The new horizon of online curation:
Interview with Manuel Roßner

ヴァーチャルギャラリーcermâからFloat galleryへ。
オンラインからアートと社会の関係の更新を探求する、Manuel Roßnerの新たな試み。

Interview & Text: nukeme, Translation: Natsumi Fujita, chocolat, Goh Hirose

最初期のヴァーチャルギャラリーの一つとして2012年から2015年まで活動してきた“cermâ”が、名称をFloat galleryとして以来、はじめてとなる展示“Ultralight Beam”が公開された。
cermâのキュレーションでは、“What we call painting(私たちが絵画と呼ぶもの)”、“Act Natural(自然な行為)”など、オンライン空間での可能性を意欲的に模索してきた彼に、これまでの活動や、これからの社会との関わり方など、様々なトピックについてインタビューを行った。
オンラインギャラリーとは、どのような空間なのだろうか?
物質性が無くなることで、そもそも近年希薄になった「絵画」や「彫刻」といったジャンルの区別はさらに希薄になり、結局のところ、アーティスト本人が「どういう考えで制作しているのか」という、コンセプトだけが残る。
この空間では、絵画も彫刻も、ディスプレイの上で、質感を持った光になる。
この不思議な空間と、そこに在る作品を、これから何と呼ぶべきだろうか?

どのようにして“cermâ”を始めたのか、教えてもらえますか?

10年くらい前、15歳とかそれぐらいの時、3Dソフトで“カウンターストライク”っていうゲームとかそういうもののためのマップを作ってたんだけど、使い方はかなり限られていたから、「このスペースで何か他のことができないかな?」っていつも考えてたんだ。建築とか、映画とか、あとプランニングみたいなものにも使うことができるけど、でもやっぱりフィジカルな製作に関連したものになってしまう。それでそこでギャラリーをやることを考え始めた。その時が2012年で、時期的にも良かったね。その頃にはアーティストたちも3Dで作品をどんどん作り始めていたから、プロジェクトを始めることに決めたんだ。。

3Dソフトウエアはどうやって覚えたんですか?

ほとんど独学で。かなり若い時、15歳とかで始めたから、単にやってみたかったっていうか、できるかなって思っただけっていうか。でも今でもまだ勉強中。ソフトウエアの開発者の人たちがどれだけツールをフィジカルな世界に近いものに作っているかっていうことにはびっくりさせられるよ。

“cermâ”はゼロからひとりで?

そうだね、全部。正確にはアート作品以外は、だけど。最初の3つのエキジビジョンを行なったスペースはただ楽しむためだった。名前は“cermâ”から“Float gallery”に変えたんだよ。

“cermâ”と“Float gallery”ではどんなふうに違うんですか?

コンセプトは同じ。だけど、キャパを全部使っていないような気がしてたんだ。レギュラーのエキシビジョンはなかった、というか、そのための時間もあんまりなくて。でも今はもっとギャラリーにエネルギーを注ぎたいと思ってる。サイトのコンテンツをできるだけたくさんの言語に翻訳することも始めたし。それから、長く続けていくために必要だと思ったから、スポンサーも探してる。みんながアートを買ったりできる商業的なギャラリーをやることも考えてたってこと。今のところ、そのアイデアは採用されてないけど。

素晴らしいですね。“cermâ”に参加しているメンバーを紹介してもらえますか?

最初のショウでは自分自身をキュレートして、その次のは“SPAMM”、Thomas CheneseauとSystaimeを招待した。次の作品では、また自分でキュレーターをやるよ。それと同時に、今年の後半に上海のキュレーターと一緒に中国でショウをすることも考えてる。エキシビジョンに世界中からアクセスできるっていうことは違った文化に気持ちを切り替える良い方法だよ。

“SPAMM”のようなプロジェクトは90年代のネットアートに影響を受けているように思います。あなたには好きな90年代のアーティストはいますか?

“cermâ”を作っていた時は、むしろMarcel Broodthaersみたいなアーティストに興味があった。彼はほんとうにおもしろいと思う。60年代の後半に“Musée d’Art Moderne, Départment des Aigles”っていうのを作った人。

それはどんなアートなんですか?

