハウスっておもしろいなって思って。しかもカナダとかオーストラリアとかダンスミュージックの中心国じゃないところで盛り上がっていて。そういう現象にも興味があって。

ハウスはもともとウェアハウスというシカゴのクラブでかかっていた音楽のことで、それで「ハウス」と呼ばれるようになった。当時抑圧されていた社会的なマイノリティとかそういう人たちがクラブに行って現実を忘れて踊るという面があって。そうやって社会の暗い部分を、ハウスっていう楽しい音楽で隠してる。明日を生き抜くために、そのために今を楽しみたいという音楽なんだなってわかった。内部構造を隠して、そこからスタートするというコンセプトはおもしろいなと思って。

例えば自分の作品で言うと、この作品は元はGoogleストリートビューで見つけた画像なんです。それを30dpiでコンビニで印刷して、金色のマーカーで点描で描いていくということをやっています。表面をなぞることで表現するというのが、表面に特化したハウスという音楽に繋がってると思ったんです。

表面を扱ったアーティストがたくさんいる一方で、今説明していただいた作品で言うと、印刷で再現できるものをあえて自分の手を使って完成させるという手法をとっていますが、やはりそこは自分の身体を経由させたいという気持があるんでしょうか?
やっぱりありますね。表現のフェティッシュな部分かもしれませんが、これなんかは絵にしたいという気持ちがあって。印刷物ではなくて、絵にするために自分で描かなくてはならない。

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ではテーマとしては、イメージというか表面に関心があるんですね?
そうです。ポストインターネットの作品の流れで、みんなその次を探していろんなことをやっていると思うんですけど、それは共感するところがあって。ブラックボックス化してその中に何があるかを忘れるということかなと僕は思っています。記憶しないようにするというか。物の背後にあるものは盲目的に捨てて、目の前にあるものだけ、表面からスタートしようということじゃないかと。

アルバム「NEW」のときも「はりぼて」という言葉で音楽を建築物に喩えて説明されていましたね。やはりそのときもそういった問題意識を持って制作されていたんでしょうか?
そうですね。あれはあんまり覚えていないんですが(笑)。そのころはアンビエントについて考えていて。地下のクラブで鳴っている音楽が、地上に出て音が漏れているけれどどこまでが音楽として認識できるかという話だったり、タージマハルをはじめてみたときに巨大すぎて逆に平面に見えるといったような経験論のようなものを読んで刺激を受けて、たとえばそうした建築物が音楽の構造だとしたら、アンビエントのようなテクスチャーが遠くから見える風景のようなものなんじゃないかということを考えていました。

インタビューの最初でも言っていましたがMadeggの音はたしかに視覚的なところがあると感じました。展示の話にも繋がるかもしれないんですけど、音楽とか視覚表現に興味を持った原体験のようなものはなにかあるんでしょうか?
たまに高知に帰ることがあるんですけど、今になってたまに思い返すことがあって。高知はほんとに田舎なので、遠くを見るしかないんです。近くに何もないんですよ。田んぼとかトラックとかそういうものしかないから。海が近いとか。田舎だと遠くを見るしかなくて、それは言い換えると想像するしかなかったんじゃないかと。イメージするしかない。さっきのハウスの話につなげると、ハウスは構造的に言うと、ブラックミュージックのR&BとかディスコとかBPM100ぐらいのものを、BPMをあげてラテンのリズムをサンプリングして作っていたと思うんですけど、それってつまりエキゾチカですよね。異国情緒主義というか。異国への憧れみたいなものを夢想して、音楽に取り入れている。今の現実にはなにもないから、遠くを見ないとならない。そういうことなのかなと。

小松千倫
http://kazumichi-komastu.tumblr.com
https://soundcloud.com/madegg

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ロシア新世代アンダーグラウンドの注目株Buttechnoが来日中

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Aphexの新しいEPのタイトルもキリル文字でびっくりしましたが、ちょっと前からロシアが熱いと各所で噂になっているようですね。そんななかロシア新世代のアンダーグラウンド音楽シーンの注目株、Buttechnoが来日しています。ショーにも音楽を提供していましたが、モスクワではファッション・デザイナー、Gosha Rubchinskiyの相棒として有名とのこと。彼の作り出すサウンドは、荒廃したデストピアを彷徨っているかのようなモノクロの世界。粒子感を感じさせるストイックな音楽性は、なんというかじわじわくる感じです。彼が主催するレーベル〈Johns Kingdom〉は「あまりよく知られていないアーティスト」をリリースしているそうですが、音楽への創造性を高めるために匿名性を重視しているようです。

彼についてもっと知りたいという方はDirty Dirtさん、V8さんのブログをチェックしてみてください。

Dirty Dirtさんのロシアについてのブログ
http://dirtydirt2.blogspot.jp/2016/05/blog-post_72.html

V8さんのブログ
http://8vo8ov8.blogspot.jp/2016/05/64-kamixlo-625-buttechno.html

Buttechno
https://soundcloud.com/buttechno

ヒロポンfever – Buttechno at Bar Bonobo
6/24 (Fri) Bar Bonobo
Buttechno (live), michihiko ishidomaru, Megazord, BRF, Sly Angle, Lounge: Water Works (Mr. Tikini, Koko Miyagi, Konida), Cabinet

