Insta Wave: michel_e_b

インスタグラムをベースに作品を発表するmichel_e_b。
鏡を用いて生み出される、パラレルでエンドレスな風景。

MASSAGE /
MASSAGE / Text: Yusuke Shono, Translation: Noriko Taguchi, chocolat, Goh Hirose

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セルフィー、ディナーの一皿、猫の画像。少しだけ特別な日々の出来事。それはパーソナルな価値を持つ日常の一コマだ。不特定多数の人々に共有され、ライクされ、瞬間ごとに人々の関心や、共感を獲得する。ときにはミームとなって、もとの文脈から切り離され、新しい生命のように自分の命を持続させていく。こうした新しい環境は、著作性を背負って生きるアーティストにとって過酷なものに違いない。インスタグラム上で活動するmichel_e_bは、そうした環境と格闘しながら、やはりその環境を原動力として作品を作り出す作家といえる。その作品は、鏡という古典的でシンプルなアイデアを追求したものだが、その写真によるスケッチともいえる作品群には、溢れ出る創造性の豊さを感じることができる。そんな彼女の作品作りのアイデアの源とは。そのバックグラウンドから、制作の考え方などについて聞いた。

あなたのバックグラウンドについて教えてもらえますか?
カルフォルニア州サンタクララで生まれて、幼稚園から高校までカトリックの学校に通った。カトリックの女子高に通って、色々学びすぎたせいで非有神論者になったの。高校を卒業してからしばらく短大に行きながら、ずっと働いてた。そしてついに、カリフォルニア大学サンディエゴ校の予防医学プログラムに編入した。でも、だんだんアーティストと、医者の両方になりたいって思うようになった。心理的に矛盾した話だけど。とうとう専攻を変えて、マーケティングとコミュニケーションを勉強し始めた。私にとってそれはとてもよい選択だった。私の中の創造性を育ててくれたから、教育にはとても感謝している。そしてついに、ものづくりに真剣に向き合うことにした。これは自分自身への挑戦。そして、今までの自分への最高のご褒美でもある。

Instagram上での作品発表はいつから行っていますか? 鏡の作品を作るきっかけやエピソードのようなものがありましたら、教えてください。
Instagramは2012年から使ってる。気軽にポストできるからなんだけど、写真を撮り始めた頃から、真剣に投稿しはじめた。映画監督が鏡を使って、映画でいろんなビジュアルの表現をしていることに気がついて、望遠鏡が好きになって。それから、鏡のエンドレスな可能性を探し始めた。鏡を外に持ち出して、扉やパラレルワールドを感じながら作品を作りたくなったの。シングルフレームで色々な景色を見せてくれるところや、世界中にあるエンドレスな景色を見せてくれてるようなところが好き。

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映画監督が鏡を使って、映画でいろんなビジュアルの表現をしていることに気がついて、望遠鏡が好きになって。それから、鏡のエンドレスな可能性を探し始めた。鏡を外に持ち出して、扉やパラレルワールドを感じながら作品を作りたくなったの。

あなたのInstagramはセルフィーの延長なのでしょうか? あるいは最初から作品制作という意識を持って作られたものなのでしょうか?
セルフィーだって考えたことはない。でも作品は自分を撮った写真だから、セルフィーとも考えられるわね。自分の写真はアートやクリエイティブアートと呼んでいないんだけど、誰かが私の作品を「アート」と呼んでくれたら光栄に思うわ。私はシェアしたいアイデアがいっぱいあるし、それをイメージ化しようとしている。私のゴールは、エキサイトな見た目で自分たちでしゃべりだすビジュアルを作ることなの。

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Instagram上で作品を発表するのはなぜですか? Instagramの特性として、どのような点が気に入っていますか?
Instagramは、現実の世界では会ったことがない人と繋がれるから、私にとってすごくいいツール。シリコンバレーで生まれて成長を続けているけど、アートにはあまり使われていないみたいね。 私の写真を見た人たちが、Instagramの機能を使ってリアクションしてくれるところや、簡単にシェアしてくれるところも好き。

作品制作のインスピレーションの源は何でしょうか?
インスピレーションはいろんな場所で見つけられる。時々、ラッキーなことにアイデアが私のところにやってくるの。私は音楽(プリンス)やたくさんの映画からインスパイアされている。色や自然からも。体や宇宙からもインスパイアされている。私は自分たちの体を小さな宇宙だと思ってる。私の猫は、想像なんだけど、自分の性格を持っている。私たちと同じように、自分の世界を持っているの。自分の2つの目だけでなく、いろんな視点で世界をみようとすることがインスパイアの源ね。 