現代アートの条件を反映させる実験なんだ。現代アートの美術館“Department for Eagle(現代鷲美術館)”に彼は力を入れてた。鷲はドイツ連邦共和国のシンボルで、例えば、ゴールドバーにも刻印されてる。だから、彼のコレクションの一部になった。その後、“Départment des Aigles”は破産を宣言して、彼はコレクションを売却した。もちろん金はとても価値があるものだけど、それは「芸術作品だから」じゃなくて、「金っていう素材だから」だったんだよね。もうひとつ彼が作ったのは、ベルギーのビーチでの作品。それは彼の美術館のフロアマップで、引き潮の間に作られた。彼はその写真を撮ったんだよ。海水がきたら、すべてが消えてしまう、彼が撮った写真以外は。オンラインエキシビジョンの場合、画像はあるけど、でもその場所は実際には存在していない。その場所は決して存在はしなかったっていうこと。そこに何か関連があると思ったんだ。

キュレーションはどのようにして始めたのですか? また、それはなぜですか?

最初のエキシビジョンは、“What we call painting(私たちが絵画と呼ぶもの)”っていうタイトルだったんだけど、「“私たち”は誰なのか?」と問いかける一方で、もう一方では「絵画とは何なのか?」という問いかけだった。その時、絵画に対してデジタルのアプローチをしているアーティストを探してて、Jeremy RotsztainとJeremy BaileyとAndreas Nicholas Fischerを見つけた。彼らはみんな絵画のアイデアに関連した、ある種おもしろいやり方をしていて。だから彼らを招待したんだ。「やあ、これどう思う? 何か出したいものはある?」って(メールで)聞いたら、彼らはイエスって言ってくれた。ほんとにわくわくしたよ!

あなたがやっているのはインターネットギャラリーですが、なぜ絵画を最初のテーマとして選んだのですか? 絵画といえばたいてい実際の絵のことで、バーチャルギャラリーと実際の絵というのは、ある意味反対のコンセプトのように思えますが。

その頃は、ふつうの芸術作品にもっと関連づけたかったんだと思う。それとホワイトキューブ(美術作品の展示空間)を使いたかったし。オンラインギャラリーではヴァーチャルになんでも使えるのにね。でも新しいやり方とアートの世界にすでにあるものの関連性っていうことに興味があったんだ。

絵画は一般的なもので、人々はそれを芸術と呼びますが、絵画は芸術の世界で最も一般的だということでしょうか?

そうだね、タイトルは「これが意味するものを行為にまで拡張できるだろうか?」と問いかけてもいたんだ、Jeremy Baileyと彼のブラシで。ブラシじゃないね、マウストラッキングだけど。「やあ、美しいキャンバスを作ったよ。すごい。もうブラシを洗ったりする必要はないんだ。消すたびに、また新しいものを作り出すことができる」って。昔からあるような絵画とはまったく違う。絵画を壊したら、永遠にはなり得ないよね。「見てよ、毎回何か新しく作り出せるんだ」みたいな。おもしろいよ。このテクノロジーのスタイルを頭の中に入れて古風なギャラリーに行ってみたら、すごく違うと思うね。そのギャップとそれをどうやってイメージするかっていうことに僕は興味があったのかもしれない。

タイトルの“What we call painting(私たちが絵画と呼ぶもの)”はある意味、チャレンジだと思うのですが、なぜチャレンジするのでしょう? あるいは、あなたのチャレンジとはどういったものなのでしょうか?

アートの世界の文化的な技術を、社会に焦点を合わせた新しい科学技術にまで拡張してみたんだ。みんな携帯電話ばっかり見ているけど、2012年のギャラリーで見ていたのはほとんどがキャンバスだったし、ギャラリーでは今もそう。もちろん、それはギャラリーのやり方で、フィジカルな絵は絶対にすたれてない。だけど、それと同時に、僕と、僕と一緒に製作しているアーティストたちにとっては、作品にデジタルツールを使うことがより自然だし、それをサポートする構造もあるべきだと思う。

新しい展示、“Ultralight Beam”について教えてください。そのアイデアはどこから来たのでしょう?

“Ultralight Beam”はホワイトキューブに対するある種のアンチテーゼで、美学。ソフトウエアエンジニアリングに基づいた考えで、クラッシックなギャラリーにアプローチしたんだ。だから、作品をひとつひとつ分離させる真っ白な壁の代わりに、強烈な色がそこにあって、その色でそれぞれ異なった要素を区別できる。それに加えて、クロムの柱があって、光のビームをより追いやすくなってる。そこには反射した壁からの色がはっきり写っているからね。最終的には、このコンセプトをまた別の場所にまで拡張したんだ、多摩芸術大学の伊東豊雄が設計した図書館にちょっと似たようなスペースに。あの図書館を訪れた時はほんとうに印象的だと思ったよ。

いろいろな空間が繋がれているのが興味深いですね。なぜ今回はホワイトキューブの空間ではなく、さまざまな場所を選んだのでしょう?

