Exibition Space: Workstation.

作家集団でありギャラリーの名でもあるWorkstation.。
6名の同時代感覚で展開する“アートという場”

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Sosuke Masukawa

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高円寺の商店街を脇道に入り5~6分の距離にWorkstation.はある。Workstation.はギャラリーの名前であり、6名の作家から成るアーティスト集団の名前だ。毎月、メンバーによる展示が行われ、個々のアート作品が発表される。貸しギャラリーとは違い、メンバーがギャラリーという場を持ち自分たちで運営している。しかも自然発生的にメンバーはつながりコミュニティーが生まれ、互いの作風が共鳴している。そんなスタイル、なかなか無いと思う。各々の作品発表と、メンバー全員が参加するギャラリーの運営。このWorkstation.としての活動は、どのようなきっかけで始まったのだろうか。

「もともとは清水と二人で、アートブックのレーベルとして立ち上げたのが初めで。ZINEをDIYで作るという活動からスタートしたんです。アートブックレーベルとしては一昨年まで活動していて、そのレーベル名がWorkstation.。その後、互いの作品などを通じてメンバーと知りあっていき作家同士のコミュニティー、ギャラリーの名前としてWorkstation.を運営していくことになったんです。コンセプトは、しいて言えば作品づくりを『ちゃんとやる』ってことかな(矢満田)」

「この場所で作品の展示を行うというアイデアは矢満田くんから。矢満田くんがフキンさんにこの場所を引き渡すから何かやる?と誘ってもらって。そのちょっと前に僕が矢満田くんと知り合って、大学は違うけど予備校のつながりだったり、友達の友達という感じで集まってきて今の6人の体制になったんです。この場所はもともとASOKOというフリースペースだったんだけど、僕たちがやるならギャラリーがいいんじゃないかと(丸目)」

安部悠介 左「GOOD LUCK」右「I am fish」
日高理樹 
高見澤優海 左「more useless hours than can ever be repaid」右「Untitled」
鈴木夏海 左「Hard work out」右「Work it」
丸目龍介 左上「Do THE RiGHT Thing」左下「Ocean Spray Alliance」右上「Kiss of life」右下「Viaggio di nozze」

2名のアートブックレーベルから始まり6名で構成されるアーティストのコミュニティーへと成長、そしてフリースペースから彼ら自身のギャラリーへと展開したWorkstation.。そのメンバーは次のとおりだ。矢満田一輝(東京芸術大学院在籍中)、丸目龍介(東京芸術大学院在籍中)、鈴木夏海(東京芸術大学院修了)、安部悠介(多摩美術大学在籍中)、高見澤優海(多摩美術大学卒業)、清水将吾(多摩美術大学卒業)。メンバーの専攻は多岐におよび、個々の作風や作品に込められた価値や意図、さらにメンバー自身のキャラクターもバラバラだ。でも、Workstation.のグループ展で全員の作品を観てみると、そこには通底している部分があるように感じる。6名の作品は別々に成立しながらも、時代性とかカルチャーとかを共有しているように思える。

「僕は多摩美に通っていたんですが、4年前に北海道から東京に来て、大学では意気投合できる友達を見つけようと意気込んでいました。でも、1年半くらい友達ができなくて……。そんな時期に高見澤くんと作品を通して打ち解け合え、その流れで丸目さんや鈴木さんとも知り合えて。メンバーは個々の作品を本当に好きだと思っているんですよ。だから、作品だけでなく人間性にも共感できる(清水)」

Workstation.になる前のASOKOはDJやミュージシャン、アーティストなど種々雑多なジャンルの人々が不定期に集まり、ライブやトークショーをUstreamで配信したり、アルコール片手になんとなく集結しだべり合ったりというユルくて何でもありな場であった。いわゆるオルタナティブスペースみたいな感じ。しかし、Workstation.になってからは、メンバーの作品発表の場として役割や目的が明確になっている。端的にいえば、いたって真面目でストイック。そこには、どんな作品制作の意図やギャラリー運営の狙いがあるのか。

「うーん、アートのみにとらわれるのではなくて、僕が好きなストリートカルチャーの文脈もベースになっているし、自分たちにとって新しい表現や作品の価値を創り出せたらいいかなと。自分の思う芸術っていうのはこれまで習ってきたアートへの対抗というような意識は無くて、ただ今までにはない価値を提示する作品をつくりたいと思っているだけかな(丸目)」

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丸目をはじめWorkstation.のメンバーは美術大学および大学院に在籍・卒業している。美術の教育をみっちり受けてきた彼らだが、これまで勉強してきたアートの変遷の歴史や文脈にぎっちり縛られることはない。実際、メンバーそれぞれが影響を受けてきたカルチャーをベースに、自分たちにとってカッコイイ・新しい価値を追求して作品づくりを続けている。高見澤はキャンバスにチャンピオンの靴下を幾つも貼り付けてみたり、清水は商品を取り出した後のパッケージのようなものを加工し作品にしてみたり、これはなんだ?という表現を行っている。

