Interview with David Quiles Guilló

「The Wrong」はDavid Quiles Guillóが設立した、世界最大級のデジタルアートのビエンナーレ。その規模は本当に巨大で、全体像を把握するのが困難なほど。さまざまな国から集った100以上のキュレーターたちが、1500以上のアーティストを組織し、パビリオンと呼ばれる自分自身のバーチャル空間、あるいは大使館と称される実際の空間で、それぞれの鑑賞体験を作り出す。

こうしたビエンナーレの規模の拡張は、オンライン文化の拡大しつつある勢力を反映したものである一方、The Wrongの運営方針である徹底した地方分権にもその理由がある。参加キュレーターたちには、純粋に自分たちのコンセプトを表現する自由が与えられている。美術館におけるキュレーションとは真逆にも見えるこうした方針は、まさにこのビエンナーレの名称「The Wrong」にもダイレクトに表現されている。どんな間違いにも価値があるのだ。自由だけどカオス。そんなThe Wrongの設立者のDavid Quiles Guillóにオンラインキュレーションについて話を聞いた。

過去にマガジンやNOVA festivalを手掛けていますね。そこから2013年にthe wrongがはじめったのは何かきかっけがあったのでしょうか?
The Wrongは、2001年以来から始まった僕の仕事の自然なゆっくりとした進化だった。どのプロジェクトもずっと続くものではなく、働き始めてから僕が目指してきた目標への次のステップのようなものなんだ。

このような大きなビエンナーレは例を見ないと思いますが、ここまで巨大となった理由はなんだと思いますか?
ドアをできるだけ大きく開いて、どれくらいたくさんのキュレーターやアーティスト、特集が展示されるべきかを制限しない計画だった…。美術館や博物館には物理的な限界があるけれど、インターネットには一定の物理的な制限はない。できるだけたくさんのキューレションされたアートを迎えることがこのビエンナーレの利点かな。

非常に大人数が参加していますが、どのようにコントロールしているのでしょう?
フェイスブックのグループとメッセンジャーを介してメンバーとキュレーターにコンタクトはしている。キュレーターは、自分たちが展示するアーティストと接触している。コミュニケーションするときには、一種のピラミッド型の構造だけど平等なやり方で、メッセンジャーで誰とでもやりとりできるようになっているよ。

回ごとのテーマやコンセプトはありますか?
The Wrongには「サブタイトル」とコミュニケーション戦略が含まれた、概要があるけれど、それはみなが取り組まなければならないテーマというわけではない。テーマはいつも自由だね。パビリオンや大使館のテーマを決めるのはキュレーターなんだ。

オンラインで展示を行うことの利点はなんだと思いますか?またそこにどのような可能性を感じていますか?
オンラインのものはワンクリックで手に入る。可能性は無限であり、視野は無限に広がり、技術が進歩するにつれて、アートはその先へと飛翔する。

フィジカルなイベントを「大使館」と呼んでいますよね。様々な国から作品が集まっていると思いますが、そこに地域性を感じることはありますか?
オフラインでのビエンナーレは期間限定のイベントで、世界中の都市にある、ギャラリー、機関、アーティストが運営するのスペースなどの「大使館」で行われる。ライブパフォーマンス、ワークショップ、アーティストトーク、展覧会などのフィジカルなプロジェクトを見ることができる。

アートの由来を問うことはないけれど、アーティストの言葉や名前から、その起源や地域性を見逃すことはできないね。確実に言えるのは、デジタル領域ではすべての情報が光速で移動するということ。ツールは数多くあるけれど、まだとてもわかりやすくて、ほとんどのデジタルアーティストがそれらを使っている。デジタルアーティストは今、オンラインやどこでも、世界中で起こっているすべてのことからインスピレーションを受ける。それは多くの場合、とてもゆたかな広がりと、多文化的な視野を生み出すだけじゃなく、一定の同質性も作り出すんだ。

あなたがこのデジタル文化において、信じる価値はどのようなものですか?
コラボレーション。

多くの作品を見てきたあなたからみて、3回の開催の間に作品はどのように変化してきたでしょうか?
そうだね。アートを作り出したり、開発したり、組織したり、そして、あるいはディストリビューションするための重要な要素として、いろいろなソーシャルメディアのチャンネルがますます使われるようになった。ソーシャルメディアは、いまやデジタルアーティストのパレットのもう一つの色彩となった。

多すぎて語るのが難しいかもしれませんが、今回の見所を教えて下さい!
まだ見なければならない作品があまりにも多いから……まだ選ぶことはできないかな。だからこの質問には、来年の1月31日(展示の終了日)になってはじめて答えられる。フックになるような最初のリンクを探しているなら、オンライン時間に余裕があるなら、メインページに飛んでみて、退屈したならサイトを離れることを勧めるよ。

プレスリリースには2021年まで予定の記載がありますね。The Wrongのこれからのビジョンについて、教えてください。
ビジョンを持たないようにとても努力してるよ。The Wrongの可能性を制約したくはないからね。参加者が望むなら、どんなものでもよいんだ。

Homeostase – Sao Paulo

The Wrong Club – Cologne

Artwork by Mit Borras of apel at The Wrong.

Artwork by superficial studio of Hybrid Body at The Wrong.

Artwork by Anne Horel of postinternet.art at The Wrong.

The Wrong
http://thewrong.org/
3回目となるThe Wrongは、2017年の11月1日から、2018年の1月31日まで開催。

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「Bananza!」

アムステルダムを拠点に活動するTeodoraとSofijaによるアートディレクターデュオTeYoshより、VRライド「Bananza!」が届きました。

「Bananza!」は、デジタル時代における成長をテーマにした作品。タイトルの「バナナ」は、子供と大人、両者から好まれる果物ということから、デジタル文化のシンボルとして登場します。

主にオフラインの世界で育ったこれまでの世代とは違って、今日の子供たちは、多くの経験や概念を、デジタルメディアを通じてはじめて経験し、認識し、その後、現実でそれらと出会うことになります。「Bananza!」はそうした子供達の現代の生活、ゲームやGoogle検索、絵文字などといったメディアやアクションに、影響を与える私たちの環境をテーマにした作品です。

Vimeoの360度ムービーに対応しているので、アプリなどで是非体験してみてください。

TeYoshは、オンラインのカルチャーの影響から実際にオンライン上のプロジェクトも発表しています。

そのひとつ、「Dictionary of Online Behavior」は、ソーシャルネットワーク上で現れた行動を記録し、コミュニケーションの方法を変えた新しい言語の事象を作ろうとする、進行中のプロジェクトです。

インターネットを取り巻く環境をモチーフとした作品も、随分見慣れた感じになって来ました。けれど、いまのそれは新鮮というより、どこか安心感を感じるものになってきた気がします。人間とテクノロジーの関係は今ではほとんど不可視のものになりつつありますが、彼女たちの美的実践は、無意識下で変化しつつある私たちのリアリティ、習慣、思考、世界の認識に影響を与えるルーツを辿り、明らかにするということなのかもしれません。

TeYosh
http://www.teyosh.com

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Interview with Theo Triantafyllidis

彼がInternet flushと呼ぶ、スクリーンを流れる大量の情報を断続的に摂取し続けるライフスタイルが作り出す見方から、コンピュータグラフィクスやゲームのテクノロジーを用た観客の新しい応答性を探る幅広い作品を作り出すロサンゼルス在住のアーティスト、Theo Triantafyllidis。観客をアーティスト自身への体内へと導くVR作品や、オブジェクトがヴィジュアルによるギャグを無限に生成し続けるシミュレーション絵画作品など、荒唐無稽なアイデアが表現される一方で、そのスタイルはポップでどこかユーモラスな感触を湛えている。ゲームの文化や新しいテクノロジーと伝統的な芸術の領域が融合されたその作品には、人間とテクノロジーの間に奇妙で、新鮮な対話が生み出される可能性がさまざまな形で表現されている。Eva Papamargaritiとの新作、「Obscene Creatures、Resilient Terrains」を発表中の彼に話を聞いた。

いろいろな国で暮らしているようですが、あなたの歴史について教えていただけますか?

僕はギリシアのアテネ出身で、アテネ工科大学で建築学を卒業した。在学中、実験的な建築と面白い空間条件を作り出す可能性に興味を持ったんだ。卒業して北京に移り、建築家として働いたよ。 当時、インターネット上でアートを作っているコミュニティーのアーティストたちと出会って、そこから少しずつ制作を始めた。その時に、プロの建築家として向かないと気づいて、アーティストになることにしたんだ。北京でいくつかの作品展をした後、ロサンゼルスに移り、やりたいことを学ぶための最高の場所だと思ってカリフォルニア大学ロサンゼルス校のDesign Media Arts MFAで勉強したんだ。昨年の夏卒業して、現在もロサンゼルスに拠点を置いている。

建築の考え方は現在の作品に影響していますか?

もちろんアーティストとしてすごく影響を受けているし、基礎になってる。しばらくの間、建築家としての合理的で構造化された方法を避けようとしていたんだけど、最近、VRで作成する時に学んだ建築に関することがとても有用なことに気がついたんだ。VRでの作業の重要な部分は、没入型の環境と面白い空間体験を作り出すこと。そして、これが一番楽しい部分なんだ。

How to Everything, 2016
Theo Triantafyllidis
Screen piece, custom software, live simulation.
HD Projector, gaming PC

「How To Everything」はライブシュミレーション作品とのことですが、どのようなアルゴリズムで作られているのでしょうか?

それはナンセンスを作るためのアルゴリズムなんだ。空っぽの場面をつくって、いくつかのオブジェクトを住まわせ、その物体を構成に整列させようとして、それで物体の動きを繰り返し実行するんだ。次の場面へ移動する時、いくつかのオブジェは破壊されて、新しい物体が導入される。よく観客は映画の場面のカットと同じように、場面場面の繋がりを描こうとするけれど、繋がりは必ずしもあるとは限らない。それは永遠に生成されるハウツー基礎ビデオみたいなものだ。

この作品ではヴァニタス(寓意的な静物画)というキーワードが挙げられています。あなたはこの作品によって絵画の歴史とデジタルな表現を繋げようとしているのでしょうか?

