Counterfeiting an alternate reality: olo

偽造をテーマに活動する作家olo。
彼の作り出す、ヒヤリとする「架空」の世界像。

Interview & Text: Yusuke Shono, Translation: Go Hirose

olo(オーエルオー)は、「架空」「偽造」をテーマに作品を制作する作家である。本名やその実生活は明らかにされておらず、発表形態はゲリラ的。独特のユーモアと、皮肉が込められた偽新聞のシリーズは、愉快犯的に拡散され、ネット界隈を騒がすことも多い。彼はまた、架空の紙幣の制作者でもあり、さまざまな用途での受注も行なっている。子供の頃より紙幣の魅力に取り憑かれ、続けてきた紙幣の研究により生み出されたその精巧なデザインは、架空とはいえ、実際の存在感を湛えた雰囲気、紙幣ならではの美しさを備えている。そして、最近では「隣接世界」と名付けられた並行世界の画像のシリーズにも注力している。その作品には想像力を刺激する不可思議な魅力がある。

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最初に制作された架空紙幣は三年前だそうですが、その作品は自分のために作ったものですか?
目的はそうですね。きっかけは、思いつきというのがひとつ。あと、たまたまその日残業を強制されて、ものすごく腹が立っていたんです。それで家に帰って、あ、千円札作ろうと。「日常」というアニメのキャラクターの作品なんですが、主人公が自分の描いたBLマンガを警察官に見られたくなくて、千円札を出して「これで勘弁してください!」と叫ぶシーンがあるんです。そのネタと仕事のストレスが急に結びついて、これを作ろうって。ストレス解消のためというか。

その一枚の千円札から、次々と架空紙幣を作っていくわけですね。
自分は絵が描けなかったんですが、昔はFlashアニメなんかも作っていました。お話を作ることが好きだったんですね。そこで、紙幣を使って世界の一部を作ることができるのかなと思ったんです。そこに紙幣があるっていうことは、それを作っている国がある。そこになにかの一端、現れとして紙幣がある。そんな感じで、お話の断片みたいなものがあるんです。

「偽物」を作るところにoloさんの特徴があると思うのですが、偽物にこだわる理由は何ですか?
例えば、紙幣にしろ立体物にしろ、レプリカとか偽物は壊しても本物が壊れているわけじゃない。それが安心できるというか……。1万円札を燃やすという気分を味わいたい時に、本当に燃やしちゃったら1万円がなくなっちゃうわけです。でも複製品を作って燃やしたら、同じような気分が味わえる。そのような考え方が根底にあります。既製品を自分で作って好きにいじりたい。それも合法の範囲内でですね。

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拡散した作品に関しては、自分が作者であるというのは明かさない?
まあ、そうですね。以前、「特定菓子贈与禁止法案可決」という、ヴァレンタインを禁止する法律が施行されますという内容の偽新聞を作ったんです。それを自分のブログに上げたのが転載されて、広がっていった。その偽新聞のまとめページがあるんですけど、そこでは出所はよく分からないということにされている。それは今思うと象徴的な出来事でしたね。

実名を出さない活動形態もそうですが、それはネットが出てきてはじめて成り立つやり方ですね。
いろんな人が面白いと思ったら拡散するし、そうでなければ広がらないですよね。そういう意味でいうと、自分が作ったものが他人が面白いと思うのかどうかが分かりやすい。

実はそういう考え方をずっと持っているんです。完全に共有している知識はひょっとしたらないんじゃないか、と。突き詰めていくと、完全に同じ知識を共有しているということはない。それでも、かろうじて曖昧な概念がお互いに保たれていて、どうにかコミュニケーションを取れている。

図や絵柄が人に影響を与えることに興味があると以前書かれていましたが、それも同じ発想から来ている?
架空紙幣に関しては「拡散」とは別のコンセプトで作ってます。細長い紙に何かが印刷されていても、お札には見えない。でも、こういう模様が入っているとお金に見えるということがある。お金として見えるためにどこかに言葉で説明できる理屈があるわけです。最低何があれば紙幣としての条件を揃えられるか。逆に何を省略して大丈夫なのか。架空紙幣に関しては、そうしたことの研究という意味があります。

紙幣というと法律なども関わってきますよね。そうしたことは気をつけていますか?
気をつけていますね。自分で法律や判例を調べて、こうすれば大丈夫だろうということはやっています。既存の通貨単位を使わないとか。本物と誤認されないように、裏面を刷らないとか。世界中の誰が見ても偽物だと分かる、それでいて紙幣感が感じられるものを作るということです。美術家の赤瀬川原平さんの前例にもあるように、簡単に捕まってしまう可能性もあるので。そういった意味でも気をつけなければならないですね。

最近の作品ですが、「隣接世界」はまた新しい展開を見せていますね。
元ネタは2チャンネルの書き込みなんですが、この世界に極めて近い並行世界に行ってしまって、その住人たちは日本語を使っているんだけども、配置がデタラメだったというものです。そのデタラメの恐怖感とはどんなものだろうと思ったのがこの作品の始まりです。そういうものを街中で見た時に、たぶんヒヤッとすると思うんです。それを自分で作ってみたいと。

そのヒヤッていう感覚はどこから来るんだと思いますか?
自分の持っている知識とか、他人と共有しているはずの知識が、全く役に立たないところに放り出されたらどうなるのか。そういう感覚を味わってもらいたい。どちらかというと怖いっていう感覚ですかね。いちどその世界を覗いてみたいというのはありますが、帰ってこられなくなったら嫌ですね(笑)。
 実はそういう考え方をずっと持っているんです。完全に共有している知識はひょっとしたらないんじゃないか、と。突き詰めていくと、完全に同じ知識を共有しているということはない。それでも、かろうじて曖昧な概念がお互いに保たれていて、どうにかコミュニケーションを取れている。でも、それは常に成り立つわけではない。あえて、それをとっぱらちゃったらどうなるんだろうか。そういうことを最近は考えています。

参考著作)すべてolo著
架空紙幣図録
合法的な架空紙幣の制作に関する考察
隣接世界訪問写真集