例えば、矢満田は大学の卒業制作としてOneohtrix Point Neverというアーティストのライブステージを作り上げた。丸目はTシャツの型に切った厚紙に抽象や具象のペインティングを描く。街中に散在するグラフィティを意識したような作品もある。安部は子供の頃に親しんだゲームのキャラクターを模してユーモラスかつ迫力ある筆致で絵画を制作している。本人が好きだった人や物をモチーフにまっすぐ作品づくりを行っている。単に流行りをなぞるのではなく、ストリートに溢れるアイテムやカルチャーをメンバーそれぞれが作品世界に表現している。

ws_yamanta 矢満田一輝 左 「kazuki#02」 右 「kazuki#01」 ws_shimizu 清水将吾 上「Blu-ray package and reversible camo」下「Standee #0」

「僕はここに展示されている作品のような感じでしか絵画を描けないんですよ。自分が形づくられてきたもの、例えばゲームのキャラクターだったりで自分の絵を成立できればいいなと今は思っていて。それで最終的には崇高なというか抽象的な絵画と同じレベルで自分の作品が語られるようになればいいかなと(安部)」

「個々が好きな物やカルチャーが作品にどれだけ表出されているかは、メンバーによって様々かな。でも、Workstation.に共通して言えるのは、カルチャーがベースになって作品が作られているということだと思う。共通して好きなカルチャーもあるし、共感し合える部分があるんですよ(高見澤)」

今回のグループ展では全員の作品が一挙に展示された。そこで見えた通底した感覚には、過去・現在に影響を受けた事柄が個々の作品に表れているように思えた。今後、Workstation.は現在の6名体制からさらにメンバーが増えていくのだろうか。そして、集団でギャラリーをオーガナイズしていくなかでどんな展開をしていくのだろうか。

「作品を見て、あっ!この人ならWorkstation.でやれるという感覚があれば、ギャラリーで展示してもらいたいし、メンバーに加わってもらうことも積極的に考えています。べつにこの6名に限定しているわけではないし。まだまだ美術のフィールドでの認知はないけど、展示を継続し個々が成長していきながら制作活動とギャラリー運営を続けていきたいと思っています(丸目)」

Workstation.
東京都杉並区高円寺北3-31-19
exhibition#07 “愛に正直なメロン” 鈴木夏海 開催中
2016/5/27-2016/6/1 14:00-21:00
http://work-station.tumblr.com

Tristan Perich 「Noise Patterns」リッピングできない音楽

MASSAGE /

「1-Bit Music」で世界で初めてサーキッドベンディングで作られたアルバムを発表したTristan Perichが、新作を7月22日にリリースするみたいです。
前作は透明のCDケースに入っていましたが、今作は黒のボードに回路がビルトインされていてとてもかっこいいです。6トラックあるみたいで、ヘッドフォンジャックを直接挿して聞く形式のよう。

どんな音かなと思って聴いてみたら、曲自体もめちゃくちゃかっこいい。フィジカルリリースが盛り上がっていますが、こういうスペシャルなものは特に欲しくなってしまいますね。

http://www.physicaleditions.com

Tristan Perich - Noise Patterns - 2 - Upright

Nice Shop Su “Very Gois #1”

ナイスショップスーがリリースする、どのカテゴリーにも属さないけれど、
すばらしい表現を集めたコンピレーション。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono

どのカテゴリーにも属さないけれど、すばらしい存在ばかり集めたらどんなことになるだろう。そういった思いつきで立ち上げられたにちがいない、ナイスショップスーはとても個性的なお店。ちょっとした秘密基地のような佇まいの木造アパートで、世界中の面白い音楽やジンなどを集めて販売し、最近ではいろいろなところに出張店舗を出店するなど、精力的に活動している。そんな彼らがこのたび、コンピレーションアルバムをリリースすることになったので紹介したいと思います。

そんなナイスショップスーのインタビューはこちら

ナイスショップスーのふたりは、自分たちが集めてきたさまざまな商品の合間に、自分たち自身のリリース物も販売するというプランを考えていて、このコンピレーションはその第一弾。自分たちの活動を通じて出会った国内外のアーティストがフィーチャーされており、まさにお店が凝縮したような構成になっている。関連イベントとして、河川敷のようなところで開催された「桜ノ宮エクスプロージョン」という野外フェスも無事終了した。

その内容はといえば、小気味よい新しい感覚が詰まっている。方向性は幅広いけれど、音源のひとつひとつに、アーティストの見ている景色が写り込んでいて、とても色彩豊かに仕上がっている。密度の高い表現が一箇所に詰まっているのだから、お得な一枚にちがいない。まだ名付けられていない音楽以前の音楽。聴くという楽しみ方自体をいちから開発したくなってしまうような、そんなコンピレーションだ。

オンライン以降、ほとんど無限に近い作品と出会えるようになったものの、蓋を開けてみたら案外わかりやすい表現に収束して行ってしまっているような気がする昨今、未開拓地に分け入る無謀さが称賛される世の中になったほうがよいと思うし、そんな宝探しのような楽しさがもっと共有されていくと未来は明るいのに、と思います。

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1. -^] – J_JJJJJJJJJJJJ
2. Secret Track
3. jnjnjnwavVRSPIUIMjnjnjnwavVRSP2 – Bug bus piano
4. sufo rabiaka bird with forbnl – துஈசிதிசி திஇல்டூ collabs
5. Acid Brain (Of Beethoven) – 脳BRAIN
6. individually designed tiny fashionable hole – cawa (カワ)
7. Art Teacher Feat. Bob Catt – Quay
8. roses – bottom dog
9. dance revolution – fri珍
10. Life Spread Sheet (Opening) – Leftover Platters
11. Canatoes ft. Burt Bacharach + Anne Laplantine – o . o துஈசிதிசி திஇல்