特にデジタルアーティストたちには、アートの魅力的な歴史はインスピレーションの大元になっていると分かったんだ。芸術が歴史の中でどのように社会で特定の機能を果たしていたか、そしてどのようにこれが歴史と技術の発展に関わってきたのか興味を持っている。絵画の歴史については、絵画や物の二次元性のなかで知覚される表面の概念に興味がある。僕にとって2次元の方は難しくて、3次元と彫刻形式での制作の方がすごく作業がしやすいんだ。スクリーン上の表面は絵画にとてもよく似ていて、これは僕がこの作品で探求していたテーマの1つだよ。3次元を2次元に感じるものに圧縮しようとして、空間を表面に圧縮しようとした。もし、”How to Everything” とヴァニタスの関係について興味があるなら、ここに詳細があるよ。

実際の彫刻なども作っていますが、デジタルのときと制作の姿勢は変わりますか?

デジタルと物体との境界線を繰り返しシームレスにする作業が本当に好きなんだ。僕の最近の作品で“Mountain”というのがあるんだけど、その中で3Dスキャンされたセラミックの物体をゲームエンジンに入れた。ゲームエンジンからもらったアイデアをセラミックの物体に付け加えた。だから僕にとってそれは、フィジカルな物とデジタルな物の間で続いている対話なんだ。その2つが衝突して、合体する瞬間が好き。最近、スタジオを構えようとしていて、作業台や大きな道具などを揃えようとしていたんだけど、Vive VRヘッドセットを揃えてスタジオはほぼ空っぽの空間にしたから、 結局のところこれは“デジタルな空間”だね。


World Atlas, 2016
Theo Triantafyllidis
Found objects, acrylic paint, metal pins
Dimensions: 60×60″

Serving Suggestion, 2014
Theo Triantafyllidis
ceramics, mixed media casts, table, dinnerware

アートとゲームという2つの領域にまたがった作品を作ることに、どのような可能性を感じますか?

ビデオゲームはアーティストがほとんど探究してない比較的新しいメディアだけど、とても刺激的な分野だ。初期の頃の作品では、ゲーム部分を観客ための一種の引っ掛け(罠)として使っていた。いくつかゲーム要素がある時に、人々が時間をかけて探求し、細部までよく見ていることに気がついたんだ。彼らは何度も何度もゲームをしてハマってやめられなくなてっるのに、アートギャラリーの中では作品を数秒間見て、そのギャラリーから出て行ってしまうという具合だった。今はゲームにもっと面白いことがあるとわかっているから、近い将来より複雑なゲームを開発することに興味を持ってる。Adult Swimから依頼されて、”Gecko Redemption“というオンラインマルチプレイヤーブラウザゲームを友人のAlex Rickettと一緒にリリースしたばかりだよ。ペトペト動き回るヤモリで、口から物を出したり、レーザーを撃ったり、なんにでも登ったりすることが出来たりする対戦型のスポーツゲーム。僕の“ちゃんとした”ゲームといえる最初の作品なんだ。

DiMoDaのために作られたあなたの新しい作品、Self Portrait (Interior)も体験しました。今回はどうして「自分自身」を素材として扱ったのでしょうか?

より多くの人々を関連する表現手段として自分自身を使ったんだ。自画像のフォーマットはアーティストがキャンバスとして自分の考えや疑問を世界に伝えることを可能にするため、芸術ではごく一般的なツール。VRの自画像を作ることは、観客との距離をさらに近づけてくれるから探検する価値があるように思えたんだ。このプロジェクトで一番面白かったのは、人が遊んでる風景を撮影した投稿した映像を目にしたこと。それを公開した数日後(ちょうどそれをitch.ioに投稿した)、どういう訳かユーチューバーの取り上げられたんだ。 この映像に本当に驚いちゃったよ。 この作品は、まさにとてもパーソナルなものだったので、人々がオンラインで遊んで、コメントを書いているのを見た時には、僕は実際に僕たちがメタカンバーセーション(メタ会話)をしているように思ったよ。

Self Portrait (Interior), 2016
Theo Triantafyllidis
virtual reality experience
VR Headset, software, gaming PC

インターネットとアートについてのテクスト「internet flush」もとても興味深かったです。あなた自身はインターネットの中毒ですか? またインターネットの文化から作品へのフィードバックされているものはありますか?

そう。あのテキストで説明している “internet flush” という感覚は、多くの作業の原動力なんだ。芸術作品を刺激するこのインターネットの流れのサイクルは、その流れにフィードバックされるよりも、今ではアーティストたちや評論家たちによって広く探求されてる。近頃は、僕はデドックスする段階へ進んでいる。今、いくつかの新しい作品に取り組んでいる最中だよ。”Obscene Creatures、Resilient Terrains“展のための新しいライブシミュレーション作品、スクロールランドスケープを、ロンドンのAssembly PointでEva Papamargaritiといっしょに行ってる。また、ドイツのNRW Forumでは、VRグループ展の“Unreal” では、新しいVR作品を展示してて、ある人がヘッドセットを取ると、VRを過剰摂取している砂漠のシーンという設定なんだ。僕はVRにハマってしまったみたいだよ。

Theo Triantafyllidis
http://slimetech.org

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Romero Report 1 x 1:
01: But, there are no faults in the sunlight.
Addie Wagenknecht X So Kanno + Yang02

このシリーズでは、主にアメリカと日本の現代のアーティスト(あるいはコレクティブ)二組の作品をよく見て、比較、対照していきたい。それぞれの記事はアート、デジタルカルチャー、現代生活に焦点を当てたものになっており、書く内容やその紹介の仕方は、僕の現在進行中のプロジェクトWindow Sessionsの延長となると思う。Tokyo Window Sessionsというタイトルで、僕は2016年9月より、東京のメディアアートとデジタルカルチャーについての調査を開始し、日本とアメリカのかけ橋となるアートコミュニティのウェブサイトやアーカイブを行なっている。

今回は、アメリカ生まれのアーティストAddie Wagenknecht(アディー・ワーゲンクット)と日本人アーティストKS+y2(菅野創やんツー)の作品を比較する。WagenknechtとKS+y2は、本来の意図とは異なる目的で素材(主にハイテク機器)を用いているけれども、それぞれどのように独自の方法で素材を使っているのかということに着目して見ていく。WagenknechtとKS+y2はどちらも、あらゆる素材(ドローン、ロボット、スプレーペイント、3Dプリンティング、身の回りの品など)がもつ用途の範囲を広げ、それらの可能性を大胆に書きかえ、現代アートにおける「流用(アプロプリエーション)」の真の価値を明らかにしている。それは、単にコピーするということを超え、すでに存在しているものから新しい観点を作り出すという領域に入っているのである。

僕たちはハイテク機器の持つ性能を使って遊ぶようなことはあまりない。僕たちが手にしているのは、柔軟でさまざまに使える技術より、むしろ日常的な、ありふれたものである。確かに、僕たちがコンピューターやソーシャルメディアの社会的ルールや規律を曲げてしまうと、混乱して首をかしげる人々もいるだろう。僕はFacebookでとてもアクティブだった時期があったけれど、僕がやったことといえば、ばかげた投稿をしたことだけだった。それはある意味、ゆっくりと何かを探し回っていたということだったのだろう。しかし、ほんとうの意味でその投稿の内容を見て、反応する人々はいなかった。僕は空っぽな空間をうろうろしていた。時間をむだに過ごしていたのだ。けれども、そこからWagenknechtとKS+y2について考えることにつながっていった。彼らはマテリアルの柔軟性に気づいており、デジタルエイジを取り巻く社会的、政治的な事柄について説得力ある解説をするためにその素材を使っているのだ。

アートの世界において、彼らの作品はアーティストが何を作るか、どのように作るかについて再定義するような自由さや可能性を感じさせる。エラーやランダムさで遊び、電子回路板に、金属に、観葉植物にスピリットを吹き込む。ここでのアーティストたちは観察者であり、それが何であるか、何になり得るかを見ているのである。

WAGENKNECHT: BLACK HAWK PAINT

2007年に始まった《Black Hawk Paint》は、Wagenknechtがドローンを操作して作品を制作する、進行中の絵画のシリーズである。ドローンはシンプルな操作と指示によって、アクリル絵の具をまき散らしながら、カンバスに色を塗っていく。このシリーズの初期のバージョンでは黒のアクリル絵の具が使われていたが、ドローンにいくぶん問題が生じた。ドローンの羽と本体がアクリル絵の具の中で動かなくなってしまい、カンバスに斑点や汚れ、回った丸い跡などをつけてしまったのだ。作品のドキュメンタリービデオでは、ドローンが異質なものをなんとかしようともがき、声をあげているのを見ることができる。

最初のシリーズ以降は、Wagenknechtは模造皮紙の上で、色絵の具、火薬などの素材を使用して制作を行なっている。表面をすべるように動き、描くことができて、ドローンは嬉しそうに見える。これらの素材の組み合わせは、気温や日の光によって絵画の見た目を変化させることがある。このシリーズの着色方法はホーリー祭をヒントとしたものでもある。ホーリー祭とは色と愛を祝う祭で、皮肉なことにドローンのもともとの目的とはまったく対極をなすものである。このシリーズでは、作品の多くが縦にディスプレイされており、それによって飛んでいる感じや軽さを表している。これはWagenknechtが彼女の作品で表現している多くの二分法のうちのひとつである。ここでは、作品の繊細さが金属製のドローンの荒っぽさを中和している。

最新のシリーズでは、ねとねとしたアクリル絵の具から解放されたドローンはより楽に飛んでいるように見える。丸い模様や跡などは残っているが、より繊細なタッチがそこにはある。このシリーズのバリエーションはアートの道具としてのドローンの可能性を示している。異なったモデルのドローンや異なった素材によって多くの可能性があり、そのすべてはドローンを、監視や戦争のための道具という、その最初の意図から遠く離れたところへ押し出している。