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SNSなどのオンラインの環境はあなたの作品にどのように影響を与えていると思いますか?
自分の作品をオンラインでシェアすることは、いいことも悪いこともある。SNS経由でシェアしてくれることは、単にウェブサイトで公開しているよりも、作品をたくさんの人に見てもらえる。だけどそれは、クレジットなしで私の写真が取られてしまうことにもなる。私の猫は、今まさにミームとして使われている。InstagramやTumblrは、人々にクレジットなしでイメージをフリーでシェアしてもいいんだって考えを与えてしまう。誰がつくったかわからなかったら、クリエーターには何の助けにもならない。だけど、写真をシェアされて嬉しいって妙な話よね。

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制作はどのような時に行っていますか? 比較的高い頻度のような気がしますが、もし自分なりのペースがありましたら教えてください。
私のポストが多いって聞いて嬉しい。だって、私の友達がポストをもっと増やせって言うんですもの! 毎日写真を撮ろうとしているけど、実際には無理。作品を夜に作りたいっていう思いがあるんだけど、実際は写真家ならすぐ反対するくらい難しいこと。いつでももっと写真が撮れるように、最近ではいいライトを使うようにしてる。

今後Instagram上以外で作品を発表したり、鏡の作品以外の作品は制作するつもりはありますか?
ええ。最近は印刷物やウェブサイトを作っているところなの。鏡を使うことは、考えも付かなかったような色んな使い方ができる。だから、その方法を見つけて体験してみたいと思っていて。もちろん、鏡なしの写真も撮っているし、将来そこで見つけたいろんな方法を使ってみようと思ってる。

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https://www.instagram.com/michel_e_b/
カリフォルニア在住。アーティストと医者を目指しながら、インスタグラム上で作品を発表する活動を続けている。

水野勝仁 連載第1回モノとディスプレイとの重なり

ポストインターネットにおけるディスプレイ

Masanori Mizuno /
Masanori Mizuno / Text: Masanori Mizuno, Title Image: Akihiko Taniguchi

2008年にマリサ・オルソンが言った「ポストインターネット」という言葉はもともとオンラインとオフラインとを等価値に扱うというあたらしい感覚を示すものであったけれど、今では単に「インターネット以後」という時代区分を示すのみになっている。それはインターネットを身近にしたスマートフォンの普及とともに、ネットとリアルとを等価値に扱うという意識自体がもはや当たり前になってしまったからだろう。「ポストインターネット」が持つ意味は陳腐なものになったけれど、去年まではこの言葉自体はアート界のバズワードとして機能していたし、日本ではそのピークを迎えていたと思われる。そして、2016年には「ポストインターネット」という言葉も聞かなくなるだろう。そのような状況のなかで、この連載は「ポストインターネット」という言葉に「ヒトの認識のアップデート」をかけて開始されたのであった。

今回は、ポストインターネットにおいて、なぜ「ディスプレイ」が作品のメディウムとして重要となるのかを、渡邊恵太の『融けるデザイン』を手掛かりに考えていきたい。その前に、ポストインターネットの作品で起こっているモノと画像データとの融合について示したい。

ディスプレイで融合するモノと画像データ

ポストインターネットと呼ばれる作品の特徴を考えるために、まずはブライアン・ドロイクアー(Brian Droitcour)によるポストインターネット・アートについて批判的なエッセイの一節を引用したい。ドロイクアーの指摘は批判的ではあるがゆえに、ポストインターネット・アートの特徴を具体的によく捉えたものになっている。

ポストインターネット・アートはオンラインでよく見えるオブジェクトをつくることである。オブジェクトはギャラリーの真っ白な空間(記録画像を載せるブラウザの真っ白い領域と重なる)のなかで明るい光のもとで撮影され、眼に飛び込んでくるような高いコントラストと色合いになるようなフィルターがかけられる。

(中略) ポストインターネット・アートは、洗濯洗剤がコマーシャルでよく見えるようにブラウザでよく見える。洗濯洗剤がコインランドリーでは魅力的ではないように、ポストインターネット・アートもギャラリーでは輝いていない。作品のまわりを周りながら観るのは退屈である。それは実のところ彫刻ではない。空間を活性化しない。ポストインターネット・アートの作品はしばしばその正面がカメラのレンズに向けて整えられている1