違った文脈の施設からもたらされる、こういった要素の力とそれが互いに干渉しないところを見たかったんだ。ホワイトキューブに関連したスペースに対する技術的なアプローチはもちろんだけど、プライベートなリビングルームやロココ様式のお城でも。ちょっとWi-Fiみたいかな、そこを越えるのに壁や歴史は関係ない。一方で、コピペができて、ある特定のスペースに合うかどうかを見ることができるのは、メディアの特殊性でもある。

あなたのギャラリーそのものがすでにアートだと思います。単にスペース、あるいはギャラリーだというだけでなく、アートプロジェクトのようですね。

そう、確かに僕もそういう考えで始めたんだ。「このスペースはなんだろう?」みたいなアーティスティックなアプローチで。商業的な意図や技術的な意図はなかったんだよ。

キュレーションをすることにおいて、物理的なギャラリーでやることとオンラインギャラリーをやることに違いはありますか?

もちろん、絶対にある。オンラインの作品をやるには、まずは場所は関係ないし、“(作品を)吊り下げる”のと“インストールする”のではまったく違うものがある。発送はしなくていいけど、映画の特殊効果を作るのにも似た製作過程を行なう必要はあるね。

ギャラリーだけでなく、オンラインでキュレーションを行なうというのはより可能性があると思います。キュレーティングはアート作品を集めること、編集すること、コンセプトとアーティストとしての心がまえを持ってステートメントを書くことを意味しますね。

そう、コンセプト的な部分は同じような感じだね。例えば、アート作品やトピックの選び方とか、どうやってそれぞれのピースを関連づけるかとかは、フィジカルなスペースと同じくらいだいじ。最終的には、テキストもとても重要になるんだ。テキストがあると、そのエキシビジョンをさらにまた別の意味にも解釈できるからね。

キュレーションとして、ほかにも何かオンラインでできると思うことはありますか?

アイデアはいくつかあって、次のステップにいくのが楽しみなんだ。準備ができたら、知らせるよ。

まだ誰もやったことがないようなことですか?

そう、たくさんあるよ。たくさんできる。ふつうは展示を作れないようなスペースで。これまでは存在しなかった新しいスペース、物理的には作れなかったようなものでさえある。

オンラインギャラリーは実際のスペースよりも有利な点が多くありますね。24時間いつでもアクセスできて、簡単に新たな部屋を作れて、継続して維持することができる、それに、運営するコストもかかりませんし。あなたはリアルのギャラリーよりオンラインギャラリーの良いところは何だと思いますか? 

色んな場所のたくさんの人たちに届けられること。ほんとうにいいと思う。もちろん、それを見るデバイスは必要だけど、たくさんの人がもう持ってるし、それに、エキシビジョンを見るために飛行機に乗る必要もないしね。もっとショウにアクセスしやすくするために、今サイトをたくさんの言語に翻訳しているところ。上海に行った時、中国人のアーティストに過去のショウの画像を見せたんだ。彼はすぐわかってくれたよ。3年とかそれぐらい前にもうそれを見てたからね。僕は予算があんまりない状態で始めたから、もしフィジカルの世界でやってたら、僕の作品を見てくれる人はもっとずいぶん少なかっただろうね。リアルの世界でも、例えば、ギャラリー地区で広いスペースを借りられたりすればいいんだろうけど。お金があったら、印象に残るような作品とかカタログとか作ることができる。それと同時に、インターネットはエンドレスで、ウェブ上のスペースは手頃な値段で入手できる。でもヒエラルキーはやっぱりあるけど。たぶんGoogleランキングがかなりだいじだね。それから、知覚に特定の性質がある。VRヘッドセットをつけていたら、加法的な色(中間色)のスペースにいることになる。基本的にどの表面も鮮やかで、それはフィジカルな場所では自然ではないことで。Mark Rothkoはどうやって結びつけたんだろうって思うよ。