Gymnasium Feat. Buttechno
6/25(Sat) New Osaka Hotel
Buttechno (Johns Kingdom, from Moscow)(Live, DJ), YPY(Birdfriend, Em Records)(Live), KURUSU(Future Terror, from Chiba)(DJ), TUSUKE(Gymnasium)

Amira Zhogadu: dichotomy

南アフリカのアーティストAmira Zhogadu。
彼女が解体する、理想化された広告イメージとフェミニズムの類型。

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南アフリカのアーティストAmira Zhogaduより、デジタルペインティングとコラージュが融合されたアートワークが届きました。どういったバックグラウンドを持っている方か分からないのですが、アートは独学で学んだそうです。この作品の元になったのは、女性をターゲットとした雑誌に掲載されている化粧品などの広告イメージ。彼女はフォトショップを用いてそれを解体し、異なる文脈に転換することを試みている、とのことです。

異なる意味合いや目的を作り出すために、どのようにこのヴィジュアル言語が解剖され、再ファッション化するのか。それだけでなく購入することである理想的な美しさへと女性を誘う、広告によるヴィジュアル言語をわたしは探求しようとしています。

広告は過去の数10年で奇妙な転換に見舞われました。多くの広告にはほとんど、内面化された異性愛規範性以降の家父長制的視線があります。そこでは一般的に受け入れられた理想の美しさと、女性らしさが、熱望されるなにかに、そして言うなれば「フェミニズム」の類型になってしまいます。私はこの記号現象とイメージに駆動される事実に興味をそそられました。

Twitterが奏でる音楽

MASSAGE /

広大なネットの海のささやき声? ツイッターのビッグデータからトピックが成長していく様子をヴィジュアライズした作品を作っているMITの研究者が、そのヴィジュアルを音楽に変換した作品です。こういうビッグデータを視覚化した作品はよく見かけますが、「形」から音を生み出しているというのがとても面白いと思います。いろいろなことに応用できそうですね。Ableton Liveで、データをMIDI音符に変換、トピックに参加しているユーザの進化ネットワークの形を固有の振動数で表している、とのことです。

ヴィジュアルの作り方も解説されているようなのですがどんなことをやっているか全然わかりません。
Information Diffusion on Twitter

グラフによって音楽を生成するこのサイトからインスピレーションを受けて制作されたようです。

The Music of Graphs
https://www.jasondavies.com/graph-music/

インターネットに睡眠を。IDPWが提供する「The Internet Bedroom」の第二回目が開催中

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アイパスことIDPWが提供するインターネット上で寝ている人を眺めるというイベント、「The Internet Bedroom」の第二回目がいままさに開催されているようです。ベッドルームならぬチャットルームでいっしょに寝て、インターネットのコミュニケーションの形を更新するイベントに参加しましょう。ヌケメ氏がはじめてつくったというウェブサイトも素敵ですね。

Date: 23th – 24th June, 2016 (24 hours)
IDT 10am-10am / GMT 7am-7am / EDT 3am-3am / JST 4pm-4pm

http://idpw.org/bedroom/000002/

スクリーンショット 2016-06-23 17.50.59

参加方法

・睡眠の準備、パジャマを着て、リラックス。
・寝室にラップトップやスマートフォンを持参し、Googleハングアウトの「インターネットベッドルーム」にログインする。
・カメラを設定します。可能な場合は画面が表示されるように薄暗い光を灯す。
・夢の中でハングアウトしましょう
・好きな時に参加し、ログアウトします。
・あなたが起きたら、ログアウトします。
・インターネットベッドルームは記録され、フェスティバル会場に生放送されていることにご注意を。

How to join?

・Prepare for sleeping, wear pajamas and relax.
・Bring your laptop or smartphone to your bedroom and login to “The Internet Bedroom” on the Google Hangouts.
・Set the camera towards you. Please put on a dim light to be visible if possible.
・Let’s hangout in your dream…
・Join/logout the room any time you want.
・Logout when you become active and aware.
・Please note that the Internet Bedroom will be recorded and live broadcasted at the festival venue.

パープルームグループ展「パープルタウンにおいでよ」

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美術家の梅津庸一が主催するパープルームによるグループ展「パープルタウンにおいでよ」が、来る7月10日より開催されます。パープルームとは美術を追求する私塾でありながら、切磋琢磨する共同生活の中から新しい美術を巻き起こそうとする運動体です。メンバーとゲストかならなる展示は去年開催された「パープルーム大学」がとても印象的でしたが、今回の開催場所は、いよいよ彼らが生活を共にする本拠地「パープルーム予備校」とその関連施設に場を移して開催されるそう。「パープルタウンにおいでよ」は、その「パープルーム予備校」が常に生活空間でありながら芸術空間でもあるということを直接見せる、そんな展示になるとのこと。高密度な空間でどのような展示が展開されるか、とても楽しみですね。

ちなみに、パープルームのインタビュー記事は本サイトで掲載予定です。

パープル13

出展作家 有馬かおる/大島智子/KOURYOU/坂本夏子/鋤柄ふくみ/im9/マグ/タカハシ’タカカーン’セイジ/原田裕規/だつお/リスカちゃん/福士千裕/マジカル商店/平山昌尚/百頭たけし/伊藤存
パープルーム予備校 安藤裕美/アラン/あま/智輝/梅津庸一