確かに、ポストインターネットのアーティストたちはPhotoshopなどで制作した画像データや、インターネットに溢れる画像データを物質的作品としてギャラリーに設置し、その作品を再度画像データにしてインターネットにアップロードし、画像データとして加工された作品がブラウザで見られることまでをひとつの作品サイクルとしていることが多い。この作品サイクルに対して、ドロイクアーが指摘するようにオンラインで拡散していく画像に比べると、ギャラリーなどの物理空間に置かれる作品に肩透かしをくらうと考える人が多いかもしれない。しかし、ポストインターネットのアーティストは単に物質的作品を見栄え良く画像化して、注目を浴びるためにだけにインターネットにあげているのであろうか。

「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト」で、アーティ・ヴィアカント(Artie Vierkant)は「ポストインターネット」について以下のように書く。

本稿の文脈では、ポスト・インターネットという用語はとくに、現代という時点=契機[モーメント]の産物と定義される。作者性が同時に複数の場所に存在する[ユビキタス]ものとなり、注目が貨幣へと発展を遂げ、ネットワーク化された文化の中で物理的な空間が崩壊し、デジタル素材を無限に再生産し変化させることが可能になった、そんなモーメントが生み出したのがポスト・インターネットなのである2

ヴィアカントもネット上で注目を浴びることの重要性を書いているので、ドロイクアーの指摘も一理あるということだろう。しかし、その後に続く「ネットワーク化された文化の中で物理的な空間が崩壊し」という記述を読むと、ポストインターネットの作家が物理空間を軽視しているというよりは、物理空間そのものの価値がこれまでに比べて下がっているために、ネットを利用しているとも考えることができる。そこで、エッセイが示した理論を作品化した《Image Objects》(2011- ) から、インターネットにおける物理空間の崩壊について考えてみたい。

《Image Objects》(2011- )は、Photoshopで制作されたカラフルなグラデーションのレリーフをギャラリーに展示し、その記録画像を再びPhotoshopで加工して、インターネットにあげることをひとつのサイクルにした作品である。私は《Image Objects》をインターネットでしか見たことがなかった。Photoshopで加工された画像がギャラリー空間全体をピクセルに変換し、物理空間の奥行を喪失させていることに強い興味を覚えた。そして先日、ついに物質的作品をギャラリーで見る機会を得た。物質的作品を見れば見るほどどうしてもネット上の加工された画像と比較してしまい、作品と空間そのものが「色情報」として一元的に扱われていないことに、どこか物足りなさを感じた。かといって、作品体験全体が退屈ということではなかった。眼の前に物質的作品を見ているときに、加工された作品画像がするすると意識に入り込んでくるのはとても新鮮な体験であった。この体験から言えることは、物質的作品を見ているとネット上の画像データが意識され、画像データを見ていると物質的作品とそれを取り巻く物理空間が意識されるために、《Image Objects》において物質的作品と画像データを単体で見ることが難しいということである。

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imageobject2 Artie Vierkant, Image Objects

《Image Objects》はこれまで絶対的な基準であった物理空間をインターネットによって相対化していく。ヴィアカントは「物理的な空間が崩壊」と書くけれど、実際には物理空間は崩壊していない。もし物理空間が崩壊していたら、私たちはいまどこにいるのかということになる。けれど、インターネットによって物理空間が相対化され、その絶対性が崩壊したとは言えるであろう。物理空間の絶対性が崩壊したなかで、インターネットの画像データと物理世界のモノとを融合していく認識をつくりあげることが、《Image Objects》に代表されるポストインターネットと呼ばれる作品のひとつの目的となっている。作品はモノと画像データとのあいだを行き来しながら、モノと画像データというこれまで相反するとされていた要素を見る者の意識のなかで融合していく。だから、ドロイクアーの批判はギャラリーに置かれた作品を単体として見た体験としては的を射ているかもしれないが、物理世界での体験とインターネットとを分けている時点で、作品にモノと画像データとが同時に存在するということを捉え損ねていると言える。ポストインターネットの作品はモノと画像データとを融合させ、ふたつが属する物理世界とデジタルな領域の特異さをそれぞれ浮き彫りにしていくのである。

imageobject3 Artie Vierkant, Image Objects

ここでもうひとつ考慮にいれなければならないのは、インターネットがいまのところピクセルで埋め尽くされたディスプレイで具現化されているということである。言いすぎかもしれないけれど、現時点では、ディスプレイがなければ、ヒトはインターネットをほとんど体験できない。ヴィアカントの《Image Objects》も、インターネットに接続されたディスプレイがなければ体験できない作品である。この事実は当たり前すぎで意識にのぼらないことが多い。しかし、インターネットとディスプレイとは切っても切れない関係にあることを忘れてはならない。だから、ディスプレイが変われば、インターネット体験そのものも変化するのである。谷口暁彦は次のようにインターネットとディスプレイについて語っている。