Price : 10USD / 1200JPN

「Very Gois #1」はナイスショップスーで発売中。また、第2弾のコンピ&リリースパーティを7月上旬に発売/開催する予定。詳細・視聴などはこちら。
http://nnnnnnnnnnnnn.web.fc2.com/verygois/01.html

問い合わせ先(ナイスショップスー)
http://nnnnnnnnnnnnn.web.fc2.com/nn.html
HP: http://nnnnnnnnnnnnn.web.fc2.com
MAIL: enuu@live.jp

水野勝仁 連載第2回 モノとディスプレイとの重なり

渡邉朋也《画面のプロパティ》
「光の明滅」というディスプレイの原型的性質

Masanori Mizuno /
Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title Image: Akihiko Taniguchi

本連載の1回目は 「ディスプレイというメディウム」という節で終わり、「ポストインターネットの作品は既にデータとモノとが入り混じった装置であるディスプレイを媒介」にしていくと書いた。今回は、ポストインターネットにおいてディスプレイをメディウムにしている特性を渡邉朋也の《画面のプロパティ》から探っていく。 この作品はディスプレイという装置が画像を表示するための表示面=スクリーンに敷き詰められたピクセルを拡大して見せるものである。しかし、ピクセルを拡大したのちに私たちが見ることになるのは、明確な矩形としてのピクセルではなく、輪郭が曖昧なRGBの三原色のLEDの明滅でしかない。ディスプレイは輪郭が曖昧な光の明滅をピクセルという単位でソフトウェア的に制御し、画像を表示している。ゆえに《画面のプロパティ》は、ディスプレイの基本的特徴を示す原型的性質がピクセルではなく「光の明滅」にあることを示すのである。そして、データと肉薄するような精密さで制御された光の明滅が、光をモノのように扱わせるようなヒトの認識のバグを引き起こしていく。

ディスプレイのプロパティ

渡邉朋也の《画面のプロパティ》(2014)は、タイトル通り、レティナディスプレイ以後のディスプレイのプロパティを示すものである。渡邉は「スクリーンセーバーが作動するラップトップコンピューターのモニターの中央部1ピクセルを、高精度の光学顕微鏡で拡大し、その運動の様子を大型モニターで表示する動的なグラフィック作品」と説明する1。作品で使われているのは、レティナディスプレイを持つ MacBook Pro である。レティナディスプレイとは、普通に使用しているレベルでは肉眼でピクセルを認識出来ないがゆえに、「レティナ=網膜」という名前を与えられた高精細ディスプレイのことである。レティナディスプレイのピクセルを拡大する《画面のプロパティ》にヒトが見るのは、ピクセルではなく、RGBの光の明滅でしかない。『美術手帖』通巻1000号記念 第15回芸術評論募集で第一席を獲得した論文「画像の問題系 演算性の美学」で、gnckは《画面のプロパティ》を取り上げ、次のように書く。

インターネットリアリティ研究会のメンバーでもある渡邉朋也は、クリエイションギャラリーG8で行われた「光るグラフィック展」において《画面のプロパティ》を発表した。これは、MacBookでスクリーンセーバーを表示し、そのモニタを極限まで接写することで、1ピクセルが実は三つの色のLEDの発光であり、白く見える光が三色の光の混ぜ合わせであることをまざまざと見せつける作品であった。どのように理念的なピクセルを設定しても、モニタは現実にはそのような理念的な矩形をもっていない。逆に言えば、ピクセルとはそもそも理念的な存在でしかありえないことを示す作品である。 しかしその理念は、人間の頭の中にだけにあるのではなく、人間の頭の中と、電子演算処理機の装置の中にある。2

このようにgnckは《画面のプロパティ》を介して、ピクセルが矩形であることが理念でしかないと指摘する。ピクセルが赤青緑(RGB)のLEDの光であり、それらの光を拡大した映像のどこにもきっちりとした矩形を見ることができない。《画面のプロパティ》のディスプレイが見せるのは、角が丸みを帯び、くっきりというよりは、ボワーッとした感じで明滅を繰返している三色のLEDである。ディスプレイには明確な矩形はなく、ただ光の明滅がある。この作品を取り上げる直前まで、gnckの論文はピクセルが矩形であることを画像形式など様々な角度から確定していく。そして、ピクセルが矩形であることからおこる画像やフォントの輪郭のギザギザである「ジャギー」をピクセル表現のひとつの結晶とする。しかし、ピクセル自体を覗き込み拡大する渡邉朋也の作品が矩形として確定すべきピクセルの存在を揺らがせる。

渡邉の《画面のプロパティ》は、ピクセルが三原色の光にすぎないことを見せつける。しかし、明確なかたちをとらない3色の光の発光現象は、コンピュータによって精密に制御されて、ピクセルという理念的矩形に確定された存在として機能している。ディスプレイというハードウェアは揺らめく光を映し続け、コンピュータがソフトウェア的にその発光をピクセルという単位でまとめあげる。そうして、ピクセルという理念的な光のブロックが生じる。ヒト単体ではピクセルは理念的な存在には成り得ない。コンピュータによって光の明滅という現象が厳密にコントロールされるからこそ、ピクセルはピクセルとして理念的に存在するとgnckは考える。だから、彼は光のブロックとしてのピクセルで構成された画像をメディウムとして捉え、その美学を追求するのである。

