ゲームアートから考える

In-game Photography その1

Text + Tite image: Akihiko Taniguchi

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ゲームの中でシミュレーションされる世界

ビデオゲームの中では様々な風景が描かれている。壮大な山々の連なり、欝蒼と茂った草木、打ち捨てられた廃墟が、3Dのポリゴンと美麗なテクスチャーで描かれ、配置されている。その風景の中では鳥の鳴き声や雷といった効果音や、叙情的な音楽が流れることもある。登場する人物たちは、あらかじめ用意されたモーションとアルゴリズムにしたがって様々な演技を見せる。敵との闘いや、愛する者の喪失、主人公の葛藤が描かれ、物語は複雑に進行して行く。これらゲームの風景を構成する様々な要素は、コンピューターの演算によって支えられ、全ては目の前のゲーム機かパソコンの中でリアルタイムに実行されている。つまりゲームは「いま・ここ」で生起する総合芸術と言える。そしてそれはある閉じた世界を形成する。

オープンワールドのゲームでは、時間が流れ、常にその世界が変化し続けている。朝になると日が昇り、夜になると星空が見え、天候も多様に移り変わってゆく。プレイヤーが操作しない通行人のようなキャラクターも、意思をもっているかのように自律的に振る舞い、朝になると目覚め、夜になると眠りにつく。例えば、「Grand Theft Auto V」をプレイしていると、そこには世界の全てが包含されているように思える瞬間がある。あるいは、「Fallout 4」のように、実際には存在しない、文明が崩壊した未来の世界ですら現実のような確からしさをもって感じられることがある。このように複雑に変化しつづける、まるで現実のシミュレーションのような世界はなぜ存在しているのだろうか。そこには何が映し出されていて、いったい何を意味しているのだろうか。

それを知るためには、例えば得点を競ったりミッションをクリアするといった、ゲームが持つ合目的性から逃れること、つまり、プレイすることをやめ、ふと風景の中で立ち止まってじっくりと世界を観察することが必要なのかもしれない。あるいは、朝目覚めた時、しびれてしまって動かない腕が、自分の腕ではなく重い肉の塊のように感じられる時のように、一時的な不具合・グリッチによって自明なものの本質を暴くような方法が有効かもしれない。そして、こうした方法はいくつかのアーティストたちの実践、特に「ゲームアート」と呼ばれる作品の中に見つける事ができる。この連載では、そうしたゲームアート作品を通じて、ゲームの中でシミュレーションされる世界について考えていく。

マシニマから始まるゲームアート

ゲームアートとはなんだろうか。一般的に『ゲームアート(game art)』という言葉は、ゲームの中に登場するキャラクターや、そのゲームの世界を構成する建物やキャラクターのアートワークのことを指すことが多い。しかし、ここではそうしたアートワークではなく、それよりも少しマイナーな領域である「ゲームアート」について言及していく。それは、ゲームに影響を受けて制作されたり、ゲームを改造、再利用して制作された美術作品としての「ゲームアート」のことだ。このゲームアートの研究者でもあり、アーティストとしても活動するマテオ・ビタンティ(Matteo Bittanti)は、自身の授業スライドでゲームアートの領域を現代美術とビデオゲームが重なり合う場所として表現している。

GAMESCENES : ART IN THE AGE OF VIDEOGAMES – Matteo Bittanti
http://www.gamescenes.org/course.html

ゲームアートと呼びうる作品には、ゲームのリプレイ映像を用いたり、ゲーム自体を改変して制作された映像作品や、ゲームの中の場面やキャラクターをモチーフにした絵画や彫刻、インスタレーションなど様々な形態の作品が存在する。また、そもそもビデオゲーム自体がコンピューター上で動作するため、既存のゲームを改造したり、独自にゲームを制作して作られたデジタルな形式の作品は、メディアアート作品としても扱われてきた。つまり、そうした既存のジャンルを横断して別の視座を与えるものとして捉えることもできるだろう。ゆえに「ゲームアート」という輪郭を厳密に定義することは難しい。しかし、その起源を『マシニマ(Machinima)』と呼ばれるビデオゲームの映像を素材とした映像作品に求めることができる。このマシニマについての概略と特徴については「ゲームアートにおけるゲーム世界の自律性 ミルトス・マネタスとビデオゲーム以後の芸術」というテキストをエクリに掲載しているのでそちらを参照してほしい。

http://ekrits.jp/2018/05/2620/

マシニマを制作するためには、ゲームのキャラクターをいったんコントローラーや、キーボードによって操作し、それを映像として撮影する必要がある。多くのマシニマ作品では、三次元空間を自由に移動できる3Dのゲームが用いられ、映像を撮影する際にはゲーム自体に用意されたリプレイ機能が使用される。リプレイ機能では、一度プレイヤーが主観的な視点からプレイした動作を記録し、リプレイ時にはその動作がプレイヤーの手を離れて再演される。そのため、ユーザーはまるで幽体離脱したように、身体を持たない透明なカメラマンとなり、自分の過去の再演を自由な位置から撮影することが出来るようになる。そして、そのようなリプレイ機能を持ったゲームが登場したことが、マシニマが始まることの条件の一つとしてあった。