ポスト・インターネットというシチュエーションが生まれてくる背景として、インターネットが特別なものではなくなったということと、iPhoneのような端末の小型化がありますね。ダイアルアップというイニシエーションを経て、潜水艦の窓みたいに重厚なCRTを通じて覗く異世界だったのが、常時接続され、ポケットに入るようになり、日常生活の一部になった。身につけられるということは、メールやメンションが届くたびに身体がネット経由のバイブレータで刺激されるという身体性にもつながります。また、画面が薄い板状で、触って操作できるということは、向こう側を覗く窓(Windows)から、いまここにある物質っぽさを強く感じさせますね3

インターネットが当たり前になるためには、ディスプレイがポケットには入る必要があったのであり、小さくなったディスプレイはモノっぽくなりつつある。ディスプレイはもともとコンピュータの演算処理に基づくデータを最も自由に扱える装置であったけれど、スマートフォン以後にはセンサーを備えて、石やプラスチックなどの物質と同じように物理法則の影響も受けるようにもなり、その性質を大きく変化させつつある。谷口は《思い過ごすものたち》(2013- )《滲み出る板》(2015)といった作品で、ディスプレイを通したデジタルと物理世界との境界のあり方を示そうとする。ポストインターネットの作品は、確かにインターネットとともにある作品のあり方を模索している。同時に、それはスマートフォン以後のディスプレイとともに変化していく作品のあり方も探っている。ポストインターネット的な作品はモノを画像データ化し、それらをディスプレイというフレームを用いたさまざまな手法で融合させることで、ヒトの認識に揺さぶりをかけてきているのである。

ディスプレイの外にひろがるアニミズム

ここでインターネット以後のモノとデータとの関係を示した渡邊恵太の『融けるデザイン』を参照したい。なぜなら、渡邊の試みは、ポストインターネットの作品が示すディスプレイでのモノと画像データとの融合の先にあるアニミズム的状況を提示するからである。

渡邊はインターネットを前提としたデザインにおいて、インターネットに上げられた物理世界の実体や現象に関する膨大なデータをモノとして具現化することが必要だと考えている。この考えに基づいて渡邊が設計したのが、量らなくて済むスプーン「smoon」(2011)、長さを実体化する1次元プリンタ「LengthPrinter」(2012)、情報と道具を一体化する「Integlass」(2014)である。これら3つの道具はそれぞれの方法でインターネット上にある「5cc」や「10cm」といったデータをモノとして具現化してくれるものである。例えば、「LengthPrinter」では家具の実寸データが直接テープカッターに送られ、ヒトがテープを引き出すと自動的にその長さでテープがカットされることで、ネット上のデータが「テープの長さ」として具現化されていく。渡邊はこれらの道具を制作するきっかけになったインターネットの問題点を次のように指摘している。

インターネットのインターフェイスを考えるとはどういうことだろう。ブラウザでは何が問題なのであろうか。ブラウザで検索して情報が得られて便利で、それ以上に何があるというのだろうか。けれどもブラウザには大きな欠点がある。それは、画面の中の「情報」でとどまっている、ということだ4

渡邊は「画面の中の『情報』でとどまっている」という状況を打破するために、データをディスプレイから解放して、モノに直接入力してしまう。ここで行われているのは、コンピュータによる「作業の自動化」ではなく、ヒトとコンピュータとが協働してインターネット上のデータをモノ化していく「データの具現化」である。3つの道具で起こっている「データの具現化」は、データをインターネットやデジタルから引き離し、体積や長さをもつモノに変換して、データとモノとが融合する状態をつくる。道具によって具現化されたモノ自体は、10cm のテープ、10g の砂糖、100cc の水といったようにこれまでのモノと変わりないように見えるが、それはインターネット上のデータと直結したモノになっている。これらの道具はモノをこれまでのようなモノ単体ではなく、インターネットのデータと融合したモノとして認識しなければならないと、モノに対する認識を変更するようにヒトに迫ってくるのである。