さまざまなことがあいまいで、境界がないかのようになってきていて、何がアートなのか、何が(アートとしての)写真なのか、わからなくなっています。例えば、私たちがオンラインアートを購入する時、それはバーチャルなものですが、人々はそれにお金を払います。そういったことからも、アートの世界は過去の世界とは違ってきています。特に、インターネットアートは売るのが難しいですし、アーティストは長く続けていけるようなアートを作らなければなりません。この社会で生きて、仕事をしていくために、どのようにしていけばよいと思いますか? アーティストは日常的には別の仕事をする、あるいは、アルバイト的にアーティストをやっていかなければならないのでしょうか? 収益化すること、つまり、お金を作って、アート作品を継続的なものとするには、どのようにしていけばよいのでしょう? どう思いますか?

インターネットの初期のことを考えると、情報やアクセスを民主化するためにみんなたくさんの希望をそこに詰めていたんだなと思う。30年ぐらい経って、議論は大きく変わった。多くのお金が関わってきているし、情報を広げる可能性は状況によっては物議を醸し出すみたいだし。それはまた別の話だけど。僕が一番驚いているのは、公的機関がどれほどあやふやなインターネットの使い方をしているのかっていうことなんだ。すごく良い例もいくつかあるけど、オンラインのショウの素晴らしい可能性を無視してしまいながら、自分たちの壁に固執してる。それで、残念なことに、そこでは収益化が絶対に重要な役割を担ってるんだ。物理的なものを提供しないようすることも、限定的な方法で人々が作品を集めないようにさせてる。それが今日のアートの世界で知られてるような、ありえない価格のもとなんだ。こういった注目やスタイルや裕福な人々を拒絶することは、美術館の決定をする多くの人にとってはおそらく難しいと思う。トラッキングのソフトウエアで数を数える代わりに、リアルの人々に会って、彼らを頼ることも、きっとより満足度が高いだろうね。もちろん進歩もするし、人々は現代の自然な生活状況を反映した作品を製作するだろうけど。でも、どうしようもない。収益化の問題は特にアートの世界だけのことじゃないんだ。音楽業界や映画業界はもっとずっと長い間それを扱い続けてる。科学技術の発展にともなって、制作会社やサービス産業も自分たちのモデルについて考え直す必要があるよ。これから15年で40~60パーセントの仕事は機械がやるようになるっていうことが研究で言われてる。だから、デジタルアーティストの収入問題は社会全体で問われている問題のほんの一部分なんだ。可能性のある答えとしてはベーシックインカムかな……

スイスのような小さな国にはいい考えですね。

もちろん、スイスは特別な状況で、同じ状況の国はないだろうけど。大きなテクノロジー企業は世界中にあるから、彼らは経済をも変えていて、国際企業はこれまでのどの時代でもより重要になってる。

素晴らしいアイデアですけどね。

たしかに、まだたくさんの問題があるし、どうやって実際に実施するかについてさまざまな考え方もある。仕事や多くの心配事から解放するために、ある人の人生において重要な役割を果たしている給与が支払われる仕事をどうやって移行するんだろう? みんなただぶらぶらしていたくないよね? オートメーションに対する拒絶的なアプローチから生産的なアプローチに変えていくことは魅力的であるのと同時に、僕は避けられないことのように思う。日本ではどうだと思う?

オートメーションはいいのですが、今はオートメーションやそういうものを考え出した人たちだけがとても裕福になっています、IT関連の人たちのような。そして、そういった産業に携わっていない人たちは貧しい。貧困の差が広がっているんです。テクノロジーが発展してオートメーションが進んできても、その利益を得られる人は限られています。ですから、ベーシックインカムは良い考えかもしれないですね。

そうだね、僕がホテルを予約したら、その価格の大部分はオランダやカリフォルニアの会社にいくし、情報を検索したり、友だちに(メールを)書いたりしても同じ。多くのサービスがどんどんそういう方法で行なわれているけど、それは誰にとっても輝かしい未来のモデルだとは僕は思わない。他の人たちと一緒に働きながら、僕たちのフィールドで、この議論に直接的に意見を言うプロジェクトに取り組んでいるところなんだ。もうすぐリリースされるから、また知らせるよ!

Manuel Roßner
http://www.manuelrossner.de/

“Ultralight beam” is now online on www.float.gallery and at 1822-Forum, Fahrgasse 9, 60311 Frankfurt/M., Germany until February 25, 2017