ビートミュージックからアンビエントまで、領域を超えた独自のサウンドを生み出してきた若きトラックメイカーMadeggこと小松千倫。京都で活動する彼の初個展が、高円寺のWorkstaion.で開催された。トラックメイキングからデザイン、そしてコンテンポラリーアートとその表現領域は多岐にわたるが、多様な表現の奥には共通した核が存在しているように思う。そんな彼に展示のコンセプトを聞いてみたところ、なんと「ハウスミュージック」とのこと。最近「ハウスミュージック」をテーマにしたパーティも始めたばかりだから、それも関係しているかもしれないなと思いつつ、個展開催中の小松千倫にそのコンセプトの詳細について聞いてきた。

東京では初個展ということですが、Workstaion.で行うことになった経緯は?
京都でこれまでグループ展示はやっていたんですけど、個展はやったことがなかったんです。Workstation.の矢満田さんに以前フライヤーのデザインをお願いしたことがあって、彼らのグループ展も見に来ていたので、僕からやらせてくださいとお願いした感じです。Workstation.の人たちはとても美意識が強いので、僕でいいのかなっていう気持ちもあったんですが、是非という感じで。それが3ヶ月前。

小松さんといえばトラックメイカーとして知られていますが、サウンドアート的な方向ではなくてインスタレーションという表現手法を選んだのはなぜなんでしょう?
音楽をつくっている時も僕はわりとイメージ先行なんです。分かりやすくいうとイメージを作るのも、音楽もやっていることは同じと思っています。今でも音楽をつくっているという意識はなくて。形式的には音楽という手法を取るんですけど、イメージをつくるのと同じような質感でやっていいんじゃないかと。

アルバム「NEW」はかなりコセンプトをしっかり立てて制作されたと聞きましたが、そういう手法はまさにアートの人のやり方だなと感じました。
悪い癖かもしれないんですが、自分は作る前にそうやっていろいろ考えちゃうところがあって。そのときは音楽から「共感」を得るものはなくて、もっとちゃんと考えてやりたいという気持ちがあったからですね。

共感というのはどういうものですか?
今のアーティストってアイドルみたいなものに近くなっていっている気がするんです。音楽でも、スター性を重視すると、キャラクター性のようなものが強くなっていってる。それに対して違和感があって。むしろ僕は言っていることが全然わからない人の方が面白いと思っているんです。その人が好きなのか、それともその人の音楽が好きなのか。そうじゃないと分からなくなる。結局ほんとうには音楽を聴いていない気がするんですよ。

ちなみに今回のテーマが「ハウスミュージック」ということですが、そのテーマを選んだのはなぜですか?
ハウスミュージックに最近はまっているんです。最近はインダストリアルっぽいテクノが流行っていると思うんですが、そういうものをたくさん聴いたので、ハウスのような音楽を自然に聴くようになったのかなと。それでハウスっておもしろいなって思って。しかもカナダとかオーストラリアとかダンスミュージックの中心国じゃないところで盛り上がっていて。そういう現象にも興味があって。

ハウスはもともとウェアハウスというシカゴのクラブでかかっていた音楽のことで、それで「ハウス」と呼ばれるようになった。当時抑圧されていた社会的なマイノリティとかそういう人たちがクラブに行って現実を忘れて踊るという面があって。そうやって社会の暗い部分を、ハウスっていう楽しい音楽で隠してる。明日を生き抜くために、そのために今を楽しみたいという音楽なんだなってわかった。内部構造を隠して、そこからスタートするというコンセプトはおもしろいなと思って。

例えば自分の作品で言うと、この作品は元はGoogleストリートビューで見つけた画像なんです。それを30dpiでコンビニで印刷して、金色のマーカーで点描で描いていくということをやっています。表面をなぞることで表現するというのが、表面に特化したハウスという音楽に繋がってると思ったんです。

表面を扱ったアーティストがたくさんいる一方で、今説明していただいた作品で言うと、印刷で再現できるものをあえて自分の手を使って完成させるという手法をとっていますが、やはりそこは自分の身体を経由させたいという気持があるんでしょうか?
やっぱりありますね。表現のフェティッシュな部分かもしれませんが、これなんかは絵にしたいという気持ちがあって。印刷物ではなくて、絵にするために自分で描かなくてはならない。

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ではテーマとしては、イメージというか表面に関心があるんですね?
そうです。ポストインターネットの作品の流れで、みんなその次を探していろんなことをやっていると思うんですけど、それは共感するところがあって。ブラックボックス化してその中に何があるかを忘れるということかなと僕は思っています。記憶しないようにするというか。物の背後にあるものは盲目的に捨てて、目の前にあるものだけ、表面からスタートしようということじゃないかと。

アルバム「NEW」のときも「はりぼて」という言葉で音楽を建築物に喩えて説明されていましたね。やはりそのときもそういった問題意識を持って制作されていたんでしょうか?
そうですね。あれはあんまり覚えていないんですが(笑)。そのころはアンビエントについて考えていて。地下のクラブで鳴っている音楽が、地上に出て音が漏れているけれどどこまでが音楽として認識できるかという話だったり、タージマハルをはじめてみたときに巨大すぎて逆に平面に見えるといったような経験論のようなものを読んで刺激を受けて、たとえばそうした建築物が音楽の構造だとしたら、アンビエントのようなテクスチャーが遠くから見える風景のようなものなんじゃないかということを考えていました。

インタビューの最初でも言っていましたがMadeggの音はたしかに視覚的なところがあると感じました。展示の話にも繋がるかもしれないんですけど、音楽とか視覚表現に興味を持った原体験のようなものはなにかあるんでしょうか?
たまに高知に帰ることがあるんですけど、今になってたまに思い返すことがあって。高知はほんとに田舎なので、遠くを見るしかないんです。近くに何もないんですよ。田んぼとかトラックとかそういうものしかないから。海が近いとか。田舎だと遠くを見るしかなくて、それは言い換えると想像するしかなかったんじゃないかと。イメージするしかない。さっきのハウスの話につなげると、ハウスは構造的に言うと、ブラックミュージックのR&BとかディスコとかBPM100ぐらいのものを、BPMをあげてラテンのリズムをサンプリングして作っていたと思うんですけど、それってつまりエキゾチカですよね。異国情緒主義というか。異国への憧れみたいなものを夢想して、音楽に取り入れている。今の現実にはなにもないから、遠くを見ないとならない。そういうことなのかなと。

小松千倫
http://kazumichi-komastu.tumblr.com
https://soundcloud.com/madegg

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