smoon_title_top Keita Watanabe, smoon

渡邉が示した「データの具現化」によってつくられるデータとモノとが融け合う状態は、デザインとアートという領域に関係なく、これまでディスプレイにとどまらざるを得なかったデータをモノとして物理世界に解き放つというあらたな状況を引き起こす。そして、この状況はヒトの行為を最小化していくであろう。「smoon」や「LengthPrinter」は、掬う量や引っ張りだすテープの長さを気にすることなく、ただ砂糖を掬えば、テープを引き出せば、必要とする量を得ることができる。そうなるとヒトは何も考えずに「掬う」「引き出す」といった行為をするだけでよくなる。ヒトはこれまでも自らの身体的行為は最小化しつつ、コンピュータに処理を任せることで、最大限の効果を得ようとしてきた。文字の入力はキーボードを叩くだけであり、映像や画像の加工においても、ヒトが行うことはPhotoshopなどのソフトウェアのコマンドを入力するだけである。キーボードを叩く、マウスをクリックするというだけで、あとはコンピュータが処理を行い、結果をディスプレイに示してくれる。しかし、今まで行為の最小化と効果の最大化はディスプレイのなかにとどまっていたために、物理世界とは異なる領域の現象だと考えられてきた。ヒトとコンピュータとの協働による行為の最小化と効果の最大化がモノにまで拡張されると、そこにアニミズム的状況がうまれるであろう。モノにそれ自体を駆動する霊=データが宿るようになるからである。そして、アニミズム的状況では、ネットワークでつながれたデータと融合したモノ自体が、ヒトと呼応するように変化するのである。このような状況になると、これまでデータの宿主として絶対的存在であったディスプレイは、その地位を剥奪される。「smoon」や「LengthPrinter」のように道具もまたデータを担うようになり、ディスプレイが示す画像のように自らの形状を変化させる。そして、いずれは砂糖やテープといったモノもデータに基づいてその形状を変化させることがありうるのである。そうすると、データと融合し変化するモノに呼応して、ヒトが行為を変えていくと言ったほうがいいのかもしれない。いずれにしても、データの具現化から生じつつあるアニミズム的状況が、モノに対するヒトの認識に変化を迫ってくるのである。

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lengthprinter_resultKeita Watanabe, LengthPrinter

ディスプレイというメディウム

ポストインターネットのアーティストたちは、モノとデータとがつくりだすアニミズム的状況に対応するように、インターネットのデータをモノに具現化してギャラリーに展示している。だから、ギャラリーに展示されている作品をモノ単体として見ると、作品の本質を見誤ってしまう。かといって、その作品をデータと完全に融合したモノとして見ても、作品の本質は掴めない。なぜなら、ポストインターネットのアーティストたちはモノを再び画像データにしてインターネットに戻し、モノがデータとしてディスプレイに表示される状態をつくりだすからである。データとモノとの融合を目指す渡邊の道具は、ディスプレイなしでデータとモノとが融合する状態をつくりだすのに対して、ポストインターネットのアーティストはデータとモノとが融合するのを妨げるかのように、そのあいだにディスプレイを挟み込み、作品を画面のなかに置き続ける。このことはポストインターネットの作品が、渡邊の道具のようにデータとモノとが完全に融け合う状態を目指していないことを示しているのだろうか。そのヒントは、渡邊の3つの道具のなかで唯一ディスプレイが使われている「Integlass」にある。

Integlass Keita Watanabe, Integlass

「Integlass」は専用カップとスマートフォンを組み合わせて使うことで、水やめんつゆなどの体積をカップに注ぐ液体の水位としてわかりやすく示す道具である。加速度センサーを備えたスマートフォンが専用カップの傾きに合わせてディスプレイ上のグラフィックを変化させるため、データが示す量を得るためには示された水位まで液体を注ぐだけでよい。「Integlass」は「smoon」や「LengthPrinter」のようにモノとデータとを直接融合させるのではなく、モノとデータとのあいだにスマートフォンという前面がほぼディスプレイとなったデバイスを挟みこんでいることが特徴になっている。「Integlass」でディスプレイが表示する映像はデータをモノ化するガイドとして機能している。スマートフォンに組み込まれた加速度センサーをはじめとする各種センサーによって、デバイス自体が物理世界の状況を計測し、演算処理を行い、画像データを変化させて、ディスプレイ上のイメージを変化させていく。