しかし、画像はディスプレイを支持体=メディウムとするのではないだろうか。油絵においてキャンバスもメディウムであり、その上に載せられる絵の具もまたメディウムと呼ばれるように、ディスプレイが表示する画像もまたメディウムと考えることができるだろう。キャンバスと絵の具はモノとして互いに密着しているけれど、ディスプレイと画像とのあいだにはピクセルがあり、このピクセルがディスプレイと画像とのあいだに断絶をつくっていると考えられる。ディスプレイとピクセルはともに画像を構成するものである。しかし、ディスプレイはRGBのLED自体を制御するハードウェア的側面を多分に持つのに対して、ピクセルはそれらの光を制御するソフトウエアに定義された存在なのである。ここにはハードウェアとソフトウェアという断絶がある。もちろん、ディスプレイもソフトウェアがなければ機能しないし、その逆もまた然りで、それらはあたかもひとつのモノとして機能している。だが、そこにはハードウェアとソフトウェアという断絶があると考えられる。gnckはピクセルというソフトウェア的に定義された単位を理念的な存在とすることによって、ディスプレイの表示面に敷き詰められた夥しい数のRGBのLEDという物理的存在を隠すのである。

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私は逆に、ディスプレイからピクセルという単位を引き剥がして、精密機器としてのディスプレイが制御する光に注目したいのである。ディスプレイはもともとRGBの光の明滅をピクセルという単位で隠していたけれど、今では「レティナ」という名称とともに、ピクセルが見えない状態になっている。それは、画像をモノのように示すことだけではなく、光そのものを鮮明に表示するようになったことも示すのではないだろうか。そこにはディスプレイとコンピュータとに制御されて、ピクセルという単位を超えた光が切り開く、別の次元があるはずである。物理学者のアーサー・ザイエンスは光の謎と神秘を考察した『光と視覚の科学───神話・哲学・芸術と現代科学の融合』で、これまでの物理学とは異なる光についてのあらたな考え方を提供する量子光学を反映させた光の見方を書いている。

私たちが光を基本的な原始的断片に分けようとしても、光は最後まで完全なままで残る。基本的であるとはどういうことかという、私たちの概念そのものが問われている。今まで私たちは、最も小さいということイコール最も基本的であるということと見なしてきた。もしかすると、少なくとも光については、最も基本的な特徴は小ささではなく全体性に見いだされるのかもしれない。一つでありながら多くのものでありうる。粒子でも波でもありうる、一個のものであってその中に宇宙を含むことができる、というその厄介な能力に見いだされるのかもしれない。3

《画面のプロパティ》が示すように、ディスプレイにはピクセルを示す矩形はディスプレイにはない。そこで起こっているのは三原色の光の明滅である。レティナディスプレイのような高精細ディスプレイではピクセル自体はヒトから見えなくなっているけれど、ソフトウェア的に三原色をまとめる理念的な色のブロックとしてピクセルが存在するからこそ画像が構成され、ディスプレイ全体の光の配列が決定される。ヒトにとっては「ない」ものとして認識されるものが、ソフトウェア、ハードウェア的には確実にそこに「ある」ものである。ディスプレイには三原色の明滅や理念的なピクセルというかたちで「ある」と「ない」とがせめぎあっている。それはディスプレイのプロパティは最小単位のピクセルや三原色の光ではなく、「ある」と「ない」であり、その基本的特徴を示す原型的現象が光の明滅にあることを示している。

データに肉薄する光の明滅 と認識のバグ

「光の明滅」というディスプレイのプロパティを示す原型的現象を考えるために、ピクセルを主題に据えた「ピクセルアウト」展を企画したたかくらかずきがまとめた「メディウム・スペシフィシティを巡って」での、梅沢和木のツイートを参照したい4。このtogetterは、アーティストの梅沢和木の「小林健太個展「#photo」、相変わらずかっこよかったが、ブラウザで見る方が良い問題がここでも発生していて…」というツイートからはじまり、この後、梅沢、たかくら、山内祥太、小林健太の4人が「データ」を表示させる最適なメディウムは何かということが議論された。そのなかで梅沢が次のようなツイートをしている。

梅ラボ @umelabo 2016-03-21 23:28:12 @takakurakazuki モニターが良いというよりデータなのが良いということなのでは。そしてデータは「ない」ので良い。印刷された時点で「ある」ので印刷の精度、紙との相性や空間の見せ方などに良さの伸びしろが限定されるので、面白くない。まあこれブーメランなんですけどね。

梅ラボ @umelabo 2016-03-21 23:31:48 @takakurakazuki データが表示されているモニターは「動く」「操作できる」「光る」といった良さがあるけどそれはあくまで付随的なものだと思う。存在しない数字の羅列であるデータが何らかの装置を挟むことで知覚できるということが重要。

梅ラボ @umelabo 2016-03-21 23:36:54デジタルは「ない」から重要で、印刷物などの「ある」ものは紙との相性や空間の美的見せ方に行くしかなくなるのでデータの本質から離れる。美術に寄る。モニタやブラウザは光ったり操作出来たりするのでデータの良さに近い。しかし、それも最適解ではないと思う。ぶっちゃけまだわからん。