KS+y2: SENSELESS DRAWING BOT

《Senseless Drawing Bot》[SDB]は2011年に始まった進行中のシリーズで、機械と人間の関係性を反映している。《SDB》には、肖像画、線画、子どもやほかのアーティストとのコラボレーションといった多くのバリエーションがある。《SDB》は、現代アートにおける作者という概念、機械の自律性、グラフィティアートの定義に触れている。このシリーズで、KS+y2は垂直面に絵を描いたり、線を引いたりするカスタムデザインのロボットを製作しており、ロボットは電車の駅や美術館、その他さまざまな公共の場所でその作業を行なう。

ロボットはスケートボードの上に置かれ、壁にスプレーを吹きかけながら右へ左へと動き、作品独特の反復作業を生み出している。ロボットが動いて行動するのを見ることは、作品が最終的にどうなるかを見るのと同じくらい大切である。振り子のような動きでロボットがその1本の腕を激しくふり回す様子は、人間のグラフィティアーティストの腕の動きとそっくりそのままであるようにに感じる。それでも、ロボットの多くの要素は人間の手とはまったく違っている。作品のタイトルで明らかなように、ロボットには意図がない。ロボットは作品を完成させるための特定のモチベーションを持っていないし、自分の名前を書いているわけでもなければ、政治的な声明を書いているわけでもない。ただ壁に何かを書いているだけなのである。僕たち人間の行動は常に、それに付随するある種のモチベーションや決定する過程を持っているため、この無作為さは人がまねしようとしてもできないものだ。

《SDB》はカスタムメイドなので、このエッセイで論じているその他の流用されたものや素材と同じではない。けれども、KS+y2は絵画を制作する自由な感覚や自律性を意図のないロボットにゆだねている。彼らはロボットがやることに割り込まず、《SDB》が人間の介入から自由な状態で存在することを許しているのだ。広い意味で、機械の目的が再定義されている。しかし、より具体的にいうと、《SDB》はグラフィティアートの本質や現代アートにおける作者という概念を再考しているのである。

グラフィティとは、絵画を通して場所を取り込んだり、主張をしたりするものである。建物に落書きすることによって、グラフィティアーティストは印をつけて建物の表面を自分の作品として流用することになる。《SDB》では、KS+y2はロボットにグラフィティアーティストがアイデンティティを記す行為をまかせて、作品の作者であることを引き渡している。これらの側面は、現代のグラフィティアーティストたちが作品を制作するために公的機関に入り始めていることを考えると興味深い。それは、グラフィティアートが示すもともとのアイデンティティとは正反対だからである。例えば、Banksyの作品を美術館や収蔵品の中で見ることは、彼のほんとうのグラフィティアーティストとしての真正性を取り去ってしまうと主張する人々もいる。それに比べると、《SDB》はアイデンティティの印がどこにあるのかは気にしておらず、表面にタギングすることだけに興味を持っているのである。芸術機関の壁の内側で作品がこれまでどおり制作されている一方で、《SDB》という機械が描くやり方が、実際のグラフィティアーティストのスピリットの中に存在しているはずの方法を見つけていると言うことができるだろう。

WAGENKNECHT: OPTIMIZATION OF PARENTING, PART 2

近ごろ、個人的な目標やキャリアのゴールを探求しながら子育てに挑戦することを論じる記事が盛り上がりを見せている。まずTinderやその他の出会い系アプリに刺激された新しい出会い系カルチャーについての盛り上がりがあり、そこからの良いフォローアップが生まれるという流れである。ニュースは実際のリアリティからは遅れてはいるが、それでもなおアメリカや日本のような国のミレニアル世代には関係している問題である。子どもを持つプレッシャーや多くの役割や責任に対してプレッシャーを社会からかけられている女性にとっては、状況は特に厳しい。Wagenknechtはこれらの問題に《Optimization of Parenting, Part 2》(子育ての最適化 パート2)で取り組んでいる。《Optimization of Parenting, Part 2》では、カスタムされたソフトウエアとロボットアームを使って、赤ん坊が泣いたり、目を冷ましたりするのに反応し、デバイスがゆりかごを前へうしろへと揺らすのである。

Wagenknechtはある種の社会的問題や不安の解決方法を作り出している。多くの責任に加えて、フルタイムの親でいなければならないという母親たちに対する期待や彼女たちが払わなければならない犠牲に、この作品は立ち向かっている。機械の腕の適用に関してだが、これらの機械は通常、大量生産やある種の製造の役割のために使用されるものである。僕はこの作品を見ていると、やんツーのソロエキシビション《Example》を思い出す。そこでは、スーツケース、台座、おもちゃの車などの日常品が可動性を与えられ、異なった役割を果たしている。《Optimization of Parenting, Part 2》と《Examples》のどちらも、ロボット工学やソフトウエアが日常生活におけるものの見方をどのように変えることができるかを理解することへの興味を表現しているようである。

《Optimization of Parenting》で、赤ん坊の世話をするためにロボットアームを使用することは皮肉ではあるが、ものすごく妥当である。人々が機械に取って代わられている。それでもまだ僕たちは人が仕事や子育てを行なうことに大きな期待をする(どちらもフルタイムの仕事としてである)。そう考えると、Wagenknechtは社会的な基準や性別による規範に立ち向かうためにロボットアームを使用したのだと考えられる。

KS+y2: Asemic Languages

《Asemic Languages》(形骸化する言語)は、機械が人工知能を使って、10人の国際的な芸術家から手書き文字の動きや形を学ぶという作品である。機械はそれぞれの文字の形とパターンを学習し、新しい形状を作っていく。機械はあたかも何か文字を書こうとしているように見えるが、実際に描いているのはただの線だ。これはある意味、欺かれているような気持ちになる。それは、機械とは何かの目的を果たすものだと僕たちは思っているからである。

書く形状から意味を取りのぞくことで、機械はことばやコミュニケーションというものに対する私たちの予想を反映することを可能にする。人が新しいことばを学ぶ時、それらを覚えるために視覚的な方法を用いる。例えば、日本語を習っている非日本語圏の生徒たちの多くは、「ツ」の形状をスマイリーフェイスだと思うという。文字や記号を見た時に、心の中にイメージを浮かべることは人間の特性である。しかしながら、時とともに、そこから進んで、文章を形成することに注目するようになる。また、年齢を重ねると、最初の言語体験がどんなものだったかを覚えているのが難しくなってくる。《Asemic Languages》はそれを受け入れ、新しい好奇心の感覚を持って見ることができる新たな視覚的形状を作るのである。

WAGENKNECHT: LIBERATOR VASES

リベレーターガン(3Dプリント銃)はAddie Wagenknechtの作品にくり返し登場するモチーフである。真っ白いカンバスにシューティングしたり、シャンデリアを構成したりしており、最近では花びんのシリーズを制作するために使われている。リベレーターは2013年にリリースされたオープンソースの3Dプリントが可能な拳銃だ。何千回もダウンロードされたのち、合衆国政府は48時間以内にインターネットからそれを消そうとしたが、今でもまだその痕跡を消すことはできていない。

Wagenknechtが物質を本来とは違う用途で使う時、それはまるで何かが開かれたかのようであり、閉じ込められた感情や気持ちを外に出すことが許される。不安、ユーモア、気まずさ、希望、くだらなさ、自信、自己不信、すべてが作品からあふれ出てくる。《Liberator Vases》はユーモラスである一方で、そこにはダークな側面もある。テクノロジーは危険な意図で使うことができるということを僕たちは忘れがちだ。《Liberator Vases》はその用途を反転させることで、それを語る。このシリーズでは、リベレーターガンはありふれた日常的なものに形を変えている。自ら動くことはないものにされ、その用途は郊外の家庭で花を活けることに変えられている。

通常、拳銃はパワーや暴力を意味するものである。ここでは、いくつかのリベレーターは花びんの形状を作るために、それぞれからみあい、積み重ねられている。その見た目はPhotoshopのコピースタンプツールを思い起こさせる。もともとの拳銃の堂々とした性質は消され、花びんという工芸品になっている。工芸品として、3Dプリントの武器は簡単に暴力にも室内装飾にも使うことができるのだということをこの花びんは表現している。

KS+y2: AVATARS

KS+y2の一番最近の作品は、エキシビション《Avatars》である。そこでは、フィジカルなスペースとヴァーチャルなスペースの両方を再定義している。[DATES]からYCAM(山口情報芸術センター)で行なわれており、世界中の誰でもインターネットを通して遠隔操作できるものが16個、アートスペースに設置されている。ロボット工学のデザインや動きはどこかユーモラスなものを感じさせる。鉢植えの植物、ルンバ(Wagenknechtも使用しているものである)などが、ウェブカメラやマイクや動くための車輪といった部品を組み込まれ、本来とは違う用途に使用されている。それらは動き、コミュニケーションを取ることができるものになっている。―インターネットの住人から、山口のそれらモノたちへの交流や会話が可能となっているのである。

インスタレーション内には多くの二元性がある。物体と人間、室内と屋外、バーチャルとリアル、生物と無生物、家庭と公共がそこに含まれる。人工知能と人間の知能ということもまた思い浮かぶだろう。作品はマジックミラーのように機能する。オンラインで機械を操作するということは、(インターネット上で)見る人はYCAMとそこにいる訪問者を見ることができるということである。しかし、彼らの視界は限られていて、実際にその場でコントロールするのと同じようにその物体を見ることはできない。一方で、YCAMの訪問者にはその動いている物体を誰が操作しているのかはわからない。彼らは単に機械が奇妙に動いているのを見るだけだ。インスタレーションでは電話でコミュニケートすることも可能だが、話しているのが誰なのかはわからないし、そもそも同じ言語を話す人ではないかもしれないのである。エキシビション自体とそれを行なっているYCAMは、文化や地域の境界線を超えて人々がコミュニケートし、アートを通して交流することを可能にしている。それは、アートインスタレーションという概念において大きな一歩である。

撮影:古屋和臣 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

作品は印象的で、ニューヨーク、アメリカやヨーロッパの施設だけがアートやデジタルカルチャーの新しい手法に出会うための場所ではないということに気づかされる。現代アートやデジタルカルチャーというものについて、各国のアーティストはどんな話題に興味があるのだろうかということを考えさせられる。プロジェクトは、Reddit上でのインターネットユーザーとYCAMのスタッフの間でのやり取りにまで発展した。こういったことが起こるのはまれで、現代アートにできることという意味では、作品が何百万ドルで売れること以上にとても期待を持てることであるだろう。同様の追記としては、Wagenknechtの作品《Anonymous》もまた、美術館がどのようにして空間を壊すかということについて思い起こさせるものである。

アートにおけるテレプレゼンスについて同じような論議をするインスピレーションを《Avatars》がほかのアーティストや団体に与えたとしても、僕が驚くことはあまりないだろう。ヴァーチャル、あるいは、ヴァーチャルスペースに入ることに関連したアートをたくさん見てきているが、僕たちが物理的な存在であるということをあまり軽視するべきではないと思う。というのも、単純に3Dの世界に入る以上に、アートとテクノロジーを関連づける別の方法があるからである。それに関しては、ごくふつうの日常品を使用するKS+y2やプロジェクトを行なっているYCAMは公共のスペースとヴァーチャルスペースを再定義しており、アート団体がデジタルワールドの声をよりよく伝えていく、そして、それに順応していくといったことを実際にやって見せているのである。

What is, what could be.