ポストインターネットの作品がモノと画像データとを融合させる試みだとすると、「Integlass」で使われているスマートフォンのディスプレイが映すイメージは、まさに画像データがモノのように振る舞う存在になっていると言える。これまでも映画やビデオというメディウムとともに用いられたディスプレイは物理世界を映してきた。特にビデオが可能にしたリアルタイムの映像伝送は、カメラの前にある物理世界をそのまま写し取ってきたといえる。しかし、「Integlass」のディスプレイが示すイメージはカメラのレンズが捉えたものではなく、デバイスそのものの動きが計測され、演算処理された画像データが表示されたものである。手で持つことができるような軽くて薄いディスプレイが、逐一処理される画像データに基づいて表示されるイメージと一体化している。データとモノとが融合するだけではなく、イメージがセンサーと演算処理を備えた軽くて薄いディスプレイというモノと融合しているのである。この結果、ディスプレイ上のイメージは物理世界に存在するモノと同様に重力などの影響を直に反映するようになった。「Integlass」はこのことを利用して、イメージを介してデータとモノとを融合させる。ディスプレイでデータと直結したイメージを扱うようには、物理世界でモノを自由に扱うことはできない。しかし、データをモノに融合させ具現化する必要はある。ならば、イメージを自由に扱えるディスプレイというモノをうまく使えばいいのである。

渡邊の「Integlass」が明快に示したように、デジタルやインターネットという物理世界と切り離されているとされた領域が、センサーを備えたスマートフォンのディスプレイとともに物理世界に置かれるようになった。同時に、ディスプレイは「データの具現化」が引き起こすアニミズム的状況のなかで、データの支持体として絶対的な存在ではなくなり、テープやめんつゆと同列のモノになりつつある。このような大きな変化にあるディスプレイを、ポストインターネットのアーティストたちは作品のメディウムとして選択する。それは、ディスプレイがいち早くデータと融合して物理世界に反応したモノとして、これからのアニミズム的状況を先取りしているためである。だから、ポストインターネットの作品は、データとモノとの融合を妨げるためにディスプレイを使っているのではなく、その融合を効果的に見せるために現時点でモノとデータとが最も融け合っている装置としてディスプレイを使っているのである。

しかし、渡邉の「smoon」や「LengthPrinter」のように「画面」の外にデータを持ちださなければ、データとモノとは完全には一致しない。けれど、ポストインターネットのアーティストはディスプレイを使い続ける。それは、渡邉の道具がデータとモノとが完全な融合したアニミズム的状況そのものをつくりだす理念的な試みだとすると、ポストインターネットの作品は既にデータとモノとが入り混じった装置であるディスプレイを媒介にして、やがて来るアニミズム的状況で最後までヒトに認識されるデータとモノとの境界を探り出そうとしているからである。それゆえに、ポストインターネットをディスプレイという観点から考察することで、インターネットとともに広がりつつあるアニミズム的状況におけるヒトの認識に関して、以下の対象についての考察が得られると考えている。

  • 光の明滅のモノ化
  • モノと情報との境界
  • モノの相互貫入
  • 影と重力
  • モデルとテクスチャー

次回は、渡邊朋也の《画面のプロパティ》を手掛かりに、美術批評家のgnckの「画像の問題系 演算性の美学」で示される「理念的なピクセル」と光の明滅の関係から、具体的にモノとディスプレイとの重なりを考えていきたい。

参考文献・URL
1. Brian Droitcour, The Perils of Post-Internet Art, 2014(2016.3.27 アクセス)
2. アーティ・ヴィアカント「ポスト・インターネットにおけるイメージ・オブジェクト」,美術手帖 2015年6月号,美術出版社,p.103
3. 谷口暁彦×HouxoQue「ディスプレイの内/外は接続可能か? 」,美術手帖 2015年6月号,美術出版社,p.90
4. 渡邊恵太『融けるデザイン』,BNN,2015,p.136

水野勝仁
甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授。メディアアートやネット上の表現を考察しながら「インターネット・リアリティ」を探求。また「ヒトとコンピュータの共進化」という観点からインターフェイス研究を行う。

Dirt on Tape Vol.03

カセットテープコレクターDirty Dirtがマンスリーでお送りする、連載第三回。
カセットテープに関するあれやこれやをご紹介します。

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Dirty Dirt / Text: Dirty Dirt, Title Logo: ancco