梅沢が言うようにディスプレイが「光る」ということは、データを表示する際の付随的な現象なのかもしれない。しかし、梅沢が「ない」と考えているデータがコンピュータで処理されるオン/オフの集積の果てに現れる存在だと考えると、ディスプレイのプロパティが光の明滅という原型的現象にあるからこそデータのオン/オフを光のオン/オフに置き換えることができる。その結果、ディスプレイという装置はデータに肉薄し、ヒトが見えるかたちでデータを現すと考えられる。それゆえに、ディスプレイは存在の不確かなデータを具現化できるメディウムなのである。

ディスプレイはデータを画像として具現化するだけでなく、高精細なレティナディスプレイに表示された画像はあたかもモノのようにも見えるようになっている。しかし、それは銀塩写真のように物理世界を物理的に写しとったわけではなく、そこにあるのは物理世界の光をコンピュータの演算を介してデータに変換し、そのデータを再度、光の明滅に戻したものである。《画面のプロパティ》を構成する4つのディスプレイのうち、MacBook Proのレティナディスプレイにはコンピュータ内部で生成された映像が映っているが、それ以外はレンズで捉えた外部の映像の光を再びディスプレイの光に変換している。そして、その3つのディスプレイは全ピクセルを明滅させて、肉眼では認識できないレティナディスプレイの1ピクセルを拡大することで見えてくる赤青緑3色の光の明滅を映し出している。LEDで埋められたディスプレイというモノは確かにあるけれど、そこに表示されるものは光の明滅という現象であり、「光の明滅」はモノとしてはない。データのオン/オフの集積とともに、ディスプレイ上のピクセルを構成する夥しい数のRGBのLEDもオン/オフを繰り返す。データはディスプレイの光の明滅として物理世界に現れる。もちろん、演算処理も物理現象を利用したものであるが、それをヒトは見ることができない。いや、ヒトに見せることを前提としていないと言ったほうがいいかもしれない。コンピュータのよる演算の結果はピクセルというソフトウェア的に最小の単位で処理され、ディスプレイの最小単位である三原色の明滅として物理現象化される。しかし、ヒトはその最小単位そのものを認識するのではなく、ディスプレイの原型的現象である光の明滅の配列がつくりあげる全体性を見ているのである。

ディスプレイは光の明滅という現象とコンピュータによる演算とが組み合わせられるフレームであり、光の揺らめきと整然さとが同時に成立することで、データが具現化される場である。さらに、光の明滅がヒトの認識から切り離されたレベルで厳密かつ精密に制御されているからこそ、ディスプレイはヒトの認識のフレームワークを構成する物理世界から離れた画像を表示することができる。画像の自由さはディスプレイの厳密さと精密さから生まれている。ディスプレイは登場した時から厳密であり、精密な装置であったからこそ、コンピュータと結びついた。そして、精密さの精度がレティナディスプレイでヒトの認識の閾値を超えてしまった。データを具現化するディスプレイには、理念的な単位として整然と整列するピクセルを具現化するコンピュータによる演算とそれに付随するタイミングコントローラなどのチップやピクセルの混信を防ぐ有機パッシベーションなどによってハードウェア的に精密に制御された物理的な光の揺らめきがある5。光の明滅というディスプレイの原型的現象が圧倒的な精密さで制御され、その精度がヒトの認識を超えていった。その結果、光の明滅の配列がつくりあげる全体性がディスプレイ自体をデータと密着した存在として認識するようにヒトに圧力をかけ、光をモノのように扱うような認識のバグを引き起こすようになっている。

現在、ヒトはディスプレイという光を明滅させる装置を見続けるようになっている。しかし、プラトンの洞窟の例を出すまでもなく、太陽などの光源が放つ光それ自体を見続けるということは失明などのヒトの認識にとって重大なバグを引き起こすものであった。だとすれば、ディスプレイという光源を見続けるという行為そのものがヒトの認識に不具合を引き起こす可能性があるといえる。けれど、その光を見続けることから生じるバグが、光をモノのように扱うようにヒトの認識をアップデートしていき、世界の見え方を一変させる要因になるとも考えられるのである。そのひとつの例が、《画面のプロパティ》が示すピクセルという理念的存在とそれを構成する三原色をモノの存在を確認するように光学顕微鏡で拡大して見るという行為なのである。渡邉は、MacBook Pro、顕微鏡付きデジタルカメラ、デジタルビデオカメラというディスプレイとカメラとの連なりによって、光学顕微鏡で光そのものを拡大して見るという状況をつくりあげる。そして、光をモノのように観察した結果、ヒトが普段見ることがないディスプレイの原型的現象である光の明滅が示されたのである。

次回は、光が明滅するディスプレイに直接ペイントしていくHouxo Queの「16,777,216view」シリーズの作品と、紫外線や赤外線も感知できるパラノーマルカメラでスマートフォンのディスプレイとそれを操作するヒトの指を撮影したEvan Rothの「Dances for Mobile Phones」シリーズの作品を取り上げて、ディスプレイによる光の明滅とヒトの認識のバグについて考察していく予定である。

参考文献・URL
1. 渡邉朋也《画面のプロパティ》(2014)http://watanabetomoya.com/work/display-properties/ (2016.5.15 アクセス)
2. gnck「画像の問題系 演算性の美学」美術出版社、2014年、
http://www.bijutsu.co.jp/bt/img/GH1_gnck.pdf(2016.5.15 アクセス)
3. アーサー・ザイエンス『光と視覚の科学───神話・哲学・芸術と現代科学の融合』林大訳、白揚社、1997年、p.349
4. たかくらかずき「メディウム・スペシフィシティを巡って」http://togetter.com/li/952935(2016.5.15 アクセス)
5. Apple「iMac:ピクセル一つひとつまで、磨き上げた傑作です。
http://www.apple.com/jp/imac/design/(2016.5.15 アクセス)