僕は最近、日本語の文章をGoogle翻訳に書き込んでみた。

「でも、あめりかにみししぴはたいやきがありません」

Googleは僕が書いたことを英語に翻訳できなかった。代わりにこういう文章を作った。

「But, there are no faults in the sunlight.(でも、にっこうにはけってんはありません)」

僕はそれまでも翻訳ミスの画像を撮っていたが、この文章は特に素晴らしかった。Googleが失敗した時、僕は怒ったりはしない。むしろ、不完全や誤解が存在しうる、その瞬間を楽しんでいる。僕が「木は良いにおいがする」と言ったのに対して、Googleが「木はやおいにおいがする」と主張した時のことを思い出す。こういったユーモラスでやっかいな瞬間があっても、僕はGoogleに「パーフェクト」であってほしいと思ったことはない。予測不可能な結果は興味深い状況を作り上げる。科学技術やデバイスやアプリケーションは、単純に正しいか間違っているか、動いているか壊れているかで見るべきではないのだということを、WagenknechtとKS+y2は僕に信じさせてくれる。

彼らの作品をよく見ていると、ふたつのポイントについて考えさせられる。ひとつは、私たちを取り囲む機械や素材はさまざまであるということだ。それらがすることになっていること、あるいは、それらにエラーがあるということなど、機械や素材に対する僕たちの予想は、単に僕たち自身の投影に過ぎないのである。この考え方は何にでもそうだというわけではないが、この方法を世の中の他のものに当てはめることはできる。ふたつめは、僕たちは物体をあるがままに受け入れるより、むしろ遊んだり、壊したりするべきだということだ。これはある種、ハッカーマニフェストのように聞こえるかもしれない。しかし,ここで言いたいのは、物体のもともとの意図にしがみつくよりも、その可能性がある用途にもっと使っていこうということである。WagenknechtとKS+y2は、実用的であったり、理にかなっていたりすることに焦点を合わせる代わりに、適応や不完全の美を見ることができているのだ。

クリス・ロメロ
現代アートとデジタルカルチャーに関心を持つキュレーター、ライター、アーティスト。キュレーション、アーカイビング、ビデオ、写真、イラストの要素をさまざまな領域にわたるプロジェクトに取り入れている。そして、何がアートであり、何がアートではないのかといった厳密な概念を壊すコラボレーション的な活動を行なっている。新進のアーティストとの取り組みや、一風変わった、これまでにはないプロジェクトの製作、文化的、地理的な交流の開拓などに特に関心が高い。今後のプロジェクトには、国立近現代美術館でのソウルの若手研究者育成活用事業の促進、プロビデンス市のロードアイランドカレッジでのエキシビションForever Foeneverの開催、そして、the Wrong Biennaleのためのオンラインエキシビションのキュレーションなどが含まれる。

www.romerochris.com / www.tokyowindowsessions.com
ig: @cromeromero

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The new horizon of online curation:
Interview with Manuel Roßner

最初期のヴァーチャルギャラリーの一つとして2012年から2015年まで活動してきた“cermâ”が、名称をFloat galleryとして以来、はじめてとなる展示“Ultralight Beam”が公開された。
cermâのキュレーションでは、“What we call painting(私たちが絵画と呼ぶもの)”、”Act Natural(自然な行為)”など、オンライン空間での可能性を意欲的に模索してきた彼に、これまでの活動や、これからの社会との関わり方など、様々なトピックについてインタビューを行った。
オンラインギャラリーとは、どのような空間なのだろうか?
物質性が無くなることで、そもそも近年希薄になった「絵画」や「彫刻」といったジャンルの区別はさらに希薄になり、結局のところ、アーティスト本人が「どういう考えで制作しているのか」という、コンセプトだけが残る。
この空間では、絵画も彫刻も、ディスプレイの上で、質感を持った光になる。
この不思議な空間と、そこに在る作品を、これから何と呼ぶべきだろうか?

どのようにして“cermâ”を始めたのか、教えてもらえますか?

10年くらい前、15歳とかそれぐらいの時、3Dソフトで“カウンターストライク”っていうゲームとかそういうもののためのマップを作ってたんだけど、使い方はかなり限られていたから、「このスペースで何か他のことができないかな?」っていつも考えてたんだ。建築とか、映画とか、あとプランニングみたいなものにも使うことができるけど、でもやっぱりフィジカルな製作に関連したものになってしまう。それでそこでギャラリーをやることを考え始めた。その時が2012年で、時期的にも良かったね。その頃にはアーティストたちも3Dで作品をどんどん作り始めていたから、プロジェクトを始めることに決めたんだ。。

3Dソフトウエアはどうやって覚えたんですか?

ほとんど独学で。かなり若い時、15歳とかで始めたから、単にやってみたかったっていうか、できるかなって思っただけっていうか。でも今でもまだ勉強中。ソフトウエアの開発者の人たちがどれだけツールをフィジカルな世界に近いものに作っているかっていうことにはびっくりさせられるよ。

“cermâ”はゼロからひとりで?

そうだね、全部。正確にはアート作品以外は、だけど。最初の3つのエキジビジョンを行なったスペースはただ楽しむためだった。名前は“cermâ”から“Float gallery”に変えたんだよ。

“cermâ”と“Float gallery”ではどんなふうに違うんですか?

コンセプトは同じ。だけど、キャパを全部使っていないような気がしてたんだ。レギュラーのエキシビジョンはなかった、というか、そのための時間もあんまりなくて。でも今はもっとギャラリーにエネルギーを注ぎたいと思ってる。サイトのコンテンツをできるだけたくさんの言語に翻訳することも始めたし。それから、長く続けていくために必要だと思ったから、スポンサーも探してる。みんながアートを買ったりできる商業的なギャラリーをやることも考えてたってこと。今のところ、そのアイデアは採用されてないけど。

素晴らしいですね。“cermâ”に参加しているメンバーを紹介してもらえますか?

最初のショウでは自分自身をキュレートして、その次のは“SPAMM”、Thomas CheneseauとSystaimeを招待した。次の作品では、また自分でキュレーターをやるよ。それと同時に、今年の後半に上海のキュレーターと一緒に中国でショウをすることも考えてる。エキシビジョンに世界中からアクセスできるっていうことは違った文化に気持ちを切り替える良い方法だよ。

“SPAMM”のようなプロジェクトは90年代のネットアートに影響を受けているように思います。あなたには好きな90年代のアーティストはいますか?

“cermâ”を作っていた時は、むしろMarcel Broodthaersみたいなアーティストに興味があった。彼はほんとうにおもしろいと思う。60年代の後半に“Musée d’Art Moderne, Départment des Aigles”っていうのを作った人。

それはどんなアートなんですか?

現代アートの条件を反映させる実験なんだ。現代アートの美術館“Department for Eagle(現代鷲美術館)”に彼は力を入れてた。鷲はドイツ連邦共和国のシンボルで、例えば、ゴールドバーにも刻印されてる。だから、彼のコレクションの一部になった。その後、“Départment des Aigles”は破産を宣言して、彼はコレクションを売却した。もちろん金はとても価値があるものだけど、それは「芸術作品だから」じゃなくて、「金っていう素材だから」だったんだよね。もうひとつ彼が作ったのは、ベルギーのビーチでの作品。それは彼の美術館のフロアマップで、引き潮の間に作られた。彼はその写真を撮ったんだよ。海水がきたら、すべてが消えてしまう、彼が撮った写真以外は。オンラインエキシビジョンの場合、画像はあるけど、でもその場所は実際には存在していない。その場所は決して存在はしなかったっていうこと。そこに何か関連があると思ったんだ。

キュレーションはどのようにして始めたのですか? また、それはなぜですか?

最初のエキシビジョンは、“What we call painting(私たちが絵画と呼ぶもの)”っていうタイトルだったんだけど、「“私たち”は誰なのか?」と問いかける一方で、もう一方では「絵画とは何なのか?」という問いかけだった。その時、絵画に対してデジタルのアプローチをしているアーティストを探してて、Jeremy RotsztainとJeremy BaileyとAndreas Nicholas Fischerを見つけた。彼らはみんな絵画のアイデアに関連した、ある種おもしろいやり方をしていて。だから彼らを招待したんだ。「やあ、これどう思う? 何か出したいものはある?」って(メールで)聞いたら、彼らはイエスって言ってくれた。ほんとにわくわくしたよ!