現行カセットテープ入門というかんじですすめていますけれど、もう3ヶ月目、これを読んで1本でも現行のカセットテープをきいてみてくれた方がいたならうれしいです。

UK、USときたので、つぎはカナダへ。カナダにもモントリオールとバンクーバーを中心にたくさんのレーベルがあってUSとおなじ雰囲気がありながら、やはりもうすこし地下なかんじがします。そのなか、今月取り上げるのはバンクーバーの〈1080p〉

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2013年にニュージーランドからバンクーバーへ渡ってきたRichard Macfarlaneが立ち上げたレーベルで、ここ2年くらいのあいだで最も成功したカセットレーベルです。〈100% Silk〉の人気がすこしおちついてきたころで、そのままおもしろいハウス、ダンスミュージックの流れを引き継ぎ、おしすすめた印象があります。〈100% Silk〉もカセットのリリースにおいてはいまもすばらしいですけど。

ここの特徴といえば、統一感のないところ。毎リリース、Jカードのデザインをがらりとかえてと統一感のないアートワークはこれまでのカセットレーベルのイメージを変えてしまいました。そしてリリースする人選も、はじめからバンクーバーのローカルなシーンをすくい上げるだけでなく、〈Exo Tapes〉などからギタードローンを主に発表していたブルックリンのM/Mによるテクノ名義を発表したり、ドイツ、オーストラリアなど各国のポップなかんじと地下なかんじの絶妙なところを拾ってきてリリースします。いろいろと地下な方面を追っているこちらでさえまったくきいたことないなまえもかなりあって、しかし、どの作品も絶妙にポップでゆがんでいて、常にあたらしい発見をあたえてくれます。

そしてここのすばらしいところは、毎月リリースを欠かさない事。カセットレーベルを追っていておもうことは、勢いのあるところは、とにかくたくさん、休みなくリリースします。そういうカセットレーベルならではの身軽さを存分に使い、つぎからつぎに新しいひとを出してくるのが、追っていてたのしいです。

1年に1度くらいなにかしらの記念なときにBandcampでそれまでリリースしたデジタルな音源をname your priceで放出したり、オランダのSubbacultcha! にコラムの連載をもったりと、もともと音楽ブロガーであった主宰者によって、奔放でいて戦略的にじぶんたちの音楽を広めてゆき、2015年からは12インチも着実にリリース、日本のクラブでもここのティーシャツをきていたりバッグをもってるひとをちょこちょこと目撃するくらいにまでなりました。そして初期にリリースされたものは、discogsで高値で取引きされることもあったり。

これまでのリリースで気に入ってるものは、このレーベルの代表作となったMood Hut直系ハウスなProject Pablo、ことしに入ってかなり多くのメディアに取り上げられているニューヨークの女子DJ集団Discwoman主宰なひとりUmfang、おなじくニューヨークのゆがんだ邪悪ハウス女子Via App、モントリオール地下女子代表なRamzi、Health GothはきたのかこなかったのかなMagic Fadesなど、地下加減とポップさのバランスがすばらしいです。

ほぼ新人ななか、〈Software〉との共同リリースなCo Laに、Torn HawkLuke Wyattによるアンビエント名義なInfinite、〈NNF〉からリリースしていたGolden Donnaによる別名儀Auscultationと、これまで活動していたひとの実験的な場としても機能していて、そういうところもおもしろいです。

UKのカセットレーベルでのテクノの勢いがすごくなってきたのと同時に〈1080p〉がもうすこしポップで、でもすこしヘンなダンスミュージックを出し続けて人気を得てゆくという、あまりDJでつかわれることのないカセットという媒体でそういう音楽が中心となって人気をひっぱってるというのが、ここ2年ほどのあいだでおもしろい流れだとおもっています。

部屋でひとりラジカセを通してハウスをきくたのしさ、安ラジカセのこもった音でじゅうぶんなので、みなさんもこのレーベルからぜひ。

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3月で好きだったものをいくつか。

ペルーのリマ出身、ロンドン在住のデビューカセット。ブラックメタル出身で、終始飛び交うノイズと、呪術的な雰囲気、変調声、そしてときおりなビートと、かなり内容がつかみどころないんですが、Pod Blotzに続いてゆくような暗黒な雰囲気があってよいです。まだまだ情報がすくなすぎて、マスクに紋章のようなものがかかれている写真や廃墟でのライブ写真など、見た目もかっこいいです。こういう女子が日本からもでてきてほしいです。