会期:2016年7月10日(日)~7月19日(火)  
開場時刻:12時~20時
会期中無休
会場:パープルーム予備校/パープルーム見晴らし小屋/ゼリー状のパープルーム容器
〒252-0216
神奈川県相模原市中央区清新3丁目13-19 インベストメント清新 303号室
ゼリー状のパープルーム容器
JR相模原から徒歩10分

※ゼリー状のパープルーム容器でパープルーム予備校、及びパープルーム見晴らし小屋へ行くための地図が配布されます。地図は表面が平山昌尚、裏面はパープルーム予備校による作図となっているそう。

作品は展覧会を成立させるためのパーツではない。風景画として「パープルタウン」はここにある。

この風景画を描いたのは誰か?それは他でもない「パープルーム」だ。
私たちが日々を暮らし「もの」、「こと」をつくることを冷静に眼差してくるヒトではない研ぎ澄まされた視線。

パープルタウンにおいでよ!(梅津庸一)

http://www.parplume.jp/tennji/tokusetu201606.html

諸芸術のタテモノたちが佇む聖なる廃墟-KOURYOU

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パープルタウン2

パープルタウン5

UltrademonからLilyへ。Seapunkを封印し、来日する“彼女”が見せる次なる可能性とは

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Rephlexから発売されたファーストアルバム「Seapunk」以来、あまり追っていなかったのですが、UltrademonがいつのまにかLilyになっていたようです。一時期エメラルドグリーンのヘアスタイルで世間を席巻した、オンライン発祥の音楽ジャンルSeapunkも封印したようです。さらに性転換までしたというからいろいろ変わりすぎていて驚きました。MASSAGE 9号でtomadさんにインタビューをお願いして以来もう2年経ちますが、そのモノづくりからライフスタイルまで含めて聡明で自分を持った人という印象を受けました。若くして注目される人というのはだいたいそうですが…。

7月7日に発売されるニューアルバム「Psychic Jealousy」は、Juke/FootworkやGorgeを独自のスタイルへと昇華させたものになるそうです。7月にはアルバム発売に合わせて来日するというので、“彼女”が作り出すあたらしいLilyの世界を体験してみてはいかがでしょうか。

SOMETHINN VOL.16 MEETS ANYBODY UNIVERSE LILY~ EX ULTRADEMON JAPAN TOUR
7/10(日)@CIRCUSTOKYO
http://circus-tokyo.jp/events/lily-japan-tour/
7/18(月/祝日)@CIRCUSOSAKA
http://circus-osaka.com/events/lily-ex-ultrademon-japan-tour-osaka/

https://deepspaceobjects.bandcamp.com/album/psychic-jealousy

水野勝仁 連載第3回 モノとディスプレイとの重なり

Houxo Que《16,777,216 view》、Evan Rothの《Dances For Mobile Phones》
光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス

Masanori Mizuno /
Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title Image: Akihiko Taniguchi

前回の渡邉朋也の《画面のプロパティ》に対する考察で、ディスプレイがヒトに対して光をモノのように扱う認識のバグを引き起こしつつあると書いた。今回はその認識のバグの原因を探るために、データと連動しないディスプレイのガラス面に焦点をあてていきたい。ディスプレイの光に対して意識的な画家、Houxo Queの《16,777,216 view》 シリーズを考察したい。Queの作品は1/60秒という高速で色面を切り替えつづけるディスプレイに塗られた蛍光塗料が、支持体であるディスプレイから半ば浮いているような不思議な存在感を示している。本来はディスプレイのガラス面と塗料とは密着しているものであり、実際にそれらは確かに定着しているにもかかわらず、《16,777,216 view》はディスプレイの光と蛍光塗料というモノのあいだにあるはずのガラス面に覆い被さるようなあらたな平面の現れを示すのである。次に、スマートフォンとダンスを踊り続けるヒトの様子を記録したEvan Rothの《Dances For Mobile Phones》シリーズの考察を行いたい。Rothの作品からは、不可視な光を捉えるバイノーラルカメラによって光を遮られたディスプレイに残されていく指紋の意味を考えていく。この指紋の層はヒトの身体がガラスと接触した痕跡であり、ヒトがそれ以上先に行けないことを示している。同時に、指とガラスの接触から生じたデータだけはディスプレイの向こう側に行っており、指紋の痕跡はヒトとコンピュータとの対話の記録になっている。超自然現象を捉えるパラノーマルカメラを用いた《Dances For Mobile Phones》は、ガラスを挟んで光、モノ、データがつくりだすパラドキシカルな関係を示しているのである。

データに基づき作用する未だ名づけ得ない平面

Houxo Queの《16,777,216 view》シリーズの作品は、16,777,216通りの光の色面が1/60秒で切り替わっていくディスプレイの上に、ブラックライトで発光する蛍光塗料が塗られたものである。《16,777,216 view》では、メディウムとして選択されたディスプレイが60fpsで切り替えていく光の色面に導かれて、蛍光塗料は動き出しそうだが、動かない。蛍光塗料は動きはしないけれど、ディスプレイの光によって見え方を瞬時に変えつづけている。1/60秒という間隔で切り替わりつづける色面とブラックライトを受けて光ってはいるけれど凝固した蛍光塗料との対比から、光る色面に塗料というモノが浮いているような感覚が生まれる。また、ヒトの眼では捉えられない紫外線を受けた蛍光塗料自体が発光していることも、塗料とディスプレイとを分離させて、そこに浮遊感を醸し出す一因となっている。しかし、それはあくまでも作品を見ているヒトの認識上のことであって、実際には、蛍光塗料はディスプレイのガラス面に定着している。