あなたがやっているのはインターネットギャラリーですが、なぜ絵画を最初のテーマとして選んだのですか? 絵画といえばたいてい実際の絵のことで、バーチャルギャラリーと実際の絵というのは、ある意味反対のコンセプトのように思えますが。

その頃は、ふつうの芸術作品にもっと関連づけたかったんだと思う。それとホワイトキューブ(美術作品の展示空間)を使いたかったし。オンラインギャラリーではヴァーチャルになんでも使えるのにね。でも新しいやり方とアートの世界にすでにあるものの関連性っていうことに興味があったんだ。

絵画は一般的なもので、人々はそれを芸術と呼びますが、絵画は芸術の世界で最も一般的だということでしょうか?

そうだね、タイトルは「これが意味するものを行為にまで拡張できるだろうか?」と問いかけてもいたんだ、Jeremy Baileyと彼のブラシで。ブラシじゃないね、マウストラッキングだけど。「やあ、美しいキャンバスを作ったよ。すごい。もうブラシを洗ったりする必要はないんだ。消すたびに、また新しいものを作り出すことができる」って。昔からあるような絵画とはまったく違う。絵画を壊したら、永遠にはなり得ないよね。「見てよ、毎回何か新しく作り出せるんだ」みたいな。おもしろいよ。このテクノロジーのスタイルを頭の中に入れて古風なギャラリーに行ってみたら、すごく違うと思うね。そのギャップとそれをどうやってイメージするかっていうことに僕は興味があったのかもしれない。

タイトルの“What we call painting(私たちが絵画と呼ぶもの)”はある意味、チャレンジだと思うのですが、なぜチャレンジするのでしょう? あるいは、あなたのチャレンジとはどういったものなのでしょうか?

アートの世界の文化的な技術を、社会に焦点を合わせた新しい科学技術にまで拡張してみたんだ。みんな携帯電話ばっかり見ているけど、2012年のギャラリーで見ていたのはほとんどがキャンバスだったし、ギャラリーでは今もそう。もちろん、それはギャラリーのやり方で、フィジカルな絵は絶対にすたれてない。だけど、それと同時に、僕と、僕と一緒に製作しているアーティストたちにとっては、作品にデジタルツールを使うことがより自然だし、それをサポートする構造もあるべきだと思う。

新しい展示、“Ultralight Beam”について教えてください。そのアイデアはどこから来たのでしょう?

“Ultralight Beam”はホワイトキューブに対するある種のアンチテーゼで、美学。ソフトウエアエンジニアリングに基づいた考えで、クラッシックなギャラリーにアプローチしたんだ。だから、作品をひとつひとつ分離させる真っ白な壁の代わりに、強烈な色がそこにあって、その色でそれぞれ異なった要素を区別できる。それに加えて、クロムの柱があって、光のビームをより追いやすくなってる。そこには反射した壁からの色がはっきり写っているからね。最終的には、このコンセプトをまた別の場所にまで拡張したんだ、多摩芸術大学の伊東豊雄が設計した図書館にちょっと似たようなスペースに。あの図書館を訪れた時はほんとうに印象的だと思ったよ。

いろいろな空間が繋がれているのが興味深いですね。なぜ今回はホワイトキューブの空間ではなく、さまざまな場所を選んだのでしょう?

違った文脈の施設からもたらされる、こういった要素の力とそれが互いに干渉しないところを見たかったんだ。ホワイトキューブに関連したスペースに対する技術的なアプローチはもちろんだけど、プライベートなリビングルームやロココ様式のお城でも。ちょっとWi-Fiみたいかな、そこを越えるのに壁や歴史は関係ない。一方で、コピペができて、ある特定のスペースに合うかどうかを見ることができるのは、メディアの特殊性でもある。

あなたのギャラリーそのものがすでにアートだと思います。単にスペース、あるいはギャラリーだというだけでなく、アートプロジェクトのようですね。

そう、確かに僕もそういう考えで始めたんだ。「このスペースはなんだろう?」みたいなアーティスティックなアプローチで。商業的な意図や技術的な意図はなかったんだよ。

キュレーションをすることにおいて、物理的なギャラリーでやることとオンラインギャラリーをやることに違いはありますか?

もちろん、絶対にある。オンラインの作品をやるには、まずは場所は関係ないし、“(作品を)吊り下げる”のと“インストールする”のではまったく違うものがある。発送はしなくていいけど、映画の特殊効果を作るのにも似た製作過程を行なう必要はあるね。

ギャラリーだけでなく、オンラインでキュレーションを行なうというのはより可能性があると思います。キュレーティングはアート作品を集めること、編集すること、コンセプトとアーティストとしての心がまえを持ってステートメントを書くことを意味しますね。

そう、コンセプト的な部分は同じような感じだね。例えば、アート作品やトピックの選び方とか、どうやってそれぞれのピースを関連づけるかとかは、フィジカルなスペースと同じくらいだいじ。最終的には、テキストもとても重要になるんだ。テキストがあると、そのエキシビジョンをさらにまた別の意味にも解釈できるからね。

キュレーションとして、ほかにも何かオンラインでできると思うことはありますか?

アイデアはいくつかあって、次のステップにいくのが楽しみなんだ。準備ができたら、知らせるよ。

まだ誰もやったことがないようなことですか?

そう、たくさんあるよ。たくさんできる。ふつうは展示を作れないようなスペースで。これまでは存在しなかった新しいスペース、物理的には作れなかったようなものでさえある。

オンラインギャラリーは実際のスペースよりも有利な点が多くありますね。24時間いつでもアクセスできて、簡単に新たな部屋を作れて、継続して維持することができる、それに、運営するコストもかかりませんし。あなたはリアルのギャラリーよりオンラインギャラリーの良いところは何だと思いますか? 

色んな場所のたくさんの人たちに届けられること。ほんとうにいいと思う。もちろん、それを見るデバイスは必要だけど、たくさんの人がもう持ってるし、それに、エキシビジョンを見るために飛行機に乗る必要もないしね。もっとショウにアクセスしやすくするために、今サイトをたくさんの言語に翻訳しているところ。上海に行った時、中国人のアーティストに過去のショウの画像を見せたんだ。彼はすぐわかってくれたよ。3年とかそれぐらい前にもうそれを見てたからね。僕は予算があんまりない状態で始めたから、もしフィジカルの世界でやってたら、僕の作品を見てくれる人はもっとずいぶん少なかっただろうね。リアルの世界でも、例えば、ギャラリー地区で広いスペースを借りられたりすればいいんだろうけど。お金があったら、印象に残るような作品とかカタログとか作ることができる。それと同時に、インターネットはエンドレスで、ウェブ上のスペースは手頃な値段で入手できる。でもヒエラルキーはやっぱりあるけど。たぶんGoogleランキングがかなりだいじだね。それから、知覚に特定の性質がある。VRヘッドセットをつけていたら、加法的な色(中間色)のスペースにいることになる。基本的にどの表面も鮮やかで、それはフィジカルな場所では自然ではないことで。Mark Rothkoはどうやって結びつけたんだろうって思うよ。

さまざまなことがあいまいで、境界がないかのようになってきていて、何がアートなのか、何が(アートとしての)写真なのか、わからなくなっています。例えば、私たちがオンラインアートを購入する時、それはバーチャルなものですが、人々はそれにお金を払います。そういったことからも、アートの世界は過去の世界とは違ってきています。特に、インターネットアートは売るのが難しいですし、アーティストは長く続けていけるようなアートを作らなければなりません。この社会で生きて、仕事をしていくために、どのようにしていけばよいと思いますか? アーティストは日常的には別の仕事をする、あるいは、アルバイト的にアーティストをやっていかなければならないのでしょうか? 収益化すること、つまり、お金を作って、アート作品を継続的なものとするには、どのようにしていけばよいのでしょう? どう思いますか?

インターネットの初期のことを考えると、情報やアクセスを民主化するためにみんなたくさんの希望をそこに詰めていたんだなと思う。30年ぐらい経って、議論は大きく変わった。多くのお金が関わってきているし、情報を広げる可能性は状況によっては物議を醸し出すみたいだし。それはまた別の話だけど。僕が一番驚いているのは、公的機関がどれほどあやふやなインターネットの使い方をしているのかっていうことなんだ。すごく良い例もいくつかあるけど、オンラインのショウの素晴らしい可能性を無視してしまいながら、自分たちの壁に固執してる。それで、残念なことに、そこでは収益化が絶対に重要な役割を担ってるんだ。物理的なものを提供しないようすることも、限定的な方法で人々が作品を集めないようにさせてる。それが今日のアートの世界で知られてるような、ありえない価格のもとなんだ。こういった注目やスタイルや裕福な人々を拒絶することは、美術館の決定をする多くの人にとってはおそらく難しいと思う。トラッキングのソフトウエアで数を数える代わりに、リアルの人々に会って、彼らを頼ることも、きっとより満足度が高いだろうね。もちろん進歩もするし、人々は現代の自然な生活状況を反映した作品を製作するだろうけど。でも、どうしようもない。収益化の問題は特にアートの世界だけのことじゃないんだ。音楽業界や映画業界はもっとずっと長い間それを扱い続けてる。科学技術の発展にともなって、制作会社やサービス産業も自分たちのモデルについて考え直す必要があるよ。これから15年で40~60パーセントの仕事は機械がやるようになるっていうことが研究で言われてる。だから、デジタルアーティストの収入問題は社会全体で問われている問題のほんの一部分なんだ。可能性のある答えとしてはベーシックインカムかな……

スイスのような小さな国にはいい考えですね。

もちろん、スイスは特別な状況で、同じ状況の国はないだろうけど。大きなテクノロジー企業は世界中にあるから、彼らは経済をも変えていて、国際企業はこれまでのどの時代でもより重要になってる。

素晴らしいアイデアですけどね。

たしかに、まだたくさんの問題があるし、どうやって実際に実施するかについてさまざまな考え方もある。仕事や多くの心配事から解放するために、ある人の人生において重要な役割を果たしている給与が支払われる仕事をどうやって移行するんだろう? みんなただぶらぶらしていたくないよね? オートメーションに対する拒絶的なアプローチから生産的なアプローチに変えていくことは魅力的であるのと同時に、僕は避けられないことのように思う。日本ではどうだと思う?

