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須賀悠介、永田康祐、山形一生による3人展「Seeing things」が開催された。3DCGを扱うという共通点を持つ3人のアーティストが、「イメージ」というテーマのもと作品を制作し、tokyoarts galleryの空間にバラエティ豊かな作品を展開した。

眩しい光沢を放つ商品、美しい肌の色、一つの汚れもないハイクオリティな生活。美しい写真が撮れる、スマートフォン。メディアと商業資本が作り出すイメージは、企業の欲望が投影された単なる記号にすぎないけれど、その記号によりドライヴされたイメージは強大な力を内包している。

イメージというとわたしたちは平面を想像しがちだが、その視野に映る世界も実際のところ眼球の奥へ投射された光なのだから、そもそもわたしたちは平面的に世界を眺めている。だから奥行きというのは、想像された世界なのかもしれない。

わたしたちは想像の力で、平面の向こう側へと突き抜けようとしてきた。絵画平面への没入を誘うさまざまな試みはその表れだが、数学の面で言えばその結実はデカルト座標のような概念といえるだろう。その3つの矢印はいまやわたしたちの空間理解の見えざる基礎となっている。人間が作り出した道具がこのように、現実の認識にまで影響を与えるのは興味深いことである。

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3Dソフトウェアツールで作られているものは、我々の実物空間の理解や接し方などを大きく変えた。それは今の建築家が、設計に使ったAutoCadのバージョンを認識できるぐらい影響の強さがある。(Manuel Fernández Interview

Manuelが言うように、わたしたちの認識の仕方は、社会構造とセットになってひとつのインフラを形作っている。そのときメディアを形作るテクノロジー群は、自然環境のように透明な存在となってしまう。だから今のメディアアーティストには、テクノロジーは必要ない。彼らが目に見える形でテクノロジーを使用していないのが、その証拠である。

記号の操作のようなもので豊穣な意味が生み出されていくなら、わたしたちはその新しい空間に書き込まれた意味を読み取って楽しむことができる。しかしその結果には、なにか恐ろしいものが待ち受けている予感がする。イメージに内包されたパワーが、わたしたちを侵食するからである。

幸運なことに私たちはまだその手前の段階にいるのかもしれない。その現実にどのような姿勢を持つかは人それぞれだが、その「現在」の可能性を紐解く必要はあるように思える。だからメディアに意識的なアーティストは、テクノロジーではなく、「現在」の可能性という実験にシフトしていく。結果生み出されるのが、ただ「奇妙な感覚」のようなものだとしても、少なくともその感覚はわたしたちの見方をふたたび新しくしてくれるに違いない。

会期: 2016.09.02‒15(終了)
会場: tokyoarts gallery
http://seeingthings.xyz
出展作家:須賀悠介永田康祐山形一生