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蛍光塗料がディスプレイに「定着」しているのか、それともディスプレイから「浮遊」しているのかは、《16,777,216 view》をどのように見るかによってちがう。60fpsで色面を切り替え続けるディスプレイと蛍光塗料とのあいだには光とモノとの断絶のようなものがあり、浮遊しているように見える。対して、作品のディテールを切り取った静止画は、ディスプレイに蛍光塗料がしっかりと定着している状態を映し出している。塗料はディスプレイに確かに定着しているのだけれど、光を明滅させ色面を切り替え続けるディスプレイがその物理的事実を認めないかのようである。

「1600万色が60フレームで、ランダムの演算で常に明滅し続けているんです。ペインティングは明滅させた状態で行っています」と、Queは作品制作の様子を説明し、次のように続ける。

常に変化し続けているディスプレイの画面上では置いた塗料を含め、すべてが瞬間的に変わり続けているためにコントロールをすることができない。自意識を定着させることが困難になっているというか。その自意識の反映の困難さみたいなものは、日常生活のなかでディスプレイに向き合っているときの人間の振る舞いと同じなのかもしれないと考えています。1

ディスプレイの明滅による色面の変化は、Queの自意識が定着するのを拒むのと同じように、ガラスの上に置かれた塗料が凝固して、モノとしてそこに定着することを拒絶しようとしている。それでも塗料は凝固し、モノとして存在するようになり、透過光を遮るようになる。60fpsでの明滅のなかで、Queが画家としての自意識をディスプレイに定着させることが難しいとしても、ペインティング行為の結果としてディスプレイに塗られた蛍光塗料はモノとしてディスプレイのガラスに定着していく。

この光る板は、私たちに超越的な体験を与えてしまうので、どれほどディスプレイのなかに強く自己を投影しても、現状それは身体には反映されない。むしろより一層その存在を明らかにされてしまう。どれだけ深く没入しても私たちが実際に触れることができるのは、ディスプレイの表面でしかないんです。同時に、触れるというゼロ距離での行為は絵画に繋がってくるんです。つまり、絵の具を持って画面に触れなければ、絵の具が定着しないじゃないですか。実際画家がおこなう作業は、画面に絵の具を触れさせ続けるという接触する行為なんです。2

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16,777,216 Red-Green-Blue view_mov

a study work of 16,777,216 view #1_mov

Queが蛍光塗料をディスプレイにいくら定着させたとしても、この光る板はモノが表面に留まることを許さない。画家としてQueがいくらディスプレイの表面に接触し、絵具をこすりつけたとしても、放射され続ける光はディスプレイのガラスと蛍光塗料というモノ同士の接触を剥がそうとする。その結果、切り替わり続ける光る色面とともに表示され続けるディスプレイと密着した塗料は、ガラスの板に密着しているというよりも、その存在はどこか宙に浮いたような状態になる。なぜなら、蛍光塗料がペイントされているディスプレイのガラス面が、明滅する光とモノとのあいだで鑑賞者の意識から消失してしまうからである。ディスプレイのガラスは光を透過させつつ、塗料をその表面に定着させていたけれど、高速の光の色面の明滅のなかにその存在が呑みこまれていく。光のなかにガラスが消失してしまうがゆえに、塗料が光の色面のなかに浮遊しているような不思議な感覚を受けるのである。しかし、一般的にいえば、ディスプレイは常に高速の光の明滅に晒されているものであり、そのガラス面は消失している。さらに、アンチグレアフィルムなどでガラスの反射を極力なくし、ガラスがそこにない状態を理想とするのがディスプレイの本来のかたちである。しかし、《16,777,216 view》は普段から消えていて意識されることもないガラスが、あるべき場所から消失している感覚を見る者に強く抱かせる。このガラス面が消失しているという感覚は画家としてQueがディスプレイに塗った蛍光塗料によって引き起こされる。ディスプレイに塗られた蛍光塗料と明滅する光とが付かず離れずの状態にあるからこそ、そのあいだにあるガラス面が意識されるのである。

ガラス面がヒトの意識から消えると指摘したけれど、それはあくまでもヒトの認識上のことであり、比喩的なものである。だから、作品のディテール画像を見ると、蛍光塗料はディスプレイのガラスに密着している。モノとしてディスプレイに定着した塗料が、ハードウェアとソフトウェアの合いの子であるピクセルを堰き止めるようにガラス面に覆いかぶさっている。そして、光が塗料を透過する部分もあれば、塗料が光を遮断している部分もつくっている。けれど、ここで注目したいのは、ガラスと塗料とのきわが光を滲ませたようになっていることである。様々な色が混ざり合った蛍光塗料の塊の縁がディスプレイから放射される光と干渉して、滲みのような光配列をつくりだしている。この光とモノとのきわにできる滲みのような光配列もまた、蛍光塗料とガラス面の密着を曖昧にし、光る平面に塗料が浮いているような感覚をつくりだすのに一役買っているのである。