オートメーションはいいのですが、今はオートメーションやそういうものを考え出した人たちだけがとても裕福になっています、IT関連の人たちのような。そして、そういった産業に携わっていない人たちは貧しい。貧困の差が広がっているんです。テクノロジーが発展してオートメーションが進んできても、その利益を得られる人は限られています。ですから、ベーシックインカムは良い考えかもしれないですね。

そうだね、僕がホテルを予約したら、その価格の大部分はオランダやカリフォルニアの会社にいくし、情報を検索したり、友だちに(メールを)書いたりしても同じ。多くのサービスがどんどんそういう方法で行なわれているけど、それは誰にとっても輝かしい未来のモデルだとは僕は思わない。他の人たちと一緒に働きながら、僕たちのフィールドで、この議論に直接的に意見を言うプロジェクトに取り組んでいるところなんだ。もうすぐリリースされるから、また知らせるよ!

Manuel Roßner
http://www.manuelrossner.de/

“Ultralight beam” is now online on www.float.gallery and at 1822-Forum, Fahrgasse 9, 60311 Frankfurt/M., Germany until February 25, 2017

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Interview with Tom Galle

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いろいろな国を移動しているようですが、旅行でしょうか? あるいはいろいろな場所で仕事のスタイルを採用しているのでしょうか?
いつもは主にフリーランスのデジタルクリエイターや広告代理店、デジタルスタジオ、スタートアップのコンサルタントとして働いている。現場に行かなくちゃならない仕事もあるけど、多くのエージェンシーが遠隔でフリーランスと一緒に仕事するようになってる。今のところうまくいっているよ。旅先で出会うすべての場所にアイデアをもらっているし、一日中オフィスで座って仕事しているよりも生産性が高いと感じる。僕はとりわけ日本が大好きなんだ。だからたまに僕を見かけるかもしれないね。

あなたの作品においてインターネットの影響は大きいですか? 最初の出会いを覚えていますか?
もちろん! 多くの作品でインターネットカルチャーにアイデアをもらっているし、捧げてもいる。僕のアイデアの源なんだ。インターネット上に生じる特定のものごとをとらえて、コンセプチュアルな角度を与えて、またそこに再び戻すんだ。イメージやプロジェクトは再び頻繁に取り上げられて、広まっていく。その方法で、僕はインスピレーションをもらったインターネットカルチャーに貢献しようとしてる。ここ数年の働き方は、Moises Sanabria、ART404、John Yuyi、Bob Jeusetteほか、親しい友人とコラボレーションすることだね。

インターネットとの最初の出会いを覚えていますか?
インターネットを始めた時のことを覚えているよ。15歳前後だったと思う。実家で56Kモデムから始めたんだ。そこから今に至る。6人家族なのに家にはパソコンが一台しかなくて、シフト制で使いあっていたんだ。当時は、インターネットに対して完全に自由でアナーキーだというクレイジーな感情があった。ICQやIRCなどのメッセージプラットフォームを使って、何でもほしいものを見つけたり、誰にでもなることができたんだ。それは無制限で、可能性にあふれていて、新しい世界のように感じた。インターネット上の特殊な行為、荒らし(Trolling)のようなものが現れはじめて、そういうものや今日まで残っているものが、僕たちのプロジェクトの多くで用いられている。rotten.comのようなウェブサイト(または、思い出せないいろいろなサイト)は、完全に自由なアイデアを体現しているんだ。

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スマートフォンやケーブルを使った写真の作品をFacebookにアップしはじめたのはいつ頃からでしょう? またそうした作品を作り始めたきっかけはありますか?
作品へのアプローチ方法は二つに分けられる。ひとつ目は、イメージを膨らませてアウトプットすること。ウェブサイトやオブジェクト、パフォーマンスなどがそれに当てはまるね。基本的に、イメージよりもさらに先を行くんだ。それは美しいイメージも生み出し得る。そうやってプロジェクトやイメージは面白くて価値のある作品になるんだ。

二つ目は、より「日記」的なアプローチ。僕たちはテクノロジーや、あるいはミームのような「言語」、ユーモアなどのテーマを中心に、短時間でアイデアを形にする。テクノロジーやインターネット上の行動に、皮肉にせよ、批判的にせよ、感情的にせよ、自分自身の経験に基づいて光を当てようとしている。ソーシャルメディアは短時間で作品をつくったり、ポストしたり、世界中からすぐにリアクションをもらうことを可能にしてくれる。何百万ものフォロワーがいる巨大なミームのサイトで情報が広まってピックアップされたり、雑誌TIMEなどのアーティスティックで主流なメディアに届くこともある。面白いのは、技術的な開発が必要のないコンセプトをただ拡散しているということ。作品は伝えるためのコンセプトや構成、美学に焦点が置かれている。

あなたの作品にはインターネットのミームに近い意識を感じます。あなたはミームにどのような可能性があると思いますか?
その通り。僕は自分自身をミームアーティストと名前を付けたいんだ。でもほかの領域にも興味があるよ。最近は友達と一緒にファッションデザインやプロダクトデザインといった、これまでとは違ったフィールドに取り組んでいる。だけど僕の作品の大多数は、ミームの文化を用い適用し、役立てたものだね。

ミームはこの先もなくならないし、違ったかたちに発展していくと思う。「ミーム」という言葉を聞くと、多くの人はイメージを思い浮かべるかもしれない。でも僕にとってのミームは、基本的にツイッター上の言葉のような伝達手段の言語だったり、ソーシャルメディア上のイメージだったり、オブジェクトやパフォーマンスなんだ(例えばNetflix & Chill roomMacbook Selfie Stickなど)。ミームの定義って、インターネット上で意図的に拡散された特定のユーモアのセンスのことだと思っている。だからユーモアのタイプとミームのかたちは進化すると確信しているし、絶滅しないと思っているよ。もしミームが面白いままなら、僕たちはそれを見守らなければならないんだ 🙂。

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アートの世界において、ミームを用いることには可能性を感じていますか?
ミームアートで本当に面白いのは、これらの作品が大衆や、もっと知的なアートのコミュニティーに同時に語りかけているように見えることだよ。それは伝統的なアートの世界にとっては比較的新しいことなのかもしれない。正直に言うと、僕は昔ながらの世界はあまり知らないんだ。だけど彼らの関心はますます高くなっていると感じるよ。人々がショーや記事などのために、僕たちにアプローチし始めている。だからその昔ながらの世界に入れるポイントがあるのだと確信している。インターネットアートはすでにギャラリーで展示されていて、そこには素晴らしい作品があるし、中にはミームアートだと思うものもある。だからインターネットアートに独自の方法を見出した人々もいると思うんだ。

だけど、積極的に伝統的なアートの世界の一部になろうとは思っていない。聞いた限りでは、アートの世界は制約があって、選ばれたエリートによって支配されている。僕たちはインターネットを使って、違う方法でやれると感じている。オンラインショップで作品を売ることができて、ギャラリーよりもはるかに多いファンを得ることができるかもしれないしね。ギャラリーに行きたくないわけではないよ。フィジカルな作品には本当にいい面があるからね。ただほかの選択肢を探しているだけなんだ。

今まさに試しているところだけど、ギャラリーのインターフェースを一切使わずに、よい値段で作品を買ってくれる友人がいるしね。インターネット上でアーティストになったら、アート界に足を踏み入れたり、あるいはアート界からお呼びがかからなくても、人々が作品で生計を立てられるように進化するものだと思っているよ。

ほかに最近気になるテーマや、テクノロジーなどはありますか?
僕がやっていることの中でこれがいちばん楽しい部分なんだ。インターネットがすごく速くなったので、新しいインスピレーションの源が毎日のように出現する。ある日、ポップカルチャーやミームカルチャー上で熱い話題になったと思ったら、別の日には新しいテクノロジーがすごく注目を浴びるようになっている。僕の課題は、インターネットやテクノロジーの進化とともに進化し続けることなんだ。皮肉や批判やユーモアを持ってそれを投げかけ続けていくつもりだよ。

何か次の作品のプランは控えていますか?
今やっている一番大きなプロジェクトは、親しい友人たちのグループと一緒に行っているアメリカの企業文化を中心にしたものなんだ。このプロジェクトのグループの人たちはとても面白くて、プロジェクトはプロダクトデザインやファッション、写真、ブランディングなど、本当に色々な方法で迫ろうとしているんだ。このプロジェクトは一見シリアスに見えるものだけど、企業がどのようにルールを定義しているかってことに対して違った視点を投げかける、まさに強烈な「Trolling」の要素がある。特にアーティストってこういうルールや制約に弱い。だけどそれはたくさんの人たちに伝わるものだと思っている。

その次に、WebGLを使ったウェブサイトや、3Dイメージ・高度な写真に対応したソーシャルメディアのための新しいコンセプトやコンポジションづくりに取り組んでいる。あとは今、自分たちの作品を買えるショップをつくっているところだよ。

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Tom Galle
http://tomgalle.online
https://www.instagram.com/tomgalle/

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Interview with Jun seo Hahm

Jun seo Hahmは韓国在住のアーティスト。彼が作り出すさまざまなクリーチャーたちはこの世界の法則とは別の、パラレルな世界の存在を想像させる。人肌のようなソフトな色彩と、プラスチックのような素材感、無表情なかわいらしさ。数学的な規則性と、ほんのちょっぴりの毒気も含まれている。コンピューターグラフィックスをベースとした作品だが、手作りのような温かみとやさしさを感じるのは独特のユーモラスな造形のせいだろうか。まるで生命を宿しているかのようなこの存在に、一度出会ったら忘れることはできないだろう。

こうした不思議な生き物の作品を作るようになったきっかけを教えてください。
幼い頃、生物学者になりたかったんだ。今でも現実世界やバーチャルでの生物に生物学的な魅力を感じているし、生命一般にも興味があるんだ。今は、リバース・バイオロジストになったと思っている。なぜなら、生物学者は現実の自然の中で生物を観察し、一般原則を見つけるけど、一方僕は、生物のコンセプトを考え、生物を描いて、彼らのための世界を作っているからね。