Quake Movie: Apartment Huntin’
Apartment Huntin’は「Quake」 というFPSゲームを用いて制作された初期のマシニマ作品のひとつ。このように、通常プレイする際の一人称の視点から離れて、カメラが自由に移動している。

ゲームの中の写真を撮ること

マシニマでは、ゲームの世界の中で仮想のビデオカメラを回して撮影が行われるわけだが、ゲームの中で映像を撮影するのではなく、静止画、つまり写真を撮影する表現が近年になって増えてきている。それが『インゲームフォトグラフィ(In-game Photography)』だ。これはその名の通り、ビデオゲームの中で写真を撮影することだ。インゲームフォトグラフィの作品を探していくと、マシニマ同様にそれぞれのゲームのファンが制作し、ファンコミュニティの中で公開されている作品や、写真家やメディアアーティスト、現代美術の作家によって制作された作品が見つかる。インゲームフォトグラフィは、純粋に写真表現の新しい領域として、あるいはゲームアートのひとつの形態として捉えることもできるだろう。実際に、インゲームフォトグラフィの事例をいくつか挙げてみたい。

ダンカン・ハリス(Duncan Harris)はプロのインゲームフォトグラファーだ。2007年ごろからゲームのスクリーンショットを自身のブログに掲載しはじめたことから始まり、現在では様々なゲームの広告やマーケティングのための写真を撮影している。 ダンカン・ハリスは、こうしたコマーシャルな領域で活動するインゲームフォトグラファーのパイオニアとして位置付けられることが多い。

https://0100101110101101.org/portraits/
Portraits (2006-07) – Eva and Franco Mattes

Eva and Franco Mattes は、セカンドライフ(Second life) のアヴァターの姿を撮影した「Portraits」(2006-2007)という作品を残している。アヴァターはユーザーが自由に編集することができ、しばしばプレイヤーの理想的な姿として作られることがある。そうしたユーザーの欲望が投影されたものとして、あるいはセカンドライフの描画エンジンによって生まれてくる質感も含む、セカンドライフ固有の美学を映し出している。

http://colleo.org/postcards-from-italy/
POSTCARDS FROM ITALY (2016) – COLL.EO

ゲームアートの研究者でもあるマテオ・ビタンティと、アーティストのコリーン・フラハティによるコレボレーショングループCOLL.EO は、オープンワールドのレースゲーム Forza Horizon 2 の中の退屈な風景を写真に収めた。それらを、「BORING POSTCARDS FROM ITALY」 という写真集にまとめた。イギリスの写真家、マーティン・パーの「Boring Postcards」のシリーズを参照しながら、実在しない想像上のイタリアの風景の奇妙さを切り取っている。

http://kentsheely.com/dod
DoD (2009-2012) – Kent Sheely

ビデオゲームを用いた作品を多く制作しているアーティスト、ケント・シーリー(Kent Sheely)は「Day of Defeat: Source」という第二次世界大戦をモチーフにしたFPSゲームを改造して作品を制作した。GUIの表示や、武器を取り除き、銃を発射するボタンをスクリーンショットを撮影する機能へと置き換えたのだ。そして、兵士としてではなく、ジャーナリストの視点からヴァーチャルな戦場の風景を記録していった。その写真に見られるあらい粒子の質感や、手ブレを起こしたような表現は、ロバート・キャパのような戦場カメラマンによる写真の美学に基づいている。

http://leosang.com/vrp/#/backseats/
Backseats (2015) – Leonardo Sang

ブラジルの写真家、レオナルド・サンは、VRP (Virtual Reality Photography)と自身が呼ぶ、ゲームの世界で撮影した写真作品を手がけている。「Backseats」という作品は、レースゲームを後部座席の視点から撮影した写真作品だ。後部座席から撮影することで、速さを競うレースゲームが、のどかなロードトリップ(車による長旅)の場面へと変えられている。

インゲームフォトグラフィから考える

インゲームフォトグラフィーは通常の写真表現がそうであるように、現代美術やメディアアートなどの美術のコンテクストに基づいて制作されるだけでなく、コマーシャルな領域で活動する写真家によっても実践されている。一見しただけでは、たんなるスクリーンショットのように見えるが、スクリーンショットとはいったい何が異なるのだろうか。また、これまでのフィルムやデジタルの写真表現に対してどのように位置付けることができるだろうか。これらの問題については次回、インゲームフォトグラフィーにまつわる、撮影装置としてのゲーム内のカメラを調査、考察しているマルコ・デ・ムティス(Marco de Muttis)のテキストを参照しながら考察していく。

谷口暁彦
アーティスト。多摩美術大学情報デザイン学科メディア芸術コース専任講師。 メディア・アート、ネット・アート、映像、彫刻など、さまざまな形態で作品を発表している他、渡邉朋也とともに、新宿・思い出横丁で発見されたメディアアートにまつわるエフェメラルでアンフォルメルなコミュニティ、思い出横丁情報科学芸術アカデミーの一員としても活動。主な展覧会に「[インターネット アート これから]—— ポスト・インターネットのリアリティ」(ICC、2012)、個展に「スキンケア」(SOBO、東京、2015)、「滲み出る板」(GALLERY MIDORI.SO、東京、2015)など。https://okikata.org