色面の高速の切り替えがディスプレイの最前面に位置するガラスという存在を消失させる。同時に、蛍光塗料と光がモノを透過して相互に干渉したきわにできる滲みの光配列が、ディスプレイの最前面にガラス面とは異なるもうもうひとつの平面をつくりだす。 Queの《16,777,216 view》において、ガラス面は消えるのではなく、モノとして確かにそこにあることが強調されつつ、その上に光とモノとの合いの子のようなもうひとつの平面が生じるのである。それはPhotoshopが一般化した「レイヤー」という概念に近いものかもしれない。けれど、それはもちろん無色透明のデータ上のみに存在するレイヤーではない。それは光でもモノでもない。それは光源を見続けることになったヒトに起こる認識のバグであり、データに基づき作用する未だ名づけ得ない平面なのである。

ヒトの痕跡がつくるもうひとつの平面

《Dances For Mobile Phones》シリーズの作品は、フルスペクトル赤外線/紫外線を撮影できるパラノーマルカメラを用いて、Evan Rothがスマートフォンを操作するヒトの指の動きを記録したものである。パラノーマルカメラで撮影されたスマートフォンのディスプレイには何も映っていない。真っ黒なディスプレイに対して、ヒトの指がせわしなく動いている。一見、何をしているのだろうかと思ってしまう。しかし、その指の動きは、タップやスワイプなどスマートフォン以後、多くヒトが行っている行為そのものである。

ヒトが何も映っていないディスプレイとともに指を動かし続けている。Rothはこの行為を「ダンス」と名付けた。スマートフォンとともにダンスを踊りつづけるヒトには、アプリのアイコンやソフトウエアキーボードが見えているはずである。しかし、パラノーマルカメラがそれらを記録することはない。パラノーマルカメラはヒトの眼がとらえることがない範囲の光を記録する。それゆえに、iPhoneの上部で光が明滅するのが見える。それは近接センサーの役割を果たす赤外線である。パラノーマルカメラのもとでは、ヒトの眼では捉えることができない光が常に明滅し、ヒトが常に見ているディスプレイは真っ黒になる。

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光はディスプレイガラスを透過しているのだが、パラノーマルカメラには映らない。普段は光で溢れるディスプレイに何も映っていない。けれど、ヒトは指を動かし続ける。データを具現化した光の明滅はパラノーマルカメラに映っていないだけで、実際にはそこに表示されている。だから、ヒトは指を動かし続ける。超自然的現象がここで起こっているわけではない。行われているのは極々日常的な行為である。しかし、光の捉え方を変えるだけで、日常の行為を超自然的に捉えることができることを、Rothの作品は示している。ヒトはスマートフォンとダンスを踊り続けている。それはヒト主導ダンスかもしれないけれど、赤外線の明滅を見ていると、ヒトが踊らされているとも思えてしまう。何も映っていないかのように見えるディスプレイが放射する光にこそ、ヒトは踊らされているのであろう。《Dances For Mobile Phones》を展示したギャラリー、Carroll/Fletcherの作品説明には「不自然な動作と普段は不可視な光を一緒に見せることで、この作品は私たちのジェスチャーを制御しているのは誰もしくは何なのかという問題を提起している」と書かれている3。普段見えているものが見えなくなり、見えないものが見える。この反転からわかるのは、スマートフォンが赤外線というヒトの眼では捉えることができない光とディスプレイが放つ可視光という2つの光の明滅とともに、ヒトはスマートフォンとダンスを踊り続けているということである。

ヒトは可視光とともに不可視な光に晒されている。Queは明滅の速度から不可視な状態をつくり、そこに定着することがない意識を導いたけれど、Rothは日常的な行為を超自然的な観点から捉えることで、光の明滅から剥離して浮遊した行為を導き出している。指の動きに追随するディスプレイの可視光が見えなくなると、スマートフォンとともにあるヒトの意識が浮遊したかのように、指が夢遊病者のように見えてくる。タッチスクリーンに触れるといっても、記録された指の動きを捉えた映像を見ると、ヒトはガラスに触れているだけであることがよくわかる。パラノーマルカメラで撮影されたディスプレイは何も表示することなく、真っ黒な面を見せるだけであるから、指の動きが殊更良くわかるようになっている。さらに、ディスプレイのカバーガラスが割れたiPhoneのダンスでは、無意識的にガラスのヒビの部分は避けられていることがわかる。パラノーマルカメラはディスプレイの光を記録することはないけれど、ガラスのヒビというモノの状態は記録する。割れたガラスによって、指が刻むステップが変わる。光の明滅の状態だけではなく、その前面に置かれたガラスというモノの状態もまた、ヒトの行為に影響しているのである。