あなたの作品に登場する生き物にはなにか背景があるのでしょうか?
通常は、生物のためのストーリーは考えないよ。僕は、もし作った生物が現実世界にいたら何が起こるだろうって考えることが好きなんだ。僕はよく時間や空間を「編集できる」世界をイメージする。それが、僕たちに生物の別の動きやストーリー、生き方のインスピレーションをくれるんだ。

実際の生き物の形態や生態などからインスピレーションを受けることはありますか?
そうといえるだろうね。動物園で「ライフ・ドローイング」したりはしないけど、自然界のドキュメンタリーや、猛獣の写真を見るのがとても好きなんだ。最近、Ian Stewart の ‘Mathematics of Life’を読んでいて、すごく面白くてインスパイアされたね。

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あなたの作品の色彩や質感からは温かみのようなものを感じます。作品の絵作りをする際に気をつけている点などはありますか?
生物やオブジェクトをいつもフレッシュに見えるように試みている。だから僕はCG作品の中でもSSS(Subsurface Scattering)が好きなんだ。僕は自分のビジュアル作品がリアルな素材よりも、材料や光によって触れるような感覚を持たせたいと思ってる。

作品を作る際のプロセスについて教えてください。CGを制作する際に、アプリケーション上で工夫していることなどはありますか?
ほかのアーティストも同じだろうけど、たくさんドローイングするようにしているよ。ドローイングや落書きがスタート地点になる。プロジェクトのために、まず大量のスケッチを見るんだ。それから、そのプロジェクトにあったものを選ぶ。それからCG化している。僕のCG作品は特別なスキルは使っていないよ。3Dアプリケーションを使い、CGアーティストならみんな使っているテクニックを使っている。だけど、最近プログラミングを学んでいるんだ。近い将来、作品がもっと良くなるよう、力を注ぎたいと思っているよ。

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影響を受けたアーティストなどがいましたら教えてください。
僕が好きなアーティストはリストにするとすごく長くなってしまうよ。毎日増えているからね。素晴らしいアーティストに驚かされることは、僕のアーティスト人生の中で幸せなことのひとつだよ。もし最近インスパイアされたアーティストを一人だけ選ぶなら、それはKarl Sims。

これからの作品作りに関するヴィジョンがありましたら、教えてください。
いくつかプロジェクトを抱えていて、その中には香港でのアートフェスティバルのデザインや、メディアアートの舞台のためのアニメーション作品、個展やグループ展などがあるよ。最近は、柔らかいロボットのような、実際に物体をつくろうとしている。もし時間に余裕があったら、ここ数年の作品をまとめた短編フィルムを作りたいな。将来はできる限り続けて、学び続けて、作品を拡張し続けられたらいいね。いつか、作品そのものよりも、重要で、なおかつ難しい部分である環境と状況を作りたいと思っている。

Jun seo Hahmは韓国ソウル市を拠点とし、アニメーションディレクター、グラフィックディレクター、メディアアーティストとして活動している。彼の最近の作品は、普段目にする生物にインスパイアされた、生物学のデジタル表現にフォーカスしている。韓国で理論を学び、アメリカのCal Artsで実験的アニメーションを学んだ後に、ポートランドのBent Image Labでデザイナー兼ディレクターを、またソウルのCheil Worldwideでプランナーとして働く。彼のフィルム作品は、Ottawa International Animation Festivalなど、数多くのフィルムフェスティバルで上映され、Adobe Design Achievement Awardなど、数々の受賞をした。最近は、韓国チュンジュにあるKunkuk Universityで大学の先生をしている。

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美術の新しい共同体、パープルーム

人と人が集まればコミュニティが生まれる。集団には特有の色彩や温度があって、ときには全体としてひとつの人格のようなものになる。固有名を持った集団としての自我は、求心力となる人物にコントロールされているものだけれど、同時に制御できない不確実性も持つ。人々の間に生まれた無意識が作り出すこうした独特の動きは、加速度が高まり、自立性が大きくなればやがて「運動体」と呼ばれる。そんな運動体となることを目指して活動する集団、パープルームの紹介をしたい。

パープルームは、アーティストの梅津庸一が立ち上げた美術予備校。予備校といっても、美大受験を目指す学校ではない。彼らの特色は、参加するメンバーが共同生活を送っている点。その拠点となる相模原で絵画を勉強する一方、集団としてあたらしい美術を作り出すことを目指して活動している。

梅津はこれまで、制作のかたわら美術予備校と美大のいびつな関係に着目し、業界の人々が語りたがらないその成り立ちを詳らかにする批評活動を行ってきた。そして今度は、自分自身でその「教育」を実践するべく、パープルーム予備校を結成。描き出したビジョンを一歩一歩たどっていく彼の用意周到な性格は、生徒獲得のために予備校に講師として赴任するという、その計画の遠大さにも現れている。

梅津は予備校の赴任を皮切りに、草の根で学校づくりを始めた。集まってきた生徒たちはツイッターなどで活動を知った地方在住の若者たちが多く、その加入の方法がちょっと変わっている。メンバーが増やせないのはパープルームが生活空間も兼ねているからで、そこでメンバーの募集にちょっとしたハードルを設けることにした。そのひとつが、場所が明らかにされていないパープルームに自力でたどり着くというものだった。

「あまくんの決め手は、住所を勝手に調べて当てたところですね。普通の学校ってのは入試があって、無作為ではないけど、誰でも来いって感じがある。そんなことで美術が生まれるはずはない。いくら倍率が高くなっても、傾向と対策がうまくはまれば、情熱がなくても芸大にも受かってしまう。そんなことだから美術が面白くないんです。美術は、少人数でも常軌を逸したやる気があれば、余裕で勝てるはず。そういう意味ではあまくんは絵は見なくてもわかる、存在が、奇跡的な出会いだったらいいんです。」

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いちばん初期のメンバーが、安藤ゆみさんで、彼女は一度加入を断りながらも、現在は藝大に通いながら、パープルームに特別な熱意を傾けるようになった。そのうち、こちらの活動の方がメインになってしまった。

アランくんは、鳥取の美大の大学院に通っていたが、展示の手伝いで梅津さんとの出会う。それをきっかけにして、もっと美術でガチの真剣勝負をしたいと考えるようになった。そして、上京してパープルームに参加。

最年少はともきくんで、17歳。高校を2ヶ月で中退して、パープルームには3日前に青春18切符を買って駆けつけたばかりだ。

ネットの力でパープルームに辿り着いたあまくんは、島根県出身で、島根在住当時、カオスラウンジとパープルームで放送したラジオを聞いたことがきっかけで、パープルームに興味を持ったのだという。

パープルームのメンバーはそんなふうにして増えていき、現在は4名になっている。年齢も出身もバラバラなメンバーたちが、生活をそれぞれ共にしながら、梅津さんのもとで作品を制作し、批評し合い、問題を起こす仲間を諌めたりしながら、楽しく暮らしている。生活と表現がくっついている。それはパープルームも含めた、特に今の表現に当てはまる要素ではないだろうか。

パープルーム大学物語 ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
パープルーム大学物語 ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
ラムからマトン ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
ラムからマトン ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata
ラムからマトン ©Yoichi Umetsu, Courtesy of ARATANIURANO, Photo by Fuyumi Murata

「一人ひとり役割が違っていて。あまだったら掃除をしたりとか、洗物があったら勝手に洗ってくれる。今アランくんからはパープルームの掃除機と呼ばれている。設営をする時に、パープルームはものすごい精度を求めるんですけど、アランくんはそういうのを不眠不休でやる。24時間ぶっとおしで作業して、床にTシャツのまま、寝たりとか。そんなホームレスな過酷な環境でも耐えられるんです。」

特に近年、こうした領域で生きていくためには、より強い覚悟が必要になってきている気がする。いつの時代にもいえることだが、過酷な環境だからこそ、コレクティブのような集合体を作ることには必然性がある。それは寄り添い合うというより、切磋琢磨するための共同体である。彼らは生き残るための条件をクリアするために、ここで予行演習を行っているのだ。

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「パープルーム予備校は何の予備かっていうと、アーティストの予備ということなんです。それだけじゃなく、この美術教育や、この怪しい共同体を、そのまま美術運動に重ね合わせている。すでに彼らはプレーヤーなんですよ。ここでは、スタートライン切ったところから、すべて見せていく。だから、生活も全部さらけ出すんです。」

多分この世界に存在しているであろういくつもの共同体。その可能性は個人では生み出せない、グルーヴを作り出せるところにある。その波長が、梅津さんという個人から放たれるものだとしても、集団となることで増幅されたり、歪んだり、変化することもある。コミュニティとは、それ自体が全体として、また別の生命のようなものなのだ。その響きをいかに持続し、そこから放たれたものを、より強く、より遠くまで届くものにできるか。個が集団となった時に起きる、その進化を楽しみにしたい。

本インタビューは雑誌『中庭』とのコラボレーション企画です。インタビュー本編は『中庭』のサイトで公開予定!