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

Object on Screen: Oliver Haidutschek

写真でも彫刻でもない、スクリーン上で消費される文化が形作る
新しいイメージの領域「メタオブジェクト」とは。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Translation: Noriko Taguchi, chocolat, Goh Hirose

i could add some smoke_2016

どこか懐かしい、けれどもとても奇妙なオブジェクト。見るものを突き放すように、それらが脈絡のない空間に置かれている。北京在住のアーティストOliver Haidutschekは、既視感と未視感の間を揺れ動きながら、そんな不思議な存在感をまとった作品を作り出す。よく見るとそのイメージはコンピューターグラフィックスで作られていて、はっきりとインターネット以降の感触が存在しているのに、どこか静物画のような佇まいさえ漂わせている。
Holly Waxwingのカバーアートを手がけるなど、音楽シーンにも繋がりがあるものの、Aoto Oouchという名義でも活動していたり、作品と同様にその活動は謎めいている。そんな彼は、自分の作り出すイメージを「メタオブジェクト」と呼んでいる。それは彫刻でも、絵画でもない。スクリーンの消費文化が形作る、その新しいイメージの領域について聞いた。

祖父からフレスコ画を習ったそうですが、子供の頃から芸術が身近な環境で育ったのでしょうか?
クリエイティブであることが常に認めてもらえる環境で育つことができたのは喜ばしいことだよ。僕は祖父が亡くなる日まで毎日、彼の絵画を見ていたから、自分がどう成長したらいいか展望を持つことができたんだ。祖父は幸せそうだったし、絵画に夢中になっていてね。彼の生き方と創作は、名声やお金、権力などがなくても充実していたんだよ。

写真を学んでいたそうですが、絵画や写真から、なぜデジタルの手法を用いるようになったのでしょう?
自分たちの消費行動に合った媒体を活用して作品を作ろうと思ったんだ。ぼくらはスクリーン上の画像を見慣れているけれど、アートと見る側の間には、また別な存在があるんだ。スクリーンはアートとビューワーの間のような存在だったから。デジタルイメージで絵画と彫刻をつくることは、アートをインターネットで見せることができる一般的な方法だよね。でもその方法は僕にとっては退屈だった。なぜならアートピースの写真は、レイヤーの中間でほかの表現のフィルターになってしまうから。デジタルの空間で直接作品を作ることで、自分の作品をよりコントロールしやすくして、作品を明確にすることができたんだ。

あなたの作品は写真作品なのでしょうか。あるいは彫刻作品なのでしょうか。あなた自身は自分の作品をどのように定義していますか?
イメージは写真でも彫刻でもなく、メタオブジェクトなんだ。それは数学的にビジュアル化されたもので、物理的な彫刻や写真を表現するためのものなんだよ。

two objects - 2015

あなたの作品は、構図やトリミングなどの面で、一見芸術作品に見えないように作られているように思えます。そうした構成を選ぶのは、どのような意図があるのでしょうか?
アートとして、自分たちの領域を些細だけど普遍的なマンネリズム化しないよう変化させる、イメージの消費の仕方を考えている。視覚にアピールするために、似たような方法で作られ、大量生産された膨大な量のコマーシャルなイメージと対照的にね。そうしたイメージは単に退屈で分かりやすすぎる。だから僕が表現したいものには不十分なんだ。悲しいことに、まだ商品を売るように機能しているけどね。

あなたの作品には実際に存在しているもののような存在感がありますね。それはとても奇妙な感覚です。あなたはスクリーンの中に存在するもの、そしてその外に存在するもの関係についてどう考えていますか?
イメージは脳の中で、経験やものや色の定義に関係したニューロンが発火することによって生まれる。もし目を閉じながら液晶画面を触って、フェイスブックをスクロールする場合、スクリーンに表示された情報を感じ取ることはできない。それは僕らの視覚感覚の問題で、この感覚はルールや思考体系に従っているんだ。僕たちは頭の中にある情報の失っわれた隔たりを埋めることで、チャットで言葉を使って関係性を築くことができる。それは、バーチャルのイメージでも起こっていること同じだ。オールドスクールのコンピューターゲームを思い出すと、恐怖や愛を感じることができた。バーチャル環境の力は、失った隔たりと、外のリアリティを2進法で真似することの不完全性にあると思うんだ。

with the back against the wall 2015_2

また有機物と無機物の間のような、質感と色彩には一見してあなたの作品とわかる特徴を感じます。どのようにしてこのような世界観が生まれたのでしょうか?
僕は欲望と嫌悪感という、見たことがない組み合わせにたどり着こうとしている。例えば、納豆がおいしいと感じる瞬間とかね。感覚は、知らない恐怖から理解やコントロールへと変化する瞬間があるんだ。目の前にあるものを見るときでも、そのすべてに未知の感覚を保っていたいんだ。僕は、自分が使う色をずっと持っていて、パレットの色を限定している。それは、14歳の時に祖父が持っていた本を読んだ影響からなんだ。「どんなに大きなパレットを持っていても、アーティストとしては未熟なままだ」。たぶん、それはナンセンスだけど、僕は質にこだわって自分に制限を課して活動するのが好きなんだ。