スマートフォンを操作する指は、ディスプレイの最前面にあるガラスへの接触を繰り返し、時に指紋を付けていく。Queが画家としてディスプレイに接触したように、ヒトはスマートフォンを操作するために、デバイスの最前面に位置するガラスに接触し続ける。同時に、ガラスに触れた痕跡としての指紋を残していく。普段は、ディスプレイの光が指紋などヒトの痕跡をガラスの存在ごと見えなくしている。けれど、パラノーマルカメラはディスプレイからの光を捉えないために、画面は真っ黒になっている。それゆえに、ヒトとディスプレイのガラス面の痕跡として指紋などの痕跡が鮮明に記録される。指紋はヒトがガラスの先には行けないことを示しているかのようである。しかし、光のみがガラスを透過して、ヒトはガラスを通り抜けることはできないのではない。モノとしてのヒトはガラスを通り抜けることができずに指紋という痕跡をそこに残すのみだけれど、データとしてヒトはガラスを通り抜けることができるのである。光の明滅とガラスというモノの重なりを通して、ヒトの指のステップがコンピュータにデータとして伝えられる。このように考えた瞬間に、バイノーラルカメラが捉えた真っ暗なディスプレイに対してせわしなく動きつづけるヒトの指とその痕跡として残りつづける指紋への意識が変化する。指紋というヒトの痕跡がガラス面の上につくるもうひとつの平面は、普段は汚れとして除去されるものでしかない。しかし、それはヒトがディスプレイに行った接触行為の集積であるとともに、接触を介してのデータの入力行為の痕跡でもある。真っ黒なディスプレイの上に浮かび上がる指紋がつくる平面は、ヒトとコンピュータとの対話の記録なのである。

Rothの《Dances For Mobile Phones》が示す真っ黒なディスプレイに浮かび上がる指紋の平面は、特に認識のバグを引き起こすわけではない。しかし、この作品におけるディスプレイ上の指紋はガラスを挟んで光、モノ、データがつくりだす逆説的な関係を示している。それは、光がガラスを透過するようにヒトはガラスの向こうには行くことができないのに対して、ヒトとガラスとの接触から生じたデータはやすやすとガラスを通りすぎていくということである。さらに言えば、この作品は、バイノーラルカメラという脱身体化したヒトのエネルギーを記録するための装置が、ディスプレイのガラス面にヒトとデータとのやり取りを示唆するような霊的な存在を映像におさめるのではなく、指紋という身体の痕跡をくっきりと浮かび上がらせるという奇妙な現象を生みだしているのである。 

光、モノ、データの重なりのズレから生じる平面

私たちは普段、ディスプレイを光、モノ、データを区別することなく単に画像やテキストの表示装置として見ている。ディスプレイは光源であり、それはRGBの光が精密に制御されたものであり、画像やテキストを示すピクセルの集積である。データに基づいたディスプレイの光が、ガラスというモノの存在を見えなくする。そして、ガラス面を透過してくる光は画像やテキストとして認識される。この状態では、光とデータとは連動している。けれど、ガラスというモノは見えないことが理想の状態として扱われる。ガラスが見えない状態にあり、ヒトに意識されないことではじめて、ディスプレイの光、モノ、データがピッタリと重なり合う。そこでは、ガラスというモノは存在しないかのように扱われるがゆえに、光ともデータとも連動することはないのである。

しかし、QueのディスプレイへのペイントとRothのパラノーマルカメラによるディスプレイの撮影は、データと連動することがないガラス面を半ば無理矢理データと連動させるような状態をつくる。普段はデータと連動しないガラス面を強調することで、QueとRothは光とモノとデータとの重なりを一度バラバラに解体して、再度、それらが一塊で展開していくような平面をつくりだす。ディスプレイの構成要素を分解し、再度まとめることで、光、モノ、データの重なりにズレが生じて、そこにこれまで意識しなかったような平面が生まれるのである。普段のディスプレイでは光、モノ、データがぴったりと重なっているため、ヒトに認識のバグを起こすことはない。けれど、その重なりを少しだけズラすと、ヒトの認識を揺さぶるようなあらたな平面ができる。そして、この光とモノとデータとのズレがつくりだすあらたな平面がヒトの感覚や意識を拡張していき、認識のバグをしばしば発生させていくのである。

最後に、Houxo Queがヒトとディスプレイの現状を明快に示した言葉で今回のテキストを終わりにしたい。

単純に僕たちの実生活のなかで、ディスプレイを見過ぎていると気づいたんです。実生活のなかで平面メディアを見る体験として、圧倒的にディスプレイを見る時間の方が長い。僕たちが生きている時代のなかで、自分たちが最も触れていて、かつては存在しなかった形式としてディスプレイがある。そのように浸透しきった新たな技術というのは、私たちの生活にとっての何らかの影響や反映を生んでいるのではないかと考えました。それゆえに日常的に私たちがディスプレイから受け取るもの、また与えているものの存在を考えていくのは重要だと思っています。そこで観察していった時に、結局現れてくるものは光なんですよ。私たちは光を見ている、光源そのものを見てしまっている。それはそもそも私たちの進化の過程であった環境では、想定されていなかったことではないでしょうか。そして、光る板を日常的に見る習慣なんてかつてはなかったですよね。でも今は日常化してしまっている。4

私たちは光源を日常的に見る状況にあるからこそ、改めてディスプレイという「光る板」を考察しなければならない。ヒトはこれまでにない頻度で光源そのものを覗き込んでいる。ディスプレイは最初、テレビという「光る箱」で家庭のなかに入り込み、今では「光る板」として一家に複数あるものになり、さらにスマートフォンという形でひとり1台持つようになっている。光源を持ち歩き、常に見るようになったヒトの認識は変わり始めている。その認識の変化は、最初は「バグ」として扱われる。「光る板」を見続けることによって生じる認識のバグは日常生活においては、たとえそのバグを見たり、触れたりしても、それはなかったものとして処理されていく。しかし、これまで考察してきたようにポストインターネット的な作品は、そのバグ自体を作品に取り込んでいく。なぜなら、「日常的に光源を見つめる」という行為がヒトの進化の過程になかったからこそ、「光る板」をメディウムとして積極的に用いることが、光源に囲まれた状況に適した状態にヒトの認識をアップデートする可能性が大きいからである。「認識のバグ」は単なるバグではなく、光源に囲まれたヒトの認識の変化を端的に示しているかもしれないのであり、バグをリスクとともに組み込んでいくポストインターネットの作品はヒトの認識への挑戦なのである。