(取材日2016年1月30日)

パープルームグループ展「パープルタウンにおいでよ」
会期:2016年7月10日(日)~7月19日(火)  
開場時刻:12時~20時 会期中無休
会場:パープルーム予備校/パープルーム見晴らし小屋/ゼリー状のパープルーム容器
〒252-0216 神奈川県相模原市中央区清新3丁目13-19 インベストメント清新 303号室
ゼリー状のパープルーム容器 JR相模原から徒歩10分
※ゼリー状のパープルーム容器でパープルーム予備校、及びパープルーム見晴らし小屋へ行くための地図が配布されます。地図は表面が平山昌尚、裏面はパープルーム予備校による作図となっているそう。
http://www.parplume.jp/tennji/tokusetu201606.html
パープルーム予備校
https://twitter.com/parplume
http://www.parplume.jp/

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Amira Zhogadu: dichotomy

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W

J

M

T

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南アフリカのアーティストAmira Zhogaduより、デジタルペインティングとコラージュが融合されたアートワークが届きました。どういったバックグラウンドを持っている方か分からないのですが、アートは独学で学んだそうです。この作品の元になったのは、女性をターゲットとした雑誌に掲載されている化粧品などの広告イメージ。彼女はフォトショップを用いてそれを解体し、異なる文脈に転換することを試みている、とのことです。

異なる意味合いや目的を作り出すために、どのようにこのヴィジュアル言語が解剖され、再ファッション化するのか。それだけでなく購入することである理想的な美しさへと女性を誘う、広告によるヴィジュアル言語をわたしは探求しようとしています。

広告は過去の数10年で奇妙な転換に見舞われました。多くの広告にはほとんど、内面化された異性愛規範性以降の家父長制的視線があります。そこでは一般的に受け入れられた理想の美しさと、女性らしさが、熱望されるなにかに、そして言うなれば「フェミニズム」の類型になってしまいます。私はこの記号現象とイメージに駆動される事実に興味をそそられました。

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Object on Screen: Oliver Haidutschek

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どこか懐かしい、けれどもとても奇妙なオブジェクト。見るものを突き放すように、それらが脈絡のない空間に置かれている。北京在住のアーティストOliver Haidutschekは、既視感と未視感の間を揺れ動きながら、そんな不思議な存在感をまとった作品を作り出す。よく見るとそのイメージはコンピューターグラフィックスで作られていて、はっきりとインターネット以降の感触が存在しているのに、どこか静物画のような佇まいさえ漂わせている。
Holly Waxwingのカバーアートを手がけるなど、音楽シーンにも繋がりがあるものの、Aoto Oouchという名義でも活動していたり、作品と同様にその活動は謎めいている。そんな彼は、自分の作り出すイメージを「メタオブジェクト」と呼んでいる。それは彫刻でも、絵画でもない。スクリーンの消費文化が形作る、その新しいイメージの領域について聞いた。

祖父からフレスコ画を習ったそうですが、子供の頃から芸術が身近な環境で育ったのでしょうか?
クリエイティブであることが常に認めてもらえる環境で育つことができたのは喜ばしいことだよ。僕は祖父が亡くなる日まで毎日、彼の絵画を見ていたから、自分がどう成長したらいいか展望を持つことができたんだ。祖父は幸せそうだったし、絵画に夢中になっていてね。彼の生き方と創作は、名声やお金、権力などがなくても充実していたんだよ。

写真を学んでいたそうですが、絵画や写真から、なぜデジタルの手法を用いるようになったのでしょう?
自分たちの消費行動に合った媒体を活用して作品を作ろうと思ったんだ。ぼくらはスクリーン上の画像を見慣れているけれど、アートと見る側の間には、また別な存在があるんだ。スクリーンはアートとビューワーの間のような存在だったから。デジタルイメージで絵画と彫刻をつくることは、アートをインターネットで見せることができる一般的な方法だよね。でもその方法は僕にとっては退屈だった。なぜならアートピースの写真は、レイヤーの中間でほかの表現のフィルターになってしまうから。デジタルの空間で直接作品を作ることで、自分の作品をよりコントロールしやすくして、作品を明確にすることができたんだ。

あなたの作品は写真作品なのでしょうか。あるいは彫刻作品なのでしょうか。あなた自身は自分の作品をどのように定義していますか?
イメージは写真でも彫刻でもなく、メタオブジェクトなんだ。それは数学的にビジュアル化されたもので、物理的な彫刻や写真を表現するためのものなんだよ。

two objects - 2015

あなたの作品は、構図やトリミングなどの面で、一見芸術作品に見えないように作られているように思えます。そうした構成を選ぶのは、どのような意図があるのでしょうか?
アートとして、自分たちの領域を些細だけど普遍的なマンネリズム化しないよう変化させる、イメージの消費の仕方を考えている。視覚にアピールするために、似たような方法で作られ、大量生産された膨大な量のコマーシャルなイメージと対照的にね。そうしたイメージは単に退屈で分かりやすすぎる。だから僕が表現したいものには不十分なんだ。悲しいことに、まだ商品を売るように機能しているけどね。

あなたの作品には実際に存在しているもののような存在感がありますね。それはとても奇妙な感覚です。あなたはスクリーンの中に存在するもの、そしてその外に存在するもの関係についてどう考えていますか?
イメージは脳の中で、経験やものや色の定義に関係したニューロンが発火することによって生まれる。もし目を閉じながら液晶画面を触って、フェイスブックをスクロールする場合、スクリーンに表示された情報を感じ取ることはできない。それは僕らの視覚感覚の問題で、この感覚はルールや思考体系に従っているんだ。僕たちは頭の中にある情報の失っわれた隔たりを埋めることで、チャットで言葉を使って関係性を築くことができる。それは、バーチャルのイメージでも起こっていること同じだ。オールドスクールのコンピューターゲームを思い出すと、恐怖や愛を感じることができた。バーチャル環境の力は、失った隔たりと、外のリアリティを2進法で真似することの不完全性にあると思うんだ。

with the back against the wall 2015_2

また有機物と無機物の間のような、質感と色彩には一見してあなたの作品とわかる特徴を感じます。どのようにしてこのような世界観が生まれたのでしょうか?
僕は欲望と嫌悪感という、見たことがない組み合わせにたどり着こうとしている。例えば、納豆がおいしいと感じる瞬間とかね。感覚は、知らない恐怖から理解やコントロールへと変化する瞬間があるんだ。目の前にあるものを見るときでも、そのすべてに未知の感覚を保っていたいんだ。僕は、自分が使う色をずっと持っていて、パレットの色を限定している。それは、14歳の時に祖父が持っていた本を読んだ影響からなんだ。「どんなに大きなパレットを持っていても、アーティストとしては未熟なままだ」。たぶん、それはナンセンスだけど、僕は質にこだわって自分に制限を課して活動するのが好きなんだ。

あなたは「Vaporwave」からの影響が大きかったと述べていますね。「Vaporwave」のどのような点に惹かれたのでしょうか?また、自分の作品へのフィードバックどのようなものでしたか?
主にパンクの要素かな。もし、そのフィーリングに従って創作をはじめたら、自分のバックグラウンドがなんであれ構わずやるだけだろう。自由を感じるし、ただやるということ、そしてそれが受け入れられることが可能な気がしている。僕はまた人間の創造の終わり、自分たちの文明の最後の炎の中で、2進法の視覚による回想で、その達成が示されるというVaporwaveのアイデアが好きなんだ。

all in_2013

something good_2016

インターネットの中の変化の流れは、現実の変化よりさらに早いもののように思います。こうした時間感覚の中で作品を作り続けることについてどう思いますか?
それは僕の考え方にあってる。僕はリアルタイムで制作できることが嬉しいんだ。フェルメールは人生を通じてものすごい数の作品を発表した。だけど、僕たちがブログでそれを見たら一体どれくらいの時間がかかるだろうか? ギャラリーを5分見て回るだけで、すべての作品を見られる。僕はそこに立って、すべての作品について語ることはできない。そうすることはある意味「正しい」かもしれないし、でも正直言うと、これ以上はもうまくいかないかもしれない。もし僕がマウスホイールを2秒止めたら、なにかしらそれがいいものだとわかる。僕たちはそんなふうに消費するようにされていて、またその変化を受け入れないといけないんだ。

次の作品発表の予定はありますか?
ニュースクールのタトゥーの宗教画のシリーズを考えているよ。だけど、まだ頭の中で構想中。構想が固まったらやってみようかな。

Oliver Haidutschek
1976年、オーストリアのフィラッハで生まれる。Aoto Oouchという名義でも活動。彼は現在、中国の北京在住。
http://www.haidutschek.com

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すべてを肯定する場所

urauny first solo exhibition

ミニマルな色面構成や独特のタイポグラフィを用いた抽象的な作品で知られるuraunyによる初の個展が代官山のギャラリー懐美館で開催された。インターネット以降のヴィジュアル文化に独自に応答する日本では数少ないアーティストのひとりである彼が、今回選んだテーマは「コンプレックスとポジティブに向き合う」。

展示フライヤーでも使用されているような、肉体の歪さをポジティブに捉えたイメージと、同じく性を連想させるオブジェクトで構成されたインスタレーション展示となる。会場には、においやサウンドなどの目に見えない要素も展示の一部として用いられ、実際の空間でしか味わうことのできない体験を作り出した。内容が過激なためか、展示物が一部撤去されるなどのハプニングがあるも、無事乗り越えて展示は終了。クロージングでは、§+§による「液体」の販売も行われた。

facebookの日常の延長のような、風通しのよいインターネットの陰に隠れてつい忘れてしまいそうになるが、そもそもオンラインとは、人々の暗い情念や趣味が所々に島宇宙のように凝り固まった空間だった。かつての掲示板(例えばアメリカのgurochan)のような場所が、そうした一端を担っていたことを忘れてはいけない。今回の展示には、そうしたリアルな日常では出会うことのない裂け目に偶然迷い込んでしまったような、思考停止に似た感覚がある。無思考に欲望を追求した結果としての、意図せず到達してしまった場所。建前として保たれているような美学の枠組みが消え失せた時、その最後に残るのは、消費され尽くして抜け殻のようになってしまったイメージの残骸ではないだろうか。

その抜け殻こそこの資本主義の文化が生み出し、奇形化したイメージの成れの果てである。インターネットはそうしたものすら賞嘆する場所なのだ。

以下は展示に寄せられた宣言文の抜粋である。

「web or life
わたしは世の中の事柄を全て許している。
批判を受ける人間もまた人間であり、正義の相手は理解出来ずとももう一つの正義だからだ。
しかしそれは客観的に見た場合の話であり、あくまで存在を許すという話だ。
わたしにも主観があり、私の中の正義がある。
今回の展示はそんなわたしの中の正義である。
どうか存在を許して欲しい。
批判を受けようとも、わたしも人間だからだ。」

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urauny
http://urauny.tumblr.com

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