アンダーグラウンド・カルチャーの価値とは。La Mano Friaとその10年。

アンダーグラウンド・カルチャーの価値ってなんだろう?そんな基本的な問いをあらためて口に出して言ってみたくなったのは、先日、UPLINKの展示のために訪れていたLa Mano Friaと久しぶりに会うことができたからでした。La Mano Friaの展示は、自身の10年の活動を振り返るもので、日本のガムテープを用いて、彼が生み出してきたロゴやグラフィックワークを再構成したコラージュ作品をメインとしたものです。現在はすでに展示は終わってしまいましたが、再び彼と語り合えたのはとても嬉しい出来事でした。

2000年台初頭に僕は、彼の発信する強烈な社会的メッセージが込められたTシャツやレコードジャケット、レーベルのCDやレコードなど、その活動の虜になっていました。思い起こせば、彼のようなハードコアな姿勢で活動する人たちの出会いがもっとも大きなインスピレーションの源で、それがなかったら僕もこのようなメディアを作ることはなかったかもしれません。

それから結構年月が経ち、シーンの姿も様がわりしました。自分自身が自明と思っていた価値も、長く続けていくうちに色あせて、その意味合いも不明瞭なものになっていきます。生き物のように人間の表現も進化していくものだから、僕は変化しいてくのは当然だと思っています。こうしてアンダーグラウンドな表現領域を見続けて、いままた改めてこう口に出してみたくなってしまいました。アンダーグラウンド・カルチャーにある価値とは何なのか、と。

この世界では日々新しいものが生み出され続けています。毎日のように入れ替わっていくヒットチャートや、人々の気分や流行、進化するテクノロジーなどといったものと、アンダーグラウンド・カルチャーは何かが違うのでしょうか?

そこには二通りの解答しかありません。一つ目の答えは、アンダーグラウンドもそのほかのものも何も違わないというものです。こう言うこともできるでしょう。あらゆる価値は等価であって、それを愛でる人の数が違うだけなのだと。

実際、その考え方は理解できるものです。そのことを一度理解してしまえば、等しく同じ姿勢であらゆるものを楽しむことができます。極めて柔軟だし、とても開放的な姿勢だといってもいい。文化を等しく楽しむそのような姿勢から、今後さらに新しいものが生み出されるかもしれない、そういった予感すら持っています。僕の印象をいえば、こうした姿勢は今の若い人たちに多いような気がしています。

もう一方の答えはもう言わなくてもわかりますよね。僕はいまだアンダーグラウンドな文化にある価値を信じ続けています。先程触れたように、これは世代的なものかもしれません。アンダーグラウンドの文化自体が、当時は身の回りに溢れていたから、その価値自体を自明のように思っていました。きっとこの領域にいる人はだいたいそうで、皮膚感覚で生きているから、その価値が何なのかなんて口に出したり、ましてや書いて発表するなんてことはありません。

僕に言えることは、La Mano Friaのようにその価値を見つけた人々が、たとえ実際にはどのような苦境に立たされていても、自分の信じた価値をさまざまな表現の形に変えて発表し続けているという事実だけなんです。僕が彼からインスピレーションをもらったように、それがまた誰かに伝わっていく。表現者、そしてそれをサポートする者、観客やメディア、レーベルすべてが輪のように繋がっている。それがこのカルチャーの全容なのです。そこになにか価値があるとしたら、その文化の全体としか言いようがない。そういうことです。

うーん、やはり伝えるのは難しい。言いたいこと、うまく伝わりましたでしょうか?