次回は、エキソニモの《Body Paint》シリーズを取り上げて、ヒトとディスプレイとの境界を考えつつ、「光る板」が引き起こす「認識のバグ」という現象そのものを掘り下げていきたい。

参考文献
1. 谷口暁彦×Houxo Que「ディスプレイの内/外は接続可能か?」, 美術手帖 2015年6月号, 美術出版社, p.86
2. 「Featured Interviews_Houxo Que」, “QUOTATION” Worldwide Creative Journal no.22, 2015年, p.114
3. Evan Roth: Voices over the Horizon, http://www.carrollfletcher.com/exhibitions/39/overview/ (2016.6.14 アクセス)
4. “QUOTATION”, p.115

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

bandcampがVaporwaveのオリジネーターVektroidことRamona Andra Xavierにインタビューを敢行

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Siddiqをフィーチャーした新しいアルバムの発売が8月1日に控えているVektroidですが、bandcampが彼女にインタビューを敢行したようです。VektroidはMacintosh Plus、New Dreams Ltd、PrismCorp Virtual Enterprises、Laserdisc Visions、dstnt、情報デスクVIRTUALなどといったさまざまな名義を使い分け、Vaporwaveの初期のシーンの盛り上がりを作り出した立役者。レトロスペクティブな世界観に資本主義が作り出した夢の残骸をかき混ぜたようなその音楽性はBGMにも最適でありながら、音楽自体をもどこか笑い飛ばしているかのような皮肉の要素を含んでいました。Vaporwaveはインターネットの集合無意識が産み出したひとつの大きな冗談のようなものであり、それ自体が音楽批評であるというメタ的な構造をもったジャンルだったと思います。それは地域性を超えて、オンラインアンダーグラウンドの運動を次の次元に導きました。ほとんど公の場に出たことのないだけに、彼女のインタビューは貴重なのですが、あまり彼女の発言が引用されていなかったのが残念でした。まあオリジネーターの存在は神秘的なままの方がよいのかもしれませんね。

作品の背後にある思想哲学的なテーマは、他人が入ることのできない私の脳内の個人的な検疫ゾーンのような所から来ているんです。——Ramona Andra Xavier

https://daily.bandcamp.com/2016/06/21/vektroid-interview/

Aphex Twin、17年ぶり新作ビデオの監督は12歳

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〈Warp Records〉から7月8日に発売されるAphex TwinのEP「Cheetah EP」より、17年ぶりとなる“CIRKLON3 [Колхозная mix]”のミュージックビデオが公開されました。監督はダブリン在住のワイヤーくん。なんと12歳だそうで。Aphex Twinの楽曲を使ってyoutubeに映像をアップしていたのが彼の目にとまったことが起用のきっかけだったみたいです。

先日から噂になっていましたが、先ほどこのビデオが渋谷の街頭ビジョンで流れたようですね。

Aphex Twinといえばその破天荒な人物像と音楽性で、その後の音楽シーンに多大な影響を与えたアーティストですが、前作「Syro」までの長いブランクもあってその存在感はやはり薄れたかなという気もします。なんといっても彼の前衛的な音楽性を受け継ぐアーティストが、今では数え切れないほど存在しているわけですしね。とはいえ当時の感じのまま人を食った無邪気さというか、そういう姿勢を保ち続けているのはやっぱりすごい。ビデオを見る限り新作はとても期待できそう。発売が楽しみです。

http://www.cheetah-ep.com

オンラインZine「One Hundred Percent」創刊

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オンラインの生活が人々のあいだに浸透して、ネットですごす時間は平均1日の2割ぐらい?だとしたら、フィジカルの世界がもう8割(適当)ぐらいになっているということです。そんな今から想像すると、比率が逆転するのもそんな先の未来ではないでしょう(もう逆転している人もいるかもしれませんね)。いま再び世界中の人々がオンラインでいろいろな実験をし始めたのも、そうした予感があってのことに違いありません。けれどもなかなか日本発信のものが少ないなあと、常々思っていました。そんななかこんなサイトが立ち上がったので紹介したいと思います。

オンラインZine「One Hundred Percent」のコンセプトは、「自身を形作る経験や感情といったパーソナルな部分と、日々Tumblrやinstagram、Pinterestなどに流れる新しい表現が合流する場所」だそう。コードで作られたものから、平面、音楽作品までいろいろなジャンルの作品が集められています。ISSUE 001ということなのでこれから定期的に更新されていくのでしょうね。是非覗いてみてください。

http://onehundredpercent.jp/issue001/

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オンラインメディア「O FLUXO」がYoshitaka HikawaとJónó Mí Lóによるヴィジュアル/サウンド作品を公開