 

CAO “Marginal Virgin” (Opal Tapes)
https://opaltapes.bandcamp.com/album/cao-marginal-virgin

自主リリースを重ねてBrad Roseの耳にとまりDigitalisからもリリースしていたAdam KeithによるCubeの11作目の自主リリース。自主でどんどんだせるあたりがカセットテープのよいところで、でもそんなのばっかり追ってたらキリはないんですけれど、直接なやりとりがたのしかったり、追ってたひとがすこしだけ有名なレーベルからっていう瞬間にたちあえるのはうれしかったりします。Babe, TerrorやM/Mと知ったころがいっしょだからか近い印象があって、曲ごとに雰囲気ががらりとかわりながら、全体的にすこしゆるい雰囲気が漂っていて。新作ではすこし尺の長いノイズをまき散らしたテクノの印象が強く、Containerよりな素直なかっこよさ、とおもいきや、やっぱりその裏で暴発するゆるい電子音。レコードもでるみたいなんで、ことしは飛躍してくれれば。

Cube “803-206-0028” (Self Release)
https://soundcloud.com/adamkeith-1

今回の〈Orange Milk〉のバッチはすべてよいです。先月、DJWWWWとCVNについてはすこしかかせていただいたので、もうひとつのお気に入り。ロシアのNV。Kate Shilonosovaによるソロデビュー作です。自由にはねまわるリズム、ポップな音のつらなりの端々には細やかな音の遊び、そしてそこに重ねられるささやきに近い声や、曲名の日本語を使ったりInstagramにときどきあがる写真から日本のこと好きなんだろうなって伝わってくるんですけど、80年代な日本のポップなメロディな歌がものすごくよいです。ことしこの子の人気がでないならカセットにもロシアにも未来はないくらいによい。きょねんから、ロシアがくるっていう雰囲気でしたけれど、音だけでなく、キリル文字を使った服だったりといま本格的にきてますよね。

NV “Binasu” (Orange Milk)
https://orangemilkrecords.bandcamp.com/album/binasu

ベルリンへうつった〈Total Black〉からスウェーデンのVargとSARSによるユニット。これもタイトルがキリル文字です。このJカードの文字と絵をあしらったティー・シャツもつくられてて、買えばよかったです。Vargの鋭く冷たい打撃の連打と、ニューエイジなシンセによるアンビエント、そしてノイズとVargな雰囲気そのままですが、そこに女子の声が重なるんだから、よいに決まってます。ケースがおもいっきり砕けて届きました。よいテープはたいがい砕けて届きます。

Född Död “он не может любить тебя больше” (Total Black)
https://totalblack.bandcamp.com/album/-

UKのふたり組。今月かいた〈1080p〉の初期にもリリースしていたころはヘンなハウスのひとたちというイメージでしたが、きょねんの〈Opal Tapes〉ので、暗黒な四打ちのうえでたゆたうシンセのゆらめきがものすごくよくって、新作ではOpalでの実験的な空気から四打ちへうつってゆく構成力もすばらしいです。〈Seagrave〉は〈Opal Tapes〉、〈Where To Now?〉 に続くUKテクノの注目レーベルです。A i w A、Broshudaとそれぞれ密接につながりながらも、それぞれの色がでていて、やはりUKはおもしろいなとおもいます。

Perfume Advert “Foreverware” (Seagrave)
https://seagrave.bandcamp.com/album/foreverware

デンマークの〈Phinery〉姉妹レーベルから。覆面をかぶっていて素性がわからないポーランドのふたり組。これでもかと打ち込まれる打撃音と、不穏に飛び交う電子音、オリエンタルな雰囲気のある音のつらなり、黒く粗っぽい空気をふりまきながらもクリアな電子音も重なりながら、ただただ突っ走るかんじ、かっこいいです。かぶっている覆面にも美意識があらわれていて、ライブをみてみたいです。

RSS B0YS “B0DY FL0W” (Speaker Footage)
https://speakerfootage.bandcamp.com/album/b0dy-fl0w

Dirty Dirt
現行のカセットテープコレクター。2015年は450本購入。カセットテープに関するブログ、zine、雑誌への寄稿、たまにカセットDJなど、現行のカセットテープのことならなんでも。 http://dirtydirt2.blogspot.jp