あなたは「Vaporwave」からの影響が大きかったと述べていますね。「Vaporwave」のどのような点に惹かれたのでしょうか?また、自分の作品へのフィードバックどのようなものでしたか?
主にパンクの要素かな。もし、そのフィーリングに従って創作をはじめたら、自分のバックグラウンドがなんであれ構わずやるだけだろう。自由を感じるし、ただやるということ、そしてそれが受け入れられることが可能な気がしている。僕はまた人間の創造の終わり、自分たちの文明の最後の炎の中で、2進法の視覚による回想で、その達成が示されるというVaporwaveのアイデアが好きなんだ。

all in_2013

something good_2016

インターネットの中の変化の流れは、現実の変化よりさらに早いもののように思います。こうした時間感覚の中で作品を作り続けることについてどう思いますか?
それは僕の考え方にあってる。僕はリアルタイムで制作できることが嬉しいんだ。フェルメールは人生を通じてものすごい数の作品を発表した。だけど、僕たちがブログでそれを見たら一体どれくらいの時間がかかるだろうか? ギャラリーを5分見て回るだけで、すべての作品を見られる。僕はそこに立って、すべての作品について語ることはできない。そうすることはある意味「正しい」かもしれないし、でも正直言うと、これ以上はもうまくいかないかもしれない。もし僕がマウスホイールを2秒止めたら、なにかしらそれがいいものだとわかる。僕たちはそんなふうに消費するようにされていて、またその変化を受け入れないといけないんだ。

次の作品発表の予定はありますか?
ニュースクールのタトゥーの宗教画のシリーズを考えているよ。だけど、まだ頭の中で構想中。構想が固まったらやってみようかな。

Oliver Haidutschek
1976年、オーストリアのフィラッハで生まれる。Aoto Oouchという名義でも活動。彼は現在、中国の北京在住。
http://www.haidutschek.com

Dirt on Tape Vol.04

カセットテープコレクターDirty Dirtがマンスリーでお送りする、連載第四回。
カセットテープに関するあれやこれやをご紹介します。

Dirty Dirt /
Dirty Dirt / Text: Dirty Dirt, Title Logo: ancco

ユニコーンまでもがカセットテープを出すっていうなんだかわからない状況になってきていますが、今月もみなさんは現行のカセットテープを買われましたでしょうか? 現行カセットテープ入門というかんじで書いていますが、4ヶ月目なんで今回はもうすこしつっこんだところに。

デンマークの〈Phinery〉と〈Speaker Footage〉を紹介したいと思います。デンマークにはIceage周辺の説明不要だけれど説明がすくなすぎていったい誰なのかこれはというものが多い〈Posh Isolation〉、Poshともつながる〈Infinite Waves〉、そして発足からそこそこ長くシンセ中心にリリースを重ねる〈Metaphygical Circuits〉などすばらしいレーベルがいくつかあって、カセット好きな方はデンマークなものをいくつか耳にしていると思います。そのなかで現行のカセット界隈の流れを総括しているようなリリースを重ねるのが〈Phinery〉と〈Speaker Footage〉です。

親レーベルである〈Phinery〉が2014年発足、そして姉妹レーベルである〈Speaker Footage〉が2015年に発足とまだはじまってから長くはないレーベルです。〈Phinery〉はアンビエントが中心、〈Speaker Footage〉はビートものが中心という特徴があります。

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Phinery〉がはじまったころはアンビエントなレーベルがまたひとつ増えたくらいの印象だったんですが、2015年はじめのzine付の2本組コンピレーション “Somehow Commissioned # 2 : TEXTURE” がD HansenFDG-AyGeeTeeGora Souとカセット界隈常連から、日本のミニマルテクノTAKAHIRO MUKAI、ノイズ/インダストリアルの最重要なレーベル〈Nostilevo〉のヒーローSiobhanまでとジャンルとシーンと国を越えた45組収録で驚かされました。現行カセットテープの全シーンの見本のような。

それから、〈Phinery〉がすこしアンビエントによりすぎたかなとおもったころにビートやダンスミュージックに特化した姉妹レーベル〈Speaker Footage〉を立ち上げて、秋には2015年のアンビエント女子いっとうなひとりCORINやSiobhanを、そして年末には〈Phinery〉から、ヴェイパーウェイヴの現在進行形Golden Living Roomに、3月に来日もはたしたオーストラリアのインディレーベル〈Moontown〉主宰Danny Flung、CORINとJu Caのsplit、〈Orange Milk〉からのリリースで驚かされたNico Niquoらをリリースしてと、2015年をふたつのレーベルをつかって総括したようなリリース群でした。

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デンマークという位置だからか、UKだったり、USだったりのシーンの垣根を越えてる自由さがあります。日本人にも声がかかっていてTakahiro Mukaiがリリースしていたり、Bun Fumitakeがコンピレーションに参加、あとこれまでにも誰々がリリースするやもというはなしがいくつかあがってましたし、そしてこれからもまだ秘密な予定がいくつかで、たのしみです。2016年にはいっても先月のでかいたポーランドのRSS B0YSなどかゆいところに手が届くリリースで、まだ届かないけれどUmfangWanda Group参加なsplitもリリースと勢いとつながりはとまりません。