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Yoshitaka HikawaJónó Mí Lóによるヴィジュアル/サウンド作品がオンラインメディア「O FLUXO」上に公開されています。Dalena TranによるヴィジュアルはVRがテーマになっているのでしょうか、球体の中や外へマウスで移動しながら、せせらぎのように流れるノイジーなデジタルイメージを眺める体験になっていて、音の世界観へと没入を誘います。サウンドはドローン/ノイズのような感触を持った実験コラージュミュージック。まるでいろいろな音の世界を旅しているような、非常に大きなスケールを感じさせる仕上がりになっています。

Dalena TranはO FLUXOのリンクからサイトへ行ってもThree.jsっぽい作品がひとつあるだけで情報が何もないのですが、どうやらユタ州在住のCGをメインにしたムービーを作っているアーティストのようです。
https://vimeo.com/dalenatran

http://www.ofluxo.net/fluxograma34-genesis-revelations-by-yoshitaka-hikawa-jono-mi-lo-art-by-dalena-tran/

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Workstaion.にてトラックメイカーのMadeggとして知られる小松千倫の個展「fakebook」が開催中。テーマは“ハウスミュージック”!?

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ギャラリー/コレクティブの高円寺Workstaion.にて、京都在住の若き鬼才、トラックメイカーのMadeggとして知られる小松千倫による展示が行われています。小松千倫は音楽制作・発表のかたわら、デザインやインスタレーションなどの展示なども手がけてきました。マルチな才能を持つ彼の、これが東京で見られる初の個展となります。テーマは“ハウスミュージック”だそう。是非この機会に訪ねてみてはどうでしょうか。

展示の内容について、インタビューを本サイトで掲載予定です。

7月3日まで。金土日のみオープン。
http://work-station.tumblr.com

Workstaion.のインタビューはこちら

Exibition Space: Workstation.

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いよいよ本家が登場!? RIP SIMPSON WAVE ft Vektroid & Lucien Hughes

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各メディアも追従し始めたSIMPSONWAVEですがついに本家Vektroidが参戦したようで、いよいよ最終局面を迎えたようです。RIPということで、これが一つの区切りとなるということでしょうか。Lucien Hughesというのは、SIMPSONWAVEの発案者で、どうやらイギリスの大学生みたいです。

“四角い”レコードをリリースするレーベル〈squareglass〉

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とても美しい四角形のレコード。レコードといえば円形。あまりに普遍的なその事実があるので、全く想像していなかった四角という発想にハッとさせられました。ただのレコードも、こうしてみるとオブジェのような美しさを持つものに感じますね。コレクション心をくすぐるプロダクトです。 そんな特徴的なレコードをリリースしているのは、ロンドンのサウスイーストのレーベル〈squareglass〉。この4色の四角いレコードは、去年の11月のレーベル1周年を記念して発売されたもののようです。しかしこのレーベルに関してはあまり情報がないのですよね。活動歴があまりないからかもしれません。

http://www.squareglass.co.uk/

インテリアとしてもよさそうなそのプロダクツにどうしても注目がいってしまいますが、その内容も見た目を裏切りません。洗練されたサウンドです。あまり知っているアーティストはいないのですが、全体的に実験的でヘンテコなハウスミュージックを作っている人たちを集めたという印象です。

一番最新は、6月15日にリリースされたこちら。Crypt Thingというアーティストのデビュー7インチです。

Crypt Thing “Shodan”

1周年記念のミックスを聴くとレーベルの雰囲気を感じられると思います。

Ballerino Squareglass 1st Anniversary Mix

Unknown

アムステルダムのSTEDELIJKでエキシビションを行っているJon Rafmanがインスタグラムをアップ中。チェックしてみよう!

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Jon RafmanのエキシビションがアムステルダムのSTEDELIJKで行われているようなのですが、彼がSTEDELIJKのインスタグラムにお気に入りのSF、ファンタジーアーティストをアップしているようです。展示は見ていないので確認できないのですが、写真を見る限りこれらの画像からインスパイアされた作品も制作されているもよう。

STEDELIJKのインスタグラムはこちら
https://www.instagram.com/stedelijkmuseum/

1-Munster, 2016

2- Munster

Jon Rafmanといえば、その特徴のひとつがオンラインのサブカルチャーとフェテッシュコミュニティとの関係です。ゲームの画面だけを使って作品を作ったり、4chanなどで集めてきた画像を使って製作された映像もあります。こうした作品の方向性は彼がゲーマーであったという過去と、映画監督を目指していたことと無関係ではないと思います。実際彼は、新しい映画を作り出すためにそうした手法を採用していると語っています。既存の素材を使って作品を作り出すという彼の制作手法はとても挑発的で、これまでにないものでした。その作品はアート界に衝撃を与えました。

こちらは当時、衝撃を受けた4chanを素材とした映像。埋め込めなかったので、リンクを貼っておきます。
http://jonrafman.com/betamale/

また彼の作品でなんといっても有名なのが、グーグルストリートビューの画像を写真作品として提示した「9-Eye」でしょう。この作品の方法論も、制作者が制作の現場に存在しないまま作品を提示するという、彼の作品に共通するコンセプトが含まれています。
http://9-eyes.com

ほかの作品も一つ一つ解説したいぐらい良いのですが、それはまたの機会に。一度逃げられているのですが、いつかしっかりしたインタビューを取ってみたいアーティストです。

オランダ在住の方は是非見に行ってみてください!