そして、ここのすごいところは、どちらかのレーベルでほぼ毎月バッチリリースをしています。バッチとはカセット界隈ではなじみなことば、まとめていちどに数本をだすことで、まとめて買ったらすこしお得なうえ、目当てなもののほかにそれまで知らなかったひとのもいっしょに届いて、また好きなものが広がってというカセットが増え続けるひとつの原因であり、たのしさで。それも毎回4本から5本。レーベルがはじまって2年ですでに80本をリリースとかなりなペースです。すごいのをリリースするっていうのもだいじですけれど、出し続けることにも意味があります。

Phinery〉もしくは〈Speaker Footage〉からのカセットをバッチ買いして現行カセットの深みにはまってゆくきっかけにしてはいかがでしょうか。

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4月にきいてよかったものいくつか。


食品まつり aka FOODMAN “EZ MINZOKU” (Noumenal Loom)
https://noumenalloom.bandcamp.com/album/foodman-ez-minzoku

Orange Milk〉からな祝初レコードなんですが、カセットのほうも買いました。きょねんの〈Patient Sounds〉からの “Hot Rice” ではかなり音を削ぎ落としてハウス化してましたが、今作もA面では削ぎ落とした印象があり、その分1音1音が濃ゆくなってる気がします。Uoxtuの耳を通過して脳に突き刺さってくる高音だったり、彼が敬愛するVektroid展開のようなHikariだったり。音を削ぎ落としても、どうきいても食品さんの音っていう。B面で厚く、そして加速するかんじもよいですし。レコードとカセット、どちらもぜひ。


Nick Klein / Enrique “Every time you wish it was louder an angel loses their wings” (Angoisse)
https://angoisse1.bandcamp.com/album/every-time-you-wish-it-was-louder-an-angel-loses-their-wings-2

スペインのレーベルからのsplit。執拗な打撃の反復のNick Kleinと、おなじくな雰囲気をもちながらその反復から逸脱してゆくEnriqueのおもしろさ。EnriqueはMiguel Alvarino名義で〈Hot Releases〉などからおかしなテクノをリリースしてましたが、Enrique名義ではかなり暴力的。新鋭レーベル〈Bank〉からもレコードをだしていたり、この先かなりたのしみです。Splitなんだけれど、Nick KleinのA面のはじまりとEnriqueのB面終わりが会話フィールドレコーディングとひとつの作品になってるあたりもよいです。Jカードの写真がふざけていてよいです。


Airport “Lorde Playlist” (Afternoons Modeling)
https://afternoonsmodeling.bandcamp.com/album/lorde-playlist

ヴェイパーウェイヴ絡みや〈Exo Tapes〉などカセット界隈では馴染み深いJónó Mí Lóのレーベル〈Afternoons Modeling〉から。ポップな歌、映画、ゲームなどからのサンプリングに、荒いノイズと重い打撃を重ねていて。RabitやらNON方面の雰囲気がありながら、サンプリングされた歌にことばで混乱します。A面2曲目が日本のアニメーション『カウボーイビバップ』のサンプリングで、日本語がわかってしまうこちらにとっては、より狂ったものにきこえます。そして、ノイズとポップな歌との妙なバランス。訴えられてもおかしくないかんじなJカードのデザインでもカセットだったら余裕です。こういうあたりもカセットのおもしろいところだとおもいます。


Mukqs “石の上にも三日”
https://apothecarycompositions.bandcamp.com/album/-

Hausu Mountain〉も運営するGood WillsmithメンバーMaxwell Allisonのソロです。買おうかとおもってすこしきいたときはローファイなシンセアンビエントな印象でしたが、とんでもなかったです。そこにからみつく立体的なサンプリングのループと、加速してゆくビートに暴発するノイズ。それでいてしっかりアンビエントな質感はたもっていて。日本語なタイトルに曲名もよいです。そろそろ日本にきてほしいです。オハイオの〈Apothecary Compositions〉はレーベルとお店もかねていて、日本のDJWWWW / Nicole Brennan / OrokinのCDをリリースするなど、いまいっとうおもしろいレーベルのひとつだとおもいます。ここのはMASSAGEでもとりあげられていたナイスショップスーさんで定期的に取り扱われてるので、ぜひそちらものぞいてみては。


Gobby “No Mercy Bad Poet” (DFA)
https://gobbygobby.bandcamp.com/album/no-mercy-bad-poet

1080p〉からのエビカセット以来のひさびさなフィジカルが〈DFA〉からのカセットテープっていう。Hype Williamsでドラム叩いてたっていう経歴だけで意味不明ですばらしいんですが、これまたとらえどころなさすぎてことばが追いつかないです。今作はけっこう靄がかったなかでの歌が全編に散りばめられていて、そのまわりで泡立ちはじけるシンセに、おたけび、暴発するビートにと、ゆるいのか激しいのかわからない感覚。ただとっ散らかってるかっていうと、絶妙なポップさもあって、インディ方面、テクノ方面とどちらのひとがきいてもおもしろいしどちら側からきいても意味わかんなくって、すばらしいです。タトゥーなJカードもすばらしい。

Dirty Dirt
現行のカセットテープコレクター。2015年は450本購入。カセットテープに関するブログ、zine、雑誌への寄稿、たまにカセットDJなど、現行のカセットテープのことならなんでも。 http://dirtydirt2.